【完結】人生舐めまくってたギャルが優しい陰キャくんにガチ恋しちゃう話   作:崖の上のジェントルメン

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24.銀河鉄道の夜(1/2)

 

 

 

 

 

……私は今日も、自分の部屋にこもって勉強していた。

 

刻一刻と、受験が私の前へ迫ってくる。その焦りと緊張を胸に、シャーペンを握ってノートと参考書を睨む。

 

(第二次世界大戦の終結は、1945年9月2日……。これが、サンフランシスコ平和条約の締結日……)

 

苦手な歴史を前にして、何度も頭を唸らせる。歴史は覚えることが多い上に、似たような事件や単語がたくさんあって混乱する……。

 

「ふー……」

 

一時間ほど集中していた私は、休憩するために参考書を閉じる。お腹にたまった息を吐くと、少しリラックスできる。

 

こんな時頭の片隅には、いつだって健治さんのことが思い浮かんでいる。

 

(確か……明日の文化祭が終われば、また勉強を教えてくれるって言ってたっけ)

 

あの時のように、また健治さんから勉強を教えてもらえる日を、私はいつもいつも心待ちにしていた。

 

今度は、もっと長く一緒にいたい。午前中とかから会う約束、できないだろうか?次会う時に、頼んでみよう。

 

 

 

『……そんなに簡単に、諦めろとか、言わないでよ……』

 

 

 

「……………………」

 

不意に、お姉ちゃんの言葉が頭に思い浮かぶ。

 

震える声で私に向かってそう言った、あのお姉ちゃんの顔を。

 

健治さんのことを考える度に、必ずあの時のお姉ちゃんのことが強引に引きずり出される。

 

「……………………」

 

シャーペンを持つ手に、思わず力が入る。バキッと音を立てて、シャー芯が折れる。

 

折れた芯と、その破片の粉が、ノートの中央に残された。

 

「……はあ」

 

小さくため息をつきながら、その折れた芯をごみ箱に入れていた時……私の部屋の扉がノックされた。

 

「はい?」

 

私がそう返事をすると、扉を隔てて「深雪、今いい?」と……お姉ちゃんが話しかけてくる。

 

「…………なに?なんの用?」

 

私は、少しぶっきらぼうな感じで返す。するとお姉ちゃんは、「話したいことがあるの」と言ってきた。

 

「話したいこと?」

 

「……うん」

 

「誰?私に?」

 

「そう」

 

「……………………」

 

一体何を話すつもりなのか、私にはまるで検討がつかなかったけど……とりあえず私は、扉を開けてみることにした。

 

 

ぎぃ……

 

 

「……………………」

 

部屋の外にいたお姉ちゃんを見た瞬間、私は思わずギョッとした。

 

それは、お姉ちゃんの顔がひどくやつれていたから。

 

目の下にクマができていて、覇気がない。それに……頬にはうっすらと、涙の跡があった。

 

「ど、どうしたの?」

 

さすがに気になってしまった私は、お姉ちゃんへそう尋ねた。でもお姉ちゃんは私の問いかけには一言も答えず、「部屋に、入ってもいい?」と、掠れるように小さな声でそう告げた。

 

「う、うん、いいけど……」

 

その雰囲気に気圧されて、部屋に入るのを承諾した。お姉ちゃんは私のベッドに腰かけて、じーっと何かを考え込んでいる。私はそんなお姉ちゃんのことを、立ったまま見下ろしている。

 

「……ねえ、深雪」

 

突然、お姉ちゃんの口が開いた。私が「なに?」と言って返すと、お姉ちゃんはうつむいたままさらに言葉を投げかけてきた。

 

「昔っからさ、アタシ、深雪によくいたずらしてたよね」

 

「……………………」

 

「洋服の中に芋虫入れたり、足引っかけて転ばしたり……」

 

「……うん。で?それがなに?」

 

「……………………」

 

……それからまた、お姉ちゃんは押し黙ってしまった。お姉ちゃんのやりたいことがよく分からなくてやきもきするけど、ひとまずお姉ちゃんの言葉を待つことにした。

 

「……深雪はさ、アタシなんかよりもずっと真面目で……」

 

「……………………」

 

「それに……優しいと思う」

 

「優しい?」

 

「アタシがケンジのこと騙してたのを知った時、アタシのことめちゃくちゃ怒ったじゃん」

 

「……………………」

 

「深雪が誰かを殴ったりするのって、見たことなかったから……あの時は凄いびっくりした」

 

