イラスト担当は記憶を無くしました   作:大森依織

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5枚目 存在を証明する為に

 

 

 4月に入り、順調に回復した私は病院から退院することとなった。

 左手もガッチリと固定したギプスから緩い固定具へと変わり、ここからは医者の指示に従って定期的に通院する段階だ。

 

 そんな時だからこそ、冷静になって過るのは『お金』の問題。

 1ヶ月入院した上に、これから通院する病院の費用だって、タダではないのだ。心配にもなる。

 

 そんな私の疑問に対して、お母さんは「お金持ちらしいし、相手から搾り取るから。絵名は全く心配しなくても良いのよ?」と笑っていた。

 ……どうやら、母は強かったみたいで、私の心配は杞憂らしい。

 優しい顔しか知らなかった私にとっては衝撃的で、お母さんは怒らせてはいけない人ランキング1位に堂々と登り詰めた。

 

 

 そんなこんなで記憶にない家に帰り、これまた見知らぬ自室に入って情報をまとめること1時間。

 記憶が無くなる前の彼女が書いていた宿題の日記やら、ノートからの情報で人間関係の予習を済ませた私は大きく伸びをした。

 

 

(記憶喪失になってからメモや日記の宿題がありがたく感じる日が来るなんて……きっとあの子も思わなかったよね)

 

 

 記憶喪失という状態である為に、お母さんやお父さん、彰人を悲しませた私。

 その過ちを4月からの新しい担任の先生にも繰り返し、困惑やら迷惑そうな顔をされたのは記憶に新しい。

 

 お母さんは「なんて担任なの」とお怒りだったが、記憶喪失の生徒なんて面倒だと思うし、先生の気持ちも理解できる。

 そんな大人である先生でも困ってしまうのだから、友人やクラスメイトに記憶喪失をカミングアウトしたら、どうなる?

 

 きっと、先生と同じように困らせてしまうだろう。記憶喪失なんて厄ネタだし、関わるのも嫌がられそうだ。

 幸いと言えばいいのか、私が記憶喪失であることは言わない方針で進めていくことになっている。

 

 ──先生のように相手を困らせてしまうぐらいなら、記憶喪失であることなんて飲み込んで、墓場まで持っていこう。

 

 もう誰にも記憶喪失のことは言わないと決めた私は、帰ってきてからずっと頭の中に過去の情報を叩き込んでいた。

 

 

(あー。これからは毎日、メモや日記を残した方がいいかも。後で困るのは私かもしれないし)

 

 

 鍵がかかる机の引き出しに封印した『記憶を奪ったスケッチブック』が脳裏を過り、私はため息を漏らす。

 せめて今は入院中の覚えていること等、できるだけ細かくノートに書き溜めしておこうか。

 

 そうやって色々と準備をしていたら、扉の外から声が聞こえてきた。

 

 

「おい、絵名。ご飯できたらしいから、早く降りてこいってよ」

 

 

 扉を少し開いて声の主を見ると、両腕を組んだ彰人が立っていた。

 どうやら彼1人らしい。身構えていた体の力を抜いて、胸を撫で下ろす。

 

 

「なーんだ、彰人か」

 

「なんだってなんだよ。人が折角、声かけてやったのに」

 

「あー、うん……ありがと。すぐに降りるから先行ってて」

 

「そうかよ」

 

 

 ──突っかかってこねぇなんて、調子狂うな。

 

 思わず口から漏れてしまったかのような弟の小声に、心臓がドクリと跳ねた。

 

 大分掴めたと思っていたが、性質が近くても0と1とでは全く違うのだから、違和感があるのは当然か。

 まだまだ足りなかった自分の認識を反省しなければならない。だが、引き摺るのはもっと悪いことだ。

 

 切り替える為に僅かに首を横に振ってから、私は両手を腰に当てて問いかける。

 

 

「ご要望なら、今からでも突っかかってあげようか?」

 

「うげっ。いらねぇ、要望も出してねぇし」

 

