──3──
25時前。
あまり見せたくない対象をスケッチしようと決めた私は、いつもの場所よりかなり遠いオブジェの前で絵を描いていた。
「──絵名ちゃん、こんなところで何を描いてるの?」
「わっ!? ……って、誰かと思ったらレンじゃない。こんなところまでよく来たわね」
こんなところまで誰も来ないだろうと高を括っていたのだが、レンがここまで来てくれたらしい。
立ったままにするのも申し訳ないし、レンには隣に座ってもらった。
そして特に何も答えることなく絵を描く作業に戻ろうとすると、先回りされてしまう。
「今日はノートに描いてるんだね。それも奏ちゃん達と作ってる曲の絵?」
「これは違うものね。後々の為に準備してるものだから」
「そうなんだ……見てもいい?」
「あー。見たい、か」
恐る恐る尋ねてくるレンに、私は言葉を詰まらせてしまった。
ノートに広がるのはどう考えても正気かどうかを疑われそうな絵だ。そんなものをレンに見せてしまってもいいのだろうか……?
(ううん。後のことを考えてこれを描いてるんだもの。コソコソしちゃってるけど、知ってる人は多い方がいいよね)
全ては物理的に話すことが難しいけれど、少しでも覚えてくれることを願って。
「……いいよ。ビックリしちゃうかもしれないけど」
そんな、相手任せの無責任な願いを込めて、私はレンに絵を見せた。
描いていた絵を覗き込んだレンは予想通り、ピタリと止まってから目を瞬かせる。
「えっと……これ、本当に絵名ちゃんが描いたもの?」
「あはは。ビックリしたでしょ」
「うっ、うん。その、ごめんね」
「いいのよ。ほぼ模写とはいえ、描いてる私も気持ち悪いなって思ったし」
レンに見せたのは最近、あの憎きスケッチブックによって見せられている悪夢に出てくる『口』だった。
何回も見ている私でも不気味で気持ち悪いと感じるのだ。
そういう絵を普段好んで描いているわけでもないし、レンには悪いことをしてしまった。
しかし、どうしてもこの絵を描き残さなくてはいけなかった私としては、後悔はない。
……後悔はないものの、レンに気楽に見せるのは早かったかもしれない。反省は必要だろう。
「その。口は怖いけど、その前にある光っぽいもの! これはキラキラしているように見えて、キレイだよ」
何とかフォローしてくれようと思ったのか、レンが指さしたのは口がまだ食べずに積み重ねているキラキラしたモノの絵だった。
このキラキラした部分は、現実では見えないものを表現した部分である。
ただ、もしも目に見えるとしたら〜と想像で描いたものだったので、誰かから褒められたのは素直に嬉しい。
「ねぇ。レンはどういうものがキラキラしてると思う?」
「キラキラしてるもの? そうだなぁ……あっ! この前、瑞希ちゃんがリンに持って来たリボン! あれについてるアクセサリーがキラキラしてたよ」
「ふふ、そっか。それもキラキラしてて綺麗そうだね」
「ぼくも1回しか見てないけど、キレイだったんだ。でも……絵名ちゃんが描いたものとそれは違うよね? 絵名ちゃんが描いたこのキラキラは何なの?」
小首を傾げるレンを横目に、私は描いていた絵を指先で撫でた。
ほんの少し息がし難いが、まだ息ができないレベルじゃない。
レンに心配されないラインを見極めて、スケッチブックの邪魔が入らない範囲の言葉を選んだ。
「そうね、何を描いたかまでは言えないけど……私がキラキラ光ってて欲しいなって思うのは『思い出』かな」
「思い出?」
「うん、苦しいことも沢山あったんだろうけど。それでも楽しかったことはきっと、今の私が見ても輝いて見えると思うの。だから、私は『思い出』が見えるのであれば、輝いていて欲しいなって思ってさ」
最後まで言い切れた。どうやらスケッチブックも認めるぐらい、東雲絵名の記憶はキラキラしてるようだ。
(それに、こういう言い回しならまだ許してもらえるってわかったし)
この話ならば直接、スケッチブックの件とは繋がらないと判断したのだろうか。だとしたらまだ手はあるのかもしれない。
(……って、気を抜いちゃダメ。石橋を割る寸前まで叩くような気持ちでいかないと)
恐らく奴は私の予想を超えた、どうしようもないタイミングで仕掛けてくるはずなのだ。
超常的だと思うことを実現できそうな相手に、油断している余裕も暇も全くない。
一瞬、緩みそうになった心に活を入れている間に、絵をじっと見ていたレンが顔を上げた。
「じゃあ、この絵は思い出を食べちゃおうとしてるの?」
「……ううん、まだ。まだ、食べてはいないはずだよ」
奴が最初に示した『収集』という言葉を信じるのであれば、という前置きがあるのだが。
あの悪夢の内容は私の願望が作り出した甘い蜜なのか、奴がこちらの足掻きを愉しむために仕掛けてきた事実なのかはわからない。
奴の愉悦の道具になっていたとしても……私は自分ができることをやるしかないのだ。
そう自分に言い聞かせることしかできない私は、少しずつ苦しくなるのを感じながらも、レンとの会話に集中したのだった。
……………………
別の日、またしても25時の作業前に時間を作った私を待っていたのは、ニッコリと笑っているルカだった。
