予告してなかったまさかの瑞希さん視点、始まります。
──瑞希、と呼ぶ声が聞こえた。
屋上にいたボクに奇襲するかのように現れたのは、本来ならこの場にいるはずのない少女──絵名だ。
何でここにいるのかとか、その神高の制服はどうしたのかとか。色々と疑問が出てくるのに、絵名はそれを許してくれない。
「あんたが見逃せないぐらい悩んでるから、ここまで無理して来たのよ。その悩み事、よければ教えてほしいんだけど?」
逃げ道は、ない。逸らしたくなるぐらい真っ直ぐ見つめてくる絵名が塞いでいる。
聞き方的にもまだバレてないと思いたい。なら、いつもみたいに誤魔化せばいけるはずだ。
「あはは、別に何もないよ! 最近、体調が悪くてさ〜。体に精神も引っ張られちゃってるのかも!」
「本当に──瑞希はそれでいいの?」
力強く見えていた絵名の瞳は、いつの間にか穏やかな光を湛えていた。
今回ばかりは絵名も見逃してくれないらしい。
本気だというのが伝わってきて、ボクは冗談を言う口を噤んでしまった。
こっちが言葉を失っている間にも、相手は構わずに言葉を投げつけてくる。
「文化祭の時に言ってたでしょ。だから、本当は瑞希が言えるようになるまで待ちたいって思ってた」
「……じゃあ、何で待ってくれないのさ」
「私が待つことを選んだのは、瑞希に苦しんで欲しいからじゃない。少しでも気が楽になって欲しかったからよ」
「……」
「今の瑞希は、苦しんでないって断言できる?」
夕日が眩しすぎるせいだろうか、ボクを真っすぐ見つめてくる目も眩しくて見ていられない。
だから見ないようにするって選択が取れたら良かったのに、困ったことにそれも許してくれそうにないや。
「……今からでも取り消して、なかったことにしない?」
「苦しんでる友達を放っておけるほど、私は薄情じゃないわよ」
「でも、絵名には関係のないことで悩んでるんだよ?」
「その苦しみの原因に私が含まれているのに『関係ない』はおかしいでしょ。私、瑞希との関係はそこまで浅くないって思ってるんだけど」
「もう、ああ言えばこう言うんだから」
「それだけ瑞希の力になりたいって思ってるのよ。言わせないでよね」
ほんの少し頬を朱に染めながらも、絵名はハッキリと言葉を口にする。
絵名が本気でボクのことを案じてくれているのは疑っていない。だけど、それと絵名が望んでいるであろう答えを告げるのは話が別だ。
絵名なら、奏やまふゆだってボクのことを正直に言ったところで関係が変わるようなことはないって思う。
何事もなかったように、また皆で作業ができるんじゃないかって、受け入れてくれるって信じたい気持ちもあるのだ。
でも、どうにも今までの経験が悪い方向に足を絡めとってきて、ボクをその場所から動かしてくれない。
(もしかしたら絵名ならって、何回も思ってるのに……)
怖くて、その1歩が踏み出せない。
「昨日さ、セカイに行ったのよね」
「え?」
「それで、メイコにちょっと相談に乗ってもらったの。メイコってこっちのこと、よく見てるから」
そんな臆病なボクに対して、絵名は唐突に語り始めた。
「その時にメイコに言われたんだ」
「メイコが……?」
「話すことで良くない結末を招くことがある。それをわかってて待つことを選んだのに、どうして黙って手を差し伸べるの? って」
絵名の口を通して聞いていても、メイコからキツイことを言われたのかもと感じる程度には絵名の笑みは苦しそうに見える。
(おかしいな。今の絵名を見ていると不思議と……鏡の前で見たボクを見てるみたいだ)
さっきまではとんでもなく強そうに見えた相手の目からほんの少し見える覚悟と怯えの色。
きっと、彼女が抱えている感情は変わっていないのだろう。
ただ、ボクが見る角度を変えてしまったせいで絵名が覚悟で隠していた怯えを見てしまっただけ。
