おねーさんから好かれるが全員病んでる天与呪縛 作:アストラの直剣
「
浴室のドアを開けたのは義妹のツキだった。
ツキは僕の返事を待たずに浴室へ入ると、ぎこちない動きで後ろ手にドアを閉めた。突然の出来事に驚いたが、驚きよりも動揺のほうが大きかった。
なぜって、ツキの様子がおかしかったからだ。
あまり身体を見るのもどうかと思われたので顔に視線を向けると、頬が赤らんでいることに気付いた。そして度々僕の様子を伺うように彼女はこちらを一瞥して、目が合うたび、恥ずかしむように口元を歪ませていた。
「あ、あのっ。お風呂、は、入りたくって……」
上擦った声が浴室に響く。緊張しているのか、肩が首のところまで上がっていた。
ハッキリ言って変だ。なにが起こっているのか分からない。僕も思考が停止しつつあった。
「あ、ええっと……どうやって、お風呂入るんだっけ」
義妹の表情は慌ただしく変化し続けていた。なにかに絶望するように青くなったかと思えば、カアッと真っ赤になったりする。
さらに変なのが、視線の向く先が定まっていないところだ。右往左往する目は、一瞬僕の方を向いたかと思うと、数秒じっと見つめただけですぐにまた宙を泳ぎ始めた。
なにかあったのだろうか。心当たりはない。
「急に、どうしたの?」
こうも緊張している人間を見ると、かえって冷静になるのが人の常だ。僕はなるべく穏やかな声で訊ねた。
すると消え入るような声で「お風呂に入りたくって……」と返ってきた。
「じゃあ僕は上がろうかな」
思い返せばこの一週間、長風呂しがちだった気がする。師匠と話をしていると、どうしても長くなってしまうのだ。
(待たせてたなら申し訳ないことをしたな)
そう思い、立ちあがろうとする僕に気付くと、「待って!」とツキは僕の肩を押さえつけた。
実は僕よりツキの方が力強い。年があまり変わらないのもあるが、僕らぐらいの年頃だと男子よりも女子の方が早く成長期を迎える。
そのため、背丈や腕力でツキには敵わない。
結果どうなったかと言うと、僕は浴槽に押し戻された。
はだけかけたバスタオルを片手で抑えながら、ツキは「待ってて」と僕に言った。
僕はただ頷くだけだった。
(どうしたんだろう……ほんと)
「私もお風呂、入る、から」
ツキは震える指先で桶を持つと、サッと掛け湯をして、バスタオルを身体に巻いたまま湯船に入ろうとした。
中学一年生と中学二年生。ギリギリ二人でも入れないわけではなかったが、家庭用の浴槽だとだいぶ厳しい。二人で入るにはかなり詰めなければならなかった。
ツキもそれに気付いたのか、一瞬躊躇したように見えた。だが意を決したようにざぶんと湯に浸かると、肩まで湯に浸かったままじっと同じ姿勢のままそこで固まり始めた。
温かいお湯に浸かっているはずなのだが……まるで凍えているみたいに身体を固くしている。
……こうも密着するのは久しぶりな気がする。僕が中学へ上がり、一人部屋を与えられてからは一緒に寝ることもなくなったのだし。
そんな少しの懐かしさを感じていると、まだ一分も湯に浸かっていないのにツキがもぞもぞと動き出した。
「か、身体っ……、あらうっ」
ツキはざばんと湯船から立ち上がり、ほとんど転げるみたいに洗い場へ出た。
「だ、大丈夫……!?」
あられもない姿になりながら、こくこくと義妹は頷いた。
あんまり直視するのも可哀想かと、僕は視線を天井に向けた。
隣からは髪を洗う音が聞こえてくる。シャカシャカとシャンプーの泡立つ音が、なんだか今は忙しなく聞こえた。
ツキとは昔から一緒に風呂へ入っていた。ツキが高学年に上がってからは、どちらが嫌と言ったわけでもないが、次第にそれぞれ別の時間に一人で入るようになった。
