浄火の赦し   作:もとりな

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二章 孤児院での生活

 

 

 

「まさか許可が降りるとはな……」

 

 

 管理人の少女から入院通告を受けた日の夜。

 サオリは自身に割り当てられた二階の部屋で困惑した表情を浮かべていた。

 理由はサオリの雇い主である企業の幹部に、連絡用の携帯端末で現状を報告したところ、想定外の返答があったのだ。

 

 

『情報がリークされていた原因が現状不明であるため、こちらとしましては不確定要素を最大限減らして行動したいと考えております。つきましては、錠前様はその場所で休息を取り、情報漏洩についての詳細が明確になってから行動して頂きたいのです。新しい任務については追って連絡致します。尚、報酬金に関して変更はありません。』

 

 

 要するに『君疑わしいからソッチで大人しくしててね』ということだ。

 サオリとしては任務を遂行しただけであり、情報漏洩など身に覚えがない。

 しかし企業側からすればそんなことはわからないのだ。

 疑わしきは罰する……とまでは行かなくとも、近寄らせない程度の処置はするべきだろう。

 つまるところ、妥当な判断だと言える。

 サオリは今日何度目かもわからない溜息を吐いた。

 

 

「いよいよ断る理由がなくなってしまったか」

 

「私としては安心しました。あのお怪我で仕事など、心配で仕方ありませんから……」

 

「こう見えて鍛えている。この程度で根を上げるほど弱くは無い」

 

「もう、そういう問題ではないんですよ?」

 

 

 サオリの淡白な答えに頬を膨らませて怒るのは伊落マリー。

 彼女は怪我をしたサオリの世話係としてしばらくの間は同室で暮らすこととなった。

 サオリも最初は断ったのだが、「ダメです」というマリーの圧のある笑みに押し切られてしまった。実は彼女の怪我を一番心配していたのはマリーだったのかもしれない。シスターフッドの本部に連絡してまで付き添ったのだから相当だ。『マリーちゃんはこうなったらテコでも動きませんから…』と言うヒナタの帰り際の申し訳なさそうな顔がサオリの脳裏を過ぎる。

 迷惑……とは思わなかった。正直に言えば、むしろ助かるくらいだ。

 努めて平然としているが、サオリの怪我は一般人なら悲鳴を上げてのたうち回り、のたうち回ったせいでさらに地獄を見るレベルの大怪我である。この状態で一人で生活するなど、あまり想像したくはなかった。

 とはいえ流石に風呂まで着いてくるとは思わなかった。

 マリーはサオリを重篤患者だと勘違いしているのだろうか?いや事実その通りなのだが、サオリにも羞恥心はあるのだ。

 まぁ結局のところ押し切られてしまったが。

 久しぶりに誰かと風呂に入ることになり、昔を思い出して少しだけ嬉しかったのは内緒である。

 と、まぁそんなコダゴタがありつつ就寝の時間になった。

 今のサオリにとって重要なのは怪我の療養。

 それ以外特にすることも無いので、さっさとベッドに入って眠ることにした。

 しかし、お節介なシスターはまだ用事があったらしい。

 

 

「あ、待ってください。包帯を巻き直さないと」

 

「いや、この程度は───」

 

「ダメです」

 

「…わかった」

 

 

 この数時間でサオリもこの世話焼きシスターの扱いが段々とわかってきた。

 一度決めると何があっても曲げない。ならば好きにさせるのが得策だ。つまりは何処かの姫と似通っている。半ば諦めつつ、ベッドに腰掛けて大人しく左手を差し出した。

 するとマリーは自身のベッド──サオリの隣にあるベッドの下から、おそらくは事前に用意してあったのであろう薬箱を取り出した。そこからガーゼとハサミ、そして消毒液と包帯を手に取ると、手慣れた様子でサオリの手首に包帯を巻き始める。

 

 

「慣れているな」

 

「元気な子供たちはよく怪我をされますから。何度もこうしているうちに、自然と」

 

「ならば、私は子供のようなものということか?」

 

「あ、いえ!そう言いたかったわけでは…!」

 

 

 サオリの言葉を否定しようと慌てて顔を上げるマリー。

 しかし、彼女の顔に笑みが浮かんでいるのに気づいて少しだけ驚いたような表情を作る。

 それを小気味良く思いながら、サオリは右手を顔の前で振った。

 

 

「冗談だ」

 

「……揶揄われてしまいましたね」

 

「これくらいの意趣返しは許されるだろう?」

 

「もう…サオリさん、実は意地悪な方なのですか?」

 

「そうでもない。半分ほどは本気で言っているからな」

 

「余計に意地悪ですっ」

 

 

 ぷんぷんと怒ったような顔を作りつつも、丁寧に手当をする辺りは本人の性格がよく出ている。

 頬を膨らませるマリーに少しだけ微笑ましくなるサオリだった。

 

 

 次の日の朝。

 雀のさえずりがサオリの目を覚ます。

 時計にチラリと目をやる。時刻は5:24を指していた。

 ゆっくりと腕を動かしてみると、少しだけ痛みが引いているのを感じる。

 あれほどの怪我だというのに、もう回復の兆しを見せている辺り、手当てが適切だったと言うことなのだろう。

 丁寧に包帯を巻いてくれたシスターの姿が思い浮かぶ。

 

 

(トリニティの世話になる、か……少し前までなら考えもしなかった。いや、そもそもこうして『誰かの世話になる』ということ自体考えなかったか)

 

 

 ベッドから体を起こしつつ、サオリは益体もないことを考える。

 アリウスでの洗脳とも呼べる教育では、ありもしないトリニティへの憎悪を植え付けられた。元凶であるベアトリーチェがいなくなった今ではそんな歪んだ思考も間違いだったと認識できるが、それでも感慨深いものがある。

 そして、だからこそ思い悩んでしまう。

 

 

(私は…成長できているのだろうか。前に進めているのだろうか)

 

 

