また逢いましょう、お狐様   作:ときもんめ

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お久しぶりです


セルフ・ダイアログ 弐

せめて、笑っていよう──食卓を囲み、眼前で綻んだ笑顔を見せるあやめさんを見て、ふとそんな考えが脳裏に浮かんだ。

 

今の僕に記憶は無い。それは確かだ。僕は時間と共にあの子を思い出し、自分を忘れていっている。記憶を薪に、あの子への愛情をぱちぱちと燃やし続けている。

 

「...美味しい。和食は元気の源ですね、ふふっ」

 

だから、笑っていたい。せめて自分が自分である間だけでも、穏やかでありたい。

 

「──そう、思ってしまうのは...悪いことですか?」

 

いつの間にか、あやめさんもミオさんも、箸を置いて僕を見つめていた。じっ、と。責めるでもなく、慈しむでもなく、ただじっ、と。

 

ツギハギに誤魔化した「僕」というパペットは、そのさり気ない優しさに、じんわりと心が華やぐ感覚に陥った。いっそ溺れてしまいたい、とまで思ってしまった。

 

「...この不思議な気持ちも、いつまで覚えていられますかね?」

「──さぁね、人はどうにも忘れる生き物だから」

 

ミオさんの顔が、僅かに翳った気がした。

 

 

 

 

 

ep.7 セルフ・ダイアログ 弐

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

 

 

 

 


 

 

「──記憶喪失、ねぇ...」

「いざなってみると面白いもんですね。考えがまとまらなくて、奇妙な感覚です」

 

あやめさんが小首を傾げながら声を漏らす。その色は懐疑ではなく、諦観に近しい。対して僕は楽観的だった。そうでもしないと、今にもプツリと「僕」が途絶えてしまいそうだったから。

 

「本当に何も思い出せないんだよね?」

「はい、何にも。お味噌汁の味は覚えてるんですけどね、大和魂極まれり」

 

そう言って一口、お付けを啜る。舌に馴染むこの味はやはり、僕の記憶喪失の任意性を証明していた。

 

ある面、都合よくできたシナリオだ。喪った記憶は「僕」というアイデンティティのみ。生活に支障はなく、故に「僕」は歩みを止められない、咎められない、それを理由に逃げられない。

 

「──天命」

「余ねぇ...」

 

言葉は介さないが、確かに今、僕とミオさんとあやめさんは同一の答えに辿り着いたらしい。

 

天命という。禁忌(タブー)が生を許される、十字架たる定めがこの背に刻まれている。

 

「記憶喪失は、そのタイムリミットが針を進め始めたことの兆しだよ」

「世知辛い余...余たちには介入のしようがないから...」

 

「.......」

 

どんよりとした空気では美味い飯も味が落ちる、とは昔からよく言われてきたことだ。ただでさえ心労の種になっている手前、もはや自分のせいで2人の気を落とす真似はしたくなかった。

 

だからほら。笑っていろって。

 

「いずれ択を迫られることは分かっていたことです。覚悟はもとより、罪悪感に駆られて動いているようなものですし。だから大丈夫、これは僕の問題ですから」

 

無理に口角を吊り上げている自覚はある。果たして2人の目に、今の僕はどう映っているのだろうか。

 

自分でさえ自分を見失っている以上、人にどう見られているかなんて知ったことじゃない。

 

それを言い訳にするのは忍びなかったが、この作り笑いが2人を更にいたたまれなくしていることにまで、今の「僕」は気が回らなかったのだ。

 

 

──あぁ、ここは「僕」じゃなくて、僕か。

 

 

「自分が自分でないみたいです。言うなれば...ほら、『あ』っていう文字を見続けてると、それがバラバラになって...子供のラクガキのように見えてくる...」

「...ゲシュタルト崩壊、的な?」

「あっそうです、それそれ」

 

この直感に訴えるような感覚を平易に直せば、まさに()()だろう。つまるところ、今の僕が「僕」と向き合ったところで何の意味も持たないということ。

 

見つめれば見つめるほどに、「僕」は児童向けのだまし絵のように身を翻す。手を伸ばせば伸ばすほどに、「僕」はぐちゃぐちゃなラクガキへと型落ちする。

 

一旦忘れよう、と思った。もう忘れているのにね。

 

「...食べ終わったら、書斎に行こう。君に見せておかなきゃ」

「──?」

 

ぼーっと、ミオさんを流し見た。

 

「本当はもう少し後になると思ってたんだけど...時間は待ってくれないみたい」

「...えぇ、もちろん。全ての人に平等に、得てして残酷に与えられているのが、時間というものですから」

 

面白い。今日の僕は()()、普段よりも饒舌だ。

 

 


 

 

ミオさんが腕によりをかけて作った食事は、どこか懐かしい味がした。この懐古の感情は、真か偽か、幻影(ファントム)実体(オリジナル)か。

 

事故や病気で四肢を欠損した人が、稀に「無いはずの部分が痛む」という感覚に陥ることがある。「幻肢痛」──「ファントムペイン」と呼ぶらしい。

 

それに倣えば、僕のこの望郷の念は「ファントムノスタルジア」とでも言うのだろうか。やけにしっくりくることからして、嫌な勘は当たっているらしい。皮肉なものだ。

 