周りがそうだから、というのもあるのかもしれない。身体的にも精神的にも成長し始める年頃だろうから──歳の近い兄と一緒に風呂へ入るだなんて、友達に言った日には笑ってからかわれてしまうだろう。
視界の端に映るツキは、シャンプーで頭を洗うときも頑としてバスタオルを外さなかった。
恥じらうように胸元を隠すバスタオルが、思春期である僕ら二人の間にある壁を表しているように思えた。
「に、義兄さん、背中洗っても、いい?」
ふう、とツキは深呼吸をした。相変わらず顔は真っ赤だった。
「別に許可を取らなくっても、背中くらい自由に……」
「そうじゃなくって……えっと、義兄さんの背中を、洗いたい」
もう洗ったよ、と言いかけて、その言葉を飲み込んだ。ツキがなんの目的もなくこんな変なことをするはずがない。なにか、やりたいことがあるはずなのだ。
僕は浴槽から出て、言われるがままに洗い場へ腰を下ろす。
ツキはぎこちない手つきでボディタオルを泡立たせ始めた。背中を洗ってもらうなんて何年ぶりだろうか。
やがて背に押し当てられたタオルには力がこもっていた。力加減が上手くいかないのか、ゴシゴシという音が聞こえてきそうなくらいだった。
互いになにも話さない。不意に話し出したのはツキの方だった。
「義兄さん、最近なんだか変」
ぴたりと、背中を洗う手の動きが止まった。
ふと鏡を見ると、ツキは僕の背中に手を当てたまま
「変って、僕が?」
「うん」
掠れ気味の声が耳元から聞こえてくる。
湯から上がり、熱が冷め始めた耳たぶに暖かな吐息が拭きかかる。
「この前まで、放課後は毎日のように道場に行ってたでしょ?」
でも、とツキは続けた。
「でも、一週間前に一度行ったきりで、最近ほとんど家にいるから、変だなって」
ツキの言っていることは間違っていない。飛行機事故以前は毎日とまでは言わずとも、二日に一度は必ず道場に出向いていた。その習慣はテスト期間でさえ変わらない。道場に通う僕を幼い頃から見ていたツキにとっては物心つく前から日常だったわけだ。
けれどここ一週間は師匠との特訓にかかりきりで道場にはほとんど行けていなかった。なんの事情も知らないツキが変に思うのもおかしなことじゃない。
「でもさ、ツキは僕が家にいた方が嬉しいだろう? ……ほら、前に言ってたじゃないか。最近なにかと物騒な話を聞くから、あまり出かけない方がいいんじゃないって」
「それは、そうだけど」
ツキは表情を曇らせて返事をした。鏡越しのツキはキュッと口を固く結んでいて、悲しそうに目を潤わせた。
すると急に、彼女は倒れ込むように僕の背中に身を預けた。
肌と肌とが触れ合う。熱く柔らかな手が背中に置かれる。……手は少しだけ震えていた。
「……ごめんなさい。やっぱり私が悪かったんだ、私が家にいてなんて言うから……義兄は私のものじゃないのに、縛るみたいなことをして……」
悲壮な声色から、彼女の心情が克明に伝わってくる。
「最近ずっと部屋にいるのもそう。私が悪い子だから……」
ツキは僕の背中に顔をうずめた。きっと泣いているのだろうと思った。
少し迷ったが、僕は彼女の頭を起こしてやり、後ろにいる義妹の方を向いて話した。
「そんなことで悩んでたのか。……最近ちょっと、勉強が難しくって、だから部屋にいただけだよ。道場に行ってないのは、もう少し休めって師範に言われただけ」
「……嘘」
ツキは目をそらして言った。困ったな、と思いながら、僕はかすかな笑顔で話しかけた。
「嘘じゃないよ。それに家にいてってツキが言ったのは、僕を心配してくれたからなんだろう? それはとてもやさしい気持ちから生まれた言葉だよ」
「そう、なのかな」
「そうに決まってる」
しっかりと目を見て話せば、ツキもまた伏し目がちにこちらを見るようになった。涙は止まっていた。
「ごめんなさい」
「謝らなくったっていい。僕こそ、心配かけてごめんね。もっと早く気が付くべきだった」
