話は聞かせてもらった…キヴォトスは滅亡する!!   作:ひな伯

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L'existence précède l'essence.

Nous existons d'abord, ensuite l'essence nous sera donnée.
En d'autres termes, il n'y a pas de but, de plan préétabli.
Nous sommes jetés ici une fois pour toutes,
et c'est ensuite à nous de nous définir, de nous façonner.



8.ミレニアム学園は滅亡する!! 前編 下

 

 イヤホンから、キバヤシとヒマリの会話が漏れ聞こえてくる。

 

 トキは手際よく音量を調節し、耳を研ぎ澄ませた。

 

 (感度も…問題ないようですね)

 

 キバヤシのネクタイに仕込んだ盗聴器はうまく機能していた。

 先ほどの乱痴気じみた行動も、なにも私恨だけで行ったわけではない。リオ風に言うのならば、うっぷん晴らしと陽動をかねた、合理的な行動だった。トキはネクタイを結びなおす際に、発信機を仕込んでおいたのだ。 

 

 古典的な手法だが、ハッキングなどの高度な手段に慣れすぎたヒマリのような人間には、こちらのほうが盲点になると、トキは経験から知ってた。

 

 トキの目論見は正しかった。

 ヒマリは警戒を外し、他者にひた隠しにしていた真実をキバヤシに打ち明けていた。

 

 「“AL-1S”と思わしき少女がゲーム開発部に? 偽造の学生証を使って? しかも連邦捜査部の“先生”と一緒に?」

 

 

 キバヤシの驚きの声が耳に響く。

 

 トキもまた、驚いていた。

 リオが“名もなき神々の王女”と呼び、恐れている存在。それがまさか、ミレニアム学園の中に侵入していたなど、たちの悪い冗談にもほどがある。それだけならまだしも、連邦捜査部の“先生”とやらがそれを黙認しているとは、トキには信じがたい事実だった。

 

 「はい。今は“アリス”と呼ばれています。ゲーム開発部の依頼で廃墟に入った先生が、連れてきたようです」

 

 トキやキバヤシの驚愕を受け止めるように、ヒマリは落ち着いた口調で答える。

 

 「……緊急事態といって、ヒマリくんが私を呼びよせるわけだ。リオはこのことを知っているのか?」

 

 「ふふっ、まさか。私が秘匿しています。心のうす汚いあの女に伝われば、アリスに何をしでかすかわかりませんから」

 

 「それは……はぁ、本当に信用がないんだな、リオのやつは……」

 

 気がつかないうちに、トキの拳に力が入る。

 "AL-1S"という脅威がリオの膝元にいたというのに、ヒマリが隠匿したとはいえ、トキはそれに気がつくことすらできていなかった。

 

 (失態、ですね)

 

 ヒマリがミレニアム学園内の数多の監視カメラをハッキングし、自らの動向を隠しているのは知っていた。だが、まさかこんな事態を隠匿していたとは、トキも予想していなかった。

 

 トキは自らに苛立ったが、息を一つ吐き出すと、再び会話に集中する。

 

 「“AL-1S”が……いや、アリスがどんな子なのか聞いてもいいかい」

 

 「そうですね…素直ないい子でしょうか。先生や、ゲーム開発部の方々と一緒にゲームを楽しみ、エンジニア部などとも交流していますが、皆さんから妹のように可愛がられています。ときおり周りにつられてやんちゃもしていますが……」

 

 「子供にはよくあること、と言いたいんだね」

 

 「そうは思えませんか? 友達と娯楽を楽しみ、語り合い、たまにはふざけてみる。ふふっ。私には、ただの少女が青春を楽しんでいるように見えます」

 

 「心優しいヒマリくんらしい解釈だと思うよ」

  

 その言葉は同意というより、傍観に聞こえた。

 

 もっとも、ヒマリは褒められたのが嬉しいのか、はたまたキバヤシならば当然に同じ気持ちでいると思ったのか、気がついていないようだった。

 

 しばらく押し黙ったあと、キバヤシは言った。

 

 「…それでも、この件はすぐにでもリオに共有してほしい」

 

 ヒマリが驚いて息を呑んだのが、トキにはわかった。

 

 驚いたのは、トキも同じだ。

 トキは、キバヤシが自分と同じ思考をしたことが信じられなかった。話の流れからして、キバヤシはヒマリの味方だと思っていたのだ。

 

 同じように、キバヤシの返答にヒマリは裏切られたような気持になったのだろう。

 

 咎めるようなヒマリの言葉が、耳に響く。

 

 「キバヤシさんは、アリスを“処分”したほうがいいとおっしゃるのですか」

 

 それは当然の詰問のように思えた。

 

