ゴジラのメインテーマのように、優等生様がやって来ます。
早く寝たせいでそれ相応の時間に起きてしまい、いつもより早めに学校に来たものの。
今日の私は授業以外の時間は殆ど美術準備室に篭って過ごしていた。
クラスメイトは今日も東雲さんは遅刻しないギリギリの時間に来て、行方を
他人からするといつも通りでも、私にとっては違っていて。
まるであのMVの絵のように裏と表が違う自分自身に、思わず笑ってしまいそうだ。
幸いなことに、今日は選択科目の授業がどの学年もなくて、南雲先生も部活もお休みの日。
体育もなければ先生に当てられることもなく、朝比奈さんも忙しいのか今日の襲撃はゼロで。
私と違って本物の優等生であろうとしている朝比奈さんだし、あの多忙さだ。
委員会に弓道部、塾や予備校の宿題や予習復習もあるのだから、今日は話しかける余裕がなかったのかもしれない。
そんな感じで、今日の私は奇跡的に学校で一言も喋らず、誰とも関わらずに放課後まで過ごすことができた。
「さてと、今日こそ絵を完成させますかー」
グルグルと肩を解しながら呟いた言葉は、美術品が詰め込まれた空間に虚しく響く。
今日は独り言を言うのもやめようか。昨日の件のせいなのか、寂しくなってきた。
昨日の件……いや、日付は変わってるから今日の夜中というべきか。
Kさん達が作った曲のデモに合わせて、MVを作らせてもらった約1週間。
参加しないという選択に後悔はないつもりなのに、頭の片隅にはずっとAmiaと話して、曲を聴いて、動画を作った日々が未練のように蘇ってくる。
この寂しさは一体、何なのだろう?
いや、本当はわかっているのだ。
あの時間がどうしようもなく楽しかったから、あれで終わらせたのが勿体無いんじゃないかって、惜しむ自分がいることぐらい。
でも、同じぐらい『私にはあの場で絵を描かせてもらう資格はない』と思う気持ちもあった。
そんな感情の板挟みになって、弾け飛んだ天秤が選んだのが……後者。
選んでしまったら最後、取り返しのつかないことも理解している。
後悔も寂しさも、もう意味がないのだ。
どうせ私にできることなんて絵を描くこと、それ1つしかない。
今日はここ1週間こっそり描いていたMVの少女の絵画を完成させて、この気持ちと縁を切る。
私は記憶を無くした時点で、逃げる空間も戻れる場所もない。
前に進む以外の道はないのだから、女々しく考えるのはもうやめよう。
(後は仕上げだけだし、頑張るぞーっと)
幸いなことに、久しぶりにキャンバスに描いた作品は1週間もかけたお陰で、それなりの形になっている。
今日頑張れば、この絵は完成するし、未練ともおさらばできるだろう。
制服から体操服に着替えて、エプロンもつけて。
ここ1週間、ずっと聴いていたKさんの曲も聴き納めとして流して、大きめの黒いポリ袋も用意して、準備完了。
諸々の準備を終わらせ、筆を持った私は絵の仕上げに取り掛かった。
──ガラガラッと何かを引き摺るような音に、私の意識は絵の世界から戻ってきた。
苦しくて、痛くて、それでも優しい音だけを耳に入れながら絵に集中していたはずなのに。
背後から扉を開く音が鼓膜を揺らし、絵が完成したタイミングと被っていたこともあって、プツリと集中が途切れたのだ。
どこか既視感のあるシチュエーションに振り返ると、扉の前に立っているのは見覚えのある紫色で。
「やっぱり、東雲さんが『えななんさん』だったんだね」
取ってつけたような笑みを浮かべ、朝比奈さんが我が物顔で準備室に入ってくる。
彼女はじっと絵を見てから、私の顔へと視線をずらした。
(え。今、えななんさんって……)
委員会や部活、習い事はどうしたと言いたいところなのに、それ以上に聞き逃せない言葉が聞こえて。
まさか、1週間近く前に感じたあの違和感は、正しかったのだろうか。
なら、朝比奈さんはKさんと一緒に曲を作っているという、雪さんと同一人物ってこと……?
