浄火の赦し   作:もとりな

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七章 例え悪であっても

 

 

 リリナという少女を取り巻く現実は、勧善懲悪とは程遠い物だった。

 

 彼女がアドレスケレ孤児院に来る少し前。

 リリナは別の孤児院に所属していた。

 その孤児院の中で彼女は比較的に家事や勉強などの覚えが良く、人付き合いにも積極的な方だったため、一日に三回、孤児院の人間が様子を見に来るという条件付きで一人暮らしが認められた。彼女の年齢では異例のことではある、が……それでも前例が無いわけではなかった。何よりも、ここは大人の数が少ない学園都市。幼い段階から一人で生きていける術を獲得しなければ、後の生活で『詰む』可能性もあったのだ。

 さて、そのようにして家を貰ったリリナであったが、その暮らしは概ね順調と言えた。

 家事や掃除をそつなくこなし、友人たちを家に招いてパーティーを開いたりと、一人暮らしを始めて数ヶ月はとても順調だった。

 

 そして、順風満帆な暮らしは唐突に終わりを迎えた。

 

 ある晴れた日。

 リリナは鼻歌を奏でながら洗濯物を干していた。

 テレビではエデン条約がどうのと話していたが、幼い彼女にはよくわからず…ただ「仲良くなれるなら、その方がいい」という程度の認識だった。

 そして、最後の洗濯物を掛け終わって、一息吐いた時。

 

 唐突に、目の前が光った。

 

 リリナが気がつくと、そこは既に瓦礫の山だった。

 変わり果ててしまった風景に混乱していたが、孤児院の友人たちのことを思い出して立ち上がり───全身に激痛が走った。

 

 ───この時リリナは知らなかったが、彼女は爆風に吹き飛ばされてかなりの距離まで吹き飛ばされていた。死ななかったのは彼女にヘイローが付いているのと……ただ運が良かったというだけだ。

 

 痛みに悶えながらも何とか立ち上がり、友人たちの姿を探すために歩く。

 平和だったはずのトリニティは地獄に変わり果てていた。

 倒壊した建物と逃げ回る人々の姿がリリナの網膜に焼き付く。

 絶叫と怒号の海の中でリリナは人の波に逆らいながらフラフラと家族の姿を探して歩いていた。

 混乱と恐怖で目の淵に涙を湛えながら、ディストピアと化したトリニティを彷徨っていると……リリナは、ふと気づけば見たことのない路地裏に迷い込んでいた。

 

 迷路のような路地裏をゆっくりと歩く。

 ここもところどころ建物が崩れていたが、逃げ回る人の声は聞こえない。ブーン…とまだ生きている換気扇の音が聞こえるだけだ。全員避難した後、いや、もともと誰も寄り付かない場所だったのだろう。その事実を肯定するように、纏わりつくような嫌な雰囲気がこの空間には満ちていた。

 そして、この不快な空間を訪れたことがリリナの人生における最大のターニングポイントだった。

 鼻につく生ゴミの匂いに渋い表情をしながら歩くリリナは……クシャリと何かを踏みつけた。

 

 何となく、本当に何となく下を見ると、そこには一枚の紙があった。

 いや、足元だけではない。

 リリナの周囲にビラの如く大量の紙が撒き散らされている。

 書いてあるのは小難しい言葉と数字の羅列。

 難しい話が苦手なリリナはすぐに興味を失い、友人たちを見つけようとその場を去ろうとして………

 

 

『何をしているのかな、お嬢ちゃん?』

 

 

 和かで、穏やかで、そして感じたこともない程の悪意に塗れた声と共に、リリナの背後から気配が近づく。

 恐怖に突き動かされるように、後ろを振り向く。

 無機質な視線があった。

 台所に出た虫を見るような目でリリナを見つめる影。

 反射的に逃げ出した。

 

 そこから本当の地獄が始まった。

 逃げ出した先には常にリリナの命を狙う者がいた。

 友人たちが何処にいるかもわからない。

 リリナは独りだった。

 賢かったリリナは、刺客に捕まることはなかった。

 子供の体を活かして狭い場所を潜り、友人と作った落とし穴の知識を使い、何とか逃げ延びた。

 それでも、空腹と孤独には勝てなかった。

 

 ある日、ついにリリナは倒れた。

 逃げ出してから一週間経ったのか、それとも一ヶ月経ったのか、どちらにせよ少女が独りで過ごすにはあまりに長い時間が過ぎた。

 リリナは薄暗い何処かの町の、小汚い地面の上に倒れは伏す。

 

 昔、友達と見たアニメに登場した正義のヒーロー。

 それは幻だったのだと、薄れゆく意識の中で彼女は理解する。

 

 この世は勧善懲悪では有り得ない。

 

 残酷な現実は、暗い闇の中でゆっくりと命を溶かしていくリリナを救われるだなんて、そんな甘いことを許さなかった。

 リリナは恨んだ。

 助けに来なかったヒーローを、無力な自分を、そして何より……自分をこんな風にした元凶を。

 幸せな走馬灯すら見ることなく、冷たい感情の中に意識を落としていく、その途中。

 

 

『これは…!大丈夫ですか!?』

 

 

 優しい声が聞こえた。

 

 

〜〜〜

 

 

 目が覚めたリリナの周りには、知らない人間たちが沢山いた。

 精神を擦り減らすような逃亡生活の中で、すっかり人間不信になってしまったリリナは酷く怯えた。

 けれど、すぐに彼女の心は氷解した。

 アドレスケレ孤児院。

 そこにいる人々は皆、悪意がひしめく冷たい町で過ごしているとは思えない程に優しかった。

 頼れる姉ができて、仲の良い友人ができた。外には出れなかったけれど、以前の孤児院の人たちと連絡を取ることもできた。

 移動に伴う危険性や、何に狙われているかもわからないという不安定な立場、そしてアドレスケレ孤児院の方針もあって、帰ることは出来なかったが……それでもリリナは再び幸せを手に入れることができた。

 しかし、リリナの中に眠る怨恨の種火は燻ったままだった。

 ある日、胸の奥でチラチラと主張するソレに耐えられなくなって、リリナは自分を拾ってくれた少女───姉と慕う人物に尋ねた。

 

 

『悪い人をやっつける方法、ですか?』

 

 

 少女は長い前髪の下で、少しだけ目を丸くしていた。

 どうしてそんな質問をするのか、と尋ねてくる少女に、リリナは答える。

 

 ──自分をこんな状況にした『誰か』がゆるせないこと。

 ──いつかやり返したいこと。

 ──そのために強くなりたいこと。

 

 昏く、幼い少女な抱えるにはあまりにも重すぎる感情を受け止めた管理人の少女は、真剣な顔を作ると語り出す。

 

 

『リリナ、確かに強くなることは重要です。強くなければ襲い来る困難を跳ね除けることができる』

 

『私も貴女を不幸にした存在を憎んでいます。叶うなら、鉄槌を与えたいとも思っています』

 

『けれど』

 

 

 そこで管理人の少女は言葉を区切り、人差し指を立てて、授業をするようにリリナに教える。

 

 

『本当に強いのは、悪を打ち倒す人間ではなく……赦すことができる人間です』

 

『他者の罪を赦し、復讐の連鎖を断ち切ることが出来る者。無論、相手が本物の巨悪であれば躊躇する必要はありませんが、必ずしもそうとは限らない』

 

『だから、リリナ』

 

 リリナには、難しいことはわからない。けれど、目の前で真剣に語る管理人の少女の言葉は、何故か擦れてしまった自身の心に染み渡るようで。

 

 

『赦す強さを持ちなさい。『ごめんなさい』と謝る誰かに、『いいよ』と言ってあげる強さを持ちなさい。それが、本当に強いということです』

 

 

 わからない。

 リリナの中で、悪い人は悪い人で、良い人は良い人。

 それが変化することは無いと、少なくともその時のリリナは思っていた。

 けれど、自身を救った恩人の言葉は、何処か真に迫っていて。

 リリナ中の何処かで『赦す』ことを強いと思う自分が生まれていて。

 

 

『うん、わかった』

 

 

 気がつけば、リリナは頷いていた。

 

 

〜〜〜

 

 

 

「子供たちの安全を最優先に!命に代えても倉庫に近づけさせてはなりません!」

 

 

 いつもは優しい姉の必死な叫び声が聞こえる。

 リリナたち孤児院の子供は、狭い倉庫の中で息を潜めていた。外からは激しい銃撃の音と、燃え盛る炎が爆ぜる音が聞こえてくる。

 時々銃弾が倉庫にぶつかり甲高い音を立てて、周囲の子供たちがビクリと肩を揺らし……それ以外の言葉は聞こえてこない。

 彼女たちがここまで静かなのは、もちろん恐怖というのもあるが、それ以上に『状況を飲み込めていない』というのが大きかった。

 

 いつものように夕食を食べ終えたリリナは、自室に戻ってあやとりを弄っていた。食堂ではサオリがいないことを寂しかったが、帰って来たらまた一緒に遊べば良い。そう思って、今度はどんな技で驚かせようかと思考錯誤していた時。

 ポーンと部屋に設置してあるスピーカーから音が鳴った。

 

 

『お知らせします。もうすぐ定例集会の時間です。院内の皆様は、至急集会室にお集まりください』

 

 

 スピーカーから響く聴き慣れた声にリリナは───息を呑んだ。

 アドレスケレ孤児院ではスピーカーが多用されることはない。

 食事や入浴はきちんと時間が決まっており、わざわざ放送で呼びかけることはない。

 集会に関しても、食事の際に事前に知らせされるため、放送が使われるのは生徒や世話係個人を呼び出す時だけだ。

 そして何より、アドレスケレ孤児院に『定例集会』というイベントはない。

 けれど、その言葉の意味は知っている。

 

 ──先程の方法は、孤児院内で緊急事態が起こった際にみんなを一か所に集めて避難させる時に使われる暗号のような物だ。

 

 要するに、『今すごくマズい状況だから集まって逃げます。みなさん早く来てください』という意味だ。

 集まる場所は院内でもかなり広い部屋の一つである『お遊戯室』。集会室に集まれというのは一種のブラフだ。

 

 放送の内容を正しく理解したリリナはそっと自室から出て、音を立てないように、けれども素早く廊下を歩く。

 周囲を見れば、同じように緊張を顔に浮かべた子供たちが静かに、そして焦るように目的地へと駆けているのが見えた。

 普段とはまるで違う異様な空気の孤児院に、かつての逃亡生活と同じような感覚を抱いて……それを否定するように振り払った。

 

 『お遊戯室』についたリリナを待っていたのは、緊張感を隠さない孤児院の世話係の人たちと名前順に整列する子供たちだった。

 息が詰まるような空気の中、子供たちが全員集まったのを確認した管理人の少女が全員の前に出る。

 そして、口を開いて「みなさん」と呼びかけた、その時。

 

