浄火の赦し   作:もとりな

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三章 小さな赦し

 

 

 マリーと合流してから一時間ほど遊んだ後、リリナたちは世話係の少女に連れていかれた。どうやらお手伝いの時間らしく、「もっと遊びたーい」と文句を言いながらも素直に部屋から出て行った。ちなみにサオリたちも手伝いを申し出たが、「この子たちのためですから」と断られたことも追記しておく。

 そのまま自室に帰って来た二人。時刻は17:00で、夕食の時間までは二時間ほど余裕があった。

 

 

「むむむ……ここをこう、でしょうか?あ、あぅ…」

 

 

 マリーは子供たちから教えてもらったあやとりの技を中々習得できず、椅子に座って輪状の紐と睨めっこをしていた。今は紐の反逆にあい、手錠をかけられたような姿になっている。

 一方のサオリはベッドに寝転がって目を瞑っていた。寝ているわけでは無い。今日、マリーから聞いたことについて考えを巡らせているのだ。

 

 

(告解……過去の罪を神に晒し、赦しを願う行為)

 

 

 過去の罪。

 それはサオリにとっては無視できない言葉だ。

 エデン条約締結を阻む為にアリウススクワッドが成した行い。巡航ミサイルをトリニティに撃ち込み、関係者の悉くを抹殺しようとした。ヘイローを持たない生身の人間に銃口を向け、ヘイローを持つ者にはそれを破壊する爆弾を用意した。

 結局のところ先生は死なず、爆弾も敵を斃すことは無かった。しかしそれは結果論でしかない。一つボタンを掛け違えれば、サオリは、アリウススクワッドは凶悪な殺人犯と成り果てていた。

 

 

(いや、違うな。私は殺人犯そのものだ。大切な者に『殺し方』を教え、正しい大人を撃ち、元の家族すらも殺そうとした)

 

 

 これが殺人犯でなくて何だと言うのだ。

 一つボタンを掛け違えれば、と言ったが、サオリに関してはむしろ逆だ。一つボタンを掛け違えたからこそ今がある。むしろ事が順調に進行していれば、結末はもっと残酷なものになっていただろう。

 だからこそ、これは明確で赦されざる罪だ。

 ベアトリーチェから洗脳を受けていたことなど関係ない。

 あれは、自らの判断で招いた結果だ。

 

 

(告解は過去の罪を精算する行為。ならば、私の罪も告解を行えば消えるのか?)

 

「……ハッ」

 

 

 サオリの口から思わず、という風に乾いた笑いが溢れる。

 ───赦される訳がない。

 大量虐殺の主犯格が何を言うのか。

 マリーはシスターが下す罰を、道を指し示す行為と表現した。サオリが神ならば、こんな罪を犯した人間に示す道は一つしかないだろう。

 

 

「…地獄へ落ちろ」

 

「サオリさん?」

 

「なんでもない。それよりも、あやとりはどうだ?明日にはリリナたちに見せられそうか?」

 

「うっ……」

 

 

 サオリからの問いに呻いて目を逸らすマリー。

 どうやら練習の成果は芳しくないらしい。

 苦笑いしながらベッドから立ち上がり、マリーの対面へと座る。

 …マリーの手は芸術的なまでに雁字搦めになっていた。

 

 

「…これはこれで良い作品かもしれないな」

 

「全然良くないですっ!」

 

「冗談だ」

 

 

 耳をピンと立てて怒るマリーを適当にあしらいながら、あやとりの紐を解いていく。

 そうして紐を弄っている内に、サオリは今日のことを思い出して自然と口元が緩んでいた。

 

 

「それにしても、リリナは自由な子供だな。今日は散々振り回された」

 

「ふふ。随分と嬉しそうな顔で仰るのですね」

 

「……否定はしない。このところ殺伐とした任務ばかりだった。こうして穏やかな時間を過ごすのは久しぶりだ。まぁ穏やかというには些か騒がしくもあるが」

 

「それが子供たちの良いところ、ですよ?」

 

「そうだな。だからこそ……」

 

 

 サオリはマリーの手に絡みついた紐を解き終わると、そのままポケットにしまった。

 

 

「私のような異物はさっさと出て行かなければならない。こんな悪人は……日の当たる所にいてはいけない。私のような、赦されることのない過去を持つ者は」

 

「赦されることのない、過去……」

 

「ああ」

 

 

 サオリがマリーの呟きを肯定すると、室内に沈黙が落ちる。

 マリーは目を伏せて何かを考えているようだった。

 いらない空気を作り出してしまった、とサオリが反省し、話題を変えようとしたところで───

 

 