 

 藪蛇だと言わんばかりに、彰人はすたこらさっさと逃げていく。

 それを見送って幾分か時間を置いてから、私も追いかけるようにリビングへと向かった。

 

 

(場所も今も家族も奪ってここにいるんだから……あの子の代わりになれるように、頑張らないと)

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 お父さんはまだ家に帰っていないらしく、3人で先に夕食を食べることになった。

 身構えていた身としては有り難く、こっそりと安堵する。

 

 どうしてもお父さんに対し、身構えてしまう癖が消えないのだ。

 原因は明らかだからこそ、厄介な感情だった。

 

 

「今日はハンバーグにしたの。お祝いのチーズケーキもあるから、お腹はいっぱいにしちゃダメよ」

 

「ありがとう、お母さん。いただきまーす」

 

「いただきます」

 

 

 お母さんの言葉を聞いて、私と彰人はそれぞれ食べ始める。

 プレートに乗ったハンバーグにフライドポテト。

 そして人参のグラッセやブロッコリーを見て、彰人の眉がピクリと動く。

 

 お母さんの食育方針上、好き嫌いがあっても食卓に並ぶらしいが、彰人もお父さんも人参は好きではない。

 記憶が無くなる前の絵名も嫌いで、私も病院で食べた人参は吐きたくなるぐらいには苦手だった。

 

 

(でも、食べないのは失礼だし。嫌なものは最初に食べるに限るよね)

 

 

 数秒の葛藤の末、私は最初に人参へと箸を伸ばした。

 黙って咀嚼して、あまり好きではない甘味に思わず顔を顰めそうになる。

 

 ──いや、ダメだ。これらの料理はお祝いで作ってくれたのだ。

 

 嫌な顔で食べたら、作ってくれたお母さんに悪いではないか。

 弱気な心を叱咤激励して人参を処理していると、ふと、前から突き刺さるような視線を感じた。

 

 

「何よ」

 

「いや。人参、食べれたんだなって」

 

「……彰人は病院の人参、食べたことある?」

 

「ねぇけど」

 

「人間って不思議よね。比較対象があれば『あれと比べたら〜』って思って、食べれるようになるの。彰人も病院食の人参、食べてみたら?」

 

 

 ふっふっふっ。

 そう態とらしく笑えば、彰人は引き攣った顔で「遠慮しとく」と返し、それ以上踏み込むことはなかった。

 

 

(……よし、なんとか誤魔化せたわね)

 

 

 まさか食事にも地雷が潜んでいるなんて夢にも思うまい。

 心の中で冷や汗を拭い、私はハンバーグを口に入れる。

 

 ハンバーグ達をなんとか乗り越えて、次の難題であるチーズケーキも食べ切った。

 チーズケーキを食べている姿を見た彰人もお母さんも、何故か「あぁ、絵名だなぁ」って和んでいたので、多分問題はなかったと思いたい。

 

 ……というか、食べてる姿で和むってどういうことなのだろうか。

 和まれてる側からすると、不思議で仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで夕食を終えて、彰人も私もそれぞれ部屋に戻った後。

 

 玄関の扉が開く音がして、あの人が帰ってきたのを察した。

 未だに過剰な反応をする頭の中。しかし、向き合わなければいけない理由が私にはあった。

 

 夕飯を食べ終えるだろう時間を見計らい、お父さんの背中を視界に入れる。ほんの少し汗が出てくるのを無視して、私は乾いている口を開いた。

 

 

「お父さん、今いい?」

 

「……どうした」

 

 

 まだ呼び慣れてないそれを恐る恐る口にすると、じっと本を読んでいたお父さんが顔を上げる。

 どうやら私の話を聞いてくれるらしい。一言、声をかければすぐに栞を挟み、お父さんはこちらに顔を向けた。

 

 

「邪魔してごめん。どうしても話したいことがあって」

 

「本はいつでも読めるからな、気にしなくてもいい」

 

