浄火の赦し   作:もとりな

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■章 『■■■』

 

 

「………?」

 

 

 サオリは、気がつけば何処かに立っていた。

 頬に感じていた熱と、包むような声はもう聞こえない。

 それを何故か、寂しく思った。

 首も腕も動かせない。

 まるで周囲の闇と同化してしまったかのようだ。

 不自由だ。けれど安心する。

 そんな不思議な感覚に身を委ねていると。

 

 

『サッちゃん、あやとりって知ってる?』

 

 

 懐かしい声が聞こえてきた。

 懐かしくて懐かしくて……涙が溢れてしまいそうになる声が。

 声の方を向きたいけど、体が動かなくてもどかしい。

 声の方に手を伸ばしたいけど、その手が何処にも見当たらない。

 そうやって試行錯誤してると、もう一つ声が聞こえてきた。

 

 

『あやとり?言葉は知ってるけど…』

 

 

 それは、サオリ自身が一番憎んだ声だった。

 いつも欲をかいて、間違った選択をし続ける、大嫌いな声。

 彼女が知るそれよりも幾らか若い声に、サオリの心が乱される……ことは無かった。

 サオリは、この会話を知っていた。

 確か、『姫』と呼ばれた大事な存在と出会って間もない頃。

 こっそりと逢っていた二人の間で交わされた、温かい思い出。

 

 

『えっとね……ここをこうして……』

 

『……?……!?すごい、ハシゴになっちゃった…』

 

『ふふ、凄いでしょ?』

 

 

 驚く声と、揶揄うような声。

 二つの声は、互いの立場も状況も、時間さえも忘れて夢中で楽しんでいた。

 けれど、やがてお別れの時間が来てしまったらしい。

 声たちは、名残惜しむように語り合う。

 

 

『アツコ、また来るから。その時はヨンダンハシゴ?絶対マスターしておくね!』

 

『うん、楽しみに待ってるね。それと……』

 

『?』

 

 

 あまり抑揚が無かった声に……コロリと笑うような気配が乗った。

 

 

『大好きだよ、サッちゃん』

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

『うわぁーーーん!!サオリ姉さぁーーーん!!』

 

『こら、泣いちゃダメだよヒヨリ』

 

 

 また、別の声が聞こえる。

 それはサオリの隣にあった声の中で、一番騒がしくて…一番元気をもらえた声。

 そして、また聞き覚えのある会話だった。

 

 

『でもぉ……せっかく結んでくれたのに……』

 

『髪なんてまた結び直せばいいの!ちょっと貸して!』

 

『はいぃ……』

 

『えーっと……はい、OK。鏡……は無いからそこの水溜り覗いて?』

 

 

 うんうん唸って悩んでいた聞き覚えのある声は、少し弾んだ様子でもう一つの声に笑いかける。

 

 

『あ……これって……』

 

『ヒヨリはたぶんサイドテールが似合うから、そんな感じで結んでみたんだけど……どうかな?』

 

 

 驚く声と緊張する声。

 釣られるようにしてサオリも緊張していると、間もなくして、前者の声が華やぐような雰囲気を見せた。

 

 

『えへへ……前に雑誌で見た『もでる』さんみたいですね……。へへ、サオリ姉さん』

 

『ん?』

 

 

 呼びかけに答えた声に、ヒヨリと呼ばれた声は、

 

 

『ありがとうございます……大好きです』

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

『み、ミサキ…大丈夫?』

 

『平気……サオリ姉さんが頑張ってるんだもん。私も頑張る』

 

『私は狭いところ平気だから、別に頑張ってはいないよ…?』

 

 

 声が聞こえる。

 それはサオリをいつも安堵させてくれる声だった。声の主が生きてると実感する。それだけで十分だと思える声だ。

 二つの声は、ピッタリとくっついているようだった。

 ミサキと呼ばれた声は、震えるようにもう一つの声に話しかける。

 その様子に、サオリは少しだけ笑ってしまった。

 

 

『姉さんは、どうして狭いところ大丈夫なの…?』

 

『う、うーん。単純に体質の問題だと思うけど、強いて言うなら……』

 

 

 困ったように喋る声は、少し言葉を区切ると、その声に喜色を浮かばせる。

 

 

