奏さんとのお話です。
「あれ、奏じゃん」
「え、絵名……?」
フェニランから帰ってきた夜のセカイに、私と奏の声が響いた。
まさかセカイに奏がいるとは思っていなかった私と同じように、奏も私がセカイに来るとは思っていなかったのか、素っ頓狂な声を出している。
……それもそうか。
奏自身が『今日は疲れたし、まふゆ達も明日は学校だよね? 夜の作業は休みにしようか』と提案して、本日の作業はお休みである。
私も奏も、当然のようにセカイに来ている方がおかしいのだ。
「今日の作業は休みって言ってたのに、奏は1人で作業中なの?」
「うん……でも、絵名も同じじゃない?」
「私は眠たくなるまで絵を描こうかなって思って、こっちに来たんだけど。まぁ、どちらにしても同罪だから、お互いにナイショにしよっか」
私が唇に人差し指を持っていくと、奏も意図を察してくれたのかシーッというジェスチャーを返してくれた。
これでよし。後は皆に見つからないようにお祈りするだけだ。
「隣、いい?」
「うん、いいよ」
奏がノーと言うとは思えないが、念のために許可をもらってから隣に腰を下ろす。
譜面に向き合っている奏の邪魔にならないように気をつけながら、私もスケッチブックを開いた。
今日は既に線画で絵を描いているモノに色鉛筆で着色していく予定だ。
線画は普段から練習しているのだが、色入れは線画よりも練習が甘いということ。
後は最近、SNSで色鉛筆イラストを見て興味が湧き、それを口実に雪平先生のところに通い詰めているということもあり、今も自主練中なのだ。
そういうこともあって今日も今日とて絵を描いていると、何故か隣から視線を感じた。
「……奏?」
「あ、ごめん。じっと見ちゃって」
「謝るようなことでもないし、それは別にいいんだけど。奏は作業をしなくてもいいの?」
作曲している奏がこちらをじっとこちらを見ているのも珍しくて、思わず声をかけてしまった。
私のイメージしている奏ならば、私が隣で絵を描いていても作曲を優先しそうなものなのだが、どうしたのだろうか。
何かあったようにも見えずに首を傾げていると、奏は気まずそうに視線を楽譜へと戻す。
「絵名が色鉛筆を使ってるのは珍しいなって思って、じっと見ちゃった」
「最近、興味があって勉強中なんだよね」
「そうなんだ……やっぱり色鉛筆でも、わたしが小さい時に描いてた絵とは違っててすごいな」
最近勉強したばかりなので拙いところが多いのだが、奏がじっと絵を眺めてくるので恥ずかしくなってきた。
自分が挑戦することを選んだとはいえ、だ。
未だに満足できる絵が描けていないので、完成品だけを見て欲しいと思うちっぽけな見栄が私にもあるのだ。
だから見せたくないというのが正直な感想なのだが……それでも、私は奏が見やすいようにスケッチブックと体の位置を調整した。
(これもまた経験、だよね)
──最近になって、何となく気がついたことがある。
『絵を描く』ということにおいて、技術的な面では絵に向き合い続ける姿勢が力になっている自信があるけれど。
深みというか、表現という面において『経験』が必要になるであろうことを痛感するのだ。
私が0から1を生み出し、100まで育ててしまうような天才であれば良かったのだが、残念ながら私の才能は平凡も平凡。
知識や経験によって1を掻き集め、100にするしか私には方法がない。
そういうわけで、絵の描き方の模索も続けつつ、自分の中の引き出しを増やすために試行錯誤中なのである。
その結果が思わぬ羞恥心に繋がったが、これも経験だと思わないとやってられない。
自分が不出来だと思うモノが手放しで褒められた結果、恥ずかしいと感じることに高校生で知ることになるとは……
(いや、幼少期の記憶も何もかもないからしょうがない……とも言えるのかな?)
やはり記憶がないというのはとんでもない不利だと思う。
その結果、記憶がなくなるぐらいの願いが叶っているのだろうが、覚えてない身としてはただただ記憶だけを奪われたに等しくて。
「──な、絵名?」
「え?」
「大丈夫? 紙に思いっきり赤色の線が入っちゃってるんだけど」
「……うわぁ」
考え事をしている私に、奏が言いにくそうにスケッチブックへと人差し指を向ける。
奏の指先を追って私も紙へと目を向けると、奏の言う通り、赤色の曲線が牡丹の花に入っていて気が遠くなった。
「ごめん。もっと早く声をかけた方が良かったね」
「ボーッとしてた私が悪いから、奏が謝らないでよ」
申し訳なさそうに謝ってくれる奏に、私の方が申し訳ない気持ちになってくる。
今現在も奏の作業の邪魔をしているのだ。これは私が土下座するような案件なのではないだろうか?
