このお方だけ、高校1年組でもなければ、高校2年組でもなく。
宮女でもなければ、神高でもない、特別枠なんですよね……
朝比奈さんには心当たりのないフリをして、白々しくも『怖い』なんて言ってみたけれど。
雪さんが朝比奈さんだった時のように、世間が狭いと仮定するならば、Kさんであろう人物に心当たりはあるのだ。
だからこそ、私はスケッチブックと鉛筆を手に持ち、病院の外から見えやすい場所でスケッチをしていた。
私の始まりは病院からで、目的の人物によく遭遇するのも病院。
何かと縁があるこの場所に賭けてみようと思ったのである。
もしも違うのならば、私はあの場所と縁がなかったということで。
朝比奈さんと、まだ期待をしてしまっている自分には悪いが、諦めてしまおう。
(って、昨日と同じこと言ってるじゃん。私って絵以外でも諦めが悪かったんだ……)
絵を描き終えたらゴミとして捨てて、諦めようとしたのに……結局、実行しないままで。
そうやって何度も諦めよう、諦めようと言いつつも、しぶとく執着している自分に笑いが込み上げてきた。
今回こそは諦められるだろうか。
それともまた言い訳して、諦めずに動いてしまうのか。
頭の中で別のことを考えていても、スケッチブックの白い紙に黒い線が書き足されていく。
時間にすると1時間ぐらい。下描きが形になってきた頃、私の前まで近づいてくる影があった。
「──あなたが本当に、えななんさんなんですか?」
不思議な縁で結ばれた白髪の少女の声と、ナイトコード越しで話した尊敬するクリエイターの声がピッタリと重なる。
……どうやら、私は賭けに勝ったらしい。
病院付近の道で倒れていた縁から始まった関係の主が、予想していた答えが正しかったのだと言わんばかりに、こちらに近づいてくる。
私は絵をそのままにして、少女がいる方へと視線を向けた。
「久しぶり。あれからまた、倒れたりしてない?」
「うん……なんとか」
「そっか。ミイラにならないって言いながら、病院に運ばれたって聞いてビックリしたもん。それと同じぐらい、あなたがKさんだってことに驚いてるけどね」
「ということは……やっぱり、あなたが『えななんさん』なんだね」
「まぁね。イメージと違った?」
「ううん。ナイトコードで声を聞いた時に、あなたの顔が思い浮かんだから。イメージ通りかな」
「そ、そっか」
他意はないはずなのに、そういうことをさらりと言われると少し落ち着かない。
このまま絵を描きながら話を──という気分にもなれず、下描きまで終わらせたスケッチブックを閉じて、改めてKさんであるという白髪の少女を見た。
殆ど寝ていない、食べるのも疎かにしている生活を知っているせいだろうか。
白い髪も相まって、久しぶりに目にするジャージ姿の彼女は、病人よりも儚く見える。
……いや、これは気のせいとかそう見えるとか、言っている場合ではなさそうだ。
メトロノームのようにふらふらと揺れだしたKさんの隣に立ち、倒れてしまっても対応できるように準備して、と。
「とりあえず近くのカフェに行かない?」
「え?」
「今、立ってるのもしんどいでしょ?」
「うっ……ごめん」
「別に。私もちょうど、食べに行きたかっただけよ」
Kさんとこの子が同一人物である可能性が出た瞬間、念のために待ち伏せしていてよかった。
放っておいたらどこかで倒れていそうな彼女の姿に、私は胸を撫で下ろしつつも、カフェまで行くのだった。
……………………
人が多いところよりも少ない方が良いだろうと、できるだけ静かなカフェへと案内した後。
「名前か
どうやら私が意図して名乗っていないのをKさんに察知されていたらしく、開口一番の質問がそれだった。
「……HNでお願い。呼び捨てでいいから」
「わかった。じゃあえななんも呼び捨てでいいよ」
注文していたパンケーキと紅茶、そして『店長こだわりの一品』だとメニュー表に載っていた醤油ラーメンが運ばれてくる。
