一歌さんの名前を覚え間違えたり、イベストを覚え間違えたりしてるポンコツ作者のせいで困惑することも多いかと思いますが……
誤字脱字報告も含めて本当にいつもありがとうございます。
初めて見た奏の家は予想通りというか、ナイトコード越しで聞いていた家のイメージそのままだった。
足の踏み場もないと言っても過言ではないぐらい散らばった譜面。
足元にも散らばっているのに、机や床にも譜面の山ができているので、歩くのも少し怖い。
この部屋を片付けて料理まで作っている穂波ちゃんがすごいと、素直に尊敬の念を抱く。
譜面を踏まないように注意しつつ部屋に入ったものの、ここからどうすれば良いのやら。
呆然と立ち尽くすことしかできない私に、奏がベッドの上を整えながら誘導してきた。
「ごめん、今空いてるところはベッドぐらいしかなくて。まふゆをここに寝かせてもらっても良いかな?」
「あ、うん。そうね、今はまふゆを休ませないと」
ポンポンとベッドを軽く叩く奏に導かれるまま、まふゆを寝かせる。
公園の時は辛うじて意識があったように見えたが、
記憶を無くしてからというものの、風邪なんて1度もひいたことがないのだけど……それでも、できることはあるはず。
奏の許可を貰ってから、顔色が悪いまふゆに毛布をかける。
考え事をしているせいか固まって動かない奏の顔の前で手を振って、意識をこちら側に呼び戻した。
「奏、考え事してるところ悪いけど、これからどうする?」
「えっと、どうしよう。とりあえず冷やさなきゃいけないだろうから、氷が必要かな?」
「こ、氷かぁ。奏の気遣いは伝わってくるけど、風邪の時はあまり氷で体を冷やさない方が良いかも」
「あっ。そうなんだ」
「で、でも! 水で濡らしたタオルとかならいいと思うよ、うん!」
奏に眉を下げられると私も弱い。慌てて代替案を出して、奏にタオル係をお願いした。
使ってもいいタオルを持ってきてもらって、2人揃ってリビングに向かう。
とはいえ、水で濡らしたタオルを用意するのに2人もいらない。何かないか探してみよう。
「奏、冷蔵庫の中身確認してもいい?」
「大丈夫だよ……あっ。そういえば、家事代行で来てくれたのは5日前だから、冷蔵庫には何もないかも」
「……わー、本当だ。すっごい綺麗」
今までは4人家族の家庭の冷蔵庫か、愛莉のご家庭の冷蔵庫以外に中を見たことがなかったせいだろうか。
調味料以外に何もないスッキリとした冷蔵庫の中身に、思わず棒読みのような感情の籠っていない声が出てしまった。
突然の停電が起きても困らなさそうな冷蔵庫をそっと閉じて、タオルを絞るのにも苦戦している奏の方を見る。
「ビックリするぐらい何もないし……タオル絞り終わったら、スーパーに行こっか」
「スーパー? 行くって言っても、何を買いに行くの?」
「あまりガッツリとしたものはまふゆも困るだろうし、消化に良くて食べやすい果物とかかな。こういう時、桃の缶詰が良いんだって」
「そうなんだ。家にあったらよかったんだけど、果物の缶詰は爆発するから置いてないんだよね」
(ば、爆発?)
