「ただいま」
夜ご飯を食べ終えて食器を洗っていると、リビングに入ってきた彰人の姿が見えた。
「おかえりー。お母さん、お父さんのアトリエに行ってていないよ。晩御飯は机にある分を食べて、洗い物もしておいてーって伝言ね」
「わかった。着替えてから食べる」
彰人が出ていく姿を見てから、ふと、頭の中に天啓が舞い降りた。
瑞希と直接話をする為に白石さんに協力してもらい、神高に侵入したのは記憶に新しい。
制服を貸してもらったり、瑞希と出会うまでの段取りや校内で先生にできるだけ遭遇しないルートなども教えてもらった。
瑞希との話が終わるまで1人で待たせてしまい、最後に制服を返した時に言葉ではお礼を言ったものの……これで「はい終わり」というのは恩知らずだろう。
そういうこともあってお気に入りのスイーツ店からクッキーを買った。そこまでは良い。
そこから、どうやって白石さんに会って渡すのかを考えていなかった。頭からすっぽりと抜けていたのである。
どうしたものかと悩んでいた時、丁度良いタイミングで彰人が返ってきた。
これはもう彰人に先んじて渡してもらい、後から会った時に改めてお礼を言いなさいという何者かの配慮だろう。
そう思うことにした私は早速、行動に移した。
「ねぇねぇ、彰人」
「……なんだよ」
リビングに戻ってきた彰人に声をかけると、弟は姉の企みを察知したのか露骨に嫌な顔をする。
そこまで嫌がらなくてもいいのにとも思うが、こちらは頼む側なので強く出れない。
準備していた菓子折りを彰人に差し出し、用件を告げた。
「彰人って白石さんと練習で会うよね? その時にこれ、渡してくれない?」
「は? 何だよこれ」
「白石さんに迷惑かけちゃったから、お詫びの菓子折り」
「……お前、何やってんだよ」
弟の冷たい目が辛い。
何をやったのかキリキリ吐けと言わんばかりの呆れが籠った目を向けられると、一方的にお世話になった身からすると打ち明けるしかない。
最近の不調が気になって、神高に乗り込んでまで瑞希と直接話そうとしたこと。
決めたはいいものの、どうやって神高に侵入するか迷っていた時、白石さんに助けて貰ったこと。
その結果、無事に瑞希と話せたことを大雑把に話すと、彰人が「はぁぁ」頭を抱えて大きな溜め息を吐き出した。
「マジで何やってんだよ、お前……」
「早く瑞希と直接話すにはこれしかないって思って。そういうわけで、お世話になりました」
「別にオレが世話したわけじゃねえからいいんだけどよ。はぁ……いや、バカやってるとはいえ初犯だろうし、これ以上は何も言わねえ」
……実は神高侵入は2回目だということは、言わない方が良さそうだ。
余計なことはしない。瑞希のおふざけタイムからお仕置きの流れをよく見ている私が学習した、教訓の1つである。
「これは杏に渡しておく。他には何かやらかしてないよな?」
「やってないってば! ……まぁその、ありがとね。それ、よろしく」
「おう」
これで私の用事は終わった。25時までまだ時間があるけれど、部屋に戻って作業の準備をしよう。
そう思っていたのだけど、白石さんへの菓子折りを脇に置いた彰人が声をかけてきた。
「おい、絵名」
「何よ?」
「その、暁山と話せてよかったな」
「えっと……ごめん、どういうこと?」
先程の話の流れといい、イマイチ彰人の言葉の真意をつかみきれなくて首を傾げる。
確かに瑞希と話せてよかったとは思っているが、それを彰人が言う理由が掴めない。
「ちょっと見ない間にスッキリした顔をしてるからな。他校に侵入してまで話した結果、お前も良いことがあったんだろ」
訝し気な気持ちが漏れていたのか、彰人は補足で説明を入れる。
そんなにスッキリとした顔をしているのだろうか。
思わず頬を触ってしまうものの、鏡で確認できる状況でもないので自分の顔のことなんてわからなかった。
「んー、あんまり自覚ないかも」
「そうかよ。ま、悪いことがあったわけじゃなさそうだし、良かっただろ」
相手にとってはそれで話が終わったらしく、彰人は「いただきます」とご飯を食べ始めた。
(いいこと、か)
むしろ記憶喪失カミングアウトというとんでもないことをしたのだが、彰人にはそうは見えないらしい。
ということは、私にとっても記憶喪失バレは良かったということで。
(瑞希に偉そうに言ってたけど、私も人のことを言えないってことか)
肩の荷を1つ下ろしてスッキリしましたなんて、無自覚のうちに負荷がかかっていたようだ。
誰も見ていないことを良いことに、私は肩を竦めてから自室に戻る。
彰人が帰ってくる前に入浴は済ませた。宿題も片付けているし、今日のノルマ分の勉強は終わらせている。
これがまふゆなら勉強した後もさらに勉強だ! と言わんばかりに追い勉強をするのだろうが……残念ながら難関校を志望する受験生でもない私はそこまで勤勉な学生ではない。
ナイトコードに誰もいなかったら、雪平先生のところで興味深いと思った課題を復習しよう。
そう考えていたところに、ちょうど良いタイミングでピコンピコンピコンとナイトコードの通知音が鳴り響く。
『おーい』
『えななーん』
『生きてるー?』
名前を見なくても文字列だけでわかる送り主。
小刻みに連投しているのは構ってちゃん行動だろうか。通知音がうるさい。
『生きてるって何よ。まだ作業の時間じゃないけど、連投までして何の用?』
『えぇー、それって作業じゃないと声をかけちゃいけないってこと? ボク、悲しい』
