【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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アズカバンの囚人②

「そんな嫌そうな顔するなよ」

「そっちこそ人の顔見てにやにやすんなよ」

 鼻を鳴らす。室の隅――椅子に腰かけているのはナイアードだ。深紅の外套が華やかだ。抑えた金糸で薔薇や獅子が挿されている。腰には杖や短剣がさげられていた。

「いきなり拉致って着替えさせるやつがあるか!」

 キングズリーと別れ、クロードに連れられて城へ入った。ここはクロードの城らしい。パッサント城というそうだ。そしてクロードはナイアードにウィスタを預け、今に至る。

「しかも数時間後に就任式やるってなんだよ!」

 吼えた。慌ただしすぎるにもほどがあるし、ウィスタの意思などガン無視である。

「一城の主になれるし、お小遣いいっぱいだし、仕事もいっぱいだし楽しいぞ?」

「黙れ」

 仕事がいっぱいってなに。

「俺まだ十三歳」

「心配するなよ、俺は十四くらいで当主になった」

 第二分家当主だよと言われ、気が遠くなった。分家って。

「それで君は本家当主」

 ランパントになるんだ。

 深紅の絨毯の上を歩きつつ、ナイアードとのやりとりを思い出す。そのナイアードは、広間の奥に、他の当主とともに並んでいる。突き刺さるような視線。この中の何人かは、確実にウィスタを好いていない。

「ウィスタ、こちらへ」

 居並ぶ魔法使いと魔女の中から、ひとりの老人が進み出る。老人、と言うのをためらってしまう。髪は灰色、顔には傷。眼は薄い群青で、背中に棒でも入ってるのかと思うほど、姿勢がいい。

 老人ってか老騎士だな。バタバタしてて話せず仕舞いだが、この人こそ、ウィスタの曽祖父なのだろう。キングズリーを顎で使ってウィスタを拐わせた人だ。

 獅子公アシュタルテ。グリンデルバルドを倒した英雄の一人に頷いて、ウィスタはゆっくりと歩を進めた。前にあるのは台と、器だ。いったいなにをやらされるやら。

 行きたくないなあと思っていても台は近づく。載せられていたのは水盆だった。獅子と鷲と穴熊が彫られていて、くすんだ銀色をしていた。

「杖を翳しなさい」

 厳かに言われ、言われるままにした。深紅の杖を出せば、紅と黄金の火花が散る。水盆に吸い込まれていって、水面が揺らめき黄金に輝いた。

 まばゆさに眼をつぶり、開いた時には、水面に紋が躍っていた。ゆらめき、紋がふわりと浮かぶ。天井近くまで黄金の粒子が舞い上がり、悲鳴のような声がした。

「翁! やはり合いの子は……!」

「黙らんかクーラント!」

 怒声に、己が叩かれたような気分で固まった。騒ぎなど知らぬげに、黄金は楽しげに躍り、下りていく。ウィスタの杖へと吸い込まれ――柄に紋を刻んだ。

「不吉だ!」

 制止された誰かはなおも叫ぶ。

「あってはならぬ!」

 穢れの紋など認めぬぞ。

 ◆

 呆然としているうちに式が終わった。

「俺、悪いことしたんですか」

 ソーセージを一口かじる。パッサント城の一室だ。

「悪くない」

「あのクソ野郎がいかれてるのさ」

「黙らんかナイアード」

 曽祖父――アシュタルテは、ナイアードをきつく睨んだ。

「どんなに頑固で愚かだろうがあれは第六分家当主。口をつつしめ」

 ボロクソじゃねえか。

「曽祖父様……」

 はあ、と嘆息したのはクロードだ。遠慮せずに食べなさい、と皿にソーセージやらチキンやらサラダやらをガンガン載せてきた。そうして、薄青――銀にも見える眼をウィスタに向ける。

「選定は成った。あなたはランパントなの。紋は……そういうこともあるでしょう」

 クロードはひどく困っているようだ。じっと見つめれば、彼女は呟いた。

「私の読みでは、あなたの紋はグリフィンと星と蛇だったのよ」

 向かい合うグリフィンと幻獣じゃなくってね。

 もやもやしたまま、ランパント城に移った。この城の主はウィスタだ。廊下を進むごとに、魔法の灯りがともっていく。ぼうやりと照らされたそこを進み、室に入る。当主の執務室だそうだ。

