浄火の赦し   作:もとりな

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一章 Adolescere

 

 

 伊落マリーにとって、幸せとは『誰かのためになる行いをするこ』である。『誰かの役に立つこと』と言い換えても良い。

 重い荷物を持つ老人がいれば荷を分け合い、迷子の子供がいればその手を取り、悩む友人がいれば寄り添う。

 そういった正しく善と呼べる行為にこそ幸福を覚えるマリーがシスターという役割を与えられるのは必然だった。少なくともマリーの周囲の人間はそう考えているのだが、そのことを本人に伝えても困ったような笑顔で「私はそのような清い人間ではありません」と否定するだろう。このように自己評価が著しく低い点がマリーという少女の欠点であり──凡そそれ以外に欠点が見つからない所が彼女の長所であった。

 

 さて、そんな誰からも慕われる人格を持つマリーであるが、今日の彼女の姿はブラックマーケットという普段の彼女からはまず結びつかないような場所にあった。

 これは別にマリーが年相応の火遊びに目覚めたなどという話ではなく、しっかりとした目的があってのことである。

 その証拠に、マリーの側にはシスターフッドでもかなりの武闘派(本人は全力で否定しているが)である若葉ヒナタが護衛としてついていた。彼女は普段から持ち歩いている愛銃とは別に、ヒナタの身の丈の倍に迫る巨大なリュックを背負っている。

 晴れ空の下の街道には形ばかりに街路樹が植えられているものの、そのどれもが枯れている。それどころか下草すら枯れていた。行政の手が行き届いていないブラックマーケットならではの光景である。

 明らかにカタギの者ではない雰囲気を漂わせる人々に目をつけられないよう道の隅をコソコソと歩く二人は、緊張を和らげるように会話をしていた。

 

 

「いつも申し訳ありません、ヒナタさん。貴重なお時間を頂いてしまって……」

 

「いえいえ、他でも無いマリーさんの頼みですから。それに事情が事情ですし、これは一人では持ち運べないでしょうから」

 

 

 遠慮がちに整った眉を下げるマリーに、クスリと微笑みながらヒナタがポンポンと背負っているリュックを叩く。冗談めかした彼女の様子に、マリーも「そう言っていただけると嬉しいです」とはにかんだ。

 そんなマリーに釣られるようにして微笑んだヒナタだったが、その表情を不意に不安そうなものに変える。

 

 

「それにしても、あの子たちは元気でしょうか……。ブラックマーケット内でも比較的に安全な場所とはいえ、少し心配です」

 

「私も同じ気持ちです。治安が悪いことには変わりありませんから……あ」

 

「着きましたね。外観は以前に訪問した時と変化していないよつですが…」

 

 

 ヒナタの言葉に同意して顔を強張らせたマリーだったが、ある建物を目に捉えて安堵したように息を吐くと、先程の会話で少し響いたのだろう。ヒナタの言葉を背にして焦るように駆け寄って行った。ヒナタも彼女の後を追うようにして建物の門の前に歩く。

 その建物は比較的大きな建造物が並ぶブラックマーケット内でも一際存在感を放っており、小さく見積もっても屋敷と呼べるようなサイズだった。

 特徴的なのは建物全体が木造であることだ。

 赤茶色の木壁には長方形の窓が均等な感覚で並んでおり、青い屋根とその大きさが相まって、周囲の近代的なビルなどと比べると随分と浮いた印象を受ける。

 それも当然のことだ。

 なぜなら、ここはブラックマーケットで行われる怪しげな取引などとは一切関係がない目的で作られているのだから。

 マリーとヒナタが立つ大きな門のすぐ横。

 表札と思われる場所には、『アドレスケレ孤児院』と刻んであった。

 マリーが表札がある方とは門を挟んで反対側にあるインターフォンを押し、「こんにちは、シスターフッドの者です」と声をかける。するとすぐに「あ、マリーさんとヒナタさんですね。門を開きますのでどうぞ中にお入りください」と明るい女性の声で返答があった。

 それを聞いたマリーが一歩下がると、ギィィ……とホラー映画のような音を立てて門が開く。何というべきか、今すぐに門の一部が崩れても驚かないような音だ。よく見ると重厚な門を構成する金属はかなり錆びついている。ヒナタの頬が引き攣った。