 視界を、見覚えのある光が包み込んだ。

 

 

 パニックになりかけた現場を纏めたのは、やはり管理人の少女だった。

 突如として爆発に巻き込まれた『お遊戯室』。

 子供たちは怪我をし、泣き崩れ、恐怖から散り散りになろうとした。

 

 

「落ち着きなさい!」

 

 

 しかし、それを管理人の少女が鶴の一声を以って制す。

 幸いなことに爆発は小規模で、再起不能になるほどのものでらなかった。だが、爆発は至るところで起こっているようで、破砕音と熱が伝わってくる。既に屋敷には火の手が広がっているらしい。

 恐怖と痛みを必死に抑えて管理人の少女の指示に従い、リリナたちは既に闇が支配する外へと駆け出した。

 

 外の世界にはリリナを狙う刺客が大量にいた。

 爆発の光と同じように、リリナにはとても見覚えがある影。

 思わず足が竦んでしまいそうになるが、立ち止まればどうなるかなんて火を見るより明らかだ。

 何よりも、世話係の少女や管理人の少女たちの姿が、リリナたちに勇気を与えていた。

 駆け回るように敵へと接近し、ショットガンで次々に沈める少女。

 狙撃の位置を予測し、巨大な大楯で凶弾の全てを防ぐ少女。

 集団で襲いかかってくる敵を右手のガトリングガンと左手のグレネードランチャーで蹴散らす少女。

 そして、的確な指示を出し、自身も舞うように近づく敵をハンドガンの一撃で仕留める管理人の少女。

 彼女たち全員が、絶対に通さないと強い意志を持って襲撃者たちを迎撃している。そのことが、パニックになりかけるリリナの心をすんでの所で引き留めていた。暗闇の中で消えない灯火となって、少女の心に希望で照らしていた。

 他の子供達も同じらしい。

 彼女たちは、恐怖に顔を引き攣らせながら、それでも駆け足で前へと進んだ。

 

 

 そして、奇跡的に誰一人として欠けることなく、いまだに無事だった倉庫へと辿り着くことができたのだった。

 「みなさん、私たちが来るまで決して外を覗いてはいけません。出るなどもってのほかです」と厳しく言いつけて、管理人の少女たちは敵がひしめく戦場へと駆け出して行ったばかりだ。

 扉もカーテンも閉じられて、倉庫の中は真っ暗。

 誰も、何も喋らない。

 あまりの混乱と動揺で、子供たちの思考は一周回って冷静だったのだ。

 突然の爆発と、突然の襲撃者。今まで暮らしていた建物があっという間に燃え上がり、自分たちは絶対絶命。

 混乱の渦中にある子供たちは絶望的なその状況を未だに上手く認識できていない。だからこそ、騒ぐ事も慌てる事もなく、ただただジッとしていた。

 それは多くの子供たちにとって幸いな事だったのだろう。

 そのおかげで外で戦う少女たちは安心して全力が出せるし、生存の確率が上昇するのだから。

 

 けれど、リリナにとっては違った。

 

 爆発音と銃声。

 そして纏わりつくような沈黙。

 それは企業の刺客から逃亡している時に幾度となく経験したことだった。

 もう味わう事は無い感覚だと思っていた。

 不安と恐怖の中、冷たい床で寝た記憶。

 自分を殺しに来た人間を、その壁一枚挟んだ向こうでやり過ごした記憶。

 爆発と銃声の中を泣きじゃくりながら駆け抜けた記憶。

 それらが粘性の高い泥となってリリナの心にへばりつく。

 そして、恐怖と絶望の記憶は、リリナの思考を更にネガティブな方向へと傾ける。

 

 ──もし、お姉様たちが負けたら?

 

 もし、そうなったなら。

 自分を助けてくれた管理人の少女が死んでしまう?

 自分を育ててくれた世話係の少女たちが死んでしまう?

 人間不信だった自分に寄り添ってくれたマリーが死んでしまう?

 そして。

 ようやく仲良くなれた、全てのわだかまりを超えて、やっと対等になれた、サオリが死んでしまう?

 

 

(そんなわけない)

(みんなは強い)

(私を置いて行ったりはしない)

 

 

 そう信じようと、なんとか心を落ち着けても、不安は無くなってくれなかった。

 顔を青くして唇を震わせるリリナは、ふと隣を見る。

 そこには窓があった。

 決して外を見るなと管理人の少女に忠告され、絶対に開かないと決めたカーテンに覆われた窓。

 

 

(あの向こうに、お姉様たちがいる)

 

 

 大切な人の姿が見えないというのは、想像よりもずっと大きなストレスになる。特にリリナくらいの年代の少女だと尚更だ。

 外で戦う少女たちの声が小さくなった()()()()

 そう、気がするだけだ。

 実際には外で戦う少女たちは変わらず勇敢に叫んでいるし、その気迫は衰えない。

 けれど、リリナにとっては『気がする』だけでも十分だった。耐えきれなくなるには十分だった。

 

 

(少し、少し覗くだけ)

 

 

 仕方がないことだった。

 確かにリリナは強い。

 自分から幸せを奪ってしまった存在を赦せる強さを持っている。

 けれど、それでもリリナは子供だ。

 大切な人がいなくなる恐怖に耐えきれなくなるのも当然のことでしかないのだ。

 だから、彼女は閉じられカーテンに手を伸ばした。

 そして、暗幕に閉じられた向こう。

 静謐な夜の闇を禍々しい炎の光が包む世界を少しだけ覗き込んで。

 

 黒ずくめの誰かと目が合った。

 それは、この孤児院を襲撃した人間の一人だった。

 

 その人物は、リリナの顔を見て僅かに目を見開くと───すぐに彼女へと銃口を向けた。

 

 

(───あ)

 

 

 終わった。

 リリナは他人事のようにそう思った。

 襲撃者が握っている銃に、どれほどの威力があるかは不明だ。

 ヘイローを持つリリナであれば耐えられるのかもしれない。

 それでも、大怪我を負う事は。

 この吹けば飛んでしまうような静寂を保つ倉庫内に混乱を齎すのは。

 間違いなかった。

 

 現実は、誰もが望む痛快な勧善懲悪を見せてくれることはない。

 悪人が得をし、悪人が幸運を得る。

 それが現実だった。

 

 全てを悟って、それでもリリナは金縛りにあったかのように動けない。

 スローモーションになった世界の中で、自らの全てを奪う凶器の引き鉄が引かれようとして───

 

 

「────あぁッ!!」

 

「な……ぐぁっ!?」

 

 

 決定づけられたはずの運命は、覆った。

 明確な殺意を見せていた襲撃者は、横から飛び出して来たもう一人の人間に殴り飛ばされて、意識を失った。

 煤けた紺色の長髪が美しくたなびく。全身がボロボロで、満身創痍な風体だというのに、その立ち姿が揺らぐことはない。

 自らを救った少女の名前を、リリナは呼ぶ。

 

 

「サオリ……お姉ちゃん?」

 

 

 リリナの全てを奪う凶器の引き鉄を壊したのは、かつてリリナの全てを奪った凶器の引き鉄を引いた人物だった。

 サオリは気絶した襲撃者の元に近づくと、無造作に銃を広い上げて……リリナの命を奪おうと迫り来る影の前に、堂々と立ち塞がった。

 

 ───世界は、勧善懲悪だけで進むほど甘くはない。

 

 ───ならば、かつての悪が罪無き少女を守るストーリーだって存在するはずだ。

 

 世界中の善良な人々が、正しきヒーローに救われるだけのストーリーがお気に召さないと言うのなら。

 この巫山戯た世界に見せてやれば良い。

 勧善懲悪ではない、少し捻くれた、それでも透き通るような少女の物語を。

 

 炎が広がり、燃え盛る庭の中心で。

 

 罪禍を背負う少女の、新たな物語が始まった。

 

 

〜〜〜

 

 

 量産品のアサルトライフルを右手に握りしめながら、サオリは周囲を見渡す。

 リリナたちが隠れている倉庫があるのは孤児院の裏庭だった。やんちゃな子供たちがよく隠れんぼに使う、様々な木が生える庭。

 子供たちが駆け回り、笑顔で溢れていたはずの庭は、炎に飲み込まれて灰になっていた。

 

 

「この燃え方……ガソリンでも撒いたか」

 

 

 よく見ると、地面の青い草やコンクリート部分など、本来燃えるはずがない部分にも僅かに炎が立っている。匂いを嗅いで見ると、仄かに油のような香りがした。

 その事実に、サオリは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

 

「なるほど、屋敷全体を燃やして子供たちを炙り出す作戦というわけか。随分と上手くやったものだ」

 

 

 サオリは不快感を隠しもせずに、思ってもいない賞賛の言葉を述べる。

 そして、「だが」と付け加えると───自らへ飛び掛かってきた三つの影に対処する。

 

 一つ目の影は腹を蹴り飛ばして近くの大木に叩きつけ、

 二つ目の影が乱射するマシンガンを顎と一緒にアサルトライフルのストックで殴り飛ばして、

 三つ目の影が取り出したナイフを構える前に左手で払い、至近距離から腹にアサルトライフルをブチ込む。

 

 体術、銃の持ち替え、対処の順番。

 全く無駄のない動きで三人を制圧すると、後ろへと振り向く。

 

 倉庫のカーテンから僅かに覗く前髪ぱっつんな少女と目が合った。

 キラキラと輝く丸い瞳に見つめられたサオリは……薄く微笑んで頷いた。

 その笑顔に何かを納得したのだろう。

 リリナは思いっきりブンブンと頷くと、満面の笑みと共にカーテンを閉めた。

 変わらず元気な少女の姿に、サオリの心の奥で決意が固まる。

 

 

「だが……私がいる限り、貴様らの好きにはさせない。その武力の悉くを粉砕し、後悔させてやろう」

 

「ふふ。一段と頼もしくなられましたね、サオリさん」

 

 

 迷いなく言い切るサオリに、近づく気配があった。

 サオリが首だけ声のした方を向くと、そこには管理人の少女が立っていた。彼女は普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべているが、頬には汗が伝い、服はボロボロになっている。

 この孤児院で戦える人員は精々十人ほどだろう。そんな少数で百人規模の敵を相手に奮闘していたのだ。笑顔でいられるのが不思議なくらいだ。

 内で感心しつつ、ゾンビのように湧いてくる敵に銃口を向ける。

 

 

「状況は厳しいようだな」

 

「はい。正直に申しますと、サオリさんが来てくださって心から安堵致しました……私たちだけではいずれ押し切られていたでしょうから」

 

