──1──
1本の薄い線で描いた少女の肌の上に白交じりの紫を置いていく。
光に当たる部分以外は大胆に紫で塗り上げたせいか、現時点では病人もビックリするぐらい顔色の悪い絵になってしまっている。
……顔色といえば、だ。
「奏、大丈夫なのかな」
線画を部屋で終わらせてから、気分転換にセカイで色塗りをしている今。
珍しいことに名前通りにセカイに誰もいなかったせいで、気が抜けていたのかもしれない。
「わたしがどうしたの?」
「ひゃっ。か、奏!?」
まさかのタイミングで本人に聞かれていた上に、隣にいるなんて展開を誰が予想できるのか。
全く意識していなかったこともあり、私は奏が苦笑してしまうぐらい変な声を出して驚いてしまった。
「えっと。そんなに驚かせるつもりはなかったんだけど……ごめん」
「いやいや、私の方こそごめん。奏が謝ることじゃないから!」
私があまりにも無様な姿を晒してしまったせいで、奏に頭を下げさせてしまった。
セカイにいるのだから誰かが来るのは当然なのに、自分でも大袈裟ではないかと思うぐらい反応してしまったのだ。
これは言い訳も文句も言えないぐらい私が悪い。そう判断して素直に非を認めると、奏は首を横に振った。
「こっちも絵を描いてるってわかっていたのに、声をかけちゃったのが良くなかったから。お互い様だよ」
「か、奏ぇ。私が悪いのにそう言ってくれるなんて、ありがとう」
「……それで、その。今描いてる絵は人間の女の子、なんだよね?」
「今の状態だと宇宙人的な何かに見えるかもしれないけど、普通の女の子の絵だよ」
「そうなんだ……ここからいつもの絵になるなんて、すごいね」
目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、奏の目は信じられないものを見るような目をしてた。
肌なら肌色で~と思う気持ちもわからなくはないので、私はスマホからアナログイラストを保存しているフォルダを開いた。
「例えばこれとか、最初はこの絵みたいな色を塗ってたよ」
「言われてみたらそれっぽいけど、全然見えないね」
「色塗りが上手な人って、とんでもない色を使って凄い綺麗な絵を生み出すからすごいよね」
「じゃあ絵名もすごいんだね」
「あー……私は他人の真似だから、すごくはないよ」
答えを見てから問題を解いているだけだ。すごいのは私ではなくその技法を発見した人だろう。
「絵名がすごくないのなら、誰もすごくなくなっちゃうよ」
「そんなことないって。すごい人なんてこの世の中に沢山いるし、私にとっての奏も──」
「わたしはすごくないよ」
冷たい声が言い切る前に言葉を打ち切ってきた。
「奏……?」
「あ……ごめん。でも、わたしは絵名にそう言われるような人間じゃないから」
一瞬見えた暗い顔と冷たい声はすぐに戻ったものの、見逃していいような切り替え方ではない。
最近やっと聞き出した情報を使うのは今だろう。タイミングを見計らう為に、まずは少しだけ踏み込んだ。
「そうやって自分を追い詰めても、奏が作りたい曲は作れないんじゃない?」
「でも、作り続けなきゃ誰かを救う曲は作れないから」
「誰か、ね」
──奏が本当に作りたいのは、顔も見えない『誰か』を救う曲なのだろうか?
……流石にそれを言うのはラインを超えている気がしたので、これだけは私の胸の内に仕舞っておくことにして。
思い詰めた顔をする奏とずっと眺めるのも嫌なので、本題を切り出した。
「最近眠れないのも、お父さんことを考えちゃうから?」
「もしかして、病院で聞いたの?」
「奏も私のことを聞いてたみたいだし、逆もありえるよね」
「……それもそうだね」
咎められるかと思いきや、奏はあっさりと引き下がった。
奏も私の記憶喪失や推定原因:スケッチブックによる異常行動の件をあの担当医から聞き出していたらしいし、私も時間をかけて聞き出していたのだから、当然の反応かもしれない。
友達が友達のことを聞くよりも、友達が友達のお父さんのことを聞く方が手間がかかった。
その甲斐あって、今の奏のお父さんの状態が『どんどん昔の記憶の話しか出てこない上に、眠っている時間の方が長くなっている』という話を聞けたので、結果オーライだったけど。
「少し前ぐらいから、急にお父さんの様子が変わったんだ」
「少し前? ってことは、眠れないのは別の原因?」
「ううん、お父さんっていう意味では同じ。ただ……起きてる時のお父さんもどんどん覚えている範囲が狭くなっていて。このままでいいのかなって考えると、どうしても眠れないの」
奏とお父さんがどんな話をしたのか、詳細はわからない。
しかし、悲痛な面持ちで話す奏を見ていたら、それが奏にとっての最悪だったことぐらいは誰が聞いていても理解できた。
「……話、聞いてくれてありがとう。ミクに用事があるのを思い出したから、わたしは探しに行くよ」
何を言っても慰めにもならないと奏自身も思っているのか、早々に話を切り上げて立ち上がる。
「奏」
「……うん?」
立ち去ろうとする奏を呼び止めてみたものの、何を言ったらいいのか迷った。
奏の悩んでいる問題はズバッと解決してくれる効果的な方法も、素敵な言葉も存在しない。
それでも何かを言いたくて、傷つけたいわけでもなくて。
数秒ぐらい迷って出てきた言葉は何とも当たり障りのないものになっていた。
「何か話したくなったり、休みたくなったら言ってね。聞いたり、そばにいるぐらいはできるから」
「……ありがとう、絵名」
少しだけ口角を上げた奏はミクを探しに行ってしまった。
その後ろ姿は私の色眼鏡もあるせいか、今にも消えてしまいそうだ。
もっと他に何かなかったのかと考えてみても、すぐには思いつかない。
(奏の件は一応、お父さんが記憶を取り戻した状態で目を覚ませば、暫くの間は落ち着くかもしれない……いや、どうなんだろ)
奏の音楽の才能を前に、娘も養わなくてはいけない大黒柱としてのプレッシャーやら、そもそも作曲家としてのプライドやらでポッキリ折れてしまった結果が、今の状態だ。
仮に今の状態から回復したとしても、才能で食べる仕事をし続けながら奏という才能の塊に向き合う生活は不安しかない。
(それでも、奏のお父さんが回復さえすれば今の問題は一旦、解決するよね)
後のことは奏とお父さんの折り合い次第だとしても、お父さんの状態が回復するような奇跡を意図的に起こすことができれば……
「はっ、何考えてんだか」
頭の中に浮かんでしまった考えに対して、私は鼻で笑った。
──今、私は何を思い上がっていた?
