ウィスタを取り巻く状況に変わりはなかった。つまり、大量殺人鬼か毒虫のように見られるか、どこぞの教祖か英雄のように扱われるかである。生ゴミが降ってくるのは勘弁してほしいし、一部のスリザリン生のねっとりした眼は最悪だった。まあなんだ「いやらしい」眼で見られる女の子の気持ちってこうなのかと想像がつくくらいには嫌であった。
「……純血主義者は狂信者か」
怖すぎる。マルフォイのほうがまだマシである。それもどうかと思うのだが。
「いやーあいつもたいがいなのになあ」
風呂から上がり、でっかい黒い犬ことスナッフルズを乾かし、ブラッシングしてやりながらぼやく。先祖がつくった秘密の部屋は便利この上ない。スリザリンの自己顕示欲丸出しで陰気な部屋と違って、生活に必要なものが整っている。もっとも、スリザリンの部屋はペットの蛇を飼うための場所だったのだけど。
そういや戦利品として、蛇の牙を持って帰っていたのだったなと思い出す。『谷』の別邸の私室に保管中だ。毒液を抽出して厳重に保管している。一族には内緒だ。
どうしようか。呟いて、スナッフルズを撫でる。押しつけられて引き取った黒犬は、穏和しく横になった。いつものように枕代わりにして、天井を見つめる。
「ブラックはいねえし」
あっちこっち探したが駄目だった。情報もない。
「……禁断の森は行けねえしなあ……」
吸魂鬼に遭遇しても文句は言えない。さすがに止めている。ブラックに会う前に死ぬわけにはいかない。接吻でもされたら最悪だ。スナッフルズもうなっている。行くな、とでも言っているつもりだろうか。
傍迷惑なブラックめ。お陰で俺の人生はめちゃくちゃだ。ただでさえ一族の受けが悪いのに。ぶつぶつぼやく。寮で愚痴るわけにもいかない。もはや比較的安全なのは寮くらいになっていた。あとは図書館の隅とか、禁書の棚に潜り込むとか。
禁書の棚はおどろおどろしい本がたくさんあってホラーな気分が味わえる。スリザリンカラーのネクタイを付けた上級生もげんなりした顔をしていた。過去の誰かで、拷問全集を開いてさっと棚に戻していたり、呪い関係の本を漁っていたりと忙しそうだった。
淡い金髪の――白金髪の女生徒の姿も見かけた。どこかで見たような顔だったがわからなかった。レイブンクローカラーのネクタイをつけていて、ピーブズをやりこめていた。
ちらほらと視える過去と、納められた本を眺めていれば時間が潰せた。物心ついた時から悪意を浴びせられてきた身の上だ。慣れてはいるが、だからといって現状が平気なわけではない。誰も来ない場所に籠もっているほうが楽だ。
「打つ手なしだ」
ブラックを捕まえて吐かせて始末してやると思っている。が、出会えなければどうしようもない。不用意に外をぶらついて囮作戦も考えたのだが……ブラックをおびき出す以前に、吸魂鬼の餌食になりそうだ。ウィスタが。
「まさかの大穴で真犯人が別にいればいいのになあ」
なぜかスナッフルズが息を詰めたようだった。身をこわばらせている。まさか言葉がわかるはずがないし、わかったとしても、この反応は謎だ。
授業の合間やら授業をすっぽかして、ブラック関連はかなり調べたのだ。そしてヘカテに言って当時の資料も出させた。やはり状況は黒。ただ……。
――ブラックは裁判もなしにアズカバンに入れられた
大量殺人鬼だ。状況証拠はそろっている。魔法省は面倒事を早く片づけたかったのだろう。そこまではなんとなしに納得もできる。だが、リアイスが――スリザリン大嫌いリアイスが、ブラックをぶっ殺してないのが釈然としない。
スリザリンに組分けされればやれ追放だ、で母親は酷い目にあったらしいし、ウィスタへの風当たりも強い。そんな一族が、当主を――スリザリンに組分けされたとはいえ当主を――殺されて、黙っているか? 護送中の事故にみせかけて、あるいは収監後にどうにかするだろう。なにせリアイスは、監獄に人を配備している。どうせ都合の悪い人間を始末するためでもあるんだろう。
