バーティ・クラウチことバーテミウス・クラウチがなぜかホグワーツに現れ、忽然と姿を消した。そして。
「……死んでるのかぁ」
なにがどうなってんだろうな、と鋸壁を見る。とまっているのは鷲――なんだかんだとつるんでいる「友達」だ。ホグワーツの塔のひとつ、その天辺にはウィスタと鷲だけ。従者は置いてきた。今のホグワーツに危険なんてあるわけがない。とりあえず、今年は平和――なはずだったんだが。
ウィスタは羊皮紙をひらひらさせる。そこにはクロードの筆跡で「伯父は既に死亡している」と書かれていた。クラウチ家長女、つまりバーテミウス・クラウチの妹がリアイスに嫁いだ。なのでクロードはクラウチの姪に当たる。血を使った占いというものがあるそうで、そこらの怪しげな占者ならともかく、ウィスタにはクロードを疑う理由がなかった。いや、胡散臭いトレローニーは信用できないじゃないか。ばったり会ったら「あなたの背後に不穏な影が」とか「磔刑が」とかわけのわからんことを言っていた。いやいや、タロットには「吊るされた男」はあるが磔刑の男ないぞ。やたら声が低かったんだが。生徒を怖がらせる演技に全力を傾けるろくでもない教師だ。そんなことをしてるから眼が曇るのだ。
――まぁ
「なんか不穏なのは認めるけど」
ぼそりと呟く。いいさ、まだ不穏なだけさ。今年はきっと大丈夫!
――大丈夫じゃなさそうだ
日は経って、第三の課題開始直前。夕暮れ時のホグワーツ……の墓場。
ずらりと並ぶのは墓標。夕暮れを受けて血の色に染まっている。影が長く伸びていて、いびつにゆがんでいた。
「……いやいや先生」
三者面談の季節でしたっけ、と冗談を飛ばす。これがスネイプなら、なんらかの反応を返してくれるのだが、目の前の男――マッド・アイはにやりとするだけ。どうしたもんか、性格が悪いが割と質問に答えてくれるプロフェッサー・スネイプが恋しくなってきた。末期である。ウィスタは、マッド・アイに呼び出されるようなことをしたっけ? 厨房でのつまみ食いくらいだぞ、最近の微罪は。かわいいもんだ。しかしなんだろうか、この「大丈夫じゃない」感じ。
「ああ、お前の父親は邪魔だ」
いなくていいんだ。
青の義眼を輝かせ、マッド・アイはすっくと立っている。ウィスタは墓標のひとつに手を触れ、ぐっと握った。意味のない行動。なぜだか這い上がる冷たいなにかを押し込めるための、無意識の動きだった。
「どうせ親父はハリーの応援に忙しくなりますとも」
ついつい、可愛げのないことを言う。代表選手ハリー・ポッターの保護者として、父はホグワーツに来ている。たしかに後見であるし名付け親だし、父がやってくるのは当然だとも。ウィスタは父の姿をちらりと見ただけで、あえて近寄ろうとはしなかった。ましてや一緒にハリーを応援する? 無理だ。ウィスタは優等生ではない。ハリーに父親面する男なんて知るもんか。我ながら絶望的に幼稚だ。
「哀れなものだ」
父がいても父を知らぬ。マッド・アイの声音が変わる。老獪な闇祓いから――まるで、兄のような声に。バカなことを。しかし、マッド・アイからは本物の哀れみと、共感が滲んでいる。
――共感?
