今週の土日はずっと雨ということで、奏が毎週やろうと決めていたウォーキングもお休みになった。
今週は私とまふゆが参加する予定だったので、今日は1日、ずっと暇である。
だからといって雨の日に外に出る気分にもなれず、人と会う予定だった日に部屋で黙々と絵を描き続けているのも寂しい。
そういう時に便利なのがセカイなので、私は今日もいつもの曲を再生する。
(さーて、今日は誰がセカイにいるのかなー?)
セカイに来た私を待っていたのは──奏からジャージを剥ぎ取ろうとするまふゆと、顔を赤らめてされるがままになっている奏だった。
「?」
ジャージを剥ぎ取ろうとするまふゆと、顔を赤らめてされるがままになっている奏???
出来の悪い夢のような光景に目を擦ってみたものの、さっきと何も変わらない。
「……いやいやいや! 何してんのよ2人共ー!?」
あまりにも異常な光景を前に、私は荷物を捨て置いて2人の元へとすっ飛んでいく。
一体、この2人はセカイで何をしているのか。
見方によっては、小さい子の教育に大変よろしくないことをしそうな行為前にも受け取れる。
……今までの付き合い的にそういうのはないと断言できるが、それでも動かない他人の服を脱がすのはよろしくない。
早急に理由を述べるように睨みつけると、まふゆはいつもの無表情のまま、首を傾げた。
「何って、暑がってる奏の服を脱がそうとしてただけ」
「それなら奏が自分でやれば良いでしょ! 何でまふゆが脱がそうとしてるのよ!?」
「ジャージのファスナーを上手く下ろせないって言うから。私が代わりにやろうとしただけ」
「は? ……そんなことある?」
と、言ってみたものの。そんなことがあるから、まふゆの手という支えがなくなった奏がぐったりと倒れているのだろう。
何があったのかパッと見てもわからない状況なので、とりあえずまふゆから話を聞くことにした。
「それで、何で奏はこんなことになってるのよ?」
「今日は雨だからウォーキングが休みだったのは、絵名も知ってると思う」
「そりゃあね。だから私もここに来たんだし」
「私もセカイで休んでたんだけど、そこに奏がやって来て……一緒にウォーキングすることになった」
「なるほど。確かにセカイって暑くもなければ寒くもないし、雨も関係ないから丁度いいわね」
奏も考えたものだと感心していると、まふゆがコクリと頷く。
始まりはまふゆが言ってくれたように、まふゆが自分の部屋だと落ち着かないからとセカイで休んでいた時のこと。
奏が『雨で途切れさせたら、理由をつけて辞めてしまいそうだから』とセカイにウォーキングしにきたのを目撃したのがきっかけらしい。
奏だけこのセカイを歩くのは大変だろうということで、まふゆもそのまま付き合うことにした。
普通ならば準備をしていないまふゆの方が大変なのだろうが、奏と比べたら蟻と象のような差がある2人だ。
まふゆが普通に歩いている間にどんどん距離が開いて来て、最終的には今にも倒れそうな奏が完成した、と。
そんな状態の奏が暑いからとジャージを脱ごうとしても、上手く脱げるはずもなく。
震える手でファスナーと格闘する奏はジャージにすら負けて、仕方なくまふゆがどうにかしようとしたところで、私が来た。
それが、これまでの経緯のようだ。
「──とりあえず、まふゆが奏のジャージを脱がせようとした理由は理解できたわ」
「頭、痛いの? 大丈夫?」
「あぁ、うん……ありがとう」
原因はあんたよ! とか言えたらどれほど楽なのかって話だけれども、それを言ったら八つ当たりか。
まふゆはただ、奏の要望を叶えようとしただけ。
奏もまた、体力を無くして愛用のジャージに反逆されただけである。
……反逆されただけって何なのか、思った私自身もわからないけど。
「奏はまだ、復活できそうにない?」
「……ううん、少しだけなら動けそうだよ」
まふゆに問いかけたはずの質問の答えが下から聞こえてきた。
地面と髪の毛ごと同化しそうなぐらい仲良くしていた奏の体が、いつの間にか起き上がっている。
とはいってもさりげなくまふゆが支えないとすぐに崩れてしまいそうなぐらい弱々しく、足を動かしていたはずなのに手も少し震えていた。
「本当に大丈夫? 水でも飲む?」
「ありがとう。でも、先にジャージを脱がせて」
まふゆに支えられながら、のろのろとジャージに手を伸ばす奏。
その行為に特に疑問がなかった私は持って来ていた水筒を取りに行き、再び奏達の元に向かった。
「それにしても、奏がこんなにぐったりするなんて……まふゆはどれだけ長い間、奏を連れ歩いてたのよ?」
「15分ぐらいだから、そんなに長くないと思う」
「……嘘、じゃなさそうね」
相変わらずの無表情だが、まふゆが嘘を言っているようには見えなかった。
まふゆにとって『15分歩いた』というのは事実なのだろう。
(そこに奏とまふゆの身体能力差による認識の違いがあるっていう……不幸な事故があったってことでしょうね)
普段、ほぼ運動しない奏は最近になってウォーキングを始めた初心者である。
ほぼ運動をしない初心者が、運動神経抜群な人間が記憶している『ウォーキング』に合わせるとどうなるか?