『ミサキが狭いところで怖くなった時に、一番に助けに行けるように……だと思うよ』

 

 

 その真っ直ぐな答えに、わずかに驚くような気配がして。

 

 

『……ありがとう、サオリ姉さん。だ、大好き…』

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

『こんなところにいたのか、アズサ』

 

『サオリ』

 

『明日の作戦は極めて重要だ。すぐに寝ろ』

 

 

 声が聞こえる。

 それはサオリの隣にあったはずの声。力強く羽ばたいて、何処かへと飛んで行ってしまった声だ。

 『すぐに寝ろ』と、そう言いながら……冷たい声は、もう一つの声の隣に腰を下ろした。

 沈黙が落ちた。

 どちらも声は発さない。

 けれど、気配だけは確かに存在していて。

 

 

『アズサ』

 

 

 不意に、一方が声をかける。

 その声は迷うように、一瞬だけ押し黙ると、

 

 

『お前は、お前の正しさに従え』

 

『……わかった』

 

 

 命令とも願いともつかない言葉を漏らす。

 そんな声に静かに、それでもハッキリと頷いた気配を見せたもう一方の声は、『サオリ』と呼ぶと───確かに微笑んだ。

 

 

『サオリに拾われて良かった。ありがとう、大好きだ』

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

『サオリは優しすぎるよ。もう少し自分を労って?』『り、リーダー……私のパン、食べますか?えへへ……日頃の感謝です。リーダーはいつも頑張ってくれてるので……』『リーダー、そんなに過保護にならなくても大丈夫。……けど、ありがとう。一応感謝はしておく』『サオリ、これは何て読むんだ?……なるほど、ありがとう。やはりサオリは優しい』『サオリ、この本一緒に読まない?サオリと勉強するのは楽しいから』『り、リーダーを傷つける敵は、私が全部撃ち抜きますから……えへへ』『…リーダーのそういう所は、まぁ嫌いじゃないけど』『一緒に武器の整備をしよう。サオリがいてくれた方が安心する』『ねぇ、サッちゃん……ふふ、ごめん。反応が可愛いから、つい』『うわぁーーーん!リーダーとお揃いの髪留めですーーー!う、嬉しくて涙が…えへへ』『こっちに来て、リーダー。うん……隣にいてくれるだけでいいから』『ただの風邪だ、大したことは……まったく。サオリは心配性だ。ふふ』

 

『サオリ、助けてくれてありがとう』

 

『えへへ、ありがとうございます…サオリ姉さん』

 

『……ありがと、リーダー』

 

『サオリ、ありがとう』

 

 

 

〜〜〜

 

 

 わかっていた。

 

 本当はずっとわかっていた。

 

 こんな自分に感謝してくれる仲間がいるのだと。

 

 こんな自分を愛してくれる家族がいるのだと。

 

 自分は確かに、誰かに好かれる存在だったのだと。

 

 わかっていた。

 

 けれど、私から見た私はとても醜くて。

 

 到底、赦されないような存在で。

 

 だから……そんな声も、聞こえない振りをしていた。

 

 一度その声に甘えてしまえば、戻れないような気がしたから。

 

 でも。

 

 だけど。

 

 みんなから見た私は、憧れた自分と少しだけ似ていた。

 

 みんなに頼られる、そんな人間だった。

 

 みんなが私をそんな風に見てくれているのなら。

 

 そんな……みんなが好きだと言う自分を、赦してしまっても良いのかもしれない。

 

 私が思う私は無理でも。

 

 大好きなみんなが好きだと言う私なら、肯定できるのかもしれない。

 

 

 

『どうしたの?』

 

 

 

 声が聞こえる。

 

 少し若い自分の声だ。

 

 穢れてしまう前の、ただ純粋だった頃の自分だ。

 

 この純朴な少女は、選択を間違え続けた私がいたから、こんな有様になってしまった。

 

 なら、送る言葉があるはずだ。

 

 なりたかった者になれなかった自分が、何にでもなれる自分へと送る言葉が。

 

 そうだ。

 

 その言葉は、少し前に学んでいる。

 

 無様でも、どうしようもなくても。

 

 闇に溶け込んだ体を震わせるように、あの日の自分へと、今の自分が送らなければいけない言葉を。

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 

 届いたのだろうか、届かなかったのだろうか。

 