 こちらに近づく敵に発砲し、牽制しながら管理人の少女はほっと息を吐く。

 こぼれ出した本音にサオリは少しだけ苦笑いをする。

 『お前たちならやれる』『私の力は必要ない』。

 何も知らないのに、わかったようなことを言っていたのはサオリも同じだったらしい。

 自分への呆れを飲み込むサオリに、管理人の少女が問いかける。

 

 

「シスターマリーはどうしたのですか?あの方はサオリさんを追いかけて行ったと聞きますが…」

 

「あぁ、シスターマリーなら───」

 

「サオリさん!管理人さん!」

 

「…まぁ、あの通り元気だ」

 

「ふふ。どうやらそのようですね」

 

 

 炎の中からマリーが駆け寄ってくる。彼女は息を切らして二人の側に辿り着くと、敵を近寄らせないように牽制する二人に謝罪する。その手には、本人の物と思われる可愛らしいオレンジ色のスマートフォンが握られていた。

 

 

「も、申し訳ありません……見つからないように迂回していたら遅れてしまいました」

 

「謝罪は後でいい。それよりも、結果は?」

 

「結果とは……お二人とも、何の話でしょうか?」

 

 

 何かを急かすようにマリーの意見を求めるサオリに、管理人の少女が困惑する様子を見せる。

 しかしマリーは管理人の少女の声には反応せず、興奮気味に話出す。

 

 

「成功です!サクラコ様が援軍を派遣してくださると…!」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 

 マリーの言葉に、管理人の少女は驚きの声を上げる。その中には、確かな喜色が含まれていた。

 そんな彼女たちを見て…サオリは深く安堵した。

 

 マリーとサオリは脱出した後、別行動を取ることにした。

 これはサオリからの提案だ。

 彼女はリリナたちが置かれた状況……何者かの襲撃を受け、追い詰められているという状況を聞いて、マリーにシスターフッドへと連絡するようにと指示を出した。その目的は援軍の要請。

 今の状況であれば、サオリが加勢すれば挽回できるだろう。

 しかし相手は企業だ。

 その気になれば、この倍の戦略は投入できる。そんなものを相手にすることなど、想像もしたくなかった。

 だからと言ってここから逃げるのも悪手。

 外に出るための乗り物は軒並み爆破されていた。というよりはリリナたちの隠れる倉庫が無事だったのが奇跡のようなものだ。あそこが比較的目につきにくい場所にあったから良かった。もし倉庫すら爆破されていたら、百人の子供たちを銃弾の雨に晒しながら防衛することになっていただろう。ゾッとしない光景だ。

 兎にも角にも、このブラックマーケットから纏めて出ていく手段は既に失われていた。

 企業の増援に背水の陣で挑まなければならない。

 そんな状況を有利な物に変えるには、こちらも援軍に頼らざるを得ないというのがサオリの判断だった。

 

 そういうわけでサオリはそのまま管理人の少女たちの援護へと向かい……マリーは比較的安全な場所に隠れてながら、サクラコへと連絡を取り、現状を説明していたのだ。

 その結果は、成功。

 

 

「ですが、中立を掲げるシスターフッドがよく援軍を許可しましたね。いくらシスターマリーがいらっしゃるとはいえ、望みは薄いものだとばかり……」

 

 

 管理人の少女が銃弾を避けながら疑問を口にする。

 彼女の言う通り、シスターフッドはあくまで中立的な立場にある組織だ。エデン条約で政治に関わる決断をしたとはいえ、それは変わらない。更に言えば、現在事件が起きているのはキヴォトスでも屈指のデリケートな場所、ヴァルキューレですら介入を躊躇うブラックマーケットだ。

 そんなところに、緊急事態とはいえ連絡を受けてすぐに派遣を決定するような組織ではないはずだった。

 

 

「それに関しては……サクラコ様ご本人からお話があるそうです」

 

『───というわけで話を代わらせていただきますね、お二人とも』

 

「なっ」

 

「…なるほど、そうきたか」

 

 

 マリーが握るスマートフォンから聞こえてきた良く通る声に、管理人の少女は目を剥き、サオリは納得するように頷いた。

 明確に変化した空気を知ったか知らずか、オルゴールのような美しい声はその名を告げる。

 

 

『ご機嫌よう。シスターフッドの統括を任されている歌住サクラコと申します』

 

 

 声───歌住サクラコは優雅に挨拶すると、『以後お見知り置きを』と締め括った。

 

 

「も、申し訳ありませんシスターサクラコ。無礼な物言いを…」

 

『あぁいえ。我々シスターフッドのスタンスを思えば当然の発言でしょう。お気になさらないでください 』

 

 

 サクラコは恐縮し切った管理人の少女の謝罪を軽く流すと、『それよりも』と話題を変える。

 

 

『シスターフッドが今回の件に介入した理由をお話致しましょう』

 

「手早く頼む。今はこちらの出方を窺っているようだが、いつ敵が攻撃を再開するかわからない」

 

『もちろんですよ、錠前サオリさん』

 

「……」

 

 

 柔らかな声音に閉口してしまうサオリ。

 もっと何か言われるかと身構えていたが、どうやら杞憂だったようだ。

 

 

『我々が介入する理由は二つあります』

 

「二つ、ですか?」

 

 

 サクラコの言葉にマリーが首を傾げる。どうやら彼女も聞かされていないらしい。

 「思い当たらない」と言いたげな彼女の疑問の声に、スマートフォンから苦笑の漏れる音が聞こえた。

 

 

『ええと……一つ目はマリーさん、貴女です』

 

「あ……も、申し訳ありません」

 

 

 指名されてようやく気づいたらしい。

 マリーが慌ててペコリと頭を下げた。若干顔が青くなっている。

 抜けているシスターの発言に他二名は微妙な顔をしていた。

 

 シスターフッドは秘密主義であり、同時に組織内の結束が固い。市外での炊き出しにボランティア活動など、組織単位で行動する機会が多いため、当然と言えるだろう。

 特に今回騒動に巻き込まれたのはシスターフッド内でも特に可愛がられているマリーである。

 損益の大きさなど度外視で助けに行くべきだという意見がシスターヒナタを始めとして多く挙がっていた。

 

 とはいえ、それだけの理由で乗り込める程ブラックマーケットという場所は甘くない。

 いざ介入してしまえば、各所から突き上げを喰らうのは必死だ。そこで「仲間を助けるために行動した」と発言し、それだけで納得してもらえるならば良いのだが……やはりどこにでも面倒くさい人間はいるもので、「中立たるシスターフッドが私情を優先するなどあってはならない」とイチャモンを付ける連中が現れるのは間違いなかった。「ならテメーの家族が攫われた時も助けねぇのかよ」と感情論でブン殴れれば良かったのだが、シスターフッドは最近になって政治に介入し始めたばかりである。できれば波風は立てたくない。

 

 

『だからこそ二つ目の理由です。管理人さん、孤児院の子供たちの中に、シスターフッド関連の問題を抱えた方はいらっしゃいますか?』

 

「え、ええと…そんな子はいな──」

 

『本当に?私はいらっしゃる気がするのですが……』

 

「……あぁ。なるほど、そうですね。確かにそんな子を預かっていた気も致します」

 

『そうですか。ならば私たちが介入せざるを得ないですね。ええそうです。私たちが捜査する事件の手がかりが消えてしまうか否かの現状………全く、こうなっては介入しないわけにはいきません。まぁ仮にその噂が誤解でも、それはそれで良いことです』

 

「「「……」」」

 

 

 わざとらしく騙るサクラコに、三人は押し黙る。

 言いたい事はわかる。

 マリーを救出するには大義名分が必要だ。そのために「シスターフッド関連の事件を解決する手掛かりとなり得る子供を救出する」という理由を作り上げたのだろう。ここには『ワケあり』な子供たちが大勢いる。その中に該当する子供がいる可能性もあるだろう。まぁ管理人の少女が否定しかけていたので普通にいな──いや、言わぬが花だ。そっとしておこう。

 兎にも角にも、そのためにわざわざサクラコ本人がここにいる管理人の少女と連絡を取り合い、お互い「あーそんな子もいたかもー」と曖昧に同意することで大義名分を完成させたのだろう。

 理由はわかる、わかるが、何と言うか……

 

 

「……お前も大変だな」

 

『……私もこんな余計な手間をかけたくはないのです。今すぐにでもマリーさんを助けに行きたい。ですが、トリニティという場所は打ち手を間違えると全てを失う魔境……一組織を預かる身として、迂闊なことはできないのです』

 

「サクラコ様……ありがとうございます。そして申し訳ありません」

 

『謝らないでください。マリーさんは、マリーさんの良心に従って正しいと思うことをなさった。それは、それこそがシスターフッドの本来在るべき姿なのです。どうか誇ってください』

 

「……はい」

 

 

 柔らかくなったサクラコの言葉を噛み締めるようにマリーは頷いた。

 

 

『さて、これで大義名分は出来上がりました。後は増援を向かわせるだけですが……我々が動いているのを察知すれば、企業側もより抵抗を激しくするでしょう』

 

「わかっております。シスターサクラコの慈悲がこの場に届くまでの間、我らがシスターマリーと子供たちを守りぬくと誓いましょう」

 

『ええ、お願いしますね。それから……錠前サオリさん』

 

「…なんだ?」

 

 

 サクラコは管理人の少女に全てを託すと、今度はサオリへと声をかける。その声は何処か冷たく、為政者としての彼女の側面が良く見て取れた。

 

 

『貴女がトリニティに齎した被害は大きい。我々シスターフッドの面々中にも重傷を負った者は多い』

 

 

 調印式の会場を丸ごと焼き払った巡航ミサイル。その爆心地には、ヒナタをはじめとしてシスターフッドのメンバーも多数いた。

 

 

『ヒエロニムスを討伐した時は追求できませんでしたが、本来なら貴女は報いを受けるべき立場にあります。無論、同情できる側面はありますが……それでもです』

 

「…ああ、わかっている」

 

『ですので』

 

 

 瞑目するサオリに、サクラコは──笑った。

 

 

『この戦いで見せてください。貴女の罪の贖い方を』

 

「……そうだな。お前が望むなら……いや、違うな」

 

 

 挑むようなサクラコの言葉に、サオリもまた、少しだけ口角を上げた。

 

 

「私自身の意思で、それを証明してみせよう。だから、特等席で見ていると良い」

 

『……』

 

 

 サオリはそんな言葉だけを残すと、アサルトライフルを再度構える。

 敵が痺れを切らしたようだ。

 いくつかの部隊が陣形を組んでサオリたちの方へと向かって来る。

 サオリに続いてそれに気づいた管理人の少女も目を細めてハンドガンを構えた。

 草木が燃え上がり、夜闇を明るく照らしている。

 月の光すら届かない火炎の闘技場へとサオリが歩いていく。

 その背中に、慈しむような……シスターとしてのサクラコが声をかける。

 

 

『錠前サオリさん。貴女は何故、銃を取り、戦火の中へと駆け出していくのですか?』

 

 

 それに対する答えを一言で表すならば、リリナとマリーのためというのが正しいだろう。

 けれど、サクラコが聞きたいのは、きっとそういうことではないのだろう。

 ()()錠前サオリが何故、子供たちを守る決意をしたのか。

 どうして彼女らのために戦うのか。

 それが聞きたいのだろう。

 

 今一度、サオリは考える。

 贖罪のため?

