イラスト担当は記憶を無くしました   作:大森依織

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2枚目 記憶喪失

 

 自分でも驚く程、冷めた目で今の状況を見ていた。

 

 自分の名前も思い出せず、家族や思い出などの記憶もほぼゼロ。

 唯一覚えているのは事故の前に絵を描いていたことと、『絵の才能がない』と言われた言葉だけ。

 

 それ以外のことは全く思い出せないことを、聞かれるがままに説明すれば。

 

 

「ふむ……事故で頭を打った衝撃から、一時的に記憶を失っているようですね」

 

 

 お医者さんはうんうんと私の話を聞いてから、恐らく一時的な記憶喪失だろうと結論を出した。

 

 隣にいる女性──いや、『お母さん』が悲痛な面持ちで聞いている中、私は医者の説明を淡々と受け止める。

 

 記憶がないので、自分の話をされても他人事だ。

 お陰で事故のことも1週間寝ていた事実も、1ヶ月は追加で入院してもらうという話も全部、あっさりと受け入れた。

 

 

 

 

 

 

「今の絵名とは、はじめまして……になるのかしら。やっぱり、何も思い出せない?」

 

「……はい、残念ながら何も」

 

「そうなのね。絵名さえよければ、記憶が無くなる前のあなたの話、してもいい?」

 

「是非」

 

 

 先生の診察の後。

 何1つ覚えていない私に対して、絵名のお母さんは優しい声音で話した。

 

 私の名前は東雲絵名であり、今は中1だけど、4月から中学2年生になること。

 東雲慎英(しんえい)という画家の父親と、東雲彰人(あきと)という弟がいて、私は父親に憧れて画家になりたがっていたこと。

 

 その他、私が好きだったものや嫌いなものまで、お母さんが知っていることは何でも答えてくれた。

 

 

「絵名にこんな話をするのも不思議ね……記憶、戻るといいわね」

 

「時間が経てばお医者さんも戻るって言ってたし、大丈夫ですよ……じゃなかった、大丈夫だよ」

 

「やっぱり、慣れない?」

 

「はい……ごめんなさい」

 

「謝らないで。今の絵名にとって、私は母親を名乗る初対面の相手でしょう?」

 

「でも、あなたは絵名のお母さんで」

 

「それで歩み寄ろうとしてくれたのね、ありがとう。でも、無理はしなくていいのよ。最悪、記憶は戻らなくてもまた思い出を作ればいいんだから。ね?」

 

 

 私よりも辛いだろうに、お母さんは気遣ってくれる。

 そんな彼女に「ありがとう」としか返せなくて、歯痒かった。

 

 

「それじゃあ、またお父さんを引き摺ってでも連れて来るから。暇潰しになるかわからないけど、部屋から絵名が好きそうなものを持ってきたし、スマホの代わりに使ってね」

 

「うん、気をつけて帰ってね」

 

 

 無事な右手を振って、彼女の背中を見送る。

 

 ……さて、これからどうしようか。

 事故でスマホはお亡くなりになったらしいし、時間を潰すならお母さんが持ってきてくれたモノ次第だけど。

 

 

(スケッチブックに筆箱が2つ、分厚いファイルと教科書、後は漫画か)

 

 

 スケッチブックは絵を描くのが好きな東雲絵名の為に、多めに入れてくれたのだろう。

 筆箱が2つある理由は《スケッチ用》の芯の種類が全部違う鉛筆やカッター、練り消しが入っているものと、《勉強用》の筆箱で別れているから。

 

 分厚いファイルの中身は『入院生活に春休みも重なっている』という理由から、学校が用意した宿題が入っている。

 漫画はお母さんが気を遣って最新刊を持って来たらしく、話の前後がわからないから面白くない。

 

 

(この中なら選ぶなら、宿題かな)

 

 

 記憶の中にある『言葉』が喉に刺さった小骨のように残っているのもあって、スケッチブックと漫画を見えないように脇に置いた。

 

 さて、宿題をしよう。

 そう思ってシャーペンを握ったものの、そういえば私、記憶を無くしているのだった。

 特に、暗記系とかの宿題は大丈夫だろうか?

