浄火の赦し   作:もとりな

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五章 浄火の告解

 

 

 炎が逆巻いて、全てを呑み込もうとしていた。

 その運命に従うように、あやとりの紐が、けん玉が、絵本が。

 全てを失った炭と灰になって失われていく。

 だが、そんな業火の中心で、未だ炎に抗う影があった。

 

 影の一つは、茫然として目の前で佇むもう一つの影を眺めている。

 佇む影は、手を組み合わせてただ祈るように、座り込む影の言葉を待っていた。

 

 そして座り込む影──サオリは、ハッと意識を戻すと、震える声で佇む影──シスターマリーに問いかける。

 

 

「な、にを……言っている?」

 

「汝の罪を告げなさいと、そう言いました」

 

「ち、ちがう。そうではなく、そんなことを言ってる場合では……」

 

「私は…罪を告げよと、そう言ったのです」

 

 

 動揺するサオリの言葉を、シスターマリーは冷たくあしらう。その態度に、サオリは思わず頭に血が昇ってしまった。立ち上がり、声を荒げてマリーに詰め寄る。

 

 

「巫山戯ているのか!?こんな状況で……罪、罪だと?懺悔のつもりか?そんなことをしている場合ではないだろう!?」

 

「では、私と共にここから出て行ってくれるのですか?」

 

「それは……で、できない…」

 

「何故ですか?」

 

「……私はいない方がいいんだ。それに、私の力はお前たちには必要ない」

 

「そんなことはありません。この場にいる者たちは、汝の力を欲しています」

 

「お前たちは!」

 

 

 断言するマリーにサオリが叫ぶ。

 反射的に怒鳴ってしまった彼女は、ハッと我に帰ってマリーから目を逸らして唇を噛み締める。

 

 

「……お前たちは、わかっていないんだ。私がどのような人間で、どのような存在なのか」

 

「では、教えてください」

 

「……何をだ」

 

「汝が思う汝を。……サオリさん自身が、貴女自身のことをどう思っているのかを」

 

 

 マリーが少しだけ少女としての顔を覗かせる。抑揚を抑えて問いかける彼女の声に、サオリは狼狽える。迫る火の手も、肌を焦がす熱も、もはや視界に入っていなかった。彼女の世界にあるのは、どこまでも透明なマリーの瞳だけだった。

 強い意志に押されるかのように、サオリは目を逸らしたまま話し出す。

 

 

「私は無価値で……疫病神だからだ。そんな私にここから出て行ってのうのうと暮らす権利など無い」

 

 

 酷く後ろ向きな言葉だ。幹部に追い詰められ、自分自身の罪に耐えきれなくなり、マリーの金剛石のように硬く砕けない心を真っ直ぐに向けられて、サオリの弱い部分が、波に攫われる砂の城のようにポロポロと落ちてくる。

 取り繕う術もなく全てを話すサオリに、マリーも思う所が無いわけではない。けれど、そんな自身の心配も覆い隠して、あくまで冷静にサオリへと問いかける。

 

 

「無価値、疫病神。汝をそう呼んだ人間は、私の知る限り存在しません。だというのに、どうしてそう思うのですか?」

 

 

 誰もサオリを否定などしていない。

 マリーの知らない彼女の過去にさえ、そのように蔑む人間はいなかった。

 ならば何故サオリは自分のことをここまで蔑むのだろうか。

 問いかけるマリーの声は確かにサオリの心を揺さぶる。シスターとして多くの人の悩みや告解を聞いてきた伊落マリーという少女。彼女の淡々とした、けれど何処か慈しみを感じられる声音に、サオリの奥底で眠っていた、誰にも伝えなかった本心が溢れ出していく。

 

 

「そ、それは…!私の過去が、それを……肯定しているからだ!」

 

 

 サオリが再び叫ぶ。その声には、震えるような音が混じっていた。

 炎が全てを焼き尽くす空間。

 自身の心が折れてしまったこと。

 そして包むようなマリーの声音。

 その全てが波となって押し寄せて、サオリの本音を引き出していく。

 

 ──煤けてしまった藍色の髪を弱々しく揺らす姿に心を痛めるマリーだったが、それでも感情は出さない。今の彼女は、サオリの告解を聞き届けるだけの存在なのだから。

 