あまりにも傲慢な結論に辿りつきそうになった自分自身に、頭が痛くなってきた。
(あるいは……こういうのも、あいつの狙い通りなのかもね)
私がやらなくてはいけないことなんてない。
こっちがお節介で何かをしなくても、皆には解決できるだけの力があるのだ。
その力を発揮するための足を折ろうとしたり、地面を底なし沼にすり替えるような真似をされない限り。
……そこが1番、心配になるポイントかもしれない。
(そう思ったとしても、今は動くことすらできないのがね)
スケッチブックは今も行方不明だし、奏の件は効果的な方法はない。
まふゆの事情だって、まふゆ本人の方針を言ってくれないと私の独り善がりになってしまう。
まふゆが医者を目指したいのかそうじゃないのか。
お母さん達に押し通してまで音楽を続けることを伝えるのか、それともこっそりやり続けるのか。
私ならこうするのにと思うことが沢山あっても、外野が決めていい問題でもない。
まふゆがある程度決めてくれるまで、協力も何もできないのだ。
(ま、協力といっても学生の身分じゃできることはあまりないんだけど)
どれもこれも有効打がないのがもどかしい。
「もっとこう、バッと動いてパッと解決できたらいいのに」
現実的な問題も非現実的な奴も、解決できないことが多過ぎる。
人生とはそういうものだと言ったらそれまでなのかもしれない。だが、そう言って諦める行為は私の性格とは致命的に相性が悪かった。
「はーあ」
頭を抱えても上を見上げてみても、色塗り途中の絵の具が渇くだけだ。
「……まずは、完成させよ」
絵の方を中途半端にしても何1つ良いことはないので、キリの良いところまで色塗りをしてしまおう。
☆★☆
(……よし、できた)
最初の方は放置してしまったが、上手く完成まで漕ぎ着けた。
絵は少し失敗してしまったりしても何とかリカバリーできるのがいい。
記憶を無くしてからずっと打ち込んできたものだ。短い人生を賭けてきたものなので、絵を描くのもリカバリーするのも手馴れている。
(ある意味、絵を描き始めた頃と今の状況は似てるのかもね)
いくら頭の中で考えて対策をしてみたところで、実際にことが起きなければどういう問題が噴出するかはわからない。
何もせずに文句を言うだけなのは嫌なので、抗わせてもらおうとは思っているものの……必要以上に悩んでも良い結果は得られなさそうだ。
(って結論に至るのに時間がかかり過ぎでしょ。もう……とりあえず今は少しでも動きたいし)
まずはセカイのどこかにいるであろうリンを探して、ノートの続きを書くとしよう。
現段階では瑞希から『落書き?』と評される程度のものしか、今は書けていないけれど。
問題が出てきた時に少しでも私がやって欲しい答えに辿り着けるように、少しでも書き残さなければ後悔してもしきれない。
「リンって、どの辺にいるんだろ」
「呼んだ?」
デジャヴを感じる展開にまたしても私の心臓が驚きで縮みそうになった。
まさか探し人が真後ろに立ってるなんて、本日2度目の似たような経験をしていても予想できるはずもなく。
「……呼んだけど、タイミング良過ぎない?」
「奏がミクを探しに来た時に絵名がいるって聞いたから、探してた」
「それって待ってたってこと? 声、かけてくれても良かったのに」
「邪魔したくなかったから。それと、これも取ってきてた」
必要だと思って、とリンが取り出したのは私が書き残しているノートだった。
「ありがとね」
「別に。書くなら書いて」
大したことはしていないと言わんばかりのすまし顔でノートを押し付けてくるリンに、私は吹き出して笑った。
「書かないのなら、いいけど」
「あぁ待って、書く! 書くから!」
これ以上リンを怒らせてしまうのはまずい。
浮ついてしまった心を強制的に地面に縫い付けて、私は慌ててノートに書きたいことを書き連ねていくのだった。
もう悩まないぞ、と思っても問題が解決してなければ考えちゃいますよね。
悩み事は意識して切り替えるようにしないと、雪だるまみたいに大きくなるものですから……えななんじゃなくても困ってる人は多いのではないでしょうか。
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