「サオリさんは、リリナさんがここにいる理由を聞きましたか?」

 

 

 真剣な色を孕んだマリーの言葉に遮られた。

 

 

「…いや、知らないな。お前は知っているのか?」

 

「はい。実は以前ここを訪れた時に、管理人さんから教えていただいたのです」

 

「…そうか。私は知らない方が良いことだろう。どこかで聞くことがあったとしても、忘れるようにする」

 

「いえ。サオリさんは聞くべきだと私は思います。今、そう判断しました」

 

「どういうことだ?」

 

 

 訝しむサオリにも、マリーは真剣な表情と声音を崩さない。

 

 

「リリナさんは…端的に言うと、住んでいた場所を失ってここに来ました。彼女は元々は別の孤児院にいらっしゃって、比較的早期に『一人暮らしが可能だ』と判断されたため、小さな家を与えられたそうです」

 

「その家を、失ったということか?」

 

 

 ここにいる孤児たちは、家に住めなくなったり、世間に触れると多大なストレスを負ってしまうような人物が多い。サオリはその過去を知らないが、どのような状況かは大方予想がつく。だが、住む場所を…家そのものを失う事態というのは想像が及ばなかった。

 混乱するサオリを他所に、マリーは続ける。

 

 

「リリナさんがここに来た理由。それは──」

 

 

 マリーは深呼吸をすると……決定的な一言を告げた。

 

 

「トリニティに落ちた巡航ミサイル。その爆破の範囲内に、彼女の家があったのです」

 

「───」

 

 

 その時。

 サオリの思考を埋めた感情は何だったのだろうか。

 

 

「突如として家を失った彼女は混乱し、悲鳴が飛び交うトリニティを当て所なく彷徨い……いつのまにか、何処かの路地裏にいました」

 

 

 マリーの声が遠い。

 視界が白み出し、動悸が早くなる。

 

 

「その路地裏には大量の紙がばら撒かれていたそうです。おそらく路地裏で何かをしていた人物が、唐突に始まった戦闘に混乱して捨て置いたのでしょうが……それが彼女の運命を決定付けました」

 

 

 ガンガンと激しい耳鳴りがする。

 汗が止まらない。

 サオリの全細胞が、マリーの話を聞きたく無いと拒否している。

 それでも、サオリに聞く以外の選択肢は残されていなかった。

 

 

「その紙が何だったのかはわかりません。しかしその日から、彼女は何者かに、何処かの組織に命を狙われるようになった」

 

 

 あぁ、なんだ。

 結局。

 

 

「そして彼女は倒れている所を管理人さんに保護されました。そして今に至ります。…サオリさん」

 

 

 結局。

 

 

「これが、リリナさんの置かれた状況の全てです」

 

 

 (サオリ)は何処までも赦されない、大罪人だった。

 それだけだった。

 

 

「…………………………そう、か…………」

 

 

 サオリはその一言を絞り出すと立ち上がり、フラフラとベッドに近寄って腰掛けた。

 マリーも、サオリも、何も言わない。

 誰もが沈黙で窒息してしまったかのような、そんな空気で満たされていた。

 サオリの考えはマリーからは読み取れない。

 もはや苦しみすら超えて、呆然としてしまっている少女を見て、胸中に後悔の念が込み上げるのを感じた。

 しかし、手をぐっと握りしめて堪える。白魚のような手が少しだけ赤く染まる。

 

 リリナについての事実が語られてから一分とも一時間ともつかない時が経ち、最初に口を開いたのはマリーだった。

 

 

「この話をするつもりは、本当はありませんでした。貴女とリリナさんとの幸せな時間を壊したくはなかったから」

 

 

 きっと。

 そのまま、何も知らないままでいられたなら、サオリとリリナは今日までと変わらない日々を過ごせたのだろう。

 遊んで、笑って、穏やかに。

 そして別れの日には、お互い惜しみ合いながら、また会おうと抱き合って別れることができたのだろう。

 それは幸せな結末だ。

 世の中には、知らない方が良いこともある。

 知らないまま、そのままで終われた方が良いことも。

 無知が罪であるとは限らない。無知は時として薬になる。幸福を維持するための甘い薬。

 けれどそれは鎮痛剤でしかない。一時的に痛みを和らげるだけの、まやかしのような薬だ。

 だからこそ、マリーは話したのだ。

 それがサオリを傷つけるとわかっていても。

 マリーは感情を抑えつけながら、サオリに優しく語りかける。

 

 

「サオリさん。エデン条約事件の顛末はサクラコ様から聞き及んでいます。だから…この件に関しては、貴女に非はないと、私は考えています」

 

