長くとも楽しい夏休みが終わった。
今日からまた、朝を気にして睡眠時間を調整しなければならない面倒な日々が始まるものの、学生はそういうものだから仕方がないとして。
問題は今、目の前でニコニコ笑っている優等生様だ。
私個人はとても充実した夏休みだったのだけど、目の前の少女にとっては精神的にも酷い夏だったらしい。
まふゆと顔を合わせた瞬間、私の口角が引き攣った。
(う、うわー)
「おはよう、絵名。どうしたの?」
「……おはよ。いや、久しぶりにまふゆを見たら、イイ笑顔してるなぁーって」
「うーん、そうかな? そんなつもりはなかったけど……久しぶりの学校だし、お互い頑張ろうね」
「そうね……」
笑顔の仮面のレベルを上昇させたまふゆが、小首を傾げながら挨拶する。
ナイトコードの声だけを聞いても気が付かなかったけれど、まふゆの仮面が更に鍛えられてしまったらしい。
クラスメイトに挨拶している姿も自然で、より深く『まふゆ』という存在が深いところに潜ってしまったように感じた。
──私がKと曲を作っている理由は……私を探して、見つける為だよ。
ふと、初めてまふゆの無表情を見た時の言葉が脳裏に蘇る。
私の記憶違いでなければ、まふゆは自分を探して、見つける為にKと一緒に曲を作っていると言っていた。
しかし、夏休み明けのまふゆの顔を見ていると、どうも逆走しているようにしか見えない。
このまま放っておいても、良い未来はやって来ないだろう。
今のまふゆには見つからないと諦めて、勝手に終わらせてしまいそうな危うさがあった。
(そもそも……まふゆには消えないことを選ぶ理由があんまりないのよね)
消えてはいけないと思うブレーキもなく、家にも学校にもどこにも居場所がないと感じていて、逃げる場所がない彼女が最後に選べるのは……最悪に近いものだろう。
我慢に我慢を重ねて、1人で足掻いて、ある日突然プツリ──と選んだ衝動的な答えなんて、良いものであることの方が少ない。
(ここで問題なのが、まふゆが救われるかもって思った鍵が『Kの曲』ってことなのよね)
これが誰かの絵ならばまだ、私にも何かできたかもしれないのに……それが曲となれば、私はあまりにも無力だ。
今から私が絵の片手間に曲を作るよりも、まふゆ自身が作った方が自分を見つけることができるだろう。
つまり、私は何もできない。
(だからKに任せて放置しよう! なーんて選択肢を選べないぐらいには、私自身がまふゆに恩があるし……)
戻るに戻れなかった私の背中を押してくれたまふゆへの恩は私の中で大きく膨らんで、大切な気持ちの1つとして主張している。
だからこそ、余計なお節介だと冷静に告げてくる自分を頭の片隅に追いやって、ぐるぐると思考を巡らせているのだ。
──これからの行動はきっと、まふゆの自分探しのヒントになれば嬉しいなー、と思う程度の時間稼ぎにしかならない。
父の絵でも動かず、今の私の絵を見てもまふゆの心を揺さぶるようなものは描けていないのは、火を見るよりも明らか。
ここで意地を張って『私の絵で動かしてやるんだ!』と思う程、私は思い上がっていない。
もちろん、ずっとまふゆに認められないのは悔しいので、いつかは「あっ」と言わせるような絵を描いてやる、というのは小目標として。
私情を片隅に置いてでも、今はまふゆが潰れてしまわないよう、時間を稼ぐ必要がある。
だから、時間を稼ぐ為にも……Kの曲以外にまふゆの『何か』に触れるモノを探そう。
朝比奈まふゆという少女は優等生フェイスじゃなくても優しいところがあるから、言い訳に『私の探し物に付き合って欲しい』と言えば何とかなりそうだ。
塾や予備校、部活とか委員会がない──彼女が忙しくない日ならば、付き合ってくれる可能性は倍増。勝算は十分にある。
(期間はKがまふゆの探し物を見つけるような曲を作るまで。時間を稼ぐ為にまずは──それとなく、まふゆの予定を確認しようかな)
彼女の邪魔をして、負担を倍増させるのは私も本意ではない。
そして、タイミングがいいことに宮女は秋から冬は基本、文化祭以外のイベントはほぼ無い。
運動部の大会は夏休み中のイメージがあるし、弓道部もそのイメージ通り、8月初旬に大会が終わったと聞いている。
つまり、この時期がチャンスなのだ。
(宿題テストとか小テストもあるし、夏休みからモードの切り替えで大変だろうから今は調査が優先。9月ぐらいから一気に仕掛ける……これよ!)