 マリーの内の想いを知らぬまま、サオリが目を伏せて、今にも泣き出してしまいそうなまま語り出す。

 

 

「…私はアリウススクワッドの皆に……言ってなかったことがある」

 

 

 それは、リーダーとしての彼女が普段見せることはない、弱々しい……普通の少女としての本音だった。

 サオリの前にいるのがアリウススクワッドだったら、先生だったら内に秘めた声を語ることは無かっただろう。

 言い方は悪いが、会ったばかりで、どう思われても構わないという立場のマリーだったからこそ、彼女は強がることなく本音を話すことができる。

 サオリは、頭に手を当てて、綺麗な髪をくしゃりと掴むと、何処か悔しそうな表情で話出す。

 

 

「勿論、皆を導いて幸せな未来に導いてやりたいと、その思いがあったのは嘘では無い。本当のことだ。本当に……アツコたちの、幸せを願っていた」

 

 

 それはきっと、アリウススクワッドのメンバーなら誰もが理解していたことだ。

 サオリという不器用で、それでもな頼りになるリーダーが何を考えてメンバーを纏めていたのか。

 何を考えてアツコを解法するために頑張ったのか。

 何を考えてヒヨリに食べ物を与えたのか。

 何を考えてミサキの自傷を叱ったのか。

 何を考えてアズサを守ったのか。

 そんなことは、言わなくても伝わっていた。

 

 けれど、それだけじゃない。

 

 錠前サオリという人間がある程度世間を理解した大人であれば、その想いだけで頑張ってこれたのだろう。

 こうはならなかったのだろう。

 そう、彼女はまだ……十七歳の少女でしかないのだ。

 そんな少女が、純粋な自己犠牲だけで立ち上がれるわけがなかった。

 瞳を揺らすサオリは、泣きそうな声で「だが…」と喉から漏らすように喋る。

 

 

「だが……それだけではない。それだけではなかったんだ。私は、私はただ……」

 

 

 サオリは歯を食いしばり、再び瞑目した。

 

 

「私は、みんなに必要とされたかった」

 

 

 それが本音だった。

 十七歳の少女の、普通の少女の、掛け値なしの本音だった。

 皆を幸せにしたいのも本当。

 けど、友達に頼られたいというのも本当だった。

 サオリの中で何かが決壊したように、本音がボロボロと溢れていく。

 

 

「ヒヨリが羨ましかった。いつでも明るくて、空気をやわらかくしてくれて。私もヒヨリのようになりたかった」

 

「ミサキが羨ましかった。ミサキの隣にいるだけで安らいで、私は落ち着けて……温もりがあった。私もミサキのようになりたかった」

 

「アツコが羨ましかった。あんなに怖かったベアトリーチェに堂々と意見できるのが。私もアツコのようになりたかった」

 

「アズサが…とても羨ましかった。私も、自分だけの価値が欲しかった。欲しかったんだ…」

 

 

 ───サオリは、ただ羨ましかった。

 自分には無い輝きを持つ友人たちが、ただ。

 それは「あの子はメイクが上手でいいな」というような、思春期に在りがちな可愛らしい嫉妬のようなものだ。

 けれど……その可愛らしい嫉妬が自らを縛り付ける呪いへと変化した。

 サオリは、一度呼吸を落ち着ける。息を大きく吸い込んで呼吸を整える。そして、ある程度動悸が治った段階で、再び語り出す。

 

 

「それがリーダーになった理由の一つだ。リーダーになれば……皆と同じように、自分にも価値が生まれると思ったんだ」

 

 

 それは、サオリだけに与えられた役割だ。

 サオリだけが所有できるポジションだ。

 皆を幸せな結末に導くと決意した日、サオリは皆と同じような価値が生まれて良かったと安堵した。

 それの何を咎める必要があるというのか。

 サオリはただ、友達と一緒にいたかった。

 友達に必要とされたかっただけだというのに。

 

 

「そして、その『理由』は私を疫病神にした」

 

 

 それなのに……サオリの決断は、取り返しのつかない後悔を生んでしまった。サオリが諦めたように息を吐く。その姿が炎の中で輝いていて、とても綺麗なのに、マリーは一瞬だけ目を伏せてしまった。見てはいけないと、そう感じてしまったのだ。