 

 

「えっと……この後サクラコ様に修繕の申請をしておきましょうか……」

 

「あはは……とりあえず中に入りましょうか」

 

 

 苦笑いをして門をくぐる。

 門はかなりボロボロだったが、広い庭は丁寧に手入れが行き届いていた。花壇に植えられているのはマリーゴールドやホウセンカと言ったありふれた花ばかりだが、一本一本が丁寧に管理されてるため、どれもが文字通り高嶺の花と言わんばかりの美しさを誇っている。

 圧巻の光景に、二人は思わず「ほぅ」と息を吐いた。

 

 

「いつ見ても美しい庭園ですね……心が洗われていくのを感じます」

 

「そうですね、マリーさん。このままずっと眺めていたいくらいに───」

 

「シスターのお姉ちゃんたちだ!!」

 

 

 美しい庭園に見惚れていた二人の背後から元気な声がかかる。

 マリーとヒナタが同時に振り向くと、前髪をぱっつんと切り揃えた幼い少女が満面の笑みを讃えながら駆け寄ってくるのが見えた。その元気な姿に釣られるようにしてマリーの顔にも笑みが浮かぶ。

 

 

「お久しぶりですリリナさん。元気にしていらっしゃいましたか?」

 

「うん。マリーお姉ちゃ……えっと、シスター・マリーもお元気であり、あらせらりましたか?」

 

「ふふ、マリーお姉ちゃんで大丈夫ですよ。敬語も必要ありません」

 

 

 ありあれ?と首を傾げて頑張って覚えたての敬語を絞り出す少女にクスリと微笑みながら、マリーはその頭を撫でる。

 ───この少女はやむを得ない事情で孤児院に来ることになってしまった、世間一般で見れば『哀れ』と呼ばれるような人物だ。

 けれど、彼女の顔に悲壮感は微塵もない。

 「お姉ちゃ〜ん」とヒナタに抱きつく姿からは幸福しか感じられなかった。この姿を見ても『不幸だ』という人間はきっと1人もいない。

 それはきっとこの場所こそが彼女にとっての家になりつつあるからだろう。居場所の定義は人それぞれだ。彼女たちがここを居場所だと、そして何より今を楽しいと思えたなら、それで良いのだ。

 ヒナタと少女の戯れを微笑ましく見守っていると、少女が「あっ」と声を上げる。

 

 

「お姉様にマリーお姉ちゃんたちを呼んできてって言われてるんだった!二人ともこっち〜」

 

 

 案内を任されていた少女は「やっちゃった…」と言わんばかりの顔を浮かべてマリーとヒナタの手を取ると、屋敷の中へと2人を引っ張っていく。いつも通り慌ただしい少女にマリーとヒナタは顔を見合わせて笑うと、大人しく手を引かれて歩いていく。

 その後も賑やかなものだった。

 たくさんの子供たちに囲まれてその相手をして、たまに世話係である同年代の少女たちと会話をしながら歩く。マリーはゆったりとしたこの時間が好きだった。

 

 

「──申し訳ありません、うちの子たちがご迷惑を……」

 

「いえいえ、お気になさらないでください。皆様のおかげで私たちも楽しい時間を過ごすことができましたから」

 

「マリーさんの言う通りです!この孤児院の子たちは皆元気で……こちらも元気がもらえますから」

 

「ふふ、お二人にそう仰っていただけると私も嬉しいです」

 

 

 少女に案内されて辿り着いた応接室で、マリーとヒナタはソファに座ってこの孤児院の管理をしている人物と対面していた。案内人の少女が『お姉様』と言っていたのは彼女のことである。前髪で目が隠れており、言い方は悪いが地味な印象を受けてしまう。しかし彼女はマリーたちと同年代でありながら孤児院を切り盛りしている辣腕。文字通りの才女でもあった。見た目だけで侮るのはナンセンスとしか言いようがない。

 用意された紅茶を楽しみつつ、彼女の話に耳を傾ける。

 

 

