プロ部門はまだまだ先だし、今から始まるのはアマチュア部門なのだからそこまで人はいないだろう。
そう思っていた私達だったが、甘い見積もりをあっさりと上回ってしまう人に目を白黒とさせていた。
「思っていたより人がたくさんいるね」
まふゆの表情筋は今も仕事を放棄しているのだが、声音にはわずかに驚きの感情が含まれているように聞こえる。
瑞希も会場の人の多さに驚いていたのか目を大きく見開いたものの、すぐに固まってしまっている奏のカバーに入る。
「まふゆの言う通り、人が結構いるんだけど……奏、大丈夫そう? 人酔いしてない?」
「い、今のところは大丈夫……」
今のところと奏は言っているが、水面張力で何とかコップから溢れていないだけの水並みに限界が来ているのは一目瞭然。
このまま前の方に進んだら確実に奏の限界が来るだろう。どこか人が少ないところはないものか。
人の波を見渡しながら、会場が比較的に見えやすくて人が少なそうなところを探す。
きょろきょろと視線を彷徨わせていると、丁度いいところに空きを見つけた。
「今は平気でも、ずっと人混みの中にいるのは辛いでしょ。ほら、あの木の辺りとかならそこまで人もいないし、移動しない?」
「ステージも見えるし、いいんじゃない?」
「ボクも賛成。奏がバテちゃう前に移動して、あの辺りで聴こっか」
私の言葉に何故か真っ先にまふゆが反応し、瑞希が先頭に立って人混みを掻き分けていく。
猫のように間を抜けて道を作ってくれる瑞希のお陰で、私達は少ない苦労で目的の場所に辿り着いた。
「よーし、到着~。みんなー、いるー?」
「いなかったら怖いんだけど」
「……もしかしたら1人増えてるかも」
「もう、まふゆも冗談を言わないでよっ。増えてても怖いから!」
どうしてこうも人を脅かすのが好きな人ばかりいるのか、不思議だ。
自分が振り回される状態に辟易していると、いち早く揶揄うのをやめた瑞希がバッグを手に持った。
「今日のために凍らせたペットボトルを持ってきたんだ~。丁度飲み頃だと思うし、奏にちょっとあげるね」
色々と準備してきたのか、可愛らしい少し大きめのバッグを開こうとして──ピタリと、瑞希の手が止まる。
まるで何かに気が付いたように「……あれ?」と呟く姿は、予想外なことが起きているように見えた。
「瑞希、どうしたの? ペットボトルを忘れたとか?」
「ペットボトルはあるんだけど、さっき付けたキーホルダーがないんだよ」
軽い調子で聞いたら、予想外の答えが返ってきた。
言われてみれば、あの小憎たらしい顔のキーホルダーがどこにもない。
凍らせたペットボトルを受け取ろうと移動していた奏が、バッグを見ながら首を傾げる。
「キーホルダーって、射的の景品で貰ったやつだよね」
「クジを引いている時は、バッグについてたのを見たけど」
まふゆも記憶を辿っているのか、考え込むような素振りで呟く。
瑞希も記憶に残っていたようで小さく頷いた。
「さっきまであったはずなんだけど、どこかで落としたのかな……」
「落したのなら探しに行く?」
「……いや、いいよ。もうすぐイベントが始まるし、こんな人混みの中じゃ探しても見つからないと思うからさ」
「でも、あのキーホルダーを記念にするって言うぐらい気に入ってたんでしょ?」
「そうは言っても落としちゃったしね。残念だけど、諦めるしかないかな」
そう言って目を伏せる瑞希の顔と夏祭りの喧騒が、私の中の何かを大きく揺さぶった。
──そうか。変なこと言って、悪かった。
(……あの日も笛の音が遠くから聞こえて、それで)
彰人が──あの日、悲しませたくないと思った
あの日、病室で目が覚めてからというものの。
顔を見たこともない人達を前に『申し訳ない』と思う他に、知らない人達を──家族だという人達を『悲しませたくないな』と思っていた。
だから病室で目が覚めてから血眼になって周りを観察して、彼女に成りきろうとしたのだ。
でも……どう頑張っても私と絵名とでは経験が、体験が、状態が、状況が、感情が、積み上げたものとかタイミングとかが、何もかも違っていて。
夏祭りの屋台の前を通り過ぎた彰人の、諦めきったあの顔をどうすることもできなかった後悔が私の胸倉を掴みかかって、今をどうにかしろと訴えてくる。
動けと、何かが叫んでいる。
「瑞希、探しに行くわよ」
射的屋台の前で嬉しそうにキーホルダーをつけていたあの様子と、数年前の後悔が私の中でぐちゃぐちゃに混ざり、私の喉から低い声が出た。
「え、でも。もうイベント始まるし、もういい──」
「ごちゃごちゃ言わないの! 諦めなくていいことを諦めるのが1番腹立つんだから、一緒に探しに行くよ!」
何かを言いそうになった瑞希をピシャリと黙らせて、私はまふゆと奏の方へと視線を向ける。
「そういうわけで、まふゆと奏はここで待っててくれる? プロ部門が始まる前には帰ってくるから」
「わかった」
「うん……気をつけてね」
まふゆと奏は特に何も言わずに首を縦に振ってくれた。
ステージの方向を見ればスタッフさんの準備は終わったのか、人がどんどん裏手に入っていく。
ステージ開始まであまり時間がないようだ。急がなくてはややこしいことになるかもしれない。
「ほら、行くよ」
「ちょ、絵名!?」
瑞希の諦めたような顔がどうしても許せなくて、私は瑞希を引っ張って来た道を戻る。
あの時と違って、瑞希の件はまだ可能性があるのだ。
