何分ぐらい、痛みに襲われていたのだろうか。
スマホの時計が正しければ、3分ほど。
体感で数十分近くに感じた激痛は、肺の中の空気を全部交換してしまうぐらい呼吸を繰り返す間に、波のように引いていった。
「ごめん、まふゆ。もう大丈夫だから」
「何が?」
「いや、痛みも無くなったし、奏を探しに……」
「そう。じゃあ、黙ってて」
一体、何が『そう』で、何が『じゃあ』なのか。
痛みが治る前からまふゆに声をかけているのだが、「うるさい」か「黙って」しか言わなくて、私ができることはあまりない。
出口まで歩くことすらなく、その場にじっと立ちぼうけ。
右手が痛くないことがバレてから、私が逃げ出さないようにと手を繋がれているので、奏を探そうにもまふゆを説得しないと動けなかった。
「……顔色、まだ青いね」
「へ? あんた、見えてるの?」
「うん。さっきまで、もっと酷かった」
私の目では辛うじて相手の顔が認識できるぐらい真っ暗な空間。
そんな暗闇の中でも、こちらを観察しているまふゆの目は、顔色がわかるぐらい見えているらしい。
(こっちはいくら頑張ってもまふゆの髪の色とかしかわからないのに……)
まふゆの目が特別良いのか、それとも目がこの空間に慣れるのが早かったのか。
何となく悔しくて目を細めたり開いたりして目を慣らそうと努力していると、まふゆにはぁ、と息を吐かれてしまった。
「さっきまで紫だったけど、もう元気だね」
「紫って顔色の話? え、そんなに顔色が悪かったの?」
「そうだよ。じゃないと、瑞希も任せない」
「……あー」
そっちはお願いしてもいい? というのは私のことだったのか。
私が頭を抱えようとすると、まふゆの手によって遮られる。
その手はそのままこちらの額に伸びて、ゆっくりと頬のある場所まで下された。
「冷たい」
「触っておいてそれ? あんたの手が熱いんじゃないの?」
ペタペタと頬を触るまふゆの手を捕まえて、顔を触るのを強制的に中断させる。
だが、残念なことに相手の方が1枚上手だ。
まふゆは右手を握っていた手まで使って、私の両頬を包み込むと、私のチークも気にせずに揉みだした。
気分はわしゃわしゃと撫でられるペットのよう……って。
「私はあんたのペットじゃないんですけど!?」
「うん、知ってる」
「じゃあ、その手を離してよね……まぁ、心配してくれるのは、感謝してるけど」
まふゆの手を鷲掴み、下に移動させる。
こうやって戯れあってるのに、瑞希らしい足音は聞こえてこない。
呼びかける声も聞こえないので、瑞希は遠くまで探しにいっているようだ。
それでも奏が見つからないのが不思議だと首を傾げると、またしても黒い物体が動いたように見えた。
「…………たい」
もそり、と黒い物体が動く。
また狸かと思ったけれど、狸にしては大き過ぎる。どちらかというと人影に近いように見えた。
「たい? あれ、もしかして奏かな」
「……たい」
「奏?」
「……痛い……痛い」
奏かと問いかけても、まるで瑞希が話してくれた幽霊みたいな言葉しか返ってこない。
不安になって隣にいるまふゆを見るが、彼女は相変わらずのポーカーフェイスだ。
ちょっとだけ安心できた私は、そのまま隣にいるまふゆに問いかける。
「奏だよね、あれ」
「瑞希の可能性もあるけど」
「え、何で瑞希がここで?」
「絵名を脅かしに」
「いや、それはないでしょ……ないよね?」
ないはずなのに、数々の前科が頭の中を通り過ぎる。
瑞希なら私を脅かすために奏を見つけた後、こちらにこっそり近づいてそれっぽいことをする可能性も否めない。
そう思うけれど、1つだけ気になることがあった。
「瑞希ってまふゆよりも身長、同じかちょっと高いぐらいじゃん」
「そうだね」
「あの人影、私よりも低くない?」
「低いね」
「……その返事、話を聞いてるのかーって怒られるヤツだから、気を付けなさいよ」
「絵名に1回怒られたね」
「覚えてるのならやめなさいよ!?」
私が睨んでいるのも見えているはずなのに、まふゆはどこ吹く風だ。
とはいえ、淡々と答えてくれるまふゆのお陰で考えが纏まってきた。
瑞希のドッキリの可能性は低くて、目の前の影は奏の可能性が高い。
更にはこちらの声に答えられないぐらい、推定・奏は痛い思いをしていると。
ならば、こうやってまふゆと漫才のようなやり取りをしている場合じゃない。
フラフラと揺れ出した長い髪の人影に駆け寄り、手を伸ばしたその瞬間。
「痛っ……あっ……」
「え? ちょ、きゃぁぁぁ~っ!?!?」
銀髪の人影──というか、奏が私に向かって倒れてきた。
まさかこっちに倒れてくるなんて思っておらず、しかもさっきまで激痛で体力をすり減らした体だ。
奏のような軽い体でも支えることは非常に難しく、私は叫びながら一緒に倒れることしかできない。
何故か胸に飛び込んできた奏と一緒に、私は真っ暗なトンネルの地面に倒れる覚悟をした。
(最高は怪我をしないことだけど……絶対に服は汚れるわね)
これ、いつもの服よりもお気に入りなんだけどな。
下手に受け身を取ったら手を痛めたり、奏が怪我する可能性が頭に過ぎる。
そういうこともあって、受け身も取らずに自分の怪我を受け入れようと目を閉じたのだけど……衝撃は私が想像していたよりもなかった。
いや、全くなかったと言い直さなければならない。
「絵名、奏、大丈夫?」
衝撃に備えて閉じていた目を開くと、私はまふゆの腕の中にいた。
どうやらまふゆが私の体を支えてくれたらしい。倒れそうになった私と違って、安定感が段違いである。
私と奏、2人分の体重が伸し掛かったはずなのに、まふゆは重さなんて一切感じさせない涼しげな顔でこちらを見ていた。
「その、おかげで倒れずに済んだし……ありがと」
「うん。流石に重いね」
「あんたはもうちょっと言い方というか、何とかしなさいよっ!」
ちょっと見直した私がバカだった。
こっちには足を捻ったみたいで、片足を庇ってる奏がいるのに私がバカだった!