「……廃人になられる前に、捕まえたいのになあ」
結局ウィスタはただの子どもなのだ。ブラックの獲物は痩せていびられている息子より、生き残った男の子らしい。
ブラックについての続報はない。しかしホグワーツに嵐がやってきていた。クィディッチという嵐だった。勘弁してほしかった。
「スポーツマンシップの精神はないのかあんたら!」
ウィスタはキレた。スリザリン寮談話室。目の前にはゴリラども……ではなくクィディッチチームの何人か。
「試合前に敵を削るほうがいいだろう? 常識だろう」
「うるせえ」
ウィスタよりずっとでっかいキャプテンを蹴った。脛を蹴られてゴリラは悶絶していた。
「暴力、はんた……いた……おいチビ……」
「よってたかってハリーをつぶそうとしやがってよ。俺まで評判が下がるだろうがクソが」
「シーカーさえ潰せれば」
「セドの爪の垢でも煎じて飲め!」
もういっぺん脛を蹴った。ゴリラは沈黙した。
「これは戦いなんだリアイス」
「生き死にかかってるんなら多少のことは眼ぇ瞑るけどな!」
ほんっと魔法族のクィディッチ熱ってどうなってんだ。口を挟んだマルフォイを睨む。
「それともお前、ハリーに勝つ自信がないのか」
「言っていいことと悪いことがあるだろう!」
「それをお前たちが言う?」
普段の言動もあれだが、スリザリンチームは全員ニンバス二○○一を持っているのだ。ハリーのファイアボルトには劣るらしいが、ニンバスだってハイスペックだ。わざわざハリーやほかのグリフィンドールを潰しに行く必要はないだろう。
「勝つためには手段を選んでられるか」
チームの誰かが言った。ウィスタはそいつを睨みつけた。気圧されたように相手は黙る。
「そんなだから悪評まみれなんだよスリザリン。俺もだが、たぶん迷惑してる寮生はいるぞ」
ぴしゃりと言い捨てたのが数日前。
「あの泣き虫!」
可愛がっているバックビークの処刑が決まり、泣きながら走り去ってしまったハグリッドを笑うバカが一人。
――性格が悪い
俺があんなにキレたのになんもわかってないわけね。魔法生物飼育学の授業後、校庭から玄関ホールに至る大階段。ああこりゃ一発食らわせないとだめか。バカことマルフォイに向かって一歩踏み出したとき、鈍い音が響いた。
――マジかい
ハーマイオニーがマルフォイを殴った。しかも喧嘩なんて縁がないだろうに、見事な右ストレートだった。もろに入った。マルフォイはへなへなと座り込んだ。パンジーがあんぐりと口を開け、他のスリザリン生もざわついた。
ザビニがいれば大笑いしていたろうな。そんなことを思いながら、ウィスタはマルフォイに手を差し伸べた――と思わせて、マルフォイの頬に平手を食らわせた。
「お前紳士失格だよ」
人が苦しむ様が楽しいってんだからな。鼻を鳴らし、階段を駆け上がる。盛り上がるグリフィンドール生……ハーマイオニーのすぐ近くを通りざまにささやいた。
「いいパンチだった」
「彼らも必死だったんだと思うよ」
穏やかな声に顔を上げる。校庭――噴水前近くのベンチ。セドリックと図書館でばったり会い――ウィスタは最近、授業以外の時間を図書館か、寮か、グリフィンドールの部屋で過ごすことが多い――誘われてついていった。ハッフルパフの監督生で性格もよく、クィディッチチームのキャプテンなセドリックという強力な護符のお陰で、ウィスタは生ゴミ攻撃やクソ爆弾攻撃、嫌味陰口侮蔑等々を受けずに移動できた。セドリック様々である。
どうやらセドリックの母がクッキーを焼いて送ってきたようで、たくさんあるから一緒に食べないかい、と誘われた。餌に釣られた猫か犬の気分である。ありがたく食っていると、話は先日のクィディッチ決勝戦に流れた。