可能性すら見当たらないことではないのであれば、その少ない可能性に縋りたい。
少しでも可能性が見えているのなら──諦めるという選択肢は、許したくなかった。
☆★☆
「瑞希、あった?」
瑞希とまふゆの記憶にあった、クジ引き屋台まで戻ってきたものの……私の目にはあの憎たらしい猫のキーホルダーは見当たらなかった。
「うーん、ない。こんな人の多いところで落とし物をしたら、どうせ見つからないだろうし……もう戻ろうよ」
「……いや、ダメ。もう少し探そう」
落とした本人よりも、関係のない人間の方が必死になっている現状に、瑞希は困った顔をする。
「もー、ちょっと遊んで取っただけのキーホルダーだよ? そこまでしなくてもいいんじゃない?」
確かに、瑞希自身が折り合いがついているのであれば、その言葉に従うのも悪くはないだろう。
しかし──
「記念品で、気に入ってたけど……諦めるしかないって顔、してるじゃん」
「え?」
「私はそんな顔を見たくないし、落とし物のせいで瑞希の夏祭りの思い出が曇るのは納得できないの」
そう口では言ってるものの、きっとこれは私の都合なのだ。
瑞希の悲しい顔とあの時の彰人の顔が重なって、あの時のような後悔をしたくないっていう、自分勝手な我儘。
「でも、見つからないかもしれないよ」
「じゃあ、次が最後でいいから。お願いだから付き合ってよ」
「……どこに行くつもりなの?」
「落とし物として届いてないか、聞きに行くの」
「えっ、絵名? また引っ張ってくのーっ!?」
今にも会場に戻りそうな瑞希の手を引き、私は落とし物がありそうな場所へと向かう。
一応、私もシブヤ夏祭りについては調べていたのだ。だからこそ、落とし物は本部に届いている可能性が高いことも知っている。
幸いなことにクジ引き屋台から本部は近くて、すぐに辿り着いた。
「あの、すみません」
「はい、何でしょう?」
忙しなく動いているスタッフの女性を1人捕まえて、キーホルダーの特徴を伝えれば──運が良いことに後は消化試合だったようで。
「え、本当にあった……!」
「ほらね。諦めなくて正解だったでしょ」
スタッフの女性がキーホルダーを持ってきて、瑞希は大きく目を見開いた。
「あの、このキーホルダーってどんな人が届けてくれたんですか?」
「女の子2人ですね。屋内ステージの近くで拾ったと言ってましたよ」
スタッフはそれで用事が終わったと判断したのか、忙しそうにその場を立ち去る。
運良くアマチュア部門が始まる前にキーホルダーが見つかったし、後は戻るだけだ。
そう思って隣を見ると、瑞希が嬉しそうにキーホルダーを握り締めている姿が見えた。
「絵名、本当にありがと」
「別にいいって。私の我儘だし、見つかってよかったね。それよりイベント始まるし、奏達のところに戻ろっか」
「うん!」
そろそろアマチュア部門も始まりそうだし、早く帰ろう。
そのまま本部を後にしようとしたら、ふと、隣で準備をしていた実行委員の人の会話が耳に入ってきた。
「あれ。この箱、別の荷物が入ってるぞ」
「バッグと靴? なんで延長コードじゃなくてこんなものが?」
実行委員の人の手に見えたのは、最近見た色合いとデザインのダンスシューズだった。
バッグも見覚えがあるし、正直、心当たりしかない。
「瑞希、ごめん。もう少しだけ時間をもらってもいい?」
「え、大丈夫だけど」
「ありがとう。えっと──すみません、ちょっといいですか?」
箱の中身を見て困惑する実行委員の人に声をかけて、心当たりがあることを伝える。
もし間違っていたら落とし物として届けると話を通してから、私は心当たりの相手に電話をかけた。
相手──彰人も本番前で忙しいのだろう。何度かコール音が鳴ってから電話に出る。
『もしもし? 今、ちょっと忙しくて余裕ねえから、また後で──』
「彰人って夏祭りの会場でダンスシューズを無くしたりしてない? ほら、この間見せてもらった派手なデザインのヤツ!」
『は?』
「今、本部に来てるんだけど、彰人のダンスシューズを見つけたの。実行委員の人が間違えて持ってきちゃったらしくてさ。もし、彰人のならって思って、連絡したんだけど……」
彰人は状況を整理できてないのか、心当たりがないのか、話している間も殆ど黙ったまま。
もしかして私の勘違いだったのだろうか。不安に思う中、電話の向こう側から焦ったような声が聞こえてきた。
『絵名、それをすぐに持ってきてくれ! あと少しで本番なんだよ!』
「どこに持ってきたらいい?」
『夏祭りの野外ステージだ!』
「わかった。すぐに持っていくから待ってて」
『ああ、頼む!』
野外ステージといえば、会場の近くだからほんの少し寄れば十分時間に余裕があるはず。
とはいえ、今から更に私の都合に巻き込むのだから、瑞希には話をしなければならない。
「ごめん、瑞希。私……」
「いいよ。弟くんにそれを届けるんでしょ? 困ってるみたいだし、早く届けてあげようよ」
私がお願いする前に瑞希は頷く。
「その、ありがと」
「絵名だって探してくれたんだから、これぐらいいいって」
今度は自分の番だと言わんばかりに先頭を歩いてくれるピンク髪にお礼を言うと、振り返った瑞希が目を細めて笑う。
瑞希も肯定してくれているのだ。
アマチュア部門はもうオープニング辺りに入っているだろうし、私達は急いで野外ステージに向かった。
──奪われたとしても、体が覚えていることもあるのかもしれない。
イベスト通り、ライブは明日までお預けです。