イラスト担当は記憶を無くしました   作:大森依織

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願いが叶ったら。





203枚目 あとばらい

 

 

 

 

「ごめんなさい、情けない姿を見せたわね」

 

 

 あれからまふゆのお母さんは自分が満足するまで曲を繰り返し聴いていた。

 一通り泣いて満足したのか、ハンカチを片手にオーディオプレーヤーを瑞希に手渡す。

 

 それを恭しく受け取った瑞希が、泣いて赤くなってしまった目をじっと見つめた。

 

 

「まふゆの曲はどうでしたか?」

 

「どうって、中々意地悪なことを聞いてくるのね」

 

 

 まふゆのお母さんは苦笑いを浮かべているものの、目はとても柔らかい。

 曲を聴く前の何かに取り憑かれているような雰囲気は全く感じなかった。

 

 

「優しい曲だと思ったわ……本当に、優しかったの」

 

 

 まふゆのお母さんは目を伏せたまま、ゆっくりと席を立つ。

 予想外の行動に私と瑞希は身構えてしまったが、心配するなと言わんばかりに手で制される。

 

 

「私と話に来たと言っても、やっぱりまふゆのことが心配でしょう? ……続きの感想は、あの子の前でね」

 

 

 そう言ってまふゆの部屋に案内してくれるまふゆのお母さんの背中を視界に収めつつ、私は瑞希の顔を見る。

 瑞希も驚いているようで、まん丸になったピンクの目と目が合った。

 

 

「えっと。待たせちゃ悪いし、付いて行こっか」

 

「そ、そうだね。ちょっとびっくりしちゃって」

 

 

 えへへ、と脱力した瑞希の笑みを見ていると、山場を乗り越えたんだと実感する。

 ……まだ大丈夫そうなので、私も安堵の息を漏らした。

 

 

「まふゆ、入るわよ」

 

 

 頑丈そうな棒で開かないように固定していた上に、外から厳重に施錠していた扉をまふゆのお母さんが叩いた。

 扉を開こうにもびくともしないと言っていたまふゆの感想がよくわかる厳重さだ。それを慣れたように解除したまふゆのお母さんは部屋の中へと入っていく。

 

 私と瑞希もその後に続くと、珍しく驚いた顔をしたまふゆが出迎えた。

 

 

「え、絵名と瑞希?」

 

「あなたが心配で来てくれたみたいよ。まふゆにも話したいことがあるから、少しいいかしら?」

 

「う、うん」

 

 

 突然すぎる出来事に困惑しているせいか、優等生らしい顔とニーゴの時の顔が混ざった様子でまふゆは頷く。

 私と瑞希がまふゆの両側に座ると、まふゆのお母さんは対面に正座した。

 

 

「まずはまふゆに言わなくてはいけないことがあるわ……その、ごめんなさい」

 

「えっ」

 

 

 まふゆのお母さんが土下座に近い姿勢で頭を下げるという衝撃の姿を目の前で見せたせいか、まふゆも珍しくハッキリと驚きが顔に出た。

 

 

「私は私なりに、まふゆのことを考えて動いていたつもりだったわ。でも、それが結果的に1番大切な『まふゆの意思』を尊重できていなかったのね……私ならそんなことをしないって、思っていたはずなのに」

 

「お母さん……」

 

 

 まふゆのお母さんは頭を上げると、力なく笑った。

 

 

「初めは本当に、まふゆのことを思っているつもりだったの。勉強ができれば選べる範囲は広がるし、医療関係の道に進むなら医者になる方が安泰だからって勝手に決めて……まふゆは今まで頑張ってきたんだから、最後に遊んで後悔してほしくないって思っていたわ。でも……今思えばパソコンを壊したり、閉じ込めたりと言い訳できないぐらいやり過ぎてたわね」

 

「……うん、パソコンの中を勝手に見られるのも嫌だった」

 

「そうね……それも、ごめんなさい。私はああはならないって決めた筈なのに、まふゆに似たようなことをして。それに今まで気が付いていなかったなんてね」

 

 

 まふゆのお母さんが口を閉じ、沈黙が訪れる。

 まふゆも誰も喋らないのにこちら側に緊張感がないのは、この話のメインであろうまふゆが落ち着いているからだろうか。瑞希も余裕がありそうだ。

 