「ありゃただの泥仕合だろうよ」
ウィスタはクィディッチなんてどうでもよかったのだが、連行された。そして見せられたのが最悪すぎる試合だった。スリザリンときたらひたすら挑発や、反則ギリギリのプレイを繰り返し、時に反則し、挙げ句にだ。
「箒掴むやつがあるか」
マルフォイのやらかしを思い出し、苦いものがこみ上げる。必死だったどうこうと言うセドリックは神じゃなかろうか。
しかもだ。そこまで必死こいたのにスリザリンは負けたのだ。どのみち勝とうが負けようがスリザリンへの好感度が上がることはない。自分から嫌われにいっているとしか思えない。孤立するから内部での結束は強い……かと思えばそうでもないし。建前上は「魔法族の子」しか入れないスリザリン。実際は半純血だとか混血だとか言われる連中が多いし、純血のお貴族様と半々くらいか。うっすらとした壁はある。決勝戦に負けて「残念でした会」をしている時も、一部は冷たい眼をしていた。
――反発もされるよな
偉ぶっているのに結果を出していないのだ。結局親の七光りだし。マルフォイが無能とは言わないが、自分が努力できるだけの金と教育を与えられていることに無自覚だ。資産家でもない混血からすれば鼻にもつくだろう。
「なんにせよだ。ウッドが宿願を果たせてよかったよ」
どこまでも爽やかなセドリックである。天は二物も三物もこの男に与えすぎだ。
「自分は来年があるし?」
セドリックはにこりとするだけで答えなかった。
◆
マルフォイはクィディッチ敗退のショックのせいかまた「ポッターめ」とか「ポッターが」とか言い始めた。お前はハリーのファンかよ。粘着しているのかよ。数ヶ月前に「ポッターの生首を見た!」と大騒ぎしていたし。はいはいまたポッターかでみんな流したものだ。
ウィスタはマルフォイに構っている余裕などなかった。試験前でイライラピリピリしているやつらが、ウィスタに八つ当たりという名の嫌がらせを仕掛けてくるので。
せっせとかわしてやり返し……で、忘却呪文が巧くなった。ついでに各寮の監督生および首席ともつながりができた。特にパーシー・ウィーズリーとセドリックはウィスタに同情的で、ちょくちょく助けてくれた。
去年と変わらないと言い聞かせ、もう慣れたもんだと歯を食いしばり、夏休みを待ちわびた。ブラックのことは憎いが、突っ走ってどうにかなるもんじゃないと割り切ることにした。機会が巡ってきたら始末すればいい。その前に吸魂鬼に接吻されたらそれまでだ。
「……そもそも」
やつを片づけたところで、どうなるというのか。目の前に引っ立てられたらためらい無く殺る確信はある。
「つか、喜ぶのリアイスくらいだもんなあ」
眠る養父の額に触れながら、顔をしかめる。今日は満月だ。リーマスは調子を崩していて、この有様。試験日程の前半に闇の魔術に対する防衛術をぶちこみ、試験と採点が終わって沈没した。
「んとにリアイスって狂ってるよ」
ブラックを殺りました! と言おうもんなら、よくやった! と返してきそうだ。絶対に世間の反応とは違うだろうし、独自の感覚……いや倫理観で生きていそうな一族だ。ああ嫌だ。
ため息を吐きながら、元気爆発薬を薄めたやつを枕元に置く。起きて、これを飲んで多少立て直すはず。そして寝室から出て――。
「今日の分の脱狼薬を飲む、と」
机の上に瓶を置く。居間の仕事机に置いておけば飲むだろう。そして最後の脱狼薬を飲んだあとは、あちこちに鍵をかけ、準備を整える。無害な獣となって夜を越すのだ。
椅子に腰かける。不運で報われない人生。そう言ったらリーマスは怒るだろうか。病を隠して生きていくしかない。世間の眼は冷たい。リーマスの人柄なんて関係がない。人狼病にかかるとはそういうものだ。禁書の棚で散々見た。人狼は半獣だとか。解体して研究するだとか。魔法薬の材料にするだとか。なにかの生け贄にするだとか。だって人じゃないから。獣の血が流れている穢れもの……らしい。