 

 サオリに非はない。

 それはあの事件の真相を知っている者なら誰もがわかるだろう。

 悲劇を生み出したのはただ一人、ベアトリーチェという巨悪だけだ。

 そんなことは誰もがわかっている。

 そして───その事実で納得できるほど、サオリは強くなかった。

 

 

「私に、非がない…だと?」

 

 

 サオリがゆらりとベッドから立ち上がる。

 その瞳には……攻撃的な色が浮かんでいた。

 彼女はマリーに勢いよく近づくと、その胸ぐらを掴みあげる。

 

 

「ぅ……」

 

「そんなわけが…私が、そんなことで納得できると思ったのか?先生を殺しかけたことも、トリニティを壊したことも、リリナの居場所を奪ったことも、全てをベアトリーチェに押し付けて、それで納得できると思ったのか……?」

 

 

 サオリの声が震える。

 行き場のない怒りがマリーという着地点を見つけて、指向性を持って襲いかかる。

 それでも、マリーは目を逸らさない。尋常ならざる殺気をぶつけられても、震えながらサオリと向き合う。

 

 

「そう、ですね…サオリさんは、納得……され、ないでしょうね。貴女は、優しいから……」

 

「───いい加減にしろッ!!私はお前の言うような優しい人間ではない!!そんな物は幻想だ!!お前のお花畑のような脳みそが作り出した巫山戯た幻覚でしかない!!いい加減に目を覚ませ!!」

 

 

 何かを言いかけたマリーの言葉を、サオリの絶叫が遮る。その声は力強いはずなのに、何故か弱々しく聞こえた。帰る場所を無くした犬が小さく吠えているようにしか見えなかった。

 

 ───マリーには……それが堪らなく辛かった。

 首元に走る痛みと酸欠に耐えながら、怒りに苦しむサオリの頬に手を当てる。

 

 

「悲し、まないで、ください……苦しまないで……そ、そんなことを言わせるために、貴女に事実を伝え、たわけでは、ないの、ですから……」

 

「なら何のために……!もういい……っ」

 

 

 激情を露わにしていたサオリは、今の状況に気づいて手を離した。マリーが尻餅をつき、咳き込む。その光景が、やけにハッキリと映り込んできて……

 

 ───また、傷つけたな。

 

 

「あ……」

 

 

 鮮明に聞こえた誰かの声。

 その誰かが、サオリの罪をまた一つ積み上げているような幻覚が見えて───

 

 

「っ!」

 

 

 サオリは部屋を飛び出そうとした。

 けれど、出来なかった。

 扉の前に誰かがいたから。

 サオリよりも随分小さい背丈の少女──リリナは、不思議そうな顔でサオリを見上げている。

 

 

「サオリお姉ちゃん?」

 

「あ……」

 

 

 会いたくなかった。このまま、出会うことなく消えてしまいたかった。けれど、残酷な神はそれすら許してくれなくて。

 

 

「泣いてるの?大丈夫だよ。怖くないよ──」

 

 

 心配そうにサオリを見つめるリリナは、サオリの顔の何かに手を伸ばそうとして……

 

 

「───触れるな!!」

 

「いたっ」

 

 

 振り払ってしまった。

 優しさを、跳ね除けてしまった。

 目の前の少女の大切な何かが穢れてしまうような気がして。

 だから、だから。

 

 また、この子を傷つけてしまった。

 

 

「……っ!」

 

「お姉ちゃん!?待って!」

 

 

 静止の声も聞かずにサオリは駆け出す。

 もうこの場所に、一秒たりともいたくはなかった。

 

 

〜〜〜

 

 

「大丈夫ですか、シスターマリー?」

 

「ありがとうございます。それと、サオリさんのことですが……」

 

「私は、子供達を傷つける存在を許すことはできません。それがこの孤児院を設立した理由であり、私の信念ですから。例え誰であろうと、私は彼女たちを傷つける者に罰を与える。だから………」

 

「………」

 

「───私は、決断しなければならないのです」

 

 

〜〜〜

 

 

 時刻は夕暮れ。

 ブラックマーケットは珍しく静寂に包まれていた。

 ボロボロの道路や枯れた街路樹は、今のサオリの心をそのまま表しているようだった。

 そんな草臥れた街の路地裏で、サオリは座り込んでいた。

 その濁った瞳には、何も映ってはいなかった。

 ひび割れた唇から言葉が漏れる。

 

 

「罪を重ねるだけ重ねて…また逃げたか」

 

 

