イラスト担当は記憶を無くしました   作:大森依織

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今回はリンさんとえななんが仲良くお話しする話です。





140枚目 音も出ない

 

 

 

 

 雪平先生から頻繁に来なくてもいいと言われても、私の絵を描く生活は続くわけで。

 今日は特に何も用事がなかったので、1日部屋に籠って真っ白な紙の前に向き合っていた。

 

 本当はスケッチブックに描きたいところだけど、枚数を描き殴りたい時は費用面も気にしなくてはいけないのが辛いところ。

 描き心地の良くてお手頃価格の紙を引っ張って来て、せっせと絵を描いているのである。

 

 

『──絵名』

 

 

 そうして時間も気にせずに鉛筆を動かしていると、ふと、後ろからリンの声が聞こえてきた。

 

 恐らくリンがスマホを通じてセカイからこっちまで来ているのだろうが、現在のスマホの位置はベッドの上だ。

 丁度机からは見えない位置にあるので、休憩がてら立ち上がり、リンがいるであろうスマホを確認した。

 

 

「いらっしゃい、リン。部屋まで来るなんて何かあったの?」

 

『別に、気が向いたから来ただけ。悪かった?』

 

「悪いとは思ってないよ。ただ……今日も絵を描く予定だから、暇になっちゃうかもしれないけどね」

 

 

 スマホを机の上に移動させて、リンを私の主戦場に連れて行く。

 すると、リンは机を見渡してから『えっ』と短い悲鳴を出した。

 

 

『なにこれ、今から何かの儀式でもする予定なの?』

 

「しないけど!? ……一体、私の絵が何に見えてるのよ?」

 

 

 そんなに画力が落ちているのだろうか。

 そう思って近くにあった1枚を手に取ったものの、皺も陰影も我ながら上手く表現できた綺麗な手のデッサンだとしか思わなかった。

 

 わからないなと首を傾げていると、リンがわざとらしく溜め息を吐く。

 

 

『手だけを描いた絵が10枚以上見えたら、わたしは怖いと思うけど』

 

「そうかな? 私って同じ部位でも10枚、20枚ぐらいデッサンしないと、満足に絵を描けないタイプだから。これぐらいは普通なんだけどね」

 

『ふぅん。同じものばっかり描いてて飽きないの?』

 

「そこは全然、足りないぐらいなんだけど……人様に見せるようなものじゃないよね。ごめん、すぐに片付けるから待ってて」

 

『わたしも急に来たから、気にしなくていいよ』

 

 

 リンはそう言ってくれているが、最初の『何かの儀式に見える』というのが正直な感想だろう。

 改めて確認すると、確かに客観的に見たら手の絵ばかり並んでいる机は何も知らない相手が見ると恐怖を感じるかもしれない。

 

 悪いことしたなと思った私は、慌てて紙を見えないように隠した。これでリンが不快に思うことはないはずだ。

 

 

『ねぇ、絵名って手以外にもこうやって描いてるの?』

 

「まぁね。できないのなら、できるようになるまで数を描くのが1番だから」

 

『そうなんだ。目だけ描いてる絵が並んでたら、今の絵よりも怖いと思う。その辺りは気にした方がいいよ』

 

「うぐ……今度からは気を付けるから許して」

 

 

 リンが例に挙げたシチュエーションというか、出来事に心当たりがあり過ぎて早々に折れた。

 延々と目元とか瞳の虹彩模様とかを描き込んでいた時間も過去にあったのである。

 

 その時はお母さんにノックされて、慌てて片付けて事なきを得たが……たぶん、あれはお母さんに変な勘違いをさせてしまったと思う。

 もう高校生云々と訳も分からないことを言っていたし、あんな風にはなりたくない。

 

 リンのチェックによって手もダメだったということがわかり、私は改めて気を付けよう。2度目はしないと反省した。

 私が黙って脳内反省会をしていると、リンが慌てた様子で言葉を紡ぐ。

 

 

『その、セカイでは同じ絵を描いてなかったからびっくりしただけで、悪いことだとは思ってないから。パッと見た時は怖かったけど、絵名の頑張ってる姿が見れて良かったとは思ってる』

 

「うん……フォローありがとう、リン」

 

『別にそういうつもりじゃない。思ったことを言っただけ』

 

 

 視線を逸らしているリンはそう言ってくれているが、そこで言葉に甘えて改めないのは違う。

 描くのをやめるのは無理だとしても、今度からは1枚1枚片付けよう。そうすれば事故になる可能性は減らせるはず。

 

 脳内反省会はもう終わりだ。ボーっとし過ぎてリンが拗ねてしまう前に、私は意識を戻した。

 

 

「私は絵を描くのを再開しようと思ってるんだけど、リンはどうするの?」

 

『絵って、また手を描くの?』

 

「その予定かな。後5枚描いたら、今日は別のものを描き詰めようかと思ってるよ」

 

『描き詰めるって何?』

 

「さっきの手の絵みたいな状況を作るってこと、かな」

 

『えぇ……?』

 

 

 心底引きました、と言わんばかりの声音がリンの口から放たれた。

 

 普通の人はそんなに描かないと言いたいのだろうか。

 

 私の行動が傍から見たらヤバい人なのは今日、自覚した。

 だが、こちらは天才に追い縋るには普通の倍以上は描かなくちゃいけない身なのである。どうか広い心で見逃してほしい。

 

 そんな私の切実な願いが届いたのか、リンは横棒のように真っすぐだった口角を上げた。

 

 

『でも、絵名が意外と平気そうで良かった』

 

「え、何で?」

 

『わたしやミクも聞いちゃったけど、奏とまふゆに秘密を言ったんでしょ。そのせいで何か悩んでたりしてないか気になってた。でも、その様子だと悩んでなさそうだね』

 