 

 ゆるりと首を振りつつも、本を机に置いたお父さんはソファーの端に移動する。

 これは隣に座りなさい、ということなのだろうか。自分で導き出した回答なのに、自信がなくなってきた。

 

 恐る恐る隣に座って顔色を窺うと、そこにはどこか満足げな雰囲気を醸し出す父親がいるではないか。

 予想外の反応だけど、ここはプラスに解釈しよう。不機嫌よりはいいさ、と思って本題に入るのだ。

 

 

「私って事故の前は絵画教室に通ってたって聞いたんだけど。あれ、毎週じゃなくて毎日に切り替えてもいいかな」

 

「春休みの間だけか?」

 

「ううん。教室が休みの日以外、毎日行くつもり」

 

 

 真っ直ぐ目を見て伝えた私に対して、お父さんの返答は「わかった」の一言だけだった。

 

 

「いい、の?」

 

 

 ふとした時に頭の中に響く『絵の才能がない』というお父さんの言葉。

 画塾だって無料ではない。数を増やせば増やすほど、お金はかかるのは当然であり、才能がない相手に投資するようなものではないはずだ。

 

 そんなお父さんの言葉ばかり思い出していたこともあって、あっさりと認められるのはかなり意外だった。

 

 

「絵を描きたいのなら好きにすればいい。絵を描くのは自由だ、やめろとも言わない」

 

「……ありがとう、お父さん。その、よろしくね」

 

 

 お父さんの隣から素早く離脱し、私は自室へと退散する。

 下手に一緒にいると体に染みついた言葉を掘り起こされそうで、少し怖くなってしまったのだ。

 

 

(お父さんからの『才能がない』って言葉が余程、堪えたんだろうけど)

 

 

 部屋に戻ってから、なんとなくスケッチブックに向かい、思い浮かぶままに絵を描く。

 

 何となく描いたつもりなのに、光に怯えるように路地裏に隠れる猫の絵が出来上がっていて、まるで自分の心を鏡で映したように見えた。

 

 

「そりゃあ、怖いか」

 

 

 東雲絵名にとって父親とは尊敬している偉大な画家で、目標であり理想であり、何よりも男の子にとってのヒーローみたいな憧れだった。

 憧れているお父さんの娘だから、お父さんのようになりたくて。自然と画家を目指していたような女の子……それが『絵名』だった。

 

 絵を描いたら上手だねって言われて、絵を描くのに最適な環境で、お手本になりそうな憧れの人が近くにいて。

 川が流れるのと同じように自然と画家を目指したけど、絵を描く彼女を堰き止めたのは他でもない『理想(父親)』だ。

 

 理想に夢を否定されてしまったのだから、何もかも無くした後でも、突き刺された棘は抜けてくれない。

 

 

(でも、この痛みは戒めには丁度いい)

 

 

 夢も理想も憧れも全部、スケッチブックの跡や日記で見た。胸の痛みで感じた。

 後はひたすら、1人で突き進むだけだ。また父親に否定されようが、私が画家になりたい理由には関係ない。

 この痛みが訴えてくる限り、私は止まってはいけない。

 

 

(私は画家にならなくてはいけない)

 

 

 その為には色々と足りないものが多すぎる。

 知識も足りないし、経験なんて0から積み上げなきゃいけない。

 誰よりも足りないから、何を言われようが全部利用して、たった1つに集約させなければ……上に追いつけない。

 

 

(──私は東雲絵名(わたし)の為に絵を描くし、画家にならなきゃいけないんだ)

 

 

 その為にはまず、画塾から始めよう。

 

 あの子を殺して才能を手に入れた私には、存在(才能)を証明する義務があるのだから。

 

 




画家になる為に何でも利用してやると覚悟が決まったえななん。
彼女は才能を証明できるのでしょうか……?

次回はえななんバナーで出てくるサブキャラの方々と、歌詞ではツンデレガールになっているあの子の面影だけチラ見せします。
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