 もしリオが“AL-1S”の居場所を知れば、即座に排除に移るだろう。少なくとも、トキはそう考えている。

 

 だからこそ、先ほどのキバヤシの発言が理解できなかった。そんなことは言わないだろうと、勝手に思い込んでいた。そしてそれは、ヒマリも同じだったのだろう。

 

 だが、キバヤシは穏やかに言葉を続ける。

 

 「そうは言っていない。今の状況ならリオはアリスを排除しないし、第一、リオは規格外に優秀だ。遅かれ早かれ気がつくなら、早いほうがいい」

 

 「あの女がアリスを見逃すとおっしゃるのですか?」

 

 それはありえないことだ。

 リオは問題があれば、必ず対処する。“AL-1S”を放置するなどありえない。トキはそう理解していた。

 

 しかしキバヤシは、ヒマリの言葉を直すように答えた。

 

 「見逃すわけじゃない。静観すると言いたいんだ。リオは決して、アリスに対して短慮を起こしたりはしないさ」

 

 キバヤシの言葉を聞いて尚、トキには理解ができなかった。

 それは、ヒマリもまた同じようで、キバヤシの言葉に返事をしない。

 

 その反応をみて、キバヤシは少し困ってしまったらしい。なんとか説得をしようと、言葉を探していた。

 

 「リオはまだ“アリス”に対する“解釈”をしていない。そこには必ず、“疑い”と“迷い”がうまれる。だから……」

 

 そうして言葉を続けてなお、ヒマリの表情がかわらないことを悟ったのか、キバヤシは少し黙り込んだ。

 

 「……認識の擦りあわせをしようか」

 

 気まずそうに、キバヤシは言葉をこぼした。

 

 「始まりは、私とリオがある予言をもとにミレニアム学園の滅亡を予見したことからだった」

 

 そう言うと、キバヤシは聞きなれない言葉で詩を諳んじた。

 

 Sera laissé le feu mort vif caché,

 Dedans les globes horribles espouuentable,

 De nuict à classé cité en poudre laché,

 Ls cité à feu, l'ennemy fauorable.

 

 トキがそれを解せずにいると、ヒマリが詩を訳した。

 

 「秘匿され、置き去られた生きた破滅の火。恐ろしい球体の中のおぞましさ。その夜、都市は船によって塵と化す。街は燃える、意志を奪われた敵によって

 

――Nostradamus 百詩篇第五巻 八番」

 

 イヤホンからは、しばらく音がしなかった。

 

 その詩は、何かひどく嫌なものに感じられた。第六感とでもいうべき場所が、無遠慮に触られるような錯覚を覚えていた。トキは記録を取りながらも、それを破り捨てたい気持ちでいた。得体のしれない嫌悪感が、トキを襲っていた。

 

 キバヤシが口を開く前に、ヒマリが言葉をこぼした。

 

 「私はこの予言を信じたくありません」

 

 「…裏付けがあったとしてもかい」

 

 「キバヤシさんを疑うわけではありません。ただ、私は信じたくないのです。そんなおぞましい運命が、アリスを捉えていることを」

 

 置いてきぼりになっているのは、トキだけだった。

 何か得体の知れない真実が、二人の間では意味を通じているようだった。

 

 キバヤシは長く息を吐いて、ヒマリを諭すようにゆっくりと語りかける。

 

 「“秘匿され、置き去られた生きた破滅の火”。アリスは…“AL-1Sは超古代文明が残した自律兵器”だ」

 

 「“古代人”“太古の遺産”……ですよね」

 

 「そうだ。“無名の司祭”と呼ばれる彼らは、敵を一人残らず滅ぼすための武器が欲しかった。”恐ろしい球体の中のおぞましさ”というのは、“AL-1Sの中に眠るあるプログラムが発動した際の光景”を指している」

 

 そんなばかげたことがあってたまるかと、トキは叫びたくなった。

 

 古代人? 太古の遺産? 滅亡兵器? キバヤシの雑誌のなかでしか出てこないような話が、トキの耳を侵してくる。しかし、ヒマリはそれがさも当然の事実のように、言葉を引き継いだ。

 

 「“アトラ・ハシースの箱舟”……“その夜、都市は船によって塵と化す”という言葉は、“ミレニアム学園が箱舟により滅ぼされる”ことを予言しているのですよね」

 

 「ミレニアムだけに留まればまだいいほうだ。ひとたびそれを起動した“AL-1S”を止める手段は……同じ類の“太古の遺産”をぶつけるほかないだろう」

 

 (…!!)