 それもあるだろう。けれど、リリナに赦されて、マリーに諭されて、それだけでは無いような気がしていた。

 自分を赦す方法が知りたいから?

 それもあるだろう。けれど、それに関しては、今は後回しでも良いと思えていた。

 では、何故戦うのか。

 今、この胸を燃やす炎よりも熱いモノはなんだろうか。

 それは、きっと。

 透明に澄んだサオリの思考は、ただ純粋にサオリ自身の想いを答えた。

 

 

孤児院(ここ)で新しい友人ができて、それを守りたいと思った。それだけだ」

 

 

〜〜〜

 

 

「……ふぅ。あとはマリーさんが無事に帰って来るのを主に祈るだけですね」

 

「それにしても、錠前サオリさんがあのような方だとは驚きました。やはり直接話さなければわからないこともある」

 

「友人のため、ですか。純粋で真っ直ぐな言葉です。立場に縛られている私の方が穢れているような気さえしてきました」

 

「……貴女も驚いているようですね。やはり意外でしたか?」

 

「……ふふ、そうでしょう。ですが、他者と関わる限り人は変化し続けるものです。錠前サオリさんの変化も、なんら驚くことではない」

 

「……思うところがあるようですね。そんな貴女にピッタリな依頼があるですが、どうでしょう?」

 

「……そう警戒なさらないでください。ブラックマーケットのある場所に存在する熱源。その処理を依頼するだけです」

 

「……はい。恐らくは錠前サオリさんの道を阻む刺客の一つでしょう」

 

「……引き受けてくださるのですね。ありがとうございます」

 

「……質問ですか?私に答えられる範囲でしたら何なりとお答えしますが」

 

「………」

 

「……なるほど、そうですね」

 

「……少なくとも、私はそう思います。思いも誰かとの繋がりも、きっと変化する。変わらないモノはないと」

 

「だから貴女も信じてあげてください」

 

「……どちらも、です。貴女のことも、彼女のことも」

 

「……はい。それではよろしくお願いしますね」

 

「白洲アズサさん」

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

『……部隊損耗率、70%を超えました』

 

 

 電話越しに聞こえる重苦しい声に、幹部は溜息を吐いた。

 顔部のモニターには、苦虫を噛み潰したかのような表情が浮かんでいる。

 そして幹部の正面に映される光景は、自分たちの圧倒的な不利を示していた。

 

 

「まさか本当に持ち直すとは……」

 

 

 本作戦における幹部の想定外は三つ。

 

 一つ目は子供が思いの外冷静に行動していたこと。

 幹部の想定では、唐突に住居を爆破されて燃やされた子供はパニックから散り散りになり、孤児院の戦力を分散させることができると踏んでいた。

 しかし、実際は絶対的なリーダーの下、統率を欠くことなく安全な場所まで逃げ延びた。戦力も一纏めになったままで、とても突破など不可能だった。

 

 二つ目はシスターフッドがあっさりと協力を受諾したこと。

 既にトリニティから増援が迫っているとの報告が上がっている。一、二時間もすれば孤児院に到着するだろう。

 シスターフッドの長は冷徹な判断も下すことのできる現実主義者(リアリスト)だと聞いていた。だからこそ、ブラックマーケットなどという暗部に関わるくらいなら構成員の一人くらいは切り捨てるだろうとも。

 しかし実際のところは連絡を受けてからすぐに救出の準備を整え、今も現場へと急行している。

 このまま放置すればいよいよ手がつけられない事態になるだろう。

 

 三つ目は…錠前サオリの精神が回復したこと。

 あの時、幹部はサオリの心が折れる音を確かに聞いた。

 薄いガラスが踏み潰されたかのようなあの音を響かせて立ち直れた人間は、幹部の知るところでは一人もいなかったのだ。

 けれど、そのイレギュラーは今まさに発生している。

 一人で複数の部隊を相手にし、それをものの数分で片づけていく。おおよそ人間技とは思えなかった。

 その結果として他の人間への負担が軽くなり、幹部が用意した戦力は飴細工よりも簡単に砕け散っていく。

 錠前サオリさえ現れなければ、トリニティから増援が来る前に片をつけて撤収することもできただろう。

 

 

『これは…幹部殿、本社保有の傭兵部隊と『トリガメリク』の使用許可申請が受諾されました』

 

「上も事態を重く見た、ということですか。些か判断が遅いような気もしますが……それを咎める権利は我々にはありませんね」

 

 

 電話越しに聞こえる報告に、幹部は少しだけ安堵した。

 クエタ&クエクト社直属の傭兵部隊はもともと企業秘密を武力で奪取しようとする者たちに対する対抗措置として設立された。企業の潤沢な資金の下、適切な訓練と最高品質の装備を与えられたクエタ&クエクトでも指折りの戦力である。実際、潜伏場所を奇襲するという初見殺しに近い形ではあるものの、錠前サオリを追い詰めた実績もある。

 しかし、そんな部隊でもあくまで()()()()戦力というだけで、最高戦力ではない。

 そしてもう一つの、真の最高戦力である『トリガメリク』は───

 

 

「これが我々の投入できる戦力の限界値。つまりは……」

 

『ここでの敗北は認められない』

 

 

 緊張を孕んだ声に幹部は頷く。

 そしてゆっくりと、変わらぬ緩慢な動作で机を人差し指でなぞる。

 

 ──おそらく幹部の上にいる者たちは、ここで敗北しても幹部を切り捨てれば何とかなると考えているのだろう。

 ここに来て未だに連絡が来ないのはそういうことだ。

 例え作戦が失敗して悪行が世間に露呈しても、その全てを幹部に押し付ければ良いと楽観視している。

 

 

「証拠を少しでも精査すれば、そんな余裕は無いと理解するはずですが……所詮は豪奢な椅子でふんぞり返っているだけの連中ですね」

 

『幹部殿、聞かれでもしたら厄介な事になりますよ』

 

「おっと失礼」

 

 

 呆れ混じりの言葉に幹部は肩を竦めて年季の入った椅子から立ち上がる。

 

 

「それでは『トリガメリク』を出しましょうか。君は傭兵の皆様に出撃命令を出してください。それから」

 

『?』

 

 

 電話越しに首を傾げている気配を感じた。何ともわかりやすい。幹部は素直な自分の部下に苦笑いを浮かべつつ、最後の指示を口に出す。

 

 

「君はこの通話を終えた後、我が社での君自身の記録を全て抹消して立ち去り、そして忘れてください。アキタミヤ食品に君の席を用意してあります。そこで成り上がりなさい」

 

『……幹部殿、それは』

 

「君は私の部下の中で最も優秀だった。自信を持って社会を生きてください」

 

 

 一方的に述べて幹部は通話を切る。

 古臭い受話器を置いて溜息を付くと、やはりゆっくりと入り口へ歩き出すのだった。

 

 

〜〜〜

 

 

 蹴りを顔面から受けた襲撃者が燃える地面に倒れ伏す。

 黒ずくめの人物が完全に沈黙したのを確認したサオリは、静かに息を吐いて周辺を見渡した。

 辺りに敵の影は無い。

 殆どが昏倒しているか縄で縛られていた。

 

 

「終わったか……」

 

 

 周囲からも戦闘の後はしない。どうやら今ので最後だったらしい。

 つまり、この場における勝者はサオリたちということだ。

 同時に襲撃してきた百人近い敵をたった十数人で全て撃破……よくもまぁやってのけたものだ。

 サオリは内心で呆れつつ、弾の切れたアサルトライフルを放り投げる。

 しかし、隣で戦っていた管理人の少女はそんな彼女の所作が気に入らないようだ。

 

 

「物を乱雑に扱ってはいけませんよ?」

 

「これくらいは大目に見てくれ。使えない武器など持っていても無駄だ」

 

 

 サオリは隣で眉根を寄せる管理人の少女に頭をかく。

 管理人の少女は平然とした様子だが、服には血が滲み、髪は煤け、銃弾をまともに食らった痕跡がいくつかある。実際は激痛が体を支配しているはずだ。それをお首にも出さない辺り、やはり普通ではない。しかもつい先程までは、そんな状態で戦場を駆け回り全体に指示を出しつつ襲撃者の相手もしていたのだから目の前の少女も規格外に片足を突っ込んでいる。

 若干引いているサオリだったが、彼女も彼女で自分が敵部隊の半数近くを一人で片付けた規格外ということには気がついていないらしい。

 熱が支配する裏庭の中心で規格外二名が会話を続ける。

 

 

「サオリさんの言う事にも一理ありますし、今回は大目に見ましょう。今はそれどころではありませんしね」

 

「やはり増援が来るか」

 

「十中八九。相手は企業ですから。おそらくは身元が割れるのを恐れて出し渋っていた戦力が来るでしょう」

 

 

 険しい表情で頷く管理人の少女にサオリも苦い顔になる。

 襲撃者たちは全て撃退した。サオリと管理人の少女の周囲に別の場所で戦っていた世話係の少女たちが集まりつつあることからもそれは理解できる。

 だが、いくら撃退できたとはいえ、戦っていた者たちは疲労困憊だった。いや、サオリたちだけならまだ良いが、子供らの方も次第に疲労が溜まっている。

 子供というのはストレスに弱い。些細な環境の変化でさえも危険だというのに、いきなり孤児院を爆破され、銃撃に遭い、カビ臭い倉庫に押し込められている。加えてアドレスケレ孤児院には壮絶な過去を持つ子が多い。そろそろ恐怖でパニックが起こってもおかしくなかった。

 なかったが……サオリと管理人の少女は、そんな破滅は訪れないだろうと安堵もしていた。

 その理由には倉庫へと退避しているマリーが彼女たちを落ち着かせているという事実も含まれるが、単純に子供たちの強さを信頼しているという側面が大きかった。

 未だ静かな倉庫と燃え上がる孤児院を交互に見た管理人の少女が哀しげに笑う。

 

 

「公権力には立地で。悪党には武力で。そうやって子供たちを守ってきましたが……何もかもを『管理』しなければならないほど、あの子たちは弱くなかったのですね」

 

「その強さはお前たちの指導があってこそだ。傷ついた子供を大切に、そして真っ直ぐ育てたお前たちがいたからだ。後悔する必要が何処にある」

 

 

