イベスト中なのに挟まれる、存在しない記憶──
期待に応え続けるって、どういう感じなのだろう?
自分自身に期待するってことはないだろうし、やっぱり『期待』といえば他人からであったり、他人に対して向けるモノだという印象が強い。
期待というものは結局、他人に対して矢印を向けるものであり、期待するのもされるのも『他人任せ』だ。
自分ではどう頑張ってもコントロールできないモノ、それが期待なのだろうと私は解釈している。
私は自分で縛り付けて苦しんでたことはあっても、親や先生から期待しているとか、そういう言葉はあまり言われたことがない。
仮に言われていたとしても無視してるだろうから、覚えていない可能性もあるけれど、それは置いておくとして。
私のように覚えていないぐらい意識してなかったり、無視してやると思えるのであれば……消えたいと思い悩むことはない。
全部拾って抱え込もうとしているのだから、まふゆはどうしようもなく苦しんでいるのだろう。
その期待してくる相手が自分が大切だと思っている身近な人──母親となれば、その重荷はどれほどのものなのだろうか。
(まふゆが感じる重さを理解できるような経験は、私にはないのよね)
自分の部屋の椅子の背凭れに体を預け、天井を仰ぐ。
明かりがついていないせいで薄暗い色の天井が目に入り、耳には椅子が軋む音が聞こえてきた。
天井をじっと眺めていると、耳が時計の針が動く音を拾ってきたので、目だけを動かして時間を確認する。
(確か……模試の会場は9時から入室だっけ。今は丁度、会場に向かってる最中かな)
ひょいと背凭れから体を起こして、スマホに手を伸ばす。
試験前に応援のメッセージでも送ってみようか。
そう思ってスマホに文字を打ち込んでみたものの、どの文章も何故かしっくりこなくて。
(このままメッセージだけ送って、大丈夫なのかな)
文字での連絡なら、気遣い屋の瑞希が徹夜ついでにまふゆに送っていると思う。
来週のフェニランのことを絡めつつ、瑞希らしく応援している文章が脳裏に浮かんで、自然と口角が緩んだ。
……それなのに、どうにも胸騒ぎがして落ち着かない。
その文字のやり取りだけで、まふゆは大丈夫だろうか。
自分のお母さんが向けてくる期待とかに、潰されそうになっていないだろうか。
(テストとかが近いと空気とか全然違ってくるし……無理なら無理でダメ元ってことで)
画面に指を滑らせて『今、電話してもいい?』というメッセージを送信してみた。
模試前だし、本当はメッセージを送るだけなのがいいのかもしれない。
普段通りのまふゆならば嫌なら嫌だと言うだろうし、どうせ『何の用?』とか『電話じゃないとダメなの?』と淡々とした返事が返ってくるのは目に見えているのだ。
(素っ気ない返信が来たら、杞憂だったなーって笑えるもんね)
そう予想していたのに、返信の代わりと言わんばかりに着信音が鳴り響いた。
通知画面にはまふゆの文字が躍っていて、私は思わず叫んでしまった。
「あんたが電話するのは予想外なんだけど!? ……ごほん。もしもし、まふゆ?」
ビックリしてスマホを落としそうになったが、何とか誤魔化しながら電話に出た。
叫び声と咳払いは入らないように電話に出たはずなのに、スマホ越しの声はどこか訝しげに聞こえる。
『絵名が電話したいって言ったのに、何でそんなに驚いてるの?』
「だって、まふゆの方から電話が来るとは思ってなかったんだもの」
『……そうだね。どうして私は電話をかけたんだろうね』
「私に言われても困るんだけど?」
まふゆも自分の行動が予想外だったのか、心の底からわからないと言いたげな声が聞こえてくる。
本人もわかっていないことを聞いても、答えはすぐに出てこないだろう。ここは当初の予定通り、雑談をしよう。
「今って模試に行く途中の道よね? 良かったら歩きながら話さない?」
『絵名がどうしてもって言うなら』
「ふふ、うん。まふゆと今、どうしても話したいの」
『……じゃあ、途中までならいいよ』
表面だけを掬えば素っ気ないように感じるのに、言葉の端々まで聞けば嬉しそうな気持ちが見え隠れしているようにも聞こえる声。
私の勘違いか、あるいは付き合いが長いからこそわかった心の機微なのだろうか。
少しぐらいは自惚れてもいいかもしれない。そう自分に免罪符を与えて、まふゆに話しかけた。
「今日を乗り切ったら来週は皆で遊べるけど……そういえば、よくあんたのお母さんを説得できたわね?」
『絵名のおかげ』
「作戦のこと? それなら私だけじゃないでしょ」
何ならまふゆがフェニランに行くための作戦の骨組みを考えたのは瑞希だ。私は添えるだけのようなことしかしていない。
こっちはそう思っているのだが、どうやらまふゆの方は違っているらしく、『そうじゃなくて』と短い否定の言葉が聞こえてきた。
『お母さん、絵名の名前を聞いた瞬間に嬉しそうにしてたから』
「は? どういうこと……?」
『お母さん、絵名のこと知ってたみたいだよ』
「嘘でしょ?」
『本当だよ』
思わずもう1回、嘘かと聞きたくなるぐらいには信じられない話である。
そもそも、まふゆのお母さんが私を知っているなんてまふゆの口から聞いた今でも信じられない。
成功者しか認めません。子供が相手でも自分のお眼鏡に叶った行動をしないヤツは娘に近づくな!