ボクは東雲絵名という少女の本気を、改めて見てしまったのだ。
「私だって話せないことが沢山あるから、話さなくてもいいよって言えたら良かったんだけど……ごめんね。私、瑞希の苦しむ原因になってまで待てるほど、我慢強くなかったみたい」
「そんな! 絵名が原因だなんて思ってないよ!」
「うん、瑞希ならそう言ってくれるよね。でも、乃々木公園で瑞希達が話してるのを見てると、私が近くにいることは瑞希が苦しむ原因にもなっていて、『待つ』っていう選択肢は余計に苦しませるだけなんじゃないかって……そう思った」
「それは……」
不調の原因があの日の乃々木公園にあるのは、ボクだって自覚している。
あの日、クラスメイトと話していたことから絵名に勘づかれてしまっていたらって思ったのもある。でも、それ以上に。
──それ、騙してるようなものじゃね? 酷い奴だなぁ。
(……っ)
クラスメイトの言葉を思い出すと、胸が締め付けられるように痛くなる。
受け入れてくれるかもと期待しても、やっぱり変だと言われてしまうのが怖くて。
それで黙って待ってくれていた絵名に甘えて、こっちは待ってもらっている身分なのに相手の秘密はズガズガと探っていても困り顔で躱してくる彼女に安堵していたんだ。
……そんな絵名の優しさに付け込んだボクはというと、相手が待ってくれているのを良いことに、相手の秘密に踏み込もうとしていたんだけどね。
だから、この苦しみは絵名のせいじゃない。罰が当たってしまったんだ。
友達の好意に甘えて逃げる癖に、友達にはボクが嫌がったことを強いるような真似をしようとしたボクへの罰が今、下ってるからこんなに苦しいんだ。そうに違いない。
「瑞希、大丈夫?」
心配してくれているのか、絵名が近づいてきてくれた。
それなのにボクの口は接着剤でも付けられかのように動いてくれないし、罪悪感ですらボクの口は秘密をバラしてくれない。
絵名が待ってくれていても、逃げ続けていては現実が淡々と事実を突きつけてくるだけなのに。
どうして何も言えないのか。思わず俯いてしまった視線の先で、絵名の手が伸びてボクの手を握っていた。
「私には瑞希の考えてることの全てがわかるなんて、言えないんだけどさ」
「うん」
「それでも、怖いって気持ちは少しぐらいはわかってるつもりよ。私も神高に来るまで、瑞希の所に行くのが怖かったもの。心構えも何もできない状態の瑞希ならもっと怖くても当然だし、逃げたいのも当たり前だと思う」
「……うん」
「だから、自分のことをあまり責めないでよ。悪いのは逃げられると思って黙ってここまで来た私。瑞希は全く悪くないんだから」
こちらの手を握っている絵名の手は僅かに震えていた。
神高に来るまではなんて言っているけれど、本当は今も怖いのではないだろうか。
そう思って顔を上げると、ボクと違って全く逸らそうとしない真っ直ぐな目と目が合った。
「メイコにも言われたし、私自身納得したから言うんだけど……実は私、交通事故より前の記憶が無いんだ。これが彰人も隠してくれていた、私の秘密ね」
「……え?」
「事故に遭った日から前の記憶を全部、無くしちゃってさ。瑞希達と出会う前の話っていうのと、そういう目で見られたくないって気持ちとか……ちょっと言いにくいこととかが色々あって、皆に隠してたんだよね」
ボクも全く予想してなかった爆弾のような言葉を放つ絵名の口調は、明日の天気を話すかのように軽やかだ。
声だけを聞いていたら、秘密という割に大したことなさそうだと勘違いしてしまいそうになる。
でも、目の前にいるからわかるんだ。
震える手と怯える目、ちょっとずつ顔色が悪くなっていく様子を見ているだけでも、とんでもない秘密を聞いてしまったとボクの思考は停止状態だし、内容も上手く咀嚼できていない。
いや、確かに何かあるだろうとは思っていたよ。でも、事故で丸々、記憶を無くしているって?