 踏み入れば、求める品が机の上にあった。深紅の本。歴代本家当主を記したもの。

 ぱらりと開く。始祖――ゴドリックの曾孫ランパント、そこから舐めるように確かめる。祖母の代は交差する剣と杖。母は天秤を咥えた獅子。そしてウィスタは向かい合うグリフィンと幻獣。

「どうなってんの」

 過去の当主の誰も、幻獣を宿したものはいない。もちろん、蛇も。

 ウィスタだけが異端だった。

 

 

 

「ろくでもないな」

 長い長ーいため息が、コンパートメントに響く。

「合いなんとかなんて、間違っても言っちゃいけない」

 ましてや子どもに。穢れたなんとかと一緒だぞ。

「あんのア……」

 言いかけ、リーマスは咳払いした。顔をひきつらせている。さて、アホかアホンダラがどっちだろう。リーマスが言おうとしてたの。

「孤児だし別に……」

 休みの間のあれこれと、当主就任の際のゴタゴタを報告し、ウィスタは一息ついた。九月一日、新学期始まりの日に、リーマスと特急に乗っているのは妙な気分だった。

「リアイスなんてもう嫌だと思うんなら、私が連れていく」

 駄目だキレてる。

「もしものときはお願い」

 学校もあるしさあ。ぼそぼそ言ってなんとかなだめた。ハーマイオニーが穢れたなんとかと言われるのは腹が立つが、自分が似たような扱いを受けてもたいしてなにも思わないのだ。

――魔法界に戻る前の扱いもたいがいだったしな

 これに尽きる。ついでにぎゃあぎゃあ言ってた野郎は第六分家当主クーラントで、昔は先代――ウィスタの母親のこともぎゃあぎゃあ言ってたそうだ。クロード、ナイアードがひややかに睨みつけ「六のは落ち着きがありませんな」と第七分家当主(ウィスタの大伯父らしい)がせせら笑い、最長老アシュタルテが「貴様ら四、五、六の汚名は完全に晴れたわけではないぞ」と今にも野郎を始末せんばかりに睨んで黙らせていた。

 昔のあれこれというのは「当時、当主候補だったリーンを、四から六分家の大馬鹿が襲撃したのだ」と大伯父こと第七分家当主に耳打ちされた。なんぞあったらうちの愚息どもか娘に言うか、獅子公に言うか、クロードかナイアードに言ってもいいし、自分で黙らせてもいいぞとも言ってくれた。

『お前はランパント、我らの盟主となったのだ』

 生徒が乗り込んでくる前に、リーマスと別れた。新しい教授とウィスタの関係は伏せなければいけないそうだ。蛇語を話せたりする謎の多い養い子がうっとうしいのかもしれない、と少し思う。

 空いたコンパートメントに入り、どっと疲れが押し寄せてきた。朝から晩まで木剣で打ち合いとか、乗馬とか、実戦向けの呪文を叩き込まれるだとか、ダンスの練習だとか、服の採寸だとか、実戦以下略だとかされてみろ。夏休みの課題の十倍きつい。

「もう無理」

 ホグワーツに着く前に干からびるね。

 眼をつぶった覚えも無ければ寝た覚えもないのだが、瞼を上げれば床が揺れていた。頭の下に枕がある。何事?

「寝坊だぞ」

「目覚めに野郎の顔見るとかクソだ」

 悪夢悪夢。もっぺん寝ようとしたら胸ぐらを掴まれた。

「お前な!」

 マルフォイである。いつもと変わらない。ウィスタをガミガミ叱ってくる。うざ。

「ローブを枕にしてやった僕の親切に感じ入れよ」

「女の子の膝枕がよかったなあ」

 ぶつくさ言いつつ身を起こす。スリザリンの連中がそろっていた。

「で、お前闇祓いに拉致されたって?」

 さらりと訊いてきたのはザビニだった。

「実家? に放り込まれたよ」

「……で?」

「歓迎七割、嫌ってるのが三割かなあ……」

 合いの子って言われたよ、と試しに言えば、ダフネは「リアイスは一族主義だものね」と首を振り「ひどいわ!」とパンジーが言い、「差別主義にもほどがあるだろう」とマルフォイがキレた。何人かは「お前が言うなよ」という顔をした、ほんとお前が言うなよ。

「やっぱあれだ、父親がやべえ職業のあれか、水商売系っつうのかああいうので、あげくにスリザリンに組分けられたからって線が濃厚だな」

「ありえそう」

 ほんとなあ、ちょっと世間から外れた職業だと当たりがきついんだよなとザビニが深く頷いた。わかってくれるか友よ。

「父上からみんなに、と」

 マルフォイがさっと袋を出してきた。いつだって注目を集めたい坊ちゃん。なんでか額に汗が見えるような……? 車内の温度は快適だぞ?

