だいたいタイトルそのまま。

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TS兄の胸を揉む妹の話

 人生は驚きの連続だ。

 

 なんて言葉は陳腐でありふれていてそこらの街角の花屋ですら売っていそうですらある。

 が、実際にこの言葉を眼前の現実に当てはめてみれば、例え驚きは連続していたとしても、常識の範囲内に留まる。情報飽和社会と呼ばれる今の時代、インターネットでその驚きを検索してみれば、同様の体験や経験などごまんと転がっているのだ。

 

 いわばソシャゲにおいて課金必須の最高レアのキャラクターがいたとしても、その実フレンドに、SNS上に入手している人物が星の数ほどいて、なんならより極上の神引きをしている者で溢れかえっているように。

 非常識と言える存在は一握りで、そんなものと出会うことなどあり得ない。

 

 つまりは、なんだかんだ言って人間の限界は常識に収まる。

 あるいは、常識とはその時代の人間の限界によって作られる。

 

 それが、傘形(かさなり)カサネという少女の経験則からなる若干擦れた人生の絶対原則だった。

 兄含め親族にさえ語ったことなどないが覆りようのない完璧な論理であると自負していた。

 

「おー、ようやく来たか、わがいもーとよ。さあ、胸を存分に揉むがいい」

 

 ───兄が幼女になる(アサオン)という超弩級異常事態に真っ向から直面するその瞬間までは。

 

 

***

 

 日曜の晴れ渡った昼。

 本来ならば平日の古傷を癒すために与えられた学生という戦士の休息の日。

 

「は? え、あの、その、どなたですか?」

 

 であるはずなのに、カサネの優雅な日常は悉く破壊されていた。

 兄の椅子に腰かける謎の無表情鉄面皮の美幼女の存在によって。

 

 自身が高校に入学してから何かと関係が薄くなりがちだった兄、傘形タバネにラインにて突然呼び出されたと思えば、コレなのだ、さもありなん。

 むしろ、相手の身分を聞くという極めて常識的な行動を第一に取ることが出来たのは上々と言えよう。

 

(ワレ)は兄。汝は妹。己が信じた欲望(エロス)の為に、あまねく冒涜を省みぬ者よ───」

「───ストップ! ストップ!!」

 

 が、幼女の返答は要領を得ないものだった。

 というか完全にふざけていて、遊ばれている。

 この状況で幼女が遊び心を発揮できるほど余裕があるということで、あの兄が別段誘拐などの性犯罪に及んだわけではなさそうだ。それでも素性の知れない人間──それも幼女──が自身の家にいるというのは困惑に足る事態なのだが。

 

「なに? ここからがいいところ、邪魔しないで」

「いや、何じゃないから、可愛らしく小首を傾げられても許されないから、ちょっと許しそうになったけれど不法侵入は犯罪だから」

 

 美幼女である眼前の女の子が無表情ながらに小首を傾げていると、国まで傾いて、司法など放り出してしまいそうになるが、理性の枷を働かせ何とか押しとどめる。赤スパチャと共に全力で保護してやりたくもなるが、今は我慢だ。きっと彼女はそうやって自身の容姿を鼻にかけて、付け上がり道を踏み外してしまった哀れな子(メスガキ)のだ。

 ならばこそ、今ここであたしがワカラセなければ。

 

「不法侵入じゃない、我は兄、真なる兄」

 

 カサネのそんなどこか危ない決心を知らずか、あるいは知ったうえでどこ吹く風なのかともかく、幼女は表情筋を微塵も動かさず、平坦な体形と同じく抑揚なく戯言をうぶく。

 

「だからペルソナはお腹いっぱいだって!!」

「今のはシャドウのだし」

「そんなのどうでもいい! 重要なことじゃあない……いや、今なんて?」

 

 脳の処理が追い付かず、発言の内容まで注目していなかったが何やら聞き捨てならないことを言っていたような気がする。思い返してみれば、彼女は一貫して「自身はお前の兄だ」と主張していた。

 第一声で「我が妹よ」と言っていたし。いや、割と舌足らずな発音なせいで憶測になるが。

 

「かつての約定を果たすときだ。我は兄。汝は妹。己が信じた欲望(エロス)の為に、あまねく冒涜を省みぬ者よ。その欲望(リビドー)、我が胸と共に解き放て! たとえ地獄に繋がれようと全てを己で揉み定める、強き情念(パトス)の力を!」

「さっきのと違くない?」

「ペルソナの方もせっかく考えたから、一回ぐらい、さいごまで言いたい」

「いや、その気持ちは分かるけどさ……」

 

 使わないともったいないお化けが出る。

 そのようにいい含められて育った身としては、例え実物がなく流用が可能なものであっても、せめて一度くらいは本来の用途で使っておきたい。その心情は深い共感と共に理解できる。

 

 が、それは。

 

「今いう必要ある?」

「あんま、ない、かな?」

「だよね」

 

 なんか、こう気勢を削がれてしまった。

 何故彼女がここにいるのかを、熟考していたカサネだったが彼女のネジトんだ発言でどうでもよくなった。

 一応、アニメないしゲームなどを遊べる環境にあるということで、貧困に喘ぎ傘形家に強盗に入ったなどという学校にテロリスト(中二御用達)レベルのぶっ飛び仮説が否定されたからだろうか。

 冷静になってみるとどうしてこんな妄想を現実的な可能性と思っていたのだが、カサネは若干恥ずかしくなった。

 普通にタバネの知り合いの妹やカサネの知らない親族などで、一時的に預かるという事態になった。それで共謀して、カサネを呼び出しからかっているのが真実だろう。

 

「それであなたは誰?」

「おっす、オラ傘形タバネ、十七歳。誕生日は十月の二十一日で血液型はAB型。身長と体重は……図ったら教えてあげる。趣味は人観察で、好きなもの(ライダー)タンク&タンク(鋼鉄のブルーウォーリア)……後は、彼女彼氏いない歴は年齢と同じ」

 

 何だか台詞だけは妙に元気一杯な雰囲気が漂っているのに、実際の幼女は先程までの発言と同じく無表情無抑揚だった。

 もしかすれば表情筋と声帯がフランス人でストライキを起こしているのではなかろうか。人形のような、と形容出来そうな幼女の優れた容姿はどこか異国の血統をも思わせるのであり得るかもしれない。

 

「はあ、まあいいか、お兄ちゃんそろそろ出てきてよ」

 

 さすがにこの見た目の割に言動がエキセントリックでカロリー重めの幼女の相手に辟易としてきた。どこかで隠れているか、隠し撮りか何かで見ているであろう兄に呼びかける。リアクション含めそろそろ頃合だろう。

 

わたしが兄だ(I am your brother)

