画塾やバイト、南雲先生から美術鑑賞のお誘いがあった時以外、私の夏休み前半の行動は《部屋に籠って絵を描く》一択だった。
最近は東雲絵名でもなく、画家になる為でもなく、えななんという絵描きとして絵を描く日々を過ごしているお陰だろうか。
自分がやりたいからサークルの中で描いているということもあって、かなりノビノビと作品を作ることができている。
ふとした時にこれでいいのかと思うこともあるけれど、目標であるスランプ脱却は今の方向で進む方が近い気がするので、そちらの面では問題ない。
絵名が願った願い事の方は……まだ手掛かりはないけれど、どんなに短くても大学卒業までは絶対に絵を描き続ける予定だ。
最悪、ずっと探し続けるのも良いんじゃないかと思っているので、気持ちには余裕がある。
許されるのであれば──今はまだ、えななんとしてここで絵を描きたい。そういう思いもあって、今は絵を描く方に重点を置いていた。
「Amia、いる?」
『いるよー。どうしたの?』
「絵ができたから、Kや雪に見せる前に先にAmiaに見て欲しいなと思ってさ。送るから確認してよ」
『そういうことなら任せてよ! さ、いつでもどうぞー』
まだ集合時間前ということもあり、講習で忙しい雪どころか珍しくKもいないナイトコードにて。
ある程度作業を進めていたであろうAmiaに声をかけ、私はナイトコードに画像を送る。
ぽん、と独特な音と共に曲のファイルの下に現れる絵のデータ。
Amiaは画像を見ているのか、暫く無言の時間が流れる。
イヤホンの向こう側から息を飲むような音が聞こえた気がして、私も両手を握ったり開いたりと無駄な動きを繰り返した。
『なんていうか、最近のえななんは絶好調って感じがするよね』
「急に褒めるじゃん……何かおねだりするつもりなら無理だからね。何も買わないわよ?」
『もう、こういう時ぐらいは素直に受け取ってよ。そうじゃなくて、素直に凄いって思ったんだよ』
「……Amiaが褒めるなんて珍しいじゃん」
『ボクはえななんとは違って素直に褒めるタイプですぅー』
「は? 私だって褒める時は褒めるし」
『ホントかな~? ……でも、本当に良い絵だと思うよ。少なくともボクは好きかな』
どうやらAmiaが褒めているのは本気らしくて、少し背中がむず痒くなってきた。
(そういえば、雪平先生にも昨日の講評で『戻ってきましたね』って言われたっけ?)
その言葉にいまいちピンとこなかったのだが、Amiaの言葉も聞いて、やっと腑に落ちた。
スランプ脱却の方向性は間違っていない。それは自分だけの感覚だと思っていたのだが、表面上にもきちんと出てきているらしい。
これも全部、入らないって言った私を態々リアルを晒してまで引き込んでくれた雪やK、DMでも今も心配してくれているAmia……皆のお陰だ。
(あぁでも、素直に言ったらAmiaは『えななんの絵はボクが育てた~』とか言いそうだし、今は内緒にしよ)
マイナスからスタートラインに戻っただけかもしれない。
だけど、それでも足掻いても踠いても、全く進まなかった1年と比べると確実に進めている。
成長とかスランプの話はともかく、褒められたことへのお礼ぐらいは素直に言っても良いかもしれない。
「……ありがと、気持ちは受け取っておく」
『うん、そうしてよ。ボクはこれでも、えななんの絵のファンだからね』
「ふぅん? 私もAmiaが作るMVは拘りもセンスもあって好きだから、お互い様かもねー」
『えっ、えななんってば、急に素直に褒めるねぇ……』
「褒め足りないみたいだから、たまには素直になろうかなーって」
後は普段、揶揄われる仕返しだ。
急に褒められるとAmiaも弱いらしく、歯切れの悪い言葉が鼓膜に届く。
褒めるのは意外と効果的なのかもしれない。
良いことを知ったとニンマリと笑う私の顔と目が合っていると、ボイチャの方にポコポコと2つのアイコンが現れた。
25時。それは私の形勢が一気に不利へと傾く時間だった。
『お疲れ、えななん、Amia』
『お疲れ様。2人で何話してたの?』
『あっ、Kと雪もお疲れー。ねぇ、ナイトコードの絵を見てよー。えななんの絵、すっごく良くなってるよねー?』
(ちょ、Amiaってば早速仲間を作りに行ったわね!?)