 サオリがセンチメンタルな言葉をスッパリ切り捨てると、管理人の少女は先程の感傷を忘れたように驚いた顔をする。

 

 

「…まさかそんなに心強いお言葉を頂けるとは思いませんでした。シスターマリーが行った告解は相当に響いたようですね」

 

「…聞いたのか?」

 

「いいえ。あの方ならそうすると予測したまでです。違いますか?」

 

「む…否定はしないが……いや、今はそんなことを話している場合でもないだろう」

 

 

 サオリは何故かくすぐったくなって話題を変える。

 頬をかくサオリに管理人の少女は「そうですね」と笑いかけると、もう一度孤児院の方を向いた。そして「あら」と頬に手を当てる。疑問に思ったサオリが彼女と同じ方向を向くと、炎の中から世話係の少女が一人走って来るのが見えた。

 

 

「孤児院の中に飛び込ませたのか?」

 

「あの方は索敵や危険地帯での救出行動を得意とされていますので、敵の大半を片付けた後に孤児院内に敵が隠れ潜んでいないかを確認しに向かって頂きました。それから探し物もついでに」

 

「探し物?それは一体───」

 

「お姉様、屋敷内に敵影は存在しませんでした」

 

 

 サオリが疑問を口にする前に世話係の少女がこちらに辿り着き、状況を報告する。

 彼女も彼女でボロボロだったが、努めて冷静に振る舞っているようだった。

 それを指摘するような無粋はせずに管理人の少女は優しく頷く。

 

 

「これでひとまずは安心ですね。ありがとうございます。それで、例の物は?」

 

「発見致しました。錠前様、こちらを」

 

「これは……」

 

 

 世話係の少女が持っていた物を差し出す。

 それは一丁のアサルトライフルだった。

 少し灰を被ってはいたが、艶やかな黒色は失われていない。スコープやグリップを弄った痕跡があり、この銃の持ち主の用心深い性格を表していた。

 取り回しの良さや弾薬の節約など、効率性を極めたカスタマイズが施されたそれは、紛れもなくサオリのアサルトライフルだった。

 目を見開くサオリに、管理人の少女が悪戯っぽく笑う。

 

 

「いつも所持しておられたアサルトライフルを所持していないようでしたので、索敵のついでに探してきて貰いました」

 

 

 愛銃を受け取ったサオリは、管理人の少女の説明を尻目に手早く点検する。

 ──弾薬に問題なし。

 ──スコープに異常なし。

 ──グリップの形状に変化なし。

 ──リロード時に違和感なし。

 全てが正常。長時間炎に晒されていたにも関わらず、全くもってその機能を損なわないアサルトライフルには、常日頃から細かく整備してきたサオリの努力が表れていた。

 最後にポケットのマガジンをチェックしてから、サオリは世話係の少女と管理人の少女に礼を言う。

 

 

「感謝する。このままでは拾い物で戦闘しなくてはならない所だった。お前たちのおかげでまだ戦えそうだ」

 

「お礼を言わなくてはならないのは私たちの方です、錠前様」

 

 

 心からの感謝を述べるサオリに世話係の少女は頭を振ると、そのまま炎が残る地面に膝をついた。

 

 

「貴女様のおかげで子供たちを……家族を守ることができました。本当にありがとうございます」

 

「……」

 

「この御恩は生涯忘れることはありません。きっと他の皆もそう思っていることでしょう」

 

 

 語られる最上級の感謝にサオリは目を見開いて驚いていたが、言葉の意味を咀嚼して飲み込み……笑った。

 

 

「ならば私も礼を言うべきだろう。私は守りたいから守っただけ……つまりはお前たちと同じだ。リリナたちを守ってくれたお前たちが、リリナたちを守った私に感謝を送るなら、私からも返礼しなければならない………ありがとう」

 

 

 深々と頭を下げるサオリに、膝をつく少女は目を丸くすると、次の瞬間には微笑んだ。

 そして立ち上がり、膝についた土を払うと、

 

 

「貴女と出会えて良かった」

 

 

 と言い残して足早に何処かへと去って行った。

 サオリは何も言わずに周囲を見る。

 いつのまにか周辺で休息を取っていた世話係の少女たちは居なくなっていた。

 ここにいるのは管理人の少女とサオリだけ。

 おそらく……彼女たちも新たな敵の気配を察知して、それぞれの戦場へと向かったのだろう。

 燃え盛る木々の隙間から、殺意を纏う敵がやってきているのが見えた。

 

 

「来たか。先程の連中より装備が整っているな」

 

「おそらくは企業直下の正規部隊でしょう。装備の質も個人の練度も並ではありませんが……流石に百人規模というわけでは無さそうです」

 

 

 管理人の少女の言う通り、迫って来る影は先程よりも少ない。他の場所から攻めて来る人員を考えても、先の襲撃の半分以下しかいないと予測できた。

 

 

「ならばやりようある。手早く殲滅して安全を確保しよう」

 

「そうですね。私は皆様に指示を出しつつ遊撃致しますので、サオリさんはここの安全を───」

 

 

 

 断言するが。

 

 

 この時、サオリに油断は何一つ無かった。

 前髪の下で真剣な眼差しを送る少女と会話をしている時も、油断なく周辺を警戒していた。

 だから。

 

 

「……?」

 

 

 ふわりと風が吹いて。

 唐突な浮遊感に襲われた理由が理解できなかった。

 そして。

 

 ()()()()燃える孤児院と、こちらを()()()()目を丸くする管理人の少女を見て。

 

 ───自分が上空まで殴り飛ばされたのだとようやく理解した。

 

 

「────ぐっ!?」

 

 

 次の瞬間、サオリの腹部を激痛が襲った。

 とてつもないスピードで接近され、凄まじい力で腹部を殴り飛ばされた。

 その情報を焼けるように熱い脳みその中で必死に整理しつつ、体勢を立て直そうとして───

 

 今度は横方向に吹っ飛ばされる。

 

 

「─────づッ、う!?」

 

 

 サオリは冗談のように錐揉み回転しながら吹き飛び……地面に着地、いや比喩抜きで着弾する。

 とてつもない破砕音と共にサオリの全身に桁違いの衝撃が走った。視界がチカチカと鬱陶しく明滅し、息の詰まる痛みで思考がショートしかける。

 サオリは紙屑のようにかなりの距離を転がった後、地面に運動エネルギーを吸収されてようやく停止する。

 グラグラと脳みそが揺れる感覚をダイレクトに感じながら、尋常ではない量の土煙りの中で目を開ける。

 全身を激痛が襲うが、このまま倒れていると追撃を喰らうのは必至だ。呻き声を上げながらも、サオリは体と心に鞭を打って立ち上がる。

 周囲からは炎が燃え上がる聞き慣れた音が聞こえるが、肝心の炎は今は土煙りに覆い隠されている。

 自分の姿が隠れている内に体勢を整える。

 頭をライフルのストックで殴り眩む視界を収め、そのライフルに異常がないことを確認し、全身の痛みを根性で耐える。

 全ての工程を手早く済ませ、戦闘体勢を整え終わると同時に───視界が晴れた。

 

 そこは孤児院の本庭だった。

 月下の庭は、月明かりを呑み込む炎の光で満たされていた。その発生源は屋敷と……花壇。

 ホウセンカやマリーゴールドなど、彩りの花々は全てが赤々と燃え上がり、花壇を炎の絨毯へと変えていた。

 サオリが着弾した衝撃で花びらが舞ったらしい。

 燃え上がる真っ赤な花びらがヒラヒラと周囲を漂っていた。

 サオリはちょうど正門の前に落ちたらしい。完全に崩れきってしまった門の前の巨大なクレーターの上にサオリは立っていた。

 そして、サオリが見つめる先。

 炎の中へと掻き消えた孤児院の玄関があった場所。

 

 そこに誰かが……いや、何かが立っていた。

 

 それは人型をしていたが、全身が金属で出来ている。加えて身長も横幅もサオリの倍以上あり、尋常ではない威圧感を放っていた。炎に照らされて艶やかに黒く光る機体の中で、唯一赤く光る顔部のモニターが印象的だ。経験上、様々な機械と交戦してきたサオリにはそれがパワードスーツなのだとわかった。

 静かに、そして不気味に立ち尽くすパワードスーツは右手のパイルバンカーをガコンと鳴らしてリチャージする。どうやらサオリはアレで殴りつけられたらしい。

 パワードスーツは次に背中から両肩に二本の筒状の物を乗せて、躊躇なくサオリに向ける。

 

 その動作を見て、サオリは本能的に左に飛んだ。

 

 ゴッ!という爆音がしてサオリの右側を太いレーザービームが通り抜ける。

 サオリが立っていたクレーターが更に抉られ、正門が跡形もなく消し飛ぶ。棒立ちのままだったらサオリも同様の結末を迎えていたことだろう。

 パイルバンカーに、高出力のレールキャノン。

 殺意の塊のような兵装にサオリの額を汗が伝う。

 

 

『パイルバンカーの一撃を喰らっても動けるとは。これだからヘイロー持ちの人間の相手はしたくないのです』

 

 

 重い音を立てながらレールキャノンを元の位置に戻すパワードスーツから呆れたような声が聞こえてきた。そして、それは聞き覚えのある声だった。

 

 

「お前は……」

 

『株式会社クエタ&クエクト経営幹部の……っと、私と錠前様の間柄です。今更挨拶は不要でしょう』

 

 

 声は───因縁深い幹部はサオリに対して朗らかに挨拶をする。しかし、そこに友好的な感情は一ミリたりとも含まれてはいなかった。

 想定外の人物の登場にサオリは動揺しつつも声をかける。

 

 

「…まさかお前が出て来るとはな」

 

『上の人間がふんぞり返るばかりでは部下に示しがつきません故。緊急事態にはこうして前線に立つことも求められます』

 

 

 飄々とした返答にサオリは感情に任せるまま唇を噛み締めて───ゆっくりと息を吐き、冷静さを取り戻した。

 その姿に幹部から剣呑な空気が漏れる。

 

 

『……自らの手で少女を殺そうとしておいて、いまさらヒーローのような真似事をするとは。錠前様は随分と面の皮が厚いようだ』

 

「厚顔無恥だということは理解している。だが、私は償わねばならない」

 

『あのリリナという少女にですか?ははは、今更──』

 

「遅いかもしれない。だが、それでも立ち止まるばかりではダメだ。リリナに、私が傷つけた全ての人に、そして……成りたかった自分自身に。私は赦しを請わねばならない。償わねばならない」

 

 

 サオリの罪は赦されないのかもしれない。

 何よりもサオリ自身が未だに赦していない。

 シスターマリーに諭されても、それは変化しなかった。

 けれど……赦されるように努力するべきだと、今のサオリはそう思っている。

 私欲と罪に塗れたサオリの中のサオリではなく、みんなが頼りにしてくれた理想の『錠前サオリ』に報いるために。

 彼女の決意を聞いた幹部は剣呑な空気を霧散させて、諦めたように溜息を吐いた。

 

