おねーさんから好かれるが全員病んでる天与呪縛 作:アストラの直剣
(刀を折って、無力化する)
そう決意し、公園の茂みから飛び出ると、ちょうど呪術師が僕らに追いついた頃だった。
僕と同じくらいの速さで走ってきただろうに、呪術師の纏う和装には一切の乱れがなかった。息の乱れも感じない。刀の切先はぴたりと静止していて、まるで人間味がなかった。
(少しは疲弊しているかと思ってたのに……その程度の楽観もさせてくれないなんて……)
本日二度目の緊張が走る。強張る肩を少しでも緩めようと、深く肺で呼吸をした。
「なんの目的で、僕を殺す」
息継ぎついでに呪術師へ問いかける。
だがしかし、反応はない。
返事は不要だと、そう言っているように聞こえた。
(対話は不可能……)
なぜ僕を狙うのか。その理由だけでも知ることができたのなら、なんらかの和解のしようだってあったのかもしれないのに──どうやら僕と呪術師との間には高い壁があるらしかった。
どうしたものか、と目を細めたとき、耳元で師匠が囁いた。
「策はあるのか?」
「いま、考えているところです」
「無策で飛び出たのか……」
低い呆れ声が耳奥で響く。
そう、刀を折ると目的は決めたものの、全くの無策であった。
ただ、策はあまり重要でないだろう──漠然とそんなことを思っていた。
命のやり取りを知らない人間が即席で思いつく策など、所詮は小細工なのだ。そんなものに頼らなければならないほど、今の状況は複雑じゃない。
刀を折ればいい。殺しという高いハードルを乗り越えなくてもいい。
揺らり、目の前の術師は身を揺らす。おそらく踏み込みの前動作だ。
来る! そう感じながらも、冷静に僕は先ほどの一戦でのできごとを考えていた。
先の一戦での敗因は、防御に徹したためだろう。攻めないと、勝ちは永遠に手に入らない。
(どうして攻めようとしなかったんだろう)
人を傷つけるのが怖かったから?
それも理由としてはあるだろう。だがそれと同じくらい、傷つくことを恐れていたようにも思う。
腹の横一文に切り裂いた傷が、呼吸をするごとに痛む。
死ななかったのは運が良かっただけだ。次はきっと死ぬ。
恐れが、生への執着と混じり合ってゴチャゴチャした気持ちになりだした。
「京介。迷うな。相手に失礼だろう」
それは、そうだ。師匠の言う通りだ。命のやり取りをしているというのに、迷っていては、仕方がない。
今はただ愚直に、愚かなまでに、目的を遂行しよう。
そうと決めると、余計な雑念が心の中からスッと消え去った。死ぬだとか、生きるだとか、それはきっといま考えることじゃない。
今はただ目の前のことを考えよう。
呪術師の刀が旋風のように襲い掛かってくる。一撃一撃が必殺の重さを誇り、防ぎ損ねたらそこで僕の命は終わるだろう。
なるほど、呪力による強化は必須だ。そして出力の関係上、強化は二箇所までが限度だ。
ただ二箇所だけだと防戦に徹するので精一杯。ならば攻勢に出るたび、強化する箇所を切り替えるしかない。
そう思い立って、僕は一か八か左手に集中させていた呪力を解き、左足に集中させた。
そして、振りかざされた刀に合わせて上段蹴りを繰り出す。左足は切られることなく、空中で刀をはじいた。
(よし……! 練習通り、瞬発的な呪力操作ができている!)
蹴りを入れるのなら、脚に呪力を集中させ。腕で刀をいなすのなら、瞬時に腕へ呪力を集中させた。
瞬発的に行われる全身での精密な呪力操作は、困難ではあるが決して苦ではなかった。
そして幾度にもわたる呪力操作は段々と相手のペースを乱していった。
呪力の動きや呪力の集中している箇所で攻撃や防御を判断するのが呪術師というものだ。だがこうもめまぐるしく呪力を操作されると、次にどのような手が繰り出されるのか読みづらくなる。
手か、足か。いままでは呪力の集中していた両腕のみを警戒すればよかったものの、今となっては両腕両足が危険箇所になりつつあったのだ。
そのうえ京介は攻撃をいなすだけでなく徐々に反撃を交えるようになった。敵の呪術師はただ攻めていれば良いだけの状況ではなくなっていた。
そしてそのうち隙が生まれる。攻防の切り替えを強いられていた呪術師は、ついに隙を見せた。
(来た!)