混乱で固まる私に対して、朝比奈さんは綺麗な笑みを浮かべたまま、畳みかけてくる。
「ねぇ、東雲さん。ううん、えななんさんって呼んだほうがいいかな? 私、ナイトコードでの出来事の件で話したいことがあるんだ」
──東雲さんと話をする為に、用事を全部終わらせてきたんだよ。
そう言って扉の前を陣取って笑う姿は、優等生というよりも獲物を追い詰めた蛇のように見えて。
彼女から逃げられないと悟って、私は両手を上げることしかできなかった。
……………………
美術準備室の内側から鍵をかけられて、何故かご丁寧に手まで握られた状態で、私と朝比奈さんは美術準備室に備え付けられているソファーに座っていた。
「……手、離してくれない?」
「それより、話を聞かせて貰ってもいいかな」
「それよりって、はぁ……どうせ聞くなって言っても、聞いてくるんでしょ」
「KやAmiaはえななんさんと一緒に作成したいって言ってたし、私も東雲さんと一緒に作れたらいいなって思うからね」
相変わらず何を考えているのかわかりにくい笑みを浮かべているものの、ボイチャの時よりも何となくわかる。
こっちは断ち切ろうとしているのに、どうして1番動かなさそうな朝比奈さんが繋ぎ止めようとしているのやら。
雪さんとしての彼女とは話したくなくて、今まで触れないようにしていたことに踏み込んだ。
「……どうだか。だって朝比奈さん、私の絵を見ても他の人の絵と同じで何も感じてないでしょ。それでどうして一緒に作成したいと思うのよ」
あわよくばこれで話が終わらないかな。
なんて思ったのだけど、朝比奈さんは悉く私の思い通りには動かないようで。
ニッコリと笑みを深めたせいなのか、凄みすら感じる朝比奈さんの優等生スマイルが私に向けられる。
「東雲さんは探し物、見つかった?」
「探し物って……」
「私はね、Kの曲なら見つかるかもしれないって思っているんだ。そのKがえななんさんと作ることを求めているの。なら、私にできることはやらなきゃ。東雲さんならわかってくれるでしょう?」
そう聞かれてしまうと『わからない』と答えるのは嘘になるけれど。
「……朝比奈さんも個展でのこと、覚えていたんだ」
「急に迷子かどうか聞かれたからね。もちろん、記憶に残ってるよ」
「それもそっか」
誰が初対面の相手に迷子ですかと問いかける人がいるというのか。
都合よく忘れてくれていても良かったのに、中学1年までの記憶を綺麗さっぱり無くした私とは違って、朝比奈さんはちゃんと覚えているらしい。
会話の内容も覚えているらしく、朝比奈さんはあの日の言葉も絡めて問いかけてきた。
「東雲さんは探し物、探さないの?」
「残念だけど、私は朝比奈さんと違って探し物にKさんの曲は必須じゃないの」
「本当に?」
「別に、嘘じゃないし」
「Kの言葉の途中まで誘いに乗ろうとしていたぐらいには、惹かれたところがあったと思うけど」
「……わかったようなこと、言わないでよ」
「それは東雲さんが1番よく知ってるでしょう? 私、他人の感情を読み取るのは得意なんだよ」
──東雲さんは今、すごく動揺してるもんね?
耳元まで口を近づけて、囁かれた言葉に体が跳ねた。
そのまま離脱できれば良かったのに、左手は固く繋がれていて逃げることもできない。
そのおかげでギュッと繋がれた手は痛みで悲鳴を上げ、跳ねた勢いのまま手首を捻ってしまった。
「痛い痛い! あんた、力強すぎなんだけどっ!? 逃げないから1回、手を離して。お願い!」
「……?」
「そこで急に何を言ってんのかわかんないって顔、しないでくれる!?」
他人の感情を読み取るのが得意とか言っていた朝比奈さんはどこに行ったんだ。
突然鈍感になったフリをしてくるものだから、握られてる痛みと捻ってしまった痛みのダブルパンチで生理的な涙が出てきてしまったではないか。
抗議の意味も込めて睨みつけてみるものの、朝比奈さんの鉄壁の笑みは崩れない。
どんなに騒いでも無駄に終わりそうで、私はソファーに体を預けた。
「ねぇ、Kさんって何であんなに頻繁に曲を作って、アップしてるんだと思う?」
「多くの人に聴いてもらう為って、Kは言ってたけど?」
「それ以外にも言ってたでしょ。そうすれば誰かを救うことができるかもしれない、とか」
「……東雲さんが断ったのは、それが理由?」