「せめて日本とかどっかならよかったのになあ」
あっちじゃ狼は神様らしい。まだ当たりは柔らかいのだとか。すり切れた古い本に書いてあったことなので、どこまで本当かはわからないけれど。
はあ、とため息を吐いた。低く重いため息。
――ウィスタではないため息が重なった
眼を瞬かせる。リーマスが机の前に立っている。唇を引き結び、羊皮紙を広げてにらみつけていた。
「くそっ」
よりにもよってハリーが手にしているなんて。苛立ちのこもった声。
「……ジェームズの提案に乗って、忍びの地図を残していくんじゃなかったな」
フィルチのところからくすねたのなら、さすがジェームズの息子か。ぶつぶつと言い、リーマスがふっと笑った。
幻が解けていく。あとには誰もいなかった。
過去か。呟いて、立ち上がる。杖を構えて唱えた。
「忍びの地図よ来い」
かたん、と机の引き出しが音を立てる。苦労して鍵を開け――いくつか魔法がかかっていた――羊皮紙を取り出した。本当にただの羊皮紙だ。
首を傾げつつ、机に広げる。すると文字が現れた。
「我、ここに誓う。我、よからぬことをたくらむ者なり」
唱えれば、羊皮紙にインクが垂れた。いいや、滲み出た。蜘蛛の巣のように広がり、絵を描く。それはホグワーツの地図だった。行き交うのは足跡だ。それぞれ名前がついている。ウィスタ・リアイスとリーマス・ルーピンが闇の魔術に対する防衛術教授の私室にいることも書かれている。
――やばいやつに渡ったらとんでもないことになるじゃないか
使い方によったら危険物だな、と顔をしかめ――眼を見開いた。ぱっと身を翻す。
残された地図には、シリウス・ブラックの名があった。
最低な気分だった。一つは埃っぽい床に転がされているから。一つはロンの足が折れてかわいそうなことになっているから。一つは……。
「回りくどいことばっかやりやがって。俺を殺したいならさっさとやればいいだろうがクソ野郎」
目の前の男である。ボロ屋敷にはそぐわない、清潔な身なりをしていた。少なくとも逃亡犯シリウス・ブラックだと誰も思わないだろう。ウィスタも驚いたものだ。校庭に出て、ブラックの名前があったあたりを探し回れば暴れ柳に襲われ……どうにか止めて……この時点でボロボロだった……穴を見つけて入って……ドロドロになった……ボロ屋敷にたどり着けばブラック登場である。ボロボロドロドロ怒りだけはあるウィスタは後先考えずに向かったが失神させられた。無念である。
「今夜死ぬのは一人だけだ」
そしてそれはお前ではない。ブラックは静かだった。燃えるような眼でロンを睨みつけている。その隙に炎を飛ばした。早く来いヘカテ。
「ウィーズリー家に恨みでも?」
「だからってなんで僕」
呻きながらロンが言う。
「君も、ウィーズリー家も巻き込まれただけだ」
ぽつ、とブラックが返す。わけがわからん。むしろ巻き込んだのはブラックのほうじゃないか。苛々しながら、少しずつ拘束を解いていく。
「用があるのは君の――」
階下で床が軋む音と、誰かの声がした。ウィスタは叫んだ。
「ここだ! 早くきてくれ!」
ブラックの注意が逸れる。ウィスタは素早く立ち上がり、彼に剣を突きつけた。確実に喉を貫ける位置。
「指一本でも動かしてみろ」
「さすが魔法騎士の子だ」
命の危機にあるにも関わらず、ブラックが小さく笑った。しかし、灰の眼にはどろりとした感情が渦巻いていた。
「やってもいいが……俺が仕事を終えてからにしてくれ」
「ハリーを殺そうってか」
「いや。もちろんお前も標的じゃない」
――わけのわからないことを
辻褄が合わないじゃないかと顔をしかめたとき、扉がぱっと開いた。立っていたのはハリーとハーマイオニーだった。ええい。なんでヘカテじゃないかな!
