願いが叶うなんて胡散臭いとは思う。けど、本当に叶うのならほんの少しの『 』を胸に、抱かせて欲しい。
彼女はきっと、その手で掴みたい未来を描いていたんじゃないかと思う。
……それが奴の、大きな誤算になってしまっただけで。
「──でも……側にいても目が覚めるかわからないのなら、わたしは自分ができることをしたいんだ」
セカイで改めて、奏の覚悟を聞いた。
【ひひひ、曲如きで奇跡を起こすーだって。そんなの、無理に決まってるのにね】
それと同時に、私の頭の中では奏のお父さんを深い眠りに陥らせた原因が、奏の覚悟を嘲笑っている。
奴が無理だというのであれば、それは間違いではないのだろう。
奴の異常な力に対抗できれば話は別だが、物理的に燃やすこともできない以上、対抗手段はゼロである。
【燃やすってさぁ。前から思っていたけれど、そんなヤバいことを考える人の前に現れるわけがないよね。そんなこともわからないのかな?】
奏達が話している間も、奴は腹の立つ煽りをしてくる。
燃やすのが野蛮だというのであれば、切り裂いたり水浸しでもいい。喧嘩を売っているのならすぐに買おう。
【ほら野蛮だ。仮に今更、燃やした所で問題が解決しないことを無視してるし、君は野蛮で愚鈍だね】
実際のところ、奴の言い分も強ち間違いではないので、言い返すのも難しいのがムカつく。
私の判断が遅かったからこそ、まふゆや奏を巻き込んだ上に苦しめているのもまた、事実だった。
【遅いというよりは、諦めが悪いよね。君が他人が追い込まれるまで願わなかった理由も、今の自分の為じゃなくて前の自分の為だし】
ケラケラと、嫌悪感を沸き立たせる声が頭の中に響く。
【本当は辛かったのに、苦しかったのにね? 嫌だって放り出したいこともあっただろう? 描いてしまえばぜーんぶ、まるっと解決だよ!】
(それ、元凶に言われたくないんだけど)
【酷いなぁ。元はと言えば、前の君が『才能』なんてご大層なモノを願ったせいだろう?】
(……ふぅん)
【君の正体は縋り付くことしかできない人間なんだ。諦めたら楽になるよ?】
(あぁ、そう。でもそれ、本当に記憶が消える前の私は──東雲絵名はスケッチブックに『才能』を願ったの?)
急に奴の声が聞こえなくなった。
いや、それどころか話している奏の声も、心配そうな瑞希の声も、少し不安そうにも見えるまふゆの声も聞こえない。
恐らく奴が意図的に音を消したのだろう。
そんなことをしてしまうなんて、図星だと言っているようなものなのに。
【今は……どちらにしても。描かないと奇跡なんて起きないからね】
負け惜しみのような台詞を残して、奴は脳内で騒ぐのをやめた。
言い返してこないということは、私の疑問の肯定だと受け取ってもいいのだろうか?
そうだとすれば──ずっと、ずっと考えていたことに対して、やっと良いことを聞けたのかもしれない。
(今はもう少しだけ、思惑通りに1人で踊ってあげるけど……)
いつまでも私が1人で踊ってるって、思わないことだ。
どこにもいない奴を睨みつけたい気持ちを抑えていると、いつの間にか1人になっていた奏から声をかけられた。
「──絵名は帰らないの?」
「帰るつもりだけど、その前に奏に1つだけ確認したくて」
視界の端に映るピンクは色の濃さ的にルカだろう。
何を考えて隠れているのかは知らないが、丁度いい。私ができることをさせてもらおう。
「ちょっと奏と奏のお父さんの絵を描かせて欲しいなーって思って──」
ほら、最近は女も度胸って言うし。ぐずぐず言えるような口もないのだ。
指先は震えているけど、覚悟は決めた。
「──ダメなんてことはないよ。描いてくれるなら嬉しいし」
奏はまふゆと違って本当に何も知らないのか、困惑しつつも許可をくれた。
視界の端には目を細め、こちらを見ているルカもいる。
この距離なら会話も聞こえているだろう。後は知ってる人に伝わってくれるかどうかだ。
「できたら奏に送るね」
あからさまに震えてしまった右手を後ろに隠し、そこまで震えていない左手を振った。
嬉しい気持ちを頭の中で再生し、笑みを作る。
まだ余裕がない奏が相手なら、取り繕える程度の笑顔にはなっているだろう。
(知らないのなら、今の奏にはお父さんのことに集中してほしいし)
ただでさえ巻き込んで苦しめているのに、こちらのことを気遣うような心労を上乗せしたくなかった。
最後の最後まで気を抜かないようにスマホの曲を止めてからやっと、気を抜く。
「……今の、聞いてたでしょ」
セカイから自分の部屋に戻ってきた私は、暗い部屋の中でもこちらの様子を見ているであろう奴へ声をかけた。
【本当に描くの?】
「あんたが奏のお父さんを人質に取ってるくせに、そんなこと言うわけ?」
【人質には取ってないよ。そのままもっと眠ればいいよーって、哀れな人間を1人、誘っただけ】
それを人質というのだ。
人でもないから人の心なんてない邪悪な紙束にはわからないのだろうけど。
「あんたが私以外の人間に手を出したせいでこんなことになってるのに、しらばっくれるのだけは上手だよね」
【本当はこっちだってそんなことをしたくなかったんだよ? こんな危ないことをする前に、君が絵を描いてくれたら良かったんだ】