受け流すか避けるかしていた蹴り技を、呪術師は真っ向から受け止めてしまった。そう、衝撃がどこにも逃がせないような防ぎ方をしてしまったのだ。
その瞬間、京介はグンと刀を押し戻し、相手の態勢を崩した。そして素早く刀の持ち手を蹴り抜き、刀を落とさせる。
バキリと、側面を踏み抜かれた刀はそのまま真ん中で真っ二つに折れたのだった。
「よし!」
喜色を露わにしつつも、京介は瞬時に距離をとった。こちらが隙を見せては世話がない。
だがそうして反撃を避ける必要はなかった。
なぜって、敵は既に身動きの取れない有様であったからだ。
「……は?」
真っ赤な花が咲くように、呪術師の胸元からは血しぶきが噴出していた。
ふらふらとよろめき、地面に仰向けになって倒れても、血液の止まる気配はない。よっぽど重要な血管が傷ついたのだろう。だが、なぜそうなったのかがまるで分らなかった。
(なぜ……? 僕は、こうならないように刀を折って──)
「よくやった。逃げるぞ」
抑揚のない声が聞こえた。言葉の意味は理解したが、それに従えるほど冷静ではなかった。
「い、一体、なにが……」
「おそらく縛りを結んでいたのだろう。おそらくだが……負けたら心臓が破裂して死ぬ、というような明確なイメージを伴った強力な縛りだ」
「どうして……」
僕の問いかけに、師匠は考察交じりに答えを返した。
「ふむ。刀が折れたら負け、と考えていたのやもしれぬ。あるいは刀という形ある物質に命を託すことで、縛りの効力を高める目的も……」
「そ、そういうことじゃ、ないんです。どうしてそこまでして」
「そうまでしないと生きていけない事情があるのだろう。昔からそう変わらないな、呪術師という生き物は」
「……っ!」
それは、あんまりにも酷い。
扱いがまるで人じゃない。
「逃げよう。……こいつの仲間が来る」
「逃げるったって……この人が、このままじゃ死んでしまう……!」
「……そいつは敵だ。刀を振り翳し、お前を殺そうとした。助ける理由なんてない」
「それは! ……そうです、けど」
そこで言葉に詰まった。師匠の言葉は全くもって正しい。
今なら逃げられるのだ。命の危険がようやくなくなったのだ。
なのに、なぜ自分はそうしない。
きっと今の僕は酷い表情をしているだろうなと思った。義妹には絶対に見せられない、弱々しい顔をだ。
情けない。人を助けたいと言っておきながら、僕はあまりにも無力だった。
「……ああもう」
すると、溜息まじりに師匠が言った。
「言っておくが今回だけだぞ」
ぐいっ、と右腕が勝手に動く。それにつられて、前へと歩きだした。
はてどうするのか見守っていると、呪術師の方へと近寄り、その様子を確かめ始めた。
「しゃがめ。触ってみないことには状態もわからない」
言われた通り、呪術師のそばにしゃがむ。
右腕に呪力が集中しているのを感じた。
「心臓が破裂しているな……」
すると突然、師匠は何を思ったのか、右手の指先を勢いよく呪術師の胴体へ深々と突き刺したのだった。
「なっ!」
「待て、引き抜こうとするな。……心臓が破裂している。まずはそこから治していく」
分厚い肉を触る感触が指先から伝わってくる。ぬらぬらした血液は沸騰したお湯のごとき熱がある。ドクドクと血管から溢れ出るのが、肌にあたった。
しかし、これは一体なにを……まさか。
「反転術式……」
「ああそうだ、よく覚えていたな」
ぐちゃぐちゃと肉をかき混ぜる音が、師匠の声とともに聞こえてきた。
「正の呪力は、治癒の力がある。使い手の練度にもよるが、欠損した部位まで復元することが可能だ」
反転術式。以前、習ったことだった。
師匠は僕に言って聞かせるようにして続けた。
「こうして損傷箇所に直接流し込めば、呪力の消費を少なくすることができる。また傷口への理解を深め、治癒後のイメージを強めることで治癒力の向上も期待できる」
「い、いま言われても、あまり頭に入ってこないです……」
「早く慣れろ。……反転術式は才能に依る部分が大きい。だが、突き詰めればただの呪力操作だ。お前もいずれこういうことをするようになる」
かつて体験したことのないグロテスクな光景に目をつむりたくなるが、どうにか視線をそらさずに話を聞いた。
「次に血管だ……足りない血は、どうすればいいと思う?」