……とでも言いそうだという偏見があったので、好意的に知られてるっぽい理由が本当に謎なのだ。
「親の七光り扱いされる無名の小娘の名前で、嬉しそうにするの……?」
『絵名が無名は無理があると思う』
「え、何でよ?」
『学校でもアートコンクールで受賞してた絵名のこと、宣伝してたから。お母さんもそういうのは見てるみたい』
「それにしても嬉しそうにする理由にならなくない?」
『宮女の東雲さんっていえば、東雲慎英の娘さんよね! って喜んでたから、調べたら出てくるんじゃない?』
「は? ……あー、出てくるわ」
言われてからパソコンで検索してみたら、あら不思議。
サジェストに出るわ出るわ、東雲慎英や七光りやら宮益坂女子学園やらといった文字。
SNSアカウントのエゴサをすることはあっても、自分の本名のエゴサなんてしたことがなかったから気が付かなかったけれど、検索したら想像以上にネットから情報が出てくる。
父親の名前によって大きくなっているらしい私の虚像に調べなかったら良かったと後悔してしまったものの、今はまふゆとの雑談優先なのでため息をグッと飲み込んで口を開く。
「まぁ、私の名前が役に立ったんなら良いか。それに、何も言われなかったってことは、今まで平和に過ごせてそうだし」
『そう、なのかな』
「……まふゆ?」
電話越しから聞こえてくる声は歯切れが悪く、少し苦しそうにも聞こえる。
返信するよりも前に電話をかけて来たことといい、やっぱり何かあったのかもしれない。
(何かあったのなら、思いっきり地雷を踏み抜いちゃったわよね、これ)
頭を机に打ち付けたくなったが、それを実行するわけにもいかず。
スマホを持っていない手が自罰を求めて宙を彷徨う中、音だけは響かせないように電話の向こう側から聞こえてくるであろう声を待った。
『何もなかったはずなの。でも、何故か──お母さんと話してから、胸の中が冷たくて』
「……そっか。どんな話をした時に冷たいなって感じたか、わかる?」
『変な話はしてないよ。ただ、今日の模試でA判定は取れるでしょうって、そんな話をしただけ』
しただけと言っているが、十中八九ソレが原因だろう。
模試でA判定なんて話が出てきているのを見るに、その後の言葉に『期待している』とか言われたのかもしれない。
(模試って自分の現在の実力を試すものだって認識だったんだけど。そんなにA判定が大事なのかな)
私だって、合格する可能性が高い方がいいってことぐらいは理解しているつもりだ。
しかし、高校2年生の時点で態々、身内の人間がプレッシャーをかけるほどのモノなのかと言われたら、私は首を傾げてしまう。
……こうやって話を聞いていても首を傾げてしまうことばかりだが、それでもわかることがある。
それは──崖っぷちの人間に対して『もっと進め』と背中を押すような真似を、見て見ぬフリはできないってことだ。
「まふゆ。別にお母さんの言う通りに頑張らなくても、模試をやり過ごしたっていいよ」
『え?』
「まふゆは普段から頑張ってるじゃん。それなのにもっと、もっとって気を張ったって、上手くいくこともいかなくなるって」
『それだとお母さんが……』
「模試を受けるのも、大学の試験を受けるのも。その先の道を歩き続けるのはまふゆ自身でしょ。なら、誰かの期待なんて無理して背負わなくてもいいって言ってるの」
誰かに期待をされて、背負ったところで大変な道を歩むのは背負った人のみ。
誰にも代わりになんてなれないのだ。それならば、不調になるまで期待を背負う必要なんてない。
「ここを乗り越えたら、来週は皆で遊べるんだから。模試っていう練習の場で苦しむぐらいなら、力を抜いてもいいでしょ」
まふゆが頑張っているのは知っているのだ。
ちょっとぐらい力を抜いたところで、悪い結果にはならないだろう。
言いたいことを全部ぶつけて、私はまふゆの返事を待つ。
『──わかった。頑張ってくる』
「いや、私の言ったこと聞いてた?」
その結果、返ってきた言葉は予想外のものだったのだけど。
無理して頑張らなくていいと言ったのに、どうして頑張ろうとするのか。
何と言うべきか頭の中で言葉を選んでいると、まふゆが先に言葉を発する。
『お母さんとか関係なく、奏や瑞希からメッセージを貰って、絵名と話して……それで、頑張りたいって思ったから』
──だから、頑張ってくるね。
そう言われてしまうと、私もそれ以上は何も言えない。
「そっか」
『うん……そろそろ、会場に着くから切るね』
「わかった。それじゃあ、いってらっしゃい」
『……いってきます』
まふゆの言葉を最後に、切られた通話画面をじっと見つめる。
奏も瑞希も連絡をしてくれていたようだし、余計なお世話だったかもしれない。
だが、これで心置きなく来週を楽しみにできると思えば、個人的には大きな収穫だった。
私はスマホをベッドの方へと投げて、机に向き合う。
こっちもいつまでも人の心配をしていないで、今日も絵の練習をしようか。
「──頑張れ、まふゆ」
というわけで、元のイベストと比べて1週間遅れたことによる調整的なお話でした。
次回はちゃんとフェニランに行きます。