【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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十話

 森の匂いがする。誰かに抱えられて、柔らかい道を進んでいる。腐葉土の感触。心地よくて眼を閉じる。絶対的な安心感。あまり一緒にいられなくて「ごめんね」と言われた。それがどういう意味なのかはまだわからなかったけれど、夕暮れの紫を帯びた眼――大好きな群青色はかなしそうだった。

 今日もじいやのところに行くのだろうか。ずっと一緒にいたいのに。

 離れたくなくて身を寄せる。つんとする匂い。

 す、と彼を抱える腕に力がこもる。

『■■■』

 囁き。ぐうっとその人が遠くなる。金の光が舞い踊って、ますます遠くなる。ぼう、と浮かび上がる紅い眼。あれはよくないものだ。黒くて――冷たい影。三日月型の唇。

 こわい、あれはだめ。こわい。

 喉が鳴る。泣いてもなにをしても、大好きなひとは振り返ってくれない。精一杯呼ぶ。それでもだめ。

 光と光がぶつかって、影と影が踊る。紅い何かが飛び散って、ぱたんと倒れた。震える手が、伸ばされる。

『――お願い……を置いていく私を――』

 赦して。

 はっと眼を開ければ、真っ白な天井が飛び込んできた。深く息を吸って吐いて、何度も瞬く。夢を見ていたようだったが、それがなんだったか思いだそうとする端からするすると消えていく。涙がこぼれて止まらない。

「なんなんだよ……」

 顔をぬぐおうとして、かざした片手。包帯が巻かれまるでミイラだ。ええ、と出した声もひどく嗄れている。

――襲われて

 言いがかり、いや逆恨み。トイレに連れ込まれて、それでレディが泣いていて……。それよりこの包帯ぐるぐる巻きはなんなんだ。首も身体も巻かれているらしい。サイドテーブルに手を伸ばそうとする。杖。杖をもっていないと。震える指が杖を掴もうとする。なんだがぐらぐらしている。乳歯じゃあるまいし。もう少しと歯を食いしばる。届きそうで届かない。次の瞬間、杖がころりと転がって、指に触れた。ちりりん、とかわいらしい声を立てる。

 少し乱れた靴音がやってきて、カーテンがぱっと開いた。

「目覚めましたかリアイス」

 入学してから世話になりっぱなしの、マダム・ポンフリーだった。

 いわゆる全身滅多刺し、いいや斬りにされ、指が何本かちぎれかけていて、高熱を出して軽く一週間寝込んでいた。犯人はイージス家の魔法使いで聖マンゴに放り込んだ。既に問答無用で退学完了。首のあたりが特に深く傷つけられていて、傷跡が残る。腕やら足やらにも痕が残るかもしれない。贈り物がたくさん来ているので、別室保管しています。

 マダム・ポンフリーの説明は以上だった。いつ退院できますかと訊けば「しばらく駄目です。絶対駄目です」と怖い顔をされた。マクゴナガルそっくりだ。

 贈り物は色々あった。色々というよりたくさんあった。ハリー、ロン、ハーマイオニーからはお菓子、双子とリーからはお菓子――もともとはガーゴイル像をかっぱらって改造して手を出せば口から菓子を吐き出すようにしていたらしい。器物損壊で罰則を食らったそうだ、とマダム・ポンフリーが教えてくれた。優秀なのに能力の使い道を間違っているわと笑っていた。

 どうやらロンのお母さんがセーターを編んでくれたらしく、それも置かれていた。受け取りそびれたクリスマスプレゼントもついでに別室保管だそうだ。

 パーシーは意外なことに『ナルニア国物語』全巻セットをくれた。魔法族なのにどうやって買ったのだろう。セドリックはお見舞いカードと新しいローブをくれた。レイブンクローのチョウ・チャンとクイン・マグダラはお守りのブレスレットをくれた。一回だけ身を守ってくれるのよ、らしい。いかにも高級そうでウィスタは震えた。あの二人どこかのご令嬢に違いない。

 リーマスからは大量のルーン石と煙玉と爆竹と……とにかく色々贈られてきた。涙でにじみまくった手紙には『僕の側を離れた途端に襲われるなんてマダム・ポンフリーの言うことをよく聞いて休みなさいイージスはこちらでなんとかしておくから』という主旨が書かれていた。リーマスの心が乱れまくったのは間違いがない。

 そして誰かからは分からないがレモンキャンデー。最後に手紙。曾祖父からで『養生しなさい。顔を出せなくてすまない』と書かれていた。腹が立ってにらみつければ、手紙が燃えてしまった。魔力が有り余ってますねえとマダム・ポンフリーにはあきれられた。

