「うぅん……うぁぁ」
「ねぇ絵名。お願いだからゾンビみたいな声を出さないでくれる?」
「無理……絶対に無理」
1枚の裏返されたテストの結果へとチラチラと視線を送りつつ、私は奇声を漏らす。
そんな怪しい奴に声をかけた愛莉はというと、しょうがないわねと言わんばかりの苦笑を浮かべた。
「そもそも、なんでそんなに唸ってるのよ」
「このペラ紙1枚に私の夏休みがかかってて、怖くて見れないの……!」
「そうやって怖がっても、テストの結果はもう決まってるでしょう? 諦めて現実を見たほうがいいわよ?」
──そもそも、絵名ってそんなにテストの結果が悪かったっけ?
不思議そうに問いかけてくる愛莉は、自分のテストの点数が良かったのか平然とした顔だ。
だが、愛莉は私のように制限も何もないから余裕なのだ。
いくら勉強をしていてテストの点数を知っていても、私の夏休みがかかっているのである。怖いものは怖い。
「平均点より上じゃないと夏休みの軍資金が貰えないの。だからお願いします、平均点が下がってますように、私の点数が上でありますようにぃッ!」
「必死ねぇ」
愛莉の苦笑を無視して、私は祈祷しながら裏返していた紙を表に戻した。
お母さんから夏休みのお金を支給する条件として出されたのは『期末テストが全て平均点より上を取ること』だった。
山に、海に、川に森にと電車やバスなどを駆使して行くとしても、お金の問題はついて回る。
愛莉とだって遊びたいし、ここで条件を達成できないと夏休みの計画は水の泡になってしまうのだ。
必死に祈るぐらい、許して欲しい。
「えーと。うわっ、数学ギリギリじゃん」
「見ても良い? ……って、あんなに怖がってたのに、あんな姿からは想像できないぐらい良い点数取ってるじゃない」
「今回の数学、みーんな点数高かったじゃん。先生も『もしかしたら平均点80超えるかもー』って脅してきたし、怖かったのっ」
お母さんに資金援助を求めている以上、1教科も落とせない私は先生の言葉に戦々恐々していたのだ。
それでなくても数学は苦手なのである。体育のテストは座学なので何とかなっても、数学はどうしようもない。
「あぁ……これでちゃんと寝れそう」
「そもそも絵名って普段、ちゃんと寝てるのか心配になるぐらいだけどね」
「2年になってからは授業中に寝てないし、それが睡眠をちゃんと取ってる証拠だからっ! もう、普段は寝てないみたいな発言をしないでよね!」
「でもこの間、委員長が『東雲さんに夜中の2時に連絡を送ったら、すぐに返事が来てビックリした』って言ってたわよ?」
「に、2時とかまだ私の活動時間範囲内だし」
「そんなこと言うから『東雲絵名サイボーグ説』とか、他の子から変な噂を流されるのよ……」
愛莉が言う『東雲絵名サイボーグ説』とは。
事故から復帰した私の成績が急上昇し。
授業態度があまりよろしくなかったのにも関わらず、スマホを触ることも寝ることも無くなった。
更には何時に連絡しても繋がることから、クラスメイトから
実は事故で致命傷だった東雲絵名は機械の体に改造された。
その結果、脳のスペックが上がり、成績も急上昇。
さらに機械の体なので寝る必要もなくなり、授業態度も改善されて、家でも寝ることがなくなった……と。
そんな馬鹿みたいな話が真実なのかどうか、日々議論されているんだとか。
そういう痛々しい設定が大好きなお年頃だからこそ、あんな与太話が彼らの琴線に触れたのだろう。
現実はスケッチブックに記憶を奪われて、願い事を叶えられたらしい、欠陥人間なんだけど。
「はーあ。人をサイボーグやら改造人間やら、人外扱いして何が楽しいんだか」
「それだけ絵名が良い方向に変わったっていう褒め言葉じゃない?」
「あっそ。そうだと良いわねー」
愛莉のポジティブな捉え方そのものは好ましいものの、私にはそんな風に捉えることは難しくて。
皮肉を込めて笑う私に、愛梨は困ったような笑みを浮かべて話題をズラした。
「そういえば絵名はこの前の進路希望書、何て書いたの?」
「とりあえず定番で埋めといた」
「あぁ。神高、宮女って近くの高校で埋めちゃうやつね。てっきり、絵名は美術系の高校に行くと思っていたから、意外だわ」
「……美術系の高校に行くことだけが、道じゃないし」
嘘でもないけど本当でもない。
ただ、絵名が描いていた道をそのまま進んでもいいものなのかと、悩んでいるだけだ。
本当の話は素直に言えなくて、私は自分に向く矢印の方向を反対に向ける。
「そういう愛莉はどこに行くつもりなの? 芸能科があるところとか?」
「今の所は宮女に行くつもりよ。あそこ、単位制もあるから」
「そういえば宮女って学年制と単位制でクラスが分かれてるんだっけ」
愛莉も宮女で、個展の子も宮女。病院の子も宮女と、あそこの学校は人気の場所らしい。
美術系の高校に行かないのであれば、宮女を選ぶのもありかもしれないな、なんて気持ちになりながらも愛莉の話を聞く。