「いやいや、そういうのはもういいから。食傷気味だから。この茶番を終わらせよ?」

「茶番じゃない朝起きたらこんな姿になってた。あなたの兄はこの幼女ちゃんだ」

「何? ヘルメースときこり(金の斧の逸話)か何か? あたしの兄はあなたのような可愛らしいお人形さんみたいな幼女ちゃんじゃなくて、スーパー陰気でギャルゲ主髪(モノズヘッド)のギークボーイです」

「正直でよろしい。そんなあなたには可愛らしいお人形さんみたいな幼女ちゃんアニキをぷれぜんとふぉーゆー。スーパー陰気でギャルゲ主髪(モノズヘッド)のギークボーイな兄は出荷よー」

「そんなー」

 

 これは兄が幼女相手に性犯罪を働き、豚箱に出荷され、代わりに被害者たる彼女を両親が迎え入れたとか、そういう話だろうか。ないな。あれはそんなことができるほどの度胸はない。

 さっきの妄想と同じぐらいに非現実だ。

 

 とすると、彼女が兄本人?

 

 否。それこそ非現実(ナンセンス)空想的(ファンタジー)だ。学校にテロリストと同様のあり得ない夢物語(アサオン)に過ぎない。

 そして、えてしてこの世界はそういった人々の夢を肯定しないし、許容すらしない。

 先程の例の方がまで現実的だ。

 

 わりい、やっぱ犯罪者だ。兄。

 

「はあ、めんどいから戻っていい? バンドの練習とかしたいし」

「うわぁ高校入った途端に急に陽キャぶりやがってこの野郎。ガールズバンドとかとりあえず流行に乗りました感がイラっとする。マジとか遊びとか関係なしに癪に障る。愛馬擬人化ゲームのエロい方の寮長の隠れ一般一方通行同担拒否夢女の癖に!!! ぼっちじゃねえならロックするな!!!!」

「その陽キャと陽キャの皮被った陰キャに対する不理解とド偏見からなる死んだ魚を丸呑みしたタイミングでこの世すべての悪に汚染されたかのような腐りきったその目は───我が兄、タバネではないか!!」

「最低山月記やめろ」

 

 だが、淀んだ目は傘形タバネ以外には不可能極まりない。

 もし仮にこの目を余人、それもこのように幼い子が出来る得る社会になったのならばカサネは首括って死ぬ。

 だから、取り敢えずこの子は兄、と仮定する。まだ生きていたくなってるから。

 

「で、何でお兄ちゃんが幼女になってるの?」

「いや、普通に、朝起きたら」

「そっか、ならしょうがないか」

「兄と認知してくれるのは、うれしいけど、あっさりしすぎじゃない?」

「なっちゃったものはしょうがないし、眼前のお兄ちゃんが(ホンモノ)だろうが(ニセモノ)だろうが、前よりいいのは確かだし」

「一理ある。いや十理飛ばして百理ある」

 

 誰だってスーパー陰気でギャルゲ主髪(モノズヘッド)のギークボーイな兄よりも可愛らしいお人形さんみたいな幼女ちゃんアニキの方がいい。少なくともカサネはそう思う。諸条件を天秤にかければ後者を選ぶほかない。

 

「そういえば、お兄ちゃんその平淡かつ舌足らずな感じの幼女口調は何?」

 

 言外(ブリカス風)に「十七にもなって恥ずかしくないんですか?」という意図を込めて問いかける。

 外見的に全く持って問題などないのだが、中身を思うと若干引く。

 

「最初はわかりやすいし、楽だから、普通にオレ口調で行こうと思った、けど、鏡見たら似合わなかった。だから、これにした、それだけ」

「あーなるほど。確かにオレって感じの見た目ではないよね」

 

 再三言うようだが、タバネの容姿は現在“可愛らしいお人形さんみたいな”幼女である。

 触れればたやすく手折れそうな儚さで、ボーイッシュという言葉とは無縁だ。

 眼前の幼女が俺口調で喋ったら、違和感が強い。

 

「それに、TS女子で、オレ口調使うなら美人グラマー系ボンキュッボン長髪お姉さんで、精神的な同性故の気安さを発揮して勘違いを量産するタイプ、にこそ相応しいと思ってるから」

「あ? TS女子でオレ口調使うのはカワイイ系女子高生の容姿になってしまったせいで友人なんかに連れられて無理矢理スカートなんかの女性ものの服着せられて、普段は超強気なのに羞恥に悶えさせられる感じの娘が使う方がイイに決まってんじゃん。頭沸いてるの? お兄ちゃん」

 

 ……………………………………………………………………………………。

 

「なんだぁ? てめぇ」

「お? 久々に大乱闘()るか?」

 

 一瞬で場が温まった。互いの主張は一致し共有できそうでいてズレている。よって、戦争は免れない。

 カサネは青筋が浮かび、タバネは無表情なので分かりづらいが多少目が細められた。

 この場を怒気が支配していることは語るまでもない。

 

「……ようそ、イモウトラマン」

「そうだね、今語り合っても何も解決しないし」

 

 が、一触即発の中、互いにギリギリの一線で踏みとどまった。

 英国議会的に言えばソードラインを寸前で越えなかった。

 ひとえに今のタバネの容貌にオレが似合わないという点では解釈が一致していたが故にだ。

 だが、内心では相手の性癖が認められず、いずれ武力を用いてでもワカらせるつもりである。

 この世から争いがなくならない七つの理由の一つ。基本的人権の中に性癖主張権と性癖追求権を含んだ(含まれていない)という人類史最大の失敗、その一端が垣間見える場面だ。

 

「あと、幼女というガワを被ったから、そのTPOに合わせてるだけ」

「TPOって何だっけ? (T)ポリコレ(P)(O)の三つだっけ?」

「なんか、Pだけ異常にIQ、高くて、他が著しく低くない? 家庭科で、習わなかったの?」

「習ったような、習わなかったような」

 

 ちなみに正解は(time)(place)場合(occasion)である。

 

「という、わけで、本人確認も終わったし、はよ、胸揉め」

「はい?」

 

 決して長くも太くもない幼女らしい両手を広げてカサネを迎えるポーズを取る。

 その脈絡のなさにカサネは困惑した。

 混乱も大本である謎の幼女が兄であると判明し、一旦の落ち着きを見せたところでこの爆弾発言だった。

 

 何故、性転換した兄の胸を揉まねばならぬだ? いや揉めたらうれしいけど。

 それはそれとして、もはやいっそ哲学的な問答の域に達しつつある。

 

「だから、はやく、揉めよ、妹めが」

「いや、どういうこと?」

 