 少なくとも、昔よりは広い視野で物事を捉えることができるようにはなった。

 自分探しという名目で外の世界に出て、多くのことを学んで、少なくとも他者からの優しさを頭ごなしに否定しない程度の常識を得ることができた…とサオリは感じている。

 事実そうなのだろう。

 昔のサオリであれば、このような知らない人間ばかりの空間で安眠することなどできなかった。いつ裏切られるのか、いつ襲われるのかと疑い、武器を手放すこともできなかっただろう。

 しかし、鎖を解かれて、恐る恐る覗いて見た外の世界は、想像したよりも優しかった。

 勿論、ベアトリーチェのような人間も多くいる。

 こちらを搾取し、自分の利益のみを考えるような人間もいる。

 けれど、それだけでは無いことも理解していた。

 アリウススクワッドの四人は当然として、先生やマリーなど、信頼できる人間も多くいる。

 だから。

 ここでは安心して過ごすことができる。

 そう、だから。

 だからこそ。

 

 自分がここにいられるほど、綺麗な人間では無いこともわかっていた。

 

 

(早く、出て行かなければな)

 

 

 ここに住む人々は皆綺麗だ。

 見た目の話ではなく、心の持ちようが、である。

 対してサオリはどうだろうか?

 許されざる悪行を成し、自分探しなどと宣いながら裏社会で犯罪紛いの仕事を請け負う。

 おおよそ、ここには不釣り合いな人間だった。

 汚れは早く掃除されるべきであり、異物は早く取り除かれるべきだ。

 雇い主からの指示もあり、現状ここから動くことはできないが、それでもなるべく早期に出ていくべきだ。

 サオリが一人になって学んだことは、決して前向きなものだけではない。

 彼女は人の温もりを知り、優しさを知り……自分が許されない悪だということを知った。光の下を堂々と歩ける人間ではなく、暗闇の中で朽ち果てるのが似合いの人間だと学んでしまった。

 そんな自分がマリーたちと共に居ていいはずがないと、本気でそう思っているのだ。

 

 

「…思考が良くない方向に逸れているな。姫に怒られてしまう」

 

 

 自嘲するような笑みを口元に浮かべる。

 思考を切り替えるように部屋を見渡すと、あることに気づいた。

 

 

「シスターマリーがいないな」

 

 

 自身がいるベッドの隣。

 昨日確かに世話焼きのシスターが寝ていたはずのベッドはもぬけの殻だった。シーツや枕なども無い。この孤児院では起きた後にそういった寝具は自分で一階の洗濯場に運ぶというルールがあるため、彼女も既に起きて一階に行っているのだろう。

 世話になりっぱなしでは悪い。自分も何か手伝わなければとベッドから立ち上がる。

 その前にまずは身支度だ。

 用意されていた服に着替えて部屋から出る。ここは部屋に水道やトイレはなく、顔を洗ったり歯を磨いたりするには部屋の外に出るしかない。子供達はまだ寝ているらしい。静まり返った廊下を歩く。

 最近のサオリは任務続きで休まる暇がなかったため、こんなに穏やかな朝は久しぶりだった。なるべく足音を立てないように木製の通路を歩く。かなり気を配っているにも関わらずギシリと床板が軋むのを考えると、屋敷の補修は行われていないように感じた。どうやら孤児院を経営するので精一杯のようだ。ままならないな、と考えつつ洗面所に辿り着くと、そこには先客がいた。

 

 

「シスターマリーか」

 

「起きていらっしゃったのですねサオリさん」

 

「あぁ、たった今な……おはよう」

「ふふ、おはようございます」

 

 

 ラフな格好をしたマリーがサオリにニコリと微笑む。

 サオリはその横を通り過ぎて洗面台の蛇口を捻った。

 音を立てて流れる冷たい水を両手で救い、顔を洗う。夏の蒸し暑さを和らげる心地の良い温度に少しだけ頬が緩んだ。

 

 

「どうぞ」

 

「あぁ、すまない」

 

 

 蛇口を閉じてマリーが差し出したタオルを「随分と用意がいい」と半ば呆れながら受け取るサオリ。優しくタオルを顔に当てるサオリにマリーが問いかける。

 

 

「サオリさん、寝具は既に運ばれましたか?」

 

「いや、まだだ。これから運ぶ」

 

「あぁ、良かった。でしたらお手伝いできますね」

 

「…さすがにこれくらいは一人でも大丈夫だ。というよりもお前は過保護がすぎる。怪我も一日経ってだいぶ良くなった。そこまで世話を焼かなくても良い」

 

「そう、ですか…?」

 

 

 マリーの耳が悲しげに垂れる。

 …他人を手伝えなくて残念がる奇特な人間が目の前にいる。

 サオリがブラックマーケットで会ってきた人間たちとは真逆の、先生やアツコに近いような人種だ。

 そしてサオリはこういうタイプの人間に非常に弱かった。

 

 

「…だが、安静にした方がいいというのも事実だ。やはりここは手伝ってもらいたい」

 

「…!わかりました!ありがとうございます!」

 

 

 何がそんなに嬉しいのか、跳ねるように隣に並ぶマリーにサオリは嘆息する。

 今日も長い一日になりそうだった。

 

 

 時刻が朝の7:00になると、孤児院の子供たちは一斉に起床する。真面目な子は目覚ましと共に飛び起き、布団を畳んで朝の支度をすぐに終える。朝が苦手な子は布団の引っ付き虫と成り果て……世話係の少女たちに首根っこを掴まれて起こされる。

 先程までの静謐な空気はどこへやら。

 騒がしい一日のスタートである。

 一時間ほどで準備を終えると、今度は食事の時間だ。殆どの子供達が食べ盛りということもあり、この時間から院内は更に活気づく。

 元気な喋り声をBGMに、サオリとマリー、そして管理人の少女は食堂の端の方に座っていた。広い食堂には人が四人ほど囲んで座れるサイズの机が何個も並んでおり、子供達は各々仲の良い友人たちと一緒に座っている。一人になりそうな子に積極的に声をかける子供が多いのを見ると、ここでの生活は彼女たちの価値観に良い影響を与えているのがわかる。サオリはそんな光景を眩しそうに眺めていたが、不意に正面に座る管理人の少女から声をかけられて意識を戻した。