 あの時と同じだ。

 仕方がないと諦めて、逃げた先で同じ人間を、別の誰かを際限なく傷つける。

 やはり、何も変わってなどいなかった。

 錠前サオリは、他人に救われても、奇跡を見ても、本質が変わることのない根っからの屑。

 このブラックマーケットと同じだ。

 そんな人間が、あんな暖かい空間にいていいはずがなかった。

 

 なぜもっとあの場所にいたいと欲張ったのだろう。

 どうして受け入れられると思い込んだのだろう。

 何を勘違いしていたのだろう。

 

 強すぎる光に灼かれて、絆されて、自分を上手く客観視できていなかった。

 最悪の罪人は、どれだけ罪を清算しようとしても、決して出来ない。

 なにせ赦された気になって、無自覚に罪を重ねていくのだから。

 

 

(なんて、タチが悪い)

 

 

 心の中でそう吐き捨てた時、ふとある記憶が蘇った。

 

 

"それなら、サオリは今後…いい先生になれるかもしれないね"

 

 

 いつかの、誰かの言葉。

 そんな未来も良いかもしれないと、少しだけ思わせてくれた言葉。

 自嘲が漏れる。

 

 

(やはり、私には無理だろうな。間違いばかりを重ねて、反省することもない私には、きっと)

 

 

 自己嫌悪でぐちゃぐちゃになった心を他人事のように傍観していると……いつのまにか自分が複数の気配に取り囲まれていることに気がついた。

 敵襲かと思ったが、路地の奥から近づいてくる影に気づいて、それが勘違いだと悟る。いや、勘違いではないのかもしれない。

 夕暮れの路地にカツンと足音を響かせて影が……管理人と呼ばれた少女が近づいてくる。手には丁寧に手入れされたハンドガンが握られていた。

 そして、その瞳と表情は、どこまでも冷め切っていた。

 そんな彼女を見て、サオリは乾いた笑み作った。

 

 

「…私を始末しに来たか?子供を傷つける悪を、葬りに」

 

 

 彼女たちは、強い善だ。

 大切な者たちが傷つけられることを良しとせず、諦めず、迷うことなく行動できる。

 サオリのような弱い小悪党とは真逆の存在。

 真逆の存在だからこそ、ここに現れたのだろう。

 大切な誰かを傷つけた悪を、大切な誰かが傷ついた原因を作った悪を罰しに。

 

 ───彼女たちの方が余程神に近い。

 

 そんな益体もない思考が脳裏を過った。

 サオリの擦り切れたかのような言葉には返答をせず、管理人の少女は淡々と声を発する。

 

 

「サオリさん。貴女はリリナを傷つける元凶となり……そして、今しがたも同様に傷つけた。それは間違いありませんね?」

 

「ああ、お前の言う通りだ。言い訳の余地もない」

 

 

 サオリの肯定にも、管理人の少女は一切表情を変えない。前髪の下から覗く瞳にも、何の感情も浮かんでいないように思えた。

 

 

「私たちは、アドレスケレ孤児院を……いえ。罪無き子供たちを守る存在。ただそれだけのために生きる存在です。あの子たちの笑顔のためなら躊躇いなくこの身を差し出せると断言できます。だからこそ、私たちは彼女たちを脅かす存在を放置してはおけない」

 

「そうだろうな。だからこうして私を罰しに──」

 

「しかし」

 

 

 少女は結論を出そうとしたサオリの言葉を遮ると……ようやく表情を変えた。

 その顔は怒りではなく、かと言って殺意でもなく──まるで、手のかかる子供を叱りつける時の母のような、そんな温もりを感じさせる表情だった。

 あまりに場違いな雰囲気に呆気に取られるサオリに構うことなく管理人の少女は口を開いた。

 

 

「貴女を許すかどうかを決めるのは、私たちではありません」

 

 

 そうして、遠慮気味に彼女の背後から出てきたのは───

 

 

「…リリナ」

 

「サオリ…お姉ちゃん」

 

 

 今一番会いたくない存在だった。

 過去にも傷つけて、今も傷つけて。

 そんな彼女にどんな顔をすれば良いのかわからず、サオリは目を逸らす。

 だが、リリナはそんなことお構いなしにサオリの正面に来ると、しゃがんで座り込む彼女と目を合わせる。

 そして、いつもより優しい、赤子をあやすかのような声音で語りかける。

 

 

「あのね、サオリお姉ちゃん。私、サオリお姉ちゃんがどうして怒ったのかも、どうしてそんなに悲しくなってるのかもわからないの」

 

「…何も、聞かされていないのか?」

 

「うん。サオリお姉ちゃんに聞かないとダメって、お姉ちゃんたちが言ってたの」

 

「……はっ、そうか………」

 