やれやれと言わんばかりの声が響くのと同時に、目の前の空間に黒い欠片が溢れ出す。
【さぁて。今回が折り返し地点を超えた、3枚目の願いだけど……】
黒い欠片が集まって、スケッチブックが姿を現した。
奴はわざとらしくゆったりと周囲を彷徨い、目の前で止まった。
【今回の願いの代償はもう半分の記憶。つまり、君の記憶の全てを貰います】
「減らせないの?」
【奇跡を起こすのに値切っていいの?】
「……つまり無理、と」
予想していたことだが、このまま絵を描くと私が私として動ける時間は本当に僅かとなってしまうようだ。
胸に鉄のような、冷たくて重い何かがゆっくりと溜まっていく感覚と言えばいいのか。
煩い臓器をできるだけ認識しないように。見えそうなモノを無視して突き進む。
「せめて、記憶がなくなる時間の指定はさせてよ」
【えぇー? 前回のはサービスだよ。別にこっちは描いた瞬間から取ってもいいんだからね?】
「じゃあ、こっちもギリギリまで描かないから」
【……そんな態度でいいのかな?】
「そっちこそ、私に絵を描いてもらわないと困るんでしょ?」
【はぁ、主導権はこっちにあるはずなんだけど。君って生意気だよね】
スケッチブックから放たれる禍々しい輝きが増し、部屋を照らす。
その瞬間、いつもよりも強い力で首が絞められた。
心構えも何もなく急に来たせいで、体が酸素を求めて暴れてしまう。
ガシャンッ、と画材を机から床へ散らばせてしまったのに、外からの音は全く聞こえない。
(くる、し……なんで)
こんなに暴れていたら、彰人なら真っ先に駆けつけてくれる、のに。
まるで、部屋の外と中が遮断されてしまっているような……
【ような、じゃなくて遮断したんだよ。あまりにも君が調子に乗ってるから】
「は、ぁっ?」
【こっちが現実世界に制限があるからって、餌の分際で生意気なんだよ。こっちはいつでも、お前のことなんて害せるんだぞ?】
絞め方はいつもと同じようで、外からというよりは内側を──気管を何らかの方法で狭めているらしい。
だけど、奴は勘違いしている。
(害せるとか言うんだったら……やれるものなら、やってみなさいよ……っっ!!)
こっちはスケッチブックなんていう厄物のせいで、殆ど何も残っていないのだ。
1枚目を描いた時から本来ならここにいたはずの絵名はいない。
2枚目では私の勝手な想いからまふゆに生きてほしくて、中学時代の記憶を代償にした。
そして、3枚目を描けば遅かれ早かれ、今の私はいなくなる。
唯一の心残りは奏と奏のお父さんがどうなるのかがわからないことだけど……それでも私が今、ここでスケッチブックにやられても同じことだ。
(こっちは嫌でも怖くても苦しくても! 助けを求めることも、誰かにどうにかしてくれって泣き付くこともできないのよ! 今更、この程度のことでビビるわけないでしょ!?)
やれるものならやってみろ!
今までの恨み辛みも全部乗せて奴に顔を近付ける。
怯むように引き下がる奴に、せめて気持ちだけは負けないように睨み付けた。
【……ひぇっ。人間って怖い奴もいるもんだね。今までの持ち主の中でもダントツなんだけど……あぁもう。わかった、わかったよ】
「ぁっ、ひゅっ。はぁ、かひゅ。はぁ、はぁ」
いつもよりも長い間制限されていた呼吸ができるようになり、体が必死に酸素を求めた。
【本当に死なれたらこっちが困るし、願いが叶うまでは記憶は取りません。その代わり、記憶は全部貰うから。これ以上は譲歩しないよ】
……できれば本当はもう半分とか言いたかった。が、頑なな態度を見るに、これ以上の譲歩は難しそうだ。
(こいつの力はミク達とは違って、現実世界にも影響を及ぼせるし、自分の身も守ることができる)
度々『ルールがー』とか言ってるので、見えない制限は一応、存在しているようだが……それも知らないこちら側からすればほぼ無法だ。
そんな無法な力を何とかする為には、こちらも崖に落ちるような覚悟で望まないと絶望的だろう。
(奏のお父さんを確実に助ける為にも、今必要なのは『事実』を積み上げること)
進め、進め。
未だに何も言えそうにない私には、それ以外にできることはあまりないのだから。
「……わかった。それで3枚目の願い事を描くよ」
【ひひひ、交渉成立だね】
宙を飛んでいたスケッチブックが私の手の内に収まった。
一応、確認のためにカッターの刃を突き刺して見たものの、変な膜のようなものに弾かれて傷は付かなかった。
【君、油断も隙もないね? あまりふざけた事をしていると、記憶が消えるまでの期間を短くしちゃうかもしれないよ?】
ダメらしい。これ以上のチャレンジは今までのことを無駄にしてしまいそうだ。
……残念だが、進むしかない。
「すぅ……はぁ」
前と比べると、スケッチブックに触れる手が震えている。
この後に転がった先が良い方であれ悪い方であれ、今の状態の『私』が描く、最後の作品だ。
「──じゃあ、描くよ」
【ひひひ、さぁどうぞ】
……絵描きとして、全力を尽くそう。
記憶を無くして零れ落ちたとしても、上手くいって記憶を取り戻したとしても。
これが『今の状態の私』にとって、最後の作品だ。
次回は瑞希さん視点です。