 

 

「怪我は…だいぶ良くなったみたいですね」

 

「あぁ、お前たちのお陰でかなり良くなった。感謝する」

 

「お気になさらず。ですが、まだお仕事に戻ってはいけませんよ?完治はしていないのですから」

 

「雇い主からの指示もある。迷惑をかけるが、しばらくはここで厄介になるだろう」

 

 

 状況が変わればすぐに出て行くが、という言葉は飲み込んだ。

 サオリとて空気が読めないわけではない。この状況でそんなことを言えば面倒なことになるのは目に見えていた。

 サオリの隣に座るマリーは何かを察したようで、「あはは…」と苦笑いを浮かべていたが。

 その後もしばらく談笑していると、世話係の一人が管理人の少女に近づいた。

 

 

「お姉様、食事の準備が完了いたしました」

 

「わかりました」

 

 

 管理人の少女は頷くと、椅子を引いて立ち上がり、よく通る声で「皆様、おはようございます」と挨拶をした。子供達から「おはようございまーす!」と元気な挨拶が帰ってきたことに笑顔で頷くと、語り出す。

 

 

「今日も皆様の元気な姿を見ることができて、私はとても嬉しいです。さて、それでは今日も食材を用意してくださった方々、そして食材そのものの命に感謝を忘れないように食事をしましょう。それから──」

 

 

 管理人の少女はそこで言葉を区切ると、サオリの方を見た。

 

 

「今日から短い間ですが、一人お友達が増えます。皆さん仲良くしてあげてくださいね。それでは手を合わせてください」

 

 

 管理人の少女が瞑目して手を合わせると、子供たちと世話係の少女たち、そしてマリーも手を合わせる。サオリもそれに習うようにして両手を合わせた。

 

 

「───いただきます」

 

『いただきます!!!!』

 

「……いただきます」

 

 

 そして、食材に感謝を告げる。

 一種の儀礼的な行い。しかし、これを通して感謝の心が育まれていく。古来より人々が行ってきた、原初的な道徳教育だ。

 一斉に食事をかき込み出した子供たちをにこやかに眺めつつ、管理人の少女は再び席についた。

 

 

「様になっているな」

 

「うふふ。朝昼夕と何度も繰り返してきたことですから、自然と板についてしまったようです」

 

「管理人さんのいただきます、私はとても好きです。様々な物への感謝が籠っていて…」

 

「あらあら、嬉しいことを仰ってくださるのですね」

 

 

 マリーからの掛け値なしの褒め言葉を受けて上品に笑う管理人の少女。その様子を微笑ましく思いながら、サオリは朝食に目を落とした。ウィンナーに卵焼きにポテトサラダ。味噌汁も用意してあり、飲み物はオレンジジュース。主食であるご飯には納豆もつけてある。

 なんというか、ギリギリでやり繰りをしている孤児院にしては随分と───

 

 

「豪勢、だと思いますか?」

 

 

 サオリが不思議そうに朝食を眺めていると、管理人の少女が揶揄うような口調で聞いてきた。

 ハッとしてサオリは頭を下げる。

 

 

「いや……すまない。不躾な態度だった」

 

「謝ることはありませんよ。施設も古いというのに、食事が充実していては不思議に思っても仕方がありません」

 

「私も初めてここで食事を頂いた時は驚きました。ただ豪華なだけではなく、食事のバランスも非常に良い。おそらく栄養士の方も雇用されているのでしょう」

 

「あら。ご明察ですよ、シスターマリー」

 

 

 管理人の少女は微笑むと、人差し指を立てて説明を始める。

 

 

「食事は子供の健やかな成長には欠かせない物です。それは何も人間の三大欲求の一つだから、というだけではありません。助け合い、感謝、礼儀作法……食事で学べることは非常に多い」

 

 

 少女の言葉を聞いてサオリは先程の光景を思い出す。

 一人ぼっちを作らないように意識して行動していた子供たち。

 真心が籠った『いただきます』。

 そして行儀良く管理人の少女の挨拶を待つ様子。

 それから……

 

『さっちゃん、私のパン食べる?』

『はい。リーダーなんだからちゃんと食べないと』

『サオリ、私のも食べて構わない』

『わ、私の分も盗られてしまうのですね!?……サオリ姉さんなら喜んでお裾分けしますけど……へへ』

 

 

「……」

 

「サオリさん?」

 

「…なんでもない。だが、そうだな。確かに食事で学べることは多い。大切なことだ」

 

「ええ。だから私は、何よりも子供たちの食事にこだわるのです。食事とは最も子供たちの健康に影響を及ぼし、優れた教材にもなりますから。とはいえ、流石に施設の老朽化が進みすぎているのは看過できないので、いずれは工事を依頼しようかとも考えています。いますが……」

 

「工事を依頼できるほどの金が無い、か」

 

「ええ。私共も力の限り働いて稼いではいるのですが、それでも及ばず……」

 

 

 「力不足が悔やまれます」と悲しげに目を伏せる管理人の少女。だが、サオリとしては別の部分が気になった。

 

 

「働く?お前たちがか?」

 

「はい。ふふ、意外ですか?ですが、稼ぎが無ければ孤児院の経営などできませんよ」

 

「それはそうだが……忙しくはないのか?」

 

 

 サオリは首を傾げながら管理人の少女に問いかける。

 この孤児院は百はくだらない児童数に対して世話係、つまりは保護者的な立ち位置の人間は管理人の少女を含めても十数人程度だ。

 そんな状態で子供たちの世話を行い、自分たちも働くなど可能なのだろうか?