 ひょいと出されたのは小袋だ。ささっと配られて、一同は首をひねる。なんだろうか。

「チョコレートだ。持っておけと……今食べるなよグラップ、ゴイル!」

 マルフォイは幼馴染たちに警告する。

「この中に精神病んでるやつかいたか?」

 ノットが小さな声で言う。マルフォイは胸を張った。

「そのあたりは知らない。持っておいていざという時食べろと」

 わからんくせに胸を張るなよ。

――なんだろうなあ

 実はウィスタはすでにチョコレートを渡されているのだ。万が一のことがあるからね、と。杖を手放さないこと、とも。ついでにナイアードは透明マントをくれたし。わからん。変な輩から身を隠す必要があるかもどうこう。新しいローブもくれた。守護が織り込んであるようだ。

「いざという時ってなんなの?」

 パンジーが言った時、特急の速度が落ちた。ウィスタは窓の外を見た。雨……で、野原が広がっている。ホグワーツは遠いはず。

「なんだ?」

 マルフォイが言ったとたん、ふっと灯りが消えた。即座に「ルーモス」と呪文が響いた。ウィスタは杖を掴んだまま、身構えた。ルーモスは他の連中に任せればいい。それよりも、左手中指から伝わる冷気が問題だ。

――なにか

 なにかがある。

 パキッと硬い音。窓が凍っていく。じんわりと室温も下がっていく。『冬の息吹』の仕業ではない。別のものだ。

「なん、なんなんだよぉ……」

 異常事態だ。マルフォイの掠れた声に、ウィスタは逆に冷静になれた。

 幽かな衣擦れの音。一同は杖を構え――それが現れた。

 背の高い影。ローブを纏い、頭巾を被っている。

『アズカバンの看守で――』

 ウィーズリー小母の声が蘇る。恐ろしい看守だと言っていた。心臓がきゅっと縮む。なんだったか。呪文が――。

「守護霊よ来たれ」

 ふわりと白い靄が漂う。看守――吸魂鬼はうるさげに首を振る。

 荒い息は誰のものか。いまにも途切れそうな喘鳴になって……。

 叫びが聞こえる。

 お前には渡さないと。

 ふ、と靄が消える。影がやってくる。ウィスタの腕を掴む。

 狙いはウィスタだと直感した。けれど逃げる術はない。ぐらつく視界。杖を振る。片腕が熱くなる。指は冷える。

「吹っ飛べ」

 火花とともに吸魂鬼が後退する。ウィスタの腕を掴んだまま。

 頭が痛い。けれど、コンパートメントから出さないと……出せた……。

 いまにも倒れそうだ。ギリギリだ。火傷したように、吸魂鬼が腕を離す。さらに吹っ飛ばし距離を空ける。

 割れるように痛む頭。誰かの声。通路には誰もいない。

「獲物だ」

 囁けば『冬の息吹』が顕現する。吸魂鬼を一閃し、そこから先は闇に包まれた。

 

 

 