突然放たれた爆弾の暴力的な威力に、ボクの思考は全く追いついてくれなかった。
それなのに、絵名の追撃は止まらないどころか、こちらの急所を狙うように続く。
「確かに弟や家族とか、事故より前の友達からしたら、私は東雲絵名じゃないかもしれないけど……ニーゴの東雲絵名は私だって、今なら断言できるから。これが私が瑞希の話を聞くのに本気だってことの証明よ」
「し、証明って……」
本気だってことを行動や態度で示すといっても、いくら何でもこれはやり過ぎでしょ。
そう心の中で吐き捨てたくなるぐらい衝撃的なのに、絵名はニッと笑みを作るのだ。
「瑞希はさ。今の話を聞いて騙してたなとか、偽物だとか。そういう風に感じた?」
「え? いや、全く。だって、絵名は絵名だし……」
「ありがと。でも、それは瑞希にも言えることだから。たとえ瑞希が人を殺していましたとか、吸血鬼でしたーとか言われても、瑞希は瑞希なんだから私は驚かないわよ」
そう力強く断言したものの、絵名はすぐに目を泳がせて、困ったように眉を下げる。
「……ごめん、嘘ついた。瑞希が急に目の前でドロッと溶けたり、原型がなくなったら流石にビックリしちゃうかも」
「それはボクもビックリするかなぁ」
絵名の言うようなことが起きたら、誰だってビックリする。ボクだってビックリだ。
少なくとも「実は瑞希の『みず』はスライムボディの水だったんだよねー」と言い出すような秘密を持ってないから安心して欲しい。
……って何をボケてるんだろ、ボクは。
ちょっと心に余裕ができてきたのが伝わったのか、絵名はほんの少し笑みを浮かべた。
「これは絵描きの独り言なんだけど。最近の子は骨格から見分けるのが難しくなってきていても、それでも骨格から性別がわかったりするんだってさ」
「えっと。それが何か?」
「まぁ、ウチの先生は絵描きならそれぐらい見分けられるようになりなよー? って言うわけよ。だから私も、そういう観察力には自信があるの」
「……えっ」
「まぁ、それはいいとして」
ボクが冷や汗を流しているのに、絵名は気にした様子もなく話を進めていく。
「色々言ったことも踏まえて、聞かせて欲しいんだけど……その悩みって、言っちゃった瞬間に瑞希は瑞希じゃなくなるものなの?」
「……ううん、ボクはボクのままだよ」
「私の場合は過去の自分が消し飛んじゃってるから断言できないけど、瑞希は違うのね。それを聞けただけでも安心したかな」
所々、返しにくい内容を挟むのはやめて欲しい。
こっちもそんなに余裕がないのに、どう返せばいいのか反応に困る。
「……顔色、大分良くなってきたじゃん。自分の悩み事どころじゃなくなってきたんでしょ」
「それはそうでしょ、あんなに爆弾をポンポン投げられる身にもなってよ」
おかしそうに笑う絵名に苦笑するしかない。
気にしてないようなフリをするのが上手い絵名だけど、ボクは話し始める前の様子を知っている。
そんな絵名がボクのために学校に侵入するという危険を犯して、とんでもない秘密をお土産にここまで来たのだ。
(──ここで覚悟を決めないと、ボクは一生後悔する)
うだうだと考えていた思考も、考えれば考えるほど沼に落ちるようなフラッシュバックもない。
相変わらず心臓はうるさいけれど、それすらも気にならないボクは今まで逃げ気味だった視線を絵名の目へと固定した。
「あのさ、絵名。聞いてほしいことがあるんだ──」
とんでもなく行動力のあるキミに、ビックリするぐらい動いてもらってやっと言おうと決意した、ニーゴの皆には怖くて言えなかったこと。
強い風が吹く中、風の音で掻き消されそうな辿々しい声だけど、ちゃんと先に箱を開けてくれたキミに伝え切った。
「──教えてくれてありがとね、瑞希」
「うん……幻滅したでしょ」
露悪的な態度で問いかけると、絵名は人差し指でボクの鼻を弾く。
「瑞希は瑞希なんだから気にしなくていいでしょっていうのは前提として……敢えて言うならよ?」
「うん、はっきり言って欲しい」
本当は怖いけど、絵名を見習って視線は逸らさない。
ボクの首を切り落とすであろう言葉を待っていたはずなのに、首に当てられるであろう言葉は鉄どころか綿のように柔らかかった。
「──ばーか、こっちは知ってて待ってたんだっての」
いつも、ボクのことを知ったら変だとかおかしいと言ってくる人達の姿がシャボン玉になって割れていく中。
「どれだけ周りが何かを言ってきても、あんた自身が卑屈になったとしても。私から見た暁山瑞希は何を着たってカワイイに決まってるんだから、あんたは自分の好きなものに胸を張ってればいいのよ」
悪戯っぽく笑うキミが、夕焼けも相待ってすごく綺麗に見えたんだ。
──でも、ボクはこれで終わりだと思ってたんだ。
お互いに1つ、秘密を交換しておしまいだって思い込んでいたんだよね。
「……ズルくてごめんね、瑞希」
だからボクの耳は風の音で消えた絵名の言葉を拾うこともなくて。
誰も秘密は1つだなんて言ってなかったのに、終わったつもりになっていたんだ……
原作の方ではまだ明言されてないので、瑞希さんのカミングアウトセリフはぼかしました。
ほぼ確定なのでいいかなぁとも思ったんですけど、原作で観測できるまでは瑞希さんは性別:瑞希さんのままでいきます。夢がいっぱいですね。
そして、瑞希さんの秘密と等価交換するように……100話以上かけてやっと、えななんの秘密その1:記憶喪失がカミングアウトされました。
えななんってば最初に瑞希さんからいっちゃいましたが……どうなることやら。
今回でイベストも終了ですので、次回は幕間を挟みます。