 

 トキのなかで、合点がいったことがあった。

 リオが“名もなき神々”と戦うために造りだしたと言う、“アビ・エシュフ”というパワードスーツ。もしアレが“AL-1S”のような脅威にむけた備えなのだとしたら、リオもまた、この事実を知っていることになる。

 

 トキは思わず唾を呑んでしまった。

 

 アリスへの対抗策を想定するようなキバヤシの言葉が気に障ったのか、ヒマリが責めるように言う。

 

 「アリスはそんなものを起動しません。それとも、キバヤシさんはそうは思わないのでしょうか?」

 

 落ち着き払った声で、キバヤシは答える。

 

 「…それが“アリスという人格”による選択なのかは、私にはわからない。“街は燃える、意志を奪われた敵によって”という文言は、アリスがそれを望んでいないとも受け取れるからだ」

 

 「それならっ……!」

 

 「だが…予言のとおり何かのきっかけがあり、そして“箱舟”が起動するようなことがあれば……」

 

 キバヤシはその先の言葉を言うのを躊躇っていた。その先の言葉を口にすれば、恐ろしい未来の定めに囚われるとでも言いたげだった。故に、声を荒げるのではなく、そっと置くようにつぶやいた。

 

 「ミレニアム学園は……滅亡する……」

 

 (な…なんですって――!?)

 

 気がつくと、トキは心の内で叫んでいた。

 扉の向こうで語られている“真実”がトキの理解をゆうに超えてしまったのだ。

 

 襲い来る衝撃を飲み込むため、トキはしばらく呆然としていた。

 

 トキはハッと意識を取り戻すと、頬をぴしゃりと叩き、いつもの気構えを心の中で唱える。

 

 (落ち着かなければ。落ち着くのです。私はただ、任務をこなすだけです)

 

 幸いなことに、キバヤシとヒマリの間にはしばらくの沈黙があった。

 

 ヒマリが言葉をこぼすまでには、なんとかトキは持ち直していた。

 

 「……予言に、疑いはないのですか」

 

 「それを私とリオは調べ続けてきた。廃墟の調査記録やキヴォトスの伝承の全てが、“AL-1S”の危険性と予言の真実性を裏付けている」

 

 「だからアリスを排除したほうがいいと、あのどぶ水のような性根の女にアリス引き渡して、殺そうというのですかっ!」

 

 悲鳴のようなヒマリの叫びに、トキは思わずイヤホンを外しそうになる。

 

 ヒマリの言葉は、止まらなかった。

 

 「なぜアリスが、そう生まれたというだけで排除されなくてはならないのでしょうか。アリスが滅亡を、虐殺を望んでいるとでも言いたいのですか! あの女と同じように、ただの女の子を殺して、世界を救った気になるつもりなのですかっ!!

 

 トキは叫び返してやりたかった。

 聞こえないとわかっていても、お前こそ何を言っているんだと言い返したかった。それはリオへの侮辱に対してもであるし、アリスとやらの処遇についてもだ。

 

 トキはアリスのことを知らない。

 顔も知らなければ、声も聞いたこともないし、思い入れもない。だからこそ、もし予言が真実であり、世界を滅ぼし、誰もかれも殺してしまうというのならば、早急に“処理”をするべきだと、当然に考えていた。

 

 しかしキバヤシは、トキと同じように考えてはいなかった。

 

 縋りつくようなヒマリの叫びを優しく受け止めるように、キバヤシは言った。

 

 「君がアリスのことを心配しているのは、私も理解している。だからこそ、リオには共有しなくてはならないんだ」

 

 キバヤシがヒマリに触れたのか、布ずれの音がした。

 

 「確かに、リオは冷徹ともいえる判断をすることもある。だが同時に、善性を持ち合理的に判断できる人物でもある。心を痛めないわけでもないし、迷わないわけでもない」

 

 どうかわかってほしいと祈るような、優しい声音だった。

 キバヤシは、ただひたすらに、胸の内をヒマリに訴えかけていた。

 

 「私はリオに時間をあげたいんだ。“AL-1S”のなかに芽生えた“アリス”という人格を見極める時間を」

 

 それでも、ヒマリは容れなかった。

 

 「あの女にそんな感情などありません。すぐにでも、アリスを殺そうとするはずです」

 

 その拒絶するような言葉に、キバヤシは虚を突かれたようだった。

 

 それは不信の言葉だった。

 感情と理性から導き出された、ヒマリの拒絶だった。トキはすでに、ヒマリを理解していた。決してリオを受け入れたくないのだろうと、トキにはわかっていた。

 

 キバヤシはその言葉を強く否定した。

 

 「そんなことはない。あれで意外と感傷的なやつだよ。アリスが予言に関わらず、今のように平穏に日常を過ごすのならば……リオは猶予を設けてくれる。私はそう確信している」

 

 「あんな女の肩など持たないでください。私は、キバヤシさんを嫌いたくありません」

 