 ただ、緊張感がないのはこちらの話であり、相手はそうではない。

 まふゆのお母さんはニーゴの前でいる時のまふゆを見るのも初めてなせいか、居心地が悪そうである。

 

 表情筋が職務を放棄しているまふゆが私達の通常運転でも、まふゆのお母さんにとってのまふゆは『優等生の仮面を被った理想の良い子状態のまふゆ』だ。

 怒らせているのではないかと探るような視線をまふゆに向けならが、まふゆのお母さんは再び声を出す。

 

 

「ここまでしておいて許してほしいとは言わないわ。でも、まふゆさえよければもう1度。もう1度だけ、話す機会をくれないかしら」

 

「それは私1人で?」

 

「いいえ、それだとまたまふゆが話せなくなってしまうかもしれないでしょう? お父さんとでも、宵崎さんや隣にいる2人とでも、全員でもいいわ。1人でなくていいから、もう1度だけお母さんと……いいえ、もうお母さんと呼ぶのも嫌よね。まふゆが良いって言ってくれるのなら、私と話してほしいの」

 

 

 まふゆのお母さんは恐らく、まふゆが怒っていると勘違いしている。

 他人である私でもわかるのだ。娘であるまふゆにそれがわからないはずもなく。

 

 

「お母さん、私は怒ってないよ」

 

「えっ。そ、そうなの?」

 

「閉じ込められるのは嫌だったけど、怒ってはいないよ。ただ、お母さんの前で良い子にいるのを──無理するのをやめただけ」

 

「っ! そう。本当に……私はまふゆのことを何も知らなかったのね」

 

 

 まふゆのお母さんは悲しそうに目を閉じる。

 その姿はまるで諦めているようにも見えて、やっぱりまふゆのことを勘違いしているのは継続しているように見えた。

 

 

(元から思い込みが激しいタイプなのかもね。そこを付け込まれたのかも)

 

 

 他人の想いを利用するなんて、想いに寄り添って応援してくれるミク達とは違って本当に嫌なヤツである。

 私だけに見え隠れしている影にうんざりしていると、突然、まふゆが立ち上がった。

 

 何事かと見ていると、当然のように自分のお母さんの隣に移動し、唖然とする母親の手を掴む。

 

 

「知らないのなら知って欲しい。私もちゃんと、お母さんと話し合いたいから」

 

「ありがとう、まふゆ。でもね、もう気を遣わなくてもいいのよ」

 

「お母さんの物差しで私の気持ちを勝手に決めないで」

 

「あっ……そうね。まふゆがそう言ってくれるなら、話しましょう。知ってると思っていたことも、知らなかったことも、全部」

 

 

 まふゆのお母さんがまふゆの手を包んで笑みを浮かべると、まふゆもわずかに口角を上げた。

 

 ──その穏やかな笑みと既視感が重なり、胸の痛みと共に視界が歪んだ。

 

 

「いやぁ。一時はどうなるかと不安だったけど、無事に終わりそうでよかったぁ」

 

「……っ」

 

「こんなことなら奏の家に行って、寝てそうな奏を迎えに行ってもよかったよねー」

 

 

 瑞希は小声なのに隣で聞いていると何を言っているのかわかるような語り口調で話している。

 

 

「ねぇ、絵名──絵名?」

 

 

 私の目がまふゆの方を向き、溢れる涙を止めることもできずに涙を流していた。

 まさか私が隣で泣いているとは思っていなかったのだろう。瑞希はギョッとした顔でこちらに手を伸ばす。

 

 

「大丈夫? まふゆのことが上手くいってすっごい嬉しいのはわかるけど、そこまで号泣することだった?」

 

 

 この視界の歪みは涙だったらしく、瑞希が心の底から心配しているのが伝わってくる声が耳に届く。

 折角まふゆの件が良いところなのに、こちらの心配なんてしてほしくない。

 

 私は自分の胸の痛みを無視して会話に応じる。

 

 

「そうなんだけど、涙が止まらなくて」

 

「はは。絵名ってば泣き虫だな~。まぁ、ボクも気持ちはわかるけどね」

 