とんでもなく狡いAmiaに私のテンポは1歩遅れてしまう。
その間にもKと雪は私の絵を見たらしく、話は絵の方へと向かっていた。
『最近のえななんの絵は言いたいことをちゃんと言ったって感じがするね、良いと思うな』
『うん、私もKと同じ意見だよ。良い絵だと思うし、これで進める予定なの?』
「進めてもいいけど……本当に修正箇所とか変えた方がいいところはない? あれば対応するけど」
皆に褒められるのも嬉しいけど、一緒に作る仲間であるのなら褒められるよりも、ハッキリと言って貰った方がこちらとしてもありがたい。
(あっ、でも……絵のことで私がそう思うのなら、Kや雪も聞かせてくれる時にそういうこと思ったりするのかな)
私とは違って適した才能がある2人だから、私の物差しで測るのは烏滸がましい事かもしれないけれど。
少しでも天才に分類される彼女達に近づけるように努力するのは、絵を描く経験としても無駄にはならないだろう。
(よし、これもやりたいことリストに追加しよっと)
絵を描くこと以外にもやりたいことや知りたいことが増えて、それも絵に繋げていって。
前に進めているんだと思えるこの時間がとても嬉しいのもまた、内緒の話だ。
『おーい、えななーん。黙っちゃって拗ねちゃったの~?』
「拗ねてないし! その、ボーっとしてて無視したみたいになったのは悪かったわよ」
『いいよいいよ。えななんが上の空タイムの間にお望み通り、もっと良くなるんじゃないかってアイデアを皆でまとめたからね。泣いても知らないよ~?』
「精神的に参っている時ならともかく、今は泣かないわよ。というか、あんたの前で泣いたことないでしょうが」
私とAmiaがコントみたいなやり取りをして、Kが控えめに笑って雪が止めるのがセットの、いつものやり取り。
各々の内心は兎も角として、動画を作っている間だけは平和に思えるこの空間を守りたいと思うからこそ。
私はできることを、少しずつ準備していこうと思うのだ。
……………………
夏休み後半からは引き籠もり生活から一変、日焼け対策をしてから外でスケッチすることが多くなった。
主な目的は音楽というインプットから絵をアウトプットする特訓をすることと、動画とかでは出会えない音楽に触れる為。
意外と渋谷は大通りや公園などで芸を披露している人が多くて、いきなりライブハウスとかに乗り込まずとも、生の音楽を鑑賞できるのだ。
聞いてもらえるかもわからないのに堂々と歌う人に尊敬しつつ、彼らを遠目から描くのはとても良い練習にもなった。
……本当ならば、ライブハウスにも顔を出してみたいけれど、初心者の私にはハードルが高い。
まずはストリートパフォーマンスを入口にして、茹で蛙のように慣らしていこうと思っているのである。
だから断じてヘタレなのではない。チャンスがあれば行くつもりなのだ、チャンスがあれば。
(それにしても……K達が作る曲とは方向性が違うけど、他の人の絵を描くのも面白いな)
パフォーマンスする人を絵にしたり、聴いた曲のイメージを絵にする行為は、私が想像するよりも面白くて捗った。
特にどういう仕組みで動いているのかわからない飛行物体やらロボットを使ってパフォーマンスする人がいた時なんて、音楽とか殆ど関係ないのに本能に赴くままに絵を描いてしまったぐらいだ。
紫に水色のメッシュの髪の毛なんて、どう白と黒で表現しようかと悩んだし、色んな意味で題材として参考になった。
路上でのパフォーマンスでこれなのだから、これでライブハウスとかに行けばどうなってしまうのだろう。そんな好奇心が顔を出してくる。
