高校1年の時から、少しずつ準備してきた1つの手札。
あいつを守る壁としては、あまりにも頼りないのだけど。
それでも、束の間の休息を守る盾としてなら使えると──そう信じたいのだ。
まふゆの母親がどういう性格なのかは大体予想していたので、私もその対策をしよう……とは思っていた。
だが、努力で殴る天才様を下剋上するには数ヶ月程度では足りなくて、結局、目標である『追い抜かす』ことまではできなかった。
だから何もできない、できることはないと言い訳していたのだが……そんな情けない思考はもう、やめだ。
瑞希に『らしくない』と発破をかけてもらって動かないほど、私は臆病ではない。
あばらが痛くても、肺が悲鳴を上げても、周りに奇異の視線を向けられても、お構いなしに家に向かって走って、扉を開く。
幸いなことに家には誰もおらず、私は自分の部屋をひっくり返すように隠していたブツを取り出し、家の裏手で曲を再生した。
(よし、まふゆはいない。ミクもいないのが気になるけど……間に合ったみたいね)
ゲホゲホと、酸素を求めて下手な呼吸をする己の息を整えること、数分。
風もお構いなしに走ったせいで広がってしまった髪も整えたし、約束を破ってしまったのはすぐにはバレないはず。
──そうこうしている間に、セカイに光が現れる。
光からは見慣れた紫が現れ、声をかけようとしたのだが──その顔は明らかに今までよりも酷いものだった。
何の光も通さぬような生気のない目。表情筋が仕事を放棄しているのはいつも通りであるものの、いつもの3段階ぐらい真っ暗な雰囲気だ。
虚な目が私を映し、地を這うような声がセカイに響く。
「あぁ……絵名はまだ、いてくれたんだ」
いつもの声よりも更に低くした声が私を呼ぶせいか、体が嫌な寒気で震えた。
これはただ事ではない。顔色のないまふゆに対し、私は明るい声を作って喋りかける。
「まだって。あんた、いつも以上に暗いわね」
「……ねぇ、絵名。消える理由があるなら、消えてもいいんだよね?」
「は? あんた、まさか」
「うん。もう、いいよね。これ以上、生きても勝手に与えられて、勝手に捨てられてしまうだけなら……いっそ、全部持ったまま消えたい」
そう言ってゆっくりと目を閉じてしまうまふゆは、本当に今にも溶けて消えてしまいそうで。
こっちはやっと、玉砕する覚悟ができたというのに……このまま、まふゆを消すわけにはいかない。
私はまふゆの両手を握って、焦点の定まらない相手の目を無理矢理こちらに向けた。
「今までは私があんたの我儘に付き合ってきたんだから、今度はこっちの話にも付き合ってよ」
最後のつもりならいいでしょ、と強く押せば、まふゆも否とは言わず、今まで聞けなかったことも話してくれる。
……そのお陰で、まふゆが私を隠そうと思った出来事から今日、シンセサイザーをお母さんが捨てようとしていたところまで全部、なんとか話を聞き出すことができた。
(あーもう! 聞いてるだけでもムカつく! 誰かサンドバッグと紙を持ってきてくれない!? 今すぐ顔を描いて殴るから! ……って、頭に血が上り過ぎてるわね。一旦落ち着け、私……深呼吸よ、深呼吸)
煮え滾る感情に蓋をしてみても、冷静になって考えようと努めてみても、まふゆから聞いた話はとんでもなく酷いものだった。
母親とはいえ、高校生の子供の部屋を勝手に漁って、勝手に捨てるなんて。
誰だって自分のものを勝手に捨てられるのは嫌に決まってるのに、母親とはいえ平然と実行してしまう人間がいるとは恐ろしい。
瑞希と話したことが大体予想通りだなんて、全く笑えない話だ。
夫婦間なら離婚待ったなしの案件が今、友達の身に降りかかっているのである。
家庭の問題をどうにかできるとは思えないが、できることからやるしかない。
まずは、その後ろ向きにひた走って逆走しそうな思考の進路を少しずつ変えていこうか。
「私もきっかけの1つに含んでくれているっていうのなら、こっちの話も聞いて貰ってもいい?」
「聞くだけだよ」
「それでいいわ」