 

 確かにそれは有効な罰だ。

 サオリを未だに『遊びに付き合ってくれる面白いお姉ちゃん』と認識しているリリナに真実を……サオリが『自らの居場所と幸せを奪った犯罪者』なのだという残酷な真実をサオリ自らの口から語らないといけないのだから。

 そして、リリナの口からハッキリと、サオリ自身を否定されなければならないのだから。

 

 

(だが……これで、少しでも罪を贖えるなら……)

 

「リリナ……私の話を、聞いてくれるか?」

 

 

 そして、サオリは話し出した。

 

 ──巡航ミサイルをトリニティに撃ち込んだこと。

 ──複製(ミメシス)を使って多くの人を傷つけたこと。

 ──優しい人間を殺そうとしたこと。

 ──リリナの全てを奪ったこと。

 

 全てを包み隠さず話した。

 もう逃げようとする気力も、隠そうとする意思も残っていなかったから。

 ただの抜け殻になってしまったかのように、無感情に語り出す。

 そして───

 

 

「すまなかった」

 

 

 謝罪をした。

 赦されないとわかっていても、それでも。

 サオリ自身がそうしたかったから。

 彼女の、最後の我儘だった。

 

 

「……そっか。サオリお姉ちゃんが、私のお家を壊しちゃったんだ」

 

「そうだ」

 

「………そっか」

 

 

 夕陽が眩しくて、サオリには俯いたリリナの表情が見えない。

 けれど怒っているのは理解できたし、赦されないこともわかっていた。

 だから、諦めたようにジッと彼女の言葉を待つ。

 しばらくの沈黙の後、リリナは口を開いた。

 

 

「リリナのお家はね、昔の院長先生が『お洗濯もお料理も頑張ったから』ってプレゼントしてくたの。お友達もいっぱい呼んで、パーティもたくさんやったんだ」

 

 

 それは、リリナの大切な思い出だった。

 昔、彼女の命が狙われることもなく、ただの少女だった時の思い出。

 

 

「お友達とのお写真も、プレゼントも、たくさんあったの。でも、全部なくなっちゃった。パッて明るくなって、起きたらなくなってたんだ」

 

 

 大切な思い出は、突然奪われた。

 理不尽な簒奪者が、リリナの全てを持ち去った。

 ……その簒奪者は、目の前にいる。

 

 

「それから、怖い大人の人に追いかけられて、疲れちゃって、お姉様にお手てを繋がれて……いっぱい、いっぱい怖かった。初めて会う子たちも、シスターさんも、本当はいっぱい怖かったの。それからね、お姉様にいろんなことを教えてもらったの。悪い人に、私の大切が持っていかれちゃったってことも」

 

 

 そして、その悪い人に彼女は対面した。

 自らの全てを奪った人に。

 だから。

 

 

「だからね……お姉様に、教えてもらったからね」

 

 

 だから。

 

 

「──私は、サオリお姉ちゃんを赦します」

 

 

 どうしてそんなに笑顔でいられるのか、わからなかった。

 

 

「……は」

 

「お姉様が教えてくれたの。悪い人はやっつけないといけないけど、『ごめんね』ってされたら『いいよ』ってするのも大切なんだって」

 

 

 それは、孤児院の中で少女が学んだ常識だった。

 一度は悪い人を赦せなくなったリリナに、強い善人が教えた魔法だった。

 

 

「『いいよ』って言うのは、赦すのは、私が自由に決めて良いって。赦さなくても良いって教わったの。だから、私は赦します。ちょっと怒ってるけど、でも赦します。優しいお姉ちゃんが、『ごめんね』ってしてくれたから」

 

 

 ニコリと笑うリリナに、サオリは掠れた吐息を漏らすことしかできなかった。

 悪いことはいけない。

 悪いことをやったらお仕置きしなきゃいけない。

 けれど、誠意のこもった謝罪は受け入れて、検討して、そして結論を出すべき。

 それは子供の頃から誰もが習った当たり前で、子供だからこそ実践できる理論だった。

 呆然とするサオリに、管理人の少女が溜息を吐いた。

 

 

「ということです。リリナが赦したのであれば、私たちから申し上げることは何もありません。強いて言うのであれば……早く戻りましょう、と。そのくらいです」

 

「ま、待ってくれ」

 

「どうしましたか、サオリさん。子供たちがお腹を空かせているのですよ?」

 

 

 サオリに呼び止められて、管理人の少女は困ったようにお説教する。その態度がどうにももどかしくて、サオリはもごもごと口を動かして、何とか喋り出す。

 

 

「それは、ダメだろう」

 

