奏さんvsえななん、ちょっと始まってます。
「──絵名は小さい頃に、風邪をひいた時のことって覚えてる?」
林檎を食べるのと同時に、奏の話の内容も咀嚼する。
挙動不審になりかけたが、そんなにオーバーに反応するような質問ではない。
不自然にならない程度に深呼吸をしたら落ち着いてきた。
頭の中にもそれらしい過去話が組み上がったし、もう大丈夫。後は組み上げた話を元に会話をすれば良い。
「風邪の時なんて大体しんどかったし、そこまで詳しくは覚えてないかなぁ……そんな話をするなんて、まふゆと何か話したの?」
「ううん、そういう話は特にしてないよ。ただ、今回のMVのヒントになるんじゃないかと思って、聞きたくなったんだ」
今回の曲は、奏が昔のことを思い出しながら作ったものである。
直近に過去を振り返る機会があったからなのか、まふゆの看病をしている間もお母さんに看病してもらった時のことを思い出していたらしい。
そして、この間セカイで過去の絵を見ながらどんな絵を描くべきかと唸っていた私を見ていた奏は、少しでも力になりたくて先程の質問を投げかけた、と。
「そういう理由で聞いたんだけど、急に聞かれても困るよね。ごめん」
一通り語ってくれた奏がまふゆの手を握ったまま目を伏せる。
言葉通りの意味で聞いてくれたのであれば、私も奏の好意を無碍にはできない。
「私がこの前、セカイで絵を描いてたの見たから奏も聞いてくれたんだよね? なら、ありがたいとは思っても謝って欲しいとは思わないよ」
恐らくそれ以外にも何か意図があるのだろうが、幼い頃の話は伝聞形式でお母さんから聞いている。
記憶を取り戻せないかと、アルバムを見ながら聞いた話を頭に叩き込んでいるので、それらしく話すことだって可能だ。
……奏に嘘をついているという罪悪感を無視すれば、だけども。
「私も……というか皆、あまり小さい頃の話ってしたことないよね」
「そうだね。作業するにあたって必要なかったし、話す機会なんてあまりなかったから」
「でも、今回は奏の思い出も込めてる曲だもんね。お母さんとかに聞いた思い出話と混ざってるかもしれないけど、それでも良ければ話すよ」
「いいの?」
「別に隠すようなことでもないしね」
私が知られたくないのは『記憶を無くした』という事実と、それに『スケッチブックが関わっている』という根本だ。
記憶喪失をカミングアウトしたくない元々の理由も、彰人のような悲しい顔をさせたくない。
中学の先生のような困惑したり、迷惑そうな顔を見たくないというのがきっかけで。
今ではどちらかというと、奏達に厄物と関わってしまうような要因を作りたくないとか。バラしても変な気を遣わせたり、困らせるだけだからとか。
……後は、奏達はそもそも記憶を無くしてからの私しか知らないのだから、私も知らない
(私が言わなかった結果、奏が苦しむことになりそうだって言うのなら……ちょっとは考えるけど。今回はそうでもないだろうし)
知らなくても良いことを知らせる必要なんてない。
私の幼い頃の話を語るのであれば、お母さん達から聞いた話でも十分対処可能な範囲内。
この程度の探りでは今の私は揺らがないのだ。奏には申し訳ないけど、いい感じに話を混ぜて流してしまおう。
「そもそも、小さい頃の思い出って思い出すのが大変じゃない?」
「そう言われるとそうだね。わたしもつい最近までは思い出すこともなかったな」
「でしょ。今が大変過ぎて、それだけ足を止める暇がなかったのかなぁ」
足を止めてしまったら、奈落の底に落ちてしまいそうな恐怖もあったから。
私は過去そのものが怖くなることもあるけれど……原点とかそういうのがあるのもまた、過去なのだ。
そう考えると、今回の曲は私以外にとっては良い機会だったのかもしれない。
「今回の曲は原点回帰って意味ではちょうど良かったのかもね」
「わたしも忘れちゃってたことを思い出せて、良かったと思うよ。絵名はどう?」
「確かに、振り返るきっかけになったのかもね」
微笑む奏に私は曖昧に笑い返した。
無くしてしまった記憶はどんなものだったのか。
どれだけ頑張っても思い出せない私では、落とし物を拾うことはできないのに。
──そもそも、代償に取られたものを拾うことは可能なのだろうか?