 そんなマリーの変化にサオリは気づかない。いや、気づいた上で敢えて知らないフリをしているのかもしれなかった。

 

 ──サオリが決断した結果。

 それが『今』だ。

 アツコをベアトリーチェのいいようにされ、トリニティの多くの人を傷つけ、大人を殺しかけ、リリナの全てを奪った。

 当時のサオリがこの未来を知ったなら、きっとリーダーになるだなんて言い出さなかっただろう。

 彼女は静かに目を開く。

 

 

「私はリーダーとして皆を導いた。自身の価値を証明したかったから。……そして多くの人が不幸になった」

 

 

 自らの価値を証明したかった少女は、その手で無価値を証明した。

 その証明のために、サオリの身近な者たちが割を食ってきた。

 ──自分以外がリーダーであればこうはならなかったのだろうか?

 その答えが出ることはない。けれど、今のサオリにはアツコが、他の誰かがリーダーを務め、自分よりも良い結末を導いている姿が容易に想像できてしまった。

 「お前の過去は間違いだらけだ」と、自分自身に突きつけられているような思いだった。

 

 

「昔の私は無知で、愚かだった。その愚かさの代償がこの炎だ」

 

 

 サオリは部屋中を焼き尽くす炎を見渡して、「はっ」と息を漏らすように笑った。既に火の手は目前に迫り、サオリの肌をチリチリと焼いていた。それに不快感を覚えることもない。むしろ、今までの何もかもを清算してくれるような気がして心地よかった。

 そしてマリーに、澄んだ空のような瞳でサオリを見続けるシスターマリーに語る。

 

 

「私の罪を告げろ。お前はそう言ったな。ならば望み通り教えてやろう」

 

 

 サオリは胸中に渦巻く負の感情を吐き出すように僅かに吐息を漏らすと、音も立てずにゆっくりとその場に座り込んだ。そして俯き、自らの罪を告白する。

 

 

「身の丈に合わない価値を求めて、身の丈に合わない役割を担った末路。悪辣極まりない我儘が生んだ過去…そう、過去だ」

 

 

 炎がパチリと弾ける。

 

 

「私の罪は、私の過去の、その全てだ」

 

 

 今までサオリが下してきた決断。

 その全てはどうしようもなく間違いだった。

 

 火事の報告を聞いて孤児院に戻ったのが間違いだった。あの場で幹部を仕留めていれば、全て解決していたかもしれなかった。

 

 孤児院に来たのが間違いだった。あの優しい人たちと出会わなければ、そしてリリナと出会わなければ、きっと今も自分探しと嘯いて目を逸らすことができていたはずだ。

 

 そして、リーダーになったのが間違いだった。大人たちに洗脳されて、利用されて、好き勝手に友人たちを引っ張って、その結果として後悔と反省しか残らなかった。

 

 他に選択肢があったかもしれないというのに、自分(サオリ)は間違いだけを選び続けてきた。

 

 その過去の全て。

 サオリにしかできなかった選択の数々は、その結末に辿り着いて初めて、彼女が間違っていることを教えた。

 

 だから、罪を重ねて、そんな不幸だけを呼びこむサオリが皆の所に行く権利などない。

 疫病神が幸せな者たちに付き纏ってはいけないと。

 それが……彼女の結論だった。

 

 

「……わかりました」

 

 

 ──サオリは全てを吐き出した。

 自らの罪を、サオリ自身がそう思って病まない罪禍の全てを。

 ならばマリーも答えなければならない。

 燃え盛る炎の音も、崩れていく建物の音も、遥か遠くに聞こえる。

 

 サオリの言葉を聞いて、マリーはあることを理解した。

 

 告解というのは、『ゆるしの秘蹟』という別名の通り、罪人の抱える咎をシスターが赦すことで完了する儀式だ。

 だからこそ、マリーはサオリの罪を赦す必要がある。

 サオリの過去の罪を洗い流すために、それを全て赦す。

 それが絶対条件。

 けれど。

 

 サオリ自身が、それで納得するとはマリーには思えなかった。

 

