ソレはもう、1つの方法しか覚えていなかった。
父親に絵の才能を否定された日から、私は喪失感のような謎の苦痛に悩んできた。
健康診断でも病院でも、どこも異常なしの健康優良児。
それなのに、苦痛というハンデは心の穴どころか私を人生のどん底に引き摺り込んでしまいそう。
そうなってしまう前に苦痛の原因を探ろうと悩んでいたところ──私の部屋に突然現れたのが、目の前の白い人影である。
(合成音声みたいなんだけど、声の高さは女の子っぽい? ……って、人じゃないヤツ相手に何を考えてるんだか)
そんな不思議な声を持つ真っ白な人影は、私がずっと息苦しく感じている原因を作った元凶らしい。
そう言われても、こっちには身に覚えがないのでどこまで本気なのかはわからないのだけど。
「んー……あんたに悪意はなさそうってのはわかったわ。ただ、どうしても見た目がホラー映画の化け物にしか見えないのよね」
【所詮、わたしは燃え残った灰だから。幽霊的な存在って意味なら、強ち間違ってないと思う】
「燃え残った灰ね。それって比喩?」
【あなたに燃やされた残り滓がわたしだよ。だから、そのままの意味で間違いないよ】
「は? 燃やした!? 人を燃やしたなんて怖い記憶、私にはないんだけど!?」
間接的だとしても、放火でもしないと人を燃やすことなんてできないはず。
日頃の苦痛によるストレスから夢遊病云々〜とか言われたら否定できないけど、記憶している限りではそんな物騒なことはしていない。
あまりにも恐ろしい容疑者にされて思わず叫んでしまったが、幸いなことにお母さんが様子を見にくることはなかった。
口を封じていた手を離し、今度は叫ばないように気をつけながら声を出す。
「いやいや、私があんたを燃やしたって勘違いじゃないの?」
【うん、人を燃やしたのは勘違いだね。でも、これを──スケッチブックを燃やしたのは間違いじゃない】
人影は何もないところからボロ布を貼り付けたようなスケッチブックを出現させる。
「スケッチブックって、そんなモノを直接燃やした記憶なんて……ぅっ!?」
言い終わる前に、何故か首が締め付けられるような痛みに襲われた。
呼吸はできるので実際に締められてるわけではない。まるで、何かの記憶を想起させているような。
(記憶をなくしてたせいで、今まで苦しかったの?)
導き出した答えを肯定するように、痛みが引いていく。
記憶がないなんてありえないでしょと思う私と、どこからか湧き出てくる知らない記憶の断片が生々しくて否定できない私が頭の中で大乱闘。
痛みか混乱か。
どちらにしてもまともな思考を許してくれない自分の体に、苦笑を漏らすしかない。
「ぐっ……はぁ。まだ頭がごっちゃになってるんだけど。それで? 今はどういう状況で、アンタは何を企んでるわけ?」
【あなた達は今回、黒い欠片のせいで『もしもあぁだったら』ってふとした時に考えることを再現したセカイに迷い込んだんだよ。これを信じないのは自由だけど、今回のわたしは巻き込まれた側。脱出方法的なことは知らないよ】
「巻き込まれたって、それって私が『もしもアンタがいなかったら〜』って思ったから?」
【たぶん。ただ……わたしとの因縁と強いトラウマが何もかも中途半端にしてしまって、あなたを悪戯に苦しめてしまったみたいなんだ。ごめんなさい】
何だか、調子が狂う。
まだ少ししか思い出せない記憶には、スケッチブックの姿をした奴は厄物であり呪いそのもののような邪悪な存在だった思い出しかないわけだ。
それなのに、あの邪悪なスケッチブックを自称する人影はあまりにも殊勝で、相手が嘘を並べているようにも見えない。
「アンタって本当にあの呪物?」
【そうだよ。間違いなくその呪物で……折角、そもそもの元凶がいないセカイに来たはずなのに、やっぱりあなたを苦しめる存在だよ】
「素直に認めるのね」
【うん。わたしは残り滓だけど、自分がやったことを誰かに押し付けたくないもの】
もう一度現れたら何度でも焚書してやると、度々フラッシュバックする記憶の呪物であればそう思うのに。
ここまで時間をかけて戻ってきている記憶と違っていると、強く出るのが難しい。
「……あんたが関係ないって仮定で動くとすると、焚書も意味ないのか。あぁもう、めんどくさいことになってるわね」
【え、信じてくれるの?】
「いや、仮定だから。あんたを信じるには前科があり過ぎるっての」
【それでも、疑われないのは嬉しいことだよ。ありがとう】
ほぼ顔もないのに、嬉しそうなのが伝わってくるから困る。
これが本当にあの憎かったスケッチブックでいいのか?