 サオリの疑問に管理人の少女は笑って答える。

 

 

「確かに忙しくはあるのですが、それでも可能な仕事は存在します。例えば、依頼された時のみ働く仕事などはある程度自由な時間を確保できますしね」

 

「そんなに都合の良い仕事があるのか?」

 

「ふふ、意外と多くあるものですよ?まぁ私たちは全員同じ仕事をしているのですが」

 

「そうなのですか?失礼でなければ、どのような職業か伺っても良いでしょうか?」

 

 

 マリーも彼女たちの仕事のことは知らなかったようで、興味深そうに尋ねる。

 そんな何気ない問いかけに、管理人の少女は……

 

 

「傭兵です」

 

 

 声を顰めてそう答えた。

 

 

「よ、傭兵だと…?」

 

「それは、依頼を受けて戦うあの…?」

 

「はい。あ、もちろん受ける依頼は選んでいますよ?犯罪などに加担はしていません。……それから、子供達には内緒ですよ?」

 

 

 困惑する二人に慌てて返答する少女だが、残念ながらマリーとサオリが気にしているのはそこではない。

 

 

「お前たちが戦うのか?それはなんというか、少し心配になるが……」

 

「さ、サオリさんの仰る通りです!皆様に何かあれば、子供たちは──」

 

「お二人とも。ここで過ごしている子供たちには尋常ならざる事情があることはご存知ですね?」

 

 

 マリーの言葉を遮るように投げかけられた疑問に、二人は顔を見合わせて頷く。

 

 

「は、はい」

 

「…昨日聞いたばかりだ。忘れる方が難しい」

 

「……この子たちの中には、ヴァルキューレにとってのキーとなるような、つまりは犯罪の動かぬ証拠を持つ子もいます。だからこそ、この子たちは犯罪者に狙われる。万が一にも口を割らないように」

 

 

 それは、残酷だが当然とも言える。

 犯罪者側からすればいつ爆発してもおかしくない爆弾のスイッチを他人に握らせているようなものだ。

 そんなもの、処理しておきたいと考えるのが常識的な思考回路である。……犯罪者の何が常識的なのかは一旦隅に置いておく。

 兎にも角にも、ここにいる子供たちは犯罪者に狙われやすいのだ。だからこそ、彼女たちを守る手段が必要になる。

 

 

「これはブラックマーケットという場所で孤児院を開いた私の責任でもあります。特殊な治外法権。犯罪者にとって、ここは事を起こすのに丁度いい場所ですから」

 

 

 そして管理人の少女はウィンナーを口に運んだ。

 仕草の一つ一つが上品で、優雅だが……前髪の下から覗く瞳には攻撃的な色がありありと浮かんでいる。

 彼女は口の中の物をゆっくりと嚥下すると、サオリとマリーが冷や汗を流しているのにも構う事なく、「だから」と言葉を続ける。

 

 

「ここで働く人間は強くなくてはならない。外部からの理不尽な悪意を、それ以上の理不尽で叩き潰すことができるほどに。それを志に毎日鍛錬を行った結果……私たちは雇われ傭兵として収入を得ることが出来るようになったのです。うふふ、棚から牡丹餅という諺がピッタリですね」

 

 

 全然笑えない。

 つまり、ここにいる世話係の少女たちは、ブラックマーケットという敵意と悪意に満ち溢れた場所で、か弱い存在を守れるできるほど力を有しているという事だ。

 組織的な犯罪者が襲ってくることもあっただろう。

 凶悪犯が乗り込んでくることもあっただろう。

 しかし、この孤児院の少女たちはその全てを叩き潰し、捩じ伏せてきた。

 色々と規格外すぎる。

 あんまりな解答に二人がドン引きしていることなどつゆ知らず。

 管理人の少女は「美味しいですね」と卵焼きを頬張って幸せそうな表情を浮かべていた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

「ここは……凄まじい場所だな」

 

「そうですね……私も驚いています」

 

 

 衝撃的な食事を終えた後、サオリは自室の椅子に腰掛けていた。マリーは自身のベッドに行儀良く腰掛けている。

 話しているのは先程聞いた話について。

 まさか孤児院に降りかかる災難をあんなパワープレーで解決しているとは思わなかった。確かに管理人の少女の言う通り、悪人たちからここを守る術は必要だろう。しかし「だったら自分たちが強くなれば良いじゃんね?」という解答に辿り着くとは流石に予想できなかった。それだけ聞くと冗談にしか思えないが、今日までこの孤児院が存続しているのを考えると、本当にそれでどうにかなっているのだろう。

 人は見た目に依らない、という言葉真実だったのだなとサオリが感嘆とも驚愕ともつかない感情を覚えていると、マリーが遠慮がち声をかけてきた。

 

 

「えっと、サオリさんも確か管理人さんたちと同じ職業に就かれているのですよね?」

 

「あぁ。立場上、他に出来る仕事もないからな」

 

「あ、そういえばサオリさんはトリニティで指名手配されていましたね…」

 

「忘れていたのか……」

 

「あはは……サオリさん、優しいですから。それに虚構のサンクトゥムの時も助けてくださいましたし……」

 

「あの件はあくまで利害が一致したに過ぎない。それと、私は別に優しくはない」

 

「…?」

 

「なぜ不思議そうな顔をする……」

 

 

 コテンと可愛らしく首を傾げるマリーにこめかみを抑えるサオリ。

 

 

「私は札付きの極悪人だ。本来こんな場所にいるべきではない、穢れた存在。エデン条約の件でお前も理解しているだろう」

「そうですね。当時のサオリさんはそうだったのでしょう」

 

「…今も昔も変わらない。私はトリニティに混乱を齎した巨悪で、未だ許されることはない罪人でしかない」

 

「そんなことはありません」

 

「お前は今の私がどういう人間かを知らないだけだ。まだ出会ってから時間も経っていないお前に、私のことはわからないからな」

 

「では、聞かせてくださいませんか?」

 