 どうしたって、理解が出来ない。

 何といっても、論理が破綻している。

 あまりにも、文脈が行方不明だ。

 

「わたしもなるべく早く済ませたい、だから、ヤるなら早くして」

「だからそこに至る過程を説明しろっていっての! バカ兄めが!」

 

 何か兄が譲歩しているような態度が気にくわなくて、怒鳴る。

 繰り返すようだが、何故、性転換した兄の胸を揉まねばならぬだ? 一般倫理というものをどこか遠くで置き去りにしてまったかのような、世紀末でもあり得るか疑問を挟む余地のあるくらいだ。

 

「あなた、もしかして、覚えてないの?」

「何を?」

「……昔、あなたに、『もし俺が朝起きたら女の子になってたらどうする?』って聞いたとき、あなた、自分がなんて答えたか」

「ナニソレ? そんな話したっけ? まったく覚えがないんだけど?」

 

 思い出せる限りでは兄とそんな世紀末みたいな会話をした覚えは一ミクロもない。

 実際どこの地獄の会話だよ。仮定からしておかしい。こうして実現したからまだ有意義な気がしないでもないが、ほぼほぼ無意味な議題だ。

 むしろ、そんな益体のない会話をイチイチ覚えているほうが異常と言っていい。

 とある魔術の人(インなんたらさん)なんかと違ってカサネの記憶能力は不完全なのだ。

 

「ほんとに、覚えてないの? わたし、あの一言が、衝撃的、過ぎて、いまだに脳内再生、できる、くらいなのに? 覚えてないの?」

「記憶にございません」

 

 けれど、タバネはかなり意外そうにしている。

 漫画的表現ならば、その両の目が正円で描かれるくらいには丸めて驚愕している。

 先程までまるで、動きを見せなかった表情筋を使ってまで、表すことなのかと疑問を覚えないでもないが。

 ともかく覚えがないのは確かなので、カサネはテレビの政治家の常套句を口にする。

 

「あなたはそのとき『胸は大きい? 小さい? まぁどっちにしても揉むんですけどねフヒヒww』って言った」

 

 どうやら、かつての兄妹は地獄みたいな話をしていたらしい。世紀末かよ。

 

「いや、言ってない! そんなこと絶対言ってないから、少なくとも、フヒヒは言ってない!! 言ってたとしてもそんな発音してないから!!」

「いいや、言ってた。原文ママ、一字たりとも誤字はないし、発音も完全再現。大人しくおのれの罪と業を、それから若さゆえの過ちを、認めて。お前は、高校に入ってから、ロンタリング、しただけの、紛い物、本質は別。だから、欲望のままに揉んで? 欲求を解消して?」

 

 カサネの正体を、本性を、根底を糾弾する。

 だが、同時に両手を広げ抱擁の、いや、胸元を強調するような姿勢を取る。無表情ながらも、どこか艶やかさを含んだ表情を見せてカサネをじっと見つめて来ている。

 その艶美な様子はまるで、誘って───否。

 

「そもそも、お兄ちゃんはあたしに胸を揉ませて何も思わないの!?」

 

 頭を振りかぶって、反論を述べる。述べるというには多少穏やかでなく、怒鳴るに近かったが。

 さておき、この『揉むか、揉まないか』の論争には、一つ欠落している視点がある。

 つまりはタバネの心情である。

 

 確かに揉めと話を持ち出したのはタバネの方からだ。

 だが、果たして性転換一日目の人間が何をするよりも最初に他人、それも妹に胸を揉ませるという行為に及ぶだろうか? かつて冗談で揉むといったことだけを根拠に? ありえない。全く持ってありえない。

 ということは、論理的帰結としてタバネには何らかの裏があるに違いない。

 この傘形家史上最大の謎を女子高生妹系探偵、傘形カサネが見逃す理由があろうか?

 いや、ない!

 

「さあ、お兄ちゃん白状なさい! ネタは上がってるんだよ!!」

「いい、から。とにかく揉みなよ。へんたい」

「なにそのシオい対応! え、もしや痴女。兄は幼女になって鬼子でなく痴女になってしまわれたの!? ていうかさ、なんでそんなに揉ませたいわけ? 別にそういう話をしただけで約束ってわけでもないんだから」

「……」

 

 よく考えれば傘形カサネは女子高生妹系探偵ではないので、本人に直接聞く。どうせ大した事情もないだろうしと高を括って。

 しかし、返ってきたのは意外にも意味深長な沈黙のみ。もしや本当に何かを隠しているというのか。

 

「あなた、幼馴染さんたちと、バンドしてるじゃない?」

「そうだね。ありがたいことに」

 

 十年来の幼馴染ちゃんたちとガールズバンドを結成しているのは事実である。

 どの子も個性的かつ魅力的で選り取り見取り、もといともにバンド活動してくれることに感謝しているが。

 はて、それが今、この胸を揉む揉まないの論議に一体いかな関係があるというか?

 

「それで、あなた、幼馴染さんたち、よくない目で、見てる、よね?」

「はい!?」

「よくない、っていうか、よこしまかな?」

「いやいやいや、冤罪だって。わたしがいつどこで何時何分地球が何か回ったときに、あの子たちのたおやかな肢体とかに劣情を抱いてるっていうの!」

「わたし、そこまで、踏み込んだ、いいかたはしてないけど」

「というか、妹の交友関係に口出すのはシンプルにキモイからね!!」

「それは、そう、かも」

 

 普通の兄妹ならば絶縁されてもおかしくない程度の暴挙である。

 たまたま今現在タバネがかわいらしい幼女だったので「このメスガキめ♡」で許しているが、本来であればカサネは激怒していただろう。この邪知暴虐なデリカシーゼロ兄を我が家から取り除くために。

 

「でも、あなた、あの子たちが来るたび、やたら、お風呂に、いっしょに入ろうとするし、スカートめくりとか、したりしてたじゃん」

「いやいや、兄上、事実は事実ですが、そんな幼少期の出来事をフューチャーされましても」

「兄は、つい、三日前の、出来事と記憶しておりますが。お風呂もスカートも」

「あれれ? そうだったかな?」

 

 冷や汗が垂れる。逆転される裁判の犯人の心境をカサネは今理解した。

 しかし、彼女たちの幼馴染として何としても無罪を勝ち取れるような自己弁護をしなくては。

 

「あなたはそういう人、どうせ、いつか、幼馴染さんたちに手を出す。小さいころから知ってるあの子たちとは少ないけどラインを交換する程度には交流があるし、あなたに、汚されるのは見てられないし、我が家から性犯罪者を出すわけには、いかないの」

 