 各方面に心配をかけまくったのは事実で、ウィスタが気がついたと報せがいつの間にか回り、ネビルがそーっとやってきて、歌う花と「ばあちゃんからもお見舞いだよ」と菓子箱をくれた。金文字でRose Redと店名が書かれていて、中にはクッキーやらチョコやらがぎっしり詰まっていた。

 見舞い客が来る以外は、ほとんど寝てすごした。熱が出たり下がったりで、面会できない時もあった。

 指がぐらぐらしていて、スプーンやらフォークやらも巧くもてない。無事な指で挟んでどうにか食事をしようとした。ぼろぼろこぼしまくって、マダム・ポンフリーが見かねて屋敷しもべを呼んでくれた。妖精相手なら「あーん」でも構わなかった。妖精は「おいたわしい」と泣きじゃくることが多々あったのでそれはそれで困ったけれど。

 ぽつぽつ聞こえる噂では、グリフィンドールとスリザリンの仲は最悪で、廊下で会えば殴り合いをしているらしい。ウィスタが滅多斬りにされたことに、グリフィンドールの堪忍袋の緒が切れたそうだ。

「スリザリンの坊ちゃま方は、あれはイージスが勝手にやったことで、あんな野蛮人と一緒にするなと仰せで」

 運ばれたスープを飲んで、うんと頷いた。いかにも言いそうだし、スリザリンも被害者っちゃ被害者だろう。イージスの暴走だったそうだし。

――マルフォイにローブが届いていればいいが

 血塗れで死にかけのウィスタに、ローブをかけてくれたらしい。教えてくれたのはセドリックである。「男爵に言ってスネイプ先生を呼んでくれたのも彼だよ」とのことだ。マルフォイから恩着せがましくなにか言われるかと思ったが、今のところなんにもない。慈悲の心が芽生えたのか、マルフォイにも良心があったのか。

 ちくちくあれこれ言ってきて不愉快ではあったが、我慢できる範囲である。直接的に暴力を振るってきた連中に比べればかわいいものだし、イージスに比べれば聖人である。

 ローブを弁償すべきだろうと思い立って、屋敷しもべに手紙を代筆してもらった。リーマス宛だ。マルフォイ家の子にローブを弁償してやりたいんだけどどうしよう、と。するとすぐさま「任せなさい」と返事が来た。

 治療を受けながら微睡んで過ごしていると、一週間くらい経ってからふくろうがやってきた。つんと澄ました黒いふくろうであった。手紙を受け取れば撫でろといわんばかりにくちばしをかちかちさせ、そっと言うとおりにしてやれば胸を反らした。

 手紙からはいい香りがして、綺麗な字で『ウィスタ・リアイス様』と書かれていた。差出人はナルシッサ・マルフォイ。

「……マルフォイのお母さん?」

 ダイアゴン横丁で会った綺麗な人だ。ウィスタは壊れ物を扱うように、そっと封を切った。

 手紙には、お加減はいかが? とても怖ろしかったことでしょう。臥せっているでしょうにドラコのローブをどうもありがとう等々、見舞いとお礼が書き連ねてあった。マルフォイとは永遠に仲良くできなさそうだが、母親――ナルシッサ、いいやマルフォイ夫人と呼んだほうがいいのだろうか? 困ったことに彼女のことは嫌いになれなさそうだ。たぶんウィスタがマグルの孤児院育ちで、文字通りお育ちがよろしくないのは知っているはずだ。なのにこうして手紙までくれるのだ。スリザリンは魔法族万歳な寮らしいし、上流階級ってのは貧乏人が嫌いな連中だと思っていたのに。そりゃあウィスタは今まで食うや食わずの生活をしてきたわけで、貧乏でなくったって嫌がられると思っていた。

――息子と仲良くしてちょうだいね

 と暗に言っているのか、単にナルシッサが慈悲深いだけなのか。わかんねえなあと言いつつ、続きを読んで口を開けた。

 ふくろうはあなたがもらってちょうだい。ヴァルナというの。息子からあなたはペットを飼っていないと聞いています……。

 マルフォイよ、お前は母親にどういう風に伝えたんだ俺のことを。哀れな孤児として語ったら、ナルシッサが「まぁ」と口元を押さえたんだろうか。ありえる。やんわりと断るべきか。いや、あのふくろうはどこかに行ったから知らんぷりするか、と窓を見れば、ネズミをくわえた黒ふくろうが優雅に帰ってきて寝台の上に着地した。お前ここで食うのかよ。勘弁してくれよ。