「……………………」

 

「アタシなんかよりも……ずっと深雪の方が、優しいよ」

 

……私はその言葉を聞いて、胸の奥がチクッと痛くなった。

 

だって、お姉ちゃんを殴ったあの時、私は確かに健治さんのことを想って怒っていたけれど、同時にお姉ちゃんへの……今までのムカつきや憎悪をぶつけるチャンスだと思っていた節がある。

 

だから、純粋な善意かと言われると、そうじゃない。そのことについて、私はなんだかバツの悪い気持ちになっていた。

 

「なんなの?お姉ちゃん。いきなりそんな話して」

 

「……………………」

 

「用件を言ってよ。今のまんまじゃ、お姉ちゃんが何を言いたいのか分かんないよ」

 

私は意味不明なお姉ちゃんの言葉が怖くて、早く答えを急かした。

 

するとお姉ちゃんは、すっと顔を上げて、私のことを見上げた。

 

「……………………」

 

その時の……その時の表情を、私は死ぬまで忘れられないんじゃないだろうか。

 

お姉ちゃんの顔は、あまりにも悲痛で、その上で……何か本当に決心したように見えた。

 

「あのね、深雪……」

 

お姉ちゃんは、震える声で私に言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……10月15日、土曜日。

 

いよいよアタシたちが待ち望んでいた、この日がやって来た。

 

『次は、二年三組による“銀河鉄道の夜”です。二年三組のみなさん、準備をお願いします』

 

体育館内にそのアナウンスが流れると、幕が降りている舞台の上を、美術係が急いで小物を置いていき、役者たちが衣装を着て舞台へと上がる。

 

アタシは緩くストレッチをしながら、身体にたまっている緊張をほぐしていた。

 

「ふー……」

 

そんなアタシの隣には、ケンジがいた。

 

彼はアタシ以上に緊張しているらしく、手にたくさん汗をかいていて、握っては開き握っては開きを繰り返していた。

 

何度も深呼吸をしたり、瞬きを何回もしたりと、とにかく落ち着いていない様子だった。

 

「……緊張するね、斎藤」

 

アタシがそう言って話しかけると、ケンジは静かに頷いた。

 

「そうだね、いよいよ本番だ」

 

「斎藤なら、きっと大丈夫だよ。絶対上手くいく」

 

「そうかな?」

 

「うん、アタシはそう信じてる」

 

「……そっか。ありがとう」

 

「うん」

 

「……………………」

 

「ねえ、斎藤」

 

「なに?」

 

「劇が終わった後、少し時間ある?」

 

「時間?」

 

「話したいことがあるの」

 

「話したいこと?」

 

「うん」

 

「……劇が終わった後だね?分かった、いいよ」

 

「……ありがとね、斎藤」

 

「うん」

 

劇の始まりを告げるアナウンスが、体育館内に鳴り響いた。

 

『それでは始まります。二年三組による、銀河鉄道の夜』

 

「斎藤、行こ?」

 

「そうだね」

 

ゆっくりと幕が上げられていき、舞台に照明が照らされる。

 

アタシたちの劇が、ついに開幕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……一番の主人公であるジョバンニは、どの場面にも、全シーンに必ず登場する。

 

ジョバンニを追って話が進むし、ジョバンニが出ないシーンはほとんどない。

 

アタシが演じるカムパネルラも、ジョバンニに次いで登場する頻度は多いけど、意外と銀河鉄道に乗るところ以外は、舞台裏でみんなの演技を眺めていることが多い。

 

「母さん、ただいま。具合はどうだい?」

 

「ああ、お帰りジョバンニ。今日は涼しくてね、私はずうっと具合がいいよ」

 

布団に寝ている母親と、そばに立っているジョバンニ。優しく母へ語り描けるその姿は、ジョバンニらしくもあり、ケンジらしくもあった。

 

「母さん、今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思ってね」

 

「ああ、いいんだよ。私はまだ大丈夫だから」

 

「でも、母さんだって何か口にしなきゃ」

 

「私はゆっくりでいいんだから、ジョバンニ、お前先におあがり」

 

やっぱりケンジは演技が上手だ。改めてそう思う。なんていうか、動きが自然で演技っぽさがない。本当にジョバンニがそのままそこにいるような、そんな存在感がある。

 

(きっと、いつもこうやって、ケンジママの面倒をみてあげてるんだろうな……)

 

ケンジの私生活が、ぼんやりとだけど見えてくる。そんな場面だった。

 