 いやいや、そうはいっても、こちとら物心ついたときからあの魅力的フェロモン出まくりオンナな幼馴染たちを相手にして、未だに持っている鋼の理性だぞ。将来、向こう百年に渡ったって絶対に彼女らの体を汚すなんてこと、あるわけない。制約と誓約だろうが縛りだろうがどんとこいである。

 何せ、そんな未来はあるわけないのだから。

 

 そのように強く強く、己の尊厳を守るために声高に叫ぼうとしたそのときだ。

 タバネはカサネへと歩み寄り再び、胸元を強調するあのセクシーポーズでささやいてくる。

 

「──だから、その前にわたしで満足して」

 

 江戸(えど) [1]は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。

 

(違う。これは罠だし、これは兄だ。とにかく、おちけつ。こんなときのクールダウンはもろちん、どこぞの神父にならって素数を数えること。素数は孤独の数字。そして今のわたしは、エロスを知るただ一人であればいい)

 

 2。

「ほらこっちこっち」

 3。

「ここだよ」

 5。

「ここを触っていいの」

 7。

「イライラ、ぶつけて」

 9。

「ねえ無視?」 

 

うるさい!(ひゃあ!) メスガキは黙ってて!!(我慢できねえ、0だ!!)

 

「え?」

 

 カサネはタバネの腰辺りを力の限りを尽くして鷲掴みにすると、そのまま体格差を利用して兄の普段使いのベッドにその矮躯を放り投げた。勢いそのままベッドに叩きつけられたタバネは事態を未だ了解できず、幼女ロールプレイの抜けた素の声色を漏らす。

 しかし、その声ですらもはや雌のもの。

 頭の理性が残置された部分は兄のアサオンを実感したが、野生の獣欲はさらにたきつけられる。

 

「あの、え? カサネさん? お~い?」

「そうあたしはカサネで、ほらさ、カサネなの。カサネって襲うって書くって知ってるよね? なのになんでこのガキはこうも挑発してくるのかな? 仕方なくこっちがこらえるをしてあげてるってのに、変化技を封じてきたのはそっちなんだからね?」

 

 かけ布団の上に転がる幼女の覆い被さるように、カサネもベッドに入る。

 

 もはや自分でも自分の発言の意味を把握できていない。

 わかるのは、馬脚を露してしまった以上もううまぴょいってことだけだ。

 そもそも胸を揉めって言ったのはあっちで、揉み方やそこに付属するオプションについては指定がない。つまりはAnything goesで、別に心熱く満たされてしまっても構わんのだろう。

 

「I'm brother! I'm brother!」

「ん、あたしに胸揉ませるべき」

「ぎゃああ、インセストタブー。というか、絶対それだけで終わんねーじゃん。ハプスブルクるのはダメだって! 顎が伸びるって」

「そういうジンクスもあります。ですので」

「違う。ジンクスじゃねえ遺伝子学だ!」

「兄とはよくないと言いますが、あなたはもう兄ではないので」

「というか人の話を聞いて! ね! ね!」

 

 タバネは涙目で、こちらを見上げている。言い合っているときは抵抗していたものの、両の腕は片手で押さえつけられる程度の細さしかなく、太腿の辺りに座ってしまえば足も機能しない。完全なチェックメイトの盤面だ。

 

 あとは勝利の美酒をむさぼるのみ。

 そっと傷つけことないよう心掛けながら、カサネの上のボタンに手をかけて──

 

「カサネ……何してるの?」

 

 ──どさり、と何か物が地に落ちる音で止まった。

 二人のものではない声に、カサネは油の差されていない機械駆動で振り返る。

 部屋の扉には三人の女子が立っていた。

 

 持参したのであろうお菓子の入ったレジ袋を落としたのが、糸戸瀬イナリ。

 

「うそ、だよね。カサネちゃん」

 

 大きく塞がらないぐらいに開かれた口元を両手で隠しているのが、鳩食ハシラ。

 

「やっぱり、小さい子の方が好きなんだ。この変態は」

 

 うつむき加減に目を背けて小さく侮蔑を吐き捨てたのが、千條チギリ。

 

「イっちゃん、シラちゃん、チギちゃん? み、みんな、どうして?」

 

 そう彼女らこそがカサネのバンドメンバー。

 すなわちタバネに妹の毒牙にかからないかと危惧されていた幼馴染たちでもあった。

 

「カサネが言い出したんでしょ。お昼から練習しよって」

「連絡がなかったから、カサネちゃん寝てるのかもって思って起こしに来たんだけど……」

「まあ見事に現場だったってわけ」

 

 三者一様に半眼でこちらをにらみつけてくる幼馴染たちにカサネはしょうきにもどった。

 これはまずい。もう言語が不要なレベルでまずい。絵面がどうあれ最悪だ。

 女体化を除けば、妹が兄とじゃれつくという極めて物理的なフェアリー行為である。ただちょっとばかり、取り除かねばならぬ前提条件のせいであたかも性犯罪然とした構図となり果てているに過ぎないのだ。

 だからこの幼女を兄だと説明し、このいかんともしがたい大変侮蔑すべき猥褻行為の責任が兄にあると証明しなくてはならない。

 

「いや、それは違うし。練習の方は衝撃的なことがあって忘れただけだって。準備はしてたから」

「忘れるほどお楽しみだったんだね。カサネ」

 

 射殺さんばかりに冷たい半眼で詰め寄ってくるイナリ。

 

「うぐぅ。いや見てよ。まだ手を出してないよ。推定無罪、執行猶予なんだから」

 

 まずこの幼気なロリポップを味わってはいない。それだけはわかってほしい。

 その一心で拘束していた兄を解放する。迫る妹というのがよほどの恐怖だったのか、そそくさと机の方へと去っていった。

 

「まだ? それって、このあとのカサネちゃんの予定ではどうなっての?」

「まだって、単なる表現じゃん。遊んでただけだって」

「何で遊んでたの? 後ろ暗いことがなければ言えるよね?」

 

 にじり寄りつつハシラは理詰めで追い詰めてくる。

 普段は柔和な見た目にそのままの優しい性格なの彼女は一度怒気を帯びれば反転する。一切苛烈なところはなく、むしろ笑みは深まるのだが反撃不可の正論と良識の刃で相手を裁く。幼馴染四人でなら口喧嘩で並ぶものはいない。当然、カサネは連戦連敗記録を出会ったときから積み上げている。

 

 だが初の白星を勝ち取る。今日、ここで。

 

 カサネは自分の状態をNGワードゲームと定義する。

 地雷の言葉を避けつつ、相手から許しないし誤解だったと謝罪する言葉を引き出せばいい。

 ならば、幼馴染たちの性格や傾向を嘗め回すように観察し把握しているカサネに負けはない。

 