「何?」

 

 

 苛立ったような否定を受けても、マリーは柔和な笑みを浮かべたままだ。その事実に心の奥の方がくすぐられるような、形容し難い感覚に襲われるサオリは、マリーの言葉の意図が分からず聞き返す。

 

 

「確かに私は今のサオリさんがどのような方あまり存じていません。その状態で知ったかのような口を聞くのは失礼なことなのでしょう。出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」

 

「い、いや。何も謝ることは……」

 

「ですから」

 

 

 たじろぐサオリの言葉を遮るようにマリーは小さく、それでも良く通る声で語りかける。

 

 

「聞かせてくださいませんか?今のサオリさんがどのような方なのかを。私が正しく理解できるように」

 

「む」

 

 

 笑顔を崩さないマリーに少しだけ言葉を詰まらせるが、揶揄われているような気配を感じたサオリは少しだけムキになりながら言葉を返す。

 

 

「いいだろう。今の私がどのような存在か聞かせてやる。傭兵稼業で見てきたもの、経験したことを教えればお前の考えも覆るだろうからな」

 

「ふふ、お願いします」

 

 

 それからサオリはマリーに傭兵生活での経験の数々を話した。油断ならない雇い主の話、様子のおかしい同業者の話、裏切ったこと、裏切られたこと……

 内容は随分と血生臭いモノだったが、サオリが饒舌に喋りマリーが表情をコロコロと変えて相槌を打つという光景は、仲の良い少女たちのありふれた日常風景にしか見えないだろう。サオリにそれを言ったところで認めはしないだろうが。

 兎にも角にも二人の談笑……談笑?はゆっくりと進んでいった。

 

 

「──あの時は驚いた。まさか爆発こそが裏社会の流儀だとは思わなかったからな。それを教えてくれた彼女には今も感謝している」

 

「えっと…なんだか致命的な誤解をされているような…」

 

「お姉ちゃーーーん!!!!」

 

 

 二人が話していると、元気な声と共に部屋の扉が勢いよく開く。

 驚いて見てみると、ドアの向こうには昨日マリーとヒナタを案内した前髪ぱっつんの少女が立っていた。

 

 

「お昼ご飯できてるよ!早く行かないとお姉様に怒られるちゃう!」

 

「もうそんな時間だったのですね。なんだか先程朝食を食べたばかりのような気分です。楽しい時がすぎるのはあっという間ですね……」

 

「今の話が楽しかったのか?」

 

「はい、とっても」

 

「…よくわからないな」

 

「もー!早く行かないと怒られるってばー!!マリーお姉ちゃんも、空のお姉ちゃんも!!」

 

 

 プンプンと怒り出すサオリは首を傾げる。

 

 

「空のお姉ちゃんとは……私のことか?」

 

「うん。空から降ってきたから、空のお姉ちゃん!」

 

「…私の名前はサオリだ。そう呼んでくれ」

 

「そうなの?じゃあ私はリリナって呼んでね、サオリお姉ちゃん!」

 

「わかった、リリナ」

 

「あはは!」

 

 

 元気よく自身の手を取る案内人の少女──リリナに「どう接していいかわからない」という顔を隠せないサオリ。マリーはそんな二人をニコニコと見守っていた。

 

 サオリとマリーが食堂に着くと管理人の少女に「遅いですよ」と怒られた。同年代の人間に怒られることに少しだけ羞恥を感じつつもマリーとサオリは昼食を摂る。ちなみにリリナは食堂に着いた時点で別の友人の所に駆けて行った。

 今日の昼食はコッペパンと大豆が入ったコンソメスープ、そして海鮮サラダとハンバーグだった。素直に「豪勢だ」と驚くサオリと「学校給食のようですね」と感心するマリー。この辺りにも2人の境遇の違いが良く表れている。

 朝と同じように3人で今日の予定などを話し合っていると、「そういえば」と管理人の少女がサオリに声をかける。

 

 

「リリナと仲良くなられたみたいですね」

 

「少し話しただけだ。別に仲が良くなったというわけでもないだろう」

 

「それでも凄いことなのですよ?リリナはああ見えてかなりの人見知りですから」

 

「人見知りだと?そうは感じなかったが…」

 

 

 サオリから見たリリナという少女は、かなり人懐こい性格をしていた。いきなり自分のことを「空のお姉ちゃん」などと言い始めたかと思えば、手を握って満面の笑顔を向けてくる。あんな様子を見せられて「人見知り」と言われても信用できなかった。

 しかし、管理人の少女は「だから驚いているんですよ」と笑い、マリーに話しかける。

 

 

「シスターマリー。貴女が初めてリリナと出会った時はどんな様子でしたか?」

 

「そうですね…」

 

 

 マリーは箸を置き、悩むように顎に手を当てるとリリナとの初対面の話をする。

 

 

「私がリリナさんと出会ったのは数ヶ月ほど前で、初めてこの孤児院に来た時のことですね。管理人さんと一緒にいたあの子は私とヒナタさんを見るなり驚いて、そのまま管理人さんの背後に隠れてしまったんです」

 

「そうなのか?」

 

「はい。こちらが話しかけると、『あ、えと…あの』と怯えるだけで……あの時は怖がらせてしまったのかと慌てたものです」

 

「実は単なる人見知りだったなんて思いもしなかったでしょう?」

 

「ええ。事情を聞いた時は思わず笑ってしまいました」

 

 

 当時を思い出して笑うマリーと管理人の少女に、サオリはますます疑問を深める。

 

 

「……ならば、なぜ私には積極的に話しかける?人見知りに好かれるような、愛想の良い人間では無いと思うが……」

 

「あの、それはおそらく…出会い方の問題かと……」

 

 

 サオリの問いにマリーが苦笑いをして、「怒らないで聞いてください」と前置きして話し始めた。

 

 

〜〜〜

 

 

「お姉様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!空から女の人がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 

