消えた後も、その影響は強く。
平和の中に訪れるこの話限りの残滓。
えななんはいつも大変ですねって感じが主題の、ほんのりイベスト『Knowing the Unseen』の香りです。
叫び声が周辺に響き渡る。
「──どうして!? 何で、あんた程度の技術でいつも選ばれるのよっ!」
部活の後輩達を帰らせて、後片付けをしてから門を出るのは悪行ではなかったはずだ。
それなのに……なんでこう。校門を出てすぐに血走った目の女の人に捕まってしまうのだろうか。
相手は「東雲絵名」とフルネームを叫んでいるから、一方的に私のことを知っているのだろうけど、私にとっては初めましての人である。
化粧もしてなさそうな顔を鬼の如く歪めて、よくわからない言い掛かりを一方的に言ってくる女の人。
草臥れた服とボサボサに広がった髪が妖怪のように見えて、相手の印象は控えめに言っても最悪に近い。
「東雲先生の娘ってだけで大した実力もない癖に、受賞どころか先生の個展に絵を出すなんて恥知らずめ! 私の好きな先生を汚すなんて、顔だけの七光りの癖に身の程を知りなさいよ!」
(うわぁ、めんどくさ。この人、ネットの人と同じなのかな)
自分の名前はNGワードにしているので知らなかったのだが、中学生の時に強制開催させられた個人情報のバーゲンセールという名の炎上のせいで、未だに何かある度にプチ炎上しているらしい。
シブヤアートコンクールの時も私を叩く人と、高校生に嫉妬する人を煽る人とかが本人も知らぬところで争っていたというのは、炎上に病んでないか心配していた瑞希から聞いた話である。
恐らく、目の前の彼女もネット上にいるような人達と似たタイプの人間なのだろう。
違うのはネットの人とは違って、女性の方が悪い方向に行動力があったということだけだ。
(誰か人を呼んで欲しいんだけど、こういう時に限って誰もいないし)
助けを呼べないこの状況。さて、どうしたものか。
相手の対応に頭を悩ませていると、私の思考の中に爆弾のような言葉を投げ込まれた。
「私があんたと同じ立場なら……東雲先生の娘だったのなら。私の方が何もかも全部、上手くできるのに!」
「は? ……今、何て言ったの?」
「私があんたの立場だった方が、もっと上手くできるって言ってんのよ! 事実、私の方が──」
(……)
何か、余計なことまでツラツラと言ってるけど。
そんな不快な雑音よりも、何かがブチッと切れるような音の方が大きく響いて聞こえた。
スケッチブックが消えてからは初めての、思考が吹っ飛んだみたいに頭が真っ白になる感覚。
他人事のように現状を眺める視点が戻った頃にはもう、私の手が頭の上に振り上げられていて。
「──そこ! 何やってるの!」
……それとほぼ同時に先生達が駆けつけてくれたおかげで、あと1歩を進まずに済んだ。
私にあれだけ威勢よく突っかかっていた女性は大人に囲まれてしまったせいで、借りてきた猫の様に大人しく連行される。
先生も私のことを知っているし、相手があまりにも怪しい装いだったせいでそこまで長話をすることなく、すぐに解放された。
(さっきのは、危なかったな)
先生との話も終わったのに、今もバクバクと心臓が主張している。
あのままいっていたら、と最悪な想像が占拠する思考の中に、ほぼ毎日聞いている声が届く。
「絵名、大丈夫?」
「あれ、まふゆ?」
「……先生を呼ばずに間に入った方が良かったかな。ごめん」
「あんたが謝ることじゃないでしょ。っていうか、何でまだ学校にいるのよ」
「今日は先生の手伝いで残ってた」
「はぁ。あんた、また手伝ってたの? そういうの、断らないとまたしんどくなるわよ」
「でも、今回はそれが正解だったよ」
まふゆは宙に視線を彷徨わせると、不愉快そうに目を細める。
相手への不快感もあるだろうけど、あの顔は自分のことも責めてそうだ。
私が変な相手に絡まれてるのが悪いのだから、まふゆには自分を責めてほしくない。
「あのさ。さっきの言葉的に、まふゆが先生を呼んでくれたんだよね?」
「うん、絵名が変な人に絡まれてたから」
「そっか。まふゆのお陰で助かったよ、ありがとう」
お礼を言うという任務を終えたせいか、糸の切れた凧のような浮遊感が私の体を襲う。
まふゆのお陰で何事もなく終わったのに、体や気持ちが自分勝手に主張してるみたいだ。現実感が薄れていってる気がする。