「そう。私みたいな絵描きは山ほどいるし、何より──音楽で救おうとしている人の曲の絵なんて、私には描けない。そんなつまんない理由だから、もう放っておいてよ」
朝比奈さんは何も言わなかった。
どうせ、彼女は貼り付けた笑みで覆い隠したまま、特に何も思ってないのに、私の反応を見て言葉を返してるだけだ。
そんな相手の言葉を聞くのも疲れてしまって、顔を前に向ける。
私の頑なな態度が嫌になったのか、捻って痛いと訴えていた時でも離さなかった手が解放された。
(なんだ、諦めてくれるんだ)
ホッと安堵したその隙間を縫うように、朝比奈さんは私の前に立つ。
「私がKと曲を作っている理由は……私を探して、見つける為。誰かを救おうなんて、考えたこともないよ」
その声は教室で聞いている声からは考えられないぐらい低く、いつも貼り付けられていた笑みはベリッと剥がしてしまったのか、能面みたいに無表情だった。
「あんた、あれだけ笑顔を崩さなかったのに、なんで今更……?」
「やっぱり気付いてたんだ。それって、私に似てるから?」
「は? 似てないわよ。だからあんたのことなんて、これっぽっちもわかんないし」
朝比奈さんに懐かれている理由も、笑顔しか見せなかったのに、何故かそれ以外の顔を見せてくれるようになった今も。
「それに、もう今更何言ったって遅いじゃん。ネットでの交流なんて一方的に切ればお終いなんだから、言葉を尽くしてくれたところで、もうKさんにもAmiaさんにも会えないわよ」
「……Kはえななんさんに会いに行くって言ってた」
「は? DMも見ないようにしてるのに、どうやって?」
「わからない。でも、心当たりはあるって」
「えぇ……こわ」
雪さんも朝比奈さんだったのに、Kさんも知り合いかもしれないって?
ネットで知り合ったはずなのに世間が狭過ぎるでしょ、怖いわ。
それとも私のことをストーカーでもして突き止めるとか?
それはそれとして怖いわ。考えたくもない。
様々な可能性を考えて体を震わせると、朝比奈さんは無表情のまま私から離れた。
「帰る」
「やけにあっさり引き下がるじゃない」
「……雪として言いたいことは言った。でも、朝比奈まふゆとしては言いたいことはないから」
「あっそ。好き放題して満足したら帰るとか、嵐みたいね」
優等生スマイルを投げ捨てた朝比奈さんは淡白な反応でくるりと背を向けると、要件は済ましたと言わんばかりに準備室を出て行こうとする。
あぁ、そうだ。一応言っておかなければいけないことがあるんだった。
「朝比奈さん」
「何?」
「今日みたいなのは勘弁してほしいけど、その。また疲れたり、息苦しいなって思ったらここに来れば? ここ、先生もあんまり来ないし、殆ど私以外、使ってないから」
「……東雲さん、話したら煩いし落ち着けなさそう」
「はぁ?」
煩いと言いつつも、朝比奈さんはどこか楽しそうに見えて。
失礼なやつだとカッとなっていた感情が萎んでしまったので、私は代わりの言葉を言うことにした。
「……今日も忙しいのに、私の為に時間を作ってくれたんでしょ。ありがとね」
「お礼なんていらない」
「いや、人の感謝ぐらい受け取りなさいよ!」
「東雲さん、やっぱり煩い」
「こ、こいつぅ……」
こっちは苛立ちに肩を震わせているのに、嵐のような奴は興味がないのか、引き戸を開いて体を外に出す。
「東雲さん」
「何よ」
「25時に、待ってるから」
それだけ言って満足したのか、朝比奈さんはそのまま準備室を去って行った。
「……何したかったのよ、あいつ」
散々引っ掻き回して。
結局、ナイトコードに戻るなんて約束もすることなく、話が終わっているではないか。
(あぁ、でも──見つかるといいな、朝比奈さんの探し物)
興味ないって
今はまだ、彼女は私を同類だと勘違いしてるけど……『ない』と『わからない』は違うのだ。
だからこそ──諦めなければきっと、彼女は探し物を見つけるはずだ。
──私と違って。
先んじて優等生モードじゃないまふゆさんを知る記憶喪失えななん。
距離的な都合上、どうしてもこの2人の絡みが多くなるんですよね……この時期、愛莉さんもバラエティー番組で忙しいですし。
まずは1つ目、『後悔と一緒に絵を捨てる』を阻止して、えななんに話を聞いてもらう体勢に入ってもらいました。
次回、大将のKさんに頑張ってもらいましょう。