「うん。お医者さんごっこだよ」

「ずいぶんと肌を密着させてけど、何科のお医者さんだったのかな?」

「ええと、産婦人科?」

「チギリちゃん通報して」

 

 地雷爆発。

 おお、カサネよ、死んでしまうとはなさけない。

 

「わかった」

「待って、待って、待って。うちの父親この辺のお巡りさんだから。妹が兄を襲ってましたって通報されたら父さん首くくりかねないから」

「またな──ん? あれ? これは? どういう? アサオン? 兄? ほんとに?」

 

 傍観者効果防止のためかハシラに名指しされたチギリのスマホは110の番号を表示しているがそこまで。通報の発信はなされないままチギリとともに固まっている。

 首の皮一枚つながった、と安堵の青息吐息がカサネからこぼれる。正確には父親と自分の両方のがつながったので首皮二枚かもしれない。

 

「それってどういうこと? ド変態」

「チギちゃん。呼び名! ええと、あたしもよくわかってないんだけどお兄ちゃん、朝起きたらこんなになっちゃったって。ほらあたしたちこれだけ騒いでるのに誰も来ないし、そもそもここお兄ちゃんの部屋だし。そういうことだよ」

「タバネさんが? 確かにいないみたいだけど、それにしたってさすがに突飛すぎない?」

「カサネちゃん。嘘は言わないで。タバネさんは出かけてるだけるんだよね」

「タバネさんは外出中で、その子は変態がどこかからさらってきた子でしょ」

「そんなことないよ! ね、お兄ちゃん!?」

 

 カサネの信頼値はなぜだか底を突いている。しかし、そんなこととは関係なしにどこぞの白金な反骨竜よろしく打破せよ、とできるファッキンなたった一つの冴えたやり方がある。

 被害者、ここではタバネに被害などなかったとの証言をしてもらう。

 これこそがウルトラCの完全解答。ノーベル賞はカサネのものだ、と確信した。

 

 必然、注目がタバネに集まる。

 この場にいる全ての人(+傘形父)の命運はタバネに託された。

 そんな緊張が走る最中に彼女が出した答えは。

 

「タバネ? よくわかんない。わたしは、アツメ。ここに、預けられてる。あのひと、怖い」

 

 まさかの裏切り。

 そそくさとカサネから教理を取り、タバネの名を捨て三人の後ろに隠れるタバネ。

 タバネはカサネ株の急落に回収が見込めぬとして早急に売り払うことにした。

 

「通報かな」

「通報だね」

「通報しかないでしょ。ほら画面見てみて、私がかけるから」

 

 先程電話を用意していたチギリが他二人に向けて画面を指し示す。

 完全な詰み盤面。チェックメイトをかけていたはずが、いつ間にやら逆転している。

 

「え?」

「どういうこと?」

 

 何やらたちは『はじめてのつうほう』のせいか、困惑の声を挙げているがカサネには関係ない。

 

「図ったな、兄ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 カサネはもう慟哭するほかないのだから。

 

 これまで十年間積み上げてきたすべてが一瞬にして水泡に帰した。

 ああ、彼女らと絶対にフラグは立っていたから後は美味しくイタダクだけだったのに。

 どうしてこんなことに。どんなに上手くやったとて人間関係は所詮ジェンガというわけか。

 

「そういうこと。だから、通報はしないであげて、その、なにもされてないし」

「大丈夫。あんな変態ロリコンを野放しにして」

「うん。とりあえず説明する、ね」

 

 地に伏して茫然自失の容態のカサネを置いて兄と幼馴染たちは朗らかに会話しながら遠のいていく。

 退室直前ちらりと振り返った兄の脳内では「あはは、それなりに楽しかったですよ。カサネちゃんとの兄妹ごっこ」とか思っているに違いない。そういう腹黒さがあの兄という生き物にはある。

 

 そこにいるべきは、タバネ()ではなくカサネ(わたし)なのに。

 

「いもうと は つらい。のうが こなごなに なる。おのれ、兄め。NTRとかはダメ、死刑! 同盟の血の誓いを忘れたか。というか、冷静になると何だこの気持ち。下腹の辺りがキュンとしてきた」

 

 一人きりになった部屋で取り残されたカサネはつぶやく。 

 ただそれは意識された行動ではなく、主客未分の行為。カサネの脳破壊とそれによる超再生で急速にシワを増やした脳細胞は胃よりは下の辺りで燃え上がるように沸き立ったままの情感に全てを傾けていた。

 

「だいたいなに? 少しこちらは少し兄を襲ったにだけだよね。それもさ、合意の上でなおかつあたしは堪能と呼べるようなことを何一つしていないし。ノータッチ状態にあったわけ。イエスロリータではあったかもしれないけどさ。それは違うじゃん。だったらさ。違うよね。信賞必罰は社会の根幹をなす機構として一定の評価を得ていて、それが存置される現状にあたしなりの賛同を示すけど、だからって罪なきものへの罰則は独善独裁へ急転直下、斜めった卍待ったなしじゃんか。そうした私刑は悪政の始まり以外のなにものでもないでしょ。悪法もまた法なりだけど、これは六法のどれの何条何項に抵触するわけ? それじゃソクラテスすら毒杯を飲み下すことはないよ。ていうかさ、そもそも論に立ち返るとみんなが信じたのはまだ立証もできていない、虚偽に塗れたお兄ちゃんの騙る幻想に他ならないのに。それでも最低限のリテラシーというものが欠片でもあればねえ、この薄汚い嘘っぱちを見破ることができたのに、それでZ世代を生きていけるのかな、みんなは。もう貶められたとか抜きに心配してるんだって、あたしは。嘘を嘘と見抜けない人にインターネットはおろか、生存さえも危ぶまれるのが今の世なんだからさ。まったくしょうがない。そのせいで、イノセンスの大権現めいた人間たるあたしがこんなにも追い詰められてる。持てる者がゆえに奪われる。税金と同じかもね。でもきっと、それよりひどい。税金は富の再分配機構としての立てかけがなされてるけど、これはなんなわけ? 何でもない自営業への無理解のまま惰性で喚く結果のインボイスと何が違うっての? 持たざるもの故の僻みというのは時に現実を都合よく歪めてしまうほどって初めて痛感した。こんなにも恐ろしいとは。だから古きギリシアの碩学哲人たちが衆愚と民主を切って捨てるわけだよ。哲学の実現に猿はいらない。紀元前、かつてからの警鐘が棄却無視され、資本主義のマネーゲームな現実が許される世の中であることにあたしは深い憤りを覚えた。この憤りは本当にすべての人のために振るわれるべき巨大な敵を討つための正義の怒りかな? うんうん、それもまたアイのカツドウだよね。直観で理解した。まさかことここに至ってあたしの正しさってものを疑うのはいないとは思うけど、救いの機会ぐらいは与えられるべきだから一応のために宣教しておくと、この憤りは悪質な転売するような自己中心的な人たちが抱くちょっと再販したときの八つ当たりの言い換えじゃなくて、もっと多く世の中の奪われてきたあたしと同じ哀れの強者たち、例えば風説により汚名を被ったアントニオ・サリエリに雪がれるような純粋に捧げる鎮魂から生じる義憤なんだよ。そして世界史という自由実現の舞台において、世界意志と銘打たれてナポレオンがその身で率いたことで認知されてるあらゆる革命を後押ししてきた自由と正義のためのプロヴィデンスは人の業や人の夢を受けて今あたしに宿っている。あんなになったのにこんなに気分がよくてもう張り裂けそうになるのはそれしかない。万国の労働者たちはあたしを中心として今一度団結するときが来たんだ。もはやあたしは銀河中枢にそびえる大質量ブラックホールとも比肩し超越する事象の地平線を巻き起こす引力を持っていて、この宇宙にて最も明るい天体とされるクエーサーとなるのも時間の問題なんだから、みんな、あたしを見るべきだよね? 見るべきだ。この下腹に満ち満ちたムカムカは言語化すればそんな人類史をぶっちぎりで凌駕する規模の雄大さのもの。真に既知となった。無知の知はもはや知恵者の証でなくなるんだ。あたしが宇宙の心を縁起としてここにあるんだから。ああ、なんだ。寝取られの淵でようやく掴んだ。こんな簡単なことがリビドー、エロス、パトス形而下でそのように表現されてきた欲得の核心だったんだね」