「奏」
「待って。土下座するようなことじゃないから待って」
思い立ったら吉日。流れるように正座をすると、私の奇行に大体の予想がついた奏が慌てて止めてきた。
流石は奏だ。
まさか私の行動を予測して先んじて封じてくるなんて、思考を読み取ってるんじゃないかと思う先読み能力である。
奏に戦慄を覚えつつも正座をやめると、苦笑いする奏と目が合った。
『また頓珍漢なことを考えてるよねー』って言ってきた時の瑞希と同じ目をしているように感じるのは、気のせいだと思いたい。
うん、きっとそうだ。違っていたら思考が傍に逸れてしまいそうなので、とりあえずそう思うことにしよう。
「奏の邪魔をしてるし、心配もさせてるんだから、その。そんな目で見ないで欲しいなーって」
「邪魔って言われても、これはわたしがやりたくてやってることだから大丈夫だよ」
「え、それでも作業中でしょ?」
「……作業は作業なんだけど。本当ならやらなくてもいいはずだった、わたしの我儘だから」
「どういうこと?」
どういうことなのかわからずに首を傾げると、奏は眉をハの字にして話してくれた。
何とビックリ。奏が現在、コソコソと作業しているのは新曲のデモを作り直して、明日の作業までに聞けるようにするためらしい。
私の思い付きからまふゆの模試がある週から、更に来週までズラしたフェニランは、元々は奏のインスピレーションを刺激するためのテコ入れだった。
それなのに本来予定していた日から、私の我儘で1週間もズラしてもらい、奏も何曲かデモを作る余裕もあった。
だが、余裕はあってもテコ入れのない奏は何曲も作ってみたものの、自分では納得のいくものが作れず。
その遅れを挽回するために、奏は今日を休みにしてせっせと頑張っているようだ。
「それじゃあ、余計に私が邪魔じゃん。これ以上、邪魔をするのも申し訳ないし、部屋に戻ろうかな」
「元々はわたしが見てたのが悪いから、邪魔なんて思ってないよ。お互い、気にしないで作業に集中しよう」
私はスマホを取り出して退散しようとするものの、奏からまたしても止められる。
どこまでが嘘なのか、或いは全部が本音なのか。
判別は難しいものの、ここで首を縦に振る以外の選択肢は用意されてないことだけは理解できた。
「……そこまで言うのなら、もう少しだけ。次は喋らないように黙っておくから、気が散りそうならいつでも言ってね」
「ふふ、大丈夫だよ。寧ろ、絵名が隣に居てくれる方が嬉しいかな」
口の前で×印を作ると、奏はクスクスと笑ってくれた。
どうやら奏が私を引き留めた理由も、寂しいからっていう理由が近いようだ。
ならば、個人的にも時間が許す限りは奏のそばにいたいと思うのが友達というもの。
ポンポン、と奏が隣のスペースを手で叩くので、私はそれに従って再び隣へと腰を下ろす。
(あぁ、そういえばこの赤い線があるんだった。どうしようかなぁ)
赤い牡丹もあるから誤魔化せないかと考えてみたものの、元々の色が淡いピンクを想定して塗っていた上に、牡丹の花芯にまで赤の線が入り込んでしまっている。
(普通なら描き直すんだけど……)
失敗したから次! といつもなら切り替えていた所だが、ここで描き直すのもこの絵から逃げたみたいに感じてしまい、気持ちが切り替えられない。
……それに、拙い絵だとしても奏に「すごい」と言われた子なのだ。
これをバッサリ捨てるのも、勿体なく感じてしまった。
(勿体ないとは思うんだけど、それにしてもどうカバーしようかなぁ)
スケッチブックと顔との距離を、腕の長さいっぱいまで離して眺めてみる。
葉っぱも花も塗っていて、ほぼリカバリーが難しそうな絵。
そこに1本入れられた曲線を目を細めて眺めていると、ふと、遠くに何もないセカイの景色が見えた。
(そういえば、このセカイって何もないのに優しい光みたいなのが入り込んでいて、いつでも明るいのよね……って、光?)
頭の中にビビッときた。
もう1度赤い線が入ってしまった絵を眺める。
光、光か。この赤い線を夕陽として流用することはできないだろうか。
(力が入った線じゃないから、これなら……うん、いい感じ)
思い付きでやってみたものの、想像以上にそれらしくなったような、自画自賛のような。
少なくとも、諦めて次に行こうと思うようなものではないレベルにまで引き上げることはできた。
(わかる人が見たら誤魔化してるのがバレバレだろうけど……まぁ、これはこれでアリね)
雪平先生あたりに見せたらそれはそれはもう、雑巾搾りの刑に処されるような扱いを受けるだろうが、個人的には満足である。
満足ではあるものの、ふと、頭の中に『提出用』という言葉が浮かび上がる。
(あー……これ、雪平先生に見せるために描いてたんだった。どっちにしても描き直しじゃん……)
溜め息を飲み込んで、次のページを捲る。
プロではないとはいえ、私だって画家になりたいと思っている絵描きの端くれ。
中途半端な作品を出すなんて恥だし、仮にこれを出したら雪平先生から本当に雑巾搾りをされるのは目に見えていた。
(時間は……まだあるし、1回描いた絵だから2回目はもっと良いのを描けるように頑張ろう)
スマホで時間を確認してから、心機一転。
弱気になった心を激励しつつ、私は再び鉛筆を握る。
「……頑張ってね、絵名」
──それを横から微笑ましそうに眺めている青い目に気がつかないくらい、私は集中して絵に取り組んでいた。
やっぱり奏さんには静かに見守ってる姿が似合ってるなぁと思います。