(奪われたものを取り戻す方法なんて、それは──いや、今は考えるのはやめとこ)
頭の中から余計なことを追い出して、お母さんから聞いたエピソードをそれらしく会話に織り交ぜていく。
そんな話をしているうちに時計の針は一周して、奏は酷く安心したような顔で呟いた。
「……やっぱり、わたしの気のせいだったのかな」
「気のせいって?」
「ううん、何でもない」
そう言って緩く首を横に振る奏だが、何となくわかってしまった。
奏も心配してくれているのか、私の過去の話をそれとなく聞き出そうとしたのだ。あんな下がり方をされてわからない方が難しい。
(……ごめんね、奏)
心配してくれているのは嬉しいのに、まだ言うつもりにはなれなくて。
心の中で謝ってから、私は奏の部屋の扉に手を伸ばす。
「奏、ちょっとキッチン借りるね」
「わたしはもう少し、まふゆのそばにいるよ」
一緒にいたら一方的に気まずくなりそうで、気持ちを紛らわせるためにインスタントラーメンの付け合わせを作ることにした。
☆★☆
付け合わせを作って、洗い物をしている間に部屋の向こう側から声が2つ分聞こえてきた。
どうやらまふゆが起きたらしい。ならば、残っている林檎を兎に変えてしまっても良いだろう。
音を立てないように静かにしているせいか、2人の会話が嫌でも耳に入ってくる。
「──あの曲は昔のわたしの……お父さんとお母さんの思い出を考えながら作ったの」
「思い出を?」
「そう。お父さんが昔、わたしとお母さんに自分が作った曲で笑顔になって欲しいんだって言ってたんだ。わたしもお母さんも、昔はその曲を聴いて心から笑顔になってた」
「笑顔に」
「うん。だからわたしは、あの頃のわたし達みたいに、まふゆにも笑って欲しいなって思って、曲を作ってたかな」
これは盗み聞きに入るのか、判断に困る。不可抗力なのでノーカウントにしてくれないだろうか? ……無理かもしれないけど。
兎の林檎を皿の上に並べて部屋の近くに来たものの、はっきりと会話を聞いてしまったせいで部屋に入るのが気まずい。
「まふゆ? 胸を抑えてどうしたの? 痛い?」
「ううん、違うの。ただ──また、胸が温かくなったような気がする」
「そっか」
……チャンスは今か?
まふゆも何か感じたみたいだし、その後は無言だ。今なら邪魔にならないと信じて、私は部屋の扉をノックした。
「ごめん、もう入って大丈夫?」
「あっ、絵名。もしかして待っててくれたの? 大丈夫だから入って来てよ」
奏の許可をもらって、私はゆっくりと部屋の中に入る。
とりあえず顔だけ部屋の中に入れると、ほんの少し顔色が良くなったまふゆと目があった。
「入らないの?」
「入るけど……」
まふゆに首を傾げられたら、こちらとしても部屋に入らないという選択肢は取れない。
兎の林檎を乗せた皿を片手に、私は2人がいるベッドに近づいた。
「絵名もいたんだね」
「あんたが教室から消えたから探したのよ」
「……ごめん」
「別に。何もなかったから良いけど、奏に見つかってよかったね」
倒れているまふゆを見つけたのが奏でなければ、どうなっていたのやら。
顔は良いのだから、不用意な真似はしないで欲しい。見ているこっちが心配になる。
「で、まふゆは食べれるの? 食べれるなら林檎、切ったから食べなよ」
「兎?」
「そ。いらないなら私も食べるけど」
「……食べる。ただ、全部はいらないから絵名と奏も食べて」
「えっ、わたしも?」
急に話を振られた奏は目を白黒とさせていたが、皆で均等に林檎を分けた。
8等分した林檎を最初に2個食べたから、6個を3人で仲良く分けたなんて、何処かの童話みたいだ。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、まふゆがポツリと呟いた。
