えななん達が修学旅行から帰ってくる日。
まさかの出会いが発生している、その頃の宵崎さん視点、スタートです。
ジャージの上からコートを羽織っているけれど、外はまだまだ寒い。
冷たい風に目を閉じると、瞼の裏に過るのはやせ細ったお父さんが寝ている姿で。
『……今の所、宵崎さんのお父さんが目を覚ます兆候はありません』
寒いせいか、さっき病院で聞いたばかりの声が風の音と一緒に耳に運ばれてくる。
『想定よりも早く衰弱してますし、このまま目を覚まさなければ……覚悟が、必要になるでしょうね』
「っ!」
もう年単位での顔合わせをしている医者からの言葉を思い出しては、足を止めてしまう。
覚悟。覚悟って、何だろう?
(曲を作り続けるってことすら、できなくなってるのに……覚悟か)
新しい曲を作ろうとすると、あの日のことを思い出してしまう。
──奏はこれからも、奏の音楽を作り続けるんだよ。
(お父さん、わたしの音楽って何だろうね)
お父さんを苦しめて、音楽を取り上げてしまった分、誰かを幸せにするような──誰かを救える音楽を作らなくちゃいけないのに。
まふゆの想いを形にする曲を作ってからというものの、上手く曲が作れなくなっていた。
最初の方はまだ手が動いていた。
出来上がった曲は騒音にしか聴こえなくて、全部破棄したけど。
1つ作るごとに、曲のクオリティーが落ちていく。
1つ形にすれば、頭の中が霧に包まれているかのように新しい案が出てこなくなる。
そうやってやり直しているうちに……今ではもう、最初のフレーズすら満足できなくて。
今までのスランプなんて可愛らしく感じるぐらい、何も作れなかった。
(明日の夜からまた、4人での作業が始まるのに……何も準備できてないな)
今日は絵名達が帰って来る日なので、後1日は猶予があるものの。今の状態だと、デモを完成させるのは絶望的だ。
ナイトコードでは瑞希に、家では望月さんに随分と迷惑をかけているのに……1歩進んでは2歩下がるような進捗状況なのである。
望月さんに倒れている姿を目撃されて、悲鳴を上げられるぐらい粘っても、曲が完成するイメージが全く湧かず。
何をしても進捗はゼロのまま。絶望的に何も進んでいなかった。
(暫くはデモができるまで休もうかな)
何も作れていない状態で作業に参加するのは申し訳ないし、休んでデモ作りに集中してもいいかもしれない。
……そうやって曲のことばかり考えていたせいか、肝心の現実が疎かになっていたらしい。
「──ないですよー! ……あの、ごめんなさい!」
背後からそんな声が聞こえてきたと思ったら、ぐいっと後ろに引っ張られた。
目の前は気がつけば交差点で、車が走っている中に突っ込みかけていたようだ。
危機一髪な状況を理解して、頭の中が一気に冷え込む。
後ろに引っ張ってくれた人──おさげが特徴的な黒髪の女の子がいなかったら、大惨事になっていた。
「えっと、引っ張ってくれてありがとう。ぼーっとしてたから、助かったよ」
「こっちこそ、急に引っ張ってごめんね。結構強く手を引っ張っちゃったけど、痛くない?」
「うん、大丈夫。仮に痛かったとしても、わたしが悪いから」
相手に気にしないように言ったつもりだったのだけど、言い方が悪かったようだ。
女の子は眉を下げつつ、ポツリと呟く。
「悪いって……やっぱり『えなちゃん』みたいに上手くいかないなぁ」
えな、絵名?
漢字で書くなら珍しい方に入る名前でも、発音だけなら同じ名前は結構いると思う。
女の子の鞄からはみ出しているスケッチブックを見るに、もしかしたら絵画教室で一緒に活動しているのかもしれない。
わたしの知っている絵名と一緒の可能性が高いし、聞いてみようか。
「その『えなちゃん』っていうのは、東雲絵名って名前だったりするかな?」
「えっ。もしかして、絵名ちゃんのお友達?」
「うん、仲良くさせてもらって……あっ」
「わっと、大丈夫!?」
疲れが残っているせいか、ふらりと倒れそうになったわたしを女の子が支えてくれた。
「その。休憩がてら、近くのカフェで休みませんか?」
「え、でも……」
「顔色、すっごく悪いから。絵名ちゃんの友達なら余計に放って置けないし……気分転換のお話ついでだと思って!」
絵名の友達というだけあって、押しが強い。
(でも、ここで断って家に帰るとしても曲は……うん。気分転換、いいかもしれない)
家にいても良い想像ができないということもあって。
名前も知らない女の子と一緒にカフェに行くことになった。
☆★☆
「わぁぁ、ごめんなさい! 名乗り忘れちゃってたけど、絵名ちゃんと一緒の絵画教室に通ってる夏野二葉です。よろしくお願いしますっ」
「……絵名と同じサークルで活動してる宵崎奏です、よろしくお願いします」
カフェの席に着き、飲み物を頼んだわたし達が真っ先にしたことはお見合いのような自己紹介だった。
というか、すごく元気。控えめっぽいのに、共通の友人がいるせいかグイグイくる。
「サークルってことは、絵名ちゃんの恩人の人!」
「え、恩人?」
「絵名ちゃんがすっごいスランプだった時に『今、活動しているサークルで作られた曲に救われた』って話してたから、つい反応しちゃった。大きな声を出しちゃってごめんなさい」
「ううん。ちょっと驚いただけだから、気にしないで」