「俺が牽制してる間にお前らロンを連れてさっさと逃げろ」
大変親切丁寧な提案をしたのに、事態は混沌と化した。ハリーがブラックに向かっていき、ロンの救出どうこうではなくなった。味方への誤射が怖いので下手な魔法は使えない。ブラックは殴られるままだった。ついでに猫まで参戦してきてどうしようもなくなった頃、次の役者が現れた。
「遅い!」
ヘカテとリーマスだった。すっかんかんにキレているクソガキに、ヘカテが鼻を鳴らした。
「これでも全速力で駆けつけたんですよ」
「……あとで説教だからね」
いくらでも言いたいことはあった。しかし、なにを言えばいいのかわからなかった。十二年ほったらかしにしたくせに、突然現れた父親――犯罪者を罵倒すればいいのか、事態を妙な方向にひっかきまわしたハリーに文句を言えばいいのか。
「――で、パッドフット。こいつをどう料理してやろう」
誰だろう。こんな冷たい声を出すのは。ウィスタは思わずあたりを見回しそうになった。だが、声の主は間違いなくリーマスだった。
「さすがムーニー……地図に名が?」
校庭にね。君と、ロンと、ペティグリューが絡まって、そしてこの屋敷へ続く通路へと。
リーマスがロンのほうを見ながら言う。ウィスタは固まった。子どもたちは全員固まった。なにが起こっているか理解できなかった。どうしてここで死んだはずの男の名が、さも当然のように出てくるのかも。
いつでもブラックを始末できる距離に陣取りながら、ウィスタは口を開いた。
「……説明しろ」
多少行きつ戻りつして真実が明かされ――途中でスネイプの邪魔が入ったが――ウィスタは脱力した。
「こんなやつにあんたらは踊らされたと」
床に転がっているのは小男だ。臭いったらない。『狼縛り』でがっちりと拘束し、動かせるのは眼だけだ。
「慢心していたのさ」
ウィスタは頷いた。冤罪で十二年も監獄に放り込まれていた男に、ああだこうだ言っても仕方ないだろう。いくらでも文句は言いたいのだが。
「ヘカテ、スネイプを起こしてくれよ……あいつの眼にも焼き付けておいたほうがいい」
こんな鼠がなあ……とウィスタはペティグリューを見下ろす。どうしたもんか。やっぱり首を斬って証拠にしようか。それだけあれば十分ではないか? 同じ空間にいて呼吸をしているだけで肺が汚れそうだ。ハリーの待ったがかからなければ、始末してやるのに。
むっと唇を引き結んだ時「なんだと……!?」と声がした。スネイプがお目覚めらしい。ついでに「殺してやる」とも言っていた。そうかスネイプも「ペティグリューを始末する」に一票か。気が合うね俺たち。
「後で料理するにしろ、いまは城に移送で決まりです」
スネイプに言う。
「よかろう――監獄の苦しみは想像を絶すると聞く」
「それは俺が保証しよう」
父がにっこりした。寒気のする笑みだった。ペティグリューの声なき声がした。
きっとここで死んだほうがマシとでも言っているのだろう。
大人たちはさっさと話をすりあわせた。途中で「待てルーピン、貴様……薬を飲んでいないだろう」と重大事項を思い出したのは天才的だった。リーマスは「君に神のご加護がありますように、セブルス」と冗談抜きで感謝して薬を飲んだ。どうやらスネイプはリーマスを訪ね事態を知り、屋敷に駆けつけたようだった。そのときに机の上にあった脱狼薬も持ち出したとか。ナイスである。
――なんで
こっからバッドな展開になるかね。
叫びの屋敷を出て、さあ城へ行こうとしたらお客さんである。吸魂鬼という最悪の輩たちであった。
リーマスがいればなあなんて言ってもしょうがない。守護霊を使える戦力の一人は、今は屋敷に残っている。無害な狼に変身していることだろう。
「――多すぎる」
「お前のせいだぞ」
「喧嘩してないで手を動かせ!」
父とスネイプ、そしてヘカテが、渦を巻く吸魂鬼を散らしていく。が、相当削ったが追いつかない。ウィスタたちも加勢したが焼け石に水だった。
