ツヴァイウィングのライブから、一年が経過した。
日本は三分割され、それぞれのギガフロート国家は独自の航路を歩み始めている。
季節は巡り、響たちは中学三年生へと進級した。
かつての混乱は今では遠い過去のように思える。……表面上は
西尾商店は相変わらず繁盛していた。
学生寮とリディアン音楽院の間に構えた店は、今や生徒たちの癒しスポットだ。
そんな日常の裏で、ひとつの“異常”が静かに進行していた。
「……結晶の浸蝕が進んでいます。細胞構造の再構築が――これは、もはや“人間の心臓”とは言えません」
アルヴィスの医療区画。
モニターに映し出された数値を見て、医師が声を低くする。
「生体データの安定性は保たれていますが……ガングニールの結晶が完全に響さんの心臓と融合しています」
「……だとすりゃ、“存在の変質”が始まってるってことさね」
静かに口を開いたのは、西尾行美だった。
その表情には、かつて多くの“同化死”を見送ってきた者の、複雑な想いが滲んでいる。
「奏の結晶が命をつないだ、までは良かったんだけどね……あれは単なる器じゃなかった。中身ごと、あんたの中で動いてる」
「……私、わかってます」
響は胸元に手を置いた。
そこにあるのは、赤い輝き。奏の絶唱が遺した、かけがえのないもの。
「でも、私はこの命を大切にしたいんです。奏さんが、私を守ってくれた――だから今度は、私が誰かを守りたい」
「……言うようになったじゃないか」
行美はそう言って目を伏せる。
“それ”がどれほど残酷な運命に繋がるかを知っているだけに――。
その夜。
響は病棟のベッドの中、眠りに落ちていた。
だがその意識は、ある“領域”に引き込まれる。
――そこは、白い霧に包まれた静寂の世界だった。
気がつくと、自分は広い水面の上に立っていた。風も音もない世界。
けれど、確かに誰かが“そこ”にいた。
「……立花響」
声に導かれて振り向く。そこには、白い服に銀髪の少年――皆城総士が立っていた。
「……あなたは?」
「僕は皆城総士。君に、少しだけ話をしに来た」
どこか無機質で、けれど優しい眼差しだった。
「ここは――夢、ですか?」
「そう思ってくれていい。“夢”と“現実”の狭間だ。君の心が開いた場所でもある」
総士は、まっすぐに響を見つめた。
「君は今、“存在の変質”を始めている。人ではありながら、人ではないものへ。……それを恐れてはいないのか?」
「……怖いです。でも、後悔はしたくない。私は、もらった命を無駄にしたくない」
「その命は、君の意志で燃やすものだ。だが、名を手放す覚悟はあるか?」
「……名、ですか?」
「名は存在そのものを縛る枷でもある。君が“誰かを守るために何者かになる”というのなら、それは時に“君自身を見失う”ことにも繋がる」
響は少しだけ、目を伏せた。だが、やがてしっかりと顔を上げる。
「それでも私は……この名を持った私として、誰かを守りたい。立花響として」
総士は一瞬、驚いたように目を細めた。
「そうか……その意志、しかと受け取った。」
彼はふっと微笑んだ。
「ならば、君は君の道を進め。僕は……見ている」
その言葉を最後に、白い世界は静かに崩れていく。
響が目を覚ました時、ベッドの傍らにいた西尾行美が声をかけた。
「……すっかり寝入ってたようだけど、顔色は悪くないね」
「夢……だったのかもしれません。けど、確かに“皆城総士”って名乗った人が、そこにいたんです」
「……皆城、ねぇ……」
行美の表情に、ふと影が差す。
「昔、あたしの知ってる子にも、そんな名前のガキがいたっけねぇ。病弱で、弓美とよく遊んでたっけね」
「弓美と……?」
「ああ。まあ、今はどこで何しているやら」
西尾行美は、それ以上を語ろうとしなかった。
それは、まだ明かされるべき“真実”ではない。
――その名が再び呼ばれるとき、全てが動き出すだろう。
今はただ、響の鼓動だけが、静かに、強く鳴っていた。