 

 

「やいジョバンニ!お父さんがラッコの上着を持ってくるよ!」

 

場面が変わり、ジョバンニがいじめっ子に意地悪を言われるシーンとなった。

 

クラスのお調子者である長崎くんが演じる、いつもいじめっ子のザネリ。これもまたいろんな意味でハマり役だった。

 

確かに意地悪な役なんだけど、長崎くんのオーバーにふざけた言い方が、良い感じに笑える雰囲気になってた。

 

そのお陰か、客席からも、クスクスと笑い声が聞こえてくる。

 

「……………………」

 

でもアタシは、その場面では笑えなかった。決して長崎くんが面白くないというわけじゃない。ただ……。

 

 

『わっ!なんこの写真の量ー!えげつなー!』

 

『えーー!?めっちゃ撮ってるじゃーん!』

 

『こんなに撮らんでよかったのになあ!佳奈もようやるわ!めっちゃニコニコやん!』

 

『ほんとだー!へえー!本当のカップルみたい!』

 

『すごいなあ佳奈!将来は演技派女優なんちゃうー?』

 

 

きゃはははははははっ!!

 

 

 

……友達の真由と亜梨沙が、ケンジにひどいことを言ってた日のことが、いつも思い出されてしまう。

 

だからジョバンニがクラスメイトたちからいじめられるシーンは、本当にいつも観るのが辛い。だって演技とは言え、ケンジが意地悪を言われて悲しそうになる場面なんだから。

 

「……なんだい、ザネリのやつ」

 

ジョバンニの寂しい呟きが、体育館の中を静かに満たしていた。

 

その台詞を聞いた観客は、一瞬にして静かになった。

 

「……斎藤くん、すごいね」

 

「ね、なんかよくわかんないけど、迫力あるよね」

 

アタシの後ろに控えているクラスメイトたちが、ひそひそと声をひそめて話していた。

 

「斎藤くんってジョバンニに選ばれてからまだ3日しか経ってないのに、あんなに上手いのヤバイよね」

 

「うん、結構意外かも」

 

「もしかしたら、演劇部?的なのに入ってるのかな?」

 

……後ろの人たちの話を聴きいていると、つい口を挟みそうになる。

 

ケンジは、慣れてるわけじゃない。緊張に震えながらも、必死に頑張ってるの。

 

そして、ケンジがあんなに上手いのは、銀河鉄道の夜が大好きで、ジョバンニに感情移入できるからなの。

 

「こう、斎藤くんの演技ってさ、ナチュラルだよね」

 

「そうそう、リアリティあるよね」

 

リアリティとかじゃないよ。リアルなの、ケンジにとって。

 

お母さんのこととか、いじめられてたこととか。

 

だからケンジは上手なの。

 

「……………………」

 

アタシは、舞台上で独りぼっちになるジョバンニを、ただ静かに見つめていた。

 

アタシだけが知るケンジの背景に、想いを馳せながら。

 

 

 

 

 

……劇は順調に進み、いよいよジョバンニが銀河鉄道に乗るシーンになった。アタシもとうとう、ここから出番になる。

 

「ここは……汽車の中?おかしいな、僕は確かに、今しがたまで丘の上にいたのに……」

 

そうして椅子に座ったジョバンニが、辺りをキョロキョロと観ている。

 

今はジョバンニにだけ照明が当てられていて、周りの景色は真っ暗だった。

 

この時、暗闇の中でジョバンニに対面して座っていたアタシにも、新たにスポットライトが当てられた。

 

観客からしたら、カムパネルラが暗闇から突然現れたように見える演出だった。

 

「カムパネルラ!」

 

ジョバンニは驚きながらも、嬉しそうな顔でアタシを見ていた。

 

「君もこの汽車に乗っていたのかい!?」

 

「……やあ、ジョバンニ」

 

「君はてっきり、みんなと川へ行ったとばかり思っていたから、ここでこうして君に会えるなんて、思ってもみなかったよ!」

 

「……………………」

 

ジョバンニの嬉しそうな顔が、アタシの心を締めつける。

 

『君に会えるなんて!』って、そんな風に喜ばれるのが、たとえ演技と分かっていても、嬉しくなってしまう。何回もこの場面を練習したのに、やっぱりその都度喜んでる。

 

(……ケンジは今、どんな気持ちなんだろう)

 

アタシに向かって、演技だけどこんなこと言うのって、嫌だったりしないだろうか。

 