「何がダメなのですか?」

 

「わ、私のやったことは赦されないことで」

 

「リリナは既に赦しましたよ」

 

「だが、しかし……」

 

 

 未だに煮えきれない態度を取るサオリに、管理人の少女は再度溜め息を吐くと……小さく笑った。

 そして、リリナの頭にポンと手を乗せる。

 

 

「リリナ。あの頑固なお姉ちゃんを連れてきてください」

 

 

 お姉様からの指示にリリナは、花が咲くような笑みを浮かべた。そして「うん!」と頷くと、サオリに駆け寄って手を伸ばす。

 

 

「行こう、サオリお姉ちゃん。カレー冷めちゃうよ?」

 

 

 夕暮れに輝く少女の笑顔はどこまでも眩しくて。

 

 サオリは、惹かれるようにその手を掴んだ。

 

 

〜〜〜

 

 

 

「おかえりなさい、サオリさん」

 

 

 孤児院の食堂に入ると、昼間と同じ席に柔和な笑みのマリーが座っていた。

 その姿に何故か力が抜けてしまって、サオリは彼女の対面にドカッと腰を下ろした。そしてサオリの隣に椅子を近くから引いてきたリリナがちょこんと座る。今日はサオリと一緒に食事をするらしい。ちなみに管理人の少女はマリーの隣だ。

 サオリは牛肉がたっぷり入ったカレーに一度視線を落とすと、珍しく不貞腐れたようにマリーを睨め付けた。

 

 

「どこまで計算していた?」

 

「計算…だなんて大それた物ではありませんよ。ただ私は、リリナさんであればサオリさんを許すだろうと、そう信じただけです」

 

「うん!私、サオリお姉ちゃんのこと許したよ!」

 

「シスターマリーの見立ては当たっていた、ということですね」

 

「そうか。信じた、か……」

 

 

 サオリは噛み締めるようにそう呟くと……マリーに頭を下げた。

 

 

「すまない。お前にも迷惑をかけた」

 

「赦します。優しいサオリさんが謝ってくださいましたから」

 

「…お前は本当にあの場所にいなかったのか?」

 

「は、はい…管理人さんに止められたので、ずっとここで待機しておりました」

 

 

 訝しむように問いかけるサオリに、マリーが不思議そうに目をぱちくりとさせる。どうやら本当にいなかったらしい。

 二人のやり取りを見てクスクスと笑っていた管理人の少女だったが、コホンと咳払いをすると立ち上がり、食堂にいる全ての人々に語りかける。

 

 

「まずは食事の時間に遅れたことを謝罪致します。喋りたいことは多くありますが───」

 

 

 管理人の少女はそこで言葉を一旦区切ると、チラリとサオリの方を見る。

 バツが悪くなって目を逸らすサオリ。

 一瞬の攻防に吹き出すマリー。

 よくわかってないリリナ。

 

 

「…まぁこれ以上待たせてもいけませんね。さて、それでは今日も食材を用意してくださった方々、そして食材そのものの命に感謝を忘れないように食事をしましょう。では、手を合わせてください」

 

 

 管理人の少女の言葉に全員が一斉に手を合わせる。

 マリーも、もちろんサオリもだ。

 

 

「───いただきます」

 

『いただきます!』

 

 

 食堂中に感謝の声が響き渡り、食事が始まった。

 管理人の少女はカレーを夢中でかき込む少女たちを見て嬉しげに頷くと、ゆっくりと席に着いた。そしてサオリを見て微笑む。

 

 

「この挨拶にも慣れましたか?」

 

「まだ片手で数えるほどしか経験していないから、慣れたとは言えないな。だが、まぁ…悪くはない」

 

「それならば良かったです」

 

「サオリお姉ちゃんのいただきます、好きだよ!」

 

「そうか……ありがとう」

 

 

 管理人の少女はリリナとサオリのやり取りに頷くと、真剣な表情を作った。雰囲気が変わった彼女に、サオリとマリーの背筋も伸びた。

 

 

「えっと、どうされたのですか?」

 

「お二人とも。それからリリナも。私の考えを聞いていただきたいのです」

 

「リリナは良いよ!」

 

「私も構いませんよ。お役に立てると良いのですが」

 

「私は……良いのか?ここに来て日が浅いが……」

 

「大丈夫です。むしろその視点で意見をいただきたいのです」

 

「……わかった。できる限りの努力はしよう」

 

 

 全員の了承を得た管理人の少女は、確かな決意を持って話出す。

 

 

「ここアドレスケレ孤児院は……ヴァルキューレとの協力体制を築こうと考えております」

 

 