 

『どうやら本当に立ち直ったようですね。もはや口・撃は通用しませんか。いやはや、一体何が貴女にそこまでの変化を齎したのやら』

 

「教えられただけだ。本当の罪人と、その罪人を慕ってくれる、どうしようもない程に優しい人間たちのことをな」

 

『……そうですか。では後はもうお分かりですね?』

 

「あぁ、決着を着けるさ。お前とも、私の中の迷いとも」

 

 

 そんなやり取りを最後に二人は沈黙した。

 一方は重心を低くして右手の凶器(パイルバンカー)構える。

 もう一方は右足に体重をかけ、どんな攻撃にも瞬時に反応できる体勢を作る。

 

 ブラックマーケットの夜は輝いていた。

 それはサオリがビルの屋上で見た澱んだ光ではなく、全ての罪を灼き尽くす浄火の光が生み出す輝き。

 熱く、激しく燃え盛る光と、幻想的に舞う炎の花びらが照らす夜光の中。

 

 場違いなほどに涼しい夜風が吹いた瞬間──状況が変化する。

 

 最初に動いたのは幹部が駆るパワードスーツだった。

 脚部のブースターを全開にして夜風を追い越すようにサオリへと肉薄し、右手の凶悪な杭を振り下ろす。

 一度当たっただけでもしばらく起き上がれなくなるレベルのダメージを受けたのだ。サオリは二度と喰らって溜まるかと言わんばかりの回避を見せて、地面に再度クレーターを作ったパワードスーツへとアサルトライフルを乱射する。

 しかし。

 

 

「硬い───!」

 

『『頑丈』が専売特許だと思わないことです、ヘイローの化物!!』

 

 

 傷すらつけることなく装甲に弾かれてサオリは苦々しい顔を浮かべた。しかし、間近に金属の蹴りが接近していることに気がつくと、慌てて後ろに飛ぶ。目の前を空間が歪むような音を立てて通りすぎた金属塊に冷や汗をかき───禍々しい光を放つレールキャノンを見て汗が引っ込む。

 

 

「こ、の───!?」

 

『回避するとは!なんと言う身体能力…!』

 

 

 迫る熱戦をすんでの所でかわし、驚愕する気配を隠さない幹部と距離を取る。花壇に踏み込んだことで足が焼けるが気にも留めない。今のサオリは目の前のパワードスーツの性能のことしか頭になかった。

 

 

(隙のない動き───生身の人間を相手しているのと遜色ない気分だ)

 

 

 攻撃に注ぐ攻撃。

 息吐く暇もないその動きは元来のパワードスーツの性能から考えればあり得ないモノだった。

 パワードスーツと聞くと簡単に強くなれる便利なアイテムに聞こえるが……その実態はパワーと機動力の等価交換だ。肉体の頑強さと圧倒的な火力を手に入れる代わりに、生身の人間ならば出来たはずの柔軟な動きを失う。近接戦ではそれが顕著だ。例えばパワードスーツを着た状態で相手に蹴りを避けられたとする。これが生身であれば一旦距離を取ったり追撃をしたりなど幅広い選択をすることができるが、パワードスーツはそこまで柔軟には動けない。動作の間に攻撃されることは必至だ。なにせ超重量の金属塊。追撃しようにも決して小さくない隙が生まれてしまうのだから。

 本来ならそのはずだが……

 

 サオリが目前に迫った拳を首を後ろに倒して回避する。

 その勢いを利用して後ろに距離を取ろうとするが、パイルバンカーを構えて突貫しようとしているパワードスーツを見てプラン変更。急遽横に飛ぶ。

 なんとか回避して安堵するが、いつのまにか回し蹴りの予備動作に入っていたパワードスーツに肝を冷やす。

 

 

『特務機装『トリガメリク』』

 

 

 転がるようにして蹴りをかわしたサオリの耳に、幹部の冷静な声が届いた。

 

 

『『脅威的なイレギュラーの制圧』をコンセプトとして我が社で独自に開発されたこのスーツは、圧倒的な『個』の強さを体現した代物です』

 

 

 例えばゲヘナ学園風紀委員長、空崎ヒナ。

 例えばミレニアム学園C&Cのコールサイン『00(ダブルオー)』、美甘ネル。

 例えば正義実現委員会委員長、剣先ツルギ。

 このキヴォトスには理不尽な個人、単独で戦況を変えてしまうイレギュラーが稀に現れる。

 そんなイレギュラーたちは、後ろ暗い秘密を抱える者たちにとって頭の痛い存在だった。当然だ。数的有利や緻密な策略を武力のみで粉々に打ち砕いてしまう彼女たちに一度でも目をつけられれば、その先に待っているのは理不尽な破滅のみなのだから。

 そこである企業……クエタ&クエクトはあることを思いついた。

 

 イレギュラーが怖いのであれば、そのイレギュラーを自分たちも手に入れてしまえばいい。

 

 単純かつ合理的な判断。自分たちもイレギュラーを手に入れれば、敵対的なイレギュラーが現れても対処できるし、強大な力でライバル企業を牽制することも可能だ。

 だが表舞台に出ているイレギュラーたちは既に他組織の手中にあった。だからクエタ&クエクトは自分たちで作り上げたのだ。最強の(イレギュラー)を。

 

 

『全身を包む軽量かつ頑丈な特殊合金。あらゆる部位に搭載されたブースター。関節部を繋ぐ柔軟なシリコンゴム。圧倒的な破壊力を誇る近接兵装『タンジェラ』と遠距離兵装『サイナス』。莫大な資金を投入されて作られたこの『トリガメリク』は、正真正銘のイレギュラーです』

 

 

 とてつもなく強いがイレギュラー足り得ない。

 幹部がそう評した少女に、燃える花びらを浴びながらイレギュラーそのものが近づく。

 それに脂汗を流しながらもサオリは心の奥底で納得していた。

 かつて見た一人の少女。

 ベアトリーチェを止めるためにアリウスへと帰還したサオリたちを襲ったその存在は、正しく理不尽なイレギュラーだった。

 彼女を知るサオリとしては欲に塗れた企業がその力を欲するのは納得の行く話なのだ。それも僅かな可能性を潰すために小さなリリナを殺そうとした企業。この程度の対策ならば用意しているべきだ、と逆に安心するレベルである。

 企業が用意したイレギュラー。聖園ミカたちに匹敵する理不尽。

 そんな存在に一人で勝てるかどうかはわからない。

 それでも。

 

 

「立ち向かわなければ!」

 

『な……』

 

 

 サオリは自身を叱咤するように叫ぶと、威圧するように歩を進めていた『トリガメリク』へと自分から飛び込む。

 これには幹部も驚いたらしく、一瞬だけ動きが止まった。さすがに目の前の驚異に頭から突っ込んでくるのは予想の外だったらしい。しかしそんな驚愕はあくまでも一瞬のみ。幹部はすぐに『トリガメリク』の足を止めると、その場でパイルバンカーを振りかぶる。

 命を脅かす凶悪な杭を掲げられても尚、サオリの足は止まらない。自分を覆う巨大な影と威圧感をものともせずに『トリガメリク』の真正面に飛び出す。

 

 

『自分から死にに来るとは殊勝な心がけです!』

 

 

 皮肉を多量に含んだ賛辞とセットで懐へと飛び込んだサオリ目掛けて巨大なパイルバンカーが振り下ろされる。

 激しい爆砕音が……サオリの()()()()聞こえた。真後ろを通り過ぎた死神の鎌。しかしサオリは生きていた。爆音に鼓膜が悲鳴を上げ、振動で足場がぐらつくが、それでも死を躱して『トリガメリク』の懐へと潜り込んだ。

 そして……巨大な機装の脚部。膝の関節部へと銃口を向ける。

 

 

(人型の敵、それもパワードスーツならば関節が弱点のはず!)

 

 

 パワードスーツは動きを少しでも人間に近づけるために関節部を柔軟なゴムなどで作成している場合が多い。関節まで金属で固めれば動きはかなり制限されてしまうため当然の処置である。

 そして、それは『トリガメリク』も例外ではなかった。

 関節部は柔軟なシリコンゴムで出来ている。

 幹部は確かにそう発言していたし、間近で見た今もその言葉が間違っていないと証明していた。

 どれほどの資金が投じられたかはサオリの知った所ではないが───いくら高級で頑丈なシリコンゴムだろうと、アサルトライフルの連射をゼロ距離で受けて耐えられはしないはず。

 それは相手を低く見ているのではなく、純然たる事実。

 先端が鋭利に出来ている銃弾はゴムの内部に侵入できるし、連射されればいずれは千切れるという当然の帰結。

 だからサオリは巨大を支える脚部の関節へと狙いを定めてライフルの弾を大量に撃ち込み。

 

 傷一つもつかなかった事に愕然とした。

 

 サオリの予測は正しかったのだろう。いくら高性能機の素材とはいえ、ゴムがゼロ距離からの銃撃を耐えられるわけがないという予測は。

 だが、問題はそこではなかった。

 

 なにせサオリが放った弾丸は───関節のシリコンゴムに到達する()()()()()弾かれたのだから。

 

 何もない空間で銃弾が弾かれる。

 それの意味するところはただ一つ。

 

 

「バリア──」

 

『言ったでしょう。『頑丈』は貴女方の専売特許ではないと』

 

 

 答えを口にしたサオリの上から冷たい声音が降り注ぐ。

 いつのまにか幹部の駆る『トリガメリク』は、先程も見た回し蹴りの予備動作に入っていた。

 同じ姿勢、同じ角度で……今度は避けられない。

 

 

「────がっ!?」

 

 

 超重量の金属塊が高速でサオリの脇腹を捉え、細い少女の体がサッカーボールのように吹き飛ぶ。サオリは一瞬だけ空を飛んだ後、激しくバウンドしながら正門と孤児院を結ぶ石畳の上へと転がった。

 痛い、信じられないくらい痛い。

 だがパイルバンカーの直撃を喰らった時ほどではない。

 だから動けるし、次の展開を予測できる思考の余裕もある。

 サオリは『トリガメリク』の方を一瞥もすることなく、がむしゃらにその場から飛び退いた。

 直後、サオリの転がっていた場所に夜を焼き焦がす白い熱線が撃ち込まれた。

 膝をつき、激しく咳き込みながらサオリは漸く幹部の方を向く。

 幹部は『トリガメリク』の武装を冷却しながらサオリに向かい合った。

 

 

「い、まのは……」

 

『貴女様の仰る通りバリアですよ。この機能の搭載には苦労したものです』

 

 

 幹部はまるで会社のイチオシ商品を宣伝するかのように抑揚豊かに語りながら……ブーストを全開にしてサオリへと殴りかかる。

 サオリはボロボロの体に鞭を打ってそれをかわし、追撃を死に物狂いで捌きながら内心で驚愕を叫ぶ。

 

 

(ゼロ距離射撃をものともしない高耐久のバリア…!それが攻撃を阻害しない形で展開されている!?)

