そこにはいつも『誰か』はいるのに、毎回『彼女』だけはいなかった──
「はぁ……」
ほぼ私の私室と化している美術準備室に重たい溜め息が響いた。
溜め息の原因はもちろん、雪平先生の「絵画教室に来なくていいですよ」発言だ。
言われたその日にニーゴやセカイの皆と絵を見比べて、何なら翌日には二葉と南雲先生にも相談した。
二葉も雪平先生の言っていることがわからないらしく、教室に行けなくて大丈夫なのかという心配と雪平先生にそれとなく探ってみようかと提案された。
それは最終手段ということで辞退したけど。
南雲先生はわかったような顔をしたものの、結局「ごめんねー。言いたいけどこれ、先生って立場の人間が言わない方がいいかも~」と今回の件では戦力外だと言われた。
今、上から言われても私に悪影響があるかもしれないとのことなので、追求することはできなかった。
他にも絵画教室に通っている人達に聞いてみたものの、手ごたえは無し。
(唯一のヒントっぽいのが、ルカの言葉かな)
皆でセカイで絵を見ていた時にルカが「私にはその雪平先生という人が絵名の話からしかわからないけど」と前置きをしてから言っていたことがある。
確か、ルカは『でも、教室に来なくて良いといったのであれば、それにも意味があると思うわ』と言っていた。
そこも踏まえて答えを探すと面白いかもね、と笑みを浮かべていたのであれはルカなりのヒントなのだろう。
メイコは前回の会話が珍しかっただけで、今回はノータッチだ。これで、私が現在聞ける絵に詳しい知り合いとかはほぼ全滅したことになる。
……どうしてほぼなのかは聞かないで欲しい。1人、偉大な画匠様が近くにいるけれどこういうことで頼りたくはない。
(とはいえ、ここからどうしようかなぁ)
はぁ、とまた溜め息が漏れる。
まふゆがいたらまた幸せが逃げるよ、とか言ってくるのだろう。今日は部活らしくて来ていないが、いたらそれに近いことを言われるのは予想できた。
「──かな?」
「──だと思うよ」
とりあえず絵を描いていたら、隣で部活をしている日以外は静かだった準備室に人の声が聞こえてきた。
珍しい。誰か美術室に忘れ物でもしたのだろうか。首を傾げつつも手は動かしていると、コンコンコンと軽快なノック音が響く。
(……目的は隣じゃなくてこっちかー)
誰なのか心当たりがなくて天を仰ぐが、待たせるのもよろしくない。
悪戯ならそれでよし。意を決して扉を開くと、私もよく知る4人組が2列に並んで扉の前に屯していた。
「えな先輩、こんにちは! 来ちゃいました~!」
「こんにちは、絵名先輩。大勢で押しかけてすみません」
にっこりといい笑顔を浮かべる咲希ちゃん、と申し訳なさそうに頭を下げる穂波ちゃん。
その後ろには苦笑している一歌ちゃんと志歩ちゃんという幼馴染の布陣だ。
来訪者は知り合いだということは安心した。しかし、今まで美術準備室にまで来ることはなかった子達が揃って何の用だろうか。
心当たりがなくて首を傾げるものの、このまま4人を立たせたままにするのも忍びない。
「こんにちは、皆でここまで来てくれたの? ここで立ち話をするのも何だし、中にどうぞ」
自分の私室というわけでもないのだが、我が城のように占領している場所なので4人を部屋に招き入れる。
とりあえずお茶を4人分入れてから、改めて用事を聞く体勢に入った。
「それで、今日はこんなところまでどうしたの?」
「昨日、宵崎さんから絵名先輩が悩んでるから意見を貰えないかと話を聞いて、何か力になれないかと咲希に相談して」
「いっちゃんから話を聞いたアタシが美術準備室にいるえな先輩のところに突撃してみようと提案しました!」
「私は咲希に巻き込まれたんですけど……」
「あ、わたしも宵崎さんからお話を聞いていたのと、3人が集まっているのを見て、気になったのでついてきました」
「な、なるほど」
どうしてリレー形式で説明してくれたのかは不明だが、私が悩んでいるのを知っている奏が気を利かせて一歌ちゃんに相談したようだ。
その後、一歌ちゃんが咲希ちゃんに話したところ、私に突撃するという案が出て、ついでに志歩ちゃんと穂波ちゃんも付いてくるというレオニ組勢ぞろいな状況になったと。
(事の発端は奏かぁ……後でお礼を言わないとね)
今いない奏への感謝は後で改めて行うとして、今は奏の話を聞いて私の所にまで来てくれた皆に感謝しよう。
「こんなところにまで来てくれてありがとね。それで、奏からどんな話を聞いたのか教えて貰ってもいいかな?」
「宵崎さんからは絵名先輩が絵画教室で先生に言われたことについて悩んでいて、できれば沢山の人の意見が欲しがっているけど順調じゃないと聞いています」
「そうなんだ……じゃあ、掻い摘んで説明させてもらうね」
何も知らない人からヒントを貰えると思っていないので、とりあえず雪平先生から言われたことなどを搔い摘んで話す。
今日、1人でも考えようと肩が外れるんじゃないかと思うような気持ちで過去の分のスケッチブックを持ってきていて良かった。
……2度とこんな苦しい思いをして荷物を運びたくないので、今度からはセカイに保管させて貰って、必要になったら適宜持っていくようにする予定だけど。
余計なことを考えていたら、一歌ちゃん達に話していた経緯も一通り話し終えてしまった。
4人の神妙な顔を見るに、私の考えていたことは漏れていない様子。