 リリナの絶叫を聞いた管理人の少女とヒナタ、そしてマリーは「早く早く」と慌てるリリナに急かされて孤児院の裏庭に連れて来られた。

 管理人の少女は「お客様に迷惑をかけるわけには…」と遠慮していたが、万が一の時もある。無理を言って2人も連れて行ってもらった。

 アドレスケレ孤児院は裏庭も広く、そして良く手入れされている。

 しかしここにある花々はプラスチック製のプランターに植えられていたり、不揃いに並んでいたりと、屋敷の前庭や主庭に比べると荒い方。子供たちの情操教育や理科学習のために使われているのがわかる場所だ。

 そんな『らしさ』が滲む裏庭の一角に生える草むら。

 昆虫観察などに使うために敢えて放置されてるその場所に()()はあった。

 

 

「こ、これは…」

 

「えっと……」

 

「あらあら…」

 

「ぷ、くくく……!」

 

 

 マリーとヒナタが困惑し、管理人の少女は困ったように頬に手を当てる。そしてリリナは堪えきれないと言わんばかりにお腹を抱えて吹き出すのを我慢していた。

 

 ───草むらから脚が生えていた。

 スラッと伸びた健康的な脚。脚線美という言葉似合うモデルのような脚だ。

 そんな女性なら誰もが羨むような脚が……草むらから生えている。正確には腰から下が草むらから覗いている形だ。読書家がこの状況を見たなら『犬⚪︎家…』と呟いていたことだろう。

 リリナの話から考えるに、女性が上空から降ってきてそのまま草むらに頭から突っ込んだということなのだろう。

 冷静に考えるとすぐにでも救助しなければいけないのだが……あまりにもコメディすぎる光景に全員固まったまま動けないでいた。

 

 

「ふっ、く…ぷぷ。足がっ、足が生えてっ……!」

 

 

 約一名はツボっているだけだが。

 だがまぁ、さすがはシスターと言うべきか。

 マリーとヒナタは我に帰ると、突き刺さった脚…もとい。女性を救出しようと慌てて駆け寄るのだった。

 

 

〜〜〜

 

 

「──ひとしきり笑ったリリナさんは、その、あの状態だったサオリさんを面白くて親しみやすい存在だと認識したらしく……あそこまでフレンドリーに接されているのだと思います」

 

「……」

 

 

 サオリは頭を抱えた。

 確かに納得はできる。

 いや、嘘だ。全然納得できない。

 まさかそんなくだらない理由だとは思いもしなかった。あととんでもない醜態を晒しているとも思わなかった。

 羞恥やら落胆やらでガックリと肩を落としていると、マリーが優しく肩に手を置いた。

 

 

「その……相談に乗りましょうか?」

 

「頼む……今、シスターらしさを出さないでくれ……」

 

 

 Vanitas vanitatum et omnia vanitas.

 長らく口に出していなかった言葉を思い出したサオリだった。

 

 

〜〜〜

 

 

 昼食の後、サオリは炊事場で皿洗いの手伝いをしていた。

 「怪我人にそんなことはさせられない」と拒否しようとした管理人の少女だったが、「頼む。今は別のことに集中していたい気分なんだ。頼む…」という必死の懇願にマリーと共同で行うという条件付きで折れた。

 そしてサオリは今、無心で皿洗いを行っていた。

 

 

「…サオリさん」

 

「なんだ」

 

「世話係の方々、喜ばれていましたね。『洗い物は多いから助かる』と」

 

「そうだな」

 

「…サオリさん」

 

「なんだ」

 

「今日のお昼はとても美味しかったですね。食材の味が良く活かされていて」

 

「そうだな」

 

「…あの、サオリさん」

 

「なんだ」

 

「もう洗い物はありませんよ…?」

 

 

 マリーの言葉にサオリはゆっくりと手元に視線を落とした。

 サオリの左手には既に食器はなく、右手のスポンジは必死に空気を磨いていた。

 隣で手伝っていたマリーが冷や汗をかきながら視線を逸らす。

 水道の音がやけに響く中、サオリが囁くように喋る。

 

 

「シスターマリー」

 

「な、なんでしょう?」

 

 

 サオリはスポンジを洗い、蛇口を閉めて手を拭くと、そのまま遠い目でここではない何処かを見やる。

 

 

「私は旅に出ようと思う」

 

「あっ、あの!リリナさんも悪気は無かったんです!たまたま……そう、たまたま!タイミングが悪かっただけで…!」

 

 

 手をブンブンと振って引き留めようとするマリー。

 慌てる彼女の様子を見て、サオリは溜め息を吐いた。ここに来て溜め息の回数が増えている気がするのは、きっと気のせいではないのだろう。「冗談だ」と否定してから話し出す。

 

 

「…調子が狂うな。いつもは仕事ばかりの毎日だからというのもあるが、一番はここの人間が『緩い』からだろう」

 

「あはは……ここにいらっしゃる方々は優しいですからね」

 

「優しいというのは随分と甘い言い方だな。だが、確かに悪いことでは無い」

 

 

 優しさや緩さを維持していられるのは心に余裕がある証拠だ。

 心に余裕があれば、思考も柔軟になる。任務を達成する上では重要な要素だ。

 サオリが冗談めかしてそう言うと、マリーがクスクスと笑う。

 過ぎたことはしょうがない。

 手伝いも終わったからと、切り替えて部屋から出ていこうとした時───

 

 

「あの、シスターマリー」

 

 

 マリーに声をかける人物がいた。

 声の主はこの炊事場の少し離れた所で作業をしていた、世話係の少女の一人だった。

 こちらの洗い物が終わったのを見計らって話しかけたのだろう。

 彼女は遠慮気味にサオリをチラリと見る。その視線で大方のことを察したサオリは無言で頷いた。

 

 

「行ってこい。私の怪我も大分良くなった。もう付きっきりに看病してもらわなくても大丈夫だ。それに、もう手伝うこともないだろうからな」

 