 それは、今までの孤児院の姿勢を崩すような決断だった。

 少女の宣言に三人は文字通り三者三様の反応を見せる。

 

 

「そ、それはまた……急、ですね?」

 

「……」

 

「???」

 

 

 マリーは不思議そうな、サオリは何かを察したような、リリナは……やはりよくわかっていないようだった。

 

 

「先に説明した通り、このアドレスケレ孤児院は子供たちに負担を強いないよう、ヴァルキューレからの干渉を避けてきました」

 

 

 比較的デリケートかつ危険な場所であるブラックマーケットに孤児院を建設したのはそのためだった。

 そうまでして守ってきた孤児院のスタンス。しかし、今代の管理人はそれを破る決断をした。その理由は──

 

 

「限界が来たか」

 

「その通りです」

 

「限界、ですか?」

 

 

 サオリの答えに苦虫を噛み潰したような顔で頷く管理人の少女。マリーはよくわからず首を傾げている。

 

 

「…ここで暮らしている子供の中には、悪人たちにとって弁慶の泣き所のような立ち位置の者もいる」

 

「だから管理人さんたちが、その…守ってきたのですよね?物理的に」

 

「はい。子供たちの目につかないよう、内密に、気づかれる前に撃退しておりました」

 

「お姉様たち、悪い人と戦ってたんだ…」

 

 

 管理人の少女の言葉にリリナが目を丸くしている。どうやら本当に気づかれていなかったようだ。子供たちにストレスを与えないためなのだろうが……大した手腕だ、とサオリは内心で感心する。そして、それを敢えてリリナがいるこの場で明かしたのは、そういうことなのだろう。

 

 

「ですがそれにも限界が来ました。いえ、むしろ今までよく持ったというべきでしょうか……」

 

「それは……」

 

「シスターマリー。『動かぬ証拠』というのは、犯罪者たちにとっては死活問題だ。それこそ、強引にでも奪おうとするくらいにはな」

 

 

 不安そうな表情を作るマリーにサオリが答える。

 犯罪者は当然ながら自らの罪が露呈することを嫌う。当然だ。それが明るみに出たならば人生が終わるのだから。だからこそ、可能性の芽は容赦なく潰す。

 

 

「今までは子供たちの情報を隠したり、襲撃してきた方々と()()()()をすることで解決してきましたが…」

 

「しつこい連中がいるのか」

 

「しつこいだけなら良かったのですが……ある程度の戦力があり、統率が取れているから厄介なのです」

 

 

 「はぁ」と溜め息を吐く管理人の少女。珍しく眉間に皺を寄せていた。その言葉にサオリが驚いたように眉を上げる。

 

 

「戦力に、統率…相手は企業か何かか?確かにそれならば孤児院の戦力で相手取るのは厳しいものがあるな」

 

「襲撃してきた相手は逃げ足が早く、実は敵がどんな組織かもわかっていないのです。そのような『敵対したなら勝てない相手』は、マークして情報を少しも流さないようにしてきたのですが、流石に限界だったようです」

 

「そういう輩は情報戦に優れる。お前の言う通り、今まで良くもったと褒めるべきだろう」

 

 

 素直に褒めるサオリ。しかしマリーは未だに不安そうな顔を崩さない。

 

 

「それは……かなり危うい状況なのでは?」

 

「だからヴァルキューレに協力を仰ごうと考えたのです。この案自体は以前から出ていましたが、子供たちにストレスを与えてしまう危険性を無視できず、実現はしませんでした。脛に傷がある者であれば武力で追い返せば良いのですが、ヴァルキューレ相手ではそうも行きませんからね」

 

 

 ここはブラックマーケットだ。

 抗争を起こしたり、厄介な存在を攻撃したりしても黙認される。要するにパワーによるゴリ押しが通用したのだ。しかし、それがヴァルキューレのような公的機関であればそうも行かない。ヴァルキューレから勧告されれば孤児院側としては引き下がるしかない。そうした事態を避けるために、デリケートな場所であるここを拠点としていた。

 

 

「だが、ついには悪人側にも武力が通用しない連中が現れた。そしてその二つであれば、ヴァルキューレの方が幾らマシだと判断したということか」

 

「そういうことです。そしてその試金石として今回の件を利用しました」

 

「…やはり、最初から私の過去について知っていたか」

 

「最初は警戒していたのですよ?しかし、聞いていた話と違い、優しくて繊細な方だったので驚いてしまいました。あんなに早く子供たちと打ち解けるなんて思いもしませんでしたよ」

 

「私は別に──」

 

 

 意外だったと驚いてみせる管理人の少女にサオリが苦言を呈そうとするが───

 