凄腕の元闇祓いがウィスタに共感するわけがない。片や子どもで学生、片や老いていて、元闇祓い。人生の経験値が違う。そして悩める子羊に同情するほどマッド・アイは暇じゃあない。
「俺もそうだった」
静かで熱い声だった。
ウィスタは瞬く。なにかが――なにかが、決定的におかしい。見落としがある。致命的で取り返しのつかない陥穽が、認識のズレがある。
「あんた、誰だ」
にぃ、とマッド・アイが笑う。ふ、と視界が明滅する。みしり、となにかが軋む。振り返る。墓標が裂け――ぽっかりと穴が――ふわりと浮かんだのは柩――出てきたのは一人の少女。いいや、ほぼ女性といってもいい。ウィスタよりいくつか年上らしい――。
「お赦しを」
ウィスタの前に、誰かが膝を突いている。マッド・アイ。彼は恭しく頭を垂れている。
「我が君の大望のため」
貴女様の力が必要なのです。
尊い犠牲です。
ふわりと浮かぶ女性、いや魔女。その片腕がぽとりと落ちた……。
瞬く。呼吸を遅くする。過去視だ。一瞬の出来事だったのか、マッド・アイ――彼の姿をした「誰か」は気づいていない。
――我が君、大望……そしてためらいなく亡骸の片腕を落とした……そんなことをわざわざするのは、死喰い人くらい。
またも、視界が揺れる。ウィスタは息もできずにあえいだ。ひゅう、と喉が鳴る。肺が空気を求めて暴れる。
ああ、間違えた。遅かった。罪を犯した。手遅れだ。ダンブルドアに……。
「バーティ」
誰かが言う。己が言う。バーティ、我が息子、と。
私が殺すべきだった、私の血を分けた、私の罪、と。
影がにじむ。青い眼が獰猛に光っている。
「いいか。「バーティ」は二人もいらない」
俺はあんたの影じゃあないのさ。
「さようなら、シニア」
けたけたと影は笑う。軋みがひどくなる。首に食い込んだ指が、鋼鉄の意志をもって沈んで。
べきり、となにかが折れる音がした。
過去から、亡霊のただ中から、ウィスタは転がり出た。ひゅうひゅうと喉を鳴らし、死の瞬間を味わった衝撃から立ち直れず、無様にくずおれる。
――遅すぎた
気付いたところでどうしようもない。この男は、バーテミウス・クラウチ・ジュニア。父殺しの死喰い人。
嘘だろう、と笑いたい。だって冗談だったのだ。死喰い人が潜入しているかもなんて……。
「さぁ時間だ」
マッド・アイ=バーテミウスが、ウィスタの片腕を掴む。手のひらに、布で包まれたなにかを押し付けた。
――これは
とっさに背後を見る。墓標は傷一つなくそこにある。刻まれている名は、ウラニア・ペンドラゴン・ユスティヌ。
握ったそれが――辱められた亡骸、見知らぬ魔女の腕が。
青く、輝いた。
少し黄色みをおびた、まろい月が夜空に浮かんでいる。
背には冷えて堅い感触。木偶のように役立たずで無力なウィスタは、虚ろに天をみるほかない。呼吸をひとつするたびに、両の手から湿ったなにかが落ちていく。ぽたり、ぽたりと滲み、落ちるのは、ウィスタの内から流れ出す命の水だ。
つ、と眼だけを動かす。たらたらと流れた赤は、地に――どこだか知らない墓地に――吸い込まれることもなく、ほっそりとした蛇のようにうねり、這い、紋様をつくっていく。古い古い文字と
――なにが
起ころうとしているのか、と痛みの中で考える。あぁ、かろうじて考えることができているのは片腕にはまる『螺旋杖』のおかげだろう。そうじゃなければ燃えるような眼の痛みと跪かされ、両の手を墓標に打ち付けられた痛みのあまり失神しているだろう。
いいや。いっそそのほうがよかったのか、とまたもや空を見る。むせ返るような鉄錆の香。きらきらとした赤い粒子がふわりと舞う。ウィスタの血がウィスタの魔力が散っている。漂うそれはほんのりと月を染めている――ように見えた。
月が、穢れていく。この術は、陽の下では行えないのだと悟った。人目をはばかる、表には出せない術。見ているのは月の眼だけ……。
穢れていく。穢れていく。どこまでも。赤く。ああ、月の乙女は堕ちていく。朱に染まり、ねっとりとした深紅に染まろうとしたそのとき、ずるり、ずるり、ずり、ぴしゃん、と音がした。
ゆうらりと危なっかしげに揺れる影が、なにかを引きずってくる。ぼたり、ぼたり、と己が肉と体液を落としながら。
ぽん、と放り出されたのはハリーだった。散々使い潰され、崩壊せんとする亡者のその欠片を浴び、腐臭にまみれ、凍りついたように眼を見開いている。ぱくぱくと彼の口が動く。ウィスタ、と呼ばれても、にこりともしなかった。できなかったと言ったほうがいいか。刻々とどうしようもない状況のどうしようもなさが明らかになっていく。
どこにいるかはわからず、磔刑にされていて、つまりトレローニーは珍しく当たりを引いて、その珍しい当たりのとばっちりを受けている。もしかしてこれは決まっていたことなのかもしれないが、トレローニーが狼少年でさえなければ、ウィスタはもう少し気をつけていたのだ。
