イラスト担当は記憶を無くしました   作:大森依織

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3枚目 寄り添うための絵

 

 あれから数日が過ぎ、お医者さんから『歩いていいよ』と許可を貰った私は、スケッチブックを片手に病院の廊下を歩いていた。

 

 絵を描くのを避けていた人とは思えない行動だって?

 

 それは確かにそうだけど。杞憂だったというか、同じ体を持つ人間だからというか。

 何が言いたいのかというとだ。

 

 

 

(──絵を描くのって、すっっっごく楽しいのよね!!)

 

 

 

 恐る恐る鉛筆を握り、目の前の病室をスケッチした瞬間、世界が変わった。

 絵を描くために生きてるんだ! と叫びたいぐらいの高揚感が私の中を満たしたのだ。

 

 少し前まで『お前は絵名じゃない』と否定されるのではないかと怯えていたのに、今では不思議と怖くなくて。

 悩んでいた私は何処へやら、心が雲のように(うわ)ついている。

 今の私は恋に盲目になるように、絵を描くのに夢中だった。

 

 

 ──これが才能を否定される前の『彼女』の気持ちなのか。

 

 正直、絵の才能があるのかどうかなんて、私にはわからない。

 最初の方の絵こそ酷い線を描いていたものの、今となってはそこそこ見れる絵に仕上がっているし。才能なしと一刀両断される程、摩訶不思議な絵は描いていない。

 未熟な点はかなりあるものの、断言するほどじゃないと自分では思うわけで。

 

 ……あの人はきっと、ただ絵が上手い程度の実力では生き残れないと、それだけ画家の道が大変だと伝えたかったのだろう。

 まだ1回しか対面したことないけれど、父親が『東雲絵名』を大事に思っているのは伝わってきた。

 そういうことも踏まえると、この解釈は強ち間違ったものではないと思うのだ。

 

 

(まぁ、最悪画家になれなくても絵さえ描けたらいいから、私は(・・)どうでもいいんだけど)

 

 

 記憶喪失のことで悩んでいた1週間と少し。

 

 今ではすっかり絵のことで脳が浸食されて、嘘みたいに悩むことが少なくなった。

 お母さんの宿題はどうしようとは思っているけれど、記憶の絵のことも気になる。

 気になることは早めに片付けたいので、例のスケッチブックを持ってきてもらうのを『お願い』にしようかなと考える余裕があった。

 

 それ以外とか言われたら、退院祝いに私の好物を食べてみたいって伝える予定。

 はい、これで宿題終わり。面倒なことは先にした方が楽だと、この病院生活で学習した私に隙はないのだ。

 

 

(窓の外から見た花とかその他色々、描きたいアイデアが止まらないのよねー)

 

 

 鼻歌を歌いそうな気分で角を曲がると、私は何かとぶつかった。

 

 

「痛っ」

 

「きゃっ」

 

 

 私の体は重症から歩ける程度に回復しているが、まだ万全ではない。

 それなのに、私の衝撃は左手の激痛のみ。ぶつかってきたナニカの方が派手に転がった。

 

 ほぼ瀕死状態から現在回復中の女子中学生にぶつかって、転んでしまう人影。

 それこそ、相手が私以上に軽いか、弱っていないとあり得ないわけで。

 

 その考えに至った私は慌ててぶつかってきた相手を探すために、視線を下に向ける。

 突撃してきた相手はというと、息も絶え絶えで倒れていた。

 

 

「ご、ごめんね! 大丈夫……なわけないか。すぐに先生呼んでくるから!」

 

「うっ……大丈夫、だよ」

 

「いや、全然大丈夫そうじゃないけど!?」

 

「いつものことだから、大丈夫」

 

 

 それは大丈夫って言わない! と言い返したいところだが、真っ赤な顔の病人を追い込む趣味はない。

 なのに毛先がピンクという不思議な金髪の少女は医者を呼ぶのも嫌がるし、今日に限って周囲にはだーれも人がいない!