そんな私の異変を素早く察知したのか、まふゆは当然のように隣に並んだ。
「絵名」
「んー?」
「家まで送ってく」
「えぇ? いいって。まふゆも忙しいだろうし、お母さんも許してくれないでしょ」
「絵名なら許してくれるから。家まで送ってくよ」
理由を付けて断ろうとしたものの、日頃から好感度を稼ぎ過ぎたようでまふゆはあっさりと許可をもぎ取ってしまった。
断る理由も失ったせいでまふゆに押し切られてしまい、家の前まで送ってもらう。
「じゃあ。今日の作業前、セカイに来て」
「はい?」
「絶対だよ」
ついでに約束まで取り付けられた私は、それでもフワフワとした感覚が抜けないまままふゆの背中を見送り、家に帰った。
☆★☆
「──まふゆ、約束通り来たわよ」
ご飯を食べてお風呂に入って、色々としていたら少しは浮ついていた気分も落ち着いてきて、セカイに来た今ではいつもの調子を取り戻していた。
「忘れずにちゃんと来たんだね」
「やっほー、絵名! 今日もおつかれ~」
「おつかれさま、絵名」
セカイにいるのはまふゆだけかと思っていたのだけど、瑞希と奏も揃っていた。
まふゆが2人を呼んだのだろうか。2人がいるのも気になるけれど、それよりもだ。
「2人もお疲れ様。それよりもまふゆ、忘れずに来たんだって何? 元はと言えばあんたが呼んだんでしょうが」
「そうだね」
「そうだねって、もう……」
気を遣ってくれたのはわかるのに、何故減点されるような行動をするのか。
誰を見習っているのか知らないけれど、ぜひとも素直になって欲しいものである。
……何故か瑞希が生暖かい目を向けて来るけれど、それは無視するとして。
「えっと、瑞希と奏がセカイにいるのもまふゆから今日のことを聞いたからだよね。心配かけてごめん」
「事故のようなものだから、ボク的には絵名が無事ならよかったんだけど……その、大丈夫?」
「大丈夫って何が?」
「女の人に絡まれてからの絵名がおかしいって聞いて聞いたからさ。何か変なことを言われたんじゃないかって、皆で話してたんだよね」
「そこまでわかりやすい?」
試しに聞いてみたら一斉に『うん』と頷かれた。
……落ち着いたつもりだったけど、まだ気持ちが表に出ていたらしい。
お母さんが今日は妙に優しかったのもそれが理由だろう。今日はお母さん以外と家でばったり遭遇しなくて助かった。
「何ていうかな。思わずぶん殴りそうになったのに、その標的が無くなったから怒りの矛先が無くなったって言えばいいのかな。心配かけてごめんね」
「絵名が無事ならいいんだよ。でも、怖かったってわけじゃなかったんだね」
「だね、奏の予想はハズレで『DVなーん』だったわけだ。まふゆの予想が正解だとはボクもビックリだよ~」
「ふーん。私の怒りの矛先は瑞希とまふゆでいいのね?」
「私は何も言ってないから、瑞希だけでいいと思う」
「うぇっ、まふゆさん!?」
しれっとまふゆに売られた瑞希は潤んだ目をこちらに向けてくる。
……しょうがないから、矛先を向けるのは後にしよう。
許された瑞希はホッと息を吐き出してから、態とらしく話を切り替える。
「ええっと、それで? 殴り返すのなら兎も角、絵名が最初に手を出しそうになったなんて、相手に何を言われたのさ?」
「基本的にはSNSの悪意を目の前にまできて浴びせられたみたいなことかな。でも、その辺はどうでもよくて」
「それはそれで、どうでも良くないと思うんだけどなぁ」
「だって、自分が私の立場だったら何もかも全部上手くできるんだ、って言われた方がムカついたんだもの」
「「「……?」」」
できるだけ明るく言ったのに、返ってきたのは無言だった。
奏とまふゆは顔を見合わせて首を傾げており、その隣では瑞希が1人だけ耳たぶを引っ張って唸っている。
「ごめん。ボクの耳がおかしかったみたいなんだけど、絵名の立場になったら上手くできるとか冗談だよね?」
「冗談なら良かったんだけど、その人視点の私はそう見えたんでしょ」
「冷静過ぎて調子狂うなぁ。そこは落ち着かずに怒っていいところだよー?」
「って言われてもねぇ」
あの時はカッとなってしまったけれど、こうして落ち着いて話していたらわかる。
記憶喪失だとかスケッチブックのこととか。