 

 は????????

 

「そのためにもっと 強く……ならなきゃ。

 強く! 強く!! 強く!!! 強く!!!!!

 待っててね…………みんな。あたしが天を治めるから。

 だって、あたしには嘘はないもん。みんな愛してるのに。嘘なんかないよ」

 

 まじで??????????????????

 

 

***

 

 

 まるで強姦未遂みたいな一見からしばらくして日が落ちた曇り空の夕方のころ。

 幼女タバネと幼馴染の四人組は、並んで高架道路近くの国道を談笑しつつ歩いていた。

 

「驚きました。まさか本当にタバネさんだったなんて」

「まあ、ぶっちゃけ俺が一番驚いてるよ。朝起きたらこんなになっちゃったなんだから」

 

 彼女たちはタバネの見に起こった超常現象に把握していた。

 先程までいたケーキバイキングで仔細な説明を受けたのだが。

 それより前。具体的にはチギリが最初に通報を試みたタイミング。あそこで、カサネから解き放たれていたタバネはラインにて簡単に事情を送信していた。

 そして二度目の通報を契機に他二人にもそれが共有され、なんとかあの場での通報は免れたのだった。

 

「そうですね。それに負けないぐらいわたしたちのファーストコンタクトも衝撃的でしたが」

「そりゃ申し訳ない」

 

 確かに幼馴染みが見知らぬ幼児を襲っている光景はショッキングそのものであろう。

 ノンクッションに見せてしまったのは、好ましくない体験だ。

 タバネは立ち止まって頭を下げる。

 

「今回ほどじゃなきゃ、ちょっと慣れっこですし」

「あはは、あの、その、あんなことはままありますし」

「話を聞く限りいつも通りあの変態が暴走しただけでしょ」

「重ね重ね迷惑をかけるな」

 

 各々に苦笑混じりや目をそらしつつ謝罪に応じる三人。

 隠せてないじゃねーか、あの愚妹。

 タバネ、妹の兄贔屓目の美少女フェイスでも誤魔化せてない変態性に内心で毒づく。

 

「それよりその、さっきのバイキングよかったんですか? 奢ってもらっちゃって」

「ああ、いったろ。うちのが迷惑をかけてるって。だからその支払いだ。気にするようなことじゃねーって」

 

 傘形カサネは見てくれはともかく中身は変態だ。

 おそらく傘形家始まって以来の大変な変態だ。小学生の頃から母の手で「胸にも負けず、太股にも負けず、夏の汗ばんだシャツにも負けず」と諳じさせられるような傑物であった。

 それを把握した上で接してくれているこの子たちを逃せばカサネは直線ぼっちの境遇に追いやられかねない。そうなれば闇落ちしてなんやかんやで世界に混沌をもたらすのは自明である。

 

 よってこれは必要経費。

 来月のマンスリーパスを諦めれば捻出できる額なのでモーマンタイ。

 

「でもま、こっちとしてはありがたいけどよく俺だって信じる気になったね」

「なんだかんだ。タバネさんとも長い付き合いですし」

 

 タバネは感動した。

 深い関係にはないと思っていたが、姿によらない判別ができる程度には関係があったことに。

 

「あんな森羅万象の負の側面だけを抽出したかのような目をした人がタバネさん以外にいるわけないじゃないですか」

「ましてこんな小さな子がこんな目をするようだったら、首を括りますね」

「右に同じく」

 

 流石はというべきか、幼馴染間で認証の規格は統一されていた。

 

「俺、そんな特徴的な目してるか……?」

 

 タバネは絶望した。

 あまり関係のない人物たちにあの目だと思われる具合には、最悪な様相を呈していたことに。

 しかし、これ以上このことについて悩むと余計に濁った眼の印象を与えかねないので、ここは考えないことにする。人は考える葦だし、忘れる藁だ。

 

「まあいいか。それじゃ、うち帰ってあの妹子にタネ明かしするか。灸としては十分だろ」

「そうですね。でも私たちも一緒に行きますよ。ね、イナリちゃん。チギリちゃん」

「いや、半分……二割は俺の悪ふざけも原因だし。そこまで煩わせるわけには…………」

「そんなことで煩わしいって思うようなら、あの変態と幼馴染してませんよ」

「それに、そのタバネさんとカサネだけだと余計に拗れそうで……」

「あーそうかもな。じゃあ悪いけど頼めるか?」

 

 自宅でいじけ拗ね果てているであろう幼馴染を思って、三人はタバネの問いにうなずく。

 四人の方針は決定した。きっと言葉にするまでもなくこうなっていただろう。

 リンゴが木から落ちるように、光より早いものがないように、夜がいつか明けるように。

 ある意味でカサネを中心に添えた関係は十数年こういう風に続いてきた。

 

 物証として土産のケーキをタバネは抱えている。

 いつか進学とか就職だとかの大きな波が押し寄せたとして、最後はこの形に落ち着く。

 この場にいる四人は、論拠もなく、想いだけで、そんなことを信じていた。

 

 けれど、思い起こせば今このときが信じていられた最期の瞬間だったのかもしれない。

 

