彼女は自分を
彼女は黒曜石を研磨し作った石器の短剣を使って、太古の戦士の身嗜みを整える。無造作に生えた髭を剃り、腰ほどに伸びた髪の毛を切り揃える。太古の戦士は静かに座ったまま己の身体を慈しみ、己のために尽くすツガイに言い様のない多幸感を感じる。
十数分の手入れを終えると彼女は安堵の息を吐く。この白亜の時代にハサミやカミソリなど便利な品物は存在していない。それゆえに太古の戦士の髭や髪を整えるのは彼女にとって凄まじく神経を削り、
スッキリとした太古の戦士の相貌は凛々しく正に戦士と云った顔付きだ。彼女は優しく彼の頭を胸で包み込むように抱き締めて、どうか今日も無事でありますようにと静かに祈った。
彼女は己の非力さを悔いる、己の軟弱さを嘆く、己の情けなさに歯噛みする。太古の戦士の枷となってしまう自分の存在その物を恨み、彼が無事に未来の時代へと行く日を切に願う。
「ガルォ…」
「るうぅ…」
安心しろ、おれは大丈夫だ。そう伝えるように太古の戦士は彼女を優しく抱き締める。二人の間に日本語や英語など確かな名称のつく言語はない。然れど愛し合う彼らにとって言葉は不要である。お前を、あなたを、愛しているから傍にいる。
ソイツは毛深くデカかった。
突如、太古の戦士の目の前に現れたのは己に迫るほど巨大な己に似た生き物だった。この場に彼女がいれば限り無く猿人と認識するだろう。だが、太古の戦士と猿人擬きは己に似た生き物は不自然すぎるほど。あまりにも理不尽すぎるほどお互いを嫌悪し、こいつを喰らうのではなく倒すためという意思のみで衝突した。
「グガアァァァッ!!」
「グルオォォォッ!!」
お互いの顔を力任せに殴り付ける。太古の戦士も猿人擬きは後ろに仰け反り、身体を引き戻すと勢いを乗せて、また拳を振るう。
轟音、炸裂音、肉を叩く音、二匹の雄は骨肉に響く衝撃に身体を軋ませ、頭蓋を歪ませる程の頭突き、相手をブッ飛ばす事のみを追求した大振りすぎるパンチ、バランスもめちゃくちゃなキック、あらゆる箇所を殴り潰し、あらゆる部位を蹴り砕く。
「グギョッ!?グッ、グゲッ…!」
だんだんと太古の戦士の拳が猿人擬きを貫く比率が増していく。それに反して猿人擬きの動きは鈍り、茶色く全身を覆っていた体毛は真っ赤に変わり、あれほど太古の戦士を殴り蹴った四肢は折れ曲がり、もはや猿人擬きは呼吸するので精一杯だった。
太古の戦士は猿人擬きのパンチで肉が切れ、口内に溜まった血を吐き、打撲傷まみれの身体をゆっくりと起こして、猿人擬きと戦う前に仕留めた恐竜を引きずってツガイの待つ
太古の戦士は猿人擬きの頭を踏み砕く。太古の戦士にとって猿人擬きは様々な意味で恐竜達の様に強敵ではあったけれど。彼にとって猿人擬きは己に似た雄だった。
あの猿人擬きと出会った瞬間、太古の戦士は危惧したのだ。こいつは間違いなく自分のツガイに面倒臭いちょっかいを掛ける。そう感じた太古の戦士は猿人擬きに襲い掛かった。
つまるところ────。
彼はツガイに対して純粋に独占欲を抱き、さながら縄張り争いで自分のツガイを守った恐竜達と同じ様に猿人擬きと戦った。それは太古の戦士にとって、はじめての体験の出来事である。
だが、そこまで悪くない気分だった。
〈猿人擬き〉
猿人原種。
太古の戦士や彼女と同じように何の前触れもなく生まれてしまった猿人の原種らしき生き物である。しかし、太古の戦士のように恐竜を狩りはせず、食い残された肉を盗み、こそこそと食らってきた。