安心しつつも申し訳なく思うこちらの気持ちも透けて見えていないようで、真剣な表情の一歌ちゃんが口を開いた。
「正直、絵に詳しくはないんですけど……色んな意見が欲しいということなので、頑張ってみます」
「そんなに真剣に受け取らなくていいよ。見て、協力してくれるだけでもありがたいもの」
かなり真剣に取り組んでくれようとしてくれている4人にありがたく思いつつ、私はスケッチブックを取り出した。
雪平先生に見せていた分だけでも辞書のような分厚さになっているのだから、今から見せる4人に申し訳なく思う。
「うわ、すごい数ですね……」
「うん、4年近く描いてきた絵を丸々持ってきたからこれだけの量になっちゃって。こっちは最近のであっちが古い方だから、適当に見てもらえると嬉しいかな」
一歌ちゃんが目を丸くして呟く言葉に、私の内心は土下座態勢だ。
雪平先生が過去の絵と比べて~という話になったのでこんな暴挙に出ることになったのだが、それに巻き込まれている4人は堪ったものではないだろう。
しかし、ここにいる子は非常にできた子達だからなのか、嫌そうな顔を見せることなく紙束へと手を伸ばしてくれた。
「すご~い! えな先輩が最近描いたっていう絵、教科書みたいだよー!」
「教科書みたいってそれ、褒め言葉なの?」
「当然だよ、しほちゃん! すっごい褒め言葉だよっ」
「そうなんだ……すごいって言葉よりも具体的だから良いのかな?」
咲希ちゃんはわー、すごーい! と見せている側からすると鼻が天狗みたいになりそうなリアクションと共に絵を眺めていて、志歩ちゃんが難しそうな顔で何かを考えている。
「誰かの絵をこうやって見比べることなんて初めてだけど……変化しているのがわかるのが良いね」
「うん。わたし達も2、3年後に今撮っている動画とかを見返して、成長を感じたりするのかもしれないね」
「どうだろう。最初の方の動画を見てて悶えるかもしれないよ」
「確かに過去の自分だからこそ、色々と言いたくなっちゃうかも」
一歌ちゃんと穂波ちゃんはそんなことを話しながら絵を見ていた。
そうやって絵を見てもらってから数分ぐらい経っただろうか。
ニーゴの皆や先生以外にまじまじと練習として描いた絵を見られることなんてほぼ無かったので、そわそわとしながら4人の様子を窺っていていると、ふと、一歌ちゃんと視線が合う。
「あの、1つ聞いてもいいですか?」
「見てもらっているのはこっちだし、答えられることならいくらでもいいけど……聞きたいことって?」
「その、音楽と絵は違うってことはわかってるんですけど。どんな想いで絵を描いているのか気になったんです」
「どんな想い、か。絵によってテーマとかは違うから難しいんだけど……」
真っすぐ見つめてくる一歌ちゃんには悪いのだけど、今見せている絵はどちらかというと上達する為に描いた絵なので、想いと言われても『上手くなりたい』という色が強い。
(いや、そういうことを言ってるんじゃないわよね。ニーゴの絵とかそっち方面で考えたら……)
思考修正して再度考えよう。
一歌ちゃんに言われてみれば……ニーゴのイラスト担当として描いている絵やコンクールの絵も、そもそも練習の時に描いている絵も全部、私の描いている絵は大体傾向が決まっていた。
「──やっぱり、誰かに寄り添えるように描いてるかな」
「寄り添う、ですか。じゃあこの絵達も?」
「うん。それは全部練習として描いたけど……強いて言うなら『東雲絵名』に寄り添って描いてたかな」
一歌ちゃんの問いかけに頷いてから周囲を見渡すと、不思議そうに眼を瞬かせた咲希ちゃんの姿が目についた。
「自分に寄り添うって……不思議な表現だなぁ」
「私は自分の想いに寄り添っているからこそ、この山みたいな量の絵が描けたんだなって思ったからそこまで違和感がなかったけど」
「そういう解釈もあるんだ! アタシは寄り添うって言えば人の気持ちとかのイメージがあったよ~。ありがとう、しほちゃん」
「別に感謝されることでもないし、私の勝手な感想だからね」
「そっかぁ……そこの所、えな先輩はどう思ってるんですかっ?」
咲希ちゃんと志歩ちゃんのやり取りを黙って眺めていると、矛先がこちらに向けられた。
期待するような目を見る限り、誤魔化すことも難しそうだ。
志歩ちゃんの言葉も間違いではないので、ここは便乗させて貰おう。
「画家になりたいって思って絵を描いてきている身としては、志歩ちゃんの感想に花丸をあげちゃうかな」
「だって。花丸が貰えて良かったね、しほちゃん!」
「花丸で喜ぶような年でもないけどね」
嬉しそうに笑っている咲希ちゃんと、それを微笑ましそうに見つめる3人は本当に仲が良いんだなとこちらまで微笑ましくなる。
(……自分の為、か。私の絵の原点には自分なんていないのにね)
まだ雪平先生が言っていた理由はわからないけれど、一歌ちゃん達と話したことで改めて思い出したことがある。
私の絵の原点はあのスケッチブックであり、東雲絵名だった。
そしてそれは今も変わっていないという確信が、自分の中にあった。
──それに本人はちゃんと、気がついているのだろうか?
知っていてやっているのなら良い。誰かのためにという行動も、突き詰めていけば究極のエゴになる。
だが、本人も絵に出ているのに気が付いていないのであれば……技術だけでは頭打ちになってしまうのは、目に見えていた。