── ──
公園から真っすぐ家に帰るには、奴が喉に与えたダメージが大きかった。
咳が落ち着いたので、今度は消耗した体力を回復させるために、少しの間だけセカイへと避難することに決めた。
(あーあ、口直しできる何かを買ってから来たらよかった)
錆びた金属を突っ込まれているんじゃないかと思うような口の中に、私は眉間に皺を寄せて溜め息を漏らす。
こんな顔を人に見せられないし、周りに誰もいなくて助かった。
前だけを見て後ろを確認せずにそう判断した私は、周辺を気にする余裕すらなかったらしい。
「──おい」
急に声をかけられて振り返ると、青い髪の男がいた。
昨日か、つい最近にセカイにやって来たバーチャルシンガー、カイトだ。
私は全く話したことがないのだが、どういうわけか彼は私の顔を見て険しい表情になる。
一体、どうしたのだろうか。よくわからずに首を傾げていると、相手の方から答えをくれた。
「その口元、どうした?」
「口元?」
「切ったにしては不自然だろう、何があった?」
鋭い視線の先に手を伸ばすと、隠そうとしていたものが手に薄らと付いてしまっていた。
(あーあ……これは雑に対処して、ちゃんと確認しなかった私が悪いな)
言い訳もせずに黙ってハンカチを取り出し、口元を拭ってからカイトに向き合う。
「カイトが考えるようなことはないよ。ただ、さっきまでまふゆと話してただけ」
「話しているだけなら、そうはならないだろう」
それはそうである。だが、私だって嘘をついているわけではない。
「カイトには冗談みたいに聞こえるかもしれないけど──呪いって、信じる?」
「呪いだと?」
「そう。例えば、喋れなくなる呪いとか……ゴホッ」
言い切る前に苦しくなって咳をすると、今度はハンカチを少し汚してしまった。
どうやら公園で喉を酷使してしまったらしい。
声も風邪みたいにガラガラで、喉が焼けるように痛かった。
「もういい、喋るな」
「平気、関係ないことならこうはならないし」
「いいから黙ってろ」
「……初対面の相手でも優しいんだね、あんたって」
カイトは鋭い目をこちらに向けたまま鼻を鳴らす。
このセカイはまふゆの想いで創られたこともあり、なんやかんや言ってても皆、優しい。
「ありがとね、心配してくれて」
「勘違いするな。お前に何かあったら、ただでさえ面倒な状況なのに、面倒事が更に増えるだろう」
「はは。まふゆも大変なのは知ってるから、そっちを優先しなきゃいけないよね」
追い込まれているまふゆに迷惑をかけるつもりはないと伝えたつもりだったのだが、カイトの視線が更に鋭くなった。
どうやら私は間違った選択をしたらしい。1歩後退る私に刃物のような鋭い青い目が向けられた。
「何故お前は、自分よりも他人を優先している?」
「……何故、か。そういうつもりはないよって、言いたいところなんだけど」
流石にあんな姿を見せた相手に『自己犠牲じゃありませーん』と言うには説得力がなさ過ぎる。
下手に禁止ワード付近に触れたら嫌なものを見せてしまうかもしれないが、私は見せる方を選んだ。
「強いて言うなら、優先するような自分がいないから、かな」
「おい、冗談は……」
「私、記憶がないんだ。中学2年生から今までが私が生きてきた時間なの」
言葉を遮って言いたいことだけ言うと、カイトから舌打ちが返ってきた。
冗談ではないと感じてくれたのだろうか。カイトは鋭い視線を向けたまま、先ほどよりも低い声を出す。
「それも、呪いとやらのせいか?」
「これは……」
「いや、いい。口で答えるな。肯定するなら黙れ、否定なら何でもいいから喋ってろ」
「……」
言われた通りにすると、険しかったカイトの顔が真顔になった。
「……そうか。お前もまた、俺をここに呼んだもう1つの存在だったのか」
「私が? まふゆじゃなくて?」
「いや、お前もだ」
このセカイを創ったのはまふゆらしいし、私がカイトを呼び出す一因になるのは変だ。
私はそう思うのに、カイトは確信を得ているのか断言する。
「俺はまふゆの感情の動きと、もう1人分の強い怒りによってこのセカイに呼ばれた」
「その強い怒りっていうのが私だと?」
「お前以外にいないだろう。どうしようもないことに焦り、どうすることもできない自分に怒っているのはお前しかいない」
私以外にもいるんじゃないかと思ったけれども、カイトは私も呼び出していると確信してるようだ。
呼ばれるという感覚が私にはわからないので、その真偽は不明。
カイトがこちらの言い分を信じてくれたように、こちらもカイトの言うことを本当だとしても、だ。
「私もカイトを呼び出したとして、どうしてそれを言い出したの?」
「まふゆを甘やかすなと、色々と言いたいこともあるが……お前自身にも話したいことがあるからだ」
首を傾げる私に向かって、カイトは淡々と告げる。
「お前もまふゆと同じだな。あいつもお前も、解決できないことを自分で抱え込むな。壊れる前に助けを求めろ」
「助けを求めろって言われても、もう……なるようにしかならないよ。カイトに見せちゃったような姿を皆に見せ回りたくないし」