「──ふうん、楽しそうじゃん」

 

 和やかな談笑の和を一つの小さな声が切り裂いた。

 

 カクテルパーティー効果というものがある。

 

 自分の影口はやたらと聞こえてくる。寝ていても降車駅のアナウンスで目覚める。

 誰しも一度はこうした経験があるだろう。

 人間の耳は自分にとって必要な情報のみ選択して聞くようにできているために起こる。

 

 今のはまさしくそれだった。

 木々が風に揺れる騒めきだとか、行き交う車の走行音だとかを跳ね除け彼女の呟きは四人の耳朶を打った。

 

「か、カサネ? なんでここが」

 

 問いかけとしての体をなしていない心底からあふれたイナリの言葉。それは何故この場にいるのかという疑問と同時に、眼前に現れた人物が本当に傘形カサネなのかを問いかけていた。

 さっきの現在だ。大きな変化といえば普段結い上げている髪を下ろしている程度。

 たったその差で十年来の幼馴染を見紛うことなどあるはずないのに。

 イナリは彼女が自身のよく知るカサネだと確信できずにいた。

 

「チギちゃんさ。リテラシーってものがないよね」

「はあ、いきなりなに?」

「そうすぐ怒らないでよ、事実なんだから。チギちゃんスマホ、バンド共用のアカウント、ログインしっぱなしでしょ? だからあたしの端末から位置情報を確認できるんだよ。気を付けてほしいね。悪用する人が出てきたらどうするつもりなんだか」

 

 会話をしているのに、会話している気がしない。

 カサネの返答は作業中の生返事をそのまま並べているかのようだ。内容で噛み合っているはずだが、実態としてはとてもコミュニケーションが行われているようには感じられない。

 

「そ、それでカサネちゃんはどうしてここに?」

「どうして? どうして、どうしてか、どうしてね。でもさ、シラちゃん、それは説明したでしょ。位置情報の取扱いには気を付けなよって。若年性健忘だったら通院しなよ?」

「違うの。理由の方を聞いてるの」

「理由? 理由がないとダメ。だってあたしたち、幼馴染だよ。それに信じてはくれないかもだけどそこのはうちの兄だし。それに合うのに理由なんか普通はいらないよね? それを聞くってことはやっぱり関係してたんだ。ああ、NTRだWSSだ。脳がまた壊れちゃう」

「…………カサネちゃんなの?」

「はははははははは、どうしちゃったの、シラちゃん。マジ。そうマジだよ。マジにカサネちゃんなんだよ。それ以外なんだとでも?」

 

 両の手を広げて笑いながら、大仰に何度もカサネは首肯する。ただし首を振る動きは素早いものであると共に異様な──あたかも首を振るのに必要な分だけの力を過不足なく込めた調子──滑らかさを帯びていて、不気味だ。奇怪な眺めている方が却って酔ってしまいそうだ。

 この手のはさっさと要件を終わらせるに限る。

 短期決戦の判断を下したタバネは単刀直入にカサネへと呼びかけた。

 

「おいバカ妹。もう誤解は解いておいたから、いつも通りに戻りやがれ。これに懲りたら反省して常識的な情欲で生きろよ」

「あは、反省反省反省、反省ね。うんしてる。というかもう済ませてるよ。ハンセイはさ。ずっとどうしてこうなったか考えてたから」

「んじゃ、ケーキ買ったからさ。帰って食べようぜ?」

 

 抱えていたケーキを掲げて、カサネに示す。

 元の体ならなんてこともない動作だが、重さに戸惑った。肉体に比例して筋力も落ちているためだろう。なんだかこのカサネのせいで、後回しとなってしまったが性転換は一大事であることを今更に再確認した。

 病院とか行くべきだったか。いや病気かも怪しいからお祓いか。

 遅ればせながらのことだがようやく目の前の超常現象にタバネの鎌首に不安がもたげる。

 

「けどさあ、お兄ちゃん。お兄ちゃんも反省しなきゃだよね」

「あー、そうだな。俺も悪ふざけが過ぎて話ややこしくした。それはすまん」

 

 いくらかつてそのような会話していたとはいえ、性欲大魔神でもあったカサネにあんなことを言ったのは浅慮であった。急なアサオンに動転していたというのもあるのだろうが、カサネの食いつきはある程度は想定できただろうに。

 だから、そこには兄として謝罪をするに足る理由がある。

 

「そんなのどうでもいいことなんかじゃない。そうじゃないよね? アツメちゃん」

「は、え、な、は?」

「さっき一度は言ったよね? タバネじゃなくて、アツメだって。じゃあもうアツメちゃんじゃん。人間は一貫すべきで、吐き出した唾は呑み込めないよ? なのになんで、まだ自分がタバネであるみたいに振舞ってるの? それはさぁ、不義理っていうかさあ、おかしいことだよねぇ!!」

 

 が、そんな理屈不明の怒りをぶつけられるとは思ってもみず硬直する。

 カサネの声帯から発せられた言語が異国ものとさえ思えてしまって理解に時間を要するが、これは待ったなしの現実である。空隙ができればカサネはそこで畳み掛けないわけがない。

 

「あたしもさ、反省したんだよ。メスガキだからって好き勝手させるのはよくないって。あのとき、タバネは知らない自分はアツメっていったよ。じゃあもうお兄ちゃんはおしまいってわけ。つまりアツメちゃんなんだよ、きみ。だったらもっとらしくしないと。そういう口調は似合わないって二人で話したの忘れたの? 忘れ物したら、ごめんなさいだよね。ほらごめんなさいは? ごめんなさいしてよ」

 

 気迫。気炎。カサネから発せられる物理学では証明不可の勢いに気圧される。

 蛇に睨まれた蛙などではこのときに用いる例えとしてスケールがあまりに小さい。もっと恐ろしいもの。人類がより外宇宙に進出し、その成り立ちに携わる根幹的な存在の一端と邂逅したとき、初めて余人はタバネの心情を理解できるようになるだろう。ある側面だけを切り出せば傘形家の子らは現存人類上、もっとも先進的であるとさえ言えた。

 

 しかし、そんなこと未知の恐慌に苛まれるタバネには無関係だ。

 畏怖のフロンティアに達してしまったタバネは人間の社会的装飾がすべて取り払われ、一個の命として生存のためのものに言動が収束する。

 

「ご、ごめんさい」

 

 すなわちは謝罪。

 眼前でにじり寄るこの脅威に阿り、その怒気を慰撫する行為。

 現存人類が現存人類として確立した当初から行われてきたアニミズム的崇拝。この側面だけ切り抜けば傘形家の子らは現代の人類でも例を見ないほどプリミティブであった。

 

「ごめんなさいかあ」

 