 

 不安がこちらを見つめる中、固まった手をゆるゆると動かしながら、1問。

 ……意外と覚えてるっぽいし、大丈夫そうだ。

 

 漫画の内容は覚えてないのだから、歴史や漢字も忘れていても不思議ではないのに、意外なことに大体覚えている。

 数学は元から苦手だったのか詰まってしまうものの、教科書を開きながら解けば何とか対応できる範囲内。

 

 漫画は覚えてなくて、勉強系の知識は覚えている。

 この知識の差は一体、何だろうか? 思いつく違いとしては、繰り返し触れてきたもの、とか?

 

 東雲絵名(かのじょ)が好きなものならば、何か思い出せるかも。

 お母さんが話していた東雲絵名が好きなものといえば──絵、だろうか。そこにヒントがあるかもしれない。

 

 そこまで考えて、私はページの埋まったスケッチブックを手繰り寄せる。

 ギプスで固定されていて使えない左手を庇いつつ、右手でページを捲った。

 

 この部屋の絵、わざとっぽいけど不自然に歪んでる。後、パースがおかしい。

 こっちの石像は影が不自然に付いていて違和感があるし、この円形は影が足りなくて球体っぽくない。のっぺりしてるように見える。

 

 

(って、絵名が描いた絵を偉そうに評価するとか。嫌な奴じゃん、私!)

 

 

 記憶を無くしたせいか、人の絵を酷評している自分に何様なんだと苦笑する。

 

 今思い浮かべたものも全て、東雲絵名が培ってきた知識なのだろう。

 誰が言った言葉なのかは記憶として思い出せなくても、知識としてなら引き出すこともできるらしい。これなら私も絵を描けるかもしれない、けど。

 

 自分が描いてみた後の感想が怖くて、筆箱に手を伸ばそうとした手が震えた。

 もしも、東雲絵名が好きなものや嫌いなものから私が外れたとしても──それでも、家族は私を『絵名』と呼んでくれるのだろうか。

 

 

「……宿題、優先しよ」

 

 

 当初の予定通り、宿題という逃げ道に全力を注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 宿題を消費する日々を過ごしているうちに、山のようにあった逃亡手段(しゅくだい)が全て消化されてしまった頃。

 

 医者が定期的に訪れる病室に、お母さんと1人の男性が訪れた。

 中々病室に入ろうとしない男を押し込み、お母さんが男の紹介を始める。

 

 

「急に大勢で来てもビックリすると思うから、まずはお父さんからね」

 

 

 にっこりと微笑むお母さんを他所に、私はお父さんだという男性に目を向ける。

 難しそうな顔をしている人だ。画家という職業だというのも納得できるぐらい、気難しそうに見えた。

 

 

「……絵名」

 

 

 私の姿を目に映し、一言呟いただけで男は口を噤む。

 心なしか瞳が揺れているようにも見えるが、勘違いかもしれない。

 

 こちらの全身を眺めていた男性──お父さんの視線が、ゆっくりと右手に集まる。

 左手は骨折しているし、体は打撲や捻挫などで傷だらけな私の体。唯一、無事な右手をじっと見つめて、お父さんは静かに目を閉じた。

 

 

「そうか……守ったのか」

 

 

 何か言いたげな空気を出しているのに、後の言葉は出てこない。

 

 彼が東雲絵名の父親という前提知識がなければ、私はまともに話すことすら叶わなかっただろう。

 だって彼の声は──東雲絵名に『絵の才能がない』と言った人の声と、全く同じだったから。

 トラウマというか、苦手意識があるのは許して欲しかった。

 

 

「「……」」

 

 

 お母さんが見守る中、お互いに無言の時間が過ぎていく。

 何を言われるのか。身構えつつも待っていると、聞こえてきた言葉は予想よりもずっと普通のモノだった。

 

 

「たとえ記憶が無くなっていたとしても、生きていて……絵名が目が覚めて良かった。また何か欲しいものや頼み事があれば、お母さんに伝えなさい」

 

 

 それだけ伝えて、彼は足早に病室から出ていく。

 言葉の途中から僅かに震えていた声から察するに、あの人は……

 