 

 綺麗に片付いた食器類を見てそう言ったサオリに、世話係の少女は頭を下げる。マリーが「では、少し外しますね」と言葉を残して少女と共に炊事場から出ていくと、サオリは一人になった。勝手に出ていくと後々面倒なことになるのは目に見えている。ここで大人しく待っていることにしようと腕を組んだところで───

 

 

「サオリお姉ちゃーん!」

 

 

 元気な声が厨房に飛び込んできた。

 ピューっと駆け寄ってきたのは前髪をぱっつんに切り揃えた少女。

 

 

「リリナか」

 

「うん!遊びに来ちゃった」

 

 

 「えへー」と可愛らしく笑うリリナにサオリの口にも笑みが浮かぶ。懐かれ方はアレだったが、サオリは別に子供が嫌いというわけではない。個性的なアリウススクワッドの面々を支えていたこともあり、むしろ世話好きな方だ。リリナから好かれていることに関しても、悪感情が湧くことはなかった。

 

 

「遊びに来るのは構わないが、ここは厨房だ。はしゃぎ回る場所では無い」

 

「あ、確かにそうだね……じゃあここじゃ無い所に行こ!」

 

「…すまないが、私はシスターマリーを待っている。しばらくはここから動けん」

 

 

 サオリが断ろうとすると、リリナは「え〜、でも……」と困ったように炊事場の入り口を見つめる。

 サオリも釣られるようにしてそちらを見ると、入り口から小さな頭が三つ覗いていた。驚くサオリを、その頭たち──リリナが連れて来たのであろう子供たちはジーっと見つめている。

 サオリが首を傾げると、リリナは辿々しく喋り出した。

 

 

「あの、あのね?私がナナちゃんたちにサオリお姉ちゃんは優しい人って言ったらね?ナナちゃんも、りっちゃんも、みんな「 『お姉ちゃんと遊びたーい!』って。だからね?あそぼ!サオリお姉ちゃん!!」

 

「……」

 

 

 「ダメ?」と瞳をウルウルさせるリリナに固まるサオリ。

 もう一度こちらを覗く三人をよく見てみると、その瞳には確かな期待の色がありありと浮かんでいた。オーラが「遊びたーい!」と言っていた。

 この感じ、サオリには覚えがあった。例えばヒヨリにお菓子をねだられた時のような、例えば暗い場所で袖を引っ張ってきた幼い頃のミサキの目を見た時のような……要するに。

 サオリはこの類の『お願い』を断れた試しが無かった。

 諦めたようにリリナの頭を撫でる。

 

 

「私は一応怪我人だ。激しい遊びはできないぞ」

 

 

 笑い混じりの言葉を聞いたリリナは、その意味を理解すると、じわじわと丸い瞳を輝かせて──

 

 

「やったー!!行こ!行こ!リリナがあやとり教えてあげる!」

 

 

 サオリの手をグイグイと入り口に引っ張って行く。

 されるがままに着いていくと、すぐさま待機していた四人の少女に取り囲まれる。

 

 

「肌きれーい!」

 

「なにしてあそぶのー?」

 

「お、お化粧の仕方とか教えてもらってもいいですか…?」

 

 

 人懐こい子たちだ。

 サオリを見つめる瞳は全て輝いていて、純真無垢で、とても眩しいものだった。

 思わず目を細めるが、それに気づくことなく、リリナが笑顔で語りかけてくる。

 

 

「サオリお姉ちゃん!あやとりわかる?」

 

「多少はな。昔、姫……友人に教えてもらったことがある。だが知らないことも多い。だから、そうだな…教えてくれるか?」

 

「いいよー!あ、その前に『おゆーぎべや』に行こ!案内するね!」

 

「『おゆーぎべや』……あぁ『お遊戯部屋』か。わかった、案内してくれると助かる」

 

 

 恐らくは子供たちが遊ぶ用の部屋なのだろう。

 子供たちに連れられて炊事場を出ていく……前に書き置きを残していく。居場所を伝えておけばマリーも困ることはないだろう、と判断してのことだった。

 廊下を歩いている途中は質問攻めだった。

 何歳なのか、どこで働いているのか、趣味は何かといったありふれた質問から、香水や化粧品などの女の子らしい話題まで。

 子供の好奇心は凄まじく、どれだけ答えても絶えることはない。最初はぎこちなかったサオリの返答も、目的地に着く頃にはスムーズになっていた。

 

 

「つ、着きましたよ…」

 

「あ、本当だ。りっちゃんありがと!」

 

 

 『お遊戯部屋』という文字がポップな文体で書かれた札が下げられた部屋の扉をリリナが開く。

 扉の向こうは随分と広い空間だった。どうやらいくつかの部屋の壁をくり抜いて無理矢理繋げて一つの広間にしたらしい。

 おままごと、けん玉、ジグソーパズル……部屋のあちこちで子供たちが思い思いに遊んでいる。一気に騒がしくなった世界をサオリが目を丸くして見渡していると、少し離れた所で絵本の読み聞かせをしている管理人の少女と目が合う。彼女は子供たちに引っ付かれているサオリに驚いたような顔を作ると、小さく笑って頭を下げた。『よろしくお願いします』ということなのだろう。

 頷いて部屋の空いている所に座った。

 すると、最初の方に「肌きれい」とサオリを褒めた少女が輪っかになった紐を持って来た。リリナの言った通りあやとりを始めるのだろう。彼女は「えっとねー、えっとねー」呟きながら手元で紐を弄ると、しばらくして「はいー」とのんびりした声で完成したものを見せてきた。微笑ましく思いながらそれを見たサオリは、瞠目した。

 

 

「モンブランー」

 

「!?ど、どうなっているんだそれは…?」

 

 

 それは見事なモンブランケーキだった。

 特有の形は勿論、上に乗ったマロンや陰影まで再現されている。あやとりと言うよりは最早イラストに近い完成度。おおよそ人間技とは思えない。サオリが驚愕していると、リリナが頬を膨らませる。