「シスターマリー、そしてシスターヒナタ。本当によろしいのでしょうか?かのシスターフッドの方々に援助をして頂くなど……やはり恐れ多いです」

 

「良いのです。我らシスターフッドは悩める人々に寄り添うのが使命。遠慮せずに受け取ってください。それに、これらはあくまで『個人的な支援』ですから。お気になさらないでください」

 

「そうですね。それに、ここを訪れる時はいつもたくさんの笑顔と元気を頂いておりましたから。今回はそのお礼ということで、いかがでしょう?」

 

「お礼、ですか……」

 

 

 慮るようなヒナタの言葉を受けた管理人の少女は、テーブルに置かれた物……教科書や筆記用具などの学習用具を悩むように見る。

 これがヒナタが孤児院まで運んできた荷物だった。

 マリーとヒナタはこの孤児院の経営が芳しくないこと、そしてその煽りを受けて孤児たちが必要な教育を受けることができていないことを知っていた。

 ここアドレスケレ孤児院は経営に不安があるとはいえど、孤児たちに普通の生活を提供する程度の資金は何とかやり繰りできていた。それは外で元気に遊ぶ子供達を見れば一目瞭然だ。

 しかし、普通の教育を受けさせるとなると話は別。

 教育は高価だ。

 教科書代や講師に支払う授業料など、一人の教育をまともに修了させるだけでも馬鹿にならないほどの費用がかかる。優に百を超えるアドレスケレ孤児院の児童全員に同じだけの教育を施すなど現状では不可能だった。

 ここがシスターフッドの管轄になれば万事解決なのだが、そうもいかない事情がある。

 何せここはトリニティではなくブラックマーケットの一部なのだから。

 故に『個人的な支援』。

 この孤児院をなんとか援助できないかとサクラコに相談した結果として認められた、最低限の施しだった。

 そんなマリーたちの想いを理解したのか、やがて管理人の少女は静かに頷いた。

 

 

「……わかりました。ありがたく受け取らせていただきます。この御恩は生涯忘れません」

 

「そ、そんなに気になさらないでください!シスターフッドとしてはむしろこの程度の支援しかできなくて申し訳ないくらいで……」

 

「ふふ。これで十分ですよ、シスターヒナタ。これ以上貰ってしまえば、いよいよ返し方がわからなくなってしまいますから」

 

 

 ペコペコとお辞儀をするヒナタに管理人の少女が笑う。

 和やかな空気に思わずマリーの口元にも笑みが浮かんだが、上品に笑っていた管理人の少女が不意に表情を曇らせる。

 

 

「実際のところ、今回の支援は本当に助かりました。このところ企業から圧力が少しずつ強まっていまして…」

 

「企業からの圧力、ですか?」

 

「はい。なにせ───」

 

 深刻な顔をして何かを語り出そうとした管理人の少女だったが、唐突に応接室の扉がバァン!と音を立てて開いたことで遮られる。

 驚いてドアの方を見ると、そこにはマリーたちが最初に出会った案内人の少女が立っていた。彼女は驚愕を顔に貼り付けたまま管理人の少女に飛びつく。

 

「お姉様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!空から女の人がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 案内人の少女の叫びに座ったまま顔を見合わせる3人。

 どうやら談笑は後回しになりそうだ。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 失敗した。

 というよりも油断した。

 

 暗闇の中でサオリは己の失態を悔いる。

 雇い主を嗅ぎ回るだけの役割を担った排斥程度に思っていたが、まさかこちらの動きの殆どを把握されているとは思わなかった。

 対峙した敵はサオリの潜伏先から奇襲する位置、武装の弱点など多くの情報を得ていたらしく、こちらの手の全てを完璧に対策されていた。まぁまさか相手も崖から躊躇いなく落ちるとは思っていなかったようで、て何とか逃げ延びることには成功したが……どうにも誘導されたような気がしてならない。

 雇い主にはどう説明しようか、なぜ情報が漏れていたのか。

 様々な思考がサオリの脳裏をよぎるが……それは唐突に別の物に塗り潰された。

 匂いだ。

 それも堪らなく良い香り。

 具体的に言えば牛肉入りのカレーの匂いだ。

 そういえば昨日から携帯食料以外は何も食べていない。

 任務遂行のためには仕方がないことではあるが、サオリも1人の人間である。

 味の薄い携帯食料だけでは満たされないのだ。

 だから、誘惑するような香りに誘われるようにして……目を開いた。

 

