イラスト担当は記憶を無くしました   作:大森依織

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14枚目 去年の春、今年の春

 

 

 ──今日は何故か、いつも起きている時間よりも1時間早く目が覚めた。

 

 

 

 喉が痛いぐらいに渇き、寝汗が酷いのが原因だろうか。

 ペットボトルの水を飲み、タオルで汗を拭ってから再びベッドの中へ。

 

 いつもより睡眠時間が短くなってしまうからもう1度寝ようと思っているのに、目がパッチリと覚めてしまって眠れない。

 

 15分ぐらい粘ってみたものの、夢の世界に旅立てなかった私は寝るのを諦め、朝ご飯を食べに向かう。

 今日は珍しいじゃない、なんて言われるのかなと思っていたのに、誰にも何も言われなかった。

 

 それどころかお母さんは心配してくるし、彰人は一緒に登校するとか言い出したのだ。

 早起きしてしまうことといい、家族の様子といい、とにかく変な朝だなー、としかこの時は思っていなかったんだけど。

 

 

 ──そう、私は外に出て現場を通り過ぎるまで、今日が事故に遭った日だってことを忘れていたのだ。

 

 

 だから珍しく早くに目が覚めて、朝活をしている時以外はギリギリの登校を繰り返していた私の朝が早くなったのか。

 他人事のように自分の不調を分析して……やっと、お母さんや彰人の優しさの理由に気が付くことができた。

 

 

「彰人……ありがとね」

 

「おう」

 

 

 後でお母さんにも声をかけよう。

 そう決めつつ、彰人にお礼を言ってから教室の前で別れた。

 

 いつものように教室に入り、いつもの席に行こうとして、疑問が浮かぶ。

 席には喋ったことのないクラスメイトが静かに勉強をしていて、来月から受験生だな、と呑気なことを考えている間に思い出す。

 

 

(あっぶな……そういえば先週、最後の席替えで廊下側のまぁまぁいい席をゲットしてたっけ)

 

 

 週末の最期のホームルームで席替えをしていたので、危うく前の席に向かいかけた体を新しい席へと誘導する。

 早めの時間なので、まだ教室に人がいないのが唯一の救いかもしれない。

 

 私の前の席は愛莉だし、間違えることはないだろう。

 なんて油断から、席替えの記憶を頭から抹消していたことに後悔しつつ、鞄を机の横に掛ける。

 

 珍しく私の方が早く来てしまったから、愛莉もいないし暇だ。

 こういう時は絵でも描こうか。どうせなら、まだ登校してこない愛莉を描くのもいいかもしれない。

 

 

「おはよう、絵名。今日は早いのね」

 

 

 そうこう考えている間に、愛莉が教室に入ってくる。

 その目は案の定、珍しいものを見るように丸められていた。

 

 

「おはよ。今日は早めに目が覚めちゃってね」

 

「へぇ、絵を描く以外の理由で早いなんて珍しい。絵名っていつも、ギリギリで滑り込んでいるのに」

 

「いや、3分前行動なだけでギリギリじゃないし」

 

 

 間に合っているのだから問題はないだろうと、前に座る愛莉に開き直りたい。

 しかし、珍しい行動というのは事実なので、それだけは素直に認めておこう。

 

 

「1年もあれば早く来る日もあるってことで」

 

「それが続くといいけどね……あ、ごめんなさい。少しSNSをチェックしてもいいかしら?」

 

「別にいいけど」

 

「ありがとう、朝は何時も確認してるのよね」

 

 

 愛莉はスマホを取り出して、画面に指を滑らせる。

 別に学校に持ってきてはいけないと言われていないものの、先生に見つかったら面倒なものの代表が『スマホ』だ。

 先生に触っているところを見つかると高確率で取り上げられるか、指導対象になる代物。

 

 負の側面ばかり見てしまう私は、よくもまぁ堂々と触れるなと、愛莉の胆力に感心してしまった。

 

 それが顔に出ていたのか、愛莉はスマホから少し視線を上に向けて苦笑する。

 

 

「絵名は知らないだろうけど、先生はいつも予鈴の5分前に来るから大丈夫なのよ」

 

「ねぇ、それって遠回しに『来るのが遅い』って言ってない?」

 

「親友としては、今日みたいに毎日早く来てくれたら嬉しいのにとは思ってるわよ」

 