「ねえジョバンニ、あの河原は月夜だろうか」

 

「月夜でないよ、銀河だから光るんだ。わあ凄い!もうすっかり、天の野原に来たね」

 

「ああ、ご覧よ。りんどうの花が咲いている。もう秋だね」

 

3日っていう短い期間だったけど、何回も何回もケンジと練習した台詞を、アタシはすらすらと口にしていた。

 

 

銀河鉄道には、たくさんの人が乗ってくる。

 

鷺っていう鳥を取る人や、灯台守。それから、タイタニック的な感じで、氷山にぶつかって沈んだ船に乗ってた人たちもいる。

 

特にその船に乗ってた人たちとの絡みは多い。若い男の家庭教師に、その教え子の姉弟が一人ずつ。姉にはかおる、弟にはタダシって名前がついていて、この姉弟と仲良く喋るシーンがある。

 

「ねえ、あそこに見える星はなんだろう?」

 

ジョバンニがそう言って、窓の外に光る赤い星を指さした。

 

アタシはそれを見て、「さそりの火だね」と答える。

 

「さそりの火ってなんだい?」

 

ジョバンニがそう聞くと、アタシの隣に座るかおるがこう言った。

 

「さそりの火なら、私知ってるわ。さそりが焼けて死んだの。その火が、今も燃えているのよ」

 

すると、今度はジョバンニの隣に座るタダシがおっきな声を出した。

 

「さそりって、虫だろう!?」

 

「ええ、そうよ」

 

「さそりはいい虫じゃないよ!尾にこんなカギがあって、それで螫さされると死ぬって、そう先生が言ってたよ!」

 

「そうよ、だけどいい虫だわ。お父さんがね、こんな話を教えてくれたの」

 

お姉ちゃんが静かに、淡々とそのお話を語る。

 

「昔、バルドラの野原に一匹のさそりがいたの。そのさそりはいつも、小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって」

 

お姉ちゃん役の内藤さんは、女の子にしては声が低い方で、こういう時に淡々と喋る感じがとても似合っていた。

 

「ある日、そのさそりがイタチに見つかって、食べられそうになったんですって。さそりは一生懸命に逃げたんだけど、それでもイタチに捕まりそうになったの。その時、うっかり前にあった井戸の中に落ちてしまったんですって。その井戸からは、もうどうしても上がれなくて、さそりは溺れはじめたのよ」

 

お姉ちゃんのお話を、みんなが黙って聞いている。穏やかだけど、どこか物悲しいBGMがひっそりと体育館内に流れている。

 

「そんな時にさそりはね、死ぬ間際に、こう言ってお祈りしたというの」

 

 

 

──ああ、私はいままで、いくつのものの命をとったかわからない。

 

そしてその私が今度イタチにとられようとした時は、あんなに一生懸命逃げた。

 

それでもとうとう、こんなになってしまった。

 

ああ、なんにもあてにならない。どうして私は、私の身体を黙ってイタチにくれてやらなかったろう。そうしたら、イタチも一日生きのびたろうに……。

 

どうか神さま、私の心をごらん下さい。

 

こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの次には、真のみんなの幸いのために、私の身体をおつかい下さい……

 

 

 

「……そうしたら、いつかさそりは、自分の身体が真っ赤な美しい火になって、夜の闇を照らすようになったと、お父さんはそうおっしゃったわ」

 

「……………………」

 

……改めて聞くと、この話、すごく印象に残る。

 

今までずっと食べる側だったさそりが、食べられる側になった時に「どうして自分の身体をあげなかったのか」って、そう自分を責めるさそり。

 

そのさそりの気持ちが、今のアタシにはすごく分かるような気がした。

 

上手く言葉にできないけど、この話を聞く度に、胸の奥がジンジンと痛くなる。

 

 

『自分を犠牲にするっていうのは、銀河鉄道の夜という作品にとって、非常に大事な要素になる』

 

 

電話口で聞いたケンジの言葉が、頭の奥で鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 

その姉弟たちも途中で降りて、ついにクライマックスになった。

 

舞台にいるのは、アタシとジョバンニだけ。

 

「カムパネルラ、また僕たち、二人きりになったね」

 

「……ああ、そうだねジョバンニ」

 

「ねえ、カムパネルラ。これから僕たち、どこまでもずっと一緒に行こう」

 

「……………………」

 

ジョバンニがそう言ってきてくれるけど、アタシはこの時、劇のこととは全く別のことを考えていた。

 