 

「……ここは」

 

「あ、目を覚まされたのですね」

 

 

 鈴の音ような声に惹かれるように目を向けると、そこには1人の少女が微笑んで座っていた。

 オレンジ色の艶やかな髪に落ち着いた黒いシスターベール。ぴょこりと立った耳が特徴的な少女に、サオリは覚えがあった。

 

 

「お前は……確か、虚構のサンクトゥムの時の……」

 

「覚えていてくださったのですね。改めまして、伊落マリーと申します。えっと、サオリさん…でしたよね?」

 

「あぁ、錠前サオリだ」

 

 

 恐る恐るといった風のマリーの問いかけに答えつつサオリは体を起こす。

 どうやらベッドに寝かされていたらしい。足や腕に包帯が巻かれている所を見ると、手厚く怪我の手当てまでしてくれたようだ。

 サオリが運ばれたらしい部屋には多くのベッドが備え付けららており、薬品棚などを見るに医務室か何かであることがわかる。

 それを確認したサオリは短く溜息を吐いた。

 

 

「…世話をかけたようだな」

 

「いえいえ。困った時はお互い様、ですから」

 

 

 マリーはそう言って笑ったかと思うと、「あっ」と声を上げて立ち上がる。

 

 

「サオリさんが目覚めたら食事を用意するように言われていたんでした。すぐに用意致しますね」

 

「いや、そこまでの施しを受けるわけには……」

 

「大丈夫です……と管理人の方は仰っていました。どうも子供たちのおかわりのために、カレーは大量に作ってあるそうなので」

 

「管理人?子供たち、とは…?」

 

「えっと、あの……その辺りの事情は食事の時にお話しいたしますので。あっ、でも病み上がりの方の食事はお粥の方が良いのでしょうか……?」

 

 

 マリーはそう呟きながら扉に向かって歩き出す。

 それを見たサオリは慌てて彼女を呼び止めた。

 

 

「ま、待ってくれ」

 

「は、はい。どうかされましたか?」

 

 

 不思議そうな顔をするマリーにサオリは言葉を詰まらせる。そして少しだけ逡巡すると、躊躇うように言葉を発した。

 

 

「…礼を言う。お前のおかげで命拾いした。それから……食事はカレーで大丈夫だ」

 

 

 目を逸らすサオリの言葉にマリーは一瞬だけポカンと惚けたような表情を浮かべると……クスリと笑った。

 

 

「どういたしまして。カレーは大盛りにするように伝えておきますね」

 

 

 それだけ言ってマリーは部屋から出ていく。扉の閉まる音がやけに響いた。

 一人残されたサオリは再び溜息を吐く。

 

 

「何を言っているんだ、私は…」

 

 

 そして、羞恥心を隠すようにベッドに寝転がった。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「孤児院?このブラックマーケットで、か?」

 

「ブラックマーケットだからこそ、と言いますか……」

 

 

 場所は変わって応接室。

 治療と食事の甲斐あってある程度の活力を取り戻したサオリは、医務室から移って管理人の少女の話を聞いていた。ちなみにカレーは全て食べ終わり、遠慮気味ではあるがおかわりもしていた。

 マリーとヒナタは揃ってソファに座り、サオリもソファ…管理人の少女の隣に腰掛けている。

 隣で難しい顔をする管理人の少女にサオリが問いかける。

 

 

「ブラックマーケット……だからこそ?」

 

「ここブラックマーケットは一種の治外法権となっているのはご存知でしょうか?」

 

 

 首を傾げるサオリにヒナタが答える。彼女は両手で包むようにしていたティーカップを置くと、説明を続ける。

 

 

「この場所に根を張る企業は多く、その殆どが……えっと、残念ですが、不正をしています。かと言ってそれを一斉に検挙してしまえば───」

 