何でカフェにラーメンがあるのかは謎であるものの、ツッコんだから負けな気がする。
ラーメンを平然と頼んでしまうKにもツッコめなくて、私の中にある違和感は一生、棚に上げることにした。
「名前、聞かなくていいの?」
「えななんが教えてもいいかなって思ったら、また教えて」
そんなことを微笑みながら言うのだから恐ろしい。
そう思うものの、相手の気遣いがありがたいのも事実だ。
微笑むKに「ありがと」と返して、改めてその露草色の目と合わせる。
出会った当初の鋭利な雰囲気は幾分か和らいだものの、未だに残っているようだ。
この、割れたガラスのような危うさが『誰かを救う為に曲を作り続けなければ』と背負った末の姿なのだろうか。
そんな彼女が何故か曲作りよりもこちらを優先してくれたのだから、それを無碍にできるほど薄い付き合いではなかった。
「別に、心配しなくても絵は描き続けるわよ。スランプでも描き続けてるの、Kには話してたでしょ?」
「うん、そこは心配してないよ」
「じゃあ、なんで病院に来たのよ」
「えななんは真っ黒なサムネを見た時、どう思った?」
「どう思ったかって、真っ黒なサムネとか勝負し過ぎでしょって……あっ」
思い出した。
そういえば、あまりにも普通に話していた会話の中に、彼女から聞かれたことがあった──
『もしも動画投稿者の中に、ずっと真っ黒なサムネで動画を投稿している人がいたら、どう思う?』
『入口でタップしてもらえるかわからないのに、中身で勝負してるってこと? それって勿体無いし、勝負し過ぎでしょ。私なら何でもいいからサムネを入れるかなー』
──そう、確かそんな感じの会話をしたことがあった。
その時に動画のサムネイルを描いてくれないかって言われて、あれは彼女自身の話だったのかと、驚きつつも断ったっけ。
「あの絵を見て、わたしはえななんがスランプだなんて思わなかったけど」
「あれはKの曲のお陰だから。あの曲のお陰で、久しぶりに良い絵が描けたの」
「わたしの曲がえななんの力になったってこと? そっか……嬉しいな」
胸に手を当ててほんの少し口角を上げ、控えめな笑みを浮かべるKは誰が見てもわかるぐらい、嬉しそうだ。
(やっぱり、救いたいって気持ちは本当なんだろうな)
K本人として対面したからこそわかる。
彼女は本気で、自分の曲で誰かを救おうとしていると。
だからこそ、そこに私が入り込んではいけないのだと思ったのだけど。
そんな私の内心を見透かすように、Kは先手を打ってきた。
「雪から、大体の話は聞いたよ。でも、その上でお願いしたいんだ」
「お願いされても無理だから。私は反対側の人間なの。だから、Kの曲の絵は描けない」
「えななんが言う『反対側』っていうのが、わたしが想像するものと同じなのだとしたら……それはわたしも一緒だよ。えななんなら私のお父さんのことも、知ってるよね?」
「え?」
ぎゅっと口を噤み眉を下げるKの顔に、私の頭の中に嫌な想像が広がる。
──Kのお父さんは、私が通院している病院で入院している。
彼女の父親はある日、『精神的に追い込まれて』倒れてしまった。
そのせいで病室で寝たきりであり、調子良く起きる日があっても、記憶障害で過去のことしか思い出せず、娘さんを忘れているらしい。
その、精神的に追い込まれたって部分を、Kが自分のせいだと思っているのだとしたら?
そんな話をあのお喋りの馬鹿医者から聞いていたこともあって、私は最悪なことを想像してしまった。
だけど、そんな最悪の想像が本当なのか? なんて無神経なことを聞けるはずもなく、私は小さく「そっか」としか返せなかった。
「えななん」
「何?」
「あのファンアートの絵を見て、わたしは最初、叫んでるみたいだなって思ったんだ。たぶん、それはえななんが『まだ描ける』って、叫んでる気持ちが絵に込められてたんだろうね。すごく、力強い絵だと思った」
完全に予想外の言葉に、私の思考が固まる。
(え、今、褒められてるの……?)
何故、このタイミングで?