私が頑張ったことや皆のことだって、SNSなんかじゃわかるはずもないのだ。
それを知っていたはずなのに、どうしてか見ず知らずの他人にまで理解してもらおうとするなんて。
「はぁ……他人に言わなきゃわからないとか、偉そうに言っておいてこれなんだから。どの口が言ってるんだって話よね」
「絵名、それは違うと思うな」
自嘲モードに入った思考に割り込んだのは奏だった。
「わたしは話を聞いただけだけど、最初に絵名の心の中に入り込んだのは相手の方だよ。絵名の今までのことや気持ちを踏み躙られてまで怒っちゃダメなんて誰も言わないよ」
「私は絵名に『言わなきゃわからない』とは言われたけれど、怒るなとは言われてないから……絵名はいつもみたいに怒ってたらいいと思う」
「うん、ありがとう」
最後の方に余計な言葉がついていたものの、まふゆにまで励まされたのだ。落ち込んでる場合じゃない。
あれは不幸な事故だと思って気持ちを切り替えよう。
そもそも、ネットの世界からそのまま出てきたような危ない人に絡まれるなんて、事故以外でも何でもないのだから。
ほんの少しだけ切り替えられた私の視線の先には、薄らと微笑む奏の姿が見える。
「それと、もう1つ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「どうしたの、奏?」
「個展に絵を出したって話、わたし達も知らなかったんだけど。それはいつの話かな?」
「アッ、その……最近の話です」
「最近か。イラストも特に遅れてなかったし、頑張ってたんだね。ところで、その時間はどうやって確保したの?」
これはまずい。尋ねてくる奏はあくまで淡々としているのに、隣にいるまふゆの目から光が消えている。
しかし、ここで逃げるのは非常によろしくない結果を招くことを知っているので、素直に白旗を振る以外の選択肢はなかった。
「睡眠時間を、削りました」
ニーゴは夜に活動しているので、そこから更に睡眠時間を削ったと言えば、徹夜してますと言っているのも同然である。
そして、私の現在の体は午前中は睡魔と必ず格闘しており、睡眠時間を欲している状態だ。
さて問題です。
そんな人間が睡眠時間を削っていると宣言したら、一体どうなるでしょうか?
「そっか。わたしは無理するよりも、イラストが遅れるって言ってくれた方が嬉しかったな」
「ちゃんと寝てって、言ってるのに」
「あはは、絵名も懲りないよね~。絡まれたことも含めて、ちょっとお話ししよっかー」
……あえて私の口から何かを言わずとも容易に想像できる結末に、この後の私は黙って従うしかできなかった。
その評価に追いつくまで、ひたすら走れ。
《えななん、個展で絵を飾ってもらう》
どこの? と聞かれるまでもなく、サブスト『Knowing the Unseen』で開かれていたパパなんの個展のこと。
スケッチブック君焼却後、ウッキウキで描いたえななんの絵を気に入ったパパなんが提案して、パパなんの最近の作品コーナーの近くに飾らせてもらうことに。
ちなみに表向きの作品名は『ひかり』となっているが、えななん個人は『ざまぁみろの絵』と呼んでる。
《えななんの自己評価:絵編》
えななん的にはやっぱり、自分に『絵そのもの』の才能はあると感じていない。
スケッチブック君という呪物と戦ってきた経験と外付け強制力、珍しい経験から手に入れた感性が、誰にも表現できない『独自の個性』として評価されているのだと分析しているので、実力などを貶されてもノーダメージ。
力不足を承知してるえななんは『もっと頑張らなくちゃ』と思うだけである。
ただし、それは絵だけの話。
今回は不審者に最後の方で絵以外のことにも引っかかることを言われたので、プッツンした。
まふゆさんが遅くまで残っていなければ、連れて行かれていたのは校門前で暴行したえななんだったかもしれない。
《許されなかった……》
瑞希さんはえななんに許されたが、睡眠を削ったえななんの方は許されなかった。
実はここ最近、午後の時間も眠そうなえななんを見ているまふゆさんは原因が原因だったので、1番怒っていたのだとか。
最終的にちゃんとえななんが寝てるか、バチャシンから見守り係をつけることになった。
それは監視では、と? ……さてはて。
次回更新:飛ぶかもしれないけれども、日曜日の25時で。