「今のところは活動と学業を両立できてるけど、流石に高校ともなれば難しいと思うのよね。でも、中卒は嫌だし、女子高生としての学生生活を捨てるのも嫌じゃない? なら、宮女が良いんじゃないかと思ってね」
「中学2年生の夏でそこまで考えて選んでるのかぁ……しっかり前を見据えてるし、愛莉は偉いよね」
「それは絵名も同じじゃないかしら」
「確かに、
夢を見据えてだとか、愛莉のように自分でなりたいと思って目指してるわけじゃなくて。
ただ私は、
愛莉と同列に語ったり、比べるなんて烏滸がましい理由である。
「アイドルとかでキッチリ進路を決めてない限り、普通は迷うわよね。他の友達とか、かなり迷ってるみたいだったし」
「先生も仮決めでいいって言ってたのは、そういう子が多いからって理由よね」
「……だから、絵名も好きなだけ悩んでも良いんじゃないかしら」
「え?」
「悩んでるから、決められないんでしょう? なら、ギリギリまで悩んだら良いと思うわ」
「愛莉……ありがとう。もう少し考えてみる」
愛莉は何も知らないのに、そんな中でも言葉を選んでくれたのは十分に伝わってくる。
その優しさが嬉しいのと同時に、うまく言えない自分にもどかしさを感じた。
……………………
「ただいまー」
「おかえりなさい。絵名宛に郵便物が届いてたわよ」
家に帰ると、お母さんから声をかけられた。
机の上に置いてるから、という言葉に従って机の上を探すと、私の名前が書かれた封筒が目に入る。
(あ、これ)
現在の実力を把握する為に送った、夏休みがテーマのアートコンクール。
その結果を知らせる封筒が机の上に鎮座していた。
鞄からカッターを取り出して封を切り、薄っぺらい中身を取り出す。
何となく結果をわかっていたけれど、『落選』という結果を目に焼き付けて、黒く澱んだナニカを息として口から吐き出した。
「お母さん、ありがとう。テストの結果は良かったし、机に置いとくから時間がある時に見てね。後は……今日、ちょっと部屋に閉じ籠るから」
「そうなの……あまり、思い詰めないでね」
「……うん」
愛莉にもお母さんにも心配かけている自分に自嘲して、私は早足に部屋へと戻る。
「〜ッ! あー、悔しいっ!」
結果の用紙はそのままに、それを入れて運んできた封筒をグシャグシャに握って捨てた。
経験も技術も何もかも足りなくて、それを補う努力も足りなかった。
だから、落選だろうとはわかっていたことだけど……それでも悔しい。
それと同時にこんな苦しい気持ちになる自分に、少し安心して笑みが浮かんでしまう。
(でも、よかった……記憶がなくても、何もなくても。少なくとも、絵に関しての『この気持ち』は本物だ)
認められないのが苦しくて、それでも描いてるのが楽しいから、また次は、次はもっと良いものを描きたい。
絵を描きたいって、楽しいって思う気持ちだけは嘘じゃなかった。
──なら、どうして美術系の高校に行こうと思わないの?
美大に行くなら受験範囲の勉強も必要だから、美術系の高校に行けば不利になる。
美術の勉強は今の絵画教室でもできるから、普通科の高校に行って美大に行くべきっていう建前の理由もあるのだろう。
でも、それだけが理由なのかな?
(多分、このモヤモヤはこいつのせい)
隠していた鍵を取り出して、ここ数ヶ月開いてなかった記憶を無くした元凶を見つめる。
東雲絵名から記憶を奪って、願いを叶えた元凶。才能を渡してきた屈辱的な相手。
(そもそも……【所有者の思考を閲覧する権限は現在ありません】 って、ダメダメ! 何弱気になってるのよ。変なこと考えるなんて、思ったより落選がメンタルに来てるのかも)
それに、仮にマイナス思考で考えてしまったことが正しくても、それを認めるわけにはいかない。
それを認めてしまえば、どうして私があの子を殺してここにいるのかさえ、わからなくなってしまうから。
「変なこと考えてる暇があったら、次のコンクールの為にも反省会をしなきゃ」
再びスケッチブックを封印し直し、私は落選と書かれた紙を目に見える所に貼り付ける。
その隣に写真を撮って印刷しておいたコンクールの絵を貼り、ノートを取り出した。
スマホには今回のコンクールに受賞した作品の画像を出して、早速、反省点や他の人達の絵の作品をメモしていく。
(やっぱり賞を取った人達って構図とか上手いし、参考になる所が多いなぁ。こういう人達も越えて、他の壁も山も越えていかなきゃ届かないよね)
今回出した絵はまだ、賞にも届かない実力だった。
次回は秋。夏休みを終えた後に描いて送る予定のコンクールがあるので、そこまでにまた実力を磨かなければならない。
(実力があっても絵描きは画家として食べていけるわけじゃない。上手い絵を揃えて、尚、売れるように動かなきゃいけない)
でも、あの子の居場所を奪って才能を手にしたというなら、足掻いて、踠いて、証明しなければならない。
もしもできないというのなら──私が東雲絵名である理由なんて、ないのだから。
お察しの通り、記憶喪失えななんはアイデンティティが木っ端微塵なので、自己評価が地面にめり込んでます。
次回はカワイイあの子と遭遇編。