キャラ変しましたと言われても、変更が激し過ぎてクレーム案件である。
肝心のクレーム先がないのでどうしようもないけど。
【その……もし、よかったらだけど。少しだけ楽しい思いをしてみる?】
「どういうこと?」
【ここは一時的な夢のセカイだから。残ってる力を使えば、他の子と同じように苦しくない道を歩めるようにできるよ】
「……それで?」
【今まで苦しめてきたし、さっきもわたしのせいで苦しんでいたでしょう? だから、今ぐらいは苦しくない過去を楽しんでほしいなって思って。どうかな?】
この言葉が罠であると断言できるほど、周りが見えてなければ切り捨てられるのに。
残念なことに、この人影が『自分のできる最大の善意』からそんなことを言ったのだと理解してしまったせいで、私の口から出てきたのは溜め息だった。
(こいつ、そういう方法しか知らないのね)
元々があの憎きスケッチブックだからだと思えば不思議ではないけど、ああなったのもそれなりの理由があるのかもしれない。
「そっちの言い分は理解したわ」
【じゃあ】
「でも、そういうのはいいから。記憶がなかった時なら楽になりたかったかもしれないけど、今はいらないし」
【……あっ! もしかしてまた記憶とか取るんじゃないかって疑ってる? だったら大丈夫。最後の力を使うだけだから、何もなくても好きな状況を再現できるよ!】
「あっそ。残念だけど、タダでもいらないわ」
【ど、どうして? わたしがあなたを苦しめたし、辛い状況にも追い込んだんだよ? 絵を描かなかったらって後悔してるのだって、知ってるよ?】
「そうね。あんたなら知ってるでしょうね」
【ここは一時的な夢なんだから、今ぐらい楽しんだっていいと思うんだ。ここでならわたしの力も合わさればある程度のことは叶えられると思うし……それと。それとっ】
必死に喋っている人影は、こちらの様子を窺うように怯えている幼子のように見えた。
こっちは答えているだけなのに、意地悪をしているように思ってしまうのがスケッチブックの時とは違う方向での厄介さがある。
(こいつを見ていたら、何でかミク達を思い出しちゃうのよね)
油断してはいけないと思っていたはずなのに、それだけ気を許してしまっているのだろう。
感情の面は今更、どうしようもない。そこは諦めて、未だに怯えている相手と向き合った。
「だからいいんだって。あんたを燃やすまでは早く消えろって、描かなきゃ良かったって後悔してたけど、もういいの」
【どうして?】
「ニーゴの皆や周りの人達のおかげで、ちゃんと終わらせることができたから。だから……あんたを無かったことにしなくてもいいって、思えるようになったの」
【えぇ……燃やされる前から怖いと思ってたけど、今ほど怖いって思ったことはないよ。化け物だよ、あなた】
「ちょっと! 失礼じゃなこと言わないでよ!」
外見も化け物代表のこいつにだけは化け物呼ばわりされたくない!