神高ぐらいしか耳にしないワードに首を傾げる。
(そういえば、期限切れのフルーツ系の缶詰は爆発するんだっけ)
が、すぐに記憶に引っかかった情報があったので、深く踏み込まずに頷くだけに留めた。
「じゃあ、尚更買いに行かないとね」
「えっと……絵名、買うものはフルーツなら何でも良いの?」
「フルーツというか、食べやすいのなら何でも良いと思うけど。何か買いたいものでもあるの?」
「うん。まふゆには林檎がいいんじゃないかなと思って」
奏の提案に、私はなるほどと手を叩いた。
お母さんが『風邪をひいた時は桃の缶詰を買ってきていた〜』というエピソードから桃を例に出したけれど、まふゆなら林檎の方がいいかもしれない。
「まふゆ、はっきりと言わないけど好きそうだもんね」
「それに、擦り下ろしたら食べやすいと思うし」
「擦り下ろすかぁ……じゃあ、林檎は2個買わなきゃ」
「? 擦り下ろすだけなら、1個で十分だと思うけど」
「どうせなら、見栄えも大事にしたいからね」
林檎で思い出したが、まふゆはどうやら林檎だけでなく兎にも思い入れがあるらしい。
なので、どうせ擦り下ろし林檎を作るのであれば、林檎で兎を作るのだって悪くないだろう。
「絵名の方が詳しそうだし、わたしがまふゆのそばにいようと思う。買い出しは任せてもいいかな?」
「確かに、2人もいるのにまふゆを放置して一緒に行動する理由もないよね。わかった、私がスーパーに行くよ」
役割を分担できるのであれば、分担した方が良いだろう。
特に奏の意見に反対する理由も見つからないので、私は首肯した。
「そうだ。折角だし、今からスーパーに行くのなら、奏の夜ご飯の分も買ってくるね」
「え。いや、いいよ。2日後には家事代行の人も来るから」
「それまで、あのカップ麺の小山を築くような生活を続行するの?」
ちらりと積まれた空のカップ麺の山を見て、奏の方に視線を戻す。
奏は気まずそうに視線を逸らし、何も見ていない風を装って目を閉じた。
「しかもあのゴミの小山も5個ぐらいしかないけど、ちゃんと食べてる?」
「毎日食べてるよ……1個ずつ」
「私、まふゆの看病をしてくれた奏が後日倒れました~なんて、聞きたくないからね」
「うっ」
自分の食生活があまりよろしくない自覚があるのか、奏は胸を抑えた。
……少々無理に話を進めてしまったものの、奏が嫌がるようなことはしたくないと思う程度の理性は残っている。
それなので奏が嫌がらないラインで、カップ麺だけの生活よりもクオリティをプラスさせて、罪悪感を軽減させる神的一手を押し込もう。
「別にすごいのは作らないからさ。インスタントラーメンに具材を追加する程度ならいいでしょ」
「……そう、だね。それぐらいならまだ、いいのかな」
──押し込み、成功である。
言質を取った私は心の中でガッツポーズ。奏の気持ちが変わる前に行動しよう。
冷蔵庫に濡らしたタオルを入れてから、私はそそくさとスーパーに向かった。
☆★☆
「奏。慌てず、ゆっくりでいいからね?」
「うん、頑張る」
買い出しから帰ってきた私は1個の林檎の皮を剥き、奏に手渡していた。
私が擦り下ろした方が早いのだが、奏の『まふゆのために何かをしたい』という気持ちも無下にできない。
それなのでできる限りやりやすいように、持ちやすいサイズに切ってから奏にバトンタッチしたのだけど……それでも、擦り下ろそうとしている奏の手は危なっかしい。
ショリショリと擦っては林檎を手放す姿を見ていたら、心臓に悪過ぎて奏から仕事を取り上げてしまいそうだ。
私はできる限り奏の方を見ないように努力しつつ、2個目の林檎を皮を剥かずに切ってから塩水の中に泳がせた。
「奏、調子は──」
「……痛っ」
「奏ー!?」
奏の白魚のような細くて綺麗な指先が赤に染まっているのを見て、私の頭に緊急事態を告げる電流が流れた。
私が声をかけたせいで、奏が林檎どころか自分の手まで擦り下ろしかけてしまったらしい。