ツキは目元の涙をぬぐうと、鼻をすすった。湯冷めしているのかもしれないと、彼女にお湯をかけながら浴槽に入るよう促した。
暖かいお湯につかって落ち着いたのか、ツキはまたもう一度「ごめんなさい」とだけ言った。今度は涙もなく、憑き物がとれたような顔つきだった。
そんなツキに僕は「今日は一緒に映画でも見る?」と訊いた。
ツキはかわいらしく二度頷いた。
それから、少し舌っ足らずな言い方でこう付け加えた。
「あと、義兄さんがよければ、今日は一緒に寝たい……」
ちらりとツキはこちらを見た。
「いいよ」
と僕は二つ返事でオーケーした。
「先にあがるね」
「うん」
返事を聞き届け、僕は浴室から出た。
脱衣所で身体の水分を拭い、服を着終えて部屋に向かっていると師匠が小声で僕に耳打ちしてきた。
「前から気になっていたんだが……」
と師匠。もの言いたげだが、どうも言いづらそうだった。
なんだろうかと耳を澄ませていると、とんでもないことを言い出した。
「あれはお前の妻か?」
「違いますよ……! 妹ですっ」
「だが血は繋がっていないだろう?」
そんなことが分かるのかと驚きつつも、「義妹です」と返した。
納得したのか、師匠は一拍置いて言った。
「からかっただけだ」
「師匠、表情が読めないので冗談かどうか分かりづらいんですよ」
小声で文句を言う。すると師匠は「むう」と声にならないような呻きをあげた。
それからしばらく黙ったのち、また口を開いた。
「用心しておけよ」
「なににです?」
「あの義妹にだ」
「?」
なんのことやらさっぱりだった。言葉の意味をうまく解釈できていない僕を置いて、師匠は独り言のように言った。
「義理の家族は最も身近な他人だからな」
このとき師匠はなにが言いたかったのか、僕にはよくわからなかった。だがのちにそれが的を射ていたことを知ることになる。
〇●〇●〇
それは夕陽と共にやってきた。夕焼けを背に歩く二つの人影があった。
趣深い神社の境内を思わせる呪術高専は、真っ赤な日差しにより血のように赤く染まってる。宗教味ある風景と夕陽のコントラストは、見る人が見ればおどろおどろしい夏の怪異譚を思わせることだろう。
そんな一種異様な景色が、例の二人にはなんとも様になっていた。そう感じるのは、夕陽の赤が実際に血であってもなんら不思議ではないからかもしれない。
二人の客人が歩む道はとうに血塗られていた。
……夜間のパトロールが始まる二時間前、乙骨と真希の二人は夜蛾学長に呼び出された。パトロールの前ということもあり、ミーティングを行うのだろうかと二人は想像していた。
「晩飯くらい食わせろっての」
「あはは……まあまあ」
満腹の状態では十全に動けないため、二人は活動の二時間前には夕食をとることにしていた。それが決まった時間から後のほうにずれてしまったため、真希は苛立っていた。
もっとも、夕食の時間は多少ずれても問題ない。真希とて食い意地が張っているほうではない。だが……このところ続く過酷なパトロールの日々に、真希は鬱憤がたまりつつあったのだ。それが学長への悪態となって表れていた。
(訓練もいいけど、たまには道場のほうにも顔出さねえとな……)
校舎の窓から見える夕陽は熱く燃え盛っている。木々に隠され見えないが、太陽のあるほうには街がある。
今頃は京介のやつも鍛錬中だろうかと、彼の顔を思い浮かべては羨ましい気持ちになった。
年下で、純粋に武道に励む彼に対し、真希は好感を抱いていた。組手の際、何度投げ飛ばされても折れない姿勢が気に入ったというのもある。
だが真希は京介に誰かを重ねていた。
京都に残してきた真依をだろうか……仲違いしてしまった彼女と京介を同一視するわけではないが、胸の内にあるやりきれない気持ちが庇護欲となって京介に注がれていた。