こっちはちょっと怒っているのに、相手は何故か楽しそうに口を開く。
【あーあ。全部消して無かったことにできたら良かったのにな】
「傷も痛みも苦しみも全部、私のモノよ。タダでだってあげるつもりはないから、出直してきなさい」
【はは。本当に強いなぁ、キラキラした人は……わたしもあの子も、あなたみたいに強かったら違っていたのかな】
「さぁね。あんたの過去は知らないし、今までやってきたことは私のことだけでも絶対に許さないことだから」
【うん】
「というわけで。次、好意でも願いを叶えるとか何とか言ったら、問答無用で焚書ね」
【……あっ、はい】
失礼な発言に続いて、こちらの顔を見ながら震えるという不躾な行動をしてくるが、元はあのスケッチブックである。今更なので放置だ。
「私は勝手に自分の夢を叶えるつもりだし、過去も含めて全部連れて行く。関わった以上、あんたも例外じゃないから。燃やされたい趣味がないなら、黙って見てなさい」
【うん……ごめんなさい、あなたには余計なお世話だったみたいだね】
誰もそんなことを言っていないのだが、こいつを見ていると何故か脳内に現れた瑞希が『んー、ブーメランだね!』とサムズアップしてきた。
……本当に、どうしてイマジナリー瑞希に煽られてるのかわからないけれど。
そういうことであれば、対処方法は私自身がよく理解していることだ。
「まぁ、今回の件で丁度よく自分を見つめ直せたし? だから別に余計だとまでは言わないわよ」
【えっと……あんまり優しいのも、わたしみたいなのに目をつけられるからやめた方がいいと思うよ?】
「……人が折角気を遣ったのに生意気なことばっかり言いやがって、このバーカッ」
【うわわ、暴力反対ーっ】
馬鹿人影は私の手を躱し、いつの間にかボロボロと崩れている両手を振る。
【何もかも抱えて前に進むなんて、頭のおかしいことをやろうとしているあなたを……こ──らは手も──かな──等席で見──せて──うから、──ってね!】
「……ばーか。聞こえないっての」
願い云々言っていたくせに、随分と無理をしていたらしい。
口元しかわからなかったものの、最後はいい笑顔だったので円満に終わっただろう。
(終わったんだけど……わかりやすいエンドロールとか謎の現象もない、よね?)
願いを叶えるスケッチブックらしき存在が消えた今、手がかりなんて何もなく。
(あぁ……皆と一緒に脱出させてって、願ってもよかったかも)
後悔しても、カッコつけて終わらせてしまった為にすでに手遅れで。
黒い欠片のせいで『もしも』の過去に来てしまっているこの状況──どうやって抜け出したら良いのか?
現状の自分の立場も含めて、私は頭を抱えるしかできなかった。
打たれて鍛え上げられたメンタルのえななんが甘い話に乗るはずもありませんが、後悔はします。人間ですので。
※以下は本編完結時にはお見せする予定のなかった設定ですので、読み飛ばしても大丈夫です。
・とあるセカイの初音ミク
元々、ソレはとある子が生み出したセカイに住んでいた。
最初はその子を応援して、その子もセカイに行き来しながら夢に向かって進むという幸せな日々を送っていたのだが……とある日、その子の心がポッキリと折れてしまった。
せめて元気つけようとソレは懸命に歌ったが、その気持ちは届かず。
「毎日歌ってるだけでいいなんて、気楽でいいよね。こんな広いセカイなんて作る余裕があるなら、それで今をどうにかしてくれたらいいのに」
そう言って、その子はもうセカイに現れなくなった。
が、ソレはずっとあの子のことを想っていたので、電子機器を利用して様子を見ていたが……酷い環境、悪い人、差し伸べられない手。
ソレではどんどん落ちていくあの子を見ることしかできない。
どうにかしたい。歌う以外にも何かできないか?
そんな想いでソレは、自分を、セカイを削ってあの子を守るための力に変えた。
自分の存在を削ってあの子が困っていることを、願っていることを実現させて、叶えて。
自分がどういう存在だったのか? ここがどんなセカイだったのか? 自分の姿は?
あらゆるものを削って願望を叶えて、繰り返した末に……ソレは『願いを叶える』こと以外の全てを忘れてしまった。
そんなことになっているとは知らないせいか、あの子はまた願う。
だけど──タリナイ。
そうして、自分も何もかも削ってまで力になりたかったはずの、大切だったあの子は願いを叶えるためのリソースとして──パクリと。
ぐちゃぐちゃに歪んだあの子の想いと混ざって、同じになって、初音ミクだった存在は消えてしまった。
分不相応なことをしたソレはもう、人間が憎くて憎くて堪らないのに、何故か人間の願いを叶えなくてはいけないと思っていて。
願いを叶える為にエネルギーの元になっている人間を食べるという、矛盾した存在となってしまったのだ。
いつも人が憎くても、お腹がいつも空いていても、願いを叶えなくてはならないその存在は、ソレに願う人間を求めて彷徨い続けることになる。
やっと見つけたキラキラとした救いの光に燃やされてしまうまで、ずっと。