『はいはい』
『扱いが雑だね!』
チャットからでも伝わってくる瑞希のノリに溜め息を1つ。
楽しそうに返信をくれている瑞希には連投するぐらいの用があるはずなのだが、こちらから切り出さないと話してくれなさそうだった。
『それで、何か用があったんじゃないの?』
『あぁ、そうそう! この後、セカイに来れる?』
『セカイに? パジャマだから遠慮したいんだけど』
『えー、いいじゃん。ボクもパジャマだし、パジャマパーティみたいなものだよ』
『それは無理がある』
とりあえず言ってみただけにしか見えない言葉にツッコミを入れつつも、気分は前向きだ。
行ってあげてもいいかと思ってしまったし、ここは瑞希の口車に乗るとしよう。
『セカイに行けばいいのね? しょうがないから行ってあげる』
『ありがと~! じゃあ先に待ってるね!』
その返信と同時に瑞希のアカウントがログアウト状態になる。
瑞希の気が早すぎる。だが、先に行っている瑞希を待たせてしまったら理不尽に「おっそ~い」と煽られそうだ。
予定を変更してスマホを手に持った私はいつもの曲を再生した。
「──あ、絵名! 早いね、10分ぐらい待つことになると思ってたのにー」
「急いで来てあげたんだから、感謝しなさいよね」
「ははー、ありがたやー」
両手を高くあげて頭を下げる瑞希は正直、不格好だった。
これで正座でもしていたらまだ形になっていたのだろうが、立ち姿ではストレッチにしか見えない。
が、これにもツッコんでいたら話が進まないだろう。スルーだ。
「で、セカイに呼び出してどうしたのよ?」
「屋上でのことでお礼を用意しててさ。じゃーん! これ、良かったら食べてよ!」
ニコニコと笑う瑞希が手渡してきたのは、ワンポイントの野花が可愛らしい箱だった。
私の記憶違いでなければ、ちょっと前に美味しくてリピートしたいとナイトコードで言っていたケーキ屋さんの箱にそっくりである。
「瑞希、これって」
「お察しの通り、お礼のチーズケーキだよ。午前の授業はお休みにして買ってきたんだ~」
「いや、何してんのよ?」
私も偶然、病院の日に残っていたケーキを買った奇跡的なタイミングで食べることができたからこそ、このケーキの入手難易度を知っている。
そういうこともあり、嬉しい気持ちよりも困惑とかそっちの気持ちが強い。
そんな私のあからさまな呆れ声に、瑞希は唇を尖らせた。
「そこは『わ~! すご~いっ!』って喜んで欲しかったんだけどな~」
「わー、すごーい」
「うわぁ、すっごい棒読みじゃん」
そう言う瑞希の顔は顔文字で変換できそうなぐらいションボリとしていた。
サボってまで買いに行かなくてもいいのにとか言いたいことはあるものの、私を想って行動してくれたのは事実。
落ち込んで欲しいわけじゃないので、何とか方向を変えなければ。
「ごめん、やり過ぎた。学校サボってまでありがとね、明日食べるわ」
「明日なんだ……ケーキってその日に食べた方が美味しいのに」
「私に太れと?」
「絵名は細いと思うけどな~」
「ふぅん、煽てても食べるのは明日だけどね」
「ちぇ~」
落ち込んだ顔からコロコロと表情を変える姿を見ていると、瑞希が元気そうでちょっと安心する。
つい最近までの影は感じないので、屋上で勇気は無駄ではなかったのだ。
こっそりと内心で安堵していると、真っ直ぐにこちらを見つめてくる瑞希と目が合った。
「あのさ」
「なに?」
「きっと、絵名だって苦しかったと思うんだ。でも、そのお陰でボクも言えることができたからさ……ボクの為に話してくれて、ありがとう」
「別に、あれは私がズルいと思っただけよ。お詫びのケーキをサボってまで買うほどのことじゃないから」
……それはそれとして、貰ったものはちゃんと食べるけど。
ケーキの箱と瑞希の目の間で視線を行ったり来たりと彷徨わせていると、思い出したかのように瑞希が声を出す。
「あ、そうだ」
「わっ、急に何よ?」
「ボク、絵名に改めて言いたいことがあって呼んだんだった!」
「あ、ケーキを渡すためじゃなかったのね」
セカイに来てからの話題がほぼケーキだったので勘違いしていた。
しかし、本当に本題があったらしく、瑞希は首をブンブンと横に振ってから本題に入る。
「ボクが秘密にしてたことなんだけどさ……絵名に言った勢いでバラシちゃえって思ったりもしたけど、まだ奏達に言うのは怖くて」
「あー、そこは私のパワープレイのせいだから無理しなくてもいいんじゃない?」
「ありがとう。だから、ボクも絵名の秘密については胸の内に留めておくよって伝えたくてね」
「それを言う為に呼んだの?」
「うん。そういうのはちゃんと伝えた方が良いと思ってね」
律儀である。それだけ感謝してくれている、ということだろうか。
笑みを浮かべる瑞希に、私も笑みを返した。
「そっか。ケーキのことも含めてありがとね」
「全然! ボクの方こそ毎日ケーキを差し入れしたいぐらい、絵名には感謝してるんだから!」
「あんた、実は嫌がらせしようとしてない?」
……やっぱり感謝してるっていうのは嘘で、記憶喪失を暴露する必要はなかったのでは? と後悔しそうになった私は悪くないと思いたい。
まるで小豚さん育成計画でも聞かされてるのではと思ってしまうような所業に、私の顔から笑みが消し飛んだのは当然の話だった。
好きな物でも毎日ずーっと強制的に食べることになったら、嫌いになることもあると思います。
(ソースは作者)