どうしよう、と考えるのと足が動くのはほぼ同時だった。
私は飛び跳ねるように自分の鞄に向かって駆け出し、楽譜の合間を走り抜く。
鞄の中に入れていた携帯救急箱を取り出し、奏の元へと飛び戻った。
「奏、血が出てるよね!? すぐに止血するから心臓より高く手を上げて!」
「えっ!? う、うん」
困惑する奏に畳み掛けた私は怪我の具合を確認する。
……『擦り』まではいったが、ギリギリ『下ろし』てはいないと言えばいいのか。
血は出ているものの、擦り下ろし器で肉を抉ってることはないらしく、刃の先で切ってしまったぐらいの怪我のようだ。
「……とりあえず、水で傷口を洗おっか」
「うん……ありがとう」
ふぅ、と安堵の息を漏らしてから、傷口を洗ってもらい、絆創膏を貼って処置する。
これ以上の林檎の擦り下ろしは私の心臓に悪いので却下。手早くこちらで終わらせた。
「ごめん、結局絵名にやってもらっちゃって」
「ううん、こっちもごめんね。怖くて見てられないとか、私の都合でしかないし……」
落ち込む奏に擦り下ろした林檎の容器とスプーンを手渡し、まふゆが寝ている部屋へと視線を向ける。
「良かったらまふゆの様子、見てきてくれない? そろそろタオルも温くなってるかもしれないしさ」
「絵名はどうするの?」
「もう1個の林檎を切ろうかなって思ってる」
「そっか。わかった、まふゆの方は任せて」
擦り下ろした林檎を溢さないように移動する奏を見送って、私は擦り下ろした後の残骸へと目を向ける。
(とりあえず、片付けを先にしなきゃいけないよね)
飛び散った林檎の果汁に、擦り下ろした後の擦り下ろし器や皿。
血を出した時に私が大袈裟な対応をしてしまったせいで広がった被害であるとも言える、痕跡達。
これは私が責任を持って片付けなければならないだろう。
とりあえず塩水の中から2匹分の兎カットをする林檎を取って、包丁で手早く作る。
兎の林檎を小皿に隔離して、包丁は奏の努力の軌跡と一緒に洗い物へ。
勝手を知らぬ人様の家ではあるものの、できる限り綺麗に片付けた。
ひと通り片付けてから、私も兎の林檎を片手に奏とまふゆがいる方へと向かった。
「奏、入るよ」
小さくノックして、控えめな声をかける。
小さ過ぎたのか返事は聞こえてこない。大丈夫だとは思うけれど、慎重に扉を開けて中の様子を窺う。
視線だけで室内を探すと、ベッドの隣に椅子を置いて座っている奏の姿を見つけた。
奏の手はまふゆの手をギュッと握っていて、手放さないという意志を感じる。
その姿を見ただけで、何となく私が部屋に入るまでに何が起きていたのか予想できた。
「奏、その手はまふゆのリクエスト?」
「それもあるけど、わたしもまふゆのそばにいるって約束したから」
「ふぅん、そっか。じゃあ私が代わりにタオル、交換するよ」
まふゆの額からタオルを取って、冷蔵庫で冷やしておいたタオルと交換した。
「奏。まふゆもまだ起きないみたいだし、このままだと変色しちゃうからさ。兎カットした林檎、味見してよ」
「いいの? じゃあ、もらおうかな」
ここで2個食べたとしても、林檎は擦り下ろした分も含めてまだ残っている。
1個は自分に、もう1個の林檎が乗った小皿を前に差し出すと、じっとこちらを見ていた奏と目が合った。
「どうしたの、奏。食べないの?」
あまりにもじっと見つめてくるので、戯けた風を装って林檎を口に入れた。
奏はゆっくりと首を横に振ってから、世間話をするように口を開く。
「絵名は小さい頃に、風邪をひいた時のことって覚えてる?」
シャクリ。
兎カットをした林檎の頭の部分を食べた音が、嫌に響いて聞こえた気がした。
普通、ペットボトルの水や缶詰って、凹んでたりしない限りは期限が切れていても大丈夫なんですけど。
果物系の缶詰は本当に期限が過ぎたらヤバいことになりますので、管理にはお気をつけください。