 サオリが抱え込む罪は重い。

 降ろして良いと諭しても、彼女は頑として拒むだろう。

 何よりも、マリーはサオリと出会って日が短い。

 そんなマリーが、『貴女の全ての過去を赦します』などと宣ったところで彼女の心には届かないだろう。

 お前に私のことはわからない。

 そうやって突き放されるだけだろう。

 そう、マリーにサオリの過去はわからない。

 だからその罪の赦し方もわからない。

 シスターとしての彼女が過去のサオリを赦すには、何もかもが足りていなかった。

 

 

「サオリさん」

 

 

 けれど。

 伊落マリーとしての彼女は。

 少しの間でも、サオリと共に過ごしてきた少女としてのマリーは。

 今のサオリを、よく知っていた。

 面倒見が良くて、少しだけ無愛想で、でも実は感情豊かで、誰にでも優しくて、何処か抜けていて、そこが可愛いらしくて、儚くて、とても強い。

 そんな今の錠前サオリを知っていた。

 

 だから、見つかった。

 

 彼女の叫びを聞いて、彼女の罪を聞いて。

 錠前サオリという普通の女の子が、本当に赦しを求めているのは『誰』なのか。

 それがわかった。

 

 荘厳な雰囲気を解き、いつも通りの少女に戻ったマリーに、サオリが困惑するように眉を寄せる。

 その様子が何だか可愛くて、今のサオリの魅力を示しているようで、マリーは思わず微笑んでしまった。

 

 

「貴女の告解、しかと受け止めました。そして、理解しました。錠前サオリさん、貴女は───」

 

 

 サオリは、過去を赦せていない……わけではない。

 過去だけを悔いているのであれば、どれだけ大きな誤ちを犯したとしても、自身が傷つけたと思った人間から許されたならば、それで心は軽くなるはず。

 であれば、彼女はリリナから無垢な許しを受け取った時に救われているはずだ。いや、それよりもずっと前に救われていただろう。きっと彼女の周りには、同じくらいに優しい人たちで溢れているのだから。

 けれど、そうはならなかった。

 彼女は今も蹲り、悲嘆し、何かに苦しんでいる。

 震える姿からは明確な怒りが伝わってくる。

 何かを許せないと、慟哭している。

 それほどに彼女が本当に許せない物。

 いや、()は──

 

 

「貴女は、自分自身が許せないのですね」

 

 

 ──過去が嫌いだったわけではない。

 サオリの過去にも幸せはあった。

 アリウススクワッドと出会い、笑い合い、そして正しい大人に導かれて、確かな自由を得た。

 それはサオリを包む炎すら凌駕するほどに眩しくて鮮烈な記憶だ。サオリの人生の、かけがえのない幸福だ。

 それはサオリ自身の選択の結果。

 彼女が得た、明確に正解だと言える選択。

 だから、サオリは過去の全てを罪だなんて思っていない。

 それは建前……いや、本当に許せない者は何かを掴めていなかったサオリが出した、不正解の解答だ。

 彼女は、大事な人と巡り逢わせてくれた理不尽な運営と、残酷な過去に、それでも感謝すらしていたのだから。

 

 なら、彼女が本当に許せないのは。

 

 

「自分、自身…?」

 

「はい。貴女が許せないのは、『選択をしてしまった過去』ではない。『選択をしてしまった自分自身』です。違いますか?」

 

 

 火事の報告を聞いて孤児院に戻ったのは?

 紛れもない、『自分自身』の選択だ。

 

 孤児院に居座ったのは?

 他でもない、『自分自身』の判断だ。

 

 リーダーになると決めたのは?