 

 お願いだから看護師は廊下で待機してください! と理不尽な願望を心の中で叫びつつも、少女をどうにかする算段をつけた。

 

 

「あぁ、もう。病室まで一緒に行くから、どこに部屋があるのか教えて」

 

「え、っと」

 

「いいから早く」

 

「……うん」

 

 

 いつまでも廊下で眠らせるわけにもいかないので、金髪の少女から強引に病室を聞き出す。

 スケッチブックと筆箱をギプスのある左手で挟み、右手と肩で少女を支えて、真っすぐ彼女の病室に向かった。

 

 

「ほら、ベッドに入って」

 

「ありがとうございます、それと……ごめんなさい」

 

「悪いと思うなら、病室を抜け出さずに眠ってね」

 

「寝たら……元気にならなきゃ、遠くの病院に行くことになっちゃうのに?」

 

(……それが病室を抜け出した理由か)

 

 

 遠くの病院に行きたくないから、元気になりたいから、病室を飛び出したのだろうか。

 それで病室を飛び出したところで、元気である証明にはならないし、途中で倒れたら本末転倒だろう。

 

 ただ、そういう理由で病室を出たと言うのなら、私と一緒に病室に戻る姿を見られなかったのは幸運だったのかもしれない。

 名前も知らない相手だけど、彼女が家族に心配をかけて、怒られる姿は自分と重ねてしまいそうで見たくなかった。

 

 

「それでも、元気になりたいなら寝るべきよ」

 

「今すぐ元気にならなきゃいけないのに、そうじゃなきゃ皆と一緒に学校にいけないのに、私……寝たく、ないよ」

 

「えっ……」

 

 

 ぽろぽろと、涙を流す少女に心臓が飛び跳ねそうになった。

 私が泣かせたみたいだと、思ったせいかもしれない。かなり居心地が悪い。

 

 このまま帰っても場面の焼き増しが始まりそうで、私は溜息を口の中でかみ殺した。

 

 

「あの、さ。辛いかもしれないけど、良ければ私にお話を聞かせてくれる?」

 

「話を?」

 

「そう。何かいい方法がないか、私も一緒に考えたいの」

 

 

 本音はただ、少女が無理しないか心配なのだけど。

 それは告げずに聞いてみると、少女も誰かに聞いてほしかったのか、ゆっくりと話し始めた。

 

 

「ほんの少しの間、元気になったから……今度こそ幼馴染と一緒に中学にいけると思ったの。それなのに病気が悪化しちゃって」

 

「うん」

 

「皆と一緒に行きたいから受験して、受かったのに。遠くの病院に行かなきゃいけないって、お医者さんに言われて」

 

「それで?」

 

「遠くに行くのも一緒の学校にいけないのも嫌だなって思ったの。だから、元気な姿を見せたら、そんなことも言われないかなって……思って」

 

「……そっか。辛いのに、話してくれてありがとう」

 

 

 大粒の涙で掛布団を濡らす少女の頭に、つい右手を伸ばして撫でていた。

 

 話を聞く前からどうにかできる問題ではないと思っていたが、あくまで私の目標は彼女が病室から抜け出さないことだ。

 少女を騙して話を聞き出した罪悪感から目を逸らし、私は口を開く。 

 

 

「あなたは元気になって学校に行きたい? それとも、幼馴染から離れたくない?」

 

「離れたくないし、皆と学校に行きたいよ」

 

「じゃあ、どちらかしか選べないとしたら?」

 

 

 意地悪な質問をすれば、少女は迷った後に「皆と学校に行きたい」と呟く。

 相手は弟と同じ年の女の子なのに、酷いことをしているなと自嘲を込めた笑みを浮かべた。

 

 

「なら、お医者さんの言う通りにして元気になろう。皆と学校に行くために、1日でも早く元気になろうって思うこと」

 

「そうしたら、皆と学校にいけるかなぁ」

 

「もちろん、元気になれば学校にいけるよ。だから今は、学校に行くために寝てね」

 

 

 ポンポンと頭の撫で方を変えてやれば、少女はもう限界だったのか。ゆっくりと瞼を閉じて、穏やかな寝息が響き始めた。

 

 

(この子、大変な病気なのかな。無責任な事、言っちゃった)

 

 

 私は医者でも何でもないので、この子にできることなんてほぼ無い。

 しかし、関わって、無責任なことを言ったのは事実で。

 罪悪感のこともあり、何かできないかと脳が必死に案を捻り出そうとする。

 

 

(今の私ができることといえばやっぱり……絵、かな)

 

 