それに……絵名本人からではなく、友人から話を聞けたからだろうか。
落ち込んでいた心に『曲に救われた』という言葉がより一層強く響いて聞こえる。
『絵名』という共通の友人がいて、最初の印象もよかったこともあり、夏野さんとの会話は楽しかった。
誰かを救う曲を作らなくちゃとか、お父さんのこととか。
何をしていても悪い方へと考えてしまっていたから、そういう考えが入り込む余地がなかったのも良かったのかもしれない。
夏野さんの誘い文句通り、良い気分転換になっていた。
「こうやって話していると思うんだけど……宵崎さんって絵名ちゃんに似てるよね」
「わたしが絵名と?」
髪の毛の長さとか色とか性格とか。そういうのを含めたとしても、どう頑張っても似ていない気がして首を傾げる。
そんなわたしを見た夏野さんは小さく両手を振った。
「あぁ、性格とかの話じゃなくて。ただ、自分よりも他の人のことを優先しちゃうところとか、そっくりだなぁって」
わたしはそう感じたことはなかったけれど、
自分にはない視点なので、やっぱり首を傾げてしまう。
「そうなのかな?」
「自覚なさそうだよね。そういうところもそっくりだと思うよ」
夏野さんの中でわたしと絵名の共通点を見つけたのか、彼女は楽しそうに笑っている。
……絵でまふゆのお母さんの考えを改めてしまった絵名と、わたしがそっくりなんて言われていいのだろうか。
言われた評価が引っかかって上手く消化し切れていないのに、夏野さんは更に話を続ける。
「絵名ちゃんも『自分の為だからー』って言いながら、誰かのために動けちゃうんだよね」
「あぁ、絵名はそうだね」
「でしょう? 最近会った時もまた無理してそうだったし、私も何かできたらいいんだけど……今日、話してみた印象で、宵崎さんも似たところがあるんじゃないかなって思ったんだ」
「そう、かな」
「宵崎さん、カフェに入る前はすっごい怖い顔だったのに、今はちょっと力が抜けてきたでしょ? きっと色々と考え過ぎて、疲れちゃったんじゃないかなぁ」
雪平先生と話した後の絵名ちゃんにそっくりだよ、と夏野さんは笑っている。
絵画教室に通っているということは、夏野さんも絵名の言う『絵描き』であるはず。
そういう技能がある人には自然と観察力が身に付くのか、絵名に似ているという夏野さんの方が絵名を彷彿とさせる観察力を披露してくれたので、ビックリした。
自分でもわかるぐらい瞬きが増えてしまったせいで、目の前にいる夏野さんの口角が益々上に上がる。
そうして話をしているうちに、気がついたら1時間ぐらい時間が過ぎていた。
「──宵崎さんの顔色も良くなったし、私もそろそろ帰らなきゃ。結構長い間、捕まえちゃってごめんね」
「ううん、こちらこそありがとう」
「宵崎さんも大変そうだなぁって思うけど……無理しない程度に絵名ちゃんのこと、よろしくね!」
何となくだけど、夏野さんが1番言いたかったのはこれな気がする。
(絵名の様子、そんなにおかしいのかな……?)
正直に言うと、最近は自分のことばかりで絵名のことはあまり見ていなかった。
(……そうだな。頑張っている人を応援するような、そういう曲のデモを作ろう)
そう思えば、不思議と何も思い浮かばなかった頭の中に、使いたい音が溢れ出てきた。
病院からの帰り道で足が軽いのは随分と久しぶりだ。この気持ちが途切れる前に曲を作りたい。
(今のわたしにできることは曲を作ることだけ。明日には絵名達も帰ってくるし、デモを形にしよう)
そう思って足早に家に帰ったわたしは、早速曲を作り始める。
最近、全く曲を作れないと悩んでいたのは何だったのだろう?
スランプ期間が不思議になるぐらい、今は手が動く。
動いて。
動いて……
──ルルル。
──プルルルル。
「……電話?」
時刻は10時。
一体、こんな時間に誰が電話してくるのだろうか。
そんな不満と共に立ち上がると、遮光カーテンの隙間から太陽の光が漏れているのに気がつく。
時計の時刻は10時。
「……やっちゃった」
どうやらこれは夜の10時ではなかったらしい。
寝る間どころか昼も夜も食べることすら忘れて、ずっと作業をしていたことになる。
水分もカフェで飲んだコーヒーが最後だ。そう思うと喉も乾いてきた気がした。
後で水を飲もう。とりあえず今は電話に出なければ。
(……病院から?)
てっきり、おばあちゃんからの電話だと思ったのに、違う電話番号が映っている。
さっきまで楽しく曲を作っていた気持ちが嘘のように引いていき、騒めきだけが胸の中に残った。
嫌な予感がする。
だけど、出ないわけにもいかない。
何もありませんように、気のせいでありますようにと祈りながら、わたしは受話器を手に持つ。
「はい、宵崎です」
電話に出ると、顔見知りの看護師さんの声が聞こえてきた。
『落ち着いて聞いてください』という前置きから伝えられる看護師さんの言葉に、頭の中が真っ白になる。
──どうやら、神様というのは残酷らしい。
わたしは電話の後にしようとしたことすら忘れて、上着と鍵を持って玄関から飛び出した。
残念ながら、そこに神様は関与してません。
スケッチブックという呪物が手を出して作られた、意図的な崖っぷちです……
次回は今回の宵崎さんから時間が少し巻き戻って。
修学旅行帰ってきた当日の夜、朝比奈さん視点です。