一体何を企んでいるのか、顔だけでは何もわからない。
それでも嫌な予感がして右に避けると、ルカもひょいとついてきた。
「……」
「ふふ」
左へ行くと笑みを浮かべたルカも左へ。
右に移動するとルカの体も私の前についてきた。
「ルカ、何か用でもあるの?」
「絵名に話があってね」
(あー、私自身が目的だったのね)
それは逃げても付いてくるわけである。
瑞希とは別の方向で私を使って遊んでくるルカと話すのは骨が折れそうだ。
できれば気のせいであって欲しかったのに、ルカの目が獲物を狙うような目なので、些細な願いも粉砕される。
……残念なことだが、覚悟を決めるしかないらしい。
「来るかどうかわからない私を待つなんて、何かあったの?」
「何かってわけじゃないけど……この前、レンに面白い絵を見せていたそうね」
「……さぁ。何の絵の話?」
「リンとも、最近は2人で何かしてるみたいじゃない? 私、それが気になっちゃって」
ふふふ、と笑うルカは丁寧に道を塞いでくる。
壊すこと以外の手段も使ってくる彼女はかなり厄介だ。
「何を企んでいるのか、聞かせて貰ってもいいかしら?」
今も、私が目的をもって動いているのを確信しているように詰め寄ってくる。
ルカはこのセカイにスケッチブックを隠していることを知っているかは微妙だし、なんと話せばいいのやら。
直接的な回答は論外。今も警告するように息が詰まってきているので、その手は使えない。
その上でルカが納得してくれるには、どうすればいいのだろうか?
「ルカ、その場で膝を曲げずにジャンプをしてくれない?」
その答えが、この意味のわからないお願いだった。
「ジャンプ? 別に構わないけれど」
ルカは愉快なものを見るように目を細めて、その場で小さく飛んだ。
乗ってくれたのでひとまずはセーフ。第一関門は突破できたらしい。
「じゃあ、今よりも高く飛ぶためにはどうすればいいと思う?」
「それこそ、絵名が禁止していた『膝を曲げて』が答えでしょう?」
「うん、正解。捻くれた言い方をすれば『姿勢を低くする』が答えだけど」
「……それで、何を言いたいのかしら?」
ルカはまだ様子見に徹してくれていることに、ホッと息を吐き出す。
自分から首を絞めにいって苦しみたいと思うような、特殊な趣味なんて私にはないのだ。
私の返答次第では自分の首を絞めてしまうことになるので、ここは慎重にいこう。
「今までは負けなければそれでいいって思っていたの。ずっと今のまま、何もしなければ問題ないって……そう、思ってたんだけどね」
「その言い方だと、今は違うみたいね?」
「もう、そういう話じゃなくなりそうで……どうしても相手を出し抜かなきゃいけなくなったみたい」
──こっちにも考えがあるから。
奴は確かにそう言っていた。
何かやるぞと宣言してきたのは私に絶望をプレゼントする為か、ただ我慢の限界が来ただけなのかはわからない。
だが、もう『描かなければいい』という話ではなくなったという予感は、私の気のせいではないと確信していた。
アイツが思う私の弱点が致命傷になるか、私の今までやってきたことが一発逆転の1手になるか。
普段、皆に諦めるなとか高説を垂れた分も、私は後者に近づけるようにしなければいけないのである。
それを伝えられない今の私は、じっとルカを見つめることしかできないのだが。
「……そう。詳しいことはわからなかったけれど、絵名が何かを壊したいと思っているのだけは伝わってきたわ」
「え?」
「高く飛ぶ為に姿勢を低くしても、足を悪くしたら意味がないわよ。土台がしっかりしてないと飛べないのだから、ちゃんと準備してから壊してほしいわね」
ルカが私の目から何を見たのかはわからない。
しかし、我ながらよくわからないあの問答で伝わることもあったようで、ルカは満足そうに微笑んだ。
「えっと、本当に今のでいいの?」
「ええ、知りたいことは知れたから。それに……ちゃんと壊せるかどうかも見届けるっていう、楽しみもできたしね」
満足したのか、ルカはそのまま立ち去ってしまった。
ルカの姿が見えなくなるまで見送り、ぐるりと見渡してから誰もいないか確認する。
「こっわ」
まさか、ほぼ何も言っていない状態からずっと目論んでいたことを言い当てられて、私は体を震わせる。
(でも……本当に今のままでいいのかな)
私の予想が正しければ、私の弱点として狙われるのは──
(いやいや、まだ決まったわけじゃないし……うん、決まってないもの)
嫌な想像はまだ、想像の域を出ていないのだ。
気のせいだと言い聞かせて、私は頭の中から妄想を追い出した。
王道として好まれる話の展開の法則としては、最初にぐっと下げてから後は上げる方が良いらしいです。追放モノとかが好まれるのはそういう理由かもしれません。
もしくはザマァという展開も人気ですし、色々と鬱憤が溜まる現代において、スカッとする展開が良いのかもしれませんね。
……本作は王道や流行りを走ってませんので、この法則には適用されないんですけど。
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