恐らく、その結果が『地面との仲良し』だったのだ。
まふゆだって奏に気を遣っていたのだろうが、奏のリクエストはウォーキングである。
のろのろと歩いていては効果がないと心を鬼にした結果が、ほぼ走っている状態の早歩きの地獄へと奏を突き落としたのだろう。
「まふゆ。今度からはウォーキングとかそういうの前提は無視して、とことん奏に合わせてあげなさいよ」
「わかった」
まふゆからの言質は取ったので、これからのウォーキングで不幸な事故は減るだろう。
まふゆへの確認は終わったので、今度は水を飲んでいる奏の安否確認だ。
「奏、耳とか頭が痛かったりしない?」
「もう大丈夫。さっきまでは肋骨が痛かったけど、休んでたら良くなったよ。でも」
「何かあったの?」
「ううん。中学校で持久走をしていた時は肺というか、胸がちょっと痛く感じてたんだけど……そういうのはなかったなって」
不思議そうに首を傾げている奏に、私は口を噤んだ。
確かに持久走の時は奏の言う通り、肺も肋骨も痛くなったが、その理由までは深く知らない。
まともな答えが出て来そうにない私に対して、奏を支えていたまふゆが口を開いた。
「奏が持久走をしていた時って冬じゃないの?」
「そうだね。冬の体育の時間は大体走ってた気がする」
「じゃあ、原因は冬の寒くて乾燥した空気かも。胸の痛みは冷たい空気に関係していて、気道の炎症や過敏症を引き起こす可能性があるんだって」
「えっと、それってつまり?」
「……喘息持ちじゃない人でも生じる喘息発作みたいなもののせいで、肺とか胸が痛いって感じたんだと思う」
奏から上手く聞き出してパッと知識が出てくるあたり、そういう勉強も頑張っているのだなぁと思う。
まふゆの言ってることの真偽は不明なので、それが正しいのかは私にはわからないけれど。
それっぽい話がパッと出てくる時点で、まふゆが学校で習うもの以外にも学んでいるのがよくわかった。
「んー、私にはわからないことが多いけど。とりあえず、奏が大丈夫そうっていうのはわかったわ」
「あはは、うん……絵名もまふゆも、ありがとう」
「奏はもっと体力をつけた方がいいと思う」
「……雨の日だからって休んでたら、また倒れそうだし。外が無理な日はセカイで頑張ろうかな」
まふゆがズバズバと切り込んだことによって、奏はゆるりと頷いた。
思っていても言わない方がいいこともあるでしょ、とまふゆに目だけで伝えてみる。
すると、誰かは言わなきゃダメだと思う、と言わんばかりの態度で首を横に振ってきた。
(む。微妙に器用な真似をしてくるわね)
黙って意思を伝えられるのであれば、普段からそれを表情にも適応すればいいのに。
いや、それをすると優等生モードと同じになるのか? そうであれば迂闊に言うのは悪手だ。
こっちとしては感情を素直に出して欲しい半分、無理するなという気持ちも半分ある。
いらぬことは胸の中にしまって、今思った感想は頭の中のゴミ箱に捨てた。
「奏、次からは遠慮しないで私も誘ってよね。そうしたら今日みたいな持久走状態は防げると思うから」
「あ、うん。絵名も無理ならちゃんと言ってね」
「大丈夫よ。私だって意図的に運動したいから付き合ってるんだし」
奏の言葉に手を振って答えると、こちらをじっと見ていたまふゆがぼそりと呟く。
「絵名、この前体重が増えたって言ってたもんね」
「あんたは余計なことを言わないの」
まだチーズケーキを我慢したら取り返せる範囲内だから、自分の体重のために運動するわけじゃない。
そう心の中で言い訳しつつまふゆの額を小突いてやると、不満そうな青い目がじっとこちらを見つめてきた。
「そんな顔をしたって無駄よ。デリカシーのないヤツには当然の報いだからね」
「……瑞希が絵名はすぐ暴力に訴えてくるって言ってたよ」
「なーるほど? あんたも瑞希も私のパーをお望みのようね」
どこかから「そんなことを言うからボクもそう評価してるんだよ」とか生意気なことを言ってそうなピンクの声が聞こえてきた気がするが、無視。
まだグーやチョキでいかないだけ温情である。苦情は受け付けない。
「絵名。今回はわたしが悪いから、程々で許してあげてね」
「……まぁ、奏が言うなら」
前言撤回。奏に免じて広い心で許そう。
まふゆからじっとりと湿度の籠った目を向けられているが、免じたのでそれも受け流す。
そんなやりとりをしている私とまふゆを見て、問題は解決したと判断したらしい奏は、こちら側に視線を向けながら尋ねた。
「あ、そうだ。絵名もまふゆも今から時間をもらってもいいかな? 流石に15分だけだと足りない気がするから、もう少し歩きたいんだ」
「私は大丈夫だけど、まふゆは?」
「私も1時間ぐらいなら大丈夫」
奏が言うのであれば、私は反対する理由もない。
ちょっとだけ待ってもらって運動用の靴を取りに行きつつ、今度は走ることなく並んでウォーキングをしたのだった。
自分のペースか、相手のペースか。
大変なのは後者であるのは明らかですね。