 どちらでも良かった。

 

 これは義務で、自己満足なのだから。

 

 だから回答なんて───そう思ったけれど。

 

 実体の無い心が、誰かに抱きしめられたような気がして。

 

 在るはずのない瞳から、涙が溢れて。

 

 私は。

 

 

 

『いいよ』

 

 

 

 確かに、耳元で囁く赦しを聞くことができた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 目を開く。

 視界の中には炎しかなかった。

 周囲は全て赤い光に包まれて、ここが元々どこだったのかさえ定かではない。

 そんな灼熱の中で……サオリは二つの、大きすぎる熱を感じていた。

 

 一つは頬を伝う熱。溢れて止まらないそれは、炎などと比べるのも馬鹿らしいほどの温度でサオリの頬を灼く。

 

 もう一つは誰かの熱。サオリを優しく抱きしめて離さない、少女の熱。

 

 声を、ごうごうと唸る炎の音に負けない真っ直ぐな声を、二つ目の熱がサオリの耳に届ける。

 

 

「汝、錠前サオリ。自分を赦しなさい」

 

 

 それは、幾度となく聞いて、幾度となく否定してきた言葉。

 けれど、今のサオリは、それを正面から否定することはなかった。

 

 

「汝、錠前サオリ。汝の友が愛する汝を赦しなさい」

 

 

 それは、新たに与えられた道。

 今のサオリには、もしかしたら歩めるのかもしれないと思える道。

 

 静かに語りかける熱の声に、サオリは己の罪を告げる。

 

 

「私は、不相応にも家族に必要とされたいと思ってしまった」

「赦します。貴女が守り切った、その絆を以てして」

 

 

 返されたのは赦しの言葉。

 それに対して、サオリが否定を述べることは、もう無い。

 そして淡々と、そして噛み締めるように懺悔する。

 

 

「私は、大人に言われるまま、多くの人々を傷つけてきた」

「赦します。貴女自身を突き刺す、後悔の念を知っているから」

 

 

「私は、最後まで他者に頼り切りだった。自分で掴んだ良い結果など、何もなかった」

「赦します。それでも自身で道を切り拓くことを諦めなかった、その勇気に触れたから」

 

 

「私は、ある少女の全てを奪ってしまった。それに見ない振りをした」

「赦します。ある少女が貴女に送った、確かな赦しに免じて」

 

 

「私は、ある少女を殺そうとした。その少女の全てを奪った身だというのに」

「赦します。その事実に抗おうと燃え上がる、貴女の心を感じているから」

 

 

「私は、私は……自分を赦しても良いのだろうか。こんな罪悪で塗れてしまった私を」

「赦します」

 

 

 熱が、マリーがサオリの体から離れた。

 彼女は涙を流すサオリを見て、優しく微笑むと───右手の指で、優しく雫を拭う。

 そして、告解の終わりを紡ぐ。

 

 

「十分に苦しんだ……そんな貴女の心がわかったから、赦します。もしも、それでも赦せないのなら。共に探しましょう。共に歩みましょう。貴女が、貴女自身を赦せる方法が見つかるまで。そして───」

 

 

 マリーはサオリの涙を拭い、煤けた紺色の髪を整える。自身の髪が乱れていることなど、ベールが殆ど焼け落ちていることなど、気にも溜めない。灼熱の中、マリーは───花が咲くような笑みを浮かべた。

 

 

「この世界のことを、もっと好きになれるまで」

 

 

 そこでマリーは言葉を区切ると、「だから」と言って、まるで迷子の子供にそうするかのように、控えめに手を伸ばす。強引に掴める距離だったが、それでも彼女はサオリに最後の選択を委ねた。

 

 

「行きましょう、サオリさん。貴女を必要とする、全ての人が待つ場所へ」

 

 

 差し伸べられた手を、サオリは見つめる。

 後悔もある。

 今だってこの手を取るべきじゃないと叫ぶ自分がいる。

 マリーの言う通り、自分を赦す方法なんて皆目見当もつかなかった。

 だから。

 

 

「見つけなければならない、か」

 

 

 揺らめくオレンジ色の世界。

 その中心で。

 

 二人の少女は、確かに手を取り合った。

 

 

 

 

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