 

 瑞希だけでなく、今回の件で奏とまふゆに記憶喪失のことを伝えたので、精神的に参ってないかリンは気にしてくれていたようだ。

 こうして気にかけてくれる人がいるって自覚すると、なんだか胸の中が浮つくような気分になって落ち着かない。

 

 素直になれない気持ちが顔を出したせいか、私は首を横に振ってしまった。

 

 

「いやいや、あの後のことで悩み事が全くないわけじゃないからね?」

 

『そうなの?』

 

「そうなの! 特にまふゆが拗ねて大変なんだから、少なくともそこは悩み過ぎて体の節々が痛いのよ……」

 

 

 話した次の日──学校でまふゆに会った時にふと、怖いぐらい綺麗な笑顔で「そういえば、絵名の秘密を真っ先に知ったのは瑞希なんだね?」とか言われ、そこからが地獄だった。

 

 あの様子を見るに、怒ってはいなくても拗ねていたのは確実だと思う。

 

 セカイではいつものすまし顔、人がいるところでは優等生らしいニッコリ笑顔。

 それなのに2人っきりになるとむっすーとした顔のまま、左手を離してくれないのである。

 

 右手を占領しないという譲歩は感じるので強く言うこともできず、おかげ様で毎日左手が麻痺する時間が設けられることになった。

 我が物顔で左手を占領するまふゆに、それはまふゆのじゃなくて私の左手だと何度言ったことか。

 

 しつこく訴えたら鳩尾に頭突きをしてから鎖骨部分に穴を開けそうな勢いでグリグリと頭を擦り付けてくることもあり、結局左手には犠牲になってもらった。

 そういうこともあり、リンの言っている意味からは遠く離れていても、悩みがないとは口が裂けても言えないのである。

 

 

『……後でミクに声かけとくね』

 

「ありがと。リンを間に挟んだら、まふゆにも通じてくれるかもしれないから助かるわ」

 

 

 正直、まふゆがあそこまで拗ねるのは予想外だったが、きっとリンに説得されたミクならばなんとかしてくれるはず。

 私がミクに泣きついてもまふゆに丸め込まれる未来しか見えないが、リンを間に挟めばきっと大丈夫だ。そう信じよう。

 

 

「リンのお陰で悩み事も解決しそうだし、いいデッサンができそうね」

 

『……ねぇ、絵名。確認したいことがあるんだけど』

 

「確認したいこと? それって何?」

 

 

 笑い話のようなお悩み相談の後とは思えないぐらい、リンの声は真剣だった。

 その声に笑った状態で対応しようとは思えず、私も笑みをグッと飲み込んで気持ちを切り替える。

 

 結果的に言うと、その行動は間違いなかったようで。

 

 

『──絵名のどうしても言いたくないことって、本当に記憶喪失だったの?』

 

 

 まるで首を鷲掴みされたような衝撃的な言葉が、リンの口から放たれた。

 

 

「どうして、そう思ったの?」

 

『……そう思ったからとしか。別に、言いたくないのならそれでいいよ。確認したかっただけだし』

 

 

 そう言ったリンはそれ以上追求するつもりはないらしく、視線を外してきょろきょろと部屋を見渡し始めた。

 

 興味を無くしたように見えるが、安心はできない。

 リンに感付かれてたのは間違いないのだ。安心できる方がおかしい。

 

 

(あっ。そういえば、リン達にセカイでスケッチブックのことを任せたんだった)

 

 

 最近意識していなかったせいか、リンにはあのスケッチブックの異常性の一端を見られていたのを忘れていた。

 それを思い返せば、あの異常な状態と記憶喪失を紐付けてもおかしくないように思う。

 

 脇が甘かったのか、あるいは──いや、今は自分の気持ちを考察している場合ではない。

 だが、ここで嘘をつくのも嫌だと思ったので、否定も肯定もせず、正直に答えた。

 

 

「本当かと言われたら……記憶喪失の件も瑞希がいなかったら、墓場まで持って行くつもりだったよ」

 

『そう、わかった。答えてくれたから、わたしからの質問はおしまいにする』

 

 

 リンは本当に追求するつもりがないようで、それ以降は本当に話に触れてくることはなかった。

 宣言通り5枚くらい絵を描いて一旦休憩しようと思った時でも、リンは何も言ってこない。

 

 

「見てるだけって飽きるでしょ? 無理しなくてもいいからね」

 

『大丈夫。でも、気にしてくれるなら絵名と話したい』

 

 

 要するに『構ってほしい』ということだろう。

 このまま不気味空間を作るのも嫌がられるだろうし、今日の題材はリンに切り替えてもいいかもしれない。

 

 

「じゃあ、リンが嫌になったらいつでもやめていいから、話をしながら絵のモデルになってもらってもいい?」

 

『いつものことだから、平気』

 

「そんなに言うほどいつもだっけ?」

 

『絵名は大体、話を振ったら皆の話か絵、後は自分の好きなものの話しか出てこないよ』

 

「3つもあるじゃん」

 

『はぁ……種類で言えばそうだけど、割合は皆の話と絵の話で9割。残りの1割でやっと、自分の好きなものの話だからね』

 

「……」

 

 

 ぐぅの音も出ないとは、こういうことなのだろうと。

 今日、1番勉強になったのはこれだったかもしれない。

 

 

 

 

 






この世は努力をすれば報われる世界だとは言えませんけども。
それでも、とにかく向き合い続けて、考え続けないと何事も上達しないわけでして。

折れても凹んでもの暫しの間逃げてしまっても、天才であろうが凡才であろうが誰であろうとも、結局勝つのはその場に立って居続けられた人のみ。

そう考えると、世界は残酷ですね……
続けられるってのも巡り合わせであり、才能なんだと思います。ありがたいことですね。


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