頭の中で今後のやりたいことが決まり、私は早速動く。
クラスメイトに挨拶を終えたまふゆは突然、私が探り出して訝しげにしていたものの、優等生モードだったこともあって受け答えはバッチリ。
今日はそこまで忙しくないのか予鈴5分前まで付き合ってくれて、聞きたいことは大体聞き出せた。
(ふっふっふ。この際だし、私1人だけだと行きにくかった場所とか、やってみたかったことに巻き込んでやろっと)
悪戯を企む子供みたいな考えに胸を弾ませていると、姿勢正しく椅子に座っていたまふゆの体が震えで飛び跳ねる。
タイミングよく先生もやって来て、吹き出しそうになるのを堪えながらも、私は先生の話を聞くのだった。
……………………
宿題テストを終えて、ほんの少し余裕が出てきたある日、私はまふゆをいつもの美術準備室に呼び出した。
「それで……何?」
「開口一番のセリフがそれ?」
「要件を聞いてないから」
今日も私以外誰もいないからと笑顔を殴り捨てたまふゆが、どうでもよさそうな目を向けてきた。
折角、心を開いてきていた犬がトラウマを刺激されて、また閉ざしてしまったような距離感と言えばいいのか。
スン、とした顔で早く要件を言えと圧をかけてくるのをあしらって、私は準備室の鍵をかけた。
「よし、まふゆ。お月見するわよ!」
「帰る」
「いーやいやいや、判断が早過ぎない!?」
「夜でもないのに月見とか、絵名の頭が蒸発したみたいだから。付き合ってたらキリがない」
「ちょっと歌詞担当さーん? もう少し言葉を選んでー?」
「それ、今必要?」
「あんた、痛いところ突くわね……」
流石は最近、ニーゴの歌詞も担当し始めた女、朝比奈まふゆ。
的確に突いてくる弱点が痛い、とても痛い。
必要なことだから! と無理矢理連れてくるのは早計だったか。
そう思うものの、こちらは準備しているので今更引き下がるわけにはいかない。
「まぁまぁ、そう言わずに。初めてのことに挑戦することで、自分の新しい一面を見つけたーとかいうじゃん? 私の絵の知見を広げる為と思って!」
「自分を……初めてのことに挑戦したら、私を見つけられるの?」
(これは……意外と好感触っぽい?)
確かにまふゆに引っかかりそうなそれっぽい言葉を並べたけれども、まさか本当に興味を示すとは思っていなかった。
まふゆという少女に子供っぽい一面があるのか、それともそれだけ切実で、藁にもすがる思いで試しているのか。
どうせ憶測でしか語れないのだから、今はまふゆの興味が薄れる前にその気にさせてしまおう。
頭の中の邪推を振り払って、私は話を進める。
「まふゆってお月見の経験はある?」
「……小さい時ならあったと思う」
態々小さい時と答えたということは、
「小さい頃の印象と今の印象は違うし、それはそれで違う発見がありそうね」
「そうなんだ」
「それで、どう? お月見に付き合ってくれる気になった?」
興味はあるような素振りではあるものの、顔は鉄壁を誇る無表情。
本当に私の感覚が間違っていないのか。様子を窺っていると、まふゆは短く息を吐いた。
「いいよ。私の予定がない日を選んだのも、その為でしょう?」
「やった! ……と言っても、今は月も出てないし、お菓子を食べるだけになりそうなんだけどね」
「……そう」
お菓子を食べると言った瞬間、まふゆの声のトーンが1段階下がったように聞こえた。
本当のところは下がってはいないのだろうけど、そんな気分になるような声。
もしかしてお菓子が苦手とか? そう思ったものの、どうやらそうでもないらしい。
後、考えられるのは──食べる行為そのものが好きではないとか、だろう。
「ま、まぁお月見仕様だから見た目重視のお菓子だし、見てるだけでも楽しいと思うから! まふゆは無理に食べなくてもいいからね」
「大丈夫、慣れてるから」
空気読みは成功したようで、今度は好感触。
後は私が用意してきたお菓子にかかっている。先にお裾分けした愛莉からは大好評だったし、大丈夫だとは思うけど、少し不安だ。
「今日、用意したのはこちら!」
美術準備室に何故か備え付けられている小さな冷蔵庫からお菓子を取り出す。
まずは満月に見立てた黄色いチーズケーキ。これは完全に私の趣味、大好物枠。
次に耳や目、口を付け足した月見団子の白兎。その隣には同じように兎に変えたスイートポテト。
追加でこし餡をベースに、金太郎飴のように切れば白餡の兎と栗餡の月が浮かぶ羊羹も用意してみた。
まふゆの好物がわからなかったので、お月見らしく兎をモチーフに、それっぽいものを用意してみたけれど、どうだろうか。
Amiaにも見せる為に写真を撮り、まふゆの方へと視線を向ける。
「……!」
胸に手を当てたまふゆの視線は、白と黄色の兎の行列に釘付けだ。
こちらの視線に気がついて目を逸らすものの、やっぱり気になるのか、まふゆの視線は兎達に吸い込まれていた。
(あの姿を見れただけでも、無理矢理誘ってよかったかもね)
じっくりと相手を観察していると、ふと、視線を上げたまふゆがほんの少し目を細めた。
「絵名」
「ん、なぁに?」
「笑わないで」
「ふふ、ごめん」
「だから笑わないで」
「あ、ちょ、まふゆさん? 頬を掴んで伸ばそうとするのはやめて!?」
やめろと言われても口角の上昇を止められなかった私は、罰として頬を餅のように引っ張られてしまったけれど。
まふゆはお菓子を食べてくれたどころか、黄と白、2色の兎を一匹ずつお持ち帰りするぐらい気に入ったようだ。
この後、味の感想を聞き出そうとして、実は味覚がわからない──という衝撃の事実を知ってしまって、固まりつつ。
それでもまた、ああいうお菓子なら作って欲しいと言われてしまい、味もわからないと言っているまふゆに、次回もお菓子を作る約束をした。
衝撃的な事実的に、失敗だったかもしれない……と思ったのだけど。
翌日の優等生フェイスが夏休み直後よりも軟化したので、ギリギリ成功ということしよう。
まふゆさんは味はわからないけれど、見た目がお気に召したようですね。
記憶喪失えななんは見た目も味も凝りすぎて、絶対に毎日料理はできないタイプです。
毎日味噌汁云々は、やろうとしても精根が尽き果ててしまいます。