「ナルシッサ――夫人のとこに帰れよ」

 ぷい、と顔を背けられた。意志は明白だ。なんてことだ。ローブがふくろうに化けた。そんなつもりじゃなかったのに。

 ああああぁと頭を抱えていると、屋敷しもべがすっ飛んできた。坊ちゃまいかがなされましたかと訊かれて「君の働きぶりに感動していた」と本音八割嘘二割で答えると妖精は泣きはじめた。手紙の返事を書きたいから代筆してくれと頼めば、一礼される。

「全身全霊でお応えします」

 ◆

 雪が雨に変わった頃、ウィスタは晴れて退院した。傷跡がいくつか残ってしまって、特に困ったのが首の痕だった。季節柄マフラーでは暑い。かといってストールなんか巻こうものなら、どこのお嬢さんだよとからかわれるだろう。もういっそ刺青でもいれるかと思ったが、不良どもを思い出すから却下した。中には凝ったものもあったが、たいていはニック♡エリー的な頭が悪いあれだった。別れたときどうすんだろあいつら。

 気にしないことにした。一方的に襲われてボコられるどころか棺桶に片足突っ込んだのだ。傷跡くらいどうってことない。さすがに哀れに思われたのか、特別待遇で監督生用の風呂――の中でも個人貸し切り用――が使えるようになったのだ。いくつかある中のひとつらしい。実は入学してからこのかた「人数割の関係で」寮の部屋も個室なのだ。マクゴナガルもびっくりな贔屓だ。たぶん手を回したのはダンブルドアだろう。わざわざ孤児院までウィスタに会いに来たくらいだ。

 リーマスはダンブルドアを偉大な魔法使いだと言うし、ウィスタもざっと調べただけだが同意しよう。半端な魔法使いじゃない。特にあの眼に見つめられるとなにもかも見透かされるような気分になる。偉大で多忙なダンブルドアが、ウィスタに会いに来た理由はわからない。動くだけのなにかがあったのだろう。たとえばリアイスの孤児だから……とか。胸くそ悪い。

 気になることは多いが、退院してから三夜連続で『快気祝い』を建前としたお祭り騒ぎに巻き込まれ、山積みの特別課題もしくは『お手伝いリスト』に目眩を起こし、ウッドには「我が寮の優秀な選手候補が死んだかと気が気じゃ」と泣かれてうっとうしく、とにかく目が回るような忙しさだった。

 そんなこんなで休暇を切り上げた目的だった諸々は吹っ飛んでいて、ようやく思い出して訊いたら「あれは望むものを見せてくれる鏡だったんだ」とハリーが教えてくれた。僕が夜中に徘徊しなかったらあんなことには、とか気に病んでいたが。

――どうしようもなかったし

 とある土曜日。図書館。ウィスタはあくびをしながら山積みの本を眺めやった。どれもこれもかび臭く、角がすりきれていたり、カバーが外れかけていた。司書のマダム・ピンスに「できる分だけでいいから、修復してちょうだい」とミスなんとかの糊やらミスターなんとかのテープやらを渡された。ああしてこうしてと手順を教えられた。生徒や教師はクィディッチ観戦に行っていて、こんな日こそ図書館の裏業務にはぴったりだそうだ。生徒の手も借りたいらしい。本には魔法が染み込んでいて、レパロでささっと解決とはいかないらしい。物理的に修復し、マダム・ピンスが保護魔法をかける。彼女の手に負えないものは本の魔法使い(ルリユール)のもとへ送るそうだ。

 あれだけ切り刻まれて生きてるだけでも幸運だ、と破れたページを繕いながら思う。襲われたのは不運だし腹が立っていないわけではない。それでもマシだったとは思う。ハリーの問題があろうがなかろうがイージスはウィスタが一人のときを狙っただろうし、あそこで人が通りかかったのは奇跡に近い。傷跡は残ったが後遺症もない。ひとまず脅威は去ったのだ。入院したせいで課題や補講という名目の手伝いやらが降ってきたのは勘弁してほしいけれど、親戚のリアイスとやらも、曾祖父とやらもウィスタのことを放置している現状に比べればかわいいものだ。

 純血名門らしいから、血筋とはいえ孤児院育ちがお嫌いなのかもしれない。孤児やらリアイスやら好き勝手に周りから扱われ、正直なところうんざりだ。口をへの字にしながら作業を終えれば次は貸し出しカードの整理と督促状の作成だった。