死の叫びが聞こえる。
「やめてくれ、もう……」
父の呻き。ぐいと身体が引き寄せられる。父がウィスタを押し倒す。覆い被さるようにした。
「俺が目当てなんだろう」
どうか息子だけは。
吸魂鬼が迫る。手を伸ばす――そうして光が現れた。
一生分働いた気がする。そりゃそうか。時間遡行して、守護霊を出したのだから……火事場のクソ力である。いや、父たちがずいぶんと頑張って削ったお陰だが。ホグワーツに派遣されていた吸魂鬼を三分の一くらいには減らしたのではないか。その残りを、ウィスタとハリーが片づけたのである。
――また一族が文句を言いそうだな
ウィスタの守護霊は青い眼の幻獣だった。別に驚きもしなかった。どうもウィスタは異端らしい。仕方のないことだ。
どこかでふくろうが鳴いている。ウィスタは寝台に横になり、天井を眺めた。吸魂鬼の大群に囲まれて無事だったのは奇跡です! と大騒ぎしたマダム・ポンフリーに寝ていろと言われたのだ。ウィスタの頭を撫でて「シリウスは別室で事情を聞かれています。大丈夫……無罪になりますよ」と言い、なにかあれば呼ぶんですよと言って別室に去っていった。
ため息を吐いて眼を瞑る。証拠があるのだ。辻褄も合う……これで認めないなんてことはないだろう。
はっと、眼を開けた。いつの間にか眠っていたらしい。なんで目が覚めたのだろうとぼんやりし、耳がかすかな音を捉えた。呼吸音と服のすれる音。マダム・ポンフリーなら静かで落ち着いた音を立てるし、こんな押し殺したような――まるで忍び入るような音ではないはず。
一気に覚醒する。そろそろと身を起こす。
「マダム・ポンフリー? 俺もう、薬は嫌ですよ」
いかにも眠そうで嫌そうな声をあげる。ここにいるのはただの十三歳の子ども。左右の寝台から物音がする。ハリーとハーマイオニーも起きたようだ。
「そんな我が儘を言って」
マダム・ポンフリーの声だった。カーテンに影がゆらめく。背格好も同じ。だが、不自然な呼吸とひきつった声が変身を台無しにしていた。
「俺に優しくしてくれてもいいでしょ」
そっと杖を構えると同時に、カーテンが開いた。マダム・ポンフリーの姿をした誰かが呪文を唱える。
「息絶え――」
マダム・ポンフリーは眼を見開く。空になった手を握り、無言武装解除を受けたと悟るや否や、脱兎ごとく駆け出す。転がった杖を――十数年もの間隠してきたそれをとり、再度振り向く。性懲りもなく呪文を唱えようとして、転んだ。
立とうする。また転ぶ。どうあっても立てないのだ。片足を斬り飛ばされたのだから。
「その姿でいられると、俺の心がシクシクするな」
片手に血濡れの剣をひっさげて、ウィスタはマダム・ポンフリーを見やった。冷たい眼をしたまま、杖を振る。あっさりと偽装は破られ、ペティグリューの姿を現した。
「こいつ――」
「なんてこと」
杖を構え、ハリーとハーマイオニーが呟いた。ぱたぱたと足音がする。別室から本物のマダム・ポンフリーが飛び込んできて絶句した。ほとんど同時に医務室に人がなだれこんできた。
◆
「証拠がここにあるんだ。そしてそいつは」
俺を殺そうとした。
月が、むせび泣くペティグリューを照らす。身を丸め、この世の苦痛を煮詰めたような声を出していた。鉄錆の香が広がる。
ひく、と誰かが喉を鳴らす。青ざめた顔をしたファッジが、床に転がる足に眼をやった。
そうして怖々とウィスタを――たかが十三歳のガキを見る。紛れもない異物を見る眼だった。別に構いやしない。正当防衛を主張するだけだ。片足を切り払っただけで済んだのだからいいだろうペティグリューも。そもそも、連行するときに四肢を折っておけばよかったと思わないでもない。
「こいつがなんの罪もない男なら、どうして俺を狙う?」
どうせこいつ、俺もハリーも殺して手土産にするつもりだったんだろうよ。
「誰へのだね?」
「大臣にまでなったお方が、わからないと言いますか」