 「それはできない。私はリオの友人だ」

 

 「…!」

 

 音はしなかった。

 だがトキには、ヒマリの顔がゆがむのが、心がひずむのがわかった。

 

 聞こえてくる声が、熱を帯びていく。

 理論の下に埋もれたふたりの感情が、そこに表れつつあった。

 

 「あの女が、“ビッグシスター”がアリスを受け入れるはずがありません。あの腐った汚水のような性根の女は、必ずアリスを“処分”しようとします。遅かれ早かれ、“必ず”その選択をします」

 

 「……そうかもしれない。リオは、アリスを排することを選択してしまうかもしれない」

 

 「ならどうしてっ…どうして頷いてくれないのですかっ!」

 

 「決断には苦しみがあり、悩みがあり、理由がある。選択には間違っている部分があり、正しい部分もある。それを私が理解しているのなら、過ちを補ってやればいいからだ」

 

 キバヤシは長く息を吐き、ヒマリをふたたび諭すようにゆっくりと語りかける。

 

 「どうして私がリオを否定できる。リオは孤独だ。得た地位のせいで、感情的になることも許されず、より善い選択を独りで選び続けなければならない。全ての責任を負う重圧を受け続けなくてはならない。それを理解している私が、どうしてリオを否定できるというんだ」

 

 ヒマリが言葉を失うのがわかる。

 

 ヒマリは気に入らないのだ。

 アリスを助けてあげたいのに、キバヤシが味方をしてくれない事実が。キバヤシがリオを理解しているという事実が。友人だと言い切る事実が。選択を尊重するという事実が。全てが心の底から気に入らなくて、仕方がないのだ。

 

 おそらくトキは今、他の誰よりも、ともすればヒマリ自身よりも、彼女のことを理解してしまっていた。

 

 「なぜ“私”ではだめなのですか……アリスが滅亡を引き起こすというのなら、それを選択させられてしまうのなら、“私達”がそうならないよう護ってあげればいいではありませんか……。“あんな女”に委ねることなどなく、“私達”が……」

 

 トキはその言葉に、ふたたび嫉妬を感じ取った。 

 ヒマリが振り絞るようにこぼしたその言葉には、ヒマリのどうしようもない気持ちが込められているように思えた。

 

 キバヤシもまた、それに気がついているのかもしれなかった。

 

 「私は全てをリオに委ねるつもりなどない。全ての責任を担わせるつもりなど、到底ない」

 

 「それは…いったい…」

 

 「 ミレニアム学園の滅亡を防ぎ、アリスの平穏も護る。そんな方法を探し出して、リオの手に渡してあげたいんだ。そのために私はここに戻ってきた」

 

 「キバヤシさん……」

 

  そう言い切るキバヤシの声には、確固たる意志が込められていたように、トキは思えた。

 

 「だから…君にも協力してほしい。リオのためなど、ずうずうしいかもしれないが……そんな方法を見つけるためには、他ならぬヒマリくんの力が必要なんだ……」

 

 しばらくの沈黙の後、キバヤシはこっぱずかしいことを言ったと思ったのか、声音をいくぶんかやわらげてヒマリに言った。

 

 「一緒に方法を探そう。リオだけじゃなく、私はヒマリくんにも笑ってほしいからね。それこそ、明星のように」

 

 「キ、キバヤシさんっ……!!」

 

 そう冗談めかして締めくくったキバヤシの言葉の後に、悦び悶えるようなヒマリの声が聞こえた。

 

 トキは呆れたような気持で、イヤホンを外した。

 

 

 


 

 

 

 長い一日だった。

 

 トキはただ、その一言を思い浮かべる。

 

 今日は本当に、長い一日だった。

 セミナーの持つ来客用の宿泊室で、紅茶を淹れながら、トキはどっとした疲れを感じていた。 

 

 古代文明、超兵器、予言、箱舟、滅亡……。

 

 トキは今日だけで、ずいぶんと知らなくていい知識を身に着けた気がした。何かを知っただけだというのに、自分の立つ世界が揺らいでしまったような気持になった。

 

 (リオ様は…ずっとお独りで、こんな事実と向き合っていたのでしょうか)

 

 トキは自分自身のことを恥じた。

 

 トキはただひたすらにリオに従ってきた。

 何も理解する必要もなければ、考える必要もなかった。ただリオの命令を聞き、任務さえ達成すればよかった。その任務が何のためかなど、知ろうともしなかった。

 

 その無理解と無関心は、リオにとって慣れ親しんだものであり、都合の良いものだったのかもしれない。だからこそ、トキを重用してきたのかもしれない。

 

 それでもトキは思ってしまう。

 はたして自分は、本当の意味で、リオの助けになれているのだろうか。

 