師匠は丁寧かつ素早い動きで血管同士を繋ぎ合わせていった。非常に複雑かつ、繊細な作業だ。
それを可能にするのは、経験あってのものなのだろう。どうやら人体を熟知しているらしかった。
……しかし血液は反転術式で作れるのだろうか。少し考え、こう答えた。
「け、血液は……、欠損が治せるのなら、同時に血液も作ることができているということですよね」
「その通りだ。血も、反転術式で補充できる。だから血を主軸にした術式は反転術式が必須と言えるな」
これでよし、と師匠は言った。見れば心臓はすっかり修復されており、傷らしい傷はどこにも見当たらなかった。
「でもこれ、衛生面は大丈夫なんですか?」
「…………、心臓マッサージを行うぞ」
(あ……誤魔化したな)
すっかり元通りになった心臓を握り、強引にマッサージを行う。なるほど、これはこれできちんと効果があるらしい。分厚い筋肉の奥で血液の流動する気配を感じた。
そうして心臓マッサージを続けていると、血色の悪かった呪術師の頬に赤みが増してきた。元の拍動を取り戻し、徐々に全身へ酸素が運ばれているようだ。
これで一安心かと思ったところで、師匠がなにかに気付いたのか唸り声をあげた。
「ん……」
「どうかしましたか?」
「魂が離れかかっている」
「?」
「このままじゃ、脈が戻ったところで意識は戻らないということだ」
なるほどわかりやすい説明だ。だが、僕は魂とやらについてほとんど知らないと言っても過言ではなかった。魂とは形のないものだから、心臓とは違ったやり方になるのだろうが……。
「どうにか、できないんですか」
「嫌だ。やりたくない。やる意味もない」
それだけ言って、師匠はすっかり腕を引き抜いた。おそらくそのときにも反転術式を用いたのだろう。呪術師の胸元にあった裂き傷は、まるで何事もなかったような真っ新な肌に戻っていた。
「やりたくないってことは、技術はあるわけですよね」
「そうだが……」
いかにも嫌そうに師匠が言う。
僕は食い下がって頼んだ。
「お願いします。どうか、この人を助けてやってくれませんか」
「……そうは言っても、魂を引き留めるためにはなにか別の力が必要だ。例えば──京介、お前の魂とかな」
「!」
「ほんの一部で構わないが、それでも自分の魂を他者に預けるというのは──」
「──構いません。やってください」
ピタリと師匠は喋るのを辞めた。長い静寂が公園の中を占める。本当に時が止まったようだった……けれど、その間も僕の決意は揺らぐことはなかった。
先に静寂を破ったのは師匠だった。僕の決断を、とても不思議に思うらしい。
「どうしてそこまで、この呪術師に入れ込む? 赤の他人だろう」
そう、赤の他人だ。僕もどうしてこんなに強く彼女を救いたいのか、理由が見つからない。
だから言葉に困って、思ったことを口にした。
「……分からない。なんでだろう。でも」
ふと、呪術師の方を向いた。まるで眠っているみたいに目を瞑っている。死人も同然だというのに、すごく穏やかな表情に見えた。
「この人の目を見たとき、思ったんです。あんまりにも人じゃないって。まるで機械みたいだって。それがすごく悲しかった」
「…………くだらん理由だな」
長い沈黙ののち、師匠はそう言った。
くだらない理由。けれどそれが、師匠の気持ちを動かしたらしかった。
「よし、接吻だ」
「せ、接吻?!」
ああそうだ、と師匠は言う。
「唾は古来より呪術的な意味合いが強い。ほら、前に見た映画にも口噛み酒があったろう。あれは酒造を目的としているのではなく唾を混ぜ込むことが──」
「わ、分かりました、すればいいんですよね?!」
「唾だぞ! 唾が肝心なんだからな!」
肝心だと言われても、はてどうすればいいものか。
せ、接吻。つまりキス。
医療行為。人工呼吸のようなものと言い聞かせながら、とにかく唇をつける。
「舌を入れろ」
「?!」
なにがなんだか分からぬまま、とにかく言われた通りにする。舌で歯列をなぞり、ゆっくり推し進めると、柔らかな鉄のように熱い舌の感触があった。
「もう少し奥に……あと数秒……よし! もういいぞ」
「っ、は!」
なんだか頬が熱い。すごくいけないことをしてしまった気がする。
「やれることはやった。逃げるぞ。仲間の呪術師がこちらに接近している」
「! は、はい!」