辛うじて拒絶はされなかったけれど、ここからは下手なことはできない。
今のまふゆに必要なのは自分を見つけるという長期目標を叶えるための、時間稼ぎの方法だ。
今、1番問題になっているのはお母さんが勝手に大切な物を捨てたり、
そして1番大事なのは──ここで消えたら、まふゆの負けになるってことだ。
「結論から言うと、今回の理由で消えたいって思うのは、個人的には許せないって思ってる」
「……どうして」
「だって、それが理由なら……あんたは悪いことをしてないのに、泣き寝入りして諦めるってことでしょ。そんなの、私も原因の1部だから、余計に悔しいじゃない!」
「別に、絵名は関係ない」
「私がセカイに隠れた時点で関係者でしょ!? 今更、無関係とか言わせないし……大体あんた、何でもかんでも私に察してもらおうとし過ぎなのよ!」
確かに私も、まふゆの異変を
それでも、まふゆはあまりにも……そう、私が聞き出さないと絶対に自分から言わないぐらい、我慢し過ぎなのだ。
それで勝手に爆発されたら、こちらとしても堪ったものではない。
「何回も言ってるけど、何の為の口と言葉なのかって話! もう少し話してくれたら、もっと早く一緒に考えられたのにさぁ!」
「……絵名に何ができるの?」
「少なくとも、あんたが真っ向からお母さんに抵抗ができないのはわかってるわよ。だから、静かな抵抗方法ってやつを一緒に考えるって言ってんのっ」
規模が大きい抵抗が《革命》だとするならば、静かな抵抗は《内部告発》だと私は思っている。
お母さんという大きな力を前に、子供が嫌なことをされた時、親元でやれることといえば服従か、抵抗、後は変化球で逃走ぐらいしかない。
そして、私が提案しているのは服従と抵抗の中間。静かな抵抗をしようと考えたのだ。
「まず1つ、捨てられたくないぐらい大事なものは、このセカイに持ってきて隠す! 流石にまふゆのお母さんもここには来れないし、絶対に捨てられないでしょ」
「でも、それじゃあ物だけしか守れない」
「そうね。だから、あんたの心配してる人間関係の方だけど……今の所、ニーゴのことは上手い言い訳を考えられるまで隠すとして、見つかりそうになったら私の名前を使って」
「絵名の? でも、ダメって言われるかもしれない」
「こっちだってあんたのお母さんのことで、色々と対策できるように考えてきたのよ。まぁ、ちょっと……まだ足りないかもしれないけどね」
まふゆの前にグイッと家から取ってきたファイルを突きつける。
その1番上には最後に受けた高校の学年末テストの結果がまとまっていて……私がまふゆに勝てなかったという《学年2位》という文字が少し大きめに印字されていた。
「……いつの間に、ここまで成績を伸ばしてたの?」
「夏ぐらいから頑張ってたの。本当はあんたを抜かしてから、安心しろって言いたかったんだけど……流石にそんなに甘くなかったわ」
でも、それぐらいの成績があれば、まふゆのお母さんでも無碍にはしないはずだ。
「成績も伸ばしたから、まふゆのお母さんの『友達』への要求には近づいてるはずよ。それでも足りないって言うのなら、お父さんの名前も使うし、頑張って私自身の受賞経歴も増やす。それでも無理だって言うのなら、殴り込んで説得でも何でもするからさ……だから消えたいなんて、言わないでよ」
吐き出した覚悟に返ってきたのは、まふゆの困惑の声音だった。
「……なんで、絵名はそこまでしてくれるの?」
「友達が消えたがってるなら、私はそうならないように手を伸ばしたいって思った。後はあんたが手を掴んでくれるかどうかなんだけど、これでもダメ?」
今まで助けて欲しいとも、一緒に自分を探して欲しいとも、一言も言ってくれなかったけれど。
それでもまふゆは記憶を無くした東雲絵名の……私の、大事な友達の1人なのだ。
まふゆはずっと、深いところで隠れて閉じこもっているけど、今ぐらい手を伸ばして欲しい。掴んで、頼って欲しい。
そういう気持ちを込めて、まふゆに手を伸ばす。