 疑いようのない、『自分自身』の我儘だ。

 

 自分の過去の全ては罪ではない。

 けれど、自分自身の全ては罪そのものだった。

 

 サオリの中に、どうしようもない納得の波が押し寄せてくる。

 その感覚にくすぐられるようにして正面を向いた。

 赤い炎を背にした、蒼い瞳のシスターと目が合う。

 

 

「だから()()自分を許せない。()()自分を許せない。貴女が背負う罪は過去の遺物ではなく、今から未来まで続く責任の一端だから」

 

 

 過去だけを罪悪と感じるなら、それをバネに『今』を間違わないように生きようとしただろう。

 それが出来ないのは、サオリがサオリ自身を信用していないからだ。

 これまで間違いばかりだった自分は、きっとまた同じ誤ちを繰り返すと諦観しているから。

 だから、サオリが許せなかったのは誤ちを犯してきた過去ではなく。

 間違いだった決断だけではなく。

 

 過去から今、そして未来に至るまで、間違いばかりを続ける自分自身。

 それ以外にあり得なかった。

 

 サオリの中で、何かがストンと落ちる音がした。

 

 

「……そうか。わた、しは」

 

「錠前サオリ。自分の行いを悔いて自分そのものを呪った貴女に、今も迷い動けない貴女に、シスターマリーが道を示します」

 

 

 瞠目するサオリにマリーが告げる。

 それは告解を、儀式を終えるための沙汰。

 いつか何処かでサオリが『罰』と呼んだ物を与える言葉。

 自らの犯した罪に苛まれて、雁字搦めになって動けない少女に、シスターとしてのマリーが渡す罰。

 それは、随分とシンプルでわかりやすい、ある意味で当然とも呼べる罰だった。

 

 

「汝、錠前サオリ。自分自身の罪を赦しなさい」

 

 

 ただ、赦せと。

 それだけだった。

 

 

「赦す、か…」

 

「はい。それが貴女にとって最も必要なことなのだと、私は思います」

 

「具体的な方法も教えず、ただ赦せとは。シスターというのは存外いい加減なのだな」

 

「では、サオリさんは納得するのですか?私が身勝手に貴女の罪に罰を与えて、それで赦された気になれと、私がそう言って納得できるのですか?」

 

「……」

 

 

 サオリは口をつぐんだ。

 マリーの言う通りだった。きっとマリーがサオリの罪を精算すると宣って、彼女自身が一人で考えた罰を押し付けた所で、サオリは納得できない。自分自身を赦すことなど、できるはずがない。

 だから……自分で見つけろと、暗に彼女は言っているのだろう。

 サオリがサオリを赦す方法は、サオリにしか見つけることができないと。

 

 マリーの意見に間違いはない。

 サオリは過去を赦せないのではなく、過去から未来までのサオリ自身を赦す事ができなかっただけ。

 そして、自分自身を赦さなければ、この現状は変わることはない。

 全てマリーの言う通りだ。

 そして、言う通りだからこそ。

 

 サオリは周囲を見る。扉も、玩具も、思い出も。溢れる炎は全てを燃やし尽くしている。

 サオリは、静かに溜息を吐いた。

 

 

「私が私を赦す……それは出来ない相談だな、シスターマリー」

 

「……」

 

 

 マリーが下した沙汰に対して、サオリが出した答えは否定だった。

 マリーは何も言わずに、炎に目を細めるサオリの姿を焼き付ける。

 

「お前の意見は理解した。さすがはシスターだな。私が赦すことが出来ないのは私自身……納得せざるを得ない答えだ」

 

 

 反論の余地もないマリーの言葉。

 それをぶつけられても尚、サオリは彼女の願いを否定する。

 理由は一つだ。

 

 

「私が私を赦すには、重ねてきた罪があまりにも多すぎる。遅すぎたんだ、何もかもな」

 

 

 遅かった。

 全てが遅かったのだ。

 友人を羨んだ罪。不相応にも誰かを導こうとした罪。巨悪の言いなりになってしまった罪。多くの人を傷つけてしまった罪。少女の幸せの全てを奪ってしまった罪。幸せを奪われた少女の命を奪おうとした罪。

 罪、罪、罪、罪、罪罪罪罪罪罪罪。

 

 赦すには背負いすぎていた。

 サオリが子供の頃なら、ベアトリーチェの傀儡になる前なら、リリナを傷つける前なら、もしかしたら何とかなっていたのかもしれない。

 けれど、そんな『かもしれない』は存在しない。

 存在しないのだ。

 在るのは今のサオリだけ。抱えきれないほどの悪業を背負ってしまった、罪人としての錠前サオリだけだった。

 そして、背負ってしまった宿痾のような罪の数々を仕方ないと割り切れるほど彼女は強く無かった。

 

 