顔を見上げると、確かに何者かが公園内へ入ってくるところが見えた。まだ遠いが、モタモタしていればすぐに詰められてしまう距離だ。
慌てたように立ち上がると、脱兎のごとくその場から逃げ出した。あとの処置は、仲間の人がきっとやってくれるだろう。
しかし今日は走ってばっかりだなと、先ほどの出来事から無理やり思考を切り替える。けれどそれでも、唇に残った感触がどうしても拭えない。
そんな風にがむしゃらになって走る京介の背中を、誰かがじっと見つめていた。
△▼△▼△
遅れてやってきた真希は、逃げ行く何者かの顔を見て心底驚いていた。
なぜって、あまりにも意外だったからだ。
「……京介?」
驚きのあまり言葉が漏れる。それを聞いていたのか、地面に仰向けになり倒れていた女が話しかけてきた。
「あ、あれは……知り、合い?」
「知り合いっつうか……」
真希は歯切れの悪い返事をした。
真希と京介は知り合いと言っていいだろう。そこは問題ではない。真希が気がかりだったのは、なぜこの女が京介個人に興味を抱いているのだろうかということだ。
調査対象としてなら問題はない。ただこの女──鯉口の口ぶりには、どうもそういった枠組みを超えた憎悪の気配が見られたのだ。
それに今は夜も更けている。顔を見たとき、ついそう思っただけで、京介である確信はなかった。そんな曖昧な判断で知り合いを危険な目には合わせたくなかった。
「背格好が似てるなって思っただけで、暗くて顔までは」
「そ。分からないならいいや」
それならそれで、他にやり方があると鯉口は言った。
「っ、ていうか、大丈夫っスか。血塗れですけど」
「ああ、これは……助けてもらっちゃった」
あたりは血で塗れている。その上、鯉口の傍には真っ二つに折られた日本刀が落ちていた。
よっぽど激しい格闘がここで繰り広げられていたに違いない。……今夜だけで、この街の呪霊をほとんど狩ってしまった鯉口を打破しうるような敵だ。むしろ街への被害がほとんどないのが不思議なくらいだった。
「立てますか?」
「ん、ありがと」
鯉口はよろつきながらも、真希の肩を借りて立ち上がる。まだうまく頭に血が回っていないのだろうか、足取りが覚束なかった。
「……このことは他の人たちには秘密ね。やられた挙句、助けられたなんて……恥ずかしくって死んでしまいたいくらいだから」
△▼△▼△
翌朝、京介は寝ぼけた顔で学校に登校していた。
昨夜は追跡を免れるために、戦闘後もしばらく街中を走っていたので、家に帰る頃にはすっかり明け方になっていたのだ。そのためほとんど寝ておらず、しまりのない顔になっていた。
それでも学校を休むわけにはいかないので、大きくあくびをしながら京介は通学路を歩いていた。
「そういえば、昨夜のことですけど」
周りに聞かれないよう小声で話しかける。
目立たぬよう手元に口を移した師匠は、大きくあくびをしてから「なんだ?」と言った。
「はじめの戦闘のとき、僕がやられそうになった瞬間、急に後ろへ吹き飛ばされたんですけれど……なんだったんですかね、あれ」
「あれは私の術式だ。……ほら、例の呪術師をなかなか振り切れなかったのは、術式の残穢を追われていたからだ」
「……あれって師匠のせいだったんですね」
「私に責任を押し付けるな。元はと言えばだな、お前が攻めあぐねていたから──」
またお小言が始まったと、気を紛らわすように視線を前へ移す。
登校時間のため他の学生の姿もちらほら見えた。もう少し歩けば学校だろうか。
そんなことを思いながら横断歩道の前で信号が変わるのを待っていると、道路を挟んだ向こう側に思わぬ人を見つけた。
「げ」
「げ?」
藍色の剣道着を着た女の人が立っていた。色素の薄い髪が、大きなリボンと共に風に揺れている。誰かを待っているようで、伏した目でじっと誰かを探していた。
その横顔は一枚の絵のようだ。淡く浮かんだ笑みが印象的だった。
着ているものは昨夜と異なるが、隙一つない佇まいを見れば一目で誰か分かった。
呪術師だ。昨日のあいつが、なぜか校門の前にいる。
──あの時のように、目と目が合った気がした。
「また会ったね」
悪魔が微笑みかけてくる。
僕は学生鞄を放り投げて走り出していた。
ハートを握る(物理)
※真希さんより鯉口の方が歳上なので、敬語を使っています。
お気に入り数1000越えてました(4桁!)。
ありがとうございます。嬉しいです。