まふゆも恐る恐るこちらに手を伸ばしてくれたものの、やっぱり怖いようで、私の手を振り払ってきた。
「……こんなの掴んだって結局、私は見つからないよ。それじゃあ、時間を作ったところで何も意味がない」
「かもね。でも、自分探しは時間が必要だと思うけど?」
「闇雲に探してたって、時間がいくらあっても足りないよ」
「闇雲に探せばそうかもしれないけど、自分を見つける鍵はもう、あんたの近くにあるでしょ?」
「鍵が?」
「──雪」
まふゆが首を傾げたその瞬間、白い髪が、Kがその場に現れた。
後ろからは瑞希がひょっこりとピースサイン。ボク、やりました〜と言わんばかりに笑って、ミクも静かに見守っている。
瑞希もミクも、Kを連れてくる為に頑張ってくれたようだ。
「どうして、K達がここに……? 追い出したのに、また来たの?」
「わたしの曲を聴いて欲しい。だから、会いに来たよ」
「……曲を?」
「うん。わたしの曲じゃ足りなかったって言ってたよね。だから、もう1度作ったの。今度こそ……ちゃんと雪を救える曲を」
まふゆはKを見てから、何故かこちらに視線を向けてきた。
その瞳は大きく揺れていて、戸惑っているらしい。
どうして今、Kが曲を聴かせようとしているのかわからないようだが、それこそがまふゆの鍵になると私は信じている。
「まふゆ」
「……」
聴いてみて欲しい。
そんな気持ちを込めて彼女の名前を呼べば、まふゆはゆっくりとKに近づいた。
「どうしてKはその曲で救えるって思うの? 私のことなんて……何もわからないのに」
「……わかるよ。雪、わたし達に言ったよね。本当は消えたいんでしょって」
Kは毅然とした態度で1歩、前に出る。
「雪の言う通り、わたしも本当は……消えたくてたまらない。だって、わたしは自分の曲で、1番大切な人を不幸にしたから」
黙って聞いていたまふゆの口から「え?」と驚くような声が漏れる。
……どうやら、Kはまふゆに自分のことを話すつもりらしい。
私は説得の時ですら何も言えないのに、本当に……良く真っすぐ立って、前を見ていられるなと、驚いてしまう。
「わたし、作曲家だったお父さんがいるんだ。わたしもそんなお父さんみたいになりたくて曲を作り始めたんだけど……そのせいでお父さんを追い詰めてしまった」
隣で聞いている瑞希も大きく目を開いていて、話を把握している私も胸が締め付けられそうなKの独白。
瑞希の「Kの曲が?」と驚く声に頷いたKが、更に言葉を重ねる。
「お父さんは自分の曲が古くて受け入れられないって苦しんでいたのに……わたしはそれに気が付かずに、元気になって欲しいからって、お父さんに私の曲を聴かせてしまった」
それはKのお父さんが余裕があったのなら、Kが元気付ける方法に自分の曲を選ばなければという、ほんの少しのボタンの掛け違いからおきた、『不幸』。
「わたしの曲がお父さんを余計に追い込んで、絶望させた。その結果──お父さんは倒れて……もう、曲が作れなくなったんだ」
Kのせいかと言われたら、違うと言ってくれる人はいるだろう。
しかし、そういうことではないのだ。
私の記憶喪失が私自身のせいではないから、過去の自分に対して何1つも悪くないと言われたって、納得できないのと同じように。
Kもお父さんを傷付けて、1番大切な音楽も、未来も奪ったと罪悪感に苛まれて、消えたがっている。
そういう意味では、私がKに自分を重ねて見てしまった下地はあったのだ。
「でも、そんなお父さんはわたしに『曲を作り続けるんだよ』って言ったんだ。だからわたしは……消えずに、誰かを救う曲を作り続ける為に生きている」
Kの独白に、まふゆは何を思ったのだろうか。
真っすぐKを見つめる青がほんの少し細められて、その口が開かれた。
「そっか……Kって、お父さんに呪われてるんだね」
すぐ近くに自分の曲で救えるかもしれない相手──まふゆさんが現れなかったら、奏さんも自然と破滅してた気がするんですよね。
1年もあれば手遅れになるには十分過ぎますので……奏さんにとっても、まふゆさんは必要だったのだろうなーって感じがします。