「……もう。遅刻はしてないんだからいいじゃない」

 

 

 愛莉もお母さんのように心配し過ぎなのだ。

 遅刻したところで死ぬわけではないのだから、そう深刻に考える必要はないと思うのは私だけなのだろうか。

 

 うんうんと私が悩んでいるというのに、目の前の親友様は朝の日課(スマホ)に夢中だ。

 考えるのも馬鹿らしくなって、私も絵を描こうと鉛筆を握る。

 ほんの少しの話声と風の音。被写体はちょうど目の前にいる親友にしようと観察していると、彼女は「あ……」と声を漏らした。

 

 

「どうしたの?」

 

「知り合いの子が炎上しててね……それで声、出しちゃったみたい」

 

 

 ごめんなさい、と眉をハの字に下げつつも、愛莉の目はスマホに向けられている。

 

 

「へぇ、朝から燃やされるなんて災難ね」

 

「実は朝じゃなくて、昨日の夜からなのよね……まだ収束できてないのかって、余計に驚いちゃったの」

 

「炎上って、アイドルも大変ねー」

 

 

 SNSの炎上は当事者の軽率な行動や発言だけでなく、第三者による投稿でも炎上する危険があるらしい。

 そこからインフルエンサーに見つかったら最後、ねずみ講のように広がって瞬く間に燃え広がるんだとか。

 

 

「絵名も他人事じゃないわよ。将来、絵を投稿したりするでしょうし」

 

「しないとは言い切れないけど。フォロワーなんてそう簡単に増えるものじゃないし、炎上なんて縁遠いから」

 

 

 そもそも、流行を追うだけならば投稿はしなくても十分なのである。今のところ困ったことはない。

 

 

「甘いわねぇ。それに、絵名って素材がいいから顔出ししたらすぐに人気になるわよ」

 

「お世辞でも、アイドルにそう言われるのは光栄だけどさ……」

 

 

 テレビに出ている子にそこまで言われるのは流石にリップサービスが過ぎる気がして怪しい。

 本気にとらえていない私の態度が良くなかったのか、愛莉は椅子ごとこちらに体を向けて、険しい顔を作った。

 

 

「イマイチ実感がないようね」

 

「まぁ……馬鹿なことをしなければ他人事だし」

 

「甘い、甘いわ! 明日は我が身と思わなければいけないのがこのネット社会なのよ!」

 

 

 さっきまで他の子の炎上を心配していた様子はどこに行ってしまったのか。

 スマホを鞄に入れた愛莉の目がギラリと輝いた。

 

 

「だから今日の朝は特別に、たっぷりと炎上の恐怖を叩き込んであげるわ!」

 

「え、遠慮したいんだけど」

 

「……わたしの復習にもなるし、付き合ってちょうだい」

 

 

 ちらりと鞄に向けられる愛莉の視線。

 元気なように見せかけて、かなり堪えているのかもしれない。

 スケッチブックはそのままに、鉛筆をクルリと半回転させて削られてない方を紙に向ける。

 

 

「聞くかどうかは、愛莉の話が面白いかどうかで決めよっかな」

 

「そこはちゃんと聞きなさいよ」

 

 

 じっとりと湿度の籠った視線を横にずらしてやり過ごせば、諦めてくれた愛莉が口を開く。

 アイドル視点からの炎上講座は新鮮で、思わずルーズリーフを1枚丸々使う程度には面白かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません、姉貴はまだいますか?」

 

 

 放課後、真っ直ぐ絵画教室に行こうとしたら、外面の良い彰人が現れた。

 爽やかな笑顔に丁寧な口調。完璧な猫を被り、武装は完璧のようだ。

 なんだか嫌な予感がしたので後ろの扉から抜け出そうとしたら、愛莉に右手を掴まれてしまった。

 

 

「彰人君、お疲れ様。絵名ならここにいるわよ」

 

「桃井さんもお疲れ様です。今日は母さんから一緒に帰るように言われているんで、迎えに来たんですよ」

 

「へぇ、優しいのね。捕まえておいたから、安心して持って帰ってちょうだい」

 

「はい、勝手に帰る前に捕まえて貰ったみたいで助かりました。ほら、帰るぞ」

 

「え、あ、ちょっと……愛莉、また明日ね!」

 