 

 

「あー!ナナちゃんずるい〜!私もやるっ!えーっと……はい、ボルメ⚪︎ウス・ホワイト・ドラゴン!」

 

「!?」

 

 

 少女の手の中に龍がいた。

 逞しく地面を掴み、威厳あふれる姿で吠える白い龍。

 たった一つの紐だけで、文字通り編み出されたそれは、確かな生命の息吹を携えてこのキヴォトスに顕現していた。

 ───さすがにおかしいだろう、これは。

 頬を引き攣らせるサオリに構うことなく、少女たちはお気に入りの技を見せてくる。

 

「グランドピアノ!」「風神雷神図屏風ー」「えなじーどりんく」「り、リオ⚪︎ウス…」「百鬼夜行の校章!」「アレクサンドラトリバネアゲハー」「もなりざ」「つい、エックスのアイコン…」

 

 達人技というか、そのままの意味で次元が違う作品の数々にサオリの中であやとりの概念が音を立てて崩れていく。アツコに頑張って教えて貰った四段はしごが限界であるサオリには理解が及ばない世界だ。もうこの子たちはこれだけで食べていけるのではないだろうか?

 ポカンと口を開けるサオリにリリナが不思議そうに問いかけてくる。

 

 

「どうしたのサオリお姉ちゃん?」

 

「いや……あまりにも、そうあまりにも上手で驚いたんだ」

 

「えへへ〜、そうでしょ?サオリお姉ちゃんにも教えてあげるね」

 

「いっ……いいのか?この孤児院に伝わる秘伝の技だろう…?」

 

「違うよ?お姉様がいろんな子に教えてるもん。仕事の合間に考えたんだって」

 

「化け物か…?」

 

「ど、どうします?サオリお姉さんも、やってみたいですか?」

 

「そ、そうだな。教えてくれたなら嬉しい」

 

 

 子供に付き合った世辞とかではなく、もうシンプルに気になる。どういう理屈でどういう構造なのか是非とも教えてもらいたい。抑えきれない好奇心を胸に、サオリは少女たちからあやとりを学んでいく。

 

 

「こうか?」

 

「違うよー。ここはー、こうー」

 

「…凄いな。本当に翼になった……」

 

「つぎはこうだよ」

 

「あぁなるほど。それで陰影ができるわけか……」

 

「最後はこんな感じ!スッキリするでしょ?」

 

「これは……何らかの論文が発表できるのではないか?」

 

 

 試行錯誤しながら少女たちの絶技を真似ていく。

 最初はある程度遊んだらやめるつもりだったのだが、気づけばサオリは夢中になっていた。

 年下の子供たちと遊び、笑い合い、語り合い、何かを学んでいく。学ぶもののベクトルというか、規模は違うが、それでも普通の遊びを楽しんでいると、サオリの視界に見覚えのある顔が入ってきた。

 マリーだ。

 彼女は扉から入ってきたばかりのようで、周囲を確認すると、サオリたちの姿を見つけて笑顔で駆け寄ってきた。

 

 

「お待たせしました」

 

「いや、私の方こそ悪かったな。勝手に出て行ってしまった」

 

「いえいえ、子供たちに誘われたなら仕方がありませんよ。それに書き置きも残されていましたから」

 

 

 ヒラヒラとサオリが残した髪をつまんで揺らすマリーにこめかみをかくと、サオリは話題を逸らすように問いかける。

 

 

「しかし、シスターマリーは何の用事だったんだ?世話係に呼ばれていたようだが…」

 

「あぁ、それは……」

 

 

 マリーは人差し指を頬に当てて少しだけ悩むような仕草を見せると、ゆっくりと答える。

 

 

「シスターとしての務め…あの方の告解を聞いていました」

 

「告解……懺悔のことか」

 

「はい。過去に後ろ暗い物…『過去の罪』を持つ方が、それを清算するために神の御前で罪を吐き出し、(ゆる)しを(こいねが)う神聖な儀式の一つです」

 

「『赦しの秘蹟』とも呼ばれるシスターの務め…神の代弁者として、罪に見合う罰を言い渡す」

 

「罰とは少し違いますね。その方が正しく在れるよう、道を指し示す行為です」

 

「物は言いようだな。くだらな……いや、違う。すまない。否定するつもりは……」

 

「わかっています。大丈夫ですよ。サクラコ様から聞き及んでおりますから。アリウス自治区のことも、そこでの教育のことも」

 

「…すまない」

 

 

 アリウスで植え付けられたトリニティへの偽りの憎しみ。ベアトリーチェが消えたことで抹消されたと考えていたそれは、ふとした瞬間に顔を出すことがある。

 歪んだ教育が与えた代償。

 呪いとも呼べるそれは、今なおサオリの心を生活もろとも蝕んでいた。

 それを理解しているからこそ、マリーは何も言わない。

 その優しさにサオリが安心していると、リリナが待ちきれないと言わんばかりに話しかけてくる。

 

 

「ねー、あやとりの続きしよう!マリーお姉ちゃんにも教えてあげるね!」

 

「ふふ、お願いしますねリリナさん。サオリさんも一緒に遊びませんか?」

 

「…あぁ、そうだな」

 

 

 マリーの言葉に気を取り直して子供たちの輪の中に戻る。

 幸いというべきか否か、彼女たちはこちらの会話の意味をあまり理解はしていなかったらしい。

 先程と変わらない笑顔で遊んでいる。

 そんな子供たちからあやとりを受け取り「何を作りましょうか?」と微笑んでいるマリーを見て、サオリはふと思い立った。

 

 

「シスターマリー」

 

「どうされましたか、サオリさん?」

 

「リオ⚪︎ウス」

 

「!?!?!?!?!?ど、どどどどどどどどどどうなっているのですかそれは!?!?!?!?」

 

 

 とてもいい反応をしてくれるシスターだった。

 

 

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