笑いがこぼれた。どうも大臣は本当のことを見たくもないし知りたくもないらしい。こんな明白な証拠があっても。
「その議論は後にしようかの」
ファッジを容赦なく押しのけ、ダンブルドアが病室に踏み込む。ウィスタたちをかばうように立っていたマダム・ポンフリーが、深く息を吸った。さっとペティグリューに近づき、顔をしかめながら処置する。
ダンブルドアはハンカチを取り出した。ウィスタの顔に散った返り血を拭い、ウィスタ、ハリー、ハーマイオニーの肩をぽんと叩く。ロンは変わらず寝台で寝ていた。
「吸魂鬼を引き上げてくださるかの? それと、ペティグリューを移送し……シリウスの捕縛を解いてくだされ」
「まだ、確定したわけでは――」
しん、と場が静まった。背後のハリーとハーマイオニーから、紛れもない怒りの気を感じた。ウィスタは怒るより先に、どうやってこの男を大臣の座から引きずりおろすか考えた。なんだこのバァカは。
「――簡単なことです」
ファッジを押しのけ、また一人誰かが入ってきた。背後にはもう二人ついている。ウィスタは瞬いた。先頭の一人は知らないが――背後の二人はよく知っている。
「ルキフェルに、キングズリーのおっさん」
「おっさんは余計だよ」
「年齢的にはおじさんでは」
「黙らんか、リアイス、シャックルボルト」
緊迫した局面にも関わらず軽口を叩く二人。それを制したのは先頭の男だった。
「失礼いたしましたルーファス」
ああ、と先頭の男は頷く。つかつかとペティグリューに近づいた。もちろん杖を構えたまま。靴底が血を踏む。
「おいスクリムジョール。局長の君が直々に」
「大臣閣下の護衛もありますので」
さらりと男が返す。ルーファス・スクリムジョール。闇祓い局の長は、それ以上無駄口を叩かずに仕事をした。つまり、ペティグリューの片袖をまくりあげ、何事か呟いて腕に杖を当てた。続いて、みっともなく叫ぶペティグリューの腕をひっつかみ、引きずった。ファッジの前に放り出す。
「こいつは死喰い人」
我々闇祓いの敵だ。
◆
「――あら」
もういいの?
夏の爽やかな風が吹く中、その声はよく響いた。
「多少寝込んだだけだよ」
クイン、と小さく返す。鮮やかな緑地、青い空。そして白金の髪の魔女。なんだか絵になる光景だった。もっとも、ウィスタに芸術の心得はないのだが。
なにを言えばいいかわからずに、バックビークを撫でてやる。処刑寸前だったし、あと一歩のところで殺されるところだったヒッポグリフは、ハーマイオニーの機転で命を拾ったらしかった。動物愛護団体に相談してどうこう。代表とやらが乗り込んで、熱弁を振るい、判決をひっくり返したとかなんとか。
不当にバックビークが殺されて、ペティグリューに逃げられてなんて「もしも」があったとしたら、バックビークを回収し、吸魂鬼を追い払い、監禁している父のもとに駆けつけて――いや空を飛んで――助けるはめになっていたろうな、とぼんやり思う。気が狂いそうな行程になること間違いなし。よかったよ丸くおさまって。
「マダム・ポンフリーがカンカンだったわよ」
「あの人は過保護なんだよ」
「あなたのお父様は放っておけって言ってたわね」
「――会ったの?」
「女の子たちが興味津々で……よかったわね。真犯人が見つかって」
そうだな、とだけ返す。父はひとまず城に滞在している。元々「裁判なし」で監獄に放り込まれたのだ。真犯人が見つかったのだからと無罪放免になった。ペティグリューは病院で治療を受け、それが済んだら裁判を受けるらしい、と教えてくれたのはルキフェルだった。
「十二年も離れてた父親とか、どうしたらいいかわかんないんだよなあ」
ぼやき、隣のクインを見る。そうして気がついた。
ウィスタはもう犯罪者の息子ではないのだと。
だからどうした、と心の内で声がする。
こんないいとこのお嬢さんとウィスタがどうこうなんてありえないさ、と。