その日のトリニティは平和であった。
普段ならば銃撃沙汰の一つでも起こるのだが、今日に限ってはそれすらもない。
ある者は大通りのカフェで昼食を楽しみ、ある者は噴水の近くで友人たちと談笑し、ある者はベランダでギターを弾いていた。
涼やかな秋晴れの下で誰もが思い思いに過ごす。
正義実現委員会も自警団も欠伸をするような、ただただ平和な日だった。
さて、そんな平和なトリニティの一角に比較的新しい建物……というよりは大きな白い屋敷があった。
カントリーハウスのような屋敷の広い庭には花壇がある……が、それだけ。玄関の側や通路沿いなどに設置された花壇には花が一本も生えていない。
しかし、よく手入れされた土の中で、ホウセンカやマリーゴールドの種が地上へと芽を出す日を心待ちにしていた。
花々が未来を心待ちにする庭では多くの子供たちが走り回っている。鬼ごっこにかくれんぼ。模範的な子供の遊びを全力で楽しむ彼女たちの姿は、屋敷の前を通る人々を笑顔にしていた。
人々が往来する屋敷の前の門。
そこには『アドレスケレ孤児院』という丁寧な字が刻まれていた。
〜〜〜
「ようこそお越しくださいました、シスターサクラコ」
広い屋敷の一室。
客人に対応する応接室で、サクラコはソファに腰掛け一人の少女とテーブルを挟んで向かい合っていた。彼女の瞳は前髪に隠れていて見えないが、それでも少し緊張しているというのが視線からなんとなくサクラコにも察せられた。
室内はソファやタンス、照明などの実用品から花瓶などの調度品まで殆どが新品だ。そもそも建物自体が新品なのだから当然の話でもあるが。部屋は床板などに木が使われており、自然の温かみを感じて心が落ち着くようなデザインとなっている。
歓迎の挨拶と共に差し出された紅茶を受け取ったサクラコは、少女に向かって微笑んで感謝を述べる。
「ありがとうございます、管理人さん」
「お礼を言うのは私の方です。まさか孤児院の場所だけではなく、建築や内装の費用まで負担してくださるとは……何と感謝を述べれば良いか」
「そう畏まらないでください。この孤児院の運営は既にシスターフッドの管轄なのです。権限を預かった身としてはこれくらいのことは当然ですので」
恐縮する管理人と呼ばれた少女に、サクラコが苦笑いを浮かべた。
───アドレスケレ孤児院襲撃から既にニカ月が経過していた。
事件の後、シスターフッドは今回の件の後処理をヴァルキューレへと委託した。
そもそも孤児院に手を貸したのはマリーの救出という私的な目的が一番の理由。それのカバーとして二つ目の理由も用意はしてあるが、そもそもシスターフッドは法を執行する機関ではないので、どちらにせよ犯人たちの身柄などについては最終的にヴァルキューレの管轄になるのだ。ならば最初から丸投げした方が手間がかからない。ヴァルキューレ側としても手柄が増えるのでwin-winというわけだ。
さて、こうして事件の処理がヴァルキューレに委託されてから数日。
株式会社クエタ&クエクトの粉飾決算が明るみに出た。
この件に関してはブラックマーケットに手を出しづらいヴァルキューレがクエタ&クエクトのトリニティ本社を監査し、マリーに手を出されてキレ散らかしていたシスターフッドが極秘にマーケット内のビルを調査して得た証拠を突きつけたことで発覚した。
クエクト&クエクトの代表はこれに対する関与を否定し、孤児院の襲撃を指揮した経営幹部の仕業であると強く主張した。
しかし身柄を拘束されていた幹部の証言と集められた偽造文書の数々。そして何故かライバル社であるアキタミヤ食品から決定的な証拠が提示されたことですぐに嘘は露呈し、代表を含めた経営の上位陣はそのまま逮捕されることとなった。
その後、信用を失いトップを失ったクエタ&クエクトは経営立て直すことが出来ず、あえなく倒産した。
被害に遭ったアドレスケレ孤児院は闇を抱える他勢力に手を出される前にシスターフッドが保護。それをトップであるサクラコ自らが公的に宣言することで安全を確保した。