「だから、そんな私を今更赦すことなんて出来はしない。お前の願いには答えられないな……すまない」

 

「……」

 

 

 自嘲するように笑うサオリに、マリーは目を細める。

 サオリが下した決断。

 自分を赦さない、赦せない。だから、この燃える世界から抜け出すような『甘え』は認められない。そんな諦めというには悲しすぎる選択。彼女の中では、これが今までで最も正しい自ら選んだの選択だと感じていた。

 信じられる大人に導かれて、姫と呼ばれた大切な少女を救い、救われたはずの……いや、救われた気になっていたサオリの心は、自分を突き刺す現実に耐えられなくなっていた。この世界に居てもいいのだと、思えなくなっていた。

 

 

「サオリさんの考えは、想いはわかりました」

 

 

 そんなサオリにマリーは何を言うのだろう。

 新たな道を示すのだろうか。

 共に生きてほしいと泣きつくのだろうか。

 諦めて一人で帰るのだろうか。

 三つ目ならいいな、と空虚な心の中で願いつつ、サオリはマリーを見る。

 

 

「錠前サオリ。私は汝に───」

 

 

 地獄の業火の中で、それでも溶かされることのない神聖を組み合わせた掌の中に握る少女は、

 

 

「それでも、自身を赦せと。汝に告げます」

 

 

 赦さないことを、許さなかった。

 姿勢を変える事なく、一切動じることもないマリーの判断に、サオリの柳眉が上がった。額に汗を浮かべながら、苛立ったようにシスターの少女へと言葉を投げかける。

 

 

「私の話を聞いていなかったのか?」

 

「勿論、聞いておりました。その上で汝に言い渡します。自分を赦せと。自身の罪禍に苦しむなと」

 

「できないと…そう言っている!」

 

 

 頑ななマリーにサオリが叫ぶ。

 

 

「お前は、私のことを知らない!!私が何をやってきたのか、聞いたことしかないから…!」

 

「いいえ、私は知っています。錠前サオリという少女が、他人を思い遣れる心優しい人間であると。そして、自らの罪に苦しみ、それでも贖おうと努力する、強い人間であると」

 

「知らないから!!軽々しくそんなことが言えるんだ!!お前が今日までの数日で見てきた私は全て幻想なんだ!!」

 

「違います。私と…伊落マリーと汝が過ごしてきた日々は確かに存在した。そして伊落マリーが見てきた錠前サオリは、嘘ではない」

 

「ならお前の目が節穴だということだ。他人を見る目がないという、それだけの……!わかったら早くここから出て行け!」

 

「私はこれまで多くの人と向き合ってきました。その経験からの判断は、間違っていないと断言します。汝は哀しく、そして優しい少女です。この状況であっても尚、私の安全を慮ってくれるように」

 

「……っ!私は、弱い!!」

 

「貴女は強い」

 

「誰も救えない、足を引っ張るだけの醜い存在だ!」

 

「これまで多くの人を救ってきた、誰かに優しく手を差し伸べる事ができる方です」

 

 

 サオリは自身の醜さと救い様の無さを主張し、マリーはサオリの優しさと救いたいという想いを口にする。

 売り言葉に買い言葉。

 ああ言えばこう言う。

 正しく子供の喧嘩のような有様だった。

 頑として譲らないという態度を見せるマリーに、サオリが我慢ならないと表情を歪める。息がかかるほどマリーに近寄って、それでも胸倉を掴んだりしないのは、彼女が学びを得ていることの証明に他ならないが……マリーは敢えて何も言わない。

 

 

「いいだろう…!ならば過去の私がどのような存在か聞かせてやる!ベアトリーチェの道具として、不相応なリーダーとして私がしでかしてきたもこと、経験したことを教えれば!お前も諦めて出ていくだろうからな!」

 

 

 いつかと似たセリフ。

 けれどあの時よりもずっと強く、激しく、暴れ狂う感情に逆らう事なく飛び出した言葉。

 真っ直ぐなマリーの瞳と心を向けられて、それでも自らを肯定できないサオリは……瞳の淵に涙さえ浮かべて。

 

 

「私は、私は─────!」

 

 

 自らの罪の、その全てを吐き出す。

 

 

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