──どうせ正解なんてないのだから、自己満足を貫けるかどうかなのだ。
「え、絵名先輩……」
その異変に気がついたのは、結構時間が過ぎてから。
穂波ちゃんが涙目でこちらを見ていたからだった。
さっきまでえむちゃんに匹敵する程度には良い笑顔だったのに、何があったのだろうか。
内心では首を傾げつつも、それを表に出さないように覗き込む。
「どうしたの、穂波ちゃ、ん……!?」
穂波ちゃんが涙目になったであろう原因が視界に飛び込んできて、私は言葉を失ってしまった。
悲鳴を出さなかっただけ、誰か褒めて欲しい。
(え、私がえむちゃんと練習してる間に何が起きたの?)
頭の中に占めるのは疑問なのに、穂波ちゃんの前にある紙に広がるのはいつか見た暗黒物質に似たナニカ。
写真の可愛らしい象に似ているとはとても言えない絵に、私は必死に言葉を探す。
「なぞるのは上手にできたのに、どうしてこうなってしまったのでしょうか……?」
「えっと。ちょっと考えてみるから待ってて」
穂波ちゃんの助けを求めるような視線に晒されて、私は咄嗟に待ったをかけた。
が、そう簡単に答えが出てくるはずもなく、気まずい時間が過ぎるばかり。
トレースまでは調子が良さそうだったのに、模写に進んだ結果が写真の象からは遠くに見えてしまう絵だ。
耳や鼻など、私は表現としては個性的で好きだけど……この絵だと穂波ちゃんの『誰にでもわかる絵』という目標とは少しズレているようにも感じる。
「私は嬉しそうな顔とか好きだけど……何の動物なのかってパッと答えられるかと言えば、うぅん」
私は何を見て描いたのか知ってるから、象だとわかる。
だが、皆が皆『これは象だ』とわかるかと聞かれたら……正直に言うと微妙だ。
「やっぱり、向いてないんでしょうか」
俯いて力なく呟く穂波ちゃんの姿に、胸が苦しくなる。
「こんなに下手なら、もう絵を描くのは諦めてえむちゃんのサポートに回った方がいいかもしれませんね……」
絵を描くのを諦めて、という穂波ちゃんの言葉に胸が騒めいた。
私には心当たりのないことだ。でも、自分の体は私が覚えていないことも覚えているらしい。
(きっと、
そのお陰なのか、私は諦めた方が良いのかと悩む時間があったら絵を描き続けなければと、急かされるような気持ちが胸の中に存在していたけれども。
しかし、絵を描くのが苦しいと思うのは、その道に進みたいと……己の夢にしようと選んだからだ。
絵とか芸術関係のものは大多数の人にとっては楽しいものであるはずだし、そうであって欲しいと個人的には思う。
(このままにしてしまうのは穂波ちゃんにも、
覚悟も方向性も大体決まっている。
後は私が穂波ちゃんにどういう方向でアプローチをするのか示すだけだ。
幼稚園の子を相手に描くにあたって、ただ『わかる絵を描く』ことが本当に良いことなのかと引っかかっていたけれど……今、絵が嫌いになってしまうよりは良い。
「穂波ちゃんはなぞることはできるんだし、諦める必要なんてないよ」
「でも、写真を見て描いたら全然上手くいかなかったのに、どうやって……?」
「写真の模写はちょっとレベルが高すぎたのかもね。でも、デフォルメなら描ける方法があるの」
「わたしでも描ける方法が?」
「……まぁ、相手にも何かわかるようにするって条件だけならね。穂波ちゃん、デフォルメで動物が描けるようにパターンを覚えよっか」
「パターン?」
首を傾げる穂波ちゃんの前に紙を出して、実際に描いてみせた。
「物の特徴を捉えて簡単に形にするの。猫だったら顔は丸で三角形の耳を2つ付けて……はい、完成!」
「あ、可愛い!」
オマケで丸い目とそれっぽい口が付いているけれど、これぐらいのオマケ要素なら穂波ちゃんが付け足してもよくわからないものにならないと思う。
脳内で考えても結果は穂波ちゃん次第。
ここは上手く穂波ちゃんのやる気を引き出そう。
「描いてもらった絵を見た感じ、穂波ちゃんは図形はちゃんと描けてるよね。それを利用して顔は丸、耳は三角って覚えていけば、動物らしく見えるんじゃないかな」
「な、なるほど……! やってみます!」
天啓でも得たかのような顔で、穂波ちゃんは紙と向き合った。
丸、三角と呟きながら線を引き、丸の横に棒を追加して……
「で、できましたっ!」
バッと紙を両手に持って、こちらに向けてくれる穂波ちゃん。
ここで私が感想を言ってもいいけれど、適切な人がこの場にいる。
「えむちゃーん。穂波ちゃんの絵、何に見える?」
私が言うよりもえむちゃんの方がスッと信じやすいだろうということで、審査員役を投げ渡す。
突然の無茶振りだろうに、絵を見たえむちゃんは私の予想通りの反応をしてくれる。
「……あっ! かわいい猫さんだ!」
「えっ、本当に? 猫だってわかるの?」
「うん! 顔がまん丸のかわいい猫さんだよね!」
「あ、ありがとう……!」
震えた声で感謝を伝える穂波ちゃんは本当に嬉しそうだ。
この調子で動物を描いてもらい、自信を付ければ……少なくとも、絵を諦めなくてはいけないのかと悩むことはないだろう。
(描き方はこのままでいいとして……後は自信をつけてもらってから、かな)
そんな私の見通し通り、絵を描く時間はどんどんと過ぎて行き、穂波ちゃんは暗黒物質を描くこともなくデフォルメのされた絵のコツを覚えたのだった。
☆★☆
「──絵名さん、穂波ちゃん。今日はありがとうございましたっ!」