 

 

 バリア自体は特段珍しいものではない。

 最近ではどんな兵器や武装にも搭載される代物だ。

 しかし、目の前のソレは明らかに異常だった。

 バリアを張ってる状態では他の武装や自分の攻撃がある程度阻害されてしまうので、リロード時の隙を消す時などに使用されることが主だ。加えてバリア自体の耐久性も、持ち運べるサイズの機器で展開するレベルの物だと、効果が無いとまでは言わないが数回の攻撃で壊れてしまう。

 だが『トリガメリク』に搭載されたバリアはサオリの知る常識など悠々と超えていた。

 攻撃など自機の動作を阻害することはなく、極めて高耐久。しかも……

 

 

「これで…!」

 

『無駄です。そんな豆鉄砲ではこのバリアは突破できない』

 

 

 背後から発射したアサルトライフルの銃弾があっさりと弾かれる。それも『トリガメリク』の装甲ではなく全てバリアによって弾かれていた。

 つまりは、

 

 

(このバリアは常時展開されている…!しかも『トリガメリク』の機体に這うような形で全体に!)

 

 

 小さな子供が鬼ごっこをする時に使う「全身バリアだから効かないもん!」を本気でやられているようなものだ。何の冗談だと言いたい。

 あちらの攻撃はほぼ一撃必殺。対してサオリの攻撃は無効化される。理不尽なんてレベルの話ではない。無理とか不可能とか、そんなネガティブな言葉以外に表現できる方法が見つからないような状況である。

 そして、だからこそ違和感が生まれる。

 

 

(このレベルのバリアを維持するには…相当な大きさの専用ユニットと、緻密な制御を可能にする演算処理用のシステムが必要。だがそんな物がパワードスーツ一つに搭載できるものか!)

 

 

 『トリガメリク』は確かに巨体だ。サオリの全身の三倍にも迫る大きさがある。だが、所詮はその程度だ。あの緻密かつ頑丈なバリアを維持するほどの機構を備えられる程ではない。加えて『トリガメリク』は機体そのものの制御を安定させるための演算装置や運動性能を確保するための効率的な構造が既に備わっているはず。そんな中にバリア用のシステムを組み込むのは物理的に不可能だ。ならば考えられる可能性は一つ。

 

 

(機体の外、ここから離れた別の場所に──!)

 

『足元がお留守ですね』

 

「しまっ!?ぁぐっ!?」

 

 

 足を引っ掛けられ、よろめいた所を思い切り殴られる。顔面パンチだ。堪らず後ろに後退する。

 ダメージは酷いがパイルバンカーをブチ込まれなかっただけまだ温情と言えるだろう。流れてきた鼻血を拭いつつ、サオリは巨体を睨みつける。真っ直ぐな敵意をぶつけられた幹部は肩を竦めながら疲れたように話し出す。

 

 

『いい加減に倒れてはくださいませんか?私とて暇ではない。貴女を倒した後にこの可笑しな孤児院の人間を全て殺さなくてはいけないのですから』

 

「───」

 

 

 それは挑発の言葉に思えたが……幹部の放つ雰囲気が冗談ではないと暗に語っていた。

 掛け値なしの本心から漏れた殺意の言葉。それを受けたサオリが真っ先に思ったのは怒りでもなく、焦りでもなく……

 

 

「そんなことが出来ると、本気で思っているのか?」

 

 

 ただただ純粋な疑問であった。右手で顔の血を乱雑に拭いながらサオリは問いかける。

 別に「私を超えていけると思うなよ?」という挑戦的な意味ではなく、彼女は本当に、心の底からその疑問を抱いていた。殺意だけはそのままに何も言わなくなった幹部に対してサオリは言葉を続ける。

 炎の音がやけに遠く聞こえた。

 

 

「ここで私を殺すこと……それは可能だろう。正直に言って手詰まりだ。その機体に擦り傷すらつけられない私をお前はこのまま嬲り殺すことができるだろうな」

 

 

 ただの事実。客観的に現状を鑑みた結果予測される未来として、サオリはその可能性を述べる。

 

 

「そしてその後にシスターマリーやリリナを殺すこと。これも可能だろう。今の状態の彼女たちがお前の相手を出来るとは思えないからな」

 

 

 サオリと幹部の戦闘が始まってしばらく経つが、この炎の海と化した本庭に管理人の少女が現れることはなかった。サオリが吹き飛ばされた瞬間を目撃していたにも関わらずだ。

 これは別に管理人の少女が薄情なのではなく、純粋に向こうにかかり切りでこちらに戦力を回す余裕がないからなのだろう。裏庭を襲撃しているのは武装も練度も並外れた企業の直下部隊だ。他のことに気を取られていて相手取れる存在ではない。

 そんなギリギリの現場に目の前の凶悪な兵器を向かわせれば戦線崩壊は必至。全員そのまま成す術なく蹂躙されるだろう。

 それは『トリガメリク』の性能ならば可能だが……今の状況では『トリガメリク』の性能でも不可能なことだった。

 サオリは確信を持って告げる。

 

 

「だが、それはお前に時間的な余裕がある場合の話だ。シスターフッドの戦力がここに向かっていること……もう気がついているのだろう?」

 

『……』

 

 

 構えを解かないサオリの疑問に幹部は何も言わない。そして、それが答えでもあった。

 

 

「こちらの増援が到着するまでおよそ一時間も無いだろう。そんな状況で私たちを一人残らず殺し切るだと?ヘイローを持つ私たちを?いいか、もう一度聞くぞ──」

 

 

 サオリはジッと動かない幹部に対して、もう一度心からの純粋な疑問を口にする。

 

 

「そんなことが出来ると、本気で思っているのか?」

 

 

 ───シスターフッドの戦力は強い。これまでもトリニティの暗部で人知れず戦ってきた者たちなのだから当然とも言える。そんな彼女らに合流されてしまえば、いくら高性能な『トリガメリク』といえど一溜まりもない。更に言えば増援にはきっと幹部の言うイレギュラーも含まれているはずだ。

 数の暴力と質の暴力。

 それはきっと『トリガメリク』の能力をも上回る理不尽だ。

 だからこそ、幹部は彼女たちが到着する前に全てを片付けなければならない。

 しかし、サオリは簡単にやられるつもりはないし、よしんばサオリが死んだとしても幹部の前には十数人の力ある少女たちが立ちはだかる。

 そんなサオリたちを全員殺し切る?

 一時間以内に?

 ハッキリ言って不可能だ。

 きっとサオリでなくとも同じ答えを出す。

 そんな、下手をすれば掛け算の九九よりも簡単と言える答え。

 強がりでも何でもない当たり前の事実を突きつけられた幹部は……深い、とても深い溜息を吐いた。

 そして今までの態度が嘘のような、底冷えする声音でサオリに話しかける。

 

 

『私にとっての一番の予想外は貴女が立ち直ったことではなく……非情な現実主義者(リアリスト)だと考えていたシスターフッドが、一人の構成員のためにあっさりと動いたことです』

 

 

 近年まで表立った活動の報告がなかったシスターフッド。

 その実態を知る者はブラックマーケットにさえいなかった。

 だからこそ集まった限られた情報のみで判断するしかなく、そうして出したのが現実主義者(リアリスト)の長が束ねる冷徹な組織という結論だった。

 彼女たちは表向きは慈善活動を行っているのだが、シスターフッドが配給や支援を目的として訪れた地域では高確率で事件が発生しており……その殆どが一瞬で解決していた。しかもその事件の裏を探るとトリニティに脅威を齎しかねない組織に繋がるのだから恐ろしい。

 そのような情報から幹部は前述の予想を立てたのだった。

 慈善活動を隠れ蓑にして事件解決を狙う冷徹な人間が率いる組織なのだと。

 

 

『だからこそ、そんなシスターフッドすら怯えて介入を避けてきたブラックマーケットという暗部の中で、一人の構成員が巻き込まれた所で、彼女たちは目を瞑って見ないフリをするのだろうと。そう考えて事を起こしました』

 

 

 しかし結果はご覧の通りだ。

 連絡を受けたシスターフッドは途轍もない速さで準備を整えて、躊躇なくブラックマーケットに踏み入ってきた。

 その結果を振り返ったのだろうか?幹部は唐突に『はっ』と自嘲気味な笑みを漏らす。

 

 

『私の目論見は甘かった……いえ、この場合は厳しすぎたと言うべきなのでしょうね。何せシスターフッドの長がここまで身内に甘い人間だとは考えもしていませんでしたから』

 

 

 その言葉にサオリはマリーを助けるために理由をでっち上げたサクラコの姿を思い浮かべる。今となってはあの少女がマリーを見捨てる姿など想像できないが、それはサオリがサクラコを知ったからだ。秘密主義な集団のトップ。そんな彼女のことを何一つ知らない人間は多い。知らないからと決めつけることの愚かしさを学んだサオリは、幹部の今の状況に同情すらしていた。

 幹部が目の前を舞う火炎の花びらを鬱陶しげに払う。

 

 

『そんな甘いリーダーがこの惨状を見てどう思うでしょう?そしてこの事件を経験した人間から我が社の名前を聞いたならどうするでしょう?きっと全力で捜査をするに決まっています。証拠不十分?ブラックマーケットに余計な刺激を与える?関係ありません。甘い人間とはそんな損益など度外視で動くのですよ』

 

 

 殺意すら滲ませて語る幹部にサオリは業腹ながらも同意していた。

 あのサクラコならきっとそうする。

 根拠のない確信が胸に内でそう主張していた。

 

 

『だから証言者は一人残らず殺さなくてはならない。我々の名前を発するその愚かな口を永久に塞がなくてはならない』

 

 

 その言葉にサオリは心の内で納得していた。

 サオリが『トリガメリク』に殴り飛ばされた瞬間。

 あの時、幹部はリリナを攫うことができたはずだ。

 あの場にいたのはサオリと管理人の少女だけであり、サオリが裏庭の反対側にある本庭に無理矢理送られた時点で管理人の少女一人となっていた。

 あとは管理人の少女の妨害を振り切って倉庫を破壊し、リリナを連れ去るだけだ。それで全部が解決するならば、幹部はそうしていたはずだ。

 だが、それができない理由が生まれた。サクラコは損益など度外視で仲間を助けに行く少女だったという事実が発覚したのだ。そして幹部は目撃者を全て殺さなくてはならないという状況に追い込まれてしまったのである。