 (C&Cとしては、それでもいいのでしょう。ですが…リオ様専属のメイドとしては……)

 

 ポットのなかで茶葉が広がるのを、トキは眺めていた。

 

 渋みが出てしまう前に、トキはカップに紅茶を注ぐ。

 事前に薄切りにしておいたレモンをそえて、机で取材した情報をまとめているキバヤシの元へとそれを運んだ。

 

 「お疲れ様です、キバヤシ様。お茶が入りました」

 

 「ああ、ありがとう、トキくん。いたただくよ」

 

 キバヤシは手を止め、カップを受け取り、一口飲む。

 淹れたての紅茶は当然に熱かったらしく、キバヤシはあちっと鳴いていた。そのようすがかわいらしく、トキは胸のもやがすこし和らいだ。

 

 赤い舌をすこしだけだした後、キバヤシは気を取り直すようにトキを見やった。

 

 「今日は疲れただろう。つきあわせてしまって悪かったね」

 

 「いえ…お気になさらず。学びの多い、驚くべき一日でした」

 

 それは本心だった。

 

 たった一日で、目の前の少女は、キバヤシは、トキの根底を揺るがしてしまった。

 足元にうごめく“衝撃の真実”を、トキはキバヤシを通じて知ってしまった。リオや、ヒマリや、キバヤシへの観方が覆ってしまった。

 

 自分はもう、今までのままではいられないのかもしれないと、トキは感じていた。

 

 トキが黙り込んでいると、キバヤシは微笑みながらトキに声をかけた。

 

 「リオのところには戻らなくていいのかい」

 

 トキは気を取り直して、キバヤシに答える。

 

 「…はい。ミレニアムに居られる間は、やはりお世話させていただきます。キバヤシ様はリオ様のご友人ですから」

 

 トキの言葉を聞いて、キバヤシは苦笑した。

 

 「なら、後でリオに言っておいてくれ。友人に聞きたいことがあるなら、正面から聞けと。いまさら私達の間にこんなものを持ち込むな、と」

 

 そう言うと、キバヤシはネクタイにつけられていた盗聴器を、トキに差し出した。

 

 トキは冷や汗をかきながら、それを受け取った。

 

 「……ご存じだったのですか?」

 

 「あれだけ露骨ならね。リオの性分から、私を疑っているだろうこともわかっていたし」

 

 本当に何も不快になど思っていないのだろう。

 

 キバヤシは肩をすくめてトキに笑いかける。

 きっと、キバヤシは、リオの不信すらも受け入れている。その上で、友人だと認識しているのだ。

 

 トキは、キバヤシがリオに対してどのような感情を抱いているのか、わからなかった。

 

 「キバヤシ様。昼間の質問を…もう一度お伺いさせていただけますか」

 

 だから…胸に浮かんだ純粋な疑問を、トキはぶつけることにした。

 

 「ん……だがもう夜も遅いが」

 

 「聞かねば眠れません」

 

 キバヤシは困ったようにこめかみに指をあてて、苦笑した。

 

 「しかたないな……私とリオの関係、だったか」

 

 キバヤシはやはり少し考えこんでから、答えた。

 

 「同志であり、協力者であり、友人だね。それも、もう切り離すことができないような縁で結ばれてしまっている類だ」

 

 「それで腐れ縁、ですか」

 

 「そう、腐れ縁。志を同じくとする、されど考え方の違う存在。目に入れれば当然に痛いが、決して目を離すことのできない存在。疑いこそすれど、決して手放すことのできない存在」

 

 キバヤシは紅茶に何度か息をふきかける。

 

 猫舌なのだろうか。

 もう一度口をつけて、キバヤシはあちちっと鳴いていた。トキはほころぶ口元を抑えた。

 

 それはそれとして、トキはもっと深く踏み込んでみる。

 

 「お二人はどのような出会いだったのですか」

 

 「少し長くなるが…」

 

 「いいではありませんか」

 

 「じゃあ…要点だけ。私がMMRを創るネタ探しのために、廃墟に潜る手段を探してリオに接触して、リオは廃墟への潜入を手助けする代わりに、半ば私を騙すような形である技術を持ち帰らせた。それが今の警備ドローンたち…AMASを自動生産するプログラムだ」

 

 「あれは、廃墟の技術によるものだったのですか?」

 

 「その通りだ。ミレニアム学園にいるリオのドローンは、元をただせば廃墟のロボットたちと同じ技術から生産されているんだよ。もちろん、プログラムは徹底的に組みなおされてるけれどね。なんにせよ、持ち前の知性とAMASが合わさったリオは、あっという間にセミナーの会長の座を手にしたというわけだ」

 