「ポッター、吸魂鬼が来るぞぉお」

 大広間に入ったとたん、バカがバカを言っていて目眩がした。このままぶっ倒れてやろうか。

「吸魂鬼なんかにおび……」

 つかつかと歩き、スリザリンのテーブルの一角、おおはしゃぎしてる阿呆の肩を掴んだ。

「そっかあ、ドラコはそういう考えだったと」

「おま、無事……もう起きていいの――」

「俺も倒れたけど?」

「いや、あの」

 マルフォイの眼が泳ぐ。一緒になってハリーをからかっていたパンジーも同じくだった。

「ぐ、具合は……?」

 軽く一睨みし、マルフォイから数席離れた場所を確保した。坊ちゃんがショックを受けようが知るもんか。

 パンとスープをとり、黙々と口に運ぶ。「リアイス……?」とマルフォイがほっそい声で呼びかけてきたが無視。

――ほんとわかんねえ

 吸魂鬼に襲われたウィスタを心配し大騒ぎしていたのもマルフォイで、ハリーをからかうのもマルフォイだ。悪質だ。あんなもん倒れてもおかしくない。

『無茶をして』

 爛々と光る藤色が脳裏に過る。吸魂鬼と対峙してぶっ倒れたら、なぜか彼女がいたのだ。有無を言わさずチョコを突っ込まれた。マルフォイも近くにいたがうるさいだけだった。

 甘いものは好きじゃないのだけど、彼女に食わされたチョコは、妙に美味かった。

――彼女は

 親切なだけだ。セド、チョウと、彼女とで介抱されて。チョウに実家から持ってきたという薬をぶっこまれたし。かなり効いた。泣くほど苦かった。我慢しようとしたが無理で、彼女の前でみっともないところを……。

 なにを意識してるのか。うなりながら朝食を片付けていく。パンをちぎる手がぎこちない。吸魂鬼のせいだ。掴まれた片腕は冷たく、じんじんと凍みるように痛む。リーマスやマダム・ポンフリーは発狂していた。特にリーマスには説教されるわ、デコピン三連発されたりだとか最悪だった。

 す、と紙が置かれた。時間割だ。スネイプは淡々と職務を遂行している……かと思いきや、ウィスタには冷たい。

「脱狼薬を生徒につくらせようとするって正気かよ」

 囁けば、最高に嫌そうな顔をされた。なんでこいつ教師なんてやってんだよ。吸魂鬼に襲われてぶっ倒れた生徒の様子を見に来たのはいい。教師もとい寮監だし。が「またこいつかよめんどくせえ」的な感情を隠しはしないし、朦朧としている中で「貴様、養父の薬くらい煎じろ」と言うし、「腕輪は外すな」と偉そうに言うし、だ。

 うんざりしながら席を立つ。ああ、片腕の痛みがうっとうしい。守りがなければ壊死してたかも、と言われた。なんて迷惑なのだ吸魂鬼。

――というか

 なんでウィスタを連れて行こうとしたのか。養父に訊いても、スネイプに訊いても「純血で魔力が多いからだろう」という回答だった。なんだか怪しい。しかし、ウィスタになにが判断できるというのだろうか。せいぜい、ホグズミード行きの許可証を死守することしかできてない。シリウス・ブラックの件が出てくる前に、リーマスの署名をもらっていたのだ。リーマスは頭を抱えていたが、こればっかりは譲れない。

 てくてくと地下へ向かう。スリザリンは大広間から寮まで近くていい。グリフィンドールだったら苦労していたし、レイブンクローも遠いらしい。

「お加減がよろしくないのに」

 一人歩きですか。静かな声とともに、隣に男が並ぶ。亜麻色の髪に、浅葱色の眼。穏やかそうな顔立ちで、なんとなくリーマスに似ている……ように思う。

「過保護だよ」

「吸魂鬼に一人で向かう子がいますか」

「あんたは俺のにーちゃんかよ」

 ヘカテ、と呼びかければ男――リアイス一族第七分家の子息は嘆息した。

「大人ですからね、あなたよりも」

 かなりお怒りである。昨夜も散々怒られたのだ。多方面から。英雄思考にもほどがある。他の子から引き離すためとはいえ、無茶だ、君はただの十三歳だ……とか。八割は死ぬほど心配させたリーマスが言ったのだけど。

「……過保護だ」

「リーマス先輩は真っ当な親ですからね」

 息子が倒れれば青ざめもする。

「勝手に察しないでくれる?」

「申し訳ない、あまりにわかりやすくて」

 ムッカつくなこいつ。『谷』に帰そうかと一瞬思い、それはできないのだと思い出した。ダンブルドアの要請で、リアイスの当主(つまりウィスタ)が、ホグズミードに派遣した隊の長なのだ。ムカツクからで帰せれば苦労はしない。