 少女の一人を誘拐して殺したところで最早どうにもならなくなっていたのだ。

 だからまず手始めに……一番厄介な戦力であるサオリを余力がある内に殺しておこうと、そういう魂胆だったのだろう。

 得心を得たサオリに対して、幹部が尋常ではない殺気を迸らせる。屋敷の炎が一段と激しさを増す。

 

 

『時間は無く、退路も存在しない。状況は絶望的としか言いようがありません』

 

 

 ……本当は幹部もわかっているのだろう。

 マリーがサクラコと連絡を取った時点で詰んでいるのだと。

 既に世話焼きな少女からクエタ&クエクトの名前がシスターフッドに伝わっているのだと。

 サクラコが冷徹な人間であれば、全てが灰となって消え去った後も、ブラックマーケットと敵対する危険性を鑑みてクエタ&クエクトの名前を胸にしまったままでいたのだろう。

 だが、彼女は仲間想いな……そう、普通の少女だ。だからこそ例えこの場の全員が死んだとしても執念で捜査を続け、採算などゴミ箱に放り込んでクエタ&クエクトを壊滅させるはずだ。破滅は逃れられない。

 幹部もそれを理解しているからこそ、時間がないと言いながらこうしてサオリと問答を続けているのだろう。もう心の何処かで諦めているのだろう。

 だがそれでも戦い続ける。

 敗残兵の死に際の抵抗はサオリからすればいい迷惑でしかない。なにせ無意味な戦闘を強いられ、あまつさえ殺されかけているのだから。

 けれど、彼女は文句の一つも言わなかった。

 それは彼女が幹部が戦う理由を理解できてしまったからに他ならない。

 

 

『錠前様。私は常々、人間は二種類に大別できると考えておりました』

 

 

 普段と変わらぬ芝居がかった口調。ゆったりと話しかけるような口調の中に、確かな狂気を孕ませて幹部は語る。

 

 

『一つは破滅の恐怖を前に諦める人間。太刀打ち出来ない運命を前に合理的な判断を下し、最期に効率的な選択をする者』

 

 

 『トリガメリク』が一歩足を踏み出す。

 炎の花が無造作に踏み潰され、それを憐れむように夜風が戦いだ。

 頬を撫でる冷たさを場違いにも心地よく感じながら、サオリは真剣な眼差しで幹部を見る。

 

 

『もう一つは破滅の恐怖を前に抗う人間。訪れる結末を知っていながら抗う、愚かしい者』

 

 

 幹部は抑揚なく言うと、腰を落としてパイルバンカーを構える。そして、つくづく呆れ果てたと言わんばかりに笑った。

 

 

『私は自分自身を前者のタイプだと認識していたのですが……どうやら思っていたよりも、自分という存在は愚かだったようです』

 

「自分のことを最も理解していないのは自分自身。それに気がついていなかっただけのことだ。お前も私も」

 

 

 諭すようなサオリの言葉。

 それを打ち破るように『トリガメリク』が彼女に突貫する。

 炎をかき分けながらパイルバンカーを大きく振りかぶる姿がサオリには最初の攻防の光景と重なって見えた、が。

 

 

「その程度──!」

 

『フェイントにも引っ掛かりませんか。厄介な』

 

 

 パイルバンカーを振り下ろした後、その勢いを利用して放たれた回し蹴りにサオリは余裕を持って対応する。

 しゃがむというシンプルな動作で一撃をかわされた幹部が忌々しそうに呟いた。

 

 幹部が戦う理由は極めて身勝手なものだ。

 破滅が怖いから足掻く。

 散々他者を傷つけておいて自分はみっともなく抵抗するなど、善良な人間が見ればヘドが出るような行為。潔く散るべきだと主張する者もいるだろう。

 だがサオリは幹部の行動に苦言を呈さない。

 明確な敵対者に何を言っても時間の無駄だという合理的な判断もあったが、一番の理由は幹部が選択した決断に何処か理解を示している自分がいたからだ。

 破滅を前に抗う。

 善性と悪性、子供と大人。

 様々な点で正反対ではあるが、その選択と似た判断をした少女をサオリは知っているのだから。

 もちろん目の前の狂人と心優しい家族が同一の存在なのだと言いたいわけではない。サオリは幹部に対して確かな憎しみを抱いているのだから。目の前の脅威を、自分の大切な者たちを傷つける存在を止めなければならない。当然そう判断している。

 あくまで幹部の決断がサオリの中で納得のいく物だったから黙って受け入れた。それだけである。

 加えてこの化物をリリナたちの所に向かわせるわけには行かない。

 状況とサオリの心。

 どちらを鑑みても「ここで食い止める」以外の選択肢は無かった。

 しかし。

 

 

『『サイナス』!』

 

「巫山戯た火力だ…っ!」

 

『褒め言葉として受け取りましょう!』

 

 

 どれだけ追い詰められていても、どれだけ孤児院側が有利でも。

 『トリガメリク』は全ての策略と不利を覆す理不尽(イレギュラー)である。

 距離を離せばレールキャノンが。

 近づけばパイルバンカーが。

 攻勢に出れば高性能バリアが。

 どんな対応をしても理不尽な解答を叩きつけてくる『トリガメリク』に、レールキャノンを走って回避しながらサオリは歯噛みする。ただ高火力で高耐久なだけであれば楽な相手だろう。しかし目の前の漆黒の機体はそれらを超高速で押し付けてくるのだ。

 加えて、

 

 

「中々やる!」

 

『これでも傭兵上がりですので』

 

 

 幹部本人の実力も高い。機体性能をフルに活かして攻撃を雨のように降らせてくる。その中にフェイントも織り交ぜられているのだから溜まったものでは無い。

 今もレールキャノンにサオリの意識を集中させ、虚を突くように距離を詰めてきた。鉄の拳が唸りを上げてサオリの頬を擦る。焼けつくような痛みに耐えながら、サオリはアサルトライフルを『トリガメリク』のモニターに乱射して視界を塞ぎつつ背後に回った。

 背中に蹴りを叩き込もうとするサオリだが……上空から肘鉄が迫っているを確認して後ろにステップを踏む。

 一進一退の攻防だ。

 しかし、サオリには一方的にダメージが蓄積するのに対して、『トリガメリク』には傷一つつかない。

 

 

(このままでは…!)

 

 

 命からがらに猛攻を防ぎながら、サオリは嫌な汗を流していた。

 『トリガメリク』の圧倒的な責めに焦りが募る。燃料切れを狙う事も考えたが、その前に自分が叩き伏せられるだけだと判断して取りやめた。

 それほどまでに黒い機人とサオリの武力には差があった。

 回避するだけでも全力を出さなければならない。しかしそんな事を続けていれば先に体力が無くなるのはサオリの方だ。現に今も体中が悲鳴を上げている。

 かと言って残りの体力を全て使っても『トリガメリク』を倒すことなどできるわけがない。回避で手一杯だというのにどうやって攻撃しろというのか。それに例え攻撃したとしてもダメージなど皆無なのだ。砂をかけて視界を潰した方がまだ有意義だろう。

 

 迫る死の気配にサオリの焦りがピークに達して……ミスをした。

 

 幹部の左足の大振りな薙ぎ払い。こちらを転ばせるために放たれたのであろうそれを思わず()()()避けてしまった。

 この時サオリは後ろでも横でも良いから地面に足をつけたまま回避しなければならなかったのだ。

 ジャンプして避けるということは身動きの取れない空中に留まるということ。

 

 それはつまり、必殺の一撃を喰らわせる絶好のチャンスだと言うこと。

 

 

 

『貰った』

 

「しまっ───」

 

 

 空中で無防備になったサオリにパイルバンカーが迫る。火の粉を散らしながら迫る一撃を回避する術はない。

 サオリの視界がスローモーションになる。周囲を包む赤い花びらたちがやけに鮮明だ。腰を捻って渾身の一撃を叩き込もうとする巨大な機体と腹部に迫る黒杭がハッキリと見える。

 だが、サオリの体は右にも左にも動かない。

 緩慢な世界の中で、自らにトドメが刺される瞬間が訪れようとして────

 

 

〜〜〜

 

 

 

「サオリ姉さんを傷つけるなら───死んでください」

 

 

 

〜〜〜

 

 

 その未来は覆された。

 

 ズドン!という鈍い音と共にイレギュラーがバランスを崩す。

 『トリガメリク』のバリアはあらゆるダメージを無効化するが、衝撃の全てを吸収できるほど便利にはできていなかった。

 だから例えば……強力な狙撃を脇腹に貰えば、多少なりとも体幹が揺らぐ。

 乱れたパイルバンカーの一撃はサオリのすぐ隣の地面を粉砕した。しかし、当のサオリには傷一つもつかない。

 唐突な支援射撃に動揺したサオリだったが、ハッとして後ろに距離を取った。

 だが幹部もそれを許すほど甘くは無い。

 両肩のレールキャノンがサオリの方を向く。

 しかし。

 

 

『逃がさ───!?』

 

「これは、爆撃!?」

 

 

 サオリと『トリガメリク』の周囲に小さな爆弾が降り注ぐ。それらは同時に爆発し、致命的にレールキャノンの狙いを逸らした。見当違いな方向に飛んでいく熱戦を砂煙の中で確認しながら……サオリは動揺していた。

 

 だって今の支援には見覚えがあった。

 敵の意表を突くようにして放たれる協力無比な狙撃。

 複数の敵を殲滅、もしくは敵の視界を撹乱するためのロケットランチャー。そこから放たれる子爆弾。

 

 それらはある少女たちの個性や才能に応じてサオリがアサインした役割、そして武器だった。

 

 だから咄嗟に対応できたのだ。

 子供の頃から何度も肩を並べて、数え切れないほどの作戦をこなしてきた彼女たちの支援。

 体は自然に反応していた。

 

 砂煙が晴れる。

 動揺して揺らぐサオリの視界。

 サオリに背を向けて一人の少女が立っていた。

 

 ──その薄紫色の髪はサオリが子供の時から側にあった。

 ──炎の中でも輝く強い意志はサオリが何度も憧れた奇跡だった。

 ──華奢で小さな体はサオリが守るべき者の象徴だった。

 

 風に舞う炎の花が、戦場に舞い降りた少女を祝福するように降り注ぐ。

 サオリの心を焦がすように輝く夜の中。

 爆風に髪とフードをたなびかせながら、少女がゆっくりと口を開く。

 

 

「お待たせ、サッちゃん」

 

 

 どんなに虚しい世界でも、決して色褪せない声がサオリの耳朶をくすぐる。

 呆然と佇むばかりのサオリに少女──秤アツコは顔だけ振り返ると、臙脂色(えんじいろ)の瞳を細め、形の良い唇を弓なりに曲げて優しく微笑んだ。

 

 

「反撃の時間だよ」

 

 

 

 

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