そりゃあ2人も支えてるんだから重いだろうけども。
それでも、そこは平気とか気遣いの1つぐらいあったらすごく嬉しいのに!
(……いや、今はまふゆじゃなくて奏!)
意識の方向性を戻した私は改めて、こちらに倒れてきた奏を見る。
暗くて見えにくいものの、奏の顔は困ったように眉を下げているのだけは確認できた。
「奏、どこ行ってたの? まさかあんな姿で出てくるとは思わなくてビックリしちゃった」
「驚かしてごめん。缶の音が響いた時にビックリしちゃって、出口まで走ったんだけど……途中で足を捻っちゃって」
「そっか。痛いって言ってたけど、立ってるのが辛かったりしない?」
「歩いたらまだ痛いけど、立つだけなら大丈夫」
奏はヨタヨタと私の体から距離を取り、2本の足で立った。
ほら、と言いながら立てている姿を見せる奏は、見えなくとも自慢げな顔をしているように感じる。
そういう雰囲気もあるせいなのか、同い年の奏が大人に『見て見て』と自慢する小さい子のように見えてしまった。
(思わず頭を撫でたくなっちゃった……自制して、私)
伸ばしかけた右手を左手で押さえつけて、一息つく。
奏が立ち上がったので、私もまふゆから距離を取った。
「奏も無事に見つかったし、後は瑞希と合流するだけね」
「わたしのせいでごめん」
「謝らないでよ。瑞希は入り口に戻っただけだから、すぐに合流できると思うし」
スマホで連絡を入れてから出口で待てば、瑞希もこっちに向かって来るだろう。
それならまた、奏がトンネル内で逸れるようなこともないだろうし、安全だ。
そう判断してスマホを取り出すと、文字を打ち込むよりも早くまふゆの声が耳に届いた。
「瑞希、来てるね」
「え、本当?」
「足音が響いてるから」
まふゆに言われるがままに耳を澄ませば、確かに走っているような急ぎ気味の音が聞こえてくる。
流石に幽霊がトンネル内を爆走するとは思えないし、この音の主は瑞希で間違いないだろう。
「おーい! 叫び声が聞こえたけど、大丈夫〜っ!?」
答え合わせするかのように、瑞希の大きな声が響いた。
叫び声、ということは私のあの間抜けな声がトンネルに響いていたのだろうか。そう考えると恥ずかしくなってきた。
「よかったぁ、奏もそっちにいたんだね」
「うん、迷惑かけてごめんね」
「ボクは全然だいじょーぶ! それはともかく……絵名の叫び声が聞こえて慌ててこっちにきたんだけど、何があったの?」
奏に向かって首を横に振ってから、瑞希はこちらに顔を向けた。
言わなくてはいけないだろうか。慌ててきてくれたのだから、言わなきゃいけないか。
私が短い葛藤に苦しんでいると、まふゆがあっさりとバラした。
「絵名が後ろに転びそうになって、叫んだだけ」
「ちょ、もうちょっと説明しなさいよ! あのね、補足すると──」
瑞希が入り口まで戻っている間の話を掻い摘んで説明する。
最後まで話を聞いた瑞希は大きな声を出して笑った。
「あははっ、確かに後ろ倒れるのは怖いもんねぇ。何はともあれ、無事で何よりだよ。奏も絵名も、歩ける? 無理そうなら、帰るけど」
「そうね、あまり無理するのも……」
「でも、奏はまだ曲を作れないんじゃないの? 作れるようになったのなら、帰ってもいいと思うけど」
これ以上ビックリすることは遠慮したいので声を出したのに、まふゆに遮られてしまった。
「うっ。そうだね、まだ難しそう……ごめんね」
そして、奏がそう答えたら私が否とは言い難い。
私はそう思って口を閉じただけなのだけど、別れる前の私の状態が状態だったので、瑞希は心配そうな声で問いかけてきた。
「絵名は大丈夫そう?」
「んー、まぁ。次に行く予定の場所って、暗かったりしないのよね?」
「うん。この先はどちらかというと雰囲気重視って感じかな」
「なら、大丈夫。さっきはこれ以上、怖い思いをしたくないから帰りたかっただけだから」
さっきの痛みだって原因はわかっているし、そこさえ気をつければいい。
さっきみたいに重ならなければ、静電気程度の痛みで済むはずだ。
私が嘘をついていないと判断したようで、瑞希は安堵した様子で揶揄ってきた。
「なーんだ。今の絵名は『ビビリなん』だったかー」
「ビビリって言うな。後、語呂が悪いからやり直しね」
「えぇー、厳しいなぁ」
「厳しくありませんー。ほら、決めたのならさっさと次行くわよ。次!」
こんなところで時間を消費していたら、いつまた第2、第3の狸が現れるかわからない。
私はそういう痛いのが好きでも何でもないので、同じようなシチュエーションで苦しむのはゴメンだ。
平気そうな2人を急かして、私達は真っ暗なトンネルを後にした。
実は事故の記憶だけは体がハッキリと覚えていて、何なら横から車が通る瞬間も怖いし、走ってる車の近くに行きたくないと思っているのが記憶喪失えななんです。