「……うるさいっての」

 

 

 あぁ、よかった。

 このタイミングで本当によかった。

 

 だって私は知らなかったのだ。

 記憶の半分が消えていくというのが、自分の体の半分を食べられているような苦しみがあるなんて知らなかった。

 

 目が覚めた時には記憶が綺麗さっぱりなかったせいかもしれない。

 思い出そうにもゆっくり、じっくりと中学の時の大切だった思い出が蝕まれていく。それがハッキリとわかるせいで胸が痛い。

 

 病院で目が覚めた時のことや入院生活の時、咲希ちゃんに絵をプレゼントしたことから始まって、自分がどういう気持ちで画家にならなきゃと焦っていたのかも他人事みたいに思えてきて。

 

 愛莉との馴れ初めも、まふゆと少し喋ったことも、瑞希の絵を描いた時のことも。炎上騒ぎも、彰人が手を引っ張ってくれたりしてくれたことも、えむちゃんと初めて会ったことや奏と病院でバッタリ出会ったことも、冬弥くんが家に来た時のことまで……他にも色々と思い出しては、虫食いになって消えていく。

 

 

(自分で決めたこととはいえ、苦しいな……記憶がなくなってるってわかるから、胸が痛くなる)

 

 

 また1つ、東雲絵名からも……私自身からも遠のいてしまったのが、どうしようもなく苦しい。

 

 その心の悲鳴が胸の痛みや苦しみとして表れて、涙として流れていく。

 体の悲鳴を涙として感じれば感じるほど、このタイミングで本当によかったと思う気持ちが膨れた。

 

 

(中学の時の日記、見返さなきゃな)

 

 

 鬼門は自分の部屋に戻る前に彰人に会ってしまうことだろうか。いや、誰かに会うことすらまずいかもしれない。

 今まで丁寧に日記を書いてきたので記憶の補填はある程度できるはずなのだ。だから、見つからなければ何とかなる。

 

 まだ言えないだろうから、言えないのなら隠すしかない。

 

 

(大丈夫。何かの役とかなら兎も角、自分の演技は得意な方だもの)

 

 

 記憶を無くしたというよりは取られたせいなのか、東雲絵名らしく動いた方がしっくりくるのだ。その感覚さえ掴めれば違和感を与える可能性は格段に減るはず。

 高校での出来事は覚えているので、そこから中学の記憶を紐付けたらカバーできる。大丈夫だ。

 

 

「──絵名、平気なの?」

 

「ありがとね、瑞希。もう、大丈夫だから」

 

 

 記憶の差し押さえが終わったのか、勝手に流れてしまう涙も止まった。

 背中を擦ってくれていた瑞希にお礼を伝え、一呼吸。胸に穴が開いたかのような喪失感が残っているものの、強引に気持ちを切り替えた。

 

 

「これ以上はお邪魔してもあれだし、どうしよっか?」

 

「……実は曲を送られてくる前の奏が大暴れしてたから心配だったんだよね。ボクらはお暇しちゃおう」

 

 

 まふゆとの話し合いの本番はお父さんが帰って来てかららしいし、来週となるだろう。

 私達も同伴を許可してもらったとはいえ、このまま居てもいい理由にもならない。

 

 最初の時はバチバチにやり合っていたはずのまふゆのお母さんにも惜しまれながら、私達はまふゆの家を後にする。

 

 

「まふゆも良い方向に向かいそうで、よかったね」

 

「そうね、上手くいってよかった」

 

 

 瑞希のホッとした様子に、私も別の意味で同調する。

 

 ──私の勝負はここからが始まりなのだけど、何とか最初から躓かなくてホッとしていたのだから、嘘ではない。

 

 







……というわけで、まふゆさんのご家庭の事情はひと段落つきました。

今までの出会い、教育、環境、運といった要素が絡み合って積み重なった価値観。
それを変えるような展開というか、解決方法が『距離を置いて関わりを減らす』ぐらいしか思いつかなかった貧相な想像力のせいで、ご都合主義的力(狂気)で解決しちゃいました。

……きっと原作様なら綺麗に解決してくれるはずですので、楽しみですね。


次回は奏さん視点です。
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