意味がわからず、Kの意図も理解できず、私はそのまま聞くことしかできない。
「えななんのアカウントで投稿されている過去の絵も見たよ。できるんだって叫んでるけど、楽しそうな絵。でも、それ以上に──苦しみながらずっと祈ってることしかできないって、嘆いてる絵だなって思った」
祈ってる、と。
天才同士で何か通じているのか、Kもお父さんと同じようなことを言う。
「この前のMV作成の時は楽しそうだったってAmiaも言ってたよ。あの絵には許してって、祈ってるあなたはいなかったけど……どうだったんだろうって気になってたんだ」
「許してって、祈ってる私はいなかった……か」
──そっか。私のこのスランプって、私自身の悲鳴だったのか。
Kの言葉のおかげで、私はやっとスランプになっているであろう原因の正体を掴んだ気がした。
まるで依存するように、絵を描くことに夢中になって、楽しんでいたと思っていたけれど……
私はずっとどこかで絵名の記憶が戻りますように、と心のどこかで祈りつつ。
でも、戻ったら私はどうなるのだろう、記憶が戻るだけで終わるのだろうかと、不安に押し潰されそうだったのだ。
だんだん、東雲絵名という名前が怖くなってきて。
だれか、絵を通してでもいいから……東雲絵名じゃなくて『私』を見てくれないかと思うようになった。
そんな気持ちすらも見ないように目を背け、描き続けていたのだけど……
結局、お父さんと話したのがきっかけで、『才能がある』という思い込みが燃え尽き、疲れ切った自分だけが残った。
何をしていても、必ず記憶のことが脳裏にチラついて、そんな中で絵を描くのに疲れてしまった私。
中学1年までの絵名と私を重ねられるのは辛いって、印象と違うって言われるのが怖いと、ありえるかもしれない妄想が、私の心を擦り減らした。
絵名の記憶を消してここにいるけれど、誰にも言えず、ずっと抱えたまま何かをガリガリと削って。
いくら家族や中学の友達に言葉を重ねてもらっても、炎上の掌返しとか見ていたら……その言葉が本当だって信じられなくて。
私を私として見てくれてるのかすら疑って、自分で追い込んで、疲弊して、ついに感情が絵に載せられなくなった。
それが私のスランプの正体だった、と。
「わたしはえななんが何をそんなに許して欲しいのか、知らないしわからないよ」
「でしょうね」
「でも、だからこそ。一緒に作っていけば、えななんがそのことを気にせずに絵を描ける場所になるんじゃないかなって、そう思ったんだ」
「……そう」
わからない、知らないということはKも雪も、記憶が消える前の私を知らないんだ。
家族や中学の友達と違って、東雲絵名という存在は私1人だけ。
私はえななんだって堂々と言えて、もしかしたら──私も東雲絵名なんですって言える場所が、できるかもしれないのか。
「救うって話も、わたし個人でそう思って作っているだけ。えななんは自分が思うように、描いてくれた方がわたしも嬉しいかな。だから……もしもまだ、えななんがわたし達と一緒に作りたいって思ってくれてるのなら。今日の夜にまた、ナイトコードに来てほしい」
「……行かないかもよ」
「でも、来てくれるのなら待ってるよ──25時、ナイトコードで」
言いたいことは言ったのか、Kはそのまま立ち上がってカフェを1人で出て行ってしまった。
追いかけようかと迷って立ち上がり、伝票を探すものの……机の上にも下にも、どこにもない。
慌てて店員さんに聞いたところ「お連れの方から全額いただきました」とのこと。
(……これ、行かなきゃ失礼じゃん)
……………………
──時計の針がまた、25時を指し示した頃。
ナイトコードに1人、また入ってきて気まずさを飲み込んで言葉を紡ぐ。
「勝手にやらないって言った癖に、戻ってきちゃったんですけど……その、すみませんでした。また、一緒に作らせてください!」
誰も声を出さない中、必死な声だけがボイチャに響く。
『待ってたよ、えななん』
『えななんからDMの返信があった時点で大丈夫だとは思ったけど、戻ってきてくれて嬉しいよ〜』
『おかえりなさい、えななんさん』
K、Amia、雪さんと順番にアイコンが輝き、口々に言葉をかけてくる。
また一緒に作れそうでよかったとか、そういう言葉をもらって嬉しくなっていると、Kの声が聞こえてきた。
『じゃあ、えななんも無事に参加することになったし──早速、作業を始めようか』
25時。夜の訪れと共に1つのサークルが動き始めた──
イベストを先にするわ、25話でニーゴの加入を断らせて今回で加入する暴挙を決行するわと好き勝手やりましたが、如何でしたでしょうか?
今まで記憶喪失えななんは大変でしたからね。
怒涛のニーゴ結成回が終わりましたので、平穏な日々を過ごしてもらいましょう。