「キヴォトスの物価が急速な変動を起こし、制御不能となって経済が混乱に陥る。だからこそヴァルキューレなどの警察組織も迂闊に手を出せない。その辺りは理解している」

 

「はい。そして警察組織が手を出せないということは、裏を返せば余計な詮索をされないということです」

 

「……なるほど。ここにいるのは『訳あり』の子供ということか」

 

 

 サオリが至った答えにヒナタが神妙に頷く。

 ───アドレスケレ孤児院の創設理由。

 それは複雑な事情を抱えた子供たちを、健全に成長させるという点にある。

 この場所に集まる子供たちは孤児の中でも飛び抜けて特殊な事情を抱えた者たちだ。

 規格外の凶悪犯罪に巻き込まれた者、特殊な実験の被験体になった者、心に取り返しのつかない傷を負った者。

 子供というのは刺激に敏感だ。

 大抵の孤児はある程度のトラウマを抱えていても、信頼できる誰かがゆっくりと寄り添っていけば健全に育つだろう。

 しかし、全員が全員そうというわけではない。

 特にここにいる少女たちは、ヴァルキューレに捕捉されれば本人の了承を問わず取り調べが行われるような立場にある。例え本人に非がないとしても、だ。

 これは別にヴァルキューレが悪というわけではない。

 むしろここにいる人間から話を聞くことができれば解決する犯罪は多くあるため、手を出さない方がおかしいレベルだ。

 だからこそ、ブラックマーケットに孤児院を建設した。

 ここは暗黙の治外法権であり、強引に警察組織を動かせば周囲の悪徳企業が黙っていない。

 ヴァルキューレからの余計な刺激を受けることなく、トラウマに触れることなく、健全に子供たちを育てることができる。

 罪無き子供たちの成長(adolescere)を願う場所。

 無論、そのせいで解決しない事件もあるだろう。

 しかし、仮にそうだとしても。

 

 

「私は、子供たちに健やかに育って欲しい。過去を詮索されて傷つくくらいなら、事件など解決しなくて良い。だって、子供に罪は無いのですから」

 

「…それが、こんな場所で孤児院を運営する理由か」

 

「えぇ」

 

 

 管理人の少女の力強い肯定に、サオリは目を瞑った。

 『大人の言うことは絶対』

 『トリニティは巨悪』

 『全ては虚しく、無意味』

 幼い頃から呪いのようにサオリたちを蝕んできた言葉の数々。

 もしもあの時、アリウスの近くにこの孤児院があれば、きっとサオリたちは受け入れられただろう。

 ここにいる人たちは子供たちを想い、一番に考えて行動する人間ばかりなのだから。

 

 その事実に思う所が無いというわけでは無い。

 だがそんな胸中をここにいる人間にぶつけるのも筋違いというもの。

 だから、この孤児院に対してサオリが送る言葉は一つだけだ。

 

 

「良い場所だな」

 

「はい。私もそうありたいと願っています」

 

 

 微笑んだ管理人の少女に少しだけ口の端を笑みの形に曲げると、サオリはソファから立ち上がった。

 

 

「そろそろ仕事に戻るとしよう」

 

 

 そう、サオリには仕事がある。それに何より、これ以上世話になりっぱなしではバツが悪い。

 精々働いて、治療費と食事代くらいは返そうと決意を新たに扉に向かおうとして───

 

 

「えいっ」

 

 

 ───脇腹に激痛が走った。

 

 

「〜〜〜っ!?」

 

 

 声も出せずに蹲ると、先程まで穏やかに微笑んでいた管理人の少女が呆れ顔を浮かべていた。どうやら下手人は彼女らしい。

 管理人の少女は溜息を吐くと、サオリに告げる。

 

 

「脇腹を触っただけでそんなに痛がるなんて……こんな状態で仕事なんて認められません。この場所でしっかり治して行ってください」

 

「し、しかし……」

 

「言い訳は無用です」

 

 

 きっぱりと言い切る管理人の少女の決意に押されたサオリは、助けを求めるようにマリーとヒナタを見た。

 しかし二人とも苦笑いを浮かべるのみ。

 どうやら味方はいないらしい。

 

 こうして、サオリの孤児院での生活が始まった。

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