アタシは劇が終わった後、ケンジにあの事を謝るつもりだった。

 

あの、嘘コクしてしまったことを。

 

傷つけてしまった全部のことを謝って、ちゃんとケジメをつけて……。

 

そして、この日を最後に……。

 

 

 

アタシはケンジへ、二度と近寄らない。

 

 

 

もう話しかけることもしないし、そばに寄ることもない。

 

そして、今日は深雪のことを文化祭に呼んでいる。

 

ケンジと一緒に、過ごしてもらうために。

 

 

『……本気なの?お姉ちゃん』

 

 

昨日の深雪の声が、私の頭を掠めていく。

 

 

『諦めるの?健治さんのこと。好きでいるのを止めるつもりなの?』

 

『ううん。好きなのを止めるんじゃないの。好きだからこそ、離れようと思ったの』

 

『……………………』

 

『アタシはケンジを傷つけてしまった。そんなアタシがケンジのそばにいるよりも……アタシよりずっと優しい深雪が、ケンジのそばにいてくれた方が、きっとケンジも幸せでいられる』

 

『お姉ちゃん……』

 

『こうするのが、きっと一番なの。ケンジのことを考えるなら、きっとこれが』

 

 

そう、ケンジの幸せのためにも、アタシは身を引くべきなんだって、昨日それを決心した。

 

ずっとずっとそのことで悩んでて、本当に、枕が涙で濡れてしまうくらいに悩んだ。苦しくて苦しくて、身体中が引き裂かれるくらい辛くて、何度断念しようとしただろう。

 

でも、アタシはついに決心した。

 

それがケンジにとって一番いいと思うなら、それをやらなきゃいけない。

 

そもそもアタシは、深雪から殴られた時ですら、「アタシよりも深雪の方が似合ってる」って思ってたんだもん。

 

趣味も合うし、真面目だし、気配りのできる深雪こそが、ケンジに相応しいって。

 

でも今までアタシは、ケンジのことをちゃんと考えられてなかった。ただただ自分がケンジのこと好きだから、一緒にいたいからってだけで、ずっとずっと未練がましくそばにいようとした。

 

ケンジはアタシと別れてから、一度もアタシに笑いかけてくれなくなった。そりゃそうだよね、自分のこと騙してた元カノなんて、嫌いになるに決まってる。

 

アタシが話しかけると、いつも悲しそうにしてたり、困った顔をしてたりする。こんな単純なことをちゃんと分かってなかったアタシが、ケンジを幸せにできるわけがない。

 

だから、ちゃんと真剣にケンジのことを想うなら、離れた方がいい。

 

ケンジが、本当に幸せでいられるために……。

 

「みんなの本当の幸せを探しに、どこまでもどこまでも、僕たち一緒に進んで行こう。ね、カムパネルラ」

 

「……………………」

 

「……?カムパネルラ?」

 

ジョバンニが、心配そうにアタシのことを見つめている。

 

アタシはなんだかやりきれない気持ちでいっぱいになって、下を向いて、ぎゅっと口をつぐんでしまった。

 

「……………………」

 

「……田代さん?」

 

「!」

 

その時、彼が観客に聞こえないように声をひそめて、アタシの名を呼んだ。

 

アタシはすぐに顔を上げて、彼の顔を見つめた。そこにいたのはジョバンニじゃなくて、ケンジだった。

 

きっとケンジは、アタシが台詞を忘れたのかも知れないと思って、心配してくれているんだろう。

 

ああ、ケンジはやっぱり、いつだって優しい。

 

「……………………」

 

……ねえ、ケンジ。アタシ、あのさそりのようになるよ。本当のカムパネルラになるよ。

 

さそりが自分の身体を燃やしたように。カムパネルラが、川で溺れている友だちを助けるために死んだように。

 

アタシもあなたのために、自分を捨てます。

 

「……………………」

 

本当はケンジのことが、たまらなく好きなの。

 

本当に、本当に一緒にいたい。

 

ケンジの優しい声が聞きたい。ケンジの柔らかい匂いを嗅ぎたい。ケンジの穏やかなぬくもりを感じたい。

 

でも……もう、ケンジには迷惑かけたくないし、困らせたくない。

 

ずうっと幸せでいてほしい。

 

だから……だから……。

 

「……ああ、ジョバンニ」

 

アタシは震える唇で、カムパネルラとしての台詞を告げた。

 

 

 

 

「ボクたちは、これからもずっと一緒だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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