今日もどうしてストリートパフォーマンスをしているのかわからないレベルの人を見つけて、その人の音楽を楽しみつつ、ついつい鉛筆を走らせてしまった。
腕を支えに描いた絵は少々走ってしまっているものの、その場で急いで描いた割には勢いのある良い絵に仕上がった気がする。
後で清書して完成させよう。そう思いながら片付けていると、ふと横から声をかけられた。
「ねぇ君、最近ここで絵を描いてる子だよね?」
「え?」
顔を上げると今日のストリートパフォーマンスの題材にさせて貰った女の人がそこに立っていた。
許可も取っていないのに絵を描いていたのを怒っているのだろうか。何を考えているのかわからない笑顔が恐ろしく感じる。
ヒヤリと背中に冷たいものが走る中、女性は笑いながら首を横に振った。
「別に怒らないから、そんな顔を真っ青にしなくてもいいよ。ここで歌うのなら兎も角、絵を描くなんて子はいなかったから、珍しくて声をかけただけなんだ」
「え、あぁ……そういうことでしたか」
ただの物珍しさから声をかけてくれただけ。
それを知った瞬間、崩れ落ちるように私の体から力が抜けた。
もしも描くなと言われていたら、許可を貰っていないこちらでは勝てる要素はどこにもない。
今回は大丈夫だったが、次からは許可を貰ってからにしよう。心の中でこっそりと決意した。
そんな決意をしている間にも女性はギターケースを担ぎ直し、ひょいと私のスケッチブックを覗き込みながら問いかけてくる。
「ストリートパフォーマンスの絵を描いてるみたいだけど、どうして態々その題材を選んだの?」
「その、音楽をもう少し理解しようと思って最初は聴き回っていたんですけど……恥ずかしながら、聴いている間に絵にしたくなって」
「そっかそっか、君はそういう子なんだね。なら、絵を描いてくれてありがとうって言わなきゃ」
クスクスと笑いながら女性は鞄からチケットを取り出し、私に手渡してきた。
「いい絵を見せてもらったし、これ、あげるよ」
「これは……ライブのチケットですよね?」
「そう、久しぶりに懐かしい箱でライブするんだ。良かったら見に来てよ」
「お誘いは嬉しいんですけど、初対面の私にライブのチケットなんて、渡してもいいんですか?」
「実はあまり良くないけど……君が私達のライブを見た景色を、絵にするのを見てみたいんだよね。だからそれはさっきのお礼兼、先払い料金ってことで」
女性はウィンクを見せて「君の絵、楽しみにしてるね」と手を振ってから、そのままどこかへ去ってしまう。
引き留める前に女性がどこかに行ってしまったせいで、私に残ったのは女性から貰ったライブのチケットだけだった。
(lolite……? これってグループの名前なのかな。そのloliteさんが単独ライブをすると)
調べてみると、どうやらloliteというのはメジャーで活躍しているバンドらしく、動画の再生回数もかなりあるバンドらしい。
(まさか、ライブハウスの方から近づいてくるとは……)
ライブハウスに行くのはちょっと怖いと思ってしまうし、踏み込まないと決めるのは簡単だけど、折角貰ったチケットだ。行かない方がもったいないだろう。
ライブの日は明後日らしいし、その日は全く予定がない。チャンスの方からやってきたのだから、掴まなければ嘘つきである。
(よし、行ってみよう。これもまた勉強でしょ)
そうと決めたら後は早くて、私はスケッチブックを片付けてから足早に家に帰ったのだった。
丁寧にフラグを積み立てて次回にて登場する子がいる中、唐突にサラッと一般通過する演出家さん。
バキバキマッソゥ……
後、今回のギターのお姉さんはどこにも出てきてません。名前があるのも会話するのもベースの人なんでね……名前もないちょいとしたオリキャラです。