えむちゃんの家から宮益坂まで、送ってくれたえむちゃんがガバリと頭を下げる。
穂波ちゃんも合わせて頭を軽く下げ、頭を上げてから微笑んだ。
「ありがとうございました。絵名先輩のお陰で職業体験も頑張れそうです」
「終わったらどんな絵が描けたか、連絡しますね!」
「ありがとね、楽しみにしてる」
えむちゃんが続けて言った言葉に返事をすると、ここでえむちゃんとはお別れなのかブンブンと手を振りながら走り去っていった。
穂波ちゃんがバイバイと手を振るのに合わせて、私も小さく手を振る。
その後は2人揃って交差点のところまで歩いた。
「改めて、今日はありがとうございました」
黙って歩いていると、穂波ちゃんがそんなことを言う。
お礼を言ってもらえるのは嬉しいが、流石に短時間のアレだけだとアフターケア不足。
先生方と比べたら教えられるような立場ではないものの、それでも伝えられることはあるはずだ。
「──穂波ちゃん、ちょっとだけ時間をもらってもいいかな?」
「時間、ですか?」
不思議そうに小首を傾げる穂波ちゃんを連れ、交差点から小さな公園へと移動する。
「ごめんね。えむちゃんの家では伝えられなかったことがあったから、どうしても話したくて」
「今日、絵名先輩のおかげで皆にわかってもらえる絵を描けるようになりましたし、謝ることなんてないですよ」
「……うん。今日の描き方は穂波ちゃんが絵を嫌いにならないための──誰が見てもわかる絵の描き方を教えたからね。でも、それだけだと困ることもあると思うんだ」
今日の私がした行動は見方によっては穂波ちゃんに凡庸性を押し付けて、個性を潰すような行動を伝授したに等しい。
穂波ちゃんの目標や諦めないでほしいという私の個人的な想い的には、正しかったのかもしれない。
が、あくまでそれはギリギリ及第点であり、満点には程遠い。
「最初に、象の写真から絵を描いてくれたものがあったでしょ」
「えっ、あ……アレですか?」
笑いながら私があのすごい象の絵を取り出すと、穂波ちゃんはバツの悪そうな顔で目を宙に彷徨わせた。
「これ、皆がわかる絵かと言われたら頷けなかったけどさ。穂波ちゃんが表現したいことが詰まった良い絵だなって思ったのは本当だよ」
「え?」
「耳と鼻が面白い表現になってて、嬉しそうな顔も描けてるし」
インパクトが強いというか、印象が強い絵だから、そっちに目がいってしまうが、良い絵だと私は思うのだ。
「今日の絵の描き方はあくまで技術の1つであって、絶対でも正解でもないの。だからこそ、描きたい絵が描けないって詰まっちゃうかもしれない」
「そ、その時はどうすれば良いんでしょうか……?」
「その時はルールなんて気にしないで、穂波ちゃんが描きたいものを描いて良いんだよ。とても勇気がいるかもしれないけど……周りに合わせる必要はないの」
目を丸くした穂波ちゃんは、何をいってるのかわからないと言わんばかりの顔で口を開いた。
「でも、それだと皆にわからない絵になっちゃいますし」
「それでも、その中の1人はその絵をわかってくれる人はいるよ。その中に私も入ってたら嬉しいんだけどね」
パブロ・ピカソだって普通に描いたらとんでもなく上手いのに、自分の伝えたいもののために見る人によっては『変なの』と評されるような描き方で【ゲルニカ】を描いたわけだ。
それが表現したいものを表現するための手段だったとしても、通じない人には通じない。
自分にとっての普通は必ずしも他人の普通ではないのだ。相手の意見に完璧に同意したり、考えが全てわかることは不可能なのだから、そこは割り切った方が心が楽になる。
「穂波ちゃんが周りの人にわかってもらえないのが嫌なら、今日教えた方法は穂波ちゃん自身の中で引っかかることがあっても、わかる絵にはなると思うよ」
「……はい」
「誰にでもわかる……求められるような絵も良いと思うけどね、描きたいものを描くのも正解なんだよ。それは本当に、勇気が必要なことなんだけどさ」
自分が良いと思ったとしても、人には人の感性があり、ダメだと評されることも多々ある。
絵を描き慣れてる方の私でも勇気を出すのは難しいのだ。自分の絵に対して自信がなかった穂波ちゃんなら尚更だろう。
(……今日は何も言わずに、気持ち良く返した方が良かったのかな)
穂波ちゃんの不安そうな顔を見ているとそう思うものの、穂波ちゃんの表現の仕方を潰したままにするのは嫌だと判断したのは私だ。
何を選んでも後悔するのだろうから、やれることをやって後悔するのを選んだと思うしかない。
「このことをほんの少しでも心に留めといてほしいなっていうのが、私のお願いかな」
「……わかりました。少し、考えてみようと思います」
穂波ちゃんは不安そうな気持ちも残っていたみたいだけど、神妙な面持ちで頷いてくれたので少しぐらいは伝わってくれたと思いたい。
(さて、この後はどうなることやら)
職場体験は私も学校があるので途中で抜け出した方が穂波ちゃん達が気を遣うだろうし……無事、成功することを祈ろうか。
ガチャで☆4のカイトさんが6回連続で来てくれたことによって、イベストで折れた心を更に追い討ちされそうになった今日この頃。
カイトさんに『早く出せ』と催促されてる気がしました。出番、まだ先なんですけどね……
今回でレインボーキャンバスは終わり、幕間期間に入ります。
えななんは学校があるので、言葉のみの応援。穂波さんが乗り越えてくれることを祈りましょう。