転がって転がって、2人で止まるところまで転がること数秒。
服も顔も何もかも泥だらけになってしまった私は、自分の状態を確かめる。
右手は無事。擦り剥いてるところはあっても、奇跡的に大きな怪我もなし、と。
愛莉はどうだったのかとそばに駆け寄ると、愛莉が膝を抑えながら体を起こした。
「いったたた……」
「愛莉、大丈夫? 怪我はない?」
「少し膝を擦りむいちゃったけど、大したことはないわ。絵名は?」
「私も平気。でも……巻き込んじゃってごめんね」
「わたしが巻き込まれに行ったんだから、気にしないでちょうだい。お互い、大きな怪我がなくてよかったわ」
愛莉は泥だらけの人差し指で私の鼻を突き、笑みを浮かべた。
土がクッション代わりになってくれたのか、何なのか。理由は不明だが、そこまでの大怪我はお互いにないようだ。
優しい笑みに感動する気持ちが半分と、冷静な部分が『怪我がなくて良かったな』と水を差すようなことを指摘してくる。
何とも言えない気持ちを飲み込んで、私は自分と愛莉の服を見比べながら肩を竦めた。
「私達、すっかり泥だらけになっちゃった。服の汚れ、落ちなかったら言ってね? クリーニング代払うから」
「別に良いわよ。それにしても……ここまで泥だらけになるのは、バラエティ番組に出た時以来だわ」
「あぁー、もしかしてあの番組かな。あれ見た時は、アイドルってそんなに体を張るような職業だっけって思ったなぁ」
お互いの無事を確かめて呑気に話していると、上から瑞希と雫の声が聞こえてきた。
「おーい、2人とも!」
「ケガはない!?」
「私達は大丈夫。ちょっと滑り落ちただけだから!」
上の2人に聞こえるように叫び、改めて落ちてしまった斜面を見上げる。
途中で木が生えていることもなく、ほんの少しの岩と、掴んだら抜けそうな草しか生えていない。
まふゆや瑞希あたりならひょいひょいと登れる可能性もあるが、私の運動神経は信用ならないので、無理だと仮定して。
もしかしたら、愛莉のバラエティで鍛え上げられた運動能力ならギリギリ、いけるかもしれないという一縷の希望はあるか。
「落ちた以上、こうなったら意地でも登るしかないわよね。頑張ろ、愛莉」
「ええ、もちろんよ。さっさと登って泥を落としましょっ」
愛莉はグッと両手を握りしめてから、上の2人に向かって声をかける。
「2人とも! 今からわたし達で登ってみるから、近くまで行ったら引っ張り上げてくれない?」
「ええ、わかったわ!」
「ボク達の方はいつでもオッケーだよ!」
雫と瑞希の返事も返ってきたので、後は私達がこの急斜面を登るのみ。
何とか運動能力底辺の私でも登れるルートを探そうと、全体を見渡す。
そうやって私が観察に徹している間に、勇猛果敢に斜面に足を伸ばしたのは愛莉だ。
「よーし、今こそバラエティ番組で鍛え上げた脚力を見せてやるわよ!」
愛莉は近くの岩を足掛かりに上に登ろうとするものの、苔があるせいで上手く登れない。
苔のことも考えなければならないなんて、また一段と難易度が上がりそうだ。
それでも何とか登ろうとして、「きゃっ」と短い悲鳴と共に足を滑らせてしまう愛莉の背中を支えた。
「愛莉、大丈夫?」
「苔に足を取られて滑っちゃったけど、絵名のおかげで怪我はしていないわ」
私の手から離れた愛莉の両目が、メラリと火を宿す。
「でも、こんなところで諦めたら、アイドル失格だもの! 絶対登り切ってやるわ!」
「山の急斜面登らなきゃ失格になるアイドルって一体……」
いつの間にアイドルはそんな肉体派だらけの魔境になったのだろうか。
というか、そういうアイドルってどちらかというと『イロモノ』と呼ばれる枠に分類されるのでは……?