 カサネはあと一歩で肉体以外の隔たりをなくすほどタバネに接近していた。

 十七年共に育ってきたはずの存在に緊張だけで全身の皮膚隈なく汗が噴き出す。だというのに背骨の辺りだけ冷たい怖気を宿していて、まったく熱さを感じない。

 汗をかくほど寒いなんて撞着語法の文言だけが、もはやタバネを支配して離さない。

 

 そんな茫然自失状態のタバネの無抵抗にこうなったカサネが付け込まぬはずもなく。

 力なく垂れ下がる右手首を掴み上げると、露になった脇へとごく自然に深く口付けした。

 

「ほら、服越しの染みてきたのでもわかる。汗に謝意の味がない。言葉でだけ謝ってるよね? アツメちゃん。ダメだよ。こういう味の汗は腐敗した『なんで自分がこんな目に』って責任転嫁する自己弁護人間の味なんだよ。そんな汗を出す脇でおにぎり握れると思ってるの? 消費者は変態じゃないんだから。おにぎりが食べたいだけの純朴さに商売しないといけないわけ。そんな嫌悪のある塩味食べたいわけないでしょ。謝意のある汗だそうか、謝意のある汗。謝意ね、謝意謝意謝意謝意謝意謝意謝意謝意」

「ひ」

 

 理外への恐れに、タバネの尊厳の臨界点をとっくのとうに超えてしまった。小さく声を吐き出すだけのか弱きものへと成り下がった。

 

 カサネが喚きながら手首を離したことでタバネはそのまま崩れ落ちる。

 陳腐な表現となるが、足と繋がっていた釣り糸が断線してしまったかのように足に力が伝わっていかない。むしろ思い切りアスファルトと衝突した膝小僧が痛みを訴えないあたり、切れたのは神経なのだろうか。

 

 同時。精神とは別個のところ。肉体もまた一つの臨界を迎えていた。

 そのもの長さは男女で違う。この性差は端的に男性のみの股座にあるもの分の差であり、また今のタバネは元の体から大きく縮んでいる。元の体の感覚を当てにしたが故の失態。

 長男(タバネ)だったら我慢できたけど、幼女(アツメ)だったので我慢できなかった。

 しめやかなる失禁という事態はその一言に尽きる悲劇だった。

 

「あーあ。よくわからない体で出歩いたりするからだよ。仕方ないから休憩しよっか。アツメちゃん?」

「きゅ休憩、どこで?」

 

 異彩を放つカサネに絶句していた三人であったが、混乱から立ち直ったイナリが問う。

 

「遅すぎた愚問だね。イッちゃん。目の前にあるじゃん。ちょうどいいところが」

「え、でもそこって……」

 

 ここは国道沿い。それ高速道路のすぐ近く。住宅地でないとか、風営法との兼ね合いだとかで割合多くその建物は群生している。カサネが親指で指示したのもそうした背景からの一つ。

 花の女子高生が口にするのもためらわれるラブで体が火照るところ。

 

「ね、みんなも一緒に行こ? ケーキバイキング置いてかれて悲しかったし、楽しもうね」

「いや、楽しむって」

「ええぇチギちゃん。昔お飯事とかしたでしょ? アツメちゃんにいろいろ教えてあげようよ」

「でもそれは、ここに入らなくてもいいんじゃ……?」

「ダメだよ。家まで結構距離あるのに、アツメちゃんを漏らしたままにするの? そんな心ないことあたしにはできないよ。それにさ、今からみんな大雨で濡れちゃんうんだし」

「何言ってるの? 曇ってるとはいえ、雨の予報なんて──」

 

 見上げた空は先程より雲量が増えているとはいえ、雨は降らないと朝確認している。

 その場しのぎの出まかせを、と否定の言葉を続けようとしたところで鼻先に冷たいもの一つ。

 

「──え? 嘘、ほんとに?」

 

 もちろんその一つは先駆けに過ぎず、問いかける間に勢いを増していく。

 あたかもカサネが仕組んだかのようなタイミングで雨が降り注いだのだ。

 

「もーイっちゃん。疑ってたの? あたし嘘つくことそんなにないんだけどなあ。ほら、ずぶ濡れになる前に行こ? ちょっと休憩するだけだからさ。それとも、あたしとアツメちゃん二人で入るほうがいい?」

「………………………………」

 

 イナリ、ハシラ、チギリは顔を見合わせて、即座に言葉もなく結論を同じくした。

 この正気とは言い難いカサネにタバネを任せておくことは、させならない。

 決意を深く胸に抱き三人は伏魔殿へと足を踏み入れたのであった。

 

 

***

 

 

 人生は驚きの連続だ。

 

 なんて言葉は陳腐でありふれていてそこらの街角の花屋ですら売っていそうですらある。

 が、実際にこの言葉を眼前の現実に当てはめてみれば、例え驚きは連続していたとしても、常識の範囲内に留まる。情報飽和社会と呼ばれる今の時代、インターネットでその驚きを検索してみれば、同様の体験や経験などごまんと転がっているのだ。

 

 いわばソシャゲにおいて課金必須の最高レアのキャラクターがいたとしても、その実フレンドに、SNS上に入手している人物が星の数ほどいて、なんならより極上の神引きをしている者で溢れかえっているように。

 非常識と言える存在は一握りで、そんなものと出会うことなどあり得ない。

 加えて出会ってしまったとしてもそれは今までを破壊するだけの力は持ち合わせないらしい。

 そのことを兄が性転換するなどといった異常事態に直面してことさら感じた。

 

 つまりは、なんだかんだ言って人間の限界は常識に収まるもので。

 あるいは、常識とはその時代の人間の限界によって作られるのだ。

 

 それが、傘形(かさなり)カサネという少女の経験則からなる若干擦れた人生の絶対原則だった。

 兄含め親族にさえ語ったことなどないが覆りようのない完璧な論理であると自負していた。

 

「もおだめ」

「きもち、よ」

「み、みず」

「わたし、おんあのこに、なっちゃ、ちゃ」

 

 意味深長なホテルの一室。ベッド上に乱雑に折り重なる四人の裸体の女たちを見るまでは。

 

 ……というわけで、この人生観の保全のためにですね。

 十年来の幼馴染? TSした兄? 知らないけど全員抱いたぜ。

 そんな方がいらっしゃったら、傘形カサネまでご一報いただけると幸いです。

 なんだかんだ言って人間の限界は常識に収まるので一人ぐらいはいると思うのですが…………。

 

 

 




・妹
 タチ・オブ。タチ。

・兄
 たぶん、学校でギャルゲ的展開をしてたかも。
 今回の一件でフラグは全消え

・幼馴染たち
 被害者。

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