 小箱に乱暴に突っ込まれたカードを整理していく。ふ、とある名前に眼が留まった。ルビウス・ハグリッド。ホグワーツの森番で、ハリーたちの仲良しだ。あいにくとまだハグリッドの小屋に顔を出していなかった。双子たちとつるんだり入院したりで流れていたのだ。

 何度かみかけたことがあるきりで、彼がほがらかな性格だとしかわからない。カードに眼を通して、瞬いた。

 ◆

「ドラゴンの飼い方?」

 寮はドンチャン騒ぎの真っ最中。内緒話をするには打ってつけだ。ついこの間快気祝いで騒いで、今度はクィディッチでの勝利を祝って、とやたら騒ぎたがるのはどうかと思うが。ハリー、ロン、ハーマイオニーはカボチャジュースを、ウィスタは野菜ジュースを片手に額を寄せ合う。なぜウィスタだけ野菜ジュースかというとマダム・ポンフリーから「野菜も食べてレバーも食べてとにかく食べて寝なさい」と厳命されているからだ。

「見てみろよ」

 ウィスタはくすねてきた貸し出しカードをひらひらと振ってみせ、魔法族育ちのロンに渡した。青い眼がさっと上から下まであらためる。

「飼い方の本ばっかだね。今じゃ本屋に売ってるかどうか。ドラゴンを飼うのは禁止されてて――」

「国際魔法機密条約ね」

「そうそうそんなの。ハーマイオニー、君そんなことまで調べたの?」

「魔法史で出たじゃない。ねえハリー?」

 水を向けられ、ハリーは眼を泳がせた。

「君の知識欲には誰にも勝てないよ」

「さすが才女」

 ウィスタもここぞとばかりに便乗した。魔法史を真面目に聞いているのなんてハーマイオニーくらいなものだ。ハリーとロンはすやすや寝ているし、ウィスタも寝ているか内職している。それに長いこと授業に出ていなかったのだ。

「そ、そう? ありがとう」

 ハーマイオニーはさらりと受け流そうとして笑みを隠しきれていなかった。ロンからカードを受け取って「んんん」と唸った。

「様子を見に行きましょ。なんだかとっても嫌な予感」

 翌日、ハーマイオニーに引きずられるようにしてみんなでハグリッドの小屋を訪ねた。ハグリッドは「まずい」という顔をして追い返しにかかったが、ウィスタが「ネタは割れてんだよ」と強引に踏み込めば観念した。後ろでハリーたちが「マフィアだ」「マフィアそのもの」「マフィアだわ……」とこそこそ言っていたが馬耳東風だ。

「はあ……堂々としとるのはどっちの血か……どっちもか。おまけに頭も良かったしな……なんちゅうやつだ」

 ハグリッドはウィスタを眺め回しにがりきった顔をした。ハリーたちから聞いちょるよ、とかおまえのおっかさんも苦労しとった、やらあれこれ話しながらお茶とロックケーキを出してくれた。礼を言って茶を飲んで、ロックケーキを一口――真顔になった。ちろりと隣のハリーを見れば、にやにやしているではないか。

――歯が折れる

 まさしく岩のケーキだ。本当はざっくり材料を混ぜ合わせた、岩のようなケーキという意味で名付けられているのだけど。こいつは半端な固さではなかった。

 ロックケーキをポケットに入れる。なかなか使えそうだ。鈍器をもっていれば問題だけれど、ケーキならどうとでもなる。うっかり投げたら当たったんです。おやつにするつもりで……とか。武器はいくつあっても困らないだろう。

「それでね、あれはドラゴンの卵だよね」

 とか

「ハグリッド、賢者の石の仕掛けはどんななの」

 とハリーとハーマイオニーは聞き出そうとしていた。ロンは「あれはたぶんノルウェーなんとかの卵だ」博識ぶりを披露していた。ハグリッドは「あれはノルウェーリッジバックの卵だ」と胸を張り「守りに関してはなんも言えん」と頑なだった。ウィスタはぼそっと「俺たち口が軽いからさー、言っちゃうかもドラゴン――」と仄めかした。

「……お前さんなんでスリザリンに入らんかった。さらりと人を脅すやつがあるか。リーンそっくりだ」

 ハグリッドは困ったようにハリーとウィスタを交互に見て、テーブルにのの字を書き「ええか、ジェームズとリーンには助けてもらったことがあるから、これは、その……礼だ」と怖い顔をした。ちっとも怖くなかった。なにせハグリッドの眼は笑っていたのだ。

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