私の戦慄に気が付いていない愛莉は果敢に急斜面に挑む。
比較的苔が少ない岩を瞬時に選別し、その岩を足掛かりに急斜面を一気に駆け上がった。
「せーのっ、モアモアジャーンプッ!!」
一気に上まで行けるんじゃないかと思うぐらいの気迫すら感じる勢い。
そんな調子で愛莉は急斜面を登って行ったのだが、急斜面の半分目前で壁にでも阻まれたかのようにその勢いを無くす。
「あっ、ひゃーっ!?」
「愛莉ーっ!?」
勢いを無くしてからの愛莉の転落は早く、吸い込まれるように元の場所まで戻ってきてしまった。
「大丈夫? 怪我はない?」
「平気よ。でも……まさか全然登れないなんて、アイドルとして情けないわ!」
「いや、それとアイドルの仕事は関係ないでしょ」
そんな技能を求められるのは山登り熟練者とかであって、アイドルの必須能力ではない。
呆れた私のツッコミなんて物ともせず、愛莉は登れないかと道を探している。
仮に、ここで愛莉が登れる道を見つけたとしよう。
(でも、それで私も行けるかと言われたら……頑張っても無理よね)
こっちは体育か健康的な範囲内でしか運動をしていない、典型的な文化部である。
こんな状況を作った主犯なのに、急斜面なんて半分も登れる自信がなかった。
とはいえ、登らなくては何も解決しない。
2人で登れないかと悩んで試してみても、やっと半分ぐらいまで登れたという最高記録を更新しただけ。
どうしたものかと泥だらけの手で悩んでいると、頭の上から瑞希の声が聞こえてきた。
「絵名、愛莉ちゃん! ボク、戻って人を探してくるよ! ちょっと時間がかかるかもしれないけど、待ってて!」
「は? 何言ってんのよ、瑞希!?」
山で下手に動くのは危険だ。
瑞希は1人で動くつもりみたいだし、1人で電波の悪いところに遭難なんて状況になったら、最悪過ぎて笑えない。
「道はどうするのよ!? 瑞希だけで行って、迷ったら……」
「愛莉ちゃん、大丈夫だよ。すぐに誰か呼んでくるから、それまで絵名のことをよろしくね。それに、雫ちゃんもここで待ってもらうからさ、安心して待っててよ!」
ちっとも安心できない言葉を残して、瑞希は頭を引っ込めてしまった。
あの様子だと、本当に1人で行ってしまったようだ。
「あのバカ……!」
もとはといえば、私のせいなのに。どうして瑞希が苦労しているのか。
しかも、そうこうしている間に雨まで降ってきて、状況はどんどん悪い方向に向かっている。
「まずいわね、雨が強くなってきたわ」
瑞希が声をかけてから、どれぐらい経ったのだろうか。
空を睨む愛莉の言う通り、小雨だった雨も強なってきた。
雨具もない私達は泥と雨で最悪な状態。すぐに戻ると言った瑞希も戻ってきてなさそうだ。
時間が過ぎればすぎる程、悪い条件が揃っていく。
「これだけ斜面が濡れちゃうと、足を掛けるのは難しそうね」
「こんな雨の中で斜面を登ったら大怪我するってば。瑞希を待って──」
……あぁ。その瑞希も、戻ってきていないんだった。
私が周りを見ていないせいで、愛莉を巻き込んで。
もしかしたら、瑞希も遭難してしまった可能性もある、最悪な状況。
やれることは全部やっても、時間は私達の敵だ。
このまま夜になってしまったら、どうなるのやら。
最悪なことばかりが頭の中でぐるぐる踊って、私の喉から頼りない声が漏れる。
「ごめん、愛莉……私が足を滑らせたせいで、こんなところに巻き込んで」
「もう、何弱気になってんのよ。わたしが良いって言ったらいいの。それに」
落ち込む私を励ますように、愛莉は人差し指を真っ直ぐ立てながら悪戯っぽく笑う。
「どんな難題でも諦めず、アイデアを出して解決しようとする絵名なら、こういう時にも諦めずにズバッといけそうじゃない?」
「それはちょっと無茶振りが過ぎると思うの」
さっきまで脳を雑巾みたいに絞って考えていたのに、そんなすぐにアイデアが出るはずがない。
それでもアイデアを絞り出そうと集中していると、クスクスと笑う愛莉の声が聞こえてきた。
「やっぱり、絵名はそういう姿の方が似合うわね」
「え? そういう姿って?」