 出会いを聞いたら、リオが会長になっていた。

 トキは困惑を隠せなかったが、キバヤシは平然と紅茶を楽しみながら、その時のことを想いだしているようだ。

 

 「あの時は本当に死にかけたよ。リオに唆されて廃工場のコアシステムに接続したとたん、眠っていたロボットどもが起動して、一斉に襲い掛かってきてね。ははは、我ながら、よくあれだけの数から逃げおおせたものだ」

 

 笑ながら言うキバヤシの顔は青ざめていて、身体は少し震えていた

 

 どうやらリオとキバヤシの出会いは、トキの予想よりも、ずいぶんと波乱万丈だったらしい。それをきっかけに色々と湧いてきてしまったのだろうか、キバヤシは深くため息を吐いて、リオについて愚痴った。

 

 「……それを、リオのことだし仕方がないと許したのがいけなかったのかもな。それから公私混同の無理難題を押し付けられるようになってしまった」

 

 「ゆ…許したのですか、リオ様を」

 

 トキは信じられなかった。

 騙して悪いがと、殺されかけた相手と付き合い続けるなど、正気の沙汰ではないように思えた。

 

 「まあ……リオも知らなかったらしいし……ならしょうがないかなって」

 

 そっぽを向くキバヤシは、どこか自分に言い聞かせているようだった。

 

 キバヤシは続ける。

 

 「ともあれそんな具合に、甘やかしすぎてね。気がついたらあんなふうに……私には大層わがままになっていた」

 

 トキはなんだか、キバヤシが少し心配になってきた。

 

 リオが主であることも忘れ、トキは問いかける。

 

 「なぜ、そんなわがままを受け入れているのですか……お断りになられては?」

 

 トキがそう問いかけると、キバヤシは気恥ずかしそうに眼をさまよわせて、しどろもどろに言った。

 

 「それは…その……友人というものは、得難いんだよ。私もリオの高い能力は認めているし、尽力しているのも理解しているし……嫌いなわけでも……だから……つまはじきもの同士、せいぜい仲良くやろうと思って、つい……」

 

 「…さようでございますか」

 

 この人はダメだと、トキは思った。

 おそらくキバヤシは、一度ふところに相手を容れてしまったら、どうしようもないのだろう。

 

 友達想いなのはいいことだが、何でも許すのは違うんじゃないだろうか。リオを責める気持ちもあるが、ここまでくれば、もうキバヤシが悪いのではないだろうか。リオのことを羨ましく思いながら、トキはいぶかしんだ。

 

 ため息をこらえながら、減っていた紅茶に静かに湯を注ぎ足す。

 

 「ありがとう」

 

 「いえ……」

 

 キバヤシが小さく礼をいい、トキはそれを目で受け入れた。

 

 その代わりにといいたげに、トキはもう一つの疑問をキバヤシに投げかける。

 

 「先ほどの、“つまはじきもの同士”、というのはどういう意味なのですか」

 

 キバヤシは嫌なことを思い出したと言いたげに、少し眉をひそめる。

 

 カップをソーサーに置くと、キバヤシは椅子に深く身を持たれかけ、口を開いた。

 

 「……そのままの意味だよ。かたやミレニアム学園の嫌われ者。かたやトリニティ学園の嫌われ者。出会った当初から、そんな具合だった」

 

 「リオ様はともかく…キバヤシ様が、嫌われ者ですか?」

 

 「そうだよ。それはもう、大層にね」

 

 意外な事実だった。

 

 リオの風評は、悲しいことにトキも知っている。

 その優秀さと人を寄せ付けないような姿勢から、“ビッグシスター”と呼ばれて恐れられているのは、ミレニアム学園では周知の事実だ。トキもまた、そのような一面のリオのほうが慣れ親しんでいる。どちらかといえば、ここ数日の印象が異常なのだ。

 

 だがキバヤシが嫌われ者だというのは、トキにはあまりイメージしづらいことだった。

 

 「…気になります。何があったのかお伺いしても?」

 

 「え……ふ、踏み込んでくるかい、そこ……あまり思い出したくないんだが……まあ…いいか……」

 

 答えてくれるんだ…と、聞いておきながらトキは心配になった。

 なんというか、本当に押せば何でもしてくれるんじゃないかと逆に心配になってきた。悪い人に騙されたり、変な奴に付け込まれて、あんなことやそんなことされないのだろうか。そんな邪な思考が、トキの脳裏をよぎる。

 

 トキの内心はさておき、キバヤシは苦々しい顔をしながら話し始めた。

 

 「私は…ある種の驕慢さを隠せなかったんだ。彼女たちのおままごとに、心の底からうんざりしていたのが、滲んでいたんだろう」

 

 「“おままごと”…ですか?」

 