 

「うん!サオリお姉ちゃんはとっても優しいよ!」

 

「……」

 

「ふふ」

 

 

 リリナの真っ直ぐな言葉に毒気を抜かれて黙り込んでしまう。

 何がおかしいのか、マリーはその様子を見て慈しむような笑みを浮かべていた。

 

 

「ですので……マリーさん、サオリさん、リリナさん。申し訳ありませんでした。私はこの決断をするために、二人のことを利用したのです。この施設を預かる者として相応しくない行為。どれだけ謝罪をしても足りないでしょう」

 

 

 優しげな表情を作っていた管理人の少女だったが、不意に悲しげな表情を作ると、この場にいる三人に深く頭を下げた。

 裏の事情を知っていた管理人の少女は、マリーが諭す前に、リリナが悲しむ前に、そしてサオリが傷つく前にこの事態を丸く収めることが出来ただろう。しかし、そうはしなかった。それは彼女、ひいてはアドレスケレ孤児院のポリシーに反することだ。リリナに不要なストレスを与えているのだから。それでも放置したのは……

 

 

「なるほど。試金石とはそういうことか」

 

「…私は、私たちは不安だった。この子たちが『過去』に押し潰されてしまわないか。しかしもはや公的機関の協力が無ければこの子たちを守るのは不可能。だから私は試したのです。この子たちが、過去に負けない強さを持っているか」

 

 

 管理人の少女の真剣な声に誰も声を出せない。リリナはよくわかっていないようだが、それでもいつもは見れない管理人の少女の姿に驚くように瞬きをしていた。

 ヴァルキューレに援助を要求すれば、子供たちが犯罪や事件を解決するための協力を求められることは明らか。そうなれば、子供たちは辛い過去を思い出して苦しむかもしれない。けれど、過去に打ち勝って、傷つかない強い心を見せてくれるかもしれない。だからこそ、試した。リリナがサオリのことを知るのを認め、マリーがサオリにリリナのことを伝えるのを放置した。

 そして、その結果は……

 

 

「この子は、過去に打ち勝った。いえ、それだけではありません。過去を受け入れ、奪った者を許した」

 

「……」

 

「この子は……リリナは、強かった。私たちが心配しなくとも良いくらいに」

 

 

 きっとリリナだけではない。この孤児院で学び育った彼女たちならば、きっとリリナと同じ道を歩むことができる。

 それならば、もう躊躇うことは無い。

 

 

「ありがとうございます、御三方。皆様のおかけで、私たちは決断することができた。そして、申し訳ありませんでした」

 

「私は奪った側だ。お前の決断を否定する権利は無い。加えて……その選択が悪いものではないと理解もできる」

 

「お気になさらないでください。貴女の決断に力を貸すことができて、私は嬉しいです」

 

「うーん?わかんないけど、いいよ!お姉様、私のこといっぱい助けてくれたから!」

 

 

 罪を認め、告解し、他者から許しを貰う。

 大仰な言い方だが……リリナ風に言うなら「『ごめんなさい』をして『いいよ』と言う」と、それだけの話だ。

 簡単だが、難しい。

 『どうせ赦されるわけがない』という諦めや、『何を今更』という罪悪感は咎人を縛り、大切な一歩を踏み出す邪魔をする。

 けれど、その鎖を振り払うことができたなら、きっと誰にだって出来ることなのだ。

 わだかまりがあった少女たちが笑顔で食卓を囲むこの光景が、それを何よりも証明していた。

 

 

〜〜〜

 

 

 『赦す』。

 他者の罪を責めないこと。例えその人の行いが悪だとしても、それでも過ちの責任を問うことはなく、その抱える罪を『ゆるす』ということ。この言葉は、例えばそう。シスターが告解を行う際などに用いられる。

 

 リリナがサオリに齎したのは、確かに『赦し』だった。また、同時にサオリを思い遣った結果の『(ゆる)し』でもあったはずだ。

 どちらにせよ、過去ではなく今のサオリを受け入れた彼女に、サオリの心は少し救われた。

 それがサオリを赦さないと恨む多くの感情の一つがなくなったにすぎないとしても、それでも確かに心が軽くなった。影を照らす光となった。

 

 そして。

 他者から赦しを、光を貰うことは……まだ簡単だ。

 罪を認め、告解し、他者から赦しを貰う。

 ()()()()()良いのだから。

 

 ───リリナと和解して、それでもサオリの心に残る『しこり』は。

 彼女が心の奥底で憎むソレは。

 

 錠前サオリという少女が、今なお苦しみ続ける理由の正体そのものであった。

 

 

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