 

「──お父さん、泣くところを見せたくなかったみたい」

 

 

 私の予想に答えるように、お母さんが苦笑した。

 記憶を無くしていても、娘の前では涙は見せたくなかったらしい。

 

 いくら父親だと言われても、初対面の相手が泣き出したら私も困るので、ありがたい行動である。

 そんな私の内心を見透かしているのか、お母さんは一瞬だけ眉を下げつつも、次のお見舞い予定を伝えてくれた。

 

 

「彰人は最近、卒業式の歌の練習があるらしくて。来週ぐらいにまた、連れてくるわね」

 

「卒業式……」

 

 

 そういえば今は3月だっけ。

 

 絵名の弟は今年で小学校を卒業し、来月からは中学生だ。

 入学の準備だって色々あるだろう。中学なんて制服とか何かと入り用だから。

 そんな彼にとって大事な時期に、私なんかが母親と父親を独占してしまって良いのだろうか。

 

 

「お母さん。私のお見舞いなんて、毎週来なくても良いから」

 

「え?」

 

「1週間で容態が急変することはないって、言われたし。卒業式があるってことは、入学準備も大変でしょ? お母さんも弟に集中した方が──」

 

「絵名、ありがとう。その気遣い、すごく嬉しいよ」

 

 

 私が言い切る前に、お母さんが抱きしめてきた。

 抱きしめる、といっても形だけで、私の体に気を遣った形だけのものだ。

 だから体が痛いというノイズに邪魔されることなく、胸が温かくなるような気持ちに集中することができた。

 

 体はそのままに、お母さんの手が私の頭に優しく添えられる。

 

 

「ちゃんと彰人の方も優先する。でも、あなたのことも優先させてほしいの。あなたにとっては『絵名』って名前も私達も、馴染みのないものばかりかもしれないけど、私達にとっては大事な娘だから」

 

 

 だからお願い、と小さく囁かれた声に、私はこれ以上何も言えなかった。

 弟に恨まれるようなことがあれば、甘んじて受け入れるしかないなと覚悟を決めるぐらいには、お母さんの気持ちを無下にできない。

 

 

「……うん、頑張ってみるね」

 

「無理なものは無理だって伝えるから、ほら、何でも言ってみて」

 

「え、今すぐ? ……あ、あはは」

 

 

 そう言われてもすぐには思い浮かばず、私は誤魔化すように笑みを浮かべた。

 

 結局、その日は思い浮かばなかったので、次回の宿題ということになった。

 次回頃には弟の卒業式が終わるので、今度は弟と2人で来るらしい。

 

 

「じゃ、お父さんを連れて帰るから。絵名も来週までには考えておいてね」

 

 

 病室を出ていくお母さんを見送り、ホッと一息。

 こんな調子で退院後が心配になってくるが、それはお母さんから出された宿題と一緒に考えていくしかないだろう。

 

 それにしても──少し困ったことになった。

 

 学校の宿題は弟の入学準備の時に先生に届けるからと、お母さんが持って帰ってしまったのだ。

 今の私の手元にあるのは、スケッチブックとお母さんが追加で持って来てくれた色鉛筆などの画材だけ。スマホはまだない。

 

 つまり、絵を描く以外に暇を潰せそうなものがないのである。

 

 

(向き合う時が来ちゃったか)

 

 

 絵が嫌いになったらどうしようとか、色々と考えてしまって触れなかったスケッチブック。

 

 仮に、記憶もないし、絵も描か(面影も)ない私になってしまったとして。

 私自身もこの名前を受け入れきれていないのに、誰が私のことを東雲絵名だと呼んでくれるのだろうか。

 

 

(いや、ここで考えても仕方がないし……とりあえず、ちょっとやってみよう)

 

 

 怖気付いてしまった自分に喝を入れて、私は筆箱とスケッチブックに手を伸ばした──

 

 

 

 




記憶がないので、原作えななんとはやっぱり性格が違います。

そして最初に出てくるメインキャラがまさかのえななんの弟君ではなく、この時期だとかなり弱ってそうだと予想しているあの子です。
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