「我慢なさってください。吸魂鬼からあなたを守るためです」

 さらりと言ってくれたものだ。

「シリウス・ブラックから生徒を守るの間違いじゃ?」

 にっこり。答えてくれないと。

「吸魂鬼がうようよいる、天候最悪、障壁は張られてる、教師も警戒している中、乗り込むかどうか」

「狂ってると聞いたぞ」

 前後の見境がなくなっていて、闇の帝王もといヴォルデモートの復権を夢見ていて、ハリーを殺せばそれができると思ってるだとか、リアイスの子であるウィスタもついでに狙ってるだとか。世間の噂は花盛りだそうだ。

「彼は脱獄した。十二年穏和しくしていたのにも関わらず。彼なりの理由があり、道筋があるんでしょう……そして本当に壊れた者が、脱獄できるとは思えない。少なくとも魔力は枯れていない、捜索を掻い潜る頭脳はある。ホグワーツに乗り込むのは悪手だとわかっているはず」

 ブラックを知っているような口ぶりだ。ちらと彼を見ても流された。まあいいさ。

「俺は合いの子らしいぞ? 守るだのなんだの、どこまで本気かな」

「子どもに……大人でも……そんなことを言う輩は捨て置くことです。あなたには危険がつきまとう。派遣されたからには力を尽くしますよ」

「俺はそんなに弱くない」

「わかっていますが」

 コツ、と靴音が止まる。スリザリン寮の番人『賢人』の肖像画の前だった。

「守らせていただかないと困りますね」

 我々を子どもを放置するような、ろくでなしと思わないでいただきたい。

 静かな静かな声は、ひどく暗い色を帯び、一雫の悔いが滲んでいた。

 

 

 

「俺はニュート大先生じゃねえんだぞ」

 ぼやきは夜の闇に吸い込まれる。禁断の森、黒々とした樹木の影を縫い、白光が降り注ぐ。

「冒険がお好きでしょう?」

 小さな獅子。月に濡れた彼――ケンタウルスは小さく笑う。

「か弱い子羊を呼び出すなよ」

 フィレンツェ。

 ウィスタは腕を組み、彼を軽く睨む。深夜も深夜、ド深夜だ。九月三日。いや、四日になったか――の一時すぎ。

 事の発端は、灰色のレディことヘレナに叩き起こされたことだ。早く、と急き立てられ、古い、恐ろしく古い抜け道を駆使し、時間を短縮。校庭に出て、ひっそりとしかし素早く動いた。レディはなんにも教えてくれず、だんまりだった。

 で、導かれたのは禁断の森。なぜかフィレンツェが待っていて、黒い塊が彼の足元にある。

 最初は毛皮かと思った。熊の毛皮とか。だが違った。

「……ハグリッドに頼んだら?」

 ウィスタは毛皮に歩み寄る。レディはひっそりと待機していて、一言も口をきかない。顔色が悪いように思うのだけど、気のせいか。ゴーストに顔色なんてないはずなのだが、レディの様子がおかしいのはわかる。

 彼女のことは気になったが、今は別の問題に集中しないと。

「迷い犬の保護をしろって?」

「番犬にいかがか」

「押し付けたいわけね」

 でかい犬である。ゴールデンくらいなら可愛いなぁで済むのだけど、それより大きい。真っ黒で、ボロッボロだ。

 なんで俺が。ちらとフィレンツェとヘレナを見ても無視された。

 鞄の口を開ける。ナイアードに「当主就任祝い」でもらった逸品だ。バッチリ獅子の紋が入ってるのは気に入らないが、機能は抜群。拡大呪文がかけられているのだ。なので御覧ください、でかい犬もこのとおり。スッと入るのですお客様。

「よろしい」

 拡大呪文つき鞄は珍しくともなんともないのか、フィレンツェは通常運転だった。ウィスタはがっかりした。

「先生みたいだね、あんた」

「占いか弓なら教えて差し上げられますよ?」

「んなことしたらハブられるだろうあんた」

 くだらないやりとりを経て、森に後にして、諸々省いて城に帰り……とある隠し部屋に到着した。

「あってもおかしかないけどさあ」

 グリフィンドールの部屋というらしい。祖先の肖像画に概要をきいて呆れ果てた。創設者は秘密の場所をつくっていて、しかも互いになんとなく察していたが不干渉だった、らしい。

「我が祖ゴドリックもスリザリンがなにやらしているのはわかっていたようだが」

 まさか蛇の王を住まわせていたとは思わなんだよ。しみじみと言う肖像画――ゴドリックの孫ネフティスの言に耳を傾けつつ、鞄を開ける。階段を下って犬を回収した。ひきずるようにして運ぶ。