 「そう、おままごと。“派閥争い”という名のごっこ遊びさ」

 

 吐き捨てるように言うキバヤシの顔は。辟易としていた。

 

 「なぜ自分たちが一つの学園としてまとまったのかを忘れ、その裏に埋もれてしまった者たちも忘れ……ただ徒党を組み、自らを正当化し、相手を嬲り者にするために、“派閥”とやらを称して勢力争いをしていがみ合う。トリニティ学園のなかには、そういった文化があるんだよ」

 

 「あのトリニティ学園に、ですか」

 

 「あのトリニティ学園に、だよ」

 

 トキは、そんなことを考えたこともなかった。

 

 トリニティ総合学園には、礼儀正しく公正な、いわゆるお嬢様学園というイメージがある。

 実際に、リオが“ティーパーティー”と称されるトリニティ学園のトップと会談した際、相手はまさにそのイメージ通りの人物だった。なぜか会議中にも、優雅に紅茶をたしなんでいたのを、リオが疑問の目で眺めていたのを覚えている。

 

 キバヤシはつづける。

 

 「全員がそうではないとは、私もわかっていた。それでもほとんどの者はそうだった。相手が何を尊び、何を感じ、何を想うのかなど、気にもしない。ただ哀しかったよ。関わりたくなかったんだ。……放っておいてはもらえなかったがね」

 

 「巻き込まれてしまったのですか……」

 

 「そう。自分で言うのは何だが、私は目立つ人間だった。はじめは懐柔しようとして…通じないとみるや、たちの悪い嫌がらせが続いた。私はそれでも、勉めて距離を保とうとした。だが彼女たちはいつも、私に纏わりついていた」

 

 カップから立ち上る湯気を、キバヤシは暗い表情で眺めて、つぶやいた。

 

 「“こんなに愉しいんだから、お前も混ざれ”と…私を逃がそうとはしなかった」

 

 力ない笑いをこぼして、キバヤシはうつむいた。

 

 「どう思ったかなど、言うまでもないがね。あそこは…私にとって苦痛だったよ」

 

 後悔が胸の中に広がった。

 

 なぜ聞いてしまったのだろう。

 トキは、なんと声をかければいいかわからなかった。軽々しく聞くべきではなかった。そんな顔をさせたいわけではなかった。トキは、ただひたすらにつらくなってしまった。

 

 キバヤシはそんなトキに気がついたのか、声音を冗談っぽくかえて、締めくくった。

 

 「ま、結局私はそれからいろいろあって、最悪の形で巻き込まれ…はれて嫌われ者になったというだけなんだ。はい、この話はおしまい」

 

 胸のなかの苦い思い出を飲み込むように、キバヤシは紅茶を無理やりに飲み干した。

 

 キバヤシは椅子から立ち上がると、トキのもとに歩み寄って、気にしないでくれとでもいいたげに、頭をかるくなでた。

 

 「先に寝ててくれていいよ。シャワーを浴びてくる」

 

 歩き去ろうとするキバヤシの手を、トキは思わずつかんだ。

 

 トキは半分、ヤケになっていた。

 好奇心の代償を味わわされ、それをあっさりと許されて、心中がめちゃくちゃになって尚、トキにはまだ聞き出したいことがあった。

 

 不思議そうにこちらを見るキバヤシには、申し訳なく思う。

 けれど、それは謎めいたキバヤシが悪いのだと、トキは誰にでもなく言い訳をした。それにトキは、この質問の答えをリオに教えてあげたいと思っていたからだ。

 

 「キバヤシ様。最後にもう一つだけ、聞かせてください」

 

 そんな胸の内を明かすように、トキは尋ねた。

 

 「なぜ今まで……リオ様に会いに来てくれなかったのですか。リオ様はキバヤシ様を心配なさっていました」

 

 責めるようなトキの声音に反応して、キバヤシの藍色の瞳が、トキを見据えた。

 

 トキが仕えている間、リオが時折見せていた、どこか寂しげな表情。あれはもしかすると、キバヤシのことを想っていたのかもしれない。二人の関係性を聞けば聞くほどに、トキはそう思えてしまってならなかった。

 

 キバヤシの過去を聞いて、そこまで思慮深くあれるのならば何故、リオを打ち捨てるようなことをしたのだと、トキはそう思ってしまった。

 

 だからこそ、トキは尋ねたのだ。

 

 キバヤシは、そんなトキの気持ちをわかっているようだった。

 

 「……何度も会いに行こうと思った。だがそれ以上に、会いたくなかった」 

 

 キバヤシは少しつらそうにしながら、質問に答えた。

 