「洗い物くらいすぐ終わるよ。水につけておけばね」

「余っ!お皿洗いはおまかせあ~れ~!」

「そこまで急を要するんですか、一体なにを?」

 

ミオさんの足取りがやけに忙しい。それが僕──あるいは「僕」に残された時間の短さを象徴しているようで、少し吐き気がした。

 

「マヨイビトはみな一様に、それぞれの天命を授かってやって来る」

 

歩を進める先は、僕が借りていた和室の更に奥。陽の光と影の割合が逆転し、木々の間からギャップが生じている、その先。何本かの光が導のように差し込んでいる、古い木製の扉。

 

迷いなく、ミオさんはその寂れた金のドアノブに手を掛け、軋んだ音を響かせた。

 

「──懐かしい」

「むふふ〜!この部屋、いい雰囲気だ余ねぇ〜!」

 

「ファントムノスタルジア」──とも言い切れない妙な感覚。そも記憶が無いなら、その感覚の真偽は50/50だろう、なんてシラケた話ではなく。50/50と言えば「シュレーディンガーの云々」、とか言いたい訳でもなく。

 

「...こういう場所に、来たことがあるような」

「デジャヴってやつですか!?」

「いえ、ではなく...」

 

 

来るべきところに、回帰したような──。

 

 

「──君も、そう言うんだね」

「...『君も』、ですか」

 

踏み入れて、ふと木枠の窓から落ちてきた陽射しを見やって、頷いた。

 

 

鳥居が、立っていた。

 

 

石造りの、苔むした鳥居が。

 

 

僕を見下ろして、微笑んでいた。

 

 

直感的に理解した。ここが、僕の帰る場所なのだと。マヨイビトとウツシヨを結ぶ、開祖の──。

 

「...ここに連れてきたマヨイビトの子は、全員が口を揃えて言うんだ。『帰りたい』『帰らなきゃ』って」

「包まれてる〜って思うんだって!余も分かる!その感じ!」

 

菩薩をその奥に幻視するかと思った。優しくて、泣いてしまいそうだった。帰らねばと、本能が、「僕」が、訴えていた。

 

「──『迷ふべき童の帰り道は、願ひ果たされやうやうさまを現す』」

 

戸棚からいくつかの文献を取り出したミオさんが、振り向いて唱える。

 

「『長く幽世に居らば、魂失ひ、物の怪となる』」

 

机にそれらを広げて、一つ一つ頁を捲っていく。捲られる度に漂う埃が、どれだけ古い書物であるかを如実に示していた。

 

「『物の怪となりて尚、幽世にゐ続けし者は、遂には泡沫となりて忘れ去ねらるべし』」

 

少なからず古典の造詣がある僕は、その意を汲んで立ち尽くした。驚きも恐怖も後悔もなく、ただ「そうかぁ」という納得に落ち着いていた。

 

次いでミオさんは、もうひとつの文献を開いた。

 

「──『大和に住まふ神々は、信仰を生にて、廃尊を死とす。尊を廃せられし神々は、形失ひ、物の怪と化す』」

 

一文、一文。複数の文章を飛ばし飛ばし指でなぞられながら、事実を反芻して嚥下する。

 

「『物の怪となりし神々は、世の人より氣を奪ふ。故に、寂れし土着には近づくべからず』」

 

事実...事実を。

 

理解しろ。

 

 

(「僕」は今まさに消えかけていて、あの子は今まさに忘れられかけている)

 

 

(「僕」はあの子に奪われ続けていて、あの子はそれを拒み続けてきた)

 

 

──事実を。

 

 

(...なるほど、確かに)

 

 

 

 

 

あの子は僕から、逃げている。

 

 

 

 

 

──涙が、煤けた床を穿った。

 

 

「...『神々の息吹を甦らするには、信仰取り戻すや、荒びし土着を祓ふべし』──」

 

 

体は、震えなかった。心は、その限りじゃない。

 

 

結ばれた。点と点が線となり、しかし像とはなり得ない。

 

 

迫られた択の惨いこと。観念の範疇を飛び越えたそれが、僕を、「僕」を苦しめる。

 

 

「...君は、どうしたい?」

 

 

指先を伝う本心が、さてはまたもや嘘ではないかと慄いている。

 

 

終わりのない自問が、地を這ってやって来た。

 

 

(僕は...僕は、「僕」は、僕...は──)

 

 

「ウチたちは、君の決断を受け止める。ここから先は君次第。今すぐウツシヨに還すことも、カクリヨに留まらせることも...ちょっと大変だけど、頑張ればできちゃうから」

 

 

あ、

 

 

「...でも」

 

 

あぁ、

 

 

「──その十字架を背負うのは、君だけじゃない」

 

 

ぁぁぁ、

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

僕は考える。

 

 

禁忌と希求を天秤に掛け、考える。

 

 

灯篭の薄明りに照らされた本棚を見やり、考える。

 

 

本と本の隙間と心に空いた穴を重ねながら、考える。

 

 

埃っぽい空気を肺に入れながら、考える。

 

 

体の震えと全身を伝う冷汗に眉をひそめながら、考える。

 

 

 

 

いつか来たる運命の時を想起しながら──「僕」はただ、考える。

 

 

 

 

 




monologue.
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