 一旦洗って、治療しなきゃだ。部屋は浴室やら寝室もあり、ばっちり生活できる。ゴドリックに感謝だ。内装がグリフィンドール仕様なので、かなり居心地が悪いが。

 犬を浴室に放り込み、洗ってやる。そうして片手をかざした。淡い輝きが腕輪――『螺旋杖』からこぼれ出て、犬を癒やしていった。

 ◆

 夜明けまでの数時間、なんとか寝て。起きて大急ぎで朝飯を搔き込み、飛ぶように校庭に向かい――と忙しなかった。

――忙しすぎる

「先生はヒッポグリフなだめといてよ!」

 叫び、ウィスタはひんひん泣いているバァカを見下ろした。ほんと忙しいな今日。マルフォイを引きずるようにして立たせ、肩を貸す。

「とっとと行くぞ」

「あんなケダモノゆるさ……いたい……」

 点々と血が垂れる。マルフォイの腕の傷は深いようだ。まだ腕の切り傷だけですんでよかった。ヒッポグリフを怒らせたのだ。もっと酷いことになってもおかしくなかった。

 痛い痛いとうるさいので、失神呪文をかけたくなったこと数回。我慢してマルフォイを医務室に連れて行き、マダム・ポンフリーはさっさと傷を治した。

「まだ痛むんです」

 マルフォイはほざき、マダム・ポンフリーはまじまじと傷があった箇所を観察し、ウィスタは片方の眉を上げた。

――なんか企んでるなこいつ

 マダム・ポンフリーは重ねて処置した。痛み止めの軟膏を塗り、包帯を巻く。かなりおおげさなのだがマルフォイは満足したようだ。経過観察のため、今日は泊まりですよと言われて寝台にもぐりこんだ。

「本当に痛いんだからな」

 椅子に腰掛けるウィスタに、言い訳がましく言う。怪しい。めっちゃ怪しい。

「痛いとか辛いとかは患者じゃないとわからないからな」

 他人にはわからないこともあるさ。そう言ってやれば、マルフォイは安心したように頷いた。

「善意を利用する患者もいるらしいけど」

 マルフォイの眼が泳ぐ。こいつ、癒者の善意をなんだと思ってやがる。たしかに痛みは本人にしかわからないし、癒者は患者の声に耳を傾けるものだろう。が、それに乗っかるのはどうなのか。

「あんな爪に」

 鼻を鳴らす。

「お前腐っても魔法族なら、生き物の強さも知ってるんじゃないのかよ」

「あの木偶の坊が悪い!」

「指示も聞かずに切られやがって」

 デコピンを一発かます。マルフォイがひんひん泣いた。

「てめえが片腕吊ってようが俺は甘やかさねえからな」

 

「魔法族だろお前は。片腕使えないからってなんだ」

 数日後の魔法薬学。ウィスタは蔑みの眼をマルフォイに向けた。「傷が痛いんですせーんせー」とほざき、ハリーかロンあたりに嫌がらせを目論んでいただろう坊ちゃんは、絶望しているらしかった。ウィスタが阻止したからだが。

「怪我人だぞ僕は!」

「ディフィンドの練習だと思えよ」

 陶器に材料をぶち込む。自分の作業をしながらマルフォイを監視した。

 手許が狂って机に傷、陶器にひび……無理だぁあと言いながらマルフォイは魔法で材料を切っていく。背後から「リアイスくんマジスパルタ」「愛のムチ?」「いびってるようにしか」「マルフォイザマァ」等々聞こえてきたが無視である。前方ではスネイプが眉間に皺を寄せていた。つかつかと靴音を響かせてやってきたスネイプに、ウィスタはにっこりしてやった。

「熟練者だと魔法で切って時間短縮しますもんね?」

 ウィスタを睨みつけ、歯ぎしりしながらも、スネイプはマルフォイの健闘に対して五点与えていた。そりゃあスネイプが文句を言えるわけがない。

 ウィスタに脱狼薬をつくれるようになれと言い、つくりかたを実演したスネイプは、時間短縮のために魔法を使いまくっているのだから。

 きっとキャベツの千切りも玉ねぎのみじん切りも得意だろうさ。

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