「はーい、じゃあね!」

 

 

 右手を繋がれる先が愛莉から彰人へ、流れるようにバトンパスをされてしまい、逃げる暇さえ与えられない。

 慌てて振り返って愛莉に手を振り、私は手を引かれるがままに学校を出た。

 

 

「ちょっと彰人、今日はどうしたのよ。今まで1度も迎えに来たことなんてなかったのに」

 

「お前、朝のこと自覚ねぇのかよ」

 

「朝って?」

 

「起きてきた時、血の気が全くないんじゃないかって思うぐらい真っ青だったんだぞ。それなのに平然と学校に行こうとするし、放っておいたら絵画教室にも行ってただろ」

 

 

 まるで私の行動なんてお見通しと言わんばかりに、全部言い当てられてしまった。

 幽霊みたいな白い顔も化粧で誤魔化したし、彰人がいなければそのまま絵画教室に行っていただろう。

 

 

「彰人も練習あるんじゃないの? この前、悔しそうに帰って来てたの見てたし……私に構ってないで行けば?」

 

「ここで目を離したら、絵画教室直行するのは目に見えてるから却下だ。お前、事故の衝撃で絵に関しては記憶どころか、頭のネジまで抜けてるだろうが」

 

「うぐっ……」

 

 

 本当に、この弟様は私のことをよく理解してらっしゃる。

 記憶どころか、絵に関しては頭のネジも抜いちゃったというのは私も存じているところ。

 理解のある弟とお母さんは非常に厄介である。

 

 

「後、この際だから言っておくが」

 

「何よ」

 

「あんまり気にすんなよ。オレも顔に出てるのかもしれねぇけど、記憶に関してはお前は何1つ悪くないんだからな」

 

「……うん」

 

 

 きっと彰人は知らないから、そう言ってくれているのだ。

 この記憶喪失が代償によるもので、願い(わたし)がいる限り記憶(えな)は戻ってこない。

 

 それを知ったら、今の彰人の反応も変わってしまうのだろうか。

 そう思うと、繋いでいる手を離したくなるぐらい恐ろしくなった。

 

 そんな私の内心を察したのか、彰人は繋いでいない手で頭を掻き、手が離れないように握ってくる。

 

 

「ほら、オレの練習時間を気にすんならさっさと家に帰るぞ。母さんに引き渡すまで安心できねぇからな」

 

 

 最近、身長が一気に伸び出している彰人は気がつけば私の身長なんてあっさり抜いていて、繋いでいる手も大きくなっていた。

 去年病室で見た時はあんなに小さかったのに、1年という月日は彼の身長を伸ばすのには十分な期間のようだ。

 

 

「ところで彰人」

 

「なんだよ」

 

「あんた、いつまで手を繋ぐつもりなの? いくら私が大好きだったとしても、いい加減離してほしいんだけど」

 

「は!? ふざけんなっ。こっちは母さんに『捕まえてから、家まで連れ帰ってきてね』って言われてんだよ」

 

「はー? なにそれ。誰がリードをつけた犬ですって?」

 

「誰も言ってねぇ。そもそも小動物を恐れる必要もねぇよ」

 

「否定するのか肯定するのか、どっちかにしなさいよ」

 

「そう言われてもな……絵名はどちらかというと猫だろ」

 

「ここで第3の選択肢を持ってくんな、バカ」

 

 

 わいわいと帰る2月の帰り道は去年の春に比べると、精神的にとても温かかった。

 

 

 

 

 

 

 去年の3月の春は、冷たい病室で目を覚まして。

 何もかも無くして、怖くて、寒くないはずなのに冷たく感じる春だった。

 

 

 だが、今年は2月からすでに家族の温かさを感じている。

 家族も周りの人も温かくて、ただ、私が私自身を受け入れきれてないだけ。

 これからもっと温かいなって思う日が増えるのかなと想像すると、何か良いなって笑顔になる。

 

 

 

 ……そんな、ぬるま湯に浸かる私に罰が下ったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 中学3年、5月の春──東雲絵名は炎上した。

 

 

 

 





記憶になくとも体が覚えているトラウマの香り。

さて、皆様の心の準備はできたと信じて。
今まで休暇を取っていた警告タグが働く時がきましたが、このまま突き進みます。

……それでは、次回もよろしくお願いします。
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