(飛行機事故のこともあったし、気を病んでなきゃいいけど)
幸い無傷であったという彼は、事故から二週間後には道場に復帰していた。会ったときも陰りのない笑顔だった。だが、無理をしているのではないのかと心配する気持ちがあった。
そんなことを考えながら歩いていると、あっという間に真希と乙骨の二人は学長室の前に着いた。
するとなにやら人の気配が複数あった。だが話をしているようではなく、変だなという印象を二人は持った。
「失礼します──」
扉をノックし中に入ると、そこには夜蛾学長と、それから見知らぬ女が二人立っていた。
年は少し上くらいだろうか。背の高さと姿勢の良さから、きっちりとした印象が見受けられる。また見た目よりも動きやすさを優先した飾り気のない服装と、背中に背負っている竹刀袋がただの客人ではないことを証明していた。
真希は思わず眉をひそめた。実力もそうだが、なによりただならぬ殺傷能力がこの二人にはある。
ただものではないと直感的に悟った。
初めに口を開いたのは夜蛾学長だった。サングラスで表情が分かりづらいが、決して笑顔ではなかった。
「今日から彼女らもパトロールに加わる。乙骨、真希、君ら二人にはそれぞれペアを組んでもらう」
「ペア……ですか」
「彼女らは土地勘がない。夜の街を案内をしてやってくれ。……それに、実戦経験では彼女たちの方が上だ。勉強にもなるだろう」
夜蛾学長に促され、乙骨と真希は自己紹介をした。それに続く形で、彼女らもまた所属と名を名乗った。
「
「同じく、副隊長の
敬語の形式をとっているが、態度に緊張感は見られなかった。
なんだろう、この違和感は……。実家である禪院家は、鍛錬のため外から武術家を呼ぶことがある。剣術の達人や、合気道の達人など、様々な経歴を持つ者がやってくる。
そういった人たちと目を合わせたとき、心臓が止まったかのような恐ろしさを感じる場合が多々あった。それは圧倒的な力の差によって生じるものだ。
だが、なぜだろう。彼女らと目が合ったとき、言葉で表せないような寒気があった。
まるで光のない瞳が、虚構のように存在している。人の形をした兵器が造られたのなら、きっとこんな目をしているだろうなと思うほどに。
「パトロールは明日からでもいいですか? 準備ができていないので」
「飯」
腹が減っていたのは真希もまた同じだった。だが、なんだか気に食わないという気持ちが共感を上回るのだった。
「……到着したばかりで疲れもあるだろう。明日がいいならそうしよう。今日は休んでくれ」
夜蛾が厳しい態度で出れないあたり、異質な存在であることに違いはなかった。
乙骨は二人を見てどう感じたのだろうか。真希は気になりながらも夜蛾の言葉に耳を傾けた。
「真希、乙骨。明日の夜はこの二人とペアを組んでパトロールに出てくれ。少なくとも、実力は上から保証されている」
あまりいい気分ではなかったが、真希は「はい」と渋々頷いた。
〇●〇●〇
「京介、明日の夜は実戦に出るぞ」
風呂上り、部屋で呪力操作のおさらいをしていると、唐突に師匠がそう宣言した。
あまりに急なことだから、戸惑い混じりの口調で言葉を返した。
「明日? ちょっと急じゃないですか」
「急も何もあるもんか。一度、実戦を経ることで見えてくる課題点もある」
なるほど。師匠の言っていることはもっともらしい。
それに僕自身、呪霊を倒すというのは望んでいたことである。
「明日の夜、か」
戦闘は一度経験していた。だが、二度目も上手くいくとは限らない。
恐怖か、高揚か……不思議な感情で心が満たされていった。
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週末すごく伸びてたのでびっくりしました。日間に入ってたみたいです。義妹がいいのか…?師匠が泣いてるぞ!