 赤い顔で眠っている少女を横目で観察し、スケッチブックを取り出す。

 写真の代わりに少女の顔や特徴的なところを模写した私は、誰かに見つかる前に少女の病室を後にする。

 

 

(それにしても、天馬か……馬が後ろに付く苗字なんて有馬さんか相馬さんぐらいしか知らなかったな。アレなら忘れなさそう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日1日と朝早くからの時間を使って、何とか完成させた絵。

 

 鉛筆と色鉛筆だけ。素人のモノなのでいらないと言われる可能性があるものの、私の我儘で描きたいと思ったのだ。

 目の前で「いらない!」と言われたら悲しいけど、それはそれで割り切るつもりである。

 

 そんな覚悟を決めて、私は昨日の女の子の病室の前に立つ。医者も家族もいないのを音で確認し、扉を軽くノックする。

 「はぁぃ」と今にも消えそうな声が聞こえてきたので、私はゆっくりと部屋の中に入った。

 

 

「ぁ、昨日のお姉さん?」

 

「うん。心配だったのと、ちょっとしたプレゼントを渡しに」

 

「プレゼント……?」

 

 

 元気がなかったはずの少女のピンクの瞳がキラリと輝いた。

 少し言い方を間違えたかもしれない。期待するような目に、私はたじろいだ。

 

 

「大したものじゃなくて悪いんだけど、貰ってくれる?」

 

 

 でも、すぐに視線に根負けしてしまい、私は用意していた絵を少女に差し出した。

 少女は体を起こして私のプレゼントを受け取り、まじまじとそれを見る。

 

 

「これ、アタシを描いてくれたの?」

 

「うん。あなたへのプレゼントだからね」

 

 

 記憶を無くしてから、誰かに見せるのは初めてなので緊張する。

 自分が描かれているのかと聞いた後、少女は黙って絵を見ていた。

 時々ため息のようなモノを吐き出しているが、言葉としてのリアクションはない。

 

 

「いらなかったら回収するから、捨てようとかは思わないでね」

 

「えぇ!? 捨てるって、そんな勿体無いことしないよ〜! もう貰ったから、これはアタシのだもんっ」

 

 

 えへへ、と笑う少女は胸に絵を抱きしめて、私に取られまいとじっとこちらを見ている。

 

 

「この絵、とっても怖いのにすごく優しく感じるの」

 

「怖くて、優しい?」

 

「飲み込まれそうなぐらい怖い所もあるのに、大丈夫だよって、寄り添ってくれてるみたいにも見えるから。アタシ、この絵が好きになっちゃった!」

 

 

 描き直そうと思ったのに、好きだと笑ってくれる少女に描き直しの提案はできない。

 

 気に入ってもらったと、解釈してもいいのだろうか。

 

 じっと見つめてはえへへ、と嬉しそうに笑っている彼女に、私は胸がいっぱいになるような感覚を覚えた。

 

 

(何もない空っぽな私でも、絵でこの子を笑顔にできるんだ……)

 

 

 才能とか難しいことはわからないし、医者でもない私では少女を救うことができない。

 それでも、少しでも彼女の力になれたのなら、それよりも光栄なことなんて他にないだろう。

 

 

 怖がらせちゃったのは反省点だけど、絵の中の女の子と同じように、希望を掴めますように。

 彼女の幼馴染達と元気に学校に通えますように、と。

 

 そうお願いして、私は少女の病室を後にした。

 

 

 

 

 

 それから2日も経たない間に、少女がいた病室は誰もいなくなってしまった。

 もう2度と会えないのか、それとも奇跡的に元気になった彼女と会えるようになるのか。

 

 

(どうせなら私もあの子も、退院して元気な状態で会いたいなぁ)

 

 

 私も記憶を取り戻して、あの子は病気を完治させて、ばったり会えたら運命的ではないだろうか。

 

 

 

 ──そんな叶いそうで叶えられない夢を、この時の私は描いていたのだ。

 

 

 

 

 




いくら元気な子でもああいうことがあれば、元気に振る舞うのは難しいですよね……という妄想の末の行動。

あの天馬さん家の咲希さんがそんなことするわけないだろ! って思ってしまった人は、どうしても皆と学校に行きたいし、離れた場所に行きたくない気持ちが昂っちゃったんだと思ってください。

次回は弟君が出ます。
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