 「ある時、友達が亡くなってしまったんだ……私はすっかり滅入ってしまっていた。続けざまにつらいことがおきて、何もかもに嫌気がさして、心が折れてしまった。私が弱っていくのを、リオは心配そうにしていた。私は……あれ以上、そんな姿をリオに見せたくなかったんだ」

 

 身勝手な理由だと、トキは思った。

 

 キバヤシの答えは、リオの気持ちを慮っていない。そう問いかけるように、トキは言う。

 

 「リオ様を頼ればよかったではありませんか。お二方は、ご友人なのですから」

 

 「……友人と思ってしまっていたからこそ、頼りたくなかった。本当は……もうリオに会うつもりはなかったんだよ。二度とね」

 

 「……どういう意味でしょうか」

 

 キバヤシはそれ以上答えるのを拒むように、トキをじっと見つめた。もう逃がしてくれないかと言いたげだった。

 

 それをわかっていながら、トキは逃がすつもりなどなかった。トキもまた、答えをせかすように、キバヤシを追い詰めるように、キバヤシを見つめた。

 

 抵抗をするかのように、キバヤシがトキに問いかける。

 

 「……“それは答えたくない”と言ったら?」

 

 「“いまさら卑怯です”と言います。責任をとってください。リオ様を傷つけたことから、逃げるのですか」

 

 挑発すれば、本心を聞き出せるかもしれないと思っての言葉だった。

 

 その目論見通り、キバヤシは怒ったのかもしれない。

 力強く、トキの腕が引かれる。息がかかるほどに、引き寄せられる。

 

 藍色の瞳がトキを見ていた。

 深く、ひたすらに深い、底の見えない海に引きずりこまれるような、そんな恐ろしさに囚われる。

 

 「そうさ。その通りだったとも。私は逃げ出したかった。全てを投げ出して、知っていることの重責から逃げ出したかった。だから我が身可愛さに、リオを見捨て、傷つけた」

 

 痛みを感じるほどに、キバヤシは強くトキを掴んでいた。

 トキはそれから逃れようと、後ずさりをする。それでもキバヤシは、トキを離さない。背中が壁に当たるまで、キバヤシはトキを追い詰めた。

 

 「私は未来を、“予言”を知っている。リオに会うということは、その予言と…“運命”と向き合うことを意味していた。勝てるはずのない戦いに、また私は挑まなければいけなくなると思った。その恐ろしさから、もう二度と会わないつもりだった」

 

 キバヤシは本気だった。

 

 未来を知っているなどという言葉を、トキは信じることはできない。

 だが、キバヤシは本気だった。それを伝えるように、狂気に爛々と輝く藍色の瞳が、トキを覗き込んでいた。

 

「なら…なぜ。なぜあなたはここにいるのですか」

 

 深い海のような、星空のようなその瞳に魅入られながら、トキは尋ねた。

 

 トキの問いに、キバヤシは答えた。

 

 「気がつかされたからだ。知っていたところで、抗いようのない大切な想いがまだ胸に残っていると。勝ち負けなど問題ではなく、私はただそうしたいのだと」

 

 藍色の瞳から、目をそらせなかった。

 

 腕から手が離されて、代わりに細い指先がトキの頬に触れた。低い体温が、肌を通じて流れ込んでくる。

 

 「私はもう、失いたくないんだ」

 

 その謎に包まれた言葉が誰に、何に向けられたものなのか、トキは知り得なかった。

 

 トキが感じたただ一つのことは、頬にあるひんやりとした熱が離れていくことだけだった。

 

 それからキバヤシは一言も発することはなく、神秘と謎は覆い隠され、そのまま夜の闇に溶けていった。

 

 


 

 数日の取材を終えた後、キバヤシはミレニアム学園を去っていった。

 

 それからは、キバヤシは定期的にリオの元を訪れては、廃墟の調査や取材を行い、AL-1Sについて議論を深めていた。

 

 トキもまた、そのたびにキバヤシについて回ることになった。今度は命令ではなく、トキがリオに頼み込んだ。トキ自身の意志で、謎を知りたいと思ったからだ。

 

 しかし、キバヤシはあの夜以来、決して胸の内をトキに漏らすことはなかった。そこにはただ、謎めいたうさんくさい雑誌編集者か、柔和な物腰のかわいらしい少女がいただけだった。

 

 気がつけば季節は移り変わっていく。

 

 トキがその事件を知ったのは、AL-1Sが不可解な軍団と接触し変貌を遂げ、生徒たちを襲ったと知ったのは、初めてキバヤシと会ってから、ずいぶんと後のことだった。

 

 




ミレニアム学園に眠る陰謀は、やはりノストラダムスに予言されていた……?


衝撃の真相を解明するべく、キバヤシは再び廃墟の奥地へと足を踏み込んだ――!!

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