そう、たとえばマッド・アイに呼び出されたとしても、従者も連れて行く、とか。つまりトレローニーも少しは悪い、なにがって日頃の行いが、と八つ当たり気味に思った。腹が立つほど気力が回復し、錆びついた思考が滑らかに動き始めた。
「お前、どうやってここまで」
「そんなこと言ってる――」
じろりと睨めばハリーは黙った。ウィスタはこんな時だというのに奇妙な満足感を覚えた。
優勝杯がポート・キーになっていた。なるほど。ハリーを生け捕りにして、ウィスタも生け捕りにして。ぱちぱち、と絵図の欠片をはめていく。
「ハリー」
なんだよ、とハリーは見上げてくる。その緑の眼に向けて、ウィスタは陰鬱に告げた。
「俺達、仲良く生贄になるっぽい」
そんな死に方は嫌だ、俺だって野郎とセットで死にたくない、と罵り合いだか愚痴りあいをしたものの、ウィスタたちは生贄にはならなった。
濁った月の光が降り注ぐ。紅の陣は鮮やかに輝き、中央に置かれるのは布包み。もぞもぞと動く様は虫のよう。虫なんてかわいいものではないのだと、ウィスタは確信している。確信しながらもなにもできずに事態を見ていることしかできない。
亡者が杖を振る。墓標のひとつが崩壊し、眠る父の骨が打ち砕かれ、陣に降り注ぐ。月が色を濃くした。
ふわり、となにかが放られる。腕の形をしたそれが弾け、どす黒いなにかとなって滴り落ちる。
月がますます赤く染まる。
そしてハリーの血が――敵のそれが注がれて。
深紅に染まった、
両の眼は血の紅。闇の帝王は再び立ち上がり、死の影たちを呼び寄せて、うっとりと呟いた。
「ああ、よくぞ役に立ってくれた」
骨と肉と血が必要であった。できることなら母の骨もほしかったが仕方あるまい。あの脆弱なる女のそれは、穢れた血どもの土地のどこかで朽ちただろう。
「父の骨、我が娘の肉」
孫の――男の血、と丁寧に彼は言う。
「我が孫の血」
◆
乱暴に杭を引き抜かれ、くずおれて、誘いをはねつければ磔刑の呪文をかけられて、ウィスタはボロボロだった。
ハリーとヴォルデモートが決闘し、木霊が現れ――わずかな動揺の隙をついて、無様に這いつくばっているはずの「帝王の孫」は、優勝杯をハリーの元へと飛ばす。
脱出を見届けて、当たり前だが敵陣ど真ん中で囲まれた。
――仕方ない
投げやりに思う。優勝杯は二人仲良くつかめる大きさではないのだ。ここはハリーに恩を売っておくべきだし、これでぶっ殺されてもちょっとはいいやつとして名が残るだろうさ。帝王の孫なんかじゃなく。
「若気の至りだ」
今回は不問にしようではないか、と帝王が言う。セクタムセンプラで切り裂かれ、かろうじて立ち、ウィスタはうなだれた。
「そうだ。お前はよい孫だ。そうとも」
リーンやユスティヌとは違う。消えていった木霊たちがいた場所を帝王はちらりと見る。まるでお化けを怖がる幼児みたいだと馬鹿げたことをウィスタは思った。追い詰められているのに。
その瞬間、いくつかの選択肢が浮かんだ。しかし、ウィスタが選びとったのは、賢く狡猾な立ち回りよりも――剣を振るうことだった。
冴え冴えと澄んだ輝きが、穢れの赤を追い払う。刃は流れるように帝王の片眼を切り裂いて、ぱっと血が飛沫いた。
帝王が吼える。追い打ちをかけるように、今度は黄金の輝きが穢れ者の腹を貫いてみせた。
ウィスタが意図していない動き。片手で『螺旋杖』を突き出したのは断じてウィスタではなく、唇を震わせたのもウィスタではない。
誰かだ。古い古い誰か。欠片。名残。想念、影――そのどれかであり、どれでもあるなにか。
「哀れな者。自らを呪った
貫かれながらも、貪欲に『螺旋杖』を見つめる末裔に、彼は告げる。
「お前は遠からず滅びるであろう。赦されぬであろう。救われぬであろう」
お前は幾重にも呪われ、今夜また呪いを重ねたのだ。七つの禁のみならず。
救われぬ。けして救われぬ。
黙れ、と穢れ者が呻く。彼に手を伸ばそうとする。しゅっと、鋭い音――鍛え抜かれた刃が振り下ろされる音――が紅い夜を切り裂いた。
なるほど、あれほどではないが手練だ、と彼は瞬く。ぼとり、と穢れ者の腕が落ちた。
「――これは」
あいつの分だ。と、と降り立ったのは黒髪の騎士。眼は星の色。片手には懐かしい――彼の眼を切り裂いた剣。千年の時を越えた、あれの剣。
ふう、と彼は息を吐く。助けが来たようだ。ならばよかろう。
己が得物を振るう。
「不浄を押し流せ」
主に再びまみえ、力を振るえる喜びに『螺旋杖』がまばゆく輝く。どん、と地から、天から、世界から召喚されたのは水。それらはうねり、何体もの大蛇となって穢れ者たち――哀れな呪われしものに襲いかかり、激しい流れのなかに呑み込んだ。
if√ゴブレット終了。続きは未定。