「どんなことでも考えて、反省して。苦しくても諦めず、意地でも突破しようとするところ。最近の絵名はどこか諦めてて、疲れてそうだったから……さっきの姿も含めて、心配だったのよね」
「愛莉……」
愛莉は笑っていた顔から一転し、困り顔で力のない笑みを浮かべる。
「絵名ってば最近、スイーツを食べに行った時も疲れた顔をしてたわよね。何か困ってることがあるんじゃないの?」
「そんな顔、してたかな」
「できれば話して欲しいけど、たぶん話せないって言うわよね。ねぇ、絵名。わたしは……ううん、わたしじゃなくても、瑞希や雫でもいいの。わたし達はそんなに頼りにならないかしら?」
「……ううん、そんなことないよ」
なんとか言葉を絞り出したものの、自信のなさが出てしまって弱々しい声に変換されてしまった。
それを聞いた相手にどう思われるかなんてわかりきっているけれど、私は愛莉の言葉を窺うことしかできない。
私が言い直すこともないと判断した愛莉は、小さく息を吐いて言葉を紡ぐ。
「絵名はいつも、わたしを助けてくれたわ。だから今度はわたしが力になりたいの」
「ありがとう、愛莉。でも……ごめん」
「それはどういう意味なのか、聞いてもいいかしら?」
「それは……その」
愛莉が私のことをすごく心配してくれて、何とか力になってくれようとしているのは言葉の端々から伝わってくる。
しかし、私が悩んでいることを話すのは酷く難しく、私は言葉に詰まってしまった。
愛莉も瑞希達も、記憶を無くす前の私を知らないのだから、それ以前の私の話をしても……と思う、私の個人的な理由が1つ。
そして1番大きな理由が──あのスケッチブックのせいだ。
古びた見た目で、中に書いている文字も読めず、廃棄もできない。
あのスケッチブックに絵を描いたせいで、私は記憶を無くしました。
さらに最近では絵を描けとまとわりつかれていて、困っています。
こんなことを伝えようにも、荒唐無稽な話過ぎて、家族にすら言えないのだ。
まだ事故で記憶を無くしました、と言った方が納得できるし、何なら家族も事故のせいで記憶を無くしたと思っている。
何より……仮に信じてもらって、愛莉に私では破棄できないスケッチブックを処分する手伝いをしてもらうとしよう。
その時──私が彰人の時のように愛莉に手を出してしまわないか、どうしようもなく怖いのだ。
私がスケッチブックを処分する相手を襲いそうになる恐れがある以上、人には頼れない。
何より、私自身がコレを上手く人に説明できるとは思えなかった。
「その、これは家族にも言ってないことだから……もう少し、自分で解決できないか悩みたいの」
「わたしが力になれることもない?」
「うん。今はちょっと、難しいかな」
なんて伝えたらいいのかわからないし、今日は念入りにスケッチブックを封じてきたので持ってきてもいない。
信じている、信じていない以前に──現物がないとなんとも説明のしようがなくて、そうとしか言えなかった。
私の反応は求めていないものだったのか、愛莉が少し寂しそうに目を細める。
「……そうなのね。何か力になれることがあったら、また教えてちょうだい。いつでも力になるわよ」
「うん、お願い。とりあえず今は、こっちが優先だけど」
「そうね……まずは、ここを抜け出さないとどうしようもないわね」
2人で空を眺めてみるものの、雨は一向に止みそうに無い。
スケッチブック以前に山に囚われるんじゃないかと思ってしまう状態に、救いの声が響いた。
「おーい、ふたりともー!」
その声は1人で山道を戻っていった瑞希のものだった。
「お待たせ! 助けを呼んできたよ!」
上からでもよく聞こえてくる声と共に、状況が変わりそうな空気。
どうやら──スケッチブックの問題は暗闇の中でも、山に囚われている現状には光が差したらしい。
イベントストーリーでも思ったんですけど、山の斜面から落ちた後なのに、ジャンプできるぐらいに元気なのは何なのでしょうか。
司さんの防御力といい、プロセカ世界にもプロテイン的な何かが空気に混ざってる可能性がありますよね……ギャグかバトル漫画かな?
次回、ピクニック編ラストです。