「それはお前の都合か? それとも呪いのせいで助けを求められないと言いたいのか?」
「……」
その両方だ、と言えればいいのだが、奴はそれすらも阻んでくる。
頷くことすら許されないので黙っていると、カイトは考え込むように腕を組んだ。
「何か他の方法も考えないのか? 自己犠牲はお前だけでなく周りも傷付けるぞ」
「行方がわからないから、げほっ……ごめん。どうにもね」
咳き込みながらもああ言えばこう言う私に、カイトは首を横に振った。
何も改めようとしない私の方がまふゆよりも重症に見えるのだろう。
深い青の瞳には怒りの色が滲んで見える。
「──そうか。お前はソレしか知らないんだな」
「それ? 何が言いたいの?」
「他人に頼れず、逃げることも止まることもできない。後ろも向かず、ただ真っ直ぐに進むことしかお前は知らないのだろう」
カイトの青い目から見える怒りの色に、別の何かが混ざる。
「知らない人間はその姿を『強い』と言うのだろうが……あまりにも危ういな」
カイトはつい最近、ここに来たばかりのはずなのに、まるでずっと見てきたかのように断言していた。
聞いている側としても、間違っているとハッキリと言えない言葉なのが痛い。
「言われなくても自分が危ないのはわかってるつもり。少なくとも、皆に飛ぶ火の粉だけは始末する。だから……」
「俺はお前に離れろと言ったつもりはないが。話をちゃんと聞いていたのか?」
「……やっぱり、カイトは優しいじゃん」
セカイの皆も嫌うような不確定要素を抱え込んだっていいことなんてないのに、カイトはあくまでも『助けを求めろ』と言ってくれるらしい。
(このまま言えたらいいのにな)
そう思うほど、胸も首も苦しくなる。
(……どうせ無理なら向き合うしかないか。逃げずに向き合って、私のできる限りをするしかないんだ)
カイトの言葉で少し揺れそうになったけれど、改めて覚悟ができた。
時間が開けば開くほど揺れるので、こうやって話が少しできるだけでもありがたい。
「ありがとう。カイトがそう言ってくれたのは嬉しいけど、私は私なりに進んでみる」
「はぁ……お前は誰かに止まることや折れることを教えてもらえた方が、良かったのかもしれないな」
「それは難しいんじゃない? だって私は『進むことしか知らない』んでしょ?」
「……頑固なヤツめ」
カイトは肩を竦めたが、止めてくることもなかった。
私の目をじっと見ていたので、何を言っても無駄だと諦められていたのかもしれない。
「どうせ何を言っても、今のお前には無駄なのだろう」
ただ、呆れていると思っていたカイトの目は想像していたものよりも温かく感じた。
「なら、お前の気の済むまで進んでみろ」
「え。その、いいの?」
「お前はそういう人間のようだからな。どうしようもなくなって、消えそうになったその時は──俺も何とか繋いでやる。だから、気が済むまで進んでみるといい」
リンとは違う優しさに、私の思考は急停止した。
消えそうと言うってことは、カイトだってこのまま私が進んだら、どうなるか予想できてるはずなのに。
正直、まふゆと話している姿を見ていた身からすると、カイトとここまで話せるとは思ってもみなかったから意外だった。
「言いたいことは伝えた。後はお前次第だ」
失礼なことをつらつらと考えていたはずなのに、何故か振り向いたカイトの背中がぼやけて見えた。
原因が頬に伝って初めて、私は自分が泣いていることに気がつく。
私が何かを言う前に立ち去ってしまったので、カイトも誰も私の周りにはいない。
(もしかして、安心しちゃったのかな)
覚悟を決めたって怖いものは怖いから、カイトの言葉を聞いて安心したのかもしれない。
だから急に泣き出してしまったのだろう。頭の中の冷静な部分がそう分析する。
(まだ上手く自覚はできてないけど……限界は近づいてる)
それはつまり、奴にとっては『刈り時』ということで、何かを仕掛けてくるにはピッタリのタイミングだろう。
(どんな手で来るのかはわからないけど、致命傷だけは避けなきゃ)
生きていたら儲けもの、なんて言ったらリン達に怒られるから言わないけれど。
それでも、そんな覚悟で挑まなければ1枚目で詰むだろう。
「げほ」
考え事をしていたら喉の痛みが酷くなってきた気がする。
喉の炎症は熱も出てくるらしいし、明日は午前中は休んで病院に行った方がいいかもしれない。
(本当、厄介なことをしてくれる……あそこの病院、耳鼻咽喉科もあったよね?)
せめて、始まる前には体調を万全にしなければ。
お母さんへどう言い訳するか考えながら、念の為に財布の中も確認する。
手持ち的に問題なし。後はやる気だけだ。
(明日頑張ったらご褒美にチーズケーキを解禁、ご褒美にチーズケーキを解禁……)
昨日もチートデーだった気がするが、この際全部無視してしまおう。
ありとあらゆる手で気分を鼓舞しながら、私は重たい体を引き摺ってセカイを後にした。
【──最初の山場は、すぐそこだよ】
スケッチブック君が張り切ってます。悍ましいですね。
次回はまふゆさん視点です。