「そういえば、瑞希はいないんだね」
「別に皆で集まるようなことじゃなかったしね」
「そうなんだ」
「あんた、今はちょっと元気が出てるかもしれないけど病人だからね?」
自分が公園で倒れるぐらい限界だったのを、少しは自覚して欲しい。
確かに瑞希の仲間外れ感は否めないが、病人がいるところに大勢で押しかけるのも違うだろう。
瑞希が後で拗ねる可能性もあるが、それは甘んじて受け入れよう。
私と奏が林檎を食べても、皿の上の林檎をじっと見つめたまま、まふゆは手を伸ばさない。
まだ体調が悪いのだろうか。額に手を伸ばして熱がないか確認すると、まふゆが目を細めた。
「何?」
「じっと見てるから心配になっただけ。食べ物が喉を通らないぐらい気持ち悪かったりしない?」
「……ううん、少し見てただけ。ちゃんと食べるよ」
「ご、ごめんって」
目は口ほどに物を言うというか、表情筋は相変わらずボイコットをしているのに、目が不満を訴えていて私は思わず謝ってしまった。
咎めるような視線に耐えきれなくて目を逸らすと、今度は微笑ましそうに見ている奏と目が合う。
「ふふ。仲良いよね、2人とも」
「言うほどでもないでしょ。この状況だったら、奏でも瑞希でも看病するからね?」
「そうだね、いつもありがとう」
奏の言葉は温かい、と表現するにはちょっとくすぐったくて。
まふゆが「家に帰らなきゃ」と言い出すまで、私は2人の視線からひたすら目を逸らし続けた。
☆★☆
──奏の家を出て、夜の宮益坂を通り過ぎる。
人通りが多いということもあって、夜でも明るい道を3人で歩いていた。
「もう、ここでいいよ。私の家、すぐそこだから」
「本当に大丈夫?」
「うん。歩けるぐらいには良くなったから」
まふゆと奏の話を聞きつつ、私は胸を撫で下ろす。
日々を重ねるごとに、私の中の怒りが積み重なって火山になりそうになっているので、まふゆの家にはあまり近づきたくなかった。
イイ感じに爪も伸びているので、うっかり出会ってしまったら本気で抉りかねない。
暴力沙汰にするのは最終手段であって、最初から選ばれる選択肢ではないのだ。
「じゃあね、奏。またナイトコードで」
「うん、またね」
「絵名は?」
「? 何よ」
まふゆは奏には手を振ったのに、何故か私に対しては名前だけを言ってじっと見つめてくる。
なんなのだ。今もその前も、何かおかしなことを言った記憶はないのだけど……
いや、何も言っていないから気にしてるのかな、これは。
「まだ完治したわけじゃないんだから、気をつけて帰りなさいよ。その、また明日ね」
「……うん。じゃあね」
導き出した答えは正解だったらしく、まふゆは満足げに頷いてから帰路に就く。
後ろにいる理由もないので奏の隣に並ぶと、奏がもう解散だと言わんばかりの雰囲気でこちらを見た。
「じゃあ、絵名もここで……」
「夜ご飯のこと、忘れてない? まだ解散しないよ」
「絵名も大変だと思うし、ダメかな?」
「うん、ダメ」
私がニッコリと笑うと奏はあっさりと折れた。
奏は誤魔化していたが、こっちは次の家事代行の日──というか、穂波ちゃんが来る日は知っているのである。
このまま野放しにはできない。大人しく従ってもらおうか。
「あ、美味しい」
「でしょ! これを機に奏もカップ麺に一手間を──」
「それはいいかな」
「……ですよねー」
この日も、何とか炭水化物オンリー生活を脱出させたものの、改善までには至らなかった。
1回戦
聞き出したい奏さんvs話したくないえななん
→えななんwin
2回戦
効率的に食事を済ませたい奏さんvs食生活を改善させたいえななん
→奏さんwin
引き分けでしたね……
というわけで灯のミラージュ編、終了です。また幕間期間に入ります。