そしてシスターフッドの管轄となったアドレスケレ孤児院は衣食住を始めとした生活に必要な物を提供され、僅か一月で再び子供たちを養えるまでに回復した。
ちなみに孤児院再建の費用はシスターフッドだけではなくヴァルキューレも援助を行なっている。その理由は───
「今日もヴァルキューレの方がいらっしゃっているのですか?」
「はい。どうやら子供たちの中に二年間の集団強盗の首謀者の顔を見た子がいるらしく……」
「……大丈夫なのですか?」
「私も最初は不安でしたが……子供たちは私の想像した何倍も強かった。当時のトラウマに打ち勝って、今ではハキハキと証言しています。まぁ派遣されたヴァルキューレの方が子供たちに人気だというのも理由の一つなのでしょうが……」
『ほ、本官の銃は本物で、皆さんはまだ触ってはいけな……あー!?』
『キリノ頑張れー……お、君それがお気に入り?私も好きなんだよね、そのドーナツ。甘さがちょうど良くてさ〜』
「……どうやらそのようですね」
「うふふ」
どったんばったんと騒がしい声が隣の部屋から聞こえてきて、サクラコは再び苦笑いをする。管理人の少女は上品に、そして楽しげに笑っていた。
ヴァルキューレが支援を行った理由。
それは未解決事件の手がかりを子供たちから得るためだ。
アドレスケレ孤児院の子供たちは凶悪な事件に巻き込まれてトラウマを背負った者が多い。だからこそ公的機関からの圧力を避けて、子供たちに余計なストレスを与えないようにしていた。
しかし、あの事件を経て子供たちの強さを知った孤児院の少女たちは幼い勇気を信じると決めたのだ。
それに───
「『決して子供たちを傷つけないと命に掛けて誓います』……トリニティにまで足を伸ばし、そう言って頭を下げてくださったヴァルキューレ公安局の局長さんは……とても真摯な方でしたから。信じなくては失礼だと感じまして」
「尾刀カンナ局長ですね。あの御仁には私も度々お世話になっております。そうですか、彼女が……」
シスターフッドは主にトリニティ内の内政や事件にのみ関与するが、事件の犯人が自治区外へと逃げ出すことも少なくない。そういった場合はヴァルキューレと共同で作戦を展開することがあり、カンナともそんな事件の一つを通して知り合った。
実直で自らの責任を全うする、このキヴォトスでもかなり『大人』に近い女性。
そんな彼女が子供たちを預かることに対して頭を下げるという光景は、サクラコにも容易に想像できた。
相変わらず真面目ですね…と内で感心していると、管理人の少女が少しだけ首を傾げる。
「それで今日はどういったご用件でいらっしゃったのですか?私共に何か不手際でも……」
「ああいえ、そういうわけではないのです」
「そ、そうなのですね」
あからさまに安堵する管理人の少女にサクラコは内心でさめざめと泣く。
どうして自分はこう警戒されてしまうのだろうか。
またしても誤解されてしまったことに肩を落としつつも、後で先生に相談しようと決心して管理人の少女に来訪の目的を伝える。
「今日はマリーさんの付き添いです。ついでに近況でも尋ねようかと思いまして」
「シスターマリー…なるほど。では彼女は今、リリナのところに?」
「ええ、今日は
「ふふ、リリナも同じですね。二日ほど前からずっとソワソワしておりまして……お姉様まだ〜?と何度も聞いてくるので困ってしまいました」
サクラコが語るマリーの様子に笑いながら報告くる管理人の少女。とても嬉しそうに話す辺り、どうやら彼女も彼女で楽しみにしているようだ。
孤児院襲撃の件が片付いた後、リリナたちと別れた
おそらくはトリニティ内では未だに指名手配犯なのだからと警戒したのだろう。
確かに合理的な行動だとはサクラコも思ったが、マリーはとても寂しがっていた。きっとリリナもそうだったのだろう。仲が良かった相手が別れの挨拶も無しに消えてしまったのだから当然とも言える。
寂しげなマリーの姿にサクラコもどうにかならないものかと考えていた。
一週間前、マリーのスマートフォンに連絡が入るまでは。
「シスターサクラコもいらっしゃいますか?」
「いえ、私は遠慮しましょう。余計な邪魔が入らないように警戒しなくてはなりませんからね」
管理人の少女の誘いをサクラコは笑って断る。せっかく友人同士が親睦を深めるというのに、無粋な真似をさせるわけにはいかないのだ。
今日の警備の配置を考えつつ、サクラコは「けれど」と言って少しだけ悲しそうに眉を下げた。
「確かに少しだけ話してみたかったかもしれませんね。シスターフッドのトップではなく、ただの歌住サクラコとして……彼女と友人になってみたかった」
「でしたら、いつかきっとなれますよ」
「そうでしょうか?」
「ええ」
管理人の少女は不安そうに胸に手を当てるサクラコに頷くと、窓から外の景色を見る。
釣られるようにしてサクラコも外を見た。
暖かな日差しの下では、子供たちが元気に走り回っている。
その中に笑い合うマリーとリリナの姿もある。
彼女と友誼を結んだ少女たちの姿に、サクラコの胸の内に何故か安心感が込み上げてきて───
「彼女が前に進み続けるなら、いつかきっと」
気がつけば。
断言するような管理人の少女の言葉に、小さく頷いていた。
〜〜〜
「はぁ……本当にまた一人でどっか行っちゃったんだ」
「しょうがないよ。私も寂しいけれど、自分探しはまだ終わってないみたいだから。それなら応援しないと。だから拗ねないで、ミサキ」
「…拗ねてない。無責任すぎるって呆れてただけ」
「で、でも確かに寂しいですね……やはりリーダーがいてこその私たち、ですから……」
「……うん、そうだね。だから祈ろう」
「祈る?」
「そう、祈る。また会えますようにって、何かを見つけて無事に帰って来れますようにって祈るの」
「祈った所で何も変わらない」
「で、でも……リーダーのために出来ることがあるなら、何も変わらなかったとしても…私は祈るだけでもやってみたいです」
「……ヒヨリってそんなこと言う性格だったけ?」
「え、わ、私ってもしかしてそんな冷酷な人間だと思われていたんですか!?あぁ……もうお終いです…きっとこの先も誤解されたままのゴミのような人生を送るんですね……辛いです………」
「そんなことないよ。ヒヨリはとっても良い子」
「……はぁ。というか自分探しってそもそも何なの?リーダーはどこに向かってるの?なんか腹立って来たんだけど」
「うーん……それはたぶん探してる本人にしかわからないことだと思うけど……あ、でも今日向かう場所は知ってるよ」
「それは私も知ってる。どっか行く前に本人から聞いたし」
「あの孤児院ですよね……新しく出来た」
「うん。孤児院の人たちにも挨拶してから行くみたい」
「わざわざ危険を犯してトリニティに戻るなんて……」
「私も少し心配だけど……でも、ちゃんとお別れを言うのは大事だから」
「そう、なんですか…?」
「うん。だって……」
「せっかくできた新しい友達なんだから。寂しい思いをさせちゃダメだよ」
〜〜〜
孤児院の屋上から見る秋夜の街は煌びやかだった。
もう二十二時を回ろうかという時間だが、街に佇むビル群から光が消える様子はない。
『綺麗』『美しい』と表現して差し支えない光景だ。
トリニティを彩るあの光の中には様々な思いが渦巻いている。
もちろんその中には悲しみもあるだろう。けれどそれを上回るくらいの喜びが、確かな平和があの光の中には秘められている。
ブラックマーケットとはまるで違う、包み込むような優しい光に芽を細めてサオリは考える。
きっと自分は悪だ。
あの光の一部となるには相応しくない悪人だ。
けれど───
「こんばんは、サオリさん」
「こんばんは!サオリお姉ちゃん!」
鈴の音のような声で名前を呼ばれて振り返る。
そこには二人の少女がいた。
一人はオレンジ色の髪と晴れ空のような水色の瞳を持つシスターの少女、伊落マリー。
もう一人は前髪をぱっつんと切り揃えた幼い少女、リリナ。
二人は暖かな笑みを浮かべてサオリを優しく見つめている。
今日、サオリがここを訪れたのはお礼と別れを言うためだ。
サオリは立場上、頻繁にトリニティを訪れることはできない。今日この日だってサクラコが特別に取り計らってくれたからこうして会えているに過ぎないのだ。
だからこそ、世話になった人物に感謝をして、しっかりと別れの挨拶をするという人として当たり前の行為を済ませて……手早く立ち去らなければならない。
ここは、サオリがいるべき場所ではないから。
「シスターマリー、リリナ。私は───」
「サオリさん」
決意を固め、真剣な表情で語り出そうとしたサオリをマリーが遮る。
全てを見透かすような水色の瞳には、果てしない慈愛が浮かんでいた。
マリーは出鼻を挫かれて動揺するサオリに向かって手を差し出すと……
「お夕飯を食べましょう」
サオリを、暖かな光の中へと誘った。
何があっても揺らがない、シスターの少女からの無償の愛に、覚悟を決めたはずのサオリの意志が少しだけ乱れる。
それを何とか立て直すように口を開いた。
「……わ、私はお前たちに別れの挨拶を──」
「そうですね。私もサオリさんと別れる前にきちんとご挨拶をしたいです。感謝や約束など、貴女が何処かへ行ってしまう前に語り合いたいことが多くありますから」
「なら」
「でも、それはお食事の後にしましょう」
断言だった。
同時に、それ以外は認めないという宣言でもあった。
マリーの笑みは崩れない。どんなに悲しくても、決して崩さない。
「日常を過ごしましょう、サオリさん。格式ばった挨拶も涙が溢れてしまうような別れも後回しにして、今はただの友人として……ただ幸せな日常を過ごしましょう」
「……いいのか?」
「もちろんです。リリナさんもそう思いますよね?」
「うん!」
リリナは元気に頷くと、トコトコとサオリのところへ駆け寄って行く。
秋の冷たい夜風に吹かれる彼女は何を言うのだろうか。
サオリの心を強く揺さぶるような慈愛の言葉?
それとも思わず泣いてしまうような優しい赦し?
どうしてか緊張が高まるサオリの内心なんて知る由もなく、リリナはマリーと同じように手を差し出した。
そして。
「行こう、サオリお姉ちゃん。カレー冷めちゃうよ?」
以前に聞いた誘い文句……それをそのまま投げかけてきた。
急かすような誘いの言葉以外には何も言わない。
まるで今はそれだけで十分だと言っているようだった。
だからサオリは───その手を掴んだ。
自分でも驚くほどに躊躇いなく、小さな右手を掴んでいた。
リリナはそんなサオリに満足そうに頷くと、そのまま手を引っ張って歩き出す。
「ふふ。では私はこちらの手ですね」
マリーが揶揄うように言いながら、リリナが掴んでいる方と反対の手を握って歩き出した。
右手の二つの熱を感じたサオリは──止まっていた思考をゆっくりと再起動する。
───きっと私は悪なのだろう。
それは以前と変わらない結論。どれだけの時を重ねても揺らがないであろうサオリの解だ。
きっと自分は悪以外の何者にもなれない。
けれど。
悪で在る限り赦されないとはもう、サオリには思えなかった。
今も自分を離さない熱が、それは違うと優しく教えてくれたから。
サオリは自身が暖かな光の一部になれるとは思っていないけれど、今も手を引いてくれる彼女たちが赦してくれるなら。彼女たちが赦してくれた自分なら。
この光の一部となってしまうのも、赦せるような気がしたのだ。
二つの温もりと共に、出入り口の扉から孤児院の中へと戻る。
扉が閉まる直前。
その隙間から見えた夜の灯りの中に……自分自身が立っていた。
幼い頃の自分。
何にでもなれたはずの自分が───笑いながら手を振っていた。
お前はそれでいいんだ。
私はそんなお前になれて良かった。
そんな言葉が聞こえた気がして。
サオリは、そんな自分に、
「